想いを乗せて花は咲く
浮遊島1
目が覚めた時、腕の中に温もりを感じてとても幸せな気持ちになった。
強い朝陽が室内を照らす。
早朝の静かで張り詰めた空気の中、ワグナスは気持ちを落ち着けるように深呼吸をした。
今日は装置を作動させにいく。
敵は本当に巫女なのか、その存在も目的も曖昧なままで、何もかもが不確かだ。だが、絶対にボクオーンを渡すわけにはいかない。彼を守ってみせる。――それはワグナスの誓いだった。
腕の中のボクオーンが身じろぎをする。腕を少し緩めると、ボクオーンが目を擦っていた。
眠そうに目を瞬かせ、眉間にしわを寄せている顔に、少しだけ申し訳ない気持ちになった。
「おはよう。大丈夫か?」
「おはようございます。朝はあまり強い方ではなく、みっともないところをお見せして申し訳ありません」
ぱちぱちと瞬きをしている様子が可愛らしくて、そっと顔を寄せて口付けをした。
目を見開いたボクオーンの、その頬がみるみる桃色に染まる。その恥じる顔が、朝日に当てられてとても美しく見えた。
ワグナスは愛おしさに目を細めて、微笑んだ。
貴重な書物や調査中の覚え書きは、昨日のうちに拠点に送った。
少し多めの金貨と宝石を引き出しに入れる。この家の持ち主である村長が、これを見つけて皆のために使ってくれることを願う。
服や生活用品はそのままで。
遺跡へ調査に行って、戻ってこなかったのだと思われるように。
「行きましょう」
身支度を整え、先に外に出たボクオーンが声をかけてくる。黒いローブに顔の左側を前髪で隠した、見慣れた七英雄ボクオーンの姿だ。
短い期間だったが、ボクオーンと恋人として暮らした家。
後ろ髪引かれる思いはあったがそれを振り切り、ワグナスは家の扉を閉めた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
遺跡から少し離れた森の中。手頃な岩に座ったワグナスとボクオーンは、朝食を食べながら作戦会議を開いた。
風が草木の青く爽やかな匂いを運んでくる。
森の木々の間をすり抜けた強い日差しが木漏れ日となり、二人に降り注いでいた。光に照らされたボクオーンは男の格好をしていてもやはり美しい。
「フィネアの花は燃やしてください」
隣家の老婆から先日もらった胡桃レーズンパンを頬張り、ボクオーンが告げる。
「監視と、匂いが精神に影響するから?」
「それもありますが、私が精神を乗っ取られかけていた時に、最後に見た巫女は炎に包まれていました」
おそらくワグナスが焼き払ったからだろう。だから、花への攻撃が本人にも影響する可能性がある、か。
「承知した」
頷く。
「転移後は別々の場所に飛ばされるかもしれません。現実か幻かの見分けをつけるのは、正直難しいと思います」
「何か合言葉を決める、とか?」
「心を読まれたら逆に利用されます。見分けるのは諦めて、いっそ全てが敵だと思って攻撃をする方がいいです」
ワグナスは眉間に皺を寄せ、パンを齧った。
そういえば、七英雄の頭脳たる軍師殿にはこういうところがあった。元からそうなのか、他の七英雄に感化されたのかは分からない。ただ、たまに脳筋な作戦を立てる。
パンを飲み込むと、ワグナスは異議を唱えた。
「さすがに気が引けるのだが……」
「お互いに治癒の術が使えるので、死なせなければ大丈夫です」
代替案がないので押し黙る。
「あとは、感情的にならないこと。敵は精神に揺さぶりをかけてきます。おそらく、ワグナス殿には私が「愛していない」と告げ、私にはワグナス殿が「愛している」と告げます。動揺しないように」
思わず挙手をする。
言葉を続けようとしていたボクオーンが小首を傾げてみせる。
ワグナスはかぶりを振って、やや必死の形相で訴えた。
「私に愛していると言われて、動揺するのはおかしくはないか?」
「……」
ボクオーンは何かを言いかけ、ワグナスからそっと視線を逸らせた。
「あー。そうですね。今のは無かったことに。少なくとも今は、愛し合う恋人ですから」
「含みを持たせないでくれ」
はぁ、とわざとらしくため息をついて食事を再開させた。
決戦前の緊張を和らげるための軽口だ。互いにそれは分かっている。
転移装置を作動させるため恋人になる。そんな関係が先立ってしまったので、今更愛を語ったところで本気に取られない関係になってしまった。
それが正直、辛い。
だが、今はまず、未来を勝ち取ることだけを考えればいい。
「ワグナス殿」
低い声で名を呼ばれる。
ボクオーンはワグナスをまっすぐに見つめていた。その金色の瞳には揺らぎがなかった。
「我々は誰も、あなたのことを恨んでいません。あなたも被害者だ。憎むべき敵は大神官――」
息を呑む。
いつかの悪夢が蘇る。
ワグナスの精神に揺さぶりをかけるとしたら、ここをつかれる可能性が高い。
「七英雄のリーダーはあなたです。だから、胸を張ってください」
ボクオーンと視線を合わせたまま、ワグナスは深く頷いた。
「ありがとう。私も、皆を――君を心から信じている」
ボクオーンは目を瞠り、何かを葛藤するようにそっと視線を逸らせた。
ワグナスは手を伸ばし、彼の手を握りしめた。
「君は疑うかもしれないが、あいにくと私は嘘をつくのが苦手だ。だから覚えていてほしい。私が君のことを信頼していることを。そして、愛していることを」
「……はい。分かりました」
言葉では肯定しているものの、その声にはどこか硬さがあった。ボクオーンは口元だけに笑みを形作る。
――今はこれでいい。
ワグナスは微笑み、ゆっくりと頷いた。
食事を終え、ワグナスとボクオーンは遺跡に入った。
ねっとりと絡みつく視線は先日よりは薄い。
道中は無言であった。何かを話せば、それは全て巫女に筒抜けになってしまうかもしれないから。
青い水晶の間へ辿り着く。
繋がれた手にじっとりと汗が滲んだ。
扉を開くと、台座にからむ蔦とフィネアの花が再生しているのが見えた。
赤い花びらを見つめる。向こう側から見つめ返されているような気がして、ワグナスは目つきを鋭くした。
「ボクオーン」
青い水晶の前で名を呼ぶ。視界の端にこちらを見上げる彼の顔が映った。
「愛している」
絡まった指先がふるりと揺れる。
ボクオーンは困ったように眉根を下げた。だが、これが装置を作動させるための恋人のふりと取ったのか、彼もまた告げる。
「私も、愛しています」
偽りでも構わない。今はその言葉があれば、否定されることも怖くはない。
視線をかわし、頷きあう。
ワグナスはボクオーンの温もりを確かめるように、そっと指を絡め直した。
深く息を吸い込む。
「いくぞ」
同時に青い水晶に触れた――瞬間、青い光が放たれて二人のことを飲み込んだ。
光の残滓が宙を舞う。
空気に溶けるようにしてそれが消えると、辺りは闇に染まった。
「ボクオーン」
呼ぶが返事はない。
右手を握る。青い水晶に触れる瞬間まで感じていた熱は、今はない。
この場にボクオーンはいない。頭にそれを刻みつけながら、腰に携えた剣の柄をひと撫でした。指先に感覚はある。ここは現実世界だろうか。
どこからか流れてきた風が、ワグナスの長髪を揺らす。
手に魔力を込め、空に向かって放った。
現れた光球が室内を照らした。正面に扉がひとつあるだけの、他には何もない部屋だ。
立ち止まっていても仕方がないとワグナスは歩みを進めた。
扉をくぐると視界が真っ白になった。
目を閉じる。
草木がこすれる音が耳に届いた。
風を感じる。冷たく、乾燥した空気だ。フィネアの花のかぐわしい香りが、辺りいっぱいに広がっていく。
ゆっくりと目を開いた。
そこはアラバカンの丘であった。ワグナスがかつて磔にされた、一本の大きな丸木の磔台が刺さっているあの丘だ。
不快に眉根を寄せる。
「芸がないな」
ワグナスらしくなく、吐き捨てるように呟いた。
磔台のもとに人影がある。
黒いローブに赤い髪。顔立ちは整っているが少しだけ神経質そうで、目つきが鋭い、愛しいひと。
「ここが、すべての始まりの場所でした」
うっすらと口元に笑みを浮かべて、ボクオーンは語り出す。
「みすみす大神官の罠に嵌った愚か者の登場ですか。我々が故郷を失ったのも、終わりの見えない放浪の旅をしているのも、全部あなたのせいだ」
「そうだな……」
ワグナスは頷いた。
彼の――偽のボクオーンの言葉に間違いはない。
自分の身などどうなってもよかった。大切な仲間達さえ助けられるのであれば――。ワグナスのその性格を、大神官は利用した。
自分がもう少しでもうまく立ち回れていたら、と、何度も後悔をした。――今までも、きっとこの先も、その思いが消えることはない。それはワグナスに課せられた罪なのだから。
「しかし、私が心より信頼する仲間が、私をリーダーだと認めてくれた。ならば、その責務を全うする義務がある」
ワグナスは左手を掲げた。
金色に輝く魔力が溢れ、空を覆うように広がっていく。
「ギャラクシィ!」
短く、術の名を告げた。
磔台の上に現れた黒い球体は、黄金の光を、そして辺りの色をも吸い込んで、黒一色に染めていく。その漆黒から光が溢れ、一気に弾けた。
耳をつんざくほどの轟音が響いた。
ワグナスの長髪が、白い服が、爆風を受けてはためいた。
その爆発は磔台を粉々に粉砕し、ボクオーンをも巻き込んだ。
一瞬だけ、彼が本物である可能性が頭をよぎる。
だが、彼は自分リーダーと認めてくれたのだ。その彼があのような発言をするはずがない。
ワグナスは地面を蹴り、一気に間合いを詰めた。右手で剣を抜き、膝をついているボクオーンに向かって垂直に振り下ろす。
悲鳴も上げずに両断された偽物は、血の代わりに赤い粒子をまき散らしながら消えていった。
偽物がいた場所には、フィネアの花びらが山になっていた。ワグナスは険しい顔でそれを見下ろし、指先から火の術を放つ。
花は一瞬で灰になった。
「私を愛していると言ったではありませんか。躊躇いもなく切り捨てるなんて、酷い人ですね」
背後から聞こえた声に、剣を振り上げる。しかし飛んでかわされた。
「化けるなら、もう少しうまく化けるのだな。彼の美しさや色気は、そんなものではないぞ」
偽物は声をあげて笑う。狂気に満ちた顔で。
「あはははは。美しい。あなたの愛は真実なのですね。光り輝く色をしています。見惚れるほどに美しくて、なんて憎たらしい」
光の玉を放つが、偽物が右手の杖を振るうとその光はかき消された。
風を切る音と共に緑の何かが伸びてくる。わずかに身を引き、剣を一閃させた。足元に落ちたのは数本の蔦だ。
ボクオーンの姿をしているが、能力まで模倣することはできないようだ。ワグナスはしなりながら襲いくる蔦を切り刻んだ。
「だけど私は違う。愛してなんかいない。この任務が終われば、お別れです」
目の前の彼は偽物だと分かっている。耳を貸す必要なんてない。
「私があなたを受け入れたのは、装置を作動させるためです。相手があなたではなく、スービエであってもノエル殿であっても、私は同じことをしましたよ」
「気安く仲間の名前を呼ばないでくれ」
不快に眉を顰めると、くすくすと楽しそうにボクオーンが笑う。
「これからだってそうです。目的のために必要であれば、この体を使うでしょう。自分の心を偽って、愛を囁くこともするでしょう。だって、私はずっとそうやって生きてきました。今更変えることはできません」
無意識のうちに剣を握る指先に力が入った。
随分と饒舌に喋る。しかも愛する人を侮辱することばかりを。その真偽はともかく、他人の口から明かされることは不快でしかない。
心を平穏にするために深呼吸をする。
「彼の過去がどうであろうが関係ない。約束に従って私から離れていくことも仕方がない」
左手に魔力を込める。その手を偽物に向かって突き出した。ボクオーンの周りに炎が収束し、瞬く間に球状の火塊を形成した。場の温度が数度上がって、額から汗が流れる。
「だが、私は愛すると誓った。それだけで良い」
その言葉と同時に、球体が爆ぜた。
轟音と共に灼熱が炸裂する。爆風が吹き荒れ、空間ごと引き裂くような衝撃が走った。
ピシッ。
何かがひび割れる音が響く。
熱を持った風に曝されながら、ワグナスは辺りを見渡した。
何もない空間に亀裂が入る。それはどんどんと広がって、剥がれ、崩れ落ち、赤い粒子となって宙に舞った。
赤い光が消えると、景色は一変した。
ワグナスが立っていたのは何もない部屋だった。空いた穴から、天井だった破片がパラパラと落ちてくる。
光が降り注ぐ。その下に、赤い髪の女が佇んでいた。血色の不気味な瞳が、憎悪を含んでワグナスへ向けられていた。
周囲の音が消え、耳に届くのは自分の心臓の音だけ。
「あなたはどれだけ彼を理解しているのかしら?」
異様なまでに高く澄んだ声が、空気を震わせる。
「あなたが愛しているのは、自分に尽くして肯定をしてくれる、都合がいい幻影。彼の野心も苦悩も、何も知らないでしょう?」
思わず喉を鳴らす。
巫女は目を細めて、満足そうに微笑みを浮かべた。
揺らぐな、とワグナスは自分の心を叱咤する。
「あなたの心は高潔でとても美しい。だけど、あなたは自分の信念のためだけに突き進んで、相手の心は見えていない。見ようとしない。それはただの独善よ」
ワグナスは手をかざし、火の玉を放った。
だが、蔦で編まれた壁が立ち塞がる。緑の壁が黒煙をあげて燃え上がる中、巫女の笑い声が響く。
その壁の向こう側から生き物のように蔦が伸びてきた。ワグナスは剣を一閃させて、それを斬った。
「皆はあなたを信じて命を預けていたのに、他ならぬあなたが一人で勝手に死のうとした。その崇高な信念は、あなた以外の誰を救ったのかしら?」
嘲るような高笑いが耳障りだ。
ワグナスは駆けた。小さな棘がついた緑色の蔦は蛇のように素早くうねり、ワグナスに襲いかかってくる。邪魔をするそれらを刻み、赤い花を炎で退け、巫女に肉迫する。
「あなたの傲慢が、彼の絶望を生んだことも知らないでしょうね」
ワグナスの剣先が十字を切る。その軌跡から金色に輝く光が溢れた。
十字の光の消失と共に、巫女の姿は消えた。ワグナスは足元に積み上がる赤い花びらを、眉を寄せながら見つめた。
「同じ術は効かぬよ。事前に警戒すべきことが分かっていれば、心を保つことができる」
ただそれでも、心が傷まぬわけではない――
ワグナスは服の上から己の胸を押さえ、そっと息を吐いた。
それにしても、ボクオーンの絶望とは何なのだろうか。気にはなったが詮索はすべきでないし、今は彼と合流することが優先される。
ワグナスは足元の花へと火の術法を放った。