想いを乗せて花は咲く

11日目


 十一日目。
 
「フィネアの花とは何なのか。伝承では、人々の想いを風の神に伝えるアイテムとされています。ならば、人の意思を遠くに運ぶ能力を備えているのでしょうか」
 朝食を食べながら、幾分か声を潜めてボクオーンが問いかけてくる。
 蜂蜜をたっぷりかけたパンケーキをナイフで切りながら、ワグナスはふむと唸った。
「昨日試したが、花同士での交信はできなかった。それでも可能だというのならば、条件があると考えられる。……例えば、特定の人や物にのみ送られる、とか」
「特定の人というのであれば、巫女や風の神が有力候補ではないでしょうか」
 伝承の人物の名を出すなど、現実主義のボクオーンらしくない。そんなワグナスの戸惑いなど気にした様子もなく、ボクオーンは紅茶を飲んでいる。
 ワグナスは一口サイズに切ったパンケーキを口に入れた。ふかふかの生地は口の中でほろりととろけ、甘い蜂蜜がふわりと広がって幸せな気持ちにさせてくれる。
「ワグナス殿が感じていた視線が、台座に巻き付いたフィネアの花を取り除いた途端に、消えたことは気がかりですね」
「……魔物、そうでなくとも、我々に敵対する何かがいる可能性があるな」
「最初に花の異変が発現したのは、ワグナス殿が悪夢にうなされた晩から朝にかけて。悪夢が敵の仕業と仮説を立てると、敵には精神に干渉する能力があります。紫色に変色したのは、私が魔力をこめたからでしょう。それによってフィネアの秘められた力を発動させて、敵と繋がってしまったのかもしれません」
 甘くなった口に、付け合わせの木苺の酸味がさっぱりと感じられる。
 紅茶で喉を潤し、次の一口を食べようとしていると、くすりと笑う声が聞こえた。
 視線を上げる。
 その先で、ボクオーンは柔らかい眼差しをこちらに向けていた。
「甘いものが好きなんですね。言ってくれれば、拠点でも作って差し上げたのに」
「好物を呑気に食べている雰囲気ではないだろう。それに、甘い物が苦手な者も多いから……」
「人のことばかりですね。でしたら、今度、おやつかデザートにでも作りますよ。ロックブーケとクジンシーは喜ぶと思いますよ」
 優しく告げるその言葉に、胸が熱くなる。
 恋愛感情があるのは今だけ。そうであっても、仲間として、今後は今まで以上に親密な関係を築いていければ良いと思う。
 胸の奥が痛みを放つが、それに気付かないふりをして、ワグナスはパンケーキを口にした。
 

 本日の予定は遺跡の調査となった。
 台座のフィネアの花と蔦の調査をするためだ。

 遺跡に入ったワグナスは、背筋が震えるのを感じた。あのねっとりとした視線を感じる。
 身震いをしているワグナスに気付いたボクオーンは、眉間に皺を寄せて辺りの気配を探り出した。ワグナスも神経を尖らせるが、身近には何も見つからない。
「私は何も感じません。……フィネアの伝説と絡めると、ワグナス殿は風の神の側で、視線は巫女のものなのでしょうね」
「勘弁してくれ。明らかに敵意が含まれているぞ」
 裏切られた巫女の怨念など、碌な物ではない。向けられたくないものだ。
「風の神とは何者なのだろうな」
「転移装置の先にあるのは浮遊島。スービエが持ち込んだ絵本には、空に浮かぶ島にかつて有翼人が住んでいたと書かれていました」
「この地方では有翼人を神と崇めていたか……」
 初めてこの地を訪れた時から、ワグナスは憎悪のこもった視線を感じていた。ワグナスが好んで吸収する魔物は有翼種である。その気配が巫女の怨霊を呼んだのか。
 当たって欲しくない予想だ。
「有翼人はどうなったのだ?」
「滅んだようですが、原因はわかりません」
「巫女の呪いでは?」
「可能性としてはありますが、どちらが先かはわかりません」
 ボクオーンの言葉にワグナスは首を傾げた。
 ボクオーンは目線だけをワグナスに向けて、神妙な面持ちで告げた。
「巫女が捨てられたのが先か、有翼人が滅んだのが先か」
 そうか、と呟いてワグナスは目を伏せた。
 当時生きていた人間に聞かなければ、真実は分からない。どちらにしたところで巫女の悲劇は変わらない。
  
 青い水晶の間の扉を開けて、ワグナスとボクオーンは息を呑んだ。
 肌が粟立ち、嫌悪感が込み上がる。
「念のために確認しますが、台座に巻き付いていた蔦と花は……」
「スービエが刻んでいたよ」
 答えた声は掠れていた。
 ワグナス達の視線の先にある台座には、緑色の蔦が巻きつき、赤いフィネアが花開いていた。
 部屋へ入ろうとしたが、ボクオーンの手が部屋に入ることを制した。
「あなたは狙われている可能性が高い。私が行きます。異変が起きたら、花を燃やしてください」
 ワグナスは無言で頷いた。
 ボクオーンは警戒するように、一歩一歩慎重に足を進める。台座の前に片膝をついて、杖で蔦をかき分けて台座を確認していた。
 フィネアの花の甘い香りが強まった。離れた位置に立つワグナスの鼻腔にも流れ込んでくる。あまりにも強い香りに、袖で鼻を覆った。
 ボクオーンの肩が大きく揺れ、動きが止まる。
 怪訝に思い、ワグナスは彼の名を呼んだ。
「ボクオーン、どうしたのだ?」
 ボクオーンが何かを否定するように頭を振り、立ち上がった。そして杖を振り回す。その姿は見えない敵と戦っているようだった。
 異変を感じたワグナスが花を焼き払おうと手に魔力を込めた時、ボクオーンの体から、奔流のように魔力が溢れた。普段の繊細な制御とはほど遠い、荒っぽい出力だった。
 ボクオーンを中心に砂嵐が巻き起こる。彼を取り囲むように円状の風が吹き、砂塵が天井に向かって舞い上がった。
「ボクオーン、返事をしてくれっ!」
 呼びかけるが返事はない。
 台座の花を燃やしたいが、砂の壁が邪魔で近寄れない。
 何度か呼びかけていると術の効果が切れたのか、砂が床に落ちる。
 ボクオーンはこちらを向いて立っている。
 名を呼ぼうとして、口を固く引き結んだ。ボクオーンの目が虚だ。瞳から光は失せ、ワグナスの方を向いているが、別の場所を映しているようだった。
「あなたなんて、愛していないっ!」
 ズキリと言葉が胸に深く刺さる。
 しかし、そんな感傷に浸る場合ではない。
 『私があなたを愛しているわけがない』と言った、夢の中のボクオーンを思い出した。もしや、あの時と似た状況なのではないだろうか。心の奥にしまわれているものを強引にこじ開けられた、あの悪夢と。
 彼の叫びに呼応するように、紫色の花が咲いた。ボクオーンの術で生じた砂の上に次々に花を咲かせ、青い水晶の間の床が紫色で埋め尽くされた。
 甘い中にも多少の爽やかさを感じさせる芳香が、部屋に充満する。
 ボクオーンはかぶりを振り、何かを口にしている。幻覚が見えているのだろうか。
「ボクオーン!」
 名を呼ぶが、彼には届かない。
 ボクオーンの指示は、『異変を感じたら花を燃やせ』であった。しかし彼は花畑と化した部屋の中央に立っている。この位置からでは彼も術に巻き込んでしまう。
「愛してないっ! 絶対に違うっ! 愛なんて信じないっ!」
 聞く者の胸が痛くなるような、悲痛な叫び。
「私は誰のことも信じない……」
 捨てられた子供のような途方にくれた表情に、ワグナスは見ていられなくなってそっと視線を逸らせた。
 彼が見ているのはどのような幻なのか。
 いずれにしても、このまま手をこまねいているわけにはいかない。
「君が私を信じていなくとも、私は君を信じているよ」
 届いていないかもしれない。だが、言わずにはいられなかった。
 ワグナスは静かに右手を掲げ、開いた手に魔力を集中させる。
「これしきの攻撃、耐えてくれよ」
 空気が震え、赤色の粒子が弾けるように舞い散った。
「ファイアストーム」
 低く呟く。
 刹那、紅蓮の炎が渦を作り、咆哮するように風を巻き込んで、たちまち部屋を炎の嵐で包み込んだ。
 風がワグナスの白いローブと長い黒髪をはためかせた。
 炎に触れた花が一瞬で燃え尽きて、灰に帰す。
 十分に花を除去できたと判断し、ワグナスは掲げていた手を握りしめた。同時に炎が消える。
「ボクオーン!」
 台座の前に倒れているボクオーンに駆け寄った。
 元々の魔法抵抗力が高いためか、正気ではない状態でも咄嗟に防御壁を張ったのか。彼には怪我はないようだ。それでも心配で、光の癒しを施した。
 ボクオーンの背に隠れていた赤色の花を見つけ、じっと見つめる。
 向こう側からも、何者かがこちらを覗き見しているような気配を感じた。脳裏に浮かんだのは、どろりとした血の色の瞳だ。
 ワグナスは花に人差し指を向け、術を放った。
 花は一瞬で炭化し、黒い塊となって、床に落ちて砕け散る。
 それに一瞥をくれた後、ワグナスはボクオーンを抱き上げ、焦げた匂いが充満するその部屋を後にした。

 
 月明かりが優しく室内を照らす中、ボクオーンはベッドの上で、静かに寝息を立てていた。青白い光が彼の顔の輪郭を儚げに浮かび上がらせている。
 ボクオーンは半日経つ今も目を覚さないでいた。
 ワグナスは両手でボクオーンの右手を握りしめた。
 冷たくて力が抜けている手だ。脈が弱く、このまま儚く消えてしまいそうなそんな恐怖に襲われ、彼の手に頬を寄せた。
 帰ってきてくれ。
 そう、必死に祈りながら。
 故郷を追放されたあの時に、祈りは捨てた。
 それなのに、今は祈ることしかできない無力な自分に、歯噛みする。
 
 彼を失いたくない。
 大切な仲間だから。
 そして、彼のことは仮初などでなく、心の底から――

 しばらくそのまま、ボクオーンの様子を眺めていると、ぴくりと、彼の指が動いた。
「ボクオーン」
 呼びかけると、彼の瞼がゆっくりと開いた。うつろに虚空を見つめていた瞳が、瞬きと共に光を取り戻してワグナスを映す。
 ボクオーンの潤んだ瞳が月光を反射してきらりと輝いた。とても綺麗だ。
 その瞳に自分を映してくれたことが、この上なく嬉しかった。優しく笑みを作って、彼を見つめ返す。
「謝らないでくれよ。私も予想外であったから、君だけの責任ではない」
 ボクオーンが口を開く前に先手を打ってやると、彼は柔らかく頬を緩めた。
「泣きそう、ですね」
 掠れた声で、ゆっくりと囁かれる。笑い混じりの声だった。
 ワグナスが握りしめている手に、力を込めて握り返してきた。
「少し、疲れている、みたいです。もう少し……」
「ああ。休んでくれ。話は後で構わないから」
 ボクオーンの首が微かに動く。
 瞼が重そうに、ゆっくりと閉じられていく。
「ワグナス、どのも、……寝て……」
 その言葉を最後に、すうと寝息が聞こえてくる。
 こんな時にまで人のことを心配するお人好しに苦笑しつつ、ワグナスは安堵の息を吐いてボクオーンの手をもう一度握りしめた。
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