想いを乗せて花は咲く
9日目 2
九日目、午前中。青い水晶の間。
青い水晶は沈黙していた。
水晶の表面にはワグナスの顔が歪んで映っている。何か変化はないかと目を凝らしてみたが、水晶は静かな光を湛えるだけだ。
ワグナスはスービエと二人で、転移装置の仕掛けを試していた。
「親戚としての親愛でも起動するなら、絶対にいけると思ったんだがな」
スービエが残念そうに告げた。
手を差し出され、ワグナスは意図が読めずに首を傾げた。
「お前とボクオーンは、手を繋いで試したんだろ」
ワグナスは眉間に皺を寄せたが、スービエは強引にワグナスの手を取って指を絡めた。渋面になるが、スービエの視線はすでに水晶へ移ってしまっている。
「はい、せーの」
掛け声を放たれて、ワグナスは慌てて空いている手を水晶に伸ばした。
同時に触れる。
ぞくり、と、背筋に悪寒が走った。
指先が痺れ、二の腕に鳥肌が立つ。
敵意が含まれた視線を感じた。強い強い恨みの感情。
青い水晶に変化はない。
魔力の流れに変化はない。
部屋の中に、目に見えた変化はない。
動揺を表に出さないようにしながら、ワグナスは周囲を探った。しかしこの部屋には、自分達以外の気配はない。
「やっぱダメかぁ」
最初から期待はしていなかったとばかりに、けろりとした顔のスービエがこちらを見る。その眉が微かに動くのを見とめ、ワグナスは頷いた。
「隠し通路がないか、探してみてくれないか」
スービエは頷くと、理由も聞かずに動き出す。
こういうところは本当に助かる。
隠し通路の探索はスービエに任せ、ワグナスはもう一度青い水晶に触れた。しかし水晶には何の反応もないし、今度はワグナスの身体に変化もなかった。
視線を下にやり、フィネアの花に触れる。
柔らかい花びらは地上の花と同じだ。鮮やかな赤も、中心の黒も。花を眺めるうちに、ふとボクオーンのことを思い出して、胸が温かくなる。花冠を頭に乗せて少女に微笑む、あの柔らかくて優しげな表情が脳裏をよぎった。
うずく胸を服の上から押さえ、ワグナスはかぶりを振った。今はそんなことを考えている場合ではない。
台座に絡まる蔦をかき分けた。
その下から現れたのは、壁と同じ材質の青みがかった石だ。
文字や魔法陣は見当たらない。
床に穴はない。ならば、この蔦とフィネアの花はどこから生えているのだろうか。台座のどこかに穴が空いているのかもしれないが、見つからない。
「スービエ」
呼ぶと、彼はワグナスの傍に立つ。
「この蔦と花を切ってくれ。どこから生えているのか気になる」
はいはいと軽く返事をして、スービエは槍の刃で無造作に、台座に絡みつく緑と赤を刻んでいった。
かさかさと軽い音を立てて、蔦と花びらが落ちていく。
警戒をしていたが、何事もなく作業は終わった。
ワグナスは台座に触れ、注意深く観察をした。やはりどこにも穴は空いていない。謎は深まるばかりだ。ボクオーンに報告をして、彼の考察を聞くことにしよう。
立ち上がったワグナスは、ふと気が付いた。あのねっとりと絡みつく視線が消えていることに。
視線を鋭くして辺りを見渡すが、何も変化はない。
「どうした?」
スービエに問われ、ワグナスは足元に散るフィネアの花を見下ろした。あの視線はこの花と関係があるのだろうか。
しかしそれを、何者かが聞き耳を立てているかもしれないここで語るべきではないと判断し、首を振った。
「いや、なんでもない」
そして、ワグナスとスービエは青い水晶の間を後にした。
橙色の灯りに照らされた通路を歩く度、二人の足音が反響した。廊下を歩いている最中も、あの視線を感じることはなかった。
「……ちょっと気になることがあるんだが」
おもむろにスービエが口を開いた。視線で続きを促すと、スービエは立ち止まって目を伏せる。
「水の音がする」
ややあって呟かれた言葉に、ワグナスは考えた。
「川なら村の近くにあるが、ここから少し距離があるな。……地下水脈などの可能性は?」
スービエは「人工的な感じがするんだよな」と呟いて、歩き出した。ワグナスの問いの返事というよりは、自分の思考に没頭しているようだ。
水の気配に集中しているスービエを守るよう、周囲を警戒しながらワグナスもその後に続いた。
本殿を出て外壁を伝って歩き、たどり着いたのは崩れた壁が散乱した場所だった。かつて青い水晶の間であったと思われるもうひとつの空間だと、ボクオーンと推測していた場所だ。
スービエはうろうろと付近を歩き回った後、地面に手を当てて何かを探っていた。
「ちょっと離れてろ」
スービエは愛用の槍をくるりとひと回しすると、地面に向かって突きを放った。衝撃が空気を振動させ、ワグナスの髪を揺らした。
重い一撃を穿たれた地面に、深い穴が刻まれる。
閉ざされた場所から甘い香りが解放された。それはフィネアの香りだが、肌にまとわりつくような重い気配が混ざっている。まるで怨念のような――。
スービエは穴に頭を突っ込んで中を確認し、口端を上げて得意げに振り返る。
「牢獄だ」
ワグナスは空洞を覗き込んだ。
中は青い光で照らされていた。青水晶の間と同じ小さな水晶が光を放っている。その水晶が嵌め込まれた壁に押しつぶされるようにして、ひしゃげた鉄格子があった。
「上から落ちてきたものに押しつぶされたか……」
光に照らされて浮かび上がるのは床いっぱいに敷き詰められたフィネアの赤色だ。その花畑の隣には、細い水路があった。
「この場所にあった青い水晶の間の一部が崩れたか。または、天上から降ってきた可能性もある。しかし、こんな場所に誰を閉じ込めていたのだろうか」
思考が口から出てくる。
伝承に出てくる人物は、風の神と巫女。呪いなんて物騒な話が残っていることを考えると、どちらかが閉じ込められていた可能性がある。例えば、人間のために力を使うことを強要されて――
心の奥底から、どす黒い感情が這い出てくるのを感じる。
人は、自らの欲のために平気で他人を裏切る。そんな恨みに似た思いが記憶とともに蘇る。
「花と水路は、守られてたようにも見えるな」
スービエに声をかけられて、ワグナスは我に返った。
いつの間にか地下に降りていたスービエが、壁に手を当てて調査をしている。
「壁に恨み言でも書いてありゃ、分かりやすんだがな」
地下では、久しぶりに浴びた外の空気に歓喜するように、フィネアは風にゆらゆらと揺れていた。
その後も調査を続けたが、新しい発見はなかった。
フィネアの花の残香に包まれたまま、二人はその場を後にした。
ワグナスとスービエが遺跡を出ると、太陽は南の空を通過して、西に向かって傾き始めていた。
遺跡から少し離れたところで、ボクオーンが用意をしてくれた昼食を食べながら意見を交換する。
スービエの違和感はあの地下牢のみで、結局、根本的なところで何も進展はなかった。
「そういやさ。お前らいつまで、任務の名を借りたおままごとをするつもりだ?」
野菜とハムのサンドイッチを齧りながら、スービエが軽い口調で尋ねてきた。
自分たちが真剣に取り組んでいることを「おままごと」呼ばわりされたことが不快で、ワグナスは渋面を作った。
その表情の変化を見たスービエは、大袈裟にため息をつく。
「最初の予想通り、ここの転移装置は異世界に通じる扉ではないと思う。何かの役に立つかもしれないからって理由で調査を決めたけど、もう十日近く経っているのに進展はなしだ。そろそろ見限っても良い頃合いじゃね?」
正論に、反論することに躊躇いが生じる。
「お前はともかく、ボクオーンがその判断を誤るなんてらしくねぇ。……よほどお前との生活が楽しいと見える」
どきりと鼓動が跳ねる。
彼が自分との生活を心地よく思ってくれているのであれば、とても嬉しい。
少しだけ浮ついたワグナスの気持ちを探るように、スービエはじっとワグナスを見つめていた。心の底までも見透かすような青色の瞳がワグナスの顔を映す。
「お前が恋焦がれているボクオーンは偽りの姿だよ」
「ボクオーンはボクオーンだろう」
何を馬鹿なことをとばかりに反論をするが、スービエは億劫そうに息を吐いて、首を振った。
「お前が好意を抱いてるのは、女装をして、情報収集のために演技をしているボクオーンだ。お前の理想の女性を演じることもできる。……あいつは目的のためなら自分も他人も騙せる人間だ」
「仲間だぞ。そのように、侮辱をするような言い方はすべきでない」
「褒めてるんだよ。それに、俺だって似たようなところはある」
スービエの低く重い声が鼓膜に響く。
「惚れるのは勝手だが、別れる覚悟は持っておけ。じゃないと、傷つくのはお前だぞ、ワグナス」
頷くことも拒絶することもできず、ワグナスは視線をそらした。
ワグナスは確かにボクオーンに好意を抱いているが、この任務のためにそう思い込んでいるだけだ。ただ、彼や村人達との触れ合いがとても穏やかで、昔を――追放される前の、英雄ではないただの人であった記憶が思い出されるのだ。胸が温かくなり、感情に振り回されて、自分でも戸惑うばかりだ。
ただ、そんな穏やかな時間に身を浸すことは、仲間を復讐の道に巻き込んだ、自分が享受してはいけないという罪悪感もあった。
――それは、分かっている。
俯いてしまったワグナスを、スービエは無言で見つめていた。
ややあって、大袈裟にため息をついたスービエは、頭を乱暴にかきむしった。
「ともかく。愛情が深くなる前に終わらせろ。手を繋ぐの次の段階は抱きしめる、だ」
「だっ! 抱擁はまだ早いのではないか?」
鼻先に人差し指を突きつけられて、ワグナスはたじろいだ。
「じっくり時間をかけると傷が深くなるだけだ。抱擁まで行けば、体を重ねてなくても十分に恋人だよ。花でも摘んで帰って、「君に触れたい」とでも言って抱きしめろ。明日か明後日、遺跡の仕掛けに挑戦。それで失敗したら終わりだ」
スービエがワグナスのことを思って忠告していることは重々承知している。
だがこの助言だけは、素直に聞くことを心が拒絶していた。