短編

キスのお題。お題内容↓
酔うとキス魔になるワグ。ボクが友人とその話をすると、実はボクだけにしかしていないことが判明して、ボクはかなり困惑している。

キス魔ワグナス


 当て木で無理矢理修復された壁の隙間から、風が吹き込む。場末の酒場は、強面の男達の笑い声で賑わっていた。
 お世辞にも上品とは言えないこんな酒場だが、料理と酒は絶品だ。
 ボクオーンはスービエ、ダンターグとともに、ダンターグの馴染みの店に訪れていた。
 美味しい料理に酒が進む。
 ほどよく酔いが回ってきたところで、ワグナスの話題になった。彼をこんな汚い場所には連れてこられない、とネタにされたのがきっかけだった。
「しかも、あいつは酔うと絡みだすからなぁ」
 と、スービエが苦笑する。
「確かに、なかなか離してくれないから厄介ですね」
 ボクオーンが同意をすると、ダンターグも頷く。
「俺はこの前、町中で腹を出して歩くのは破廉恥だと説教を受けたぞ」
 ダンターグの鍛え抜かれた腹筋を、彼はそんな目で見ていたというのか。堪えきれず、ボクオーンは吹き出した。
 隣の席ではスービエが、目に涙を浮かべるほどに爆笑をしている。
「俺もさ、昔の行いをくどくどと説教されるわけよ。しかも毎回違う内容で、俺自身でさえ覚えていないようなことを。よく記憶しているもんだと感心するよ」
 強い酒を水のように勢いよく飲みながら、スービエとダンターグは笑い合う。
 それを聞いていたボクオーンは、ふと、違和感を覚えた。
 ボクオーンも酔ったワグナスに絡まれることはある。しかし、絡まれ方が全く異なっていた。なぜ自分だけが違う?
 首を捻っていると、肉をかじりながらダンターグが尋ねてきた。
「ボクオーンはどんな説教を受けんだ?」
 スービエの碧い瞳が、好奇心を湛えてこちらを向く。
 ボクオーンは困ったように眉を寄せた。
「いえ、私は説教を受けることはありません。ただ、なんと言いますか……」
 言葉に迷って口をつぐむ。
 スービエとダンターグは顔を見合わせ、ダンターグが席を立った。
「人に言えないことをされているとか?」
「そういうわけではないのですが。ワグナス殿の品位を落とすのではないかと、ためらわれて……」
「俺たち相手なら問題ないだろ」
 コトン、と軽い音を立ててダンターグがグラスを机上に置く。果実酒の琥珀色の液体の表面に、困惑したボクオーンの顔が映し出された。
 ボクオーンは意を決して、酒を一気に飲み干した。喉が熱くなり、視界がブレる。
 酔いのせいで、考えようとしても思考が泡のように消えていく。そんな中で、あの日の出来事が脳裏をよぎる。
 そうだ、これは全て酔いのせいだと言い訳をして、ボクオーンは口を開いた。

 ワグナスとの飲み会は、主に彼の執務室で行われる。
 深夜まで書類仕事に追われた後の、お疲れ様会を兼ねることが多い。使用人が用意してくれた軽食をつまみながら、ワグナス秘蔵のワインを味わう場となっていた。
 最初はソファに対面に座り、仕事に関する話題や、ワインについての評価などを行う。
 ボクオーンもワグナスも酒への耐性は人並みだ。すぐに酔ったりはしないが、ワインを一本も開ければそれなりにほろ酔い気分になる。
「ボクオーンは小さくて可愛いな」
 酔ったワグナスは、膝の上にボクオーンを乗せて、後ろから抱きしめるのがお気に入りのようだ。
 小さいと言われることに少し抵抗はあるが、酔いのせいだからと許容してしまう。ボクオーンは背中に感じる熱が心地よくて、ついつい身を預けた。
 ワグナスはボクオーンの後頭部に唇を落とす。
 その状態でさらに酒を飲めば、酔いは深まる。お互いに頬を染め、普段は理性的な瞳はとろんとしてどこか焦点が定まらない調子になっていた。
「かわいいな」
 少し呂律が回っていない口調で、ちゅ、ちゅ、と音を立てながら、ワグナスはボクオーンの瞼や頬に唇を寄せた。
「ふふ。くすぐったいです」
 こそばゆい感覚に身をよじるが、ワグナスは離れてくれない。
 頭も体もふわふわとして、幸せに包まれているような気持ちだ。
 隙あらばワグナスはボクオーンにキスをしてくる。額に、指先に、うなじに。
「ワグナス殿はキス魔ですね……」
 くすくすと笑いながら告げると、ワグナスもまた柔らかく微笑む。
「ボクオーンは酔うと甘えたになるな」
 ワグナスの温もりに心が満たされ、意識がまどろんでいった。
 そしてそのままワグナスの腕の中で寝て、飲み会は終わる――

「というわけで、あれはよくある光景だと思っていましたが……。話を聞く限りではワグナス殿は説教魔のようで、困惑しています」
 ボクオーンは回想の締めに、そう告げた。
「困惑してんのはこっちだっ!」
 だんっと、机上に木製の中ジョッキを叩きつけて、スービエが異議を唱えた。
 ダンターグは無言だったが、渋い顔をしている。
「なんなんだ、お前ら、できてるのか!?」
「普通の仲間のつもりですが。キスだって唇にはしていませんし」
「距離感がおかしいだろうがっ!」
 スービエは大きくため息をついて、ダンターグを指差す。曰く、ダンターグに抱っこをされても同じように思えるのか、と。
 ボクオーン自身はワグナスに特別な感情を抱いていないと思っていたので、頷いた。
「じゃあ、やってみろ」
「おい」
「分かりました」
「待て」
 ダンターグは異議を唱えようとしたが、ボクオーンはスービエの指示通りにダンターグの膝の上に座った。
 ダンターグは嫌そうに顔をしかめたが、突き飛ばすような真似はしなかった。
 ボクオーンはダンターグの逞しい胸に寄りかかる。体格差が大きいため、後頭部にちょうど胸筋が当たった。鍛え抜かれた胸筋は程よい弾力を持っていて、ボクオーンの後頭部を押し返す。
「胸筋が気持ちいいです」
 ダンターグは頭を抱えていたが、スービエは苦笑を浮かべながらボクオーンに近づいてきた。
「じゃあ、これは」
 スービエはボクオーンの髪を持ち上げて、露わになった額に唇を寄せた。
 違和感を感じる。
 嫌悪感というほど強い感情ではないが、ワグナスに口付けをされている時のような幸福感はなかった。ワグナスの時はもっと心が温かくなって、鼓動が高鳴って――
 眉間に皺を寄せて首を傾げるボクオーンに、スービエは呆れ混じりの視線を向けていた。
「お前、意外と鈍いんだな……」
「他人事に対しては、細けぇことまでよく気が付くクセによ」
 スービエとダンターグが苦笑を漏らす。
 はぁ、と大袈裟にため息をついたスービエはカウンターで酒の追加を貰って来た。
「ほら、もう一杯飲んどけ。酔い潰れたらワグナスのとこに送ってやるから」
 グラスを手渡されて、ボクオーンはそれに口をつけた。

 そのあたりから、ボクオーンの記憶が途切れている――

 ゆらゆらと体が揺れているのを感じた。目覚めた時、ボクオーンはスービエに背負われていた。
 視線を左右させると、ワグナスの屋敷の廊下の景色が目に入った。
「もう少しで、愛しのワグナス殿のところに着くからなー」
 ボクオーンが目覚めたことに気付いたスービエが、声をかけてくる。
 愛しくはない、とボクオーンは心の中で返した。そうは思うのだが、先ほどスービエが額にキスをしてきた時と、ワグナスの時との違いが気にはなる。それを考察しようとするが、頭の中が綿のようにふわふわしていて考えがまとまらない。
 ワグナスの部屋の前へ辿り着く。
 スービエが足で扉を蹴ると、しばらくしてワグナスが顔を出した。彼はすでに白いゆったりとした寝間着を身に纏っている。
「スービエ……と、ボクオーン? 酔っているのか……?」
 やや戸惑った様子で、ワグナスが二人を見つめていた。
「酔い潰れちまったから、介抱よろしくー」
 スービエは軽い口調で告げ、問答無用でワグナスの部屋のソファにボクオーンを下ろす。ひらひらと手を振って、彼は去っていった。
 ボクオーンは馴染みのソファの背もたれに寄りかかり、ぼんやりと部屋を眺める。
 ワグナスにコップを差し出された。礼とともに受け取り、ゆっくりと水を飲む。
「ベッドを貸すから、飲み終わったら寝てくれ。寝間着も必要か?」
 立ったままのワグナスを見上げる。
 いつもの飲み会と同じ場所なのに、彼の体温を感じていないことが、胸の奥を冷たくする。寂しくて仕方がなくなって、彼の袖を掴んで、グレーの美しい瞳をじっと見つめた。
「いつものように、してくれないのですか?」
 ワグナスは困ったように眉根を下げた。
 そうだな。今日はワグナスは酔っていないからな――。
 伏し目がちになって肩を落とす。
 袖から手を離すと、手首をワグナスに掴まれた。その指先はかすかに震え、ひんやりと冷たく感じる。横に座ったワグナスは、ボクオーンの手を自分の方へと引き寄せ、優しく持ち上げて自らの膝へと招いた。
 背後から抱きしめられる温もりが、熱と一緒に幸福感を全身に行き渡らせる。
 やはり、彼は特別なのだなと、安心して身を委ねた。
「このまま寝るといい。ベッドには運ぶから」
「……先ほど、酒場で」
 ボクオーンと異なり、ワグナスは素面の状態だ。それでボクオーンの望みを正確に把握しているのは、彼も酔っている時の記憶があるのだろう。
 だから少しだけ、揺さぶりをかけてみたいという、いたずら心が湧いてきた。
「スービエに口付けをされた時に……」
 そこまで言った時に、それ以上の言葉を遮るように塞がれた。ワグナスの唇に、唇を。
 ボクオーンはぱちりと瞬きをした。
 思考が固まり、今何が起こっているのか、瞬時に判断ができなかった。
 ワグナスの顔は苦々しく歪んでいた。眉間に皺を刻み、目を細めて。今にも泣き出してしまいそうだと、可哀想に思ってボクオーンは頭を撫でた。
「口付けをされたのは額にです」
 ワグナスの目が見開かれ、唇がわずかに震えた。彼はため息をつきながら、てのひらで隠すように顔を覆う。
 隠しきれていない目尻や耳が赤く染まっていることに気付いた。胸の奥がぎゅっと締め付けられるような、甘い痛みが走る。
 これまでの二人での飲み会では、彼は唇には口付けをしてこなかった。おそらく、彼の中で何かしらの線引きがされていたのだろう。それを、酔ってもいない今この時、彼はあっさりと彼自身に課していた制約を乗り越えてきた。
「嫉妬ですか」
 その理由に思い当たり、思考がそのまま口から漏れる。
「すまない。同意もなしに、申し訳ないと思っている」
 しょんぼりとしているワグナスが可愛らしくて仕方がない。鼓動が高鳴り、自然と顔が緩んでしまう。
「では、償いに私の言うことを聞いていただきましょう」
「私にできることであれば……」
「もう一度、ちゃんと口付けをしてください」
 言えば、ワグナスが目を瞠る。
 その反応に満足をし、微笑むボクオーンの唇を、ワグナスの長い指が優しくなぞる。
「勘違いをするぞ」
「どうぞ、ご自由に」
 苦笑を浮かべるワグナス。
 ゆっくりと目を閉じたボクオーンの唇に、ワグナスのそれが優しく重ねられた。
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