短編

七英雄が追放された後、数百年、千年単位で時間は経っている設定。吸収の法の影響で精神に影響が出ている二人。
他にはノエル、スービエ、ロックブーケがいます。

それでも、あなたのそばに


 屋敷の庭には色とりどりの花が咲き乱れていた。
 赤、青、黄色、橙に紫。様々な色の花の周りには、白や黄色の蝶々がふわふわと舞っている。
 テラスに設置した丸いテーブルに座ってお茶を飲んでいたワグナスはその手を掲げた。ひらりと舞った蝶がそこにとまると、彼は口元を緩めて柔らかく笑う。
 白磁の肌には切れ長の目とすっと通った鼻梁、少し厚めで大き目な唇が実にバランスよく乗っていた。
「ワグナス様、今日も麗しいですわ〜」
 部屋の中からワグナスを見ていたロックブーケが頬を染め、うっとりとしたように呟く。
 その声を聞いて、書き物をしていたボクオーンは顔を上げた。
 黒い髪がそよ風に揺れている。グレーの瞳は優しげに細められて蝶を映していた。白い雲が浮かんでいる青い空、色とりどりの花、美貌の男と舞う蝶々。彼の周りを切り抜いてみると、とても美しい絵画のようだなと思った。
 ボクオーン達の視線に気付いたワグナスはこちらへと顔を向けて、にこりと微笑む。
「皆も外に来ないか?」
「はぁい、参りますわっ。お茶のお代わりはいかがでしょうか」
 ロックブーケがテラスへと出ていくが、動いたのは彼女一人だけだ。
 ロックブーケの隣に座っていたノエルは目を伏せたまま腕を組んで微動だにしなかったし、その向かい側に座っているスービエは忌々しげに顔を顰めて舌打ちをした。
「私はまだ書き物がありますので。終わったら伺います」
 ボクオーンの言葉を聞いているのかいないのか、ワグナスからの返事はなかった。
 ワグナスはこちらへの興味を失ったかのように庭へと視線を戻して、傍に寄ったロックブーケと何かを話し始めた。はははと、ワグナスが楽しそうに笑う声が響く。
 ボクオーンは視線を彼から手元の紙へと戻した。
「ヘラヘラしすぎだ」
 低い声で苛立つようにスービエが呟く。
 動かそうとしていたペンをペン立てに挿して、ボクオーンは肩をすくめてみせた。
「楽しそうでいいのでは?」
 異世界へ追放される前もその後も、いつも厳しい顔をしていたワグナスだ。たまにはこうしてはしゃいぐのもいいのではないかとボクオーンは思う。しかしそれはスービエには許容できないことらしく、忌々しげに舌打ちをする。
「元の人格とだいぶ違うだろう。最近はいつもこんな感じなのか?」
「今日は久しぶりに皆と会えるのが楽しみで、浮かれているのでしょう」
 この世界に来てからしばらくの間は七人で行動をしていた。しかし最近は分かれて調査を続け、数ヶ月に一度この屋敷に集まって情報交換をしている。もっとも、今回は二名ほど欠席しているので、全員集合とはならなかったのだが。
 ボクオーンとワグナスは恋仲ではあっても、会う頻度は他の七英雄に対してとそう変わらない。そもそも二人きりの逢瀬でのワグナスは皆の前でのリーダー然とした態度とは異なっているのは元からだ。その時の様子と比較してもあまり参考にはならないだろう。
 スービエが望んでいる答えはそれではないことは分かっているので、言葉を選んで続けた。
「皆の報告を聞いているときは普段通りでした。それが今はこんな感じなので、……少し不安定かもしれませんね」
 そもそも、表に出ている人格が不安定なのはワグナスに限ったことではない。
 最近めっきりと感情を表すことが少なくなった男、昔に比べて高圧的で怒りっぽくなった男、自由気ままに振る舞い無邪気に笑う男に、感情の制御ができない女。
 ボクオーン自身も人格に変化はあるのだろうが、自分では分からない。自分がどんな人物だったのかを思い出そうとするとかなりの歳月を遡ることになるため、吸収の法の影響なのか、長い放浪生活が人格を変えたのかを切り分けるのはなかなかに困難だ。
「ワグナスは、……復讐を覚えているのか?」
 低い声でスービエが問う。
 答えようとしたが、足音が近づいてきたので口を噤んだ。
 ボクオーンの頬に手が添えられて横を向かされる。視界に映ったのはワグナスの端正な顔立ちで。ぱちりと瞬きをする間に噛み付くような口付けをされる。
 仲間の目の前だというのに何の躊躇いもなく舌を絡めとられた。
 ボクオーンの視界の端の方に、殺意を込めてこちらを睨みつける金色の瞳と風に揺れる水色の髪が映る。それに気付かないふりをして、まぶたを閉じた。
 しばらくするとワグナスも満足をしたのか、解放される。
「まだか?」
「せっかくみんなが揃っているので、もう少し話をさせてください」
「ワグナス様ぁ、お茶の準備ができましたわよぉ」
 ワグナスはボクオーンと手を振るロックブーケを見比べ、「わかった」と告げてテラスへと戻っていった。
 ボクオーンが唾液で濡れた口元をハンカチで拭っていると、にやにやと揶揄うような笑みを浮かべたスービエが視界に入ってくる。
「相変わらず、お熱いことで」
「愛という感情は、真っ先に消えるのではないかと思っていたが、健在でよかった。……だが、場所は選んだ方がいい」
 スービエは揶揄うように、ノエルは声にこそ抑揚はないが言葉の内容には温かさを込めて、それぞれがワグナスとボクオーンの関係が良好なのを喜んでいる。それは過ぎし日の残像のように思えた。昔々。もう思い出せないほどの遠い日に、こうして自分達の仲を揶揄って、そして祝福してくれたことがあった。
 ボクオーンは冷めた瞳を手元の紙の束へと落とした。
 どうだか――と、胸中でひとりごちる。言葉に出さなかったのは、昔のように、人間らしい感情を表している仲間たちの気持ちに水を差したくなかったからだ。
「ボクオーン?」
 ノエルに声をかけられて、ボクオーンは顔を上げた。スービエからも案じる視線を向けられて、口元に薄く笑みを浮かべる。
「ああ、すみません。少し考え事を…….。ワグナスの、復讐心の話でしたか。覚えているんじゃないですか?」
 自分に対する痛みなら忘れることができても、彼にとっての大切な仲間が裏切られ虐げられたのだ。ワグナスが忘れるはずがない。そんなことはボクオーンよりむしろ、ワグナスという男の本質を知っているであろう目の前の男たちの方が理解しているだろうに。あのワグナスの様子を見て不安に駆られたのだろうか。
 テラスの椅子に座るワグナスは、ロックブーケとお茶を飲みながら穏やかに微笑みあっている。その幸せそうな光景にボクオーンは口元を綻ばせた。
「でも、忘れてしまってもいいんじゃないですか。今のワグナスはとても幸せそうじゃないですか」
 背後からひりっとした殺気を感じた。
 スービエは随分と怒りっぽくなったなと思う。そういえば、ワグナスに絡むことへの沸点は元から低い方だったかもしれない。だとすると、本質的には変わっていないのだと気付き、愉快で、同時に嬉しくもなってきて、ふふっと笑い声が漏れてしまう。ああそうだ。皆が変わってしまっても、少なくとも彼だけはワグナスの味方であり続けてくれるだろう。
「お前は忘れたのか。あの時のワグナスの慟哭をっ。俺たちを追放した大神官や、助けられたくせに掌を返した奴らへの怒りと憎しみをっ」
 スービエが勢いよく立ち上がったために椅子が倒れて音を立てる。
 ボクオーンはスービエによって胸ぐらを掴まれた。無理矢理に立たされて、つま先立ちでスービエと至近距離で見つめ合う。
 スービエの海の色の瞳は怒りに染まっていた。その瞳に映るボクオーンは微笑み顔で、仲間に殺気を向けるほどの激情を迸らせているスービエとの対比が異様なほどだ。
「忘れていません。見つけ出したら生きていることを後悔するほどに苦しめてやりたいとは思いますが、もう遥か昔の出来事です。ダンターグほど自由なのも考えものですが、楽しみがあったっていいでしょう」
 ボクオーンの襟元を掴む手がぎりりと強く握りしめられる。
 さすがに息が苦しくなってきた。
 対面の席に座るノエルは目を伏せて腕を組んでおり、止める気はなさそうだ。彼はスービエ側なのだろうか。
 ボクオーンがスービエの手を振り払おうと彼の腕に手をかけた時に、横から白い手が伸びてきた。ワグナスだった。彼はスービエの腕を掴み、感情が読めない平坦な顔を彼自身の従兄弟へと向けている。
 スービエの手から力が抜けたことで解放されたボクオーンは、ワグナスに引き寄せられて彼の腕の中に収まった。
 今日のワグナスは少し様子がおかしい。ないとは思うがここでファイアストームなどを放たれるのも後処理が大変かと思い、ボクオーンは取り繕うようにワグナスへと告げる。
「あなたが皆の前で口付けなどするから、場所を弁えろと怒られていただけですよ。ねぇ、スービエ」
「……ああ。少しエキサイトしちまったよ、すまんな」
 ワグナスはそんな二人を交互に見やり、そうかと微笑みながら頷いた。
「ああ、もしや羨ましかったのか? ならばスービエ、お前も寝室へ行って一緒に楽しむか?」
「……は?」
 戸惑うようなスービエの声が部屋に響く。それきり、場が凍りついたかのように静まり返った。静かすぎて耳鳴りがしそうなほどに。
 スービエは信じらない物を見るように目を見開いてワグナスを凝視していた。やがて、くしゃりと顔を歪ませる。それは困惑と悲しみと怒りとが混ぜこぜになったような顔で、一度かぶりを振るとそれを隠すように俯いてしまう。
 ノエルは目を伏せたまま微動だにしない。テラスへの入り口に立つロックブーケは驚愕するようにその大きな瞳を見開いていた。
「ボクオーン、お前はそれでいいのか」
 スービエが絞り出すような掠れた声で問いかけてくる。
 ボクオーンはなぜそんな事を聞かれたのか分からないとばかりに、にこりと微笑んでみせる。
「ワグナスが望むのでしたら」
「……どうかしてる」
 短く告げて、スービエは愛用の槍と荷物を手に取ると挨拶もしないで部屋から出ていった。
 それを見送ったワグナスはボクオーンの肩に顔を埋めてきつく抱きしめてくる。「残念だ」と呟くのが聞こえて、ボクオーンは苦笑しながらワグナスの頭を撫でてやった。
「少し刺激が強かったのかもしれませんね。……あなたはお疲れのようですし、部屋に戻りましょうか」
 視線を感じて、横目でノエルを見る。いつの間にか目を開いていた彼は、観察するような視線をワグナスへ向けていた。
「ボクオーン」
 ボクオーンのことを向いたノエルの顔には珍しく案じるような表情が乗っていた。
「自棄にはならないでくれ」
「……ありがとうございます」
 礼を言い、ボクオーンはワグナスの手を引いて部屋を出た。
 スービエやロックブーケが動揺していたワグナスのあの言葉――かつてのワグナスは、スービエがボクオーンの首に腕を回す程度の接触であっても、顰めっ面をするような独占欲を示していたから――を聞いても、ボクオーンは何も感じなかった。感情が凪いでいて、怒りや嘆きのような負の感情は、消えてはいないが縁遠いものになっていた。
 適切な作戦を立てるには客観的な分析を行い、論理立てた思考で未来を読んで判断をして、そして的確な決断をする。そこには慈悲はもちろん全ての感情など不要だ。だから、これはもしかすると自分が望んだ姿なのかもしれない。
 ただし、喜怒哀楽の喜と楽は健在なので、最近その部分が顕著に現れているワグナスとその感覚を共有して、彼を微笑ましく見守ることはできている。
 部屋に入るとワグナスに抱きしめられた。
 だが、感情は乱れない。
 口付けを交わしても同じだ。昔はどんな感情が湧いていたのかを思い出すこともできない。
「愛していますよ」
 愛の言葉を囁いたところで何も変わらない。愛という感情は負の感情ではないはずなのに、不思議なことだ。
 ワグナスはあいも変わらず穏やかに微笑んでいる。彼の中に昔と同じようにボクオーンへの愛が残っているのかは正直微妙なことだ。彼がボクオーンに執着をしているのは、お気に入りの玩具を愛でている程度の感覚に思える。
「愛しています」
 ワグナスが、うん、と頷く。
 言葉で繋ぎ止めたいのはワグナスの心か、ボクオーン自身の心か。
 もうすでに壊れてしまったものに心を砕いても仕方のないことだけど。
「愛しています」
 触れている場所から感じる熱だけは昔と変わらなくて、それだけは自分の心の深いところに残っている、何かの慰めになるのだった。
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