ワグナス殿が塩対応な件

ケース1、2とは別時空の二人のお話。(続きものじゃないよ)
ワグ←ボクな感じ。

ワグナス殿が塩対応な件について〜ケース3〜


 大きな音を立てて扉を閉めると、中にいたノエルとスービエが驚いたようにこちらを向いた。
 ワグナスは肩で息をしながら鋭い視線で部屋の中を見渡し、大股で部屋の中に歩を進める。
「緊急事態か?」
 険しい顔のノエルが尋ねてくる。
「……彼が来る」
 ワグナスは鋭く告げ、窓側のスービエが立っている机の下側を覗き込んだ。三方に衝立がついているため、扉の位置から中の様子は分からないだろう。
 その場に膝をついて机の下に潜り込む。
「ワグナス……?」
 困惑したノエルの声が聞こえたが、無視をした。今はそれどころではない。
 ゴッ、と鈍い音を立てて頭が天板にぶつかる。
「ぐっ……」
 思わず呻き声を上げてしまうが、唇をかみしめて痛みを堪える。
 思った以上に狭い空間だったため、体を折りたたみ這いつくばりながら身を隠した。
「何やってんだ?」
 ワグナスは唯一光がさす方を見ようとして、再び頭を天板にぶつけた。
 逆光のため、机の下を覗き込むスービエの表情はワグナスからは見えない。だが、呆れていることは声の響きからも察せられた。人差し指を口元に当てることで何も言うなと訴えた。
 身を起こしたスービエとノエルが視線を交わして肩をすくめる。
 その直後、コンコンと扉を叩く軽い音が響いた。
 ワグナスは身を固くして、息を呑んだ。
「どうぞ」
 ノエルが応えると、扉が軋みを上げながら開いた。
「失礼します」
 穏やかな声と共に入ってきたのはボクオーンであった。口元に怪しげな笑みを浮かべたまま、舞台に立つ役者のように芝居がかった仕草で頭を下げる。
 スービエが扉の方へ歩いていった。
「ワグナス殿はこちらにいらしていませんか?」
 問われ、スービエとノエルは視線を交わした。
「この通り、部屋には俺たち二人だけだ。……言付けがあれば、会ったときに伝えておくが?」
 ボクオーンは顎に手を当て、淡々と告げる。
「ワグナス殿は困った時にはあなた達を頼ると思ったのですが……先に着いてしまったのですかね?」
「ワグナスを困らせるようなことをすんなよ」
 威圧するように腕を組んだスービエが睨みを効かせるが、ボクオーンはコテンと首を傾けた。
「困っているのですか?」
 今初めて知りましたというような声だが、ワグナスはそんなはずはないだろうと飛び出して問い詰めたい気持ちでいっぱいになった。
 
 それと言うのも、ボクオーンが軍に参加してからずっと、ワグナスは彼から言い寄られていた。好きだとか愛しているとか恋人になってくださいだとか――そんな妄言とも取れるような言葉を囁いて来る。あの金色の瞳に見据えられると、月の幻想的な輝きに惑わされるように、心を拐かされそうになる。闇夜を切り裂く三日月のような瞳で妖艶に微笑む様に、視線が釘付けになる。――息をするのも困難なほどに。
 彼は、とても危険だ。
 しかしターム討伐においては、なくてはならない存在でもある。
 その結果が、彼から避けるという何とも情けない行動をとることに繋がっていた。
 
「ちゃんと拒絶されれば諦めると約束をしますよ。……まあ、いないのでしたら仕方がないので、今は引きましょう」
 スービエとの問答の末、ボクオーンは含みのある言葉を残して部屋から出ていった。扉が止まる音が響き、足音が徐々に小さくなっていく。やがて沈黙が落ち、ワグナスは肺の中に溜まっていた息を大きく吐き出した。
 机の天板が上から叩かれる。危機が去った事を察したワグナスは机から出ようとして、三度目に頭をぶつけることになった。この机は少し狭すぎではないだろうか。
 立ち上がると、机の前にいるノエルとスービエは渋い顔をしていた。
「お前はあれをどうするつもりだ」
「どうするも何も、私は被害を受けている側なのだが」
「そう思うならちゃんと拒絶をしろ。好きなんだったら受け入れろ。お前が曖昧な態度のままじゃあボクオーンも気の毒だ」
 一方的に迫られて困っている被害者はこちらだというのに、スービエの責めるような物言いにワグナスは眉間に皺を寄せた。
 助けを求めるようにノエルを見るが、彼も腕を組みながら首を振った。
「困っているようなのでその場ではフォローはするが、愛を伝えてくる相手から逃げることは誠実ではないと思う。その気がないのであればそれを伝えることも優しさだろう。それとも、それを伝えたくない理由でもあるのか?」
 二人の視線に促されて、ワグナスは腕を組んだ。
「あまりにもグイグイ来るから、こちらから何かを言う隙がないのだ」
「それは理由じゃないだろ」
 ――それはそうなのだが。返す言葉もなく沈黙をする。
 スービエはため息をついて、問いかけてきた。
「お前、もしかしてボクオーンに惚れてたりする?」
「そんなことはない」
 即座に首を振る。誤魔化すわけではなく、仲間以上の感情など持ち合わせていない。
 目の前の二人は視線を交わし、肩をすくめてみせた。
「だったら、次に会った時にそれをはっきりと伝えるんだな」
 ワグナスは助言に頷いてみせたが、果たして彼のあの勢いに勝てるのだろうか。
 ワグナスはひとまずこの場を辞すことにして、廊下へと出た。

 兵士たちの訓練の掛け声が外から聞こえて来る。
 少し汗でも流して気晴らしをしようか――ワグナスは後ろ手で扉を閉め、そっと息を吐いて進行方向に体を向けた。
 その瞬間、「ひっ」と思わず口から悲鳴が漏れる。
 目前にいたのだ。――ボクオーンが。
「なぜ」
 ここに――と続けようとした言葉が、己の手のひらで遮られる。目を凝らすと、紫色の糸がワグナスの体に絡み付いているのが見えた。――マリオネットだ。
 ボクオーンはにっこりと微笑み、口元に人差し指を当てる。
『ここで騒ぐと、中に聞こえますから』
 唇だけを動かして伝えて来る。
 彼は踵を返して、足音を立てずに悠然と廊下を進んでいく。そして彼に操られたままのワグナスも、静かに着いていくこととなった。
 ノエル達がいた部屋とは別の階にある客間に連れ込まれた。閉め切られたカーテンが陽の光を遮り、部屋を薄暗くしている。
 そのベッドの上に座らされたところで、絡みついていた糸が掻き消えた。
「何のつもりだ」
 鋭い視線を送るが、目の前に立つボクオーンはどこ吹く風で、癖のある笑みを浮かべていた。その瞳が三日月の形に細められる。ぞくりとワグナスの背筋が震え、肌が粟立つ。マリオネットの効果はなくなっているはずなのに、視線は彼を捉えたまま逸らすことができない。
「こうでもしないと、私と話をしてくれないじゃないですか」
 手がゆっくりと伸びて来る。滑らかな指先が愛おしむようにワグナスの頬を撫で、そっと唇に触れる。
 手を振り払えば良い。こんな屈辱的な行為はキッパリと拒絶をすれば良い。
 それなのに、ワグナスの唇に触れ、さらには膝の上に乗ってくるボクオーンにされるがままになってしまう。
 ゆっくりと唇が寄せられる。
 大きく瞬きをして、そっと伏せられる瞳を見つめた。目を閉じると日頃の鋭さが消えて、少しだけ幼く可愛らしく見えるのだと知った。
 ボクオーンの指はワグナスの唇に乗ったままなので、唇は重ならなかった。だが吐息が交わるほど至近距離に、顔を寄せられた。
 心は平坦なまま。
 魅了されてしまったのか、頭の中は靄がかかったようにぼんやりとして、ただボクオーンを見つめた。
「このままだとキスをしてしまいますが、よろしいのですか?」
 ぐいぐいと迫って来る割には、最後に逃げる道を用意してくれる。そんなところがあるから、ワグナスは完全に拒絶しきれないのだ。
「それは困るが、君は無理強いはしないだろう?」
 穏やかに返すと、ボクオーンはつまらなさそうに鼻を鳴らし、ようやく唇から指を離した。
 ゆっくりとワグナスの頭を抱えるように包み込む。
 ドキドキドキ。
 彼の鼓動が胸を大きく叩いている。早鐘を鳴り響かせるように、早く、勢いよく。
 その体温と鼓動のリズムが、なぜか心地よい。
「私はグイグイ行きすぎでしょうか? ワグナス殿は鈍いし、はっきりと言わないとかわされてしまうから、何度も伝えているのです」
 ノエル達の部屋を出た時、彼は扉のすぐそばに立っていた。中での会話は丸聞こえだったのだろう。
「君のようなタイプは周りにいなかったので、どう対応すれば良いのか分からなくて、少し困っているかな」
 貴族のご令嬢から好意を寄せられたことはあるが、彼女達の恋愛は基本的に駆け引きだ。遠回しなアプローチをかわすことは慣れているが、こんなに直線的に向かって来るような相手はいなかった。
 ワグナスの頭に縋り付くボクオーンの腕に力が籠る。
 震えるその体に、罪悪感を覚えた。
 我が軍の狡猾な策士殿は、あまり恋愛経験がないのだろうか。確かに恋愛などに時間を割くなら、本の一冊でも読みたがるタイプに見える。ならばこんなにも直線的で不器用な手段で愛を押し付けてきたのは、悪意があったわけではないのかもしれない。
 だとすると、それから逃げ回る行為はどれだけ彼を不安にさせ、傷つけてしまっていたのか。
「私があなたに言い寄るのは、迷惑でしょうか?」
 ふとすれば消え去りそうな弱々しい声がボクオーンの口からこぼれた。その不安げな様子に、ワグナスは思わず息を呑んだ。
 同時に、ノエルの声が頭をよぎっていく。
 ワグナスに考える間も答える間も与えない常とは異なり、今はワグナスの言葉に耳を傾けようとしている。ならば今こそ言えなかった言葉を伝えるべきだろう。
 しかし震えるボクオーンがとても健気に思えて、拒絶するのが躊躇われた。
 しばしの沈黙の後、ワグナスは苦笑を漏らした。いつの間にか絆されてしまったのかもしれない。
「……迷惑ではないよ。ただ、もう少しお手柔らかにしてほしい」
「はい……ありがとうございます」
 しおらしく告げて、ボクオーンはワグナスの膝の上から床の上に降りて、にっこりと笑う。
 にっこり? ワグナスはその晴れやかな表情を見つめて、瞬きをした。
「迷惑でないのでしたらそれは良かった。以後は多少頻度は抑えますが、今まで通り迫りますので、早く私のことを好きになってください」
 突然の様変わりに、ワグナスは固まった。
 ボクオーンはいつも通りの妖艶な顔をして微笑み、ワグナスの頬にくちづけをした。耳に吐息がかかり、体が反応をして震える。
「それでは、今後もよ・ろ・し・く、お願いしますね」
 その囁き声が、じんわりと脳に浸透していく。
 くるりと踵を返して鼻歌まじりに去っていくボクオーンを見つめたまま、ワグナスは呆然とその場に座り込んでいた。
3/5ページ
スキ