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ノーマル


雨が降るなんて、そんな予報はなかった。
それなのに、夜になる頃にはしとしとと静かな音が降り始めて街の色を濡らしていく。

俺は、片手に黒い傘をひとつだけ持って歩いていた。
駅前のロータリーへ続く道を、どこか急ぐような足取りで。

もちろん、もう一本傘を持っていこうと思えば持っていけた。
けれど、それをしなかったのはささやかな欲だった。

志摩と、相合傘がしたい。
それだけのために、あえて自分の分しか持たずに出てきたのだ。

すぐそこにいるはずの、志摩の姿を探す。
傘の群れの中、小さく佇む姿を見つけたとき自然と口元が緩んだ。

すこし濡れた前髪が額に貼りついて、軽く眉を寄せた顔。
不機嫌そうに空を睨んでいるのが志摩らしくてすきだと思った。

「志摩」

名前を呼ぶと、こちらを振り返った。
目が合った瞬間、わずかに表情が緩んだのを見逃さない。

「ほら、入って」

傘を差し出すと、志摩は怪訝そうに俺の手元を見た。
もちろん、自分の傘は持っていない。

「おまえ、自分の分は?」
「ないよ」
「ばかなのか?」
「まぁまぁ、なんもないよりは濡れないっしょ?はい」

そう言えば、渋々傘の下に滑り込んでくる。
大人2人で使うにはやはり小さくて、傘を少し志摩のほうに傾けた。

自然と、ふたりの距離が縮まる。
しとしとと降る雨の音に、微かに混じる湿った匂い。
志摩が気まずそうに身をずらそうとするから、その動きより先に肩を引き寄せた。

「こーら、濡れる」

低く笑いながらそう言えば、志摩の耳がかすかに赤くなる。
顔を逸らして小さく舌打ちするその仕草に、きゅるきゅるする。
拗ねた声も照れ隠しの悪態も、どれもがたまらなく愛しい。

志摩はきっと、気づかない。
自分が今どんな顔をしているのかも、俺がどれだけ志摩のことが好きなのかも。

すぐそばで小さく肩を寄せる志摩の体温が、じんわりと腕越しに伝わってくる。
濡れた道を、ひとつの傘の下で、自然と歩幅を合わせながら。
雨のせいにして、もっと近くにいたいと思う。

言葉にはしない。
ただ、雨の音に紛れて静かに恋を募らせるだけ。

志摩はそんな気配にも気づかず、ただ前を向いて歩いているけれどそれでいい。
今はただ、この雨と、この距離と、この瞬間を味わいたかった。
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