ノーマル
年末年始特有の、どこか浮ついた空気が分駐所にも流れ込んでいた。
忙しくなるはずなのに今年は悪人だって静かに年を越したいらしく、拍子抜けするほど穏やかだ。
待機中、暖房の効いた空間の机上には何枚かの宝くじ。
伊吹はそれを一枚ずつ確認するたびに、いちいち肩を落としたり、天を仰いだり、意味もなく頭を抱えたりしていた。
「うわー、またハズレ!え、待ってこれも!?」
大げさな声が部屋に響く。
そのたびに志摩は、ソファに深く沈み込んだままちらりと視線だけを向けては、すぐに戻した。
いちいち反応するのも馬鹿らしい。
「当たるわけないだろ」
「人生、何が起こるかわかんないっしょ?」
伊吹がそう言いながら最後の一枚を手に取ったとき、ほんの少し間が空いた。
動きが止まった瞬間、嫌でも意識がそちらに引っ張られる。
「…なに」
「当たった!」
「…いくら」
どうせ勘違いか、何かしらのオチがある。
そう頭ではわかっているのに、胸の奥がわずかにざわついた。
「千円!」
伊吹が満面の笑みで言い放ったのは拍子抜けするほど小さな数字で、思わずため息が漏れる。
一度背もたれから浮かせた背中を、再びクッションに沈めた。
「いや、損してるだろ」
「えー?そうかなぁ」
伊吹はまるで気にする様子もなく、当たりをひらひらと振りながら立ち上がる。
その動きには、落胆も後悔も微塵もない。
「めっちゃ楽しかったし、得じゃね?ほら、年末のドキドキ代込みってことでさ」
「前向きにもほどがあるだろ」
そんな声は届かないらしく、伊吹はもう次の未来を思い描いている顔をしていた。
手の中の千円が、世界を広げる切符みたいに見えているのだろう。
「なにしよっかなぁ。千円かぁ…」
「千円じゃ何もできないだろ」
「わかってないなぁ、志摩」
「なにがだよ」
「千円もあればさ、うどんを食えるし、メロンパンも買えるんだぜ」
自覚はないだろうが、伊吹はいつもこうだ。
誰もが見逃すような小さな当たりを、両手で抱えて喜ぶ。
損得勘定の外側で、楽しんだ時間そのものを戦利品みたいに誇らしげに掲げる。
志摩は思わず小さく笑った。
「…本当に眩しいなぁ、おまえ」
「ん〜?なんか言ったぁ?」
「いや、なんでもない」
そう言って視線を逸らす。
溢れそうな感情を誤魔化すみたいに。
「志摩ぁ、何にする?」
「何が?」
「だからぁ、千円!あ、帰りに新しくできたっていう焼き鳥屋寄ろうよ!一本百円だって看板に書いてあった!」
「…お前の千円だろ。好きにしろよ」
「俺の千円だから、志摩と一緒がいいの」
当たり前みたいにそう言って笑う。
何の見返りも条件もない、その言葉が、妙に胸に残った。
志摩は一瞬、返す言葉を探して、それから小さく息を吐く。
「…千円超えた分も奢れよ」
「やった!」
子どもみたいに喜ぶ伊吹に、志摩もついつられて頬が緩む。
たった千円。されど千円。
こんなにも簡単に、こんなにも確かに幸せになれるものなのだと。
志摩はその年の終わりにはじめて知った。
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