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ノーマル

志摩は不機嫌であった。
穏やかな朝、仕事も休みで体調も良い。
そんなクリスマス。
それなのにたったひとつ欠けていたので、志摩はすこぶる機嫌が悪かった。
らしくもなく、物を投げつけるくらいには。

「っくりしたぁ、どしたの志摩ちゃん。枕投げするの?」
「うるせぇ、ばーか」
「えぇ、口悪っ!クソガキ魔神じゃん」

帰ってきてすぐ物を投げつけられたというのに、伊吹はなんだか楽しそうで余計にムカつく。
喧嘩をしたいわけなどないが、伊吹だけが余裕そうなのはどうにも気に入らなかった。

「しーまちゃん、起きて早々何があったの」
「起きて早々、おれの隣はもぬけの殻だったぞ」
「…うん?もぬけって誰?つか志摩の隣に俺以外がいんの何?いまどこにいんの?呼んでこいよ」

馬鹿なことを騒ぎたてる伊吹にちょっと満足してしまう。
なんて子どもじみた感情なんだろうと自分に呆れるが、仕方がないと受け入れるしかない。
こいつと付き合ってから、おれはどうやらおかしいのだから。

「…何きゅるっと笑ってんだよ」
「もぬけの殻だったっつってんの、いるはずの伊吹がいなかったってこと」
「志摩ちゃん寝てたし、天気良かったから走ってきた!」
「みたいだな」

寒さで赤く染まったその頬を、両の手で挟んでやる。
おれはずっと布団に潜っていたからぬくぬくだぞ。

「んふふ、志摩ちゃんの手ぇ、あったかいねぇ」
「おまえもここで寝てればこんなに冷たくならないですんだのに」

落ち着いてきた怒りがぶり返して、柔らかい頬を軽く引っ張ってみる。
縦に横に、されっぱなしの伊吹が面白い。

「…ねぇ志摩ちゃん、もしかして寂しかった?」
「馬鹿にしてんのか、寂しかったに決まってんだろ。せっかくの休みなのにおまえとの時間が減った」

おれの返しは予想外だったらしく、黒目が丸く大きくなったのが見えた。
口を開けたまま固まって、それからゆっくりと噛みしめるように笑う。

「…きゅるがきゅるすぎてきゅるきゅるしてる」
「日本語喋れよ」
「ごめんね。すぐ戻るつもりだったし、最近連勤だったじゃん?注文してたの取りに行けてなくてさ、ジャーン」

効果音と共に見せられたのは高そうな箱。
伊吹の美しい手で開けられた中には、時計が収められていた。

「こっちが志摩ので、こっちは俺の〜」
「これなに」
「え、時計。志摩ちゃん普段時計してるよね?」

忘れちゃったのみたいな哀れみの目を向けるのはやめてほしい。
時計くらい知っている。
今何故おまえはふたつも高そうな時計を持っているんだって話だよ、馬鹿。

「おそろっちしよ〜志摩ちゃん指輪は抵抗あるっしょ?ピアスもいいなと思ったけどあいてないし。ハンカチじゃ地味だな〜って思ってたら、いいのあった!」

のみこめないまま、伊吹が勝手に開封したての時計をおれの腕に巻きつける。
ガラスの靴を履かせてもらうシンデレラはこんな気持ちなのだろうか。
そんな、あまりにも自分には似合わないメルヘンな感情が頭をよぎった。

「ぴったし〜どう?気に入んない?」
「いや、あ、悪くない」
「そ!よかった」
「これ、つけてくのか…?」
「あ〜やっぱり抵抗ある?じゃあお休みの日だけでいいからつけてくれる?おそろいでデートしたい」

にこにこしているが、一瞬悲しみを浮かべたのをおれは見逃さない。
そうじゃないんだよ、そうじゃない。

「志摩ちゃん起きたし、ごはんの準備してくんね、何食べる〜?」
「つけたい」
「ん?」
「時計、つけたい…伊吹と、おそろい…」

自分はこんなに日本語が下手だっただろうか。
自分はこんなに声が小さかっただろうか。

「…志摩、つけたいの?」
「ん」
「志摩がつけたいと思ってくれた?」
「ん」

質問に肯定すると伊吹はこの上なく幸せそうな表情をしてくれた。
何もあげられていないのに、ありがとうと言う。
もらったのはおれなのに、さももらった側のように。

「時計ね、宝石が埋め込んであんの」
「宝石」
「志摩のが俺の藍色で、俺のが志摩の朱色」
「…綺麗だな」
「いっしょに生きてこーねぇ、志摩」
「…まだおれのこと死にたがりとか言ってんのか」
「そーじゃなくて、隣でってコト。時計を渡すのは一緒に時を過ごしましょうって意味なんだって」

そんなプロポーズみたいなことを言わないでほしい。
そう思った瞬間にはもう遅くて、冷静を装っていたはずの内側が、じわじわと音を立てて崩れていくのがわかった。

「…うるさい」
「えぇ、喋ってないよ」

顔に熱が集まっていくのを自覚した、その視界の先で、目の前の相手が楽しそうに口元を緩めている。
そのにやけた表情が、自分がどれだけ動揺しているかを、否応なく突きつけてきた。

「…顔がうるさいんだよ」

おれはまた、枕を投げつけた。
伊吹はやっぱり、笑っていた。
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