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ノーマル


夜の川沿いは嘘みたいに静かで、地を蹴る足音だけが一定のリズムで続いていた。
ふと顔を上げると、まんまるの月が浮かんでいる。
冬空のそれは、やけに輪郭がくっきりと明るく見えて目を惹かれた。

「…超、綺麗」

思わず声に出してから、スマホで写真を撮った。
どうしてか共有したくなって送信ボタンを押す。

《見て!超月綺麗!》

志摩は家にいるだろうなと考える。
何をしているのか、本でも読んでいるか、映画でも観ているか、ぼんやりしてるか。
もしかしたら寝てしまっているかもしれないと想像を重ねた。
ほどなくして、スマホの振動が返信があることを知らせる。

《月が綺麗ですね》
《そーでしょー?でも何で敬語?》

画面を見つめたまま、伊吹は首をかしげる。
ふざけているのか何か意味があるのか、残念ながら判断がつかない。
一方、志摩は自宅のソファに腰を下ろしたまま画面を見て、小さく息を漏らした。

「…ふ」

声に出さない笑いが、胸の奥で弾む。
月が綺麗ですね、なんて言葉をそのまま投げても伝わらないとわかっていた。
それでも、伊吹が撮った月を見てそう返したくなったのだ。

《走ってんの?》
《せいかーい!テンション上がるんだよねー》
《知ってる》
《志摩はいま何してんの?》

敬語である意味には答えないまま、取り立てて意味のないやりとりが、間をあけずにしばらく続いた。
伊吹の息遣いが文章の端々から伝わってくる気がして、ほんの少しだけ口元が緩くなるのが自分でもよくわかる。
そんな中、スマホの画面が、返信ではなく着信を知らせるものに変わった。

「…もしもし」
『あ、出た』
「なんだよ」
『志摩の声、聞きたくなった』

あまりにもあっさり、当たり前みたいに言うから返す言葉を一瞬失う。
聞き馴染みのある声なのに、電話越しだからかドキッとした。

『文字だけじゃ足りなくなった』

そんなことを言われて、年甲斐もなく熱くなった頬をさますために、ゆっくりとベランダに出た。
冬の夜は本当に冷える。
冷たい風に身震いをしつつ、上を見れば写真と同じ月があった。

「…風邪、ひくなよ」
『志摩ままだ』
「ふは、言いづらいだろ」
『んふふ、志摩まま、やさしーねぇ』
「伊吹」
『んー?』
「…本当に、月が綺麗だな」

意味が伝わらなくてもいい。
今はただ、電話越しに繋がっているこの時間が静かで満ちていて。
心から、月が綺麗だと。そう、思ったのだ。
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