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ノーマル


蝉の鳴き声が聞こえるような夏の昼過ぎ。
報告書に追われながら、独り言には大きすぎるボリュームで伊吹は呟いた。

「ウフフりてぇなぁ、志摩ちゃん」
「黙ってさっさと書け」
「ちぇー、ちょっとおトイレ行ってくるー志摩ちゃんも行く?」
「行かない。サボんないでちゃんと戻れよ」
「はいはい」

言いながら伊吹が出ていくと、深くため息を吐く。
出会った時からキュルキュルだのウフフだの騒がしかったが、最近は拍車をかけているように思う。

「まじでうるさいな…なんであいつ彼女作らないんだ…」

九重がタイピングの手を止めて、ちらと視線を寄越してきた。
何かおかしなことでもあっただろうか。

「それ、ほんとに言ってます?」
「え?」
「伊吹さんが言ってるのは、“志摩さんと”ウフフしたいって意味ですよ?」

思いもしない話に衝撃が大きくて、まばたきも忘れてしまった。
冷房の吹き出す音が妙に大きく聞こえる。

「…おれは男だぞ?」
「知ってます。今どき珍しくもないですし、伊吹さんがそんなこと気にすると思いますか?志摩さんこそ、その優秀な頭どうしちゃったんですか」

呆れを隠しきれない柔らかな諦めとともに響く。
現実味を失っていくような空間の中、思わずぽつりと聞き返す。

「…本当に言ってる?」
「本当に言ってます。というか陣場さんでさえ気づいてますよ」
「だめじゃーん、九ちゃん」

すぐ背後から、にたにたした声が降ってくる。
おれは思わずびくりと肩を揺らした。

「伊吹さん、いつからそこに」
「んー?さっきから」

振り返ると、ハンカチで手を拭いている伊吹。
笑顔なのにその瞳はどこか鋭くて追い詰められている気分になる。

「志摩は気づいたらすぐ逃げちゃうから」

言いながら、立ち上がりかけたおれの肩に触れて動きを止めさせる。
ごく自然に、だが確実にそこに置かれた掌の熱が嫌に伝わってしまう。

「進展しないのが悪か」

訛り混じりの、いつもより感情のこもった口調だった。
真っ直ぐと伊吹を見据えて言葉を続ける。

「毎日毎日そげん話ば聞かされよるこっちの身にもなってください。志摩さんも志摩さんでほんとに鈍か。よか大人がいつまでそげんこつしよるとですか」
「九ちゃん言うねぇ〜」

伊吹は満足げにふっと目を細める。
ふざけた口調ではあったが、その笑みの奥には、どこか意地の悪いようなそれでいて切なげな光が見え隠れしている。
相変わらずパーソナルスペースがバグっている伊吹は、無遠慮に身体を近づけてきた。

「どうする?九ちゃんの前でウフフっちゃう?ね、志摩」
「…やめろ、ややこしい言い方すんな。お前とウフフることなんか一生ない」
「じゃあウフフんなくていいから、今日うち来て。志摩の家でもいいけど、ちゃんと話したい」

いつもはその軽さでごまかしていたはずの伊吹の声が、今日は妙に刺さってしまい思わず視線を床に落とす。
おれは口を開きかけたが、言葉はうまく出なかった。
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