ノーマル
ふとした会話だった。
平和な車内で何がきったけだったのか忘れてしまったけれど、純粋に思ったのだ。
「おまえの恋人になった人は、幸せだな」
何の気もなくそう伝えた相手は、いまキッチンにいる。
パーカーの袖を軽くまくって、玉子をかき混ぜる音に鼻歌を交えている。
そんな後ろ姿を、おれはソファに座って眺めていた。
「ふふ…志摩ちゃん、俺穴開いちゃうよ?何かついてる?」
声だけでもう笑っているのがわかる。
こいつは後ろにも目がついているのだろうか。
犬ってすごいな。
「見てるだけ…おまえの恋人、やっぱり幸せだと思って」
「俺の恋人?ん?志摩ちゃんのこと?」
その声と一緒に足音がこちらに近づいてくる。
ボウルも菜箸も置いてきて、その瞳はすっかりおれだけを映していた。
「そう」
「なにそれきゅるきゅるじゃん」
伊吹の目が細くなる。
からかうでもなく、茶化すでもなく、ただ嬉しそうに笑った。
頬が熱を持つのがわかって思わず視線を逸らした。
簡単に動揺してしまう自分が悔しいような、でも少し浮ついたような不思議な気持ち。
「志摩志摩志ー摩」
「うるさい」
「俺も志摩ちゃんだぁいすき、超幸せ」
まるで子どもみたいな声で、何のためらいもなくそんなことを言う。
おれが何度も言えずに握りつぶしてしまう言葉を、惜しみなく与えてくれる。
「ふは、おまえはいつでも幸せそうだな」
「違うよ、志摩ちゃんがいるからだよ?志摩ちゃんのおかげで幸せなの!わかる?」
「はいはい」
「んもー」
困ったような、でもどこか弾んだ声が耳に落ちる。
言いながらソファに腰を下ろしてくるから肩が触れ合った。
「志摩ちゃん、ありがと」
「あ?」
「志摩のおかげで幸せだよ」
くすぐったくて、あたたかくて、胸の奥がぎゅっとする。
やっぱり、あのときの言葉は間違っていなかった。
あれは、未来の自分に対する予言だったのだ。
