ノーマル
もう少しで眠りに落ちるところだった。
ほとんど夢の中に片足を突っ込んでいたところを、スマホの振動が現実へと引き戻す。
眩しさに眉を歪ませながら見た画面には、伊吹の名前。
寝ぼけた手でスライドさせて、耳にあてる。
「…なに」
眠気のせいで声が掠れてる。
けど、相棒からの電話に出ない選択肢はない。
『あ、志摩? 起きてた?』
「起きてねぇよ、寝るんだよ」
『そっか、ごめん』
「それで?」
『スイカってさ、野菜か果物かどっちだと思う?』
くだらなさすぎて思わず不機嫌な声を返した。
馬鹿だけど多少の常識はあると思っていたのに思い違いだったか。
「…何時だと思ってんだよ、切るぞ」
『いやいや、待って待って!今すげぇ気になってんの!知ってる?』
「知らねぇし、どうでもいい」
重たくなってきた瞼にまかせて、そっと目を閉じる。
眠気に襲われるけど、耳元はまだ煩い。
『じゃあさ!志摩の部屋のカーテンって何色?』
「…なんでだよ」
『いや、なんか気になって?白?黒?あ!藍ちゃんの藍色?』
「…ほんとにくだらねぇ」
『…さっき、見たんだよ』
ふっと声のトーンが変わり、おれは切るぞと言えなくなった。
今までのくだらない話の裏側に張りついてた不安が、ようやく顔を出す。
『志摩が、志摩がさ…目ぇ開かなくて、呼んでもなんも言わねぇし、俺もう、怖くてさ…ごめんね、志摩ちゃん、おねむだよねぇ…おやすみ…』
少し震えた声に心底馬鹿だとため息を吐く。
そんなもん、くだらない話に隠して無理に電話繋げないで最初から言え。
でも眠いものは眠い。
「…おまえ、もう来いよ」
『ふぇ、どこに』
「おれの家に決まってんだろ」
『え…え、でも…いやこんな時間だし…』
こんな時間に電話してきたのは誰だよ。
なんで変なとこで遠慮すんだこいつはと呆れてしまう。
「鍵、開けとくから勝手に入れ」
『うぇ!?ダメだって!不用心だよ志摩ちゃん!閉めて!閉めといて!絶対!』
「不用心だと思うなら、ご自慢の足で早く来い」
そう言い残して、通話を切る。
焦る声を思い出すと、堪えきれずひとり笑ってしまった。
さておれの犬はどれくらいで来てくれるだろうか。
「…ほんとに足速ぇな」
しばらくして、伊吹が玄関を開けて入ってくる音が聞こえた。
寝室のドアが開いて、息を切らせた伊吹が顔を出す。
「だって、志摩が呼んだんだもん」
耳まで良いのかと思いつつ、どこか誇らしげな声にまたふっと笑みが漏れる。
伊吹がゆっくり近づいてきて、ベッドの端に腰を下ろした。
「志摩が生きてて良かった」
ぽつりと落ちた声。
それだけの言葉に、どれだけの想いが詰まってるか、もう長い付き合いだから知ってる。
「大袈裟」
「大袈裟じゃないよ…何回呼んでも返事してくんなくてさ、ずっと探してた」
泣きそうな声に、思わず両手を伸ばしてしまった。
馬鹿みたいに抱きついてきたのが思いの外強い衝撃でびっくりしたが、泣いている伊吹に口を閉ざす。
「あったかいね、志摩ちゃん、心臓動いてるね、血出てないね、志摩、志摩っ…」
「だからもう平気だろ?」
「うん、いっしょにねる」
伊吹は、張りつめていたものがほどけたのか涙と一緒に笑みを溢した。
それから、犬みたいにベッドに潜り込む。
だけにとどまらず、腕の中にぐいぐい入ってきて顔をおれの胸元に埋め鼻を動かした。
「志摩の匂い落ち着く」
「嗅ぐな嗅ぐな、寝るぞ」
「んふふ」
伊吹の腕が背中にまわされるとぽかぽかしてきて、眠気がまた戻ってきた。
心音が心地よく、静かな夜にふたりの呼吸だけが重なっていく。
もう、悪夢に襲われることはなかったらしい。
