ライラックが散るまで:1
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「すいません。すぐに気がつかなくて。耳は聞こえるんですね。」
謝る必要はないのにと、思ってもこういった細かい感情は目の前の人に伝えられない。小さく首肯する。
「手話は少しはわかるのですが…こっちのほうがわかりやすいですね。」
そう言って男性が取り出したのは黒い表紙のメモ帳と細身の銀のペンだった。差し出されたペン見て安心感が戻ってくる。何故こんなに大事なものを1本しか持ってきておらず、失くしてしまったのだろうかと胸の中で再び自分自身を叱咤した。
頭を1度下げると、春葉は自分のバッグからメモ帳を取り出して男性にわかるように見せ、ペンだけを受け取った。普段使っているペンよりも少し重たいが、指馴染みが良い。ノック部分を押してペン先を出し、自分のメモ帳の上を滑らせると驚くほど滑らかにインクが走り、気持ちが良かった。
『ペンありがとうございます。なくして困っていました。』
「いえ、これぐらいお気になさらず。」
春葉が紙に書いた言葉に対して、男性は声で応えた。彼の反応を伺い、更にまたペンを動かす。
『友達と待ち合わせをしています。』
「ああなるほど。道に迷っていたわけではなく、待ち合わせ相手が見つけられなくて困っていたんですね。」
こくりと頷く。
「新宿は初めてですか?」
先ほどよりも大きく頷く。
「ここで会ったのも何かの縁です。待ち合わせのお相手が見つかるまで一緒にお待ちしましょう。…お友達の写真か何かはありますか?」
「…。」
目の前の男性は一緒に待ち合わせ相手を捜してくれるという。道に迷っているわけでもないのだから放っておいてもいいと思うのだが、わざわざ最後まで付き合うというのは申し訳ない反面、何かあるのではないかと少し疑いを持ってしまった。
しかし、はっきりと示されている好意を受け取らないことも悪いような気がするのも確かだ。もし、この男性が悪い人間ならばそれ自体も織り込み済みなのかもしれない。しかし、春葉の中には今この状況を脱したいという気持ちと、そしてもう少し目の前の男性と一緒にいたいという気持ちが湧いたのだ。
男性への疑いを捨て、充電が残り少ない携帯電話で探し人と一緒に撮った写真を探すために操作をする。1枚の写真を見つけて、それを男性に見せる。
「この子…ですか?」
目を見張ってじっと画面を見る彼は少し驚いているようだ。何か不思議なことでもあるのだろうかと思っていると、目の前の男性の肩越し、離れたところに見慣れた姿を見つけた。
「…っ」
咄嗟に手招きをするも、数メートル離れている彼女に気づかれることもなく空を切るだけだった。人混みから垣間見えた彼女も、キョロキョロと困ったように人を探していた。ここにいる、と直接声をかけて訴えたいのに春葉の喉からは何も出てこない。
「七瀬さん!」
「!」
頭の中で叫んだ名前が目の前の男性から発せられた。驚いて彼のほうを見ると、真っ直ぐ春葉の待ち合わせ相手を見て、名前を呼んで、手招きをしている。それに気づいた人物も、驚きと戸惑いの表情でこちらに駆け寄ってくる。