ライラックが散るまで:1
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「何かお手伝いしましょうか?」
遠くにいる人物ばかり注視していた為、すぐ近くでかかった声に驚く。ノイズだらけの音の中、クリアに聞こえた声。こちらに話しかけているのだ、とはっきりと伝わるその声の方向へ、春葉は身体を向けた。
「…!」
突然話しかけられたことにも驚いたが、息を呑んだのはそれだけが原因ではなかった。これだけたくさんの人がいる中で放つ、圧倒的な存在感。一瞬にして風景となってしまった人々の中、目の前の男性だけが浮き出た存在だった。夜に輝く月のような銀が、目の前でさらりと揺れた。
「…。」
「おっと…驚かせてしまってすいません。しかし、明らかに困っているようでしたので。迷ったのですか?」
「…。」
「…?」
小さく俯き、声の無いまま口を動かしている春葉の顔を目の前の男性は覗き込む。ちらり、ともう一度春葉が目線をあげると、男性の眼鏡の奥にある水晶のような瞳とぶつかった。その瞬間、身体の体温が信じられないほど熱くなった。
――こんなに綺麗な男性を見たことがない。
街中でも相手に聴こえてしまうのではないかと思うくらいバクバクと心臓が鳴り始めて煩い。先ほどから人の群れを眺めていて、美しい男性も女性もたくさん見かけたが、街行く人の…いや、今まで見たことがあるどんな人よりも目の前のこの男性は綺麗だと思った。
「すいません…そんなに驚かせてしまいましたか…?」
「…。」
眉を潜めて困ったような顔をする目の前の男性に、意識が呼び戻される。彼の言っていること、今の自分の状況も忘れて見蕩れていた。目の前の人が好意でこうやって話しかけてくれていることはすぐわかった。返事をしないのは感じが悪い人間だろうと思い、春葉はいつもの癖でとっさにバッグを漁った。
しかし、そこで先ほどまでどうしようもなく焦っていた事案のひとつを思い出した。ペンがないのだ。春葉は目の前の男性に思わず助けを求めるように視線を向けたが、何も伝わらない。彼もどんどん困惑するばかりで、居心地が悪そうになっている。そんな様子を見ると早く伝えたいのに、と先ほどよりも冷や汗が止まらない。
そんなとき、咄嗟に動いたのは手だった。
「…あぁ。もしかして貴方…声が出ないんですか?」
「!」
手の動きが手話だということがわかったのだろう。聡い目の前の彼は、直ぐさま春葉のことを理解した。春葉も一番最初に伝えたいことが伝わり、首を大きく上下に振ってその答えを肯定する。直ぐに気づいてもらえたことに安堵の溜め息が漏れた。今までに何度か声が出ないことを伝えられず、好意を無下にしてしまうことがあった。こちらのそんな安心感が伝わったのか、男性はふっと顔を綻ばせた。
綺麗に上がった口端に目を奪われる。やはりこの顔立ちの美しさには中々慣れそうもない。女性的というわけではないのだが、「綺麗な人」という印象が強い。都会に来るとこんな人がたくさんいるのだろうかと気後れしてしまう。
気恥ずかしくなって彼の顔から視線を逸らすと、皺ひとつないスーツのジャケットの襟元が見える。もしかしたら仕事中、或いは職場に向かう最中にこうやって相手をしてくれているのだろうか。