初日
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2006年7月某日。
この日は朝から茹だるように暑く、蝉の大合唱がひどく耳障りだった。
「おかしいでしょう」
きっかけは七海の一言だった。
そろそろ一限目の授業が始まる時間だというのに、まるで音沙汰がない同期の身を案じての言葉だった。
急な体調不良なら、普段であればメールの一文でも寄越してくるところを、今朝に限って七海、灰原のどちらの携帯にも受信の気配がない。
「電話にも出ないね」
「彼女は無断欠席するような人じゃない」
灰原はコール音が鳴り続けたままの携帯を耳から離し、数秒の間、画面を見つめ、やはり相手が出ないことを確認してから通話終了のボタンを押した。
「きっと爆睡してるんじゃないかな、夜中まで桃鉄やってたとかで!」
「・・・よりによって、最も比べるべきではない人物の例じゃないですか、それ」
金糸のような前髪を七三に分けた青年、七海は渋い顔になる。
桃鉄を限界までやり続けたとかで、目の下に隈を作ったまま授業を受けていた一つ上の先輩のことなど、あまり思い出したくもないというのに。
「仕方ない・・・私が神降を迎えに行きます。灰原は、もうすぐ来る補助監督の人に説明を」
ここまでうんともすんとも反応が返ってこないともなれば、流石に心配にもなる。
未登録の呪力の出現を報せる警報は鳴っていないので、それ関連での音信不通というわけではなさそうだ。
とはいえ、万が一ということもある。
神降の現状が把握できない以上、確かめに行く必要性があった。
いつまで経っても現れない同期に堪えかね、率先して行動を起こそうとした七海に、灰原は強く頷く。
「それなら僕も行くよ!」
「・・・何故」
「だって七海、朝から大声出せる?」
「・・・・・・」
七海が、隣席に座る同級生の元気溢れる声に鼓膜を揺すぶられながら問うたところ、そんな声が返ってきた。
これに七海は、ぐうの音も出なかった。
・・・まあ、つまり、図星だったのだ。
それと同時に、任務中は別として、日頃から声を張り上げることをしない自分のことをよく見ている、とも七海は思う。
「・・・よろしく頼みましたよ」
「任せてよ!!」
結局、それもそうかと思い直し、七海は了承の意を込めて目の前の青年を見た。
自分を頼りにしてくれる、テンションの低い同期に、黒髪の青年、灰原は親指を立て、屈託のない笑みでそれに応えた。
その後、七海は黒板に『神降を迎えに行っています。すぐに戻ります』という書き置きを残し、灰原と共に同期の様子見へ向かったという。
そして現在――。
「――・・・といっても、女子寮へ男二人が入るのも問題がありますから、途中で出会った家入さんに事情を説明して、彼女の部屋まで同行して貰うことにしたんです」
七海は眉間を押さえ、一呼吸置いて話を続ける。
用事がなければ寄ることはない職員室の前に、彼はいた。
「最初は、単なる体調不良だと思っていました。生真面目な彼女から連絡が来ないのも、そのせいだと。それでまず、扉越しに灰原が声をかけてみたのですが・・・・・・」
「何も反応がなくて。一緒に七海にも呼んで貰ったけど、同じでした」
中は物音ひとつしなかったよね、と灰原が同意を求めて隣にいる七海を見れば、七海は「人の気配すらありませんでしたよ」と返した。
「で、流石にこれはおかしいなってことで、寮母の岡田さんに鍵を借りて開けてみて、あら吃驚。中はもぬけの殻でした」
「ううむ」
七海に並び灰原、家入からの報告を受けた夜蛾は首を捻った。
無駄に騒ぎを起こしたくないからと、その他職員の耳に入らないよう気を使い、職員室から少し離れた廊下へ場所を移した彼は、真剣な顔つきの教え子たちを前に、奇妙なこともあるものだと思う。
「自分で鍵をかけて、外へ散歩に出かけた線は考えられないか?」
「それこそありえないですよ」
即座に否定したのは七海だ。
その隣に立つ灰原も頷いた。
「彼女には、今日の午前より実習の予定があると、昨日の内に伝えてありましたから。それにあの性格です、無断でフケるわけがない」
「朝の散歩をする日課も聞いたことがないよね。どちらかといえば、朝は苦手な方だって話をしたことあるから、間違いないよ」
「そもそも、何の懸念もなければ、こうして夜蛾先生の元へ報告に訪れる必要はないんです」
眉をひそめて表情を崩さない一学生の態度から滲み出るのは、焦燥感ばかりだ。
そうして次に、七海の口から出た言葉には、彼の落ち着きない態度にも頷けるだけの説得力があった。
「全開だったんですよ、部屋の窓が。まるで、窓から飛び降りたとしか思えない開け方で・・・」
気味が悪い、と七海は小さく付け足す。
苦虫でも噛み潰したような声だった。
部屋の換気をするつもりで開けっ放しにしたのだろうか。
それならゴミや虫が入らないよう、網戸ぐらい閉めておいてもいいはずだ。
それが何故、全開になんか――。
当然、奇妙な点はこれだけに留まらない。
「証拠としては弱いかもですけど、窓のサッシにちょびっとだけ土くれが落ちてました」
はい、と片手を挙げた家入が再び会話に混じる。
「・・・土くれだと?」
「もちろん、風で飛んでくる土埃のことじゃないですよ」
家入曰く、神降の室内には観葉植物の類はなかったそうだ。
つまり、その土くれは外から持ち込まれた物ということになる。
ついでにいうと、室内が荒らされた形跡はなく、家具の配置も以前、家入が訪れた際の状態と一致していた。
「意図して足をかけでもしない限り、まずあんなところに付着しませんって。窓から出て行ったっていう七海の推測で、ドンピシャでしょ」
「あっ!そういえば、部屋にあった下駄箱から、普段使いしているサンダルが消えていましたよ」
家入の話を聞き、思い出したように口を開いたのは灰原だった。
「きっと、それを履いていったんですよ」
「へえ、現場をよく見てるじゃん。えらい」
「ありがとうございます、家入さん!」
灰原はピシッと背筋を正し、家入に人懐こい笑みを向けた。
・・・言っている場合じゃないでしょう。
そう言ってやりたいところを、七海は口を閉じて言葉を呑み込んだ。
これもまた無駄口になるだけだ。
それに灰原とて、行方不明になった同期の身を案じていないわけではない。
寮母の元へ真っ先に駆けたのは彼だし、あれから何度も神降の携帯へ連絡を入れてくれている。
一向に折り返しの連絡はないが、何もしないでいるより、うんとマシだ。
それはさておき、次の問題だ。
「でもどうやって地面へ降りたんだろう?夏油さんみたいに、空を飛ぶ呪霊がいるわけでもないのに・・・」
そう、神降が一体どうやって地面に降りたか だ。
雲行きの怪しい展開に、夜蛾の眉間にしわが寄る。
神降の自室が在るのは寮の四階。
仮にここから飛び降りたとして、よっぽどの体育会系でもない人間でない限り、無事では済まない高さだ。
だが教え子達の様子からして、恐らくは。
「因みに、建物の真下には一滴の血痕も見当たらなかったので、寝ぼけてうっかり飛び降りたってわけでもなさそうです」
「あの時ばかりは、無駄に肝が冷えましたよ」
もしもの事態を想定し、四階の窓から遥か足元にある地面を覗き込むまでに、七海はどれほどの覚悟を要したことか。
ぞっとしない話だ。
金輪際、このようなことは御免こうむりたいと七海は思う。
「いまのところ、朗報はこれだけしか・・・」
「あの子が無事でいる可能性があるだけでも充分だ。まだ高専の敷地内、その近辺にいるかもしれない。急ぐぞ」
「捜索なら夏油が最適ですよ。さっき電話してから、独断であちこち探してくれてるみたいですし」
廊下から外へ続く扉へ向かう夜蛾を追いかけて、それに、と家入は続ける。
「呪霊を使えば発見は早い」
「確かに手っ取り早いが、警報が鳴るからには許可はできない」
「ですよねー。これ、呪霊の持ち腐れってやつじゃないですか?」
「仕方ないだろう。事前に申請をするにも、手続きに時間がかかる――!?」
突如、高専敷地内にて未登録の呪力が使用されたことを報せる警報が鳴り響き、すぐさま夜蛾は足を速めた。
その大きな背を追いかけながら、背後にある職員室からも、不測の事態に備えて動き始めた補助監督達の声が聴こえ始め、場の緊張感が一気に高まったのを七海達は感じた。
「夏油だ。何かあったのかも」
「・・・だといいが、神降のこともある。呪詛師が息を潜めている可能性も捨てきれなくなった以上、全員気を抜かないように!」
「了解」
すぐそこにあった扉を乱雑に開き、広いながらも、寺院に似た建造物にぐるりと囲まれた場所へ飛び出した一行は、各々、周囲へ目を配る。
「五条のやつ、こういう肝心な時にいないんだもんな」
「つくづく、同じ思いですよ」
今度は、七海が家入の言葉に同意を示す番だった。
「あの人の眼があれば、こんな案件くらい、一瞬で片付くでしょうよ」
現代において五条家の当主、五条悟のみが持つとされる特別な両眼――六眼。
それは呪力を見通し、相手の呪術をも看破するという。
希少な眼を持つ五条ならば、七海が言うとおり、この場を丸く治めるのは容易いだろう。
そして、その噂の五条がいま何処にいるかというと・・・。
「いいな~、青森。涼しそうで」
家入が心底、羨ましそうな声で呟いた。
東京、上野駅より北海道新幹線に乗車、そこから新青森駅を経由し、徒歩とバスと乗り継ぎを繰り返して辿りつく先、青森県青森市。
片道、約4時間近くかかる遠出だ。
遠方ということもあって、昨夜の内に任務地へ赴いたばかりの五条が任務を終えて戻ってくるには、どう急いでも午後を過ぎるだろう。
どうかそれまでに、ここにいるメンバーで片付く案件であって欲しいものだ。
だが、現実はそう上手くできてはいない。
着信を受け、灰原の携帯が彼のポケットで震えた。
灰原が急いで携帯を取り出し、画面を確認すると、そこには ”神降由依” の四文字が表示されていた。
「七海!神降から電話!」
「やっとですか・・・!」
灰原の言葉に、七海達の表情が僅かに緩んだ。
しかし、安心するにはまだ早い。
安心していいのは、彼女の安否、そして居場所の特定が済んでからだ。
「灰原、まずは居場所の確認を」
「うん」
灰原は頷くと、電話に出るなり、相手の声が七海達にも聞こえるよう、スピーカーの設定をオンへと切り替えた。
「もしもし神降、聴こえる?灰原だけど、いま高専のどこにいるの?あと怪我はない?僕達で迎えに行くから、場所を・・・」
『灰原』
教えて、と灰原が言葉を続けるのを遮るように、電話口から若い男の声が聞こえた。
――夏油さんの声だ。
神降の携帯から、聞き馴染んだ先輩の声が聞こえるという予想外の展開に、灰原を含め、傍で耳を傾けていた七海達は身を硬くした。
・・・・・・いやな予感がする。
『夜蛾先生に伝えてくれ、神降に関係していそうな呪術師を見つけた。いまからそっちへ連れていく』
「夏油、私ならここだ」
『先生』
「オマエがその電話を使っているということは・・・何かあったか」
『・・・・・・口で説明するより、直接会うほうが説明が早い。とにかく、すぐに合流するので、グラウンドにでも集まっていてください』
では、いったん切ります。
そう言い終えるなり、夏油は通話を一方的に切ってしまった。
通話が終わったことを知らせる電子音に耳を傾けたところで、意味は無い。
仕方なしに、こちらも通話を終えるしかなかった。
この日は朝から茹だるように暑く、蝉の大合唱がひどく耳障りだった。
「おかしいでしょう」
きっかけは七海の一言だった。
そろそろ一限目の授業が始まる時間だというのに、まるで音沙汰がない同期の身を案じての言葉だった。
急な体調不良なら、普段であればメールの一文でも寄越してくるところを、今朝に限って七海、灰原のどちらの携帯にも受信の気配がない。
「電話にも出ないね」
「彼女は無断欠席するような人じゃない」
灰原はコール音が鳴り続けたままの携帯を耳から離し、数秒の間、画面を見つめ、やはり相手が出ないことを確認してから通話終了のボタンを押した。
「きっと爆睡してるんじゃないかな、夜中まで桃鉄やってたとかで!」
「・・・よりによって、最も比べるべきではない人物の例じゃないですか、それ」
金糸のような前髪を七三に分けた青年、七海は渋い顔になる。
桃鉄を限界までやり続けたとかで、目の下に隈を作ったまま授業を受けていた一つ上の先輩のことなど、あまり思い出したくもないというのに。
「仕方ない・・・私が神降を迎えに行きます。灰原は、もうすぐ来る補助監督の人に説明を」
ここまでうんともすんとも反応が返ってこないともなれば、流石に心配にもなる。
未登録の呪力の出現を報せる警報は鳴っていないので、それ関連での音信不通というわけではなさそうだ。
とはいえ、万が一ということもある。
神降の現状が把握できない以上、確かめに行く必要性があった。
いつまで経っても現れない同期に堪えかね、率先して行動を起こそうとした七海に、灰原は強く頷く。
「それなら僕も行くよ!」
「・・・何故」
「だって七海、朝から大声出せる?」
「・・・・・・」
七海が、隣席に座る同級生の元気溢れる声に鼓膜を揺すぶられながら問うたところ、そんな声が返ってきた。
これに七海は、ぐうの音も出なかった。
・・・まあ、つまり、図星だったのだ。
それと同時に、任務中は別として、日頃から声を張り上げることをしない自分のことをよく見ている、とも七海は思う。
「・・・よろしく頼みましたよ」
「任せてよ!!」
結局、それもそうかと思い直し、七海は了承の意を込めて目の前の青年を見た。
自分を頼りにしてくれる、テンションの低い同期に、黒髪の青年、灰原は親指を立て、屈託のない笑みでそれに応えた。
その後、七海は黒板に『神降を迎えに行っています。すぐに戻ります』という書き置きを残し、灰原と共に同期の様子見へ向かったという。
そして現在――。
「――・・・といっても、女子寮へ男二人が入るのも問題がありますから、途中で出会った家入さんに事情を説明して、彼女の部屋まで同行して貰うことにしたんです」
七海は眉間を押さえ、一呼吸置いて話を続ける。
用事がなければ寄ることはない職員室の前に、彼はいた。
「最初は、単なる体調不良だと思っていました。生真面目な彼女から連絡が来ないのも、そのせいだと。それでまず、扉越しに灰原が声をかけてみたのですが・・・・・・」
「何も反応がなくて。一緒に七海にも呼んで貰ったけど、同じでした」
中は物音ひとつしなかったよね、と灰原が同意を求めて隣にいる七海を見れば、七海は「人の気配すらありませんでしたよ」と返した。
「で、流石にこれはおかしいなってことで、寮母の岡田さんに鍵を借りて開けてみて、あら吃驚。中はもぬけの殻でした」
「ううむ」
七海に並び灰原、家入からの報告を受けた夜蛾は首を捻った。
無駄に騒ぎを起こしたくないからと、その他職員の耳に入らないよう気を使い、職員室から少し離れた廊下へ場所を移した彼は、真剣な顔つきの教え子たちを前に、奇妙なこともあるものだと思う。
「自分で鍵をかけて、外へ散歩に出かけた線は考えられないか?」
「それこそありえないですよ」
即座に否定したのは七海だ。
その隣に立つ灰原も頷いた。
「彼女には、今日の午前より実習の予定があると、昨日の内に伝えてありましたから。それにあの性格です、無断でフケるわけがない」
「朝の散歩をする日課も聞いたことがないよね。どちらかといえば、朝は苦手な方だって話をしたことあるから、間違いないよ」
「そもそも、何の懸念もなければ、こうして夜蛾先生の元へ報告に訪れる必要はないんです」
眉をひそめて表情を崩さない一学生の態度から滲み出るのは、焦燥感ばかりだ。
そうして次に、七海の口から出た言葉には、彼の落ち着きない態度にも頷けるだけの説得力があった。
「全開だったんですよ、部屋の窓が。まるで、窓から飛び降りたとしか思えない開け方で・・・」
気味が悪い、と七海は小さく付け足す。
苦虫でも噛み潰したような声だった。
部屋の換気をするつもりで開けっ放しにしたのだろうか。
それならゴミや虫が入らないよう、網戸ぐらい閉めておいてもいいはずだ。
それが何故、全開になんか――。
当然、奇妙な点はこれだけに留まらない。
「証拠としては弱いかもですけど、窓のサッシにちょびっとだけ土くれが落ちてました」
はい、と片手を挙げた家入が再び会話に混じる。
「・・・土くれだと?」
「もちろん、風で飛んでくる土埃のことじゃないですよ」
家入曰く、神降の室内には観葉植物の類はなかったそうだ。
つまり、その土くれは外から持ち込まれた物ということになる。
ついでにいうと、室内が荒らされた形跡はなく、家具の配置も以前、家入が訪れた際の状態と一致していた。
「意図して足をかけでもしない限り、まずあんなところに付着しませんって。窓から出て行ったっていう七海の推測で、ドンピシャでしょ」
「あっ!そういえば、部屋にあった下駄箱から、普段使いしているサンダルが消えていましたよ」
家入の話を聞き、思い出したように口を開いたのは灰原だった。
「きっと、それを履いていったんですよ」
「へえ、現場をよく見てるじゃん。えらい」
「ありがとうございます、家入さん!」
灰原はピシッと背筋を正し、家入に人懐こい笑みを向けた。
・・・言っている場合じゃないでしょう。
そう言ってやりたいところを、七海は口を閉じて言葉を呑み込んだ。
これもまた無駄口になるだけだ。
それに灰原とて、行方不明になった同期の身を案じていないわけではない。
寮母の元へ真っ先に駆けたのは彼だし、あれから何度も神降の携帯へ連絡を入れてくれている。
一向に折り返しの連絡はないが、何もしないでいるより、うんとマシだ。
それはさておき、次の問題だ。
「でもどうやって地面へ降りたんだろう?夏油さんみたいに、空を飛ぶ呪霊がいるわけでもないのに・・・」
そう、神降が
雲行きの怪しい展開に、夜蛾の眉間にしわが寄る。
神降の自室が在るのは寮の四階。
仮にここから飛び降りたとして、よっぽどの体育会系でもない人間でない限り、無事では済まない高さだ。
だが教え子達の様子からして、恐らくは。
「因みに、建物の真下には一滴の血痕も見当たらなかったので、寝ぼけてうっかり飛び降りたってわけでもなさそうです」
「あの時ばかりは、無駄に肝が冷えましたよ」
もしもの事態を想定し、四階の窓から遥か足元にある地面を覗き込むまでに、七海はどれほどの覚悟を要したことか。
ぞっとしない話だ。
金輪際、このようなことは御免こうむりたいと七海は思う。
「いまのところ、朗報はこれだけしか・・・」
「あの子が無事でいる可能性があるだけでも充分だ。まだ高専の敷地内、その近辺にいるかもしれない。急ぐぞ」
「捜索なら夏油が最適ですよ。さっき電話してから、独断であちこち探してくれてるみたいですし」
廊下から外へ続く扉へ向かう夜蛾を追いかけて、それに、と家入は続ける。
「呪霊を使えば発見は早い」
「確かに手っ取り早いが、警報が鳴るからには許可はできない」
「ですよねー。これ、呪霊の持ち腐れってやつじゃないですか?」
「仕方ないだろう。事前に申請をするにも、手続きに時間がかかる――!?」
突如、高専敷地内にて未登録の呪力が使用されたことを報せる警報が鳴り響き、すぐさま夜蛾は足を速めた。
その大きな背を追いかけながら、背後にある職員室からも、不測の事態に備えて動き始めた補助監督達の声が聴こえ始め、場の緊張感が一気に高まったのを七海達は感じた。
「夏油だ。何かあったのかも」
「・・・だといいが、神降のこともある。呪詛師が息を潜めている可能性も捨てきれなくなった以上、全員気を抜かないように!」
「了解」
すぐそこにあった扉を乱雑に開き、広いながらも、寺院に似た建造物にぐるりと囲まれた場所へ飛び出した一行は、各々、周囲へ目を配る。
「五条のやつ、こういう肝心な時にいないんだもんな」
「つくづく、同じ思いですよ」
今度は、七海が家入の言葉に同意を示す番だった。
「あの人の眼があれば、こんな案件くらい、一瞬で片付くでしょうよ」
現代において五条家の当主、五条悟のみが持つとされる特別な両眼――六眼。
それは呪力を見通し、相手の呪術をも看破するという。
希少な眼を持つ五条ならば、七海が言うとおり、この場を丸く治めるのは容易いだろう。
そして、その噂の五条がいま何処にいるかというと・・・。
「いいな~、青森。涼しそうで」
家入が心底、羨ましそうな声で呟いた。
東京、上野駅より北海道新幹線に乗車、そこから新青森駅を経由し、徒歩とバスと乗り継ぎを繰り返して辿りつく先、青森県青森市。
片道、約4時間近くかかる遠出だ。
遠方ということもあって、昨夜の内に任務地へ赴いたばかりの五条が任務を終えて戻ってくるには、どう急いでも午後を過ぎるだろう。
どうかそれまでに、ここにいるメンバーで片付く案件であって欲しいものだ。
だが、現実はそう上手くできてはいない。
着信を受け、灰原の携帯が彼のポケットで震えた。
灰原が急いで携帯を取り出し、画面を確認すると、そこには ”神降由依” の四文字が表示されていた。
「七海!神降から電話!」
「やっとですか・・・!」
灰原の言葉に、七海達の表情が僅かに緩んだ。
しかし、安心するにはまだ早い。
安心していいのは、彼女の安否、そして居場所の特定が済んでからだ。
「灰原、まずは居場所の確認を」
「うん」
灰原は頷くと、電話に出るなり、相手の声が七海達にも聞こえるよう、スピーカーの設定をオンへと切り替えた。
「もしもし神降、聴こえる?灰原だけど、いま高専のどこにいるの?あと怪我はない?僕達で迎えに行くから、場所を・・・」
『灰原』
教えて、と灰原が言葉を続けるのを遮るように、電話口から若い男の声が聞こえた。
――夏油さんの声だ。
神降の携帯から、聞き馴染んだ先輩の声が聞こえるという予想外の展開に、灰原を含め、傍で耳を傾けていた七海達は身を硬くした。
・・・・・・いやな予感がする。
『夜蛾先生に伝えてくれ、神降に関係していそうな呪術師を見つけた。いまからそっちへ連れていく』
「夏油、私ならここだ」
『先生』
「オマエがその電話を使っているということは・・・何かあったか」
『・・・・・・口で説明するより、直接会うほうが説明が早い。とにかく、すぐに合流するので、グラウンドにでも集まっていてください』
では、いったん切ります。
そう言い終えるなり、夏油は通話を一方的に切ってしまった。
通話が終わったことを知らせる電子音に耳を傾けたところで、意味は無い。
仕方なしに、こちらも通話を終えるしかなかった。
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