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怪我の手当てのために医務室へやって来たイサミは、そこで家入硝子と名乗る医師と出会った。
先ほど別れたばかりの夜蛾が話していた硝子という人物は、彼女で間違いないだろう。
そして五条曰く「硝子は呪術高専で唯一、他人を治療することのできる呪術師なんだ」そうだ。
「君が噂の転校生か。その顔の傷、学長の呪骸にやられたんだろ」
簡単な自己紹介を済ませた家入は、内出血を起こして変色したイサミの頬に目を留めるなり、あの人も容赦がないな、と少し困った風に薄く微笑んだ。
第一印象は、独特の艶やかさのある女性。
肩甲骨まである髪に、右目の泣き黒子がまた魅力的で、女医らしく、ビシッと着込んだ白衣がとてもよく似合っている。
そんな家入の姿は、イサミの目にはかっこいい大人の女性として映った。
「硝子。顔もそうだけど、喉と、あと横腹も診てやってよ。たぶんおんなじくらい腫れてる」
診察を前に、イサミの代わりに五条が口を開いた。
「大したことないと思うけど、念のためにさ」
「いいよ。喉に関しては、狗巻と同じ要領でいいな?」
「もちろん」
いぬまき。また知らない名前だ。
高専の女医である家入が知っているのだから、きっと同じ高専関係者だろう。
もしかしたらそのうち、ばったり出会うことがあるかもしれない。
「じゃ、僕はここで待ってるから、診て貰っておいで」
五条は折りたたみ式パイプ椅子の背もたれを腕に抱え、跨ぐようにして前後逆に腰かけた。
男子生徒が自分の椅子をそのままに、後ろの席にいるクラスメートに話しかける時みたいな座り方だ。
そうして彼は、ひらひらと手を振ったあとで、ポケットからスマホを取り出して弄り始めた。
どうやら本当に待つつもりらしい。
時計の針はもうすぐ13時を指そうとしている。
五条だけでも、先に昼食をとってきて貰ってもいいぐらいなのに。
これには流石にイサミも罪悪感を抱いた。
あまり待たせてしまっては悪いので、なるべく早く終わらせてしまいたいが、こればかりは家入次第だろう。
いまのイサミにできるのは、大人しく指示に従うことぐらいだ。
その内、シュポッ、シュポッ、と聞いたことのある電子音が間を空けて聞こえてきた。
暇を持て余した五条が、LINEで誰かとのやりとりを始めたらしい。
良いことでもあったのだろうか、なにやらニコニコしている。
手持ち無沙汰ゆえ、そんな五条を横目で眺めていたイサミだったが、家入が用意した衝立によってそれも遮られてしまった。
べつに見ていたかったわけではないので、まったく問題はない。
逆に、視界が遮られていなければ色々と問題がありすぎるので、イサミにとってはむしろ有難いくらいだ。
衝立もとい、メディカルスクリーンと呼ばれるそれは、患者のプライバシーを守るためには欠かせない医療用具だ。
ここにあるものは四つ折りタイプで、キャスターも付属していて扱いやすい。
そして、イサミと家入の二人を第三者の視線から隠すには十分な大きさがあった。
「そこに座って」
家入は使用済みの脱脂綿、ガーゼ、包帯、ビニール手袋やらをまとめてゴミ箱へ捨て、自身の前にある診察用のスツールに座るようイサミに促した。
イサミが訪れる直前に誰かを手当てしていたのだろう。
手早く片付けられたため、はっきりとは見えなかったが、どれも濃い赤が付着していた。
非日常の一端。
呪術師は常に死と隣り合わせ――耳にして間もない夜蛾学長の言葉が思考の端を掠めて、イサミはドキッとした。
・・・・・・この手当てを受けた人は、無事なんだろうか。
名前も顔も知らない人のことをあれこれ詮索するのは良くないことぐらい、イサミも分かっている。
それでも気になってしまった。
そわそわと落ち着かない様子のイサミと、その視線の先がゴミ箱に向いていることに気がついた家入は、合点がいったように「ああ」と呟いて。
「心配しなくても、この怪我を治療した患者は元気だよ。自分の足で歩いて戻れるくらいにはね」
だからそう不安がるな、と家入は付け加えた。
それを聞いてイサミは胸を撫で下ろした。
強張っていた表情が緩み、身体から不要な力が抜ける。
「イサミは優しいねぇ」
「・・・・・・」
スクリーンの向こう側から、五条のからかうような声が飛んできた。
振り返ったところで、その姿はスクリーンに隠れて見えないのだが、イサミはつい振り返ってしまった。
こっちは真剣なのに、余計な茶々を入れないで欲しいものだ。
「本当。誰かさんに、爪の垢を煎じて飲ませてやりたいくらいだ」
「爪の垢ねぇ、そんなものを飲みたがる奴の気が知れないよ」
「ものの例えだよ。・・・さて」
五条の相手も程々に、家入は事務椅子をくるりと動かしてイサミに向き直った。
一呼吸置いて、会話を切り出す。
「君の事情は五条から聞いている。私が何か質問をしても、簡単な受け答えをするだけでいいよ」
「・・・はい」
イサミは軽く頷いた。
「じゃあ、まずは喉から診ようか。口を開けて」
家入はイサミの手前まで事務椅子を寄せると、早速、イサミの咥内をペンライトで照らした。
舌圧子で舌を押さえながら、喉の様子を窺う。
「もう少し大きく、喉奥が見えない。適当に声出してみて」
「・・・あーー」
「この程度ならすぐ治せる。そのまま動かないように」
家入がイサミの喉に触れること数秒。
もういいよ、そう言って彼女は離れた。
喉の不調は発声だけでない、食事の面においても障りがある。
これで少しは楽になるといいのだけれど・・・。
と、口を閉じてイサミは気づく。
「あれっ?」
さっきまで確かにあったはずの不快感が、きれいさっぱりなくなっている。
同じように、唇と頬からも痛みが引いていた。
いや、引いた、というよりも消えた、と表現するほうが適切かもしれない。
実際に触れてみて、切れていたはずの唇が何ともないことにも驚いた。
それに、表情筋を動かしても頬に鈍い痛みが走らない。
治療の域を超えた現象を目の当たりにしたイサミは、小首を傾げるばかりだ。
家入にしてみれば、イサミのような反応をする患者は珍しくないらしく、とりたてて気にする様子もないまま診察を再開した。
「喉に違和感は?」
「ん、んん・・・あー、特には・・・」
「問題なさそうだな。顔の怪我もついでに治しておいた、痕は残っていないから安心するといい。鏡、使う?」
「あ、はい」
手渡された手鏡にイサミが顔を映すと、そこには普段と変わりない姿が映っていた。
口の周りに血がこびついている点を除いては。
呪術師というのは存外、奥が深い職業なのかもしれない。
乾いてガサガサになった血を、塗らしたガーゼで丁寧にふき取りながら、イサミは感心した。
同時に、呪術は他人に危害を加えてしまうものばかりだという認識が、彼女の中で覆った瞬間でもある。
「次、横腹を治すから、患部が見えるとこまで服を持ち上げて」
「硝子ー、あとどれくらいかかりそう?」
「じきに終わる、もう少し待ってろ。それと、まだ立ち上がるなよ。五条は背が高すぎて、スクリーンを置いている意味がないからな」
「かっこいいだろ、自慢の脚だよ」
「胴の間違いじゃないか?」
ふふん、と得意げに笑ってみせた五条を家入がばっさりと斬って捨てれば、メディカルスクリーンの向こう側から、そこは肯定してよ、とぼやく声がした。
そんな彼は今頃、スクリーンの向こうで、ご自慢の長い長い脚を伸び伸びと伸ばしているのだろう。
「はいおしまい」
念のためにと、イサミの頬と横腹に湿布を貼って、家入は怪我の治療を終えた。
イサミが患部のあった箇所を見ると、先程と同様、煮えていた素肌は何ともなくなっていた。
もちろん痛みは残っていない。
すごい技術だと、イサミは改めて思う。
ただひとつ、捲り上げていたパーカーの厚みで視界が遮られていたせいで、治療の過程を見られなかったのが残念だ。
何はともあれ、万全の状態に戻してくれた彼女には感謝しかない。
イサミはスマホのメモ帳に文字を打ち込むと、そのまま家入に画面を差し出した。
『ありがとうございます、いえいりさん』
「どういたしまして」
家入は椅子から立ち上がって、スクリーンの片付けに取り掛かった。
「大丈夫だとは思うけれど、明日になって、痛みがぶり返しても面倒だ。二日分の湿布を処方しておくから、様子を見て貼るといいよ」
「お疲れ硝子、助かったよ。イサミも、ちゃんと綺麗に治して貰えたみたいだね」
立ち上がり、二人に歩み寄った五条は、イサミの顔を覗き込んで、良かったねぇ、と湿布越しにその頬をつついた。
彼は背が平均値を大幅に上回っているので、身長が低いイサミと会話するにあたって、視線を合わせるためには多少、かがむ必要があるのは分かる。
だがしかし、だとしても、これはいささか距離が近すぎやしないだろうか。
文字通り、イサミの目と鼻の先に、五条の鼻先がある。
・・・・・・あまりにも、近い。
これがもし、パーソナルスペースを守りたい人間が相手だったなら、その人は秒で発狂してしまうのではないだろうか。
――五条悟は他人との距離感がバグっている。
イサミ独自の五条取扱説明書に、新たな一文が書き加えられた瞬間だった。
「で、これからどうすんの。食堂に行くなら、急がないと間に合わなくなるよ」
「これが余裕なんだよね。真希に頼んで、僕達の代わりにランチ予約して貰った」
「へえ。食いっぱぐれなくて良かったじゃん」
五条は、求めてもいないドヤ顔でイサミを見た。
家入はというと、診察が終わったあとは関係がないので、眠気覚ましのコーヒーを淹れるべく席を立っていった。
彼女の言うように、昼ごはんにありつけない事態を避けられたことには感謝しかない。
あとで真希という人に出会えたら、お礼を言わなくてはいけないな、とイサミは心に留めおいた。
・・・それと、五条にも。
「ちなみに本日のメニューは、A・カレー定食、B・焼き魚定食です。イサミはどっちがいい?僕としては魚の気分なんだけど」
「・・・・・・・・・」
「どっちにする?」
選択肢がない。
Aのカレー定食しか、選択肢がない。
しかし、食堂へ駆けつける時間がギリギリになってしまうのは、イサミ自身が原因なので、強く言い出せない。
それに五条には、移動途中に苦労をかけさせてしまった負い目だってある。
イサミだってもう高校生だ。
こんなことで我侭を言うわけにいかない。
時間がないせいか、ほらほら、と返事を急かす五条の希望に応えて、イサミは「・・・カレーで」と答えた。
なんだか今日は急かされてばかりだ。
定食を譲るというちっちゃなことでも、我ながら、大人な対応をとれたのではないだろうか。
イサミは自分を褒めてやりたい気持ちになった。
それだけ疲弊していた。
「よっし、決まり。それにしても僕達、意外と気が合うのかもね」
最後の余計な一言は、聞こえなかったことにした。
先ほど別れたばかりの夜蛾が話していた硝子という人物は、彼女で間違いないだろう。
そして五条曰く「硝子は呪術高専で唯一、他人を治療することのできる呪術師なんだ」そうだ。
「君が噂の転校生か。その顔の傷、学長の呪骸にやられたんだろ」
簡単な自己紹介を済ませた家入は、内出血を起こして変色したイサミの頬に目を留めるなり、あの人も容赦がないな、と少し困った風に薄く微笑んだ。
第一印象は、独特の艶やかさのある女性。
肩甲骨まである髪に、右目の泣き黒子がまた魅力的で、女医らしく、ビシッと着込んだ白衣がとてもよく似合っている。
そんな家入の姿は、イサミの目にはかっこいい大人の女性として映った。
「硝子。顔もそうだけど、喉と、あと横腹も診てやってよ。たぶんおんなじくらい腫れてる」
診察を前に、イサミの代わりに五条が口を開いた。
「大したことないと思うけど、念のためにさ」
「いいよ。喉に関しては、狗巻と同じ要領でいいな?」
「もちろん」
いぬまき。また知らない名前だ。
高専の女医である家入が知っているのだから、きっと同じ高専関係者だろう。
もしかしたらそのうち、ばったり出会うことがあるかもしれない。
「じゃ、僕はここで待ってるから、診て貰っておいで」
五条は折りたたみ式パイプ椅子の背もたれを腕に抱え、跨ぐようにして前後逆に腰かけた。
男子生徒が自分の椅子をそのままに、後ろの席にいるクラスメートに話しかける時みたいな座り方だ。
そうして彼は、ひらひらと手を振ったあとで、ポケットからスマホを取り出して弄り始めた。
どうやら本当に待つつもりらしい。
時計の針はもうすぐ13時を指そうとしている。
五条だけでも、先に昼食をとってきて貰ってもいいぐらいなのに。
これには流石にイサミも罪悪感を抱いた。
あまり待たせてしまっては悪いので、なるべく早く終わらせてしまいたいが、こればかりは家入次第だろう。
いまのイサミにできるのは、大人しく指示に従うことぐらいだ。
その内、シュポッ、シュポッ、と聞いたことのある電子音が間を空けて聞こえてきた。
暇を持て余した五条が、LINEで誰かとのやりとりを始めたらしい。
良いことでもあったのだろうか、なにやらニコニコしている。
手持ち無沙汰ゆえ、そんな五条を横目で眺めていたイサミだったが、家入が用意した衝立によってそれも遮られてしまった。
べつに見ていたかったわけではないので、まったく問題はない。
逆に、視界が遮られていなければ色々と問題がありすぎるので、イサミにとってはむしろ有難いくらいだ。
衝立もとい、メディカルスクリーンと呼ばれるそれは、患者のプライバシーを守るためには欠かせない医療用具だ。
ここにあるものは四つ折りタイプで、キャスターも付属していて扱いやすい。
そして、イサミと家入の二人を第三者の視線から隠すには十分な大きさがあった。
「そこに座って」
家入は使用済みの脱脂綿、ガーゼ、包帯、ビニール手袋やらをまとめてゴミ箱へ捨て、自身の前にある診察用のスツールに座るようイサミに促した。
イサミが訪れる直前に誰かを手当てしていたのだろう。
手早く片付けられたため、はっきりとは見えなかったが、どれも濃い赤が付着していた。
非日常の一端。
呪術師は常に死と隣り合わせ――耳にして間もない夜蛾学長の言葉が思考の端を掠めて、イサミはドキッとした。
・・・・・・この手当てを受けた人は、無事なんだろうか。
名前も顔も知らない人のことをあれこれ詮索するのは良くないことぐらい、イサミも分かっている。
それでも気になってしまった。
そわそわと落ち着かない様子のイサミと、その視線の先がゴミ箱に向いていることに気がついた家入は、合点がいったように「ああ」と呟いて。
「心配しなくても、この怪我を治療した患者は元気だよ。自分の足で歩いて戻れるくらいにはね」
だからそう不安がるな、と家入は付け加えた。
それを聞いてイサミは胸を撫で下ろした。
強張っていた表情が緩み、身体から不要な力が抜ける。
「イサミは優しいねぇ」
「・・・・・・」
スクリーンの向こう側から、五条のからかうような声が飛んできた。
振り返ったところで、その姿はスクリーンに隠れて見えないのだが、イサミはつい振り返ってしまった。
こっちは真剣なのに、余計な茶々を入れないで欲しいものだ。
「本当。誰かさんに、爪の垢を煎じて飲ませてやりたいくらいだ」
「爪の垢ねぇ、そんなものを飲みたがる奴の気が知れないよ」
「ものの例えだよ。・・・さて」
五条の相手も程々に、家入は事務椅子をくるりと動かしてイサミに向き直った。
一呼吸置いて、会話を切り出す。
「君の事情は五条から聞いている。私が何か質問をしても、簡単な受け答えをするだけでいいよ」
「・・・はい」
イサミは軽く頷いた。
「じゃあ、まずは喉から診ようか。口を開けて」
家入はイサミの手前まで事務椅子を寄せると、早速、イサミの咥内をペンライトで照らした。
舌圧子で舌を押さえながら、喉の様子を窺う。
「もう少し大きく、喉奥が見えない。適当に声出してみて」
「・・・あーー」
「この程度ならすぐ治せる。そのまま動かないように」
家入がイサミの喉に触れること数秒。
もういいよ、そう言って彼女は離れた。
喉の不調は発声だけでない、食事の面においても障りがある。
これで少しは楽になるといいのだけれど・・・。
と、口を閉じてイサミは気づく。
「あれっ?」
さっきまで確かにあったはずの不快感が、きれいさっぱりなくなっている。
同じように、唇と頬からも痛みが引いていた。
いや、引いた、というよりも消えた、と表現するほうが適切かもしれない。
実際に触れてみて、切れていたはずの唇が何ともないことにも驚いた。
それに、表情筋を動かしても頬に鈍い痛みが走らない。
治療の域を超えた現象を目の当たりにしたイサミは、小首を傾げるばかりだ。
家入にしてみれば、イサミのような反応をする患者は珍しくないらしく、とりたてて気にする様子もないまま診察を再開した。
「喉に違和感は?」
「ん、んん・・・あー、特には・・・」
「問題なさそうだな。顔の怪我もついでに治しておいた、痕は残っていないから安心するといい。鏡、使う?」
「あ、はい」
手渡された手鏡にイサミが顔を映すと、そこには普段と変わりない姿が映っていた。
口の周りに血がこびついている点を除いては。
呪術師というのは存外、奥が深い職業なのかもしれない。
乾いてガサガサになった血を、塗らしたガーゼで丁寧にふき取りながら、イサミは感心した。
同時に、呪術は他人に危害を加えてしまうものばかりだという認識が、彼女の中で覆った瞬間でもある。
「次、横腹を治すから、患部が見えるとこまで服を持ち上げて」
「硝子ー、あとどれくらいかかりそう?」
「じきに終わる、もう少し待ってろ。それと、まだ立ち上がるなよ。五条は背が高すぎて、スクリーンを置いている意味がないからな」
「かっこいいだろ、自慢の脚だよ」
「胴の間違いじゃないか?」
ふふん、と得意げに笑ってみせた五条を家入がばっさりと斬って捨てれば、メディカルスクリーンの向こう側から、そこは肯定してよ、とぼやく声がした。
そんな彼は今頃、スクリーンの向こうで、ご自慢の長い長い脚を伸び伸びと伸ばしているのだろう。
「はいおしまい」
念のためにと、イサミの頬と横腹に湿布を貼って、家入は怪我の治療を終えた。
イサミが患部のあった箇所を見ると、先程と同様、煮えていた素肌は何ともなくなっていた。
もちろん痛みは残っていない。
すごい技術だと、イサミは改めて思う。
ただひとつ、捲り上げていたパーカーの厚みで視界が遮られていたせいで、治療の過程を見られなかったのが残念だ。
何はともあれ、万全の状態に戻してくれた彼女には感謝しかない。
イサミはスマホのメモ帳に文字を打ち込むと、そのまま家入に画面を差し出した。
『ありがとうございます、いえいりさん』
「どういたしまして」
家入は椅子から立ち上がって、スクリーンの片付けに取り掛かった。
「大丈夫だとは思うけれど、明日になって、痛みがぶり返しても面倒だ。二日分の湿布を処方しておくから、様子を見て貼るといいよ」
「お疲れ硝子、助かったよ。イサミも、ちゃんと綺麗に治して貰えたみたいだね」
立ち上がり、二人に歩み寄った五条は、イサミの顔を覗き込んで、良かったねぇ、と湿布越しにその頬をつついた。
彼は背が平均値を大幅に上回っているので、身長が低いイサミと会話するにあたって、視線を合わせるためには多少、かがむ必要があるのは分かる。
だがしかし、だとしても、これはいささか距離が近すぎやしないだろうか。
文字通り、イサミの目と鼻の先に、五条の鼻先がある。
・・・・・・あまりにも、近い。
これがもし、パーソナルスペースを守りたい人間が相手だったなら、その人は秒で発狂してしまうのではないだろうか。
――五条悟は他人との距離感がバグっている。
イサミ独自の五条取扱説明書に、新たな一文が書き加えられた瞬間だった。
「で、これからどうすんの。食堂に行くなら、急がないと間に合わなくなるよ」
「これが余裕なんだよね。真希に頼んで、僕達の代わりにランチ予約して貰った」
「へえ。食いっぱぐれなくて良かったじゃん」
五条は、求めてもいないドヤ顔でイサミを見た。
家入はというと、診察が終わったあとは関係がないので、眠気覚ましのコーヒーを淹れるべく席を立っていった。
彼女の言うように、昼ごはんにありつけない事態を避けられたことには感謝しかない。
あとで真希という人に出会えたら、お礼を言わなくてはいけないな、とイサミは心に留めおいた。
・・・それと、五条にも。
「ちなみに本日のメニューは、A・カレー定食、B・焼き魚定食です。イサミはどっちがいい?僕としては魚の気分なんだけど」
「・・・・・・・・・」
「どっちにする?」
選択肢がない。
Aのカレー定食しか、選択肢がない。
しかし、食堂へ駆けつける時間がギリギリになってしまうのは、イサミ自身が原因なので、強く言い出せない。
それに五条には、移動途中に苦労をかけさせてしまった負い目だってある。
イサミだってもう高校生だ。
こんなことで我侭を言うわけにいかない。
時間がないせいか、ほらほら、と返事を急かす五条の希望に応えて、イサミは「・・・カレーで」と答えた。
なんだか今日は急かされてばかりだ。
定食を譲るというちっちゃなことでも、我ながら、大人な対応をとれたのではないだろうか。
イサミは自分を褒めてやりたい気持ちになった。
それだけ疲弊していた。
「よっし、決まり。それにしても僕達、意外と気が合うのかもね」
最後の余計な一言は、聞こえなかったことにした。