re-
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
はっきり言って面倒くさいことになった。
昨晩、イサミが眠りについたのは、時計の針が真夜中の1時を過ぎた頃だったと記憶している。
そして目覚めたのが午前9時過ぎ。
いつも朝が早い父親はランチタイムの準備に取り掛かっていて、昼と夜の後片付けを主な手伝いとするイサミは、この時間帯はゆっくりしていいことになっている。
だから、彼女が忙しくなるのはもう少しあとのことになる予定だ。
そう、予定だった、ほんの数分前までは。
冒頭でも記載したばかりだが、あえて再三、同じことを言わせて貰いたい。
ものすごく面倒くさいことになった。
「や、今日はいい天気だね」
「・・・・・・なんでいるんですか」
その男はイサミを見つけるなり、当たり前のように挨拶をかましてきた。
例の不審者が、昨夜と同じカウンター席に腰掛けているという想定外の事態を前に、イサミは温めたばかりのホットミルクが入ったマグカップを片手に固まった。
そして驚きのあまり、うっかり普通に口を利いてしまったことに気がついて、慌てて口をつぐむ。
幸いなことに、洗顔のあとすぐにマスクをつける癖が身についているため、目隠し男に顔を見られることだけは避けられた。
ボサボサのままの寝癖は避けられなかったけれど。
そういえば、彼が何時に来客するかまでは聞いていなかった。
しかし、父も父だ。
いくら大切なお客サマといえど、開店の二時間も前から店に上げるのは如何なものだろうか。
・・・・・・居心地が良くない。
エヘヘ、とでも言いそうな笑顔を貼り付けて、手を振る男から顔を背けてイサミは思う。
いつもなら適当な席に座って朝食を摂るところだが、見ず知らずの他人の目がある以上、ここで普段通り過ごすつもりはない。
イサミは無言で男に背を向けて、暖簾の奥にある自宅へ続く廊下へ踵を返そうとした。
「イサミ、大事な話がある。座りなさい」
黙ってランチの支度をしていた父親の声がイサミを引き止めた。
「・・・明日」
「今しかできない」
父に真剣な声色で座りなさい、と言われてしまえば、流石のイサミも従うしかなかった。
イサミは渋々、目隠し男からふたつ離れたカウンター席に腰掛ける。
「イサミ・・・。都立呪術高等専門学校ってところに、転入してみないか」
「・・・・・・怪しい宗教団体」
「わあ、すんごい言いがかり」
イサミの率直な感想を耳にして、目隠し男がくつくつと笑う。
なんでもない風を装ってみせてはいるが、いきなり告げられた父からの提案に、イサミは内心驚いていた。
現在、イサミは通信制の高校に籍を置いている。
店の手伝いをする傍ら、勉強だってそれなりに励んでいるし、赤点を取らない程度には学べているはずだ。
それがどうして、今頃になって転校を勧めるなんて考えに至ったのか。
これは、きっちり話し合いをする必要がありそうだ。
そう判断したイサミは、レジ脇に常備してあるメモ帳とボールペンを取るために席を立った。
その後姿に、男が朗らかに声をかける。
「ちなみに、僕の母校ね。職場もそこだよ」
いまので話を聞く気が完全に削げた。
なんてタイミングの悪い自己紹介だろう。
目的の文具を手にすると、イサミは男に目をやることなく、しれっとした表情で席に戻った。
あえてのシカトである。
不躾な対応だが、いまはなるべく存在を認識したくなかった。
イサミが年季の入ったボールペンで白い表面に刻み付けたのは、たったの三文字で、書き終えたそれをイサミはカウンターの向こうにいる父親に差し出した。
『なんで』
思いの外、乱雑な字になってしまったが、会話が成り立てば充分だ。
「・・・・・・お前の、その、頬にある模様のことを話した」
父から告げられた思いも寄らない言葉。
イサミは目を見開くと、弾かれたように、すぐそこで悠々と緑茶をすするそいつを睨みつけた。
男が手にしている湯飲みは居酒屋火花のもので、どうやら父親は、彼を追い返すような真似はしなかったらしい。
ちゃっかり寛ぎやがって、イサミは静かに苛立ちを募らせた。
そしてすかさず、新しいメモへ乱雑に文字を書きつけていく。
先ほどよりも乱れた文字から、イサミがいかに動揺しているかが見て取れた。
『勝手なことしないで。これは誰にも治せない』
「なあんだ。呪術に関して無知だと思ってたけど、少しは解ってるじゃないか」
「あっ!?」
イサミが父親に見せるために突き出したメモを、横から伸びてきた手が掻っ攫っていった。
「どれどれ」
はやく返せとボディーランゲージで伝えてくるイサミなどお構いなしに、男は文字の羅列をまじまじと眺めてから、立腹一歩手前の少女へ視線を移した。
カウンターに手をついたイサミは、マスクの向こうで物言いたげに口をもごもごさせるばかりで何も言ってこない。
もどかしそうにしながら、身振り手振りで返せと伝えてくるだけ。
昨日、今日と、一連のやり取りを観察してみて分かった。
イサミの声帯は正常だ、健康体そのものといっていい。
そう。彼女は何も ”言えない” わけじゃない。
そして ”何も言えない” ことを見越した上で、この男はここにいる。
傍では、メモの奪還を諦めて大人しく着席したイサミが、盛大に溜息を吐いている。
”返して” すら言えない少女の様子を間近に見て、男は、自身が担当するクラスにいる少年を思い返すと同時に、思ったより深刻そうだな、と内心呟くなどした。
数秒後、クッと喉を鳴らした男の口端が上がる。
何てことはない、ただの日常が、これからより面白く変化していく、そんな予感が彼の中にあった。
「そう。元よりソレは、治す云々の次元のモノじゃない」
「な――」
「口は閉じてろよ、危ないだろ」
んで、と続けそうになったイサミを、男がすぐさま諫めた。
何がどう危ないのか、その意味を身をもって体験したことがあるイサミは、張り詰めた空気の中、大人しく閉口するしかなかった。
「理解が早くて助かるよ」
イサミが黙って話を聞く体勢に入ったことを確認した目隠し男は、右手の人差し指と中指で先のメモ用紙を挟み、ヒラヒラと左右に揺らしながら、「話を続けようか」とイサミの目を見つめて言った。
「親から子、血から血へ。一家相伝によって、脈々と受け継がれていくものだからね。後からどうこうできるものじゃないのさ。あ、一家相伝っていうのは簡単に説明すると、その家が持つ特別な力を代々受け継いでいくことだよ」
もっとも、今回のケースは先祖返りによるものみたいだけれど、と男は付け加えた。
そして、更なる現実を少女に叩きつける。
「率直に言おう。君は死ぬまで、その力と一緒だ」
あっさりとした説明口調で並べ立てられた、逃れようのない現実。
それは一度で受け止めるにはショックが大きすぎるもので、イサミは糸の切れた操り人形のように、ストン、と力なくうなだれた。
もしかしたら。ひょっとしたら。
いつかきっと、この力を手放せる時が訪れるんじゃないかと、密かに期待していた時期があった。
それは現在だって同じだ。
けれどそれを、こうも真っ向から否定されてしまっては――。
左手で額と瞼を隠すように覆い、俯くイサミの唇は、かすかに震えていた。
事情が事情だ、希望を打ち砕かれたことへの文句さえ赦されない。
これが恨み言ともなれば、尚のこと。
開店前の居酒屋に沈黙が落ちる。
父親がイサミに何かを言いかけたが、いまは黙ってその様子を見守ることにした。
「そう悲観的になるなよ。何のために、僕がわざわざ君に会いに来たと思ってるの」
イサミは軽く鼻をすすって、男を睨みつけた。
ここまで追い込んだ張本人が何を言うか。
もしも好きに言葉が使えたなら、ボロクソに言ってやりたいところだ。
飲むに飲めず、カウンターの隅に追いやられたままのホットミルクは、とっくに冷めてしまっていた。
『なにしにきたの』
「んー?」
イサミが涙声の代わりに、震えた文字で男に問いかけた。
すると男は、イサミの手から優しくボールペンを取り上げると、そのすぐ下にある空白へ、自身も文章を書き足した。
『秋山イサミを助けに』
やや間を置いて、え、とイサミの口から間の抜けた声が漏れた。
「ま、そーゆーこと。意外かもしれないけど、僕、こういうのに詳しいんだよね。だから信頼してくれていいよ」
椅子ごと仰け反ってこちらへ話しかける姿は、あどけなさを感じさせられる。
けれどその反面、どこか異様で、同じ世界を見ているようで、見ていない。
時間換算すれば、出会って1時間そこそこの関係でしかないのに、イサミには何となく、この大人のことを、人とズレた存在のように思えた。
「そういえば、自己紹介がまだだったね。僕は五条悟、呪術高専1年担任。つまることろ、君のセンセイってやつだ」
てなわけで、これからヨロシク、と目隠し男もとい、五条悟は笑顔で締めくくった。
昨晩、イサミが眠りについたのは、時計の針が真夜中の1時を過ぎた頃だったと記憶している。
そして目覚めたのが午前9時過ぎ。
いつも朝が早い父親はランチタイムの準備に取り掛かっていて、昼と夜の後片付けを主な手伝いとするイサミは、この時間帯はゆっくりしていいことになっている。
だから、彼女が忙しくなるのはもう少しあとのことになる予定だ。
そう、予定だった、ほんの数分前までは。
冒頭でも記載したばかりだが、あえて再三、同じことを言わせて貰いたい。
ものすごく面倒くさいことになった。
「や、今日はいい天気だね」
「・・・・・・なんでいるんですか」
その男はイサミを見つけるなり、当たり前のように挨拶をかましてきた。
例の不審者が、昨夜と同じカウンター席に腰掛けているという想定外の事態を前に、イサミは温めたばかりのホットミルクが入ったマグカップを片手に固まった。
そして驚きのあまり、うっかり普通に口を利いてしまったことに気がついて、慌てて口をつぐむ。
幸いなことに、洗顔のあとすぐにマスクをつける癖が身についているため、目隠し男に顔を見られることだけは避けられた。
ボサボサのままの寝癖は避けられなかったけれど。
そういえば、彼が何時に来客するかまでは聞いていなかった。
しかし、父も父だ。
いくら大切なお客サマといえど、開店の二時間も前から店に上げるのは如何なものだろうか。
・・・・・・居心地が良くない。
エヘヘ、とでも言いそうな笑顔を貼り付けて、手を振る男から顔を背けてイサミは思う。
いつもなら適当な席に座って朝食を摂るところだが、見ず知らずの他人の目がある以上、ここで普段通り過ごすつもりはない。
イサミは無言で男に背を向けて、暖簾の奥にある自宅へ続く廊下へ踵を返そうとした。
「イサミ、大事な話がある。座りなさい」
黙ってランチの支度をしていた父親の声がイサミを引き止めた。
「・・・明日」
「今しかできない」
父に真剣な声色で座りなさい、と言われてしまえば、流石のイサミも従うしかなかった。
イサミは渋々、目隠し男からふたつ離れたカウンター席に腰掛ける。
「イサミ・・・。都立呪術高等専門学校ってところに、転入してみないか」
「・・・・・・怪しい宗教団体」
「わあ、すんごい言いがかり」
イサミの率直な感想を耳にして、目隠し男がくつくつと笑う。
なんでもない風を装ってみせてはいるが、いきなり告げられた父からの提案に、イサミは内心驚いていた。
現在、イサミは通信制の高校に籍を置いている。
店の手伝いをする傍ら、勉強だってそれなりに励んでいるし、赤点を取らない程度には学べているはずだ。
それがどうして、今頃になって転校を勧めるなんて考えに至ったのか。
これは、きっちり話し合いをする必要がありそうだ。
そう判断したイサミは、レジ脇に常備してあるメモ帳とボールペンを取るために席を立った。
その後姿に、男が朗らかに声をかける。
「ちなみに、僕の母校ね。職場もそこだよ」
いまので話を聞く気が完全に削げた。
なんてタイミングの悪い自己紹介だろう。
目的の文具を手にすると、イサミは男に目をやることなく、しれっとした表情で席に戻った。
あえてのシカトである。
不躾な対応だが、いまはなるべく存在を認識したくなかった。
イサミが年季の入ったボールペンで白い表面に刻み付けたのは、たったの三文字で、書き終えたそれをイサミはカウンターの向こうにいる父親に差し出した。
『なんで』
思いの外、乱雑な字になってしまったが、会話が成り立てば充分だ。
「・・・・・・お前の、その、頬にある模様のことを話した」
父から告げられた思いも寄らない言葉。
イサミは目を見開くと、弾かれたように、すぐそこで悠々と緑茶をすするそいつを睨みつけた。
男が手にしている湯飲みは居酒屋火花のもので、どうやら父親は、彼を追い返すような真似はしなかったらしい。
ちゃっかり寛ぎやがって、イサミは静かに苛立ちを募らせた。
そしてすかさず、新しいメモへ乱雑に文字を書きつけていく。
先ほどよりも乱れた文字から、イサミがいかに動揺しているかが見て取れた。
『勝手なことしないで。これは誰にも治せない』
「なあんだ。呪術に関して無知だと思ってたけど、少しは解ってるじゃないか」
「あっ!?」
イサミが父親に見せるために突き出したメモを、横から伸びてきた手が掻っ攫っていった。
「どれどれ」
はやく返せとボディーランゲージで伝えてくるイサミなどお構いなしに、男は文字の羅列をまじまじと眺めてから、立腹一歩手前の少女へ視線を移した。
カウンターに手をついたイサミは、マスクの向こうで物言いたげに口をもごもごさせるばかりで何も言ってこない。
もどかしそうにしながら、身振り手振りで返せと伝えてくるだけ。
昨日、今日と、一連のやり取りを観察してみて分かった。
イサミの声帯は正常だ、健康体そのものといっていい。
そう。彼女は何も ”言えない” わけじゃない。
そして ”何も言えない” ことを見越した上で、この男はここにいる。
傍では、メモの奪還を諦めて大人しく着席したイサミが、盛大に溜息を吐いている。
”返して” すら言えない少女の様子を間近に見て、男は、自身が担当するクラスにいる少年を思い返すと同時に、思ったより深刻そうだな、と内心呟くなどした。
数秒後、クッと喉を鳴らした男の口端が上がる。
何てことはない、ただの日常が、これからより面白く変化していく、そんな予感が彼の中にあった。
「そう。元よりソレは、治す云々の次元のモノじゃない」
「な――」
「口は閉じてろよ、危ないだろ」
んで、と続けそうになったイサミを、男がすぐさま諫めた。
何がどう危ないのか、その意味を身をもって体験したことがあるイサミは、張り詰めた空気の中、大人しく閉口するしかなかった。
「理解が早くて助かるよ」
イサミが黙って話を聞く体勢に入ったことを確認した目隠し男は、右手の人差し指と中指で先のメモ用紙を挟み、ヒラヒラと左右に揺らしながら、「話を続けようか」とイサミの目を見つめて言った。
「親から子、血から血へ。一家相伝によって、脈々と受け継がれていくものだからね。後からどうこうできるものじゃないのさ。あ、一家相伝っていうのは簡単に説明すると、その家が持つ特別な力を代々受け継いでいくことだよ」
もっとも、今回のケースは先祖返りによるものみたいだけれど、と男は付け加えた。
そして、更なる現実を少女に叩きつける。
「率直に言おう。君は死ぬまで、その力と一緒だ」
あっさりとした説明口調で並べ立てられた、逃れようのない現実。
それは一度で受け止めるにはショックが大きすぎるもので、イサミは糸の切れた操り人形のように、ストン、と力なくうなだれた。
もしかしたら。ひょっとしたら。
いつかきっと、この力を手放せる時が訪れるんじゃないかと、密かに期待していた時期があった。
それは現在だって同じだ。
けれどそれを、こうも真っ向から否定されてしまっては――。
左手で額と瞼を隠すように覆い、俯くイサミの唇は、かすかに震えていた。
事情が事情だ、希望を打ち砕かれたことへの文句さえ赦されない。
これが恨み言ともなれば、尚のこと。
開店前の居酒屋に沈黙が落ちる。
父親がイサミに何かを言いかけたが、いまは黙ってその様子を見守ることにした。
「そう悲観的になるなよ。何のために、僕がわざわざ君に会いに来たと思ってるの」
イサミは軽く鼻をすすって、男を睨みつけた。
ここまで追い込んだ張本人が何を言うか。
もしも好きに言葉が使えたなら、ボロクソに言ってやりたいところだ。
飲むに飲めず、カウンターの隅に追いやられたままのホットミルクは、とっくに冷めてしまっていた。
『なにしにきたの』
「んー?」
イサミが涙声の代わりに、震えた文字で男に問いかけた。
すると男は、イサミの手から優しくボールペンを取り上げると、そのすぐ下にある空白へ、自身も文章を書き足した。
『秋山イサミを助けに』
やや間を置いて、え、とイサミの口から間の抜けた声が漏れた。
「ま、そーゆーこと。意外かもしれないけど、僕、こういうのに詳しいんだよね。だから信頼してくれていいよ」
椅子ごと仰け反ってこちらへ話しかける姿は、あどけなさを感じさせられる。
けれどその反面、どこか異様で、同じ世界を見ているようで、見ていない。
時間換算すれば、出会って1時間そこそこの関係でしかないのに、イサミには何となく、この大人のことを、人とズレた存在のように思えた。
「そういえば、自己紹介がまだだったね。僕は五条悟、呪術高専1年担任。つまることろ、君のセンセイってやつだ」
てなわけで、これからヨロシク、と目隠し男もとい、五条悟は笑顔で締めくくった。