844年
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ふと、消毒液独特の匂いがアリシアの鼻腔をついた。
それをきっかけに、水底から水面に体が浮上するように、落ちていた意識が少しずつ鮮明になっていく。
・・・・・・身体が、ひどくだるい。
気怠げな、くぐもった声がアリシアの喉から漏れる。
まるで、水で塗れた衣服を身にまとっているみたいに手足が重く、瞼を上げるのも億劫なほどの疲弊感がアリシアの全身を支配していた。
喉は渇ききっていて、唇も乾燥してかさついている。
お世辞にも健康体とは呼べない状態に、アリシアはいっそう眉をしかめた。
――それにしても、ここはどこだろう。
アリシアは瞼を閉じたまま思案する。
アリシアには、どういう経緯でこうなったのかを上手く思い出せないでいた。
どうしてか、ある時を境に、現在に至るまでの記憶がぶっつりと途絶えている。
あの日、アリシアは日が暮れてからいつものように街へ出た。
そして、誰かと会っていたような気がする。
ただ、そこから先の記憶がひどく曖昧だった。
・・・・・・思い出せない。
目覚めたばかりで、脳みそがまだぼんやりしている状態だからだろうか。
もしかしたら、もう少し意識がはっきりすれば思い出せるかもしれない。
なら、今優先してやるべきことは現状の把握だ。
まずは四肢の確認をと、アリシアは指先に力を込めて軽く握ってみた。
どうやら手は無事なようだ、両足もちゃんと付いている。
でもなにか違和感が――・・・。
「はあっ、はあ・・・っ、なにこれ・・・」
先までの倦怠感など頭から吹き飛んだアリシアは、慌てて身を起こした。
かけられていたカンファターか投げ捨てられ、するりと床までずり落ちていく。
「手錠・・・?」
当たり前だが、搾り出したアリシアの声はかさついていた。
長らく陽に当たらない生活を送っていたおかげで、すっかり病弱のような白さになってしまった彼女の手首には、鈍い光を放つ鉄製の枷が、がっちりと噛み付いていた。
加えて、手錠から垂れる鎖の先端はベッドの足元付近に固定されており、そのせいで腕を膝の辺りまでしか伸ばすことができないでいる。
動揺か、それとも怒りからか。
感情をぶつける先がないアリシアの手は震えていた。
「いっ」
不意に、額がズキリと痛み、アリシアは目を細める。
指先で額に触れてみると、そこには丁寧に巻かれた包帯の感触があった。
どうやら誰かが手当てをしてくれたらしい。
ここで履き違えてはいけないのが、これがただの親切心ではないという点だ。
傷が悪化して死なれては不都合、だから生かした、それだけの話だ。
「ようやっとお目覚めか」
「・・・だれ!?」
寝かされていたベッドのすぐ脇で声がして、アリシアはすぐさま距離を置こうと身を捩った。
しかし、四肢が枷に繋がれているせいでそれが叶わない。
鎖が布地やベッドの柱に擦れる音がしただけで、アリシアの身体はベッドの上にそのまま留まったままだ。
「・・・誰だと?」
アリシアから視線を逸らさないその人物は、フキゲンの四文字を顔に貼り付けたような表情をしていた。
椅子に腰をかけて足を組み、アリシアのことをこれでもかと睨みつけてくる男の眉間の皺が、みるみる内に深くなる。
「それは俺のことじゃないだろうな・・・」
そして吐き出された言葉は先程より、随分とドスが効いていた。
小柄な見た目にそぐわない威圧感を放つその男は、汚れひとつない白のシャツと黒いズボンを身に付けており、見るからに綺麗好きそうな様相をしている。
そしてひどく疲れているのか、下まぶたに沿うようにして、べっとりと濃い隈を貼りつけていた。
「てめぇ、ふざけてんのか」
鋭い双眼と視線がかち合って、アリシアは口元が引きつりそうになるのを堪える。
ある事情から、これでも様々な人間を見てきた・・・・・・そのつもりだった。
そんな彼女ですら、ここまで凶悪な目つきをした人間とは未だにお目にかかったことがない。
そして直感する、この男を敵に回すべきではないと。
チッ、と男はひとつ舌打ちをして、
「おい、暢気に眠りこけてたやつが目を覚ましたと、奴に伝えろ」
「了解!」
二人の間に完全に沈黙が落ちるより一足早く、男は部屋の外で待機していたらしい誰かに指示を飛ばした。
その間もアリシアから視線を外すことはしなかった。
つまり彼は、アリシアのことを警戒すべき対象と認識した上で、下手な動きがないよう監視を兼ねて、この場に居座り続けていたということになる。
扉の向こうで兵士の足音が足早にが遠ざかっていく。
この空間にいるのはアリシアと、目つきの悪い男が一人だけとなった。
互いの呼気を認識できるほどの静寂。
「なにが、目的なんです・・・」
次に沈黙を破りにかかったのは、アリシアの方からだった。
「わたしを捕まえて、どうしようと」
「どうもこうもねぇ。俺達には、やらなきゃならんことが山ほどあるんでな・・・・・・お前にも直に分かる。そうだな、まずは・・・」
男がかけていた木製の古びた椅子が、ギシリ、と乾いた音を立てた。
アリシアを見下ろす形で立ち上がった男は、その小柄な身体の割にはがっしりとした手の平で乱雑にアリシアの頬をわし掴むと、自身と目が合うよう強引に上を向かせる。
ただでさえ体力が戻りきっていないというのに、男の突然の行動に対応が追いつかないアリシアは、強制的にとらされた体勢に息苦しさを覚え、小さく呻いた。
しかしアリシアのそんな様子を気にも留めないのが、この男だ。
「俺達と楽しくお喋りといこうじゃねぇか」
「はなせ・・・!」
「わざわざ手当てしてやった上に、身奇麗にしてやったんだ。感謝しろとは言わん」
男は至極冷静に話を続ける。
「・・・だからというわけではないが、せめてこの程度の言うことくらいは、聞いて貰わなきゃな」
「この――」
野郎、と、アリシアが口元にある男の手の甲へ噛み付こうとした瞬間のことだ。
「さもないと、お前の骨を何本か折ることになる」
耳を疑うような言葉が頭上から降ってきて、アリシアは青ざめた。
これは冗談であると、そんなことは微塵も思わせない口ぶりだ。
やると言ったなら本当にやる、それほどの気迫がこの男にはあった。
「なに、ちゃんとくっつくようにはしてやるから安心しろ。まあ・・・暫くは、便所に困るだろうがな。それでも良いってんなら、好きなだけ暴れるといい」
「・・・・・・」
そう男が言い切るよりも前に、いまにも噛み付こうと開いていたアリシアの口は弱々しく閉じられた。
強張っていた全身からも力が抜け、アリシアから抵抗の意思が失せたことを男は確認すると、彼もまた手を引っ込めた。
口を真一文字に結び、沈黙するアリシアを再度見下ろす。
「そうだ。そうやって大人しくしてりゃ、悪いようにはしねぇ。・・・少なくとも、今はな」
「ご苦労、あとは私達で対応する。君は持ち場へ戻ってくれ」
「ハッ!」
不意に、扉の向こうで誰かが話している声が耳に届いて、アリシアはうっそりと顔を上げた。
低い、男性の声だ。
次いで、先ほどから誰も出入りしていなかった扉が静かに開き、一人分の足音が部屋に踏み込んでくる気配がした。
扉がある方向を見ても、隣のベッドから視界を遮るための仕切りが設置してあるため、姿を確認することはできない。
靴底が板張りの床を叩く小気味のよい音と、人の重みでギシリ、キシリと軋む音が規則正しく鳴らされては、空気に溶けていく。
そういえば先程、男に頼まれて人を呼びに行った者がいたことをアリシアは思い出した。
なら、この足音の主がきっと”そう”なのだろう。
一歩、一歩とこちらへと近づいてくる気配に、徐々に緊張感が高まる。
アリシアの頬をじっとりとした汗が伝い、流れていく。
そして遂に、仕切りの向こう側で人影が透けて見えた。
「待たせたか、リヴァイ」
「いいや・・・ちょうどいい頃合だ、エルヴィン」
「エルヴィン・・・?」
仕切りを避けて姿を現した金髪の男を、力のこもらない瞳が捉える。
だがあるものに目を留めた途端、アリシアはその一点を凝視し、震える唇で呟いた。
「調査兵団・・・」と。
アリシアの視線の先に在るもの。
それは、彼らが調査兵団のシンボルである自由の翼だった。
血の気の引いた顔というのは、きっとこういう表情のことを指すのだろう。
小男、否、リヴァイはアリシアの表情を見て思う。
この女が調査兵団のことを快く思っていないのは明白だ。
弱り切っているおかげで今のところは大人しくしているが、体力が戻れば、また手を焼かされる可能性は否定できない。
それまでに懐柔できれば、ベストといったところだろうか。
リヴァイは静かに、自身の上司へと視線を移す。
・・・だからこそ、そこをどうするかを考えるために、こいつがいるんだがな。
そう、総てはエルヴィン・スミス、一個人の手腕に懸かっているといっていいだろう。
このままお手並み拝見といきたいところだが、その前に、リヴァイには伝えるべきことがあった。
「まず最初に、残念なお知らせだ」
リヴァイは膝に腕を乗せたまま人差し指を立てると、静かに口を開いた。
「俺がこいつの頭を地べたに思い切り叩きつけてやったせいか・・・どうやら、一昨日の記憶が全部ブッ飛んじまったらしい。悪いな」
「恐らく一過性のものだろう、支障はないさ。外傷も気にするほどじゃない」
「・・・なら良かった。次に良い報せだ」
つい、と指が二本に増える。
「二晩休んだからか、一昨日よりかは多少、話が通じるはずだ」
そうか、とエルヴィンは小さく頷いて応えた。
「結局、二日も見張りを任せてしまったな。悪いことをした」
「ああ、まったくだ。途中、俺は死人の見張りでもさせられているのかと疑ったぐらいだぜ」
「だがそのおかげで、こうして彼女と話をすることができる」
エルヴィンはベッドの傍に置かれていた椅子に腰かけ、鎖に繋がれたままのアリシアに向き合うと、口元に微かな曲線を描いた。
「私はエルヴィン・スミス。調査兵団の実行部隊で分隊長をしている。アリシア・フェリシスタス。ある条件を以って、君の身柄は今後、我々調査兵団が受け持つことになった」
「身柄・・・って、どういう――」
「時間が惜しい。率直に言おう」
相手が調査兵団だと知り明らかに動揺しているアリシアに、追い打ちをかけるようにエルヴィンは言葉を続ける。
「君には人類のために心臓を捧げて貰う」
これは決定事項だ。
そう、エルヴィンは冷ややかに言い放った。
それをきっかけに、水底から水面に体が浮上するように、落ちていた意識が少しずつ鮮明になっていく。
・・・・・・身体が、ひどくだるい。
気怠げな、くぐもった声がアリシアの喉から漏れる。
まるで、水で塗れた衣服を身にまとっているみたいに手足が重く、瞼を上げるのも億劫なほどの疲弊感がアリシアの全身を支配していた。
喉は渇ききっていて、唇も乾燥してかさついている。
お世辞にも健康体とは呼べない状態に、アリシアはいっそう眉をしかめた。
――それにしても、ここはどこだろう。
アリシアは瞼を閉じたまま思案する。
アリシアには、どういう経緯でこうなったのかを上手く思い出せないでいた。
どうしてか、ある時を境に、現在に至るまでの記憶がぶっつりと途絶えている。
あの日、アリシアは日が暮れてからいつものように街へ出た。
そして、誰かと会っていたような気がする。
ただ、そこから先の記憶がひどく曖昧だった。
・・・・・・思い出せない。
目覚めたばかりで、脳みそがまだぼんやりしている状態だからだろうか。
もしかしたら、もう少し意識がはっきりすれば思い出せるかもしれない。
なら、今優先してやるべきことは現状の把握だ。
まずは四肢の確認をと、アリシアは指先に力を込めて軽く握ってみた。
どうやら手は無事なようだ、両足もちゃんと付いている。
でもなにか違和感が――・・・。
「はあっ、はあ・・・っ、なにこれ・・・」
先までの倦怠感など頭から吹き飛んだアリシアは、慌てて身を起こした。
かけられていたカンファターか投げ捨てられ、するりと床までずり落ちていく。
「手錠・・・?」
当たり前だが、搾り出したアリシアの声はかさついていた。
長らく陽に当たらない生活を送っていたおかげで、すっかり病弱のような白さになってしまった彼女の手首には、鈍い光を放つ鉄製の枷が、がっちりと噛み付いていた。
加えて、手錠から垂れる鎖の先端はベッドの足元付近に固定されており、そのせいで腕を膝の辺りまでしか伸ばすことができないでいる。
動揺か、それとも怒りからか。
感情をぶつける先がないアリシアの手は震えていた。
「いっ」
不意に、額がズキリと痛み、アリシアは目を細める。
指先で額に触れてみると、そこには丁寧に巻かれた包帯の感触があった。
どうやら誰かが手当てをしてくれたらしい。
ここで履き違えてはいけないのが、これがただの親切心ではないという点だ。
傷が悪化して死なれては不都合、だから生かした、それだけの話だ。
「ようやっとお目覚めか」
「・・・だれ!?」
寝かされていたベッドのすぐ脇で声がして、アリシアはすぐさま距離を置こうと身を捩った。
しかし、四肢が枷に繋がれているせいでそれが叶わない。
鎖が布地やベッドの柱に擦れる音がしただけで、アリシアの身体はベッドの上にそのまま留まったままだ。
「・・・誰だと?」
アリシアから視線を逸らさないその人物は、フキゲンの四文字を顔に貼り付けたような表情をしていた。
椅子に腰をかけて足を組み、アリシアのことをこれでもかと睨みつけてくる男の眉間の皺が、みるみる内に深くなる。
「それは俺のことじゃないだろうな・・・」
そして吐き出された言葉は先程より、随分とドスが効いていた。
小柄な見た目にそぐわない威圧感を放つその男は、汚れひとつない白のシャツと黒いズボンを身に付けており、見るからに綺麗好きそうな様相をしている。
そしてひどく疲れているのか、下まぶたに沿うようにして、べっとりと濃い隈を貼りつけていた。
「てめぇ、ふざけてんのか」
鋭い双眼と視線がかち合って、アリシアは口元が引きつりそうになるのを堪える。
ある事情から、これでも様々な人間を見てきた・・・・・・そのつもりだった。
そんな彼女ですら、ここまで凶悪な目つきをした人間とは未だにお目にかかったことがない。
そして直感する、この男を敵に回すべきではないと。
チッ、と男はひとつ舌打ちをして、
「おい、暢気に眠りこけてたやつが目を覚ましたと、奴に伝えろ」
「了解!」
二人の間に完全に沈黙が落ちるより一足早く、男は部屋の外で待機していたらしい誰かに指示を飛ばした。
その間もアリシアから視線を外すことはしなかった。
つまり彼は、アリシアのことを警戒すべき対象と認識した上で、下手な動きがないよう監視を兼ねて、この場に居座り続けていたということになる。
扉の向こうで兵士の足音が足早にが遠ざかっていく。
この空間にいるのはアリシアと、目つきの悪い男が一人だけとなった。
互いの呼気を認識できるほどの静寂。
「なにが、目的なんです・・・」
次に沈黙を破りにかかったのは、アリシアの方からだった。
「わたしを捕まえて、どうしようと」
「どうもこうもねぇ。俺達には、やらなきゃならんことが山ほどあるんでな・・・・・・お前にも直に分かる。そうだな、まずは・・・」
男がかけていた木製の古びた椅子が、ギシリ、と乾いた音を立てた。
アリシアを見下ろす形で立ち上がった男は、その小柄な身体の割にはがっしりとした手の平で乱雑にアリシアの頬をわし掴むと、自身と目が合うよう強引に上を向かせる。
ただでさえ体力が戻りきっていないというのに、男の突然の行動に対応が追いつかないアリシアは、強制的にとらされた体勢に息苦しさを覚え、小さく呻いた。
しかしアリシアのそんな様子を気にも留めないのが、この男だ。
「俺達と楽しくお喋りといこうじゃねぇか」
「はなせ・・・!」
「わざわざ手当てしてやった上に、身奇麗にしてやったんだ。感謝しろとは言わん」
男は至極冷静に話を続ける。
「・・・だからというわけではないが、せめてこの程度の言うことくらいは、聞いて貰わなきゃな」
「この――」
野郎、と、アリシアが口元にある男の手の甲へ噛み付こうとした瞬間のことだ。
「さもないと、お前の骨を何本か折ることになる」
耳を疑うような言葉が頭上から降ってきて、アリシアは青ざめた。
これは冗談であると、そんなことは微塵も思わせない口ぶりだ。
やると言ったなら本当にやる、それほどの気迫がこの男にはあった。
「なに、ちゃんとくっつくようにはしてやるから安心しろ。まあ・・・暫くは、便所に困るだろうがな。それでも良いってんなら、好きなだけ暴れるといい」
「・・・・・・」
そう男が言い切るよりも前に、いまにも噛み付こうと開いていたアリシアの口は弱々しく閉じられた。
強張っていた全身からも力が抜け、アリシアから抵抗の意思が失せたことを男は確認すると、彼もまた手を引っ込めた。
口を真一文字に結び、沈黙するアリシアを再度見下ろす。
「そうだ。そうやって大人しくしてりゃ、悪いようにはしねぇ。・・・少なくとも、今はな」
「ご苦労、あとは私達で対応する。君は持ち場へ戻ってくれ」
「ハッ!」
不意に、扉の向こうで誰かが話している声が耳に届いて、アリシアはうっそりと顔を上げた。
低い、男性の声だ。
次いで、先ほどから誰も出入りしていなかった扉が静かに開き、一人分の足音が部屋に踏み込んでくる気配がした。
扉がある方向を見ても、隣のベッドから視界を遮るための仕切りが設置してあるため、姿を確認することはできない。
靴底が板張りの床を叩く小気味のよい音と、人の重みでギシリ、キシリと軋む音が規則正しく鳴らされては、空気に溶けていく。
そういえば先程、男に頼まれて人を呼びに行った者がいたことをアリシアは思い出した。
なら、この足音の主がきっと”そう”なのだろう。
一歩、一歩とこちらへと近づいてくる気配に、徐々に緊張感が高まる。
アリシアの頬をじっとりとした汗が伝い、流れていく。
そして遂に、仕切りの向こう側で人影が透けて見えた。
「待たせたか、リヴァイ」
「いいや・・・ちょうどいい頃合だ、エルヴィン」
「エルヴィン・・・?」
仕切りを避けて姿を現した金髪の男を、力のこもらない瞳が捉える。
だがあるものに目を留めた途端、アリシアはその一点を凝視し、震える唇で呟いた。
「調査兵団・・・」と。
アリシアの視線の先に在るもの。
それは、彼らが調査兵団のシンボルである自由の翼だった。
血の気の引いた顔というのは、きっとこういう表情のことを指すのだろう。
小男、否、リヴァイはアリシアの表情を見て思う。
この女が調査兵団のことを快く思っていないのは明白だ。
弱り切っているおかげで今のところは大人しくしているが、体力が戻れば、また手を焼かされる可能性は否定できない。
それまでに懐柔できれば、ベストといったところだろうか。
リヴァイは静かに、自身の上司へと視線を移す。
・・・だからこそ、そこをどうするかを考えるために、こいつがいるんだがな。
そう、総てはエルヴィン・スミス、一個人の手腕に懸かっているといっていいだろう。
このままお手並み拝見といきたいところだが、その前に、リヴァイには伝えるべきことがあった。
「まず最初に、残念なお知らせだ」
リヴァイは膝に腕を乗せたまま人差し指を立てると、静かに口を開いた。
「俺がこいつの頭を地べたに思い切り叩きつけてやったせいか・・・どうやら、一昨日の記憶が全部ブッ飛んじまったらしい。悪いな」
「恐らく一過性のものだろう、支障はないさ。外傷も気にするほどじゃない」
「・・・なら良かった。次に良い報せだ」
つい、と指が二本に増える。
「二晩休んだからか、一昨日よりかは多少、話が通じるはずだ」
そうか、とエルヴィンは小さく頷いて応えた。
「結局、二日も見張りを任せてしまったな。悪いことをした」
「ああ、まったくだ。途中、俺は死人の見張りでもさせられているのかと疑ったぐらいだぜ」
「だがそのおかげで、こうして彼女と話をすることができる」
エルヴィンはベッドの傍に置かれていた椅子に腰かけ、鎖に繋がれたままのアリシアに向き合うと、口元に微かな曲線を描いた。
「私はエルヴィン・スミス。調査兵団の実行部隊で分隊長をしている。アリシア・フェリシスタス。ある条件を以って、君の身柄は今後、我々調査兵団が受け持つことになった」
「身柄・・・って、どういう――」
「時間が惜しい。率直に言おう」
相手が調査兵団だと知り明らかに動揺しているアリシアに、追い打ちをかけるようにエルヴィンは言葉を続ける。
「君には人類のために心臓を捧げて貰う」
これは決定事項だ。
そう、エルヴィンは冷ややかに言い放った。