雑記という名の独り言
実年齢が幾つになれど幼い日に得た楽しみを現役で楽しみ続けられるのは幸福な事……だよな?(^ω^;)←
2024/10/29 23:58日常系雑談話題:ロックマンエグゼ
アニメ版『ロックマンエグゼ』シリーズを見ていると度々思う事なんだけども、AXESSの第26話『青き炎の記憶』とか、同じくAXESSの第49話『さらば ブルース』とか、その辺りみたいにリアルタイム視聴時という名の子供の頃だとイマイチ意味が分からないのに「大人になった頃に見直すと何となく意味が察せる様になってくる系のサブタイトル」ってなんだか良いよなー……という事をボンヤリと考える、そんな22時半ば頃。
というのもまぁ、何と言うか、前述の2つは子供の頃には本当に意味が分からない、というか「青き炎、って何の事だ? 画面には赤い炎しか出てないぞ?(´・ω・`)」とか「さらばじゃなくておかえりじゃないのか? だって、ブルースは無事帰ってきたんだぞ?」とばかり思っていたサブタイだったんだよな。
けど、近年になって(自分の精神安定の為に)それ等も含めたアニメ版エグゼの全体を繰り返し観直し続けていたら、その際にふと「もしかして、青き炎の記憶というのは作中描写通りの赤い炎の映像に対して『ネガ反転を掛けたら見える景色』であり、要はその時の記憶の持ち主であるアネッタが当時の事に対して『ネガティブな認識を持っている』事を示したタイトルなんじゃないか?」とか「もしかして、さらばブルースのさらばという『別離・決別を示唆する言葉』の部分はAXESS第49話を『敵側(ネビュラ)の視点から観た場合』の感覚で付けられたタイトルなんじゃないだろうか? 敵側からどうにかこうにか帰ってくる事の出来たブルースに対して正義側(熱斗達)が掛ける言葉としては違和感塗れである別れの言葉も、正義側にに奪還されていくブルースに対して敵側が内心で向けた心境であると仮定するならば違和感は無いと思う事が出来るだろうしな」とか、そんな事に思い至る事があったんだよ。
なのでまぁ、その辺のを考えていると先にも述べた通りの「子供の頃にはイマイチ分からなくても後々見直してみると分かる様になる(場合もある)サブタイトルって中々良いよなww」という楽しい気持ちが湧いてくるし、それと同時に「こういうサブタイトルを付ける事が出来る制作陣(脚本家? 監督?)って凄いよなー!!」みたいな尊敬方向の気持ちが湧いきたりするし……という感じで何だかワクワクした気分になれるから良いんだよなww
あとそうだ、アニメ版エグゼシリーズのサブタイでそういう「考えると分かる面白味」みたいなものが強いものと言えば、Stream第47話の『なんでおまえがここにいる』も結構な猛者サブタイだと俺は思うぞ。
というのも、あのサブタイは序盤のタイトルコールの部分でチャーリーがいつの間にか我が家に来ていたテスラに発した言葉としての意味以外にも、話の中盤~後半の辺りでダークロックマンがゆりこの連絡で来ていたCFロックマン(熱斗&ロックマン)に発した驚愕のとしての意味や、その戦闘中に唐突に現れたDr.リーガルに対してゆり子(+熱斗)が発した驚愕としての意味も込められた「トリプルミーニングなサブタイトル」だったんじゃないかと俺は考えているんだよな!!ww
っていうか、何ならあのサブタイトルにはDr.リーガルの所為でゆり子が一時戦闘不能になった直後辺りでチャーリーに連れられて現れたテスラ(CFマグネットマン)に対する熱斗の内心の驚きとか、はたまた更にその後になってまたいつの間にか我が家に戻ってきたテスラが連れてきたガウスに対してのチャーリーの驚きの気持ちとかもまぁまぁ込められている可能性があると思うので、トリプルミーニングどころかクインティプルミーニングである可能性も割とあるんじゃないかと俺は思うんだよなぁ……本当、色々な人間同士での「何でお前が此処に居る!?」が繰り返されまくっていた回だったんだと思うぞ、エグゼStream第47話は。
……ちなみにコレはサブタイに関する話とは関係の無い余談なんだけども……このStream第47話でCFロックマンがダークロックマン&コスモマン&リーガルが残した兵士っぽい何かと戦っている所へ「チャーリーの運転するヘリに乗って到着するテスラが口遊んでいた曲がワーグナーの『ワルキューレの騎行』であった」という事に関してはアレなんですかね……制作陣の中にアニメ版『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の影響が強い人達が居て、一種のリスペクトやオマージュでやった事なのかもしれない……と、思っても良いんですかね……?(´ω`;) なんて事を少々考える事があるんだよなぁ、とは、書き残しておきたい気分の今日この頃よ。
それと最後に、これは俺が気付いた事ではない部分なんだが……無印(第1期)第43話『僕を野球に連れてって!』の元ネタはおそらく「私をスキーに連れてって」であり、Stream第10話『ラプソディ イン ピンク』の元ネタはおそらく「ラプソディ・イン・ブルー」だろう、という指摘(?)を近年になって両親からされた俺が通ります、という話もついでなので置いておきますね[壁]A・)
ちなみに、前者に関しての指摘は母親から、後者に関しての指摘は父親からされました。
あと、AXESS第24話『灼熱マグマの戦い』の序盤にバブルマンがノリノリで歌っているのは過去にあった深夜番組「11PM」のテーマ曲だ、という事も両親から指摘されましたねぇ、とかそういう……アニメ版エグゼには「リアルタイム世代、の『親世代』の側じゃないと分からない小ネタ」も意外と多いんだな!!ww(゜∀゜;)
……あ、ちなみに、俺の両親はザックリ言うと父親が俗に言う『団塊世代』の辺りで、母親は……バブルの暫く手前(?)位、って言ったらいいんだろうか? まぁ少なくとも団塊よりは後で就職氷河期よりは上の方の時期に位置する世代です、という余談な。
尚、俺自身はどうしようもなく『ゆとり世代』なんだけど、自分以外のゆとり世代の人間達がいつの間にか「自分達よりも下の世代(現在だとZ世代の辺りの筈)を『嘲る側』に回れる程度に『良くも悪くも真っ当な大人』と言える人間」になっているらしい事に驚いている駄目人間である事はどうかご了承ください、とか、そういう……(´-A-`;)←
つーか、ゆとり世代だって自分が10代や20代だった20~10年前頃には今のZ世代がゆとりを含む上の世代から「これだからZ世代は~」と言われるのと同じ様に自分より上の世代(氷河期やバブル)から「これだからゆとり世代は~」と言われていて、その事に大概憤っていた時期があった筈なのに、気が付けば自分がそれと同じ形でZ世代をこき下ろしているんだ……ってのはなんだか『人間の業』を感じる話だし、ある種の『負の連鎖』の体現みたいな現象でもあるよなぁ……とは、ちょっと思う今日この頃よ……(´・ω・`)
……でもまぁ、そうやって下の世代をこき下ろす側に回る為には「相手(下の世代)をこき下ろしてもそれがおかしい事や『自分を棚に上げた事』だと思われずに済ませられる程度に『上の世代としての有能さ』が必要」なんだよなぁ……という事を思うと、人並みのゆとり世代なら嘲る事が出来る筈のZ世代を嘲る気持ちになり切れないゆとり世代である自分は如何に「同世代どころか下の世代にさえ勝てない『無能』である」のだろうか? とか、そういう意味ではちょっとだけ凹みますね、という気分の今日この頃よ……いやまぁ、俺が無能なのは飽く迄も『個人の問題』であって世代云々はあんまり関係無い話だとは思うんだけどさ(´-皿-`;)←
つーかそもそもの話、ゆとりが上の世代に嘲られる側の世代から下の世代を嘲る側の世代に変わっていたのって『いつの頃の事』だったんですかね? 俺はその辺の移り変わりを全然知らなかった訳なんで教えてくださいよ、ねぇ、いつの事だったんです? 一体いつの事だったんですかぁー?(´゜Д゜`)(※尚、実際に教えていただく必要はありませんので、其処はどうぞ御安心ください)
というのもまぁ、何と言うか、前述の2つは子供の頃には本当に意味が分からない、というか「青き炎、って何の事だ? 画面には赤い炎しか出てないぞ?(´・ω・`)」とか「さらばじゃなくておかえりじゃないのか? だって、ブルースは無事帰ってきたんだぞ?」とばかり思っていたサブタイだったんだよな。
けど、近年になって(自分の精神安定の為に)それ等も含めたアニメ版エグゼの全体を繰り返し観直し続けていたら、その際にふと「もしかして、青き炎の記憶というのは作中描写通りの赤い炎の映像に対して『ネガ反転を掛けたら見える景色』であり、要はその時の記憶の持ち主であるアネッタが当時の事に対して『ネガティブな認識を持っている』事を示したタイトルなんじゃないか?」とか「もしかして、さらばブルースのさらばという『別離・決別を示唆する言葉』の部分はAXESS第49話を『敵側(ネビュラ)の視点から観た場合』の感覚で付けられたタイトルなんじゃないだろうか? 敵側からどうにかこうにか帰ってくる事の出来たブルースに対して正義側(熱斗達)が掛ける言葉としては違和感塗れである別れの言葉も、正義側にに奪還されていくブルースに対して敵側が内心で向けた心境であると仮定するならば違和感は無いと思う事が出来るだろうしな」とか、そんな事に思い至る事があったんだよ。
なのでまぁ、その辺のを考えていると先にも述べた通りの「子供の頃にはイマイチ分からなくても後々見直してみると分かる様になる(場合もある)サブタイトルって中々良いよなww」という楽しい気持ちが湧いてくるし、それと同時に「こういうサブタイトルを付ける事が出来る制作陣(脚本家? 監督?)って凄いよなー!!」みたいな尊敬方向の気持ちが湧いきたりするし……という感じで何だかワクワクした気分になれるから良いんだよなww
あとそうだ、アニメ版エグゼシリーズのサブタイでそういう「考えると分かる面白味」みたいなものが強いものと言えば、Stream第47話の『なんでおまえがここにいる』も結構な猛者サブタイだと俺は思うぞ。
というのも、あのサブタイは序盤のタイトルコールの部分でチャーリーがいつの間にか我が家に来ていたテスラに発した言葉としての意味以外にも、話の中盤~後半の辺りでダークロックマンがゆりこの連絡で来ていたCFロックマン(熱斗&ロックマン)に発した驚愕のとしての意味や、その戦闘中に唐突に現れたDr.リーガルに対してゆり子(+熱斗)が発した驚愕としての意味も込められた「トリプルミーニングなサブタイトル」だったんじゃないかと俺は考えているんだよな!!ww
っていうか、何ならあのサブタイトルにはDr.リーガルの所為でゆり子が一時戦闘不能になった直後辺りでチャーリーに連れられて現れたテスラ(CFマグネットマン)に対する熱斗の内心の驚きとか、はたまた更にその後になってまたいつの間にか我が家に戻ってきたテスラが連れてきたガウスに対してのチャーリーの驚きの気持ちとかもまぁまぁ込められている可能性があると思うので、トリプルミーニングどころかクインティプルミーニングである可能性も割とあるんじゃないかと俺は思うんだよなぁ……本当、色々な人間同士での「何でお前が此処に居る!?」が繰り返されまくっていた回だったんだと思うぞ、エグゼStream第47話は。
……ちなみにコレはサブタイに関する話とは関係の無い余談なんだけども……このStream第47話でCFロックマンがダークロックマン&コスモマン&リーガルが残した兵士っぽい何かと戦っている所へ「チャーリーの運転するヘリに乗って到着するテスラが口遊んでいた曲がワーグナーの『ワルキューレの騎行』であった」という事に関してはアレなんですかね……制作陣の中にアニメ版『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の影響が強い人達が居て、一種のリスペクトやオマージュでやった事なのかもしれない……と、思っても良いんですかね……?(´ω`;) なんて事を少々考える事があるんだよなぁ、とは、書き残しておきたい気分の今日この頃よ。
それと最後に、これは俺が気付いた事ではない部分なんだが……無印(第1期)第43話『僕を野球に連れてって!』の元ネタはおそらく「私をスキーに連れてって」であり、Stream第10話『ラプソディ イン ピンク』の元ネタはおそらく「ラプソディ・イン・ブルー」だろう、という指摘(?)を近年になって両親からされた俺が通ります、という話もついでなので置いておきますね[壁]A・)
ちなみに、前者に関しての指摘は母親から、後者に関しての指摘は父親からされました。
あと、AXESS第24話『灼熱マグマの戦い』の序盤にバブルマンがノリノリで歌っているのは過去にあった深夜番組「11PM」のテーマ曲だ、という事も両親から指摘されましたねぇ、とかそういう……アニメ版エグゼには「リアルタイム世代、の『親世代』の側じゃないと分からない小ネタ」も意外と多いんだな!!ww(゜∀゜;)
……あ、ちなみに、俺の両親はザックリ言うと父親が俗に言う『団塊世代』の辺りで、母親は……バブルの暫く手前(?)位、って言ったらいいんだろうか? まぁ少なくとも団塊よりは後で就職氷河期よりは上の方の時期に位置する世代です、という余談な。
尚、俺自身はどうしようもなく『ゆとり世代』なんだけど、自分以外のゆとり世代の人間達がいつの間にか「自分達よりも下の世代(現在だとZ世代の辺りの筈)を『嘲る側』に回れる程度に『良くも悪くも真っ当な大人』と言える人間」になっているらしい事に驚いている駄目人間である事はどうかご了承ください、とか、そういう……(´-A-`;)←
つーか、ゆとり世代だって自分が10代や20代だった20~10年前頃には今のZ世代がゆとりを含む上の世代から「これだからZ世代は~」と言われるのと同じ様に自分より上の世代(氷河期やバブル)から「これだからゆとり世代は~」と言われていて、その事に大概憤っていた時期があった筈なのに、気が付けば自分がそれと同じ形でZ世代をこき下ろしているんだ……ってのはなんだか『人間の業』を感じる話だし、ある種の『負の連鎖』の体現みたいな現象でもあるよなぁ……とは、ちょっと思う今日この頃よ……(´・ω・`)
……でもまぁ、そうやって下の世代をこき下ろす側に回る為には「相手(下の世代)をこき下ろしてもそれがおかしい事や『自分を棚に上げた事』だと思われずに済ませられる程度に『上の世代としての有能さ』が必要」なんだよなぁ……という事を思うと、人並みのゆとり世代なら嘲る事が出来る筈のZ世代を嘲る気持ちになり切れないゆとり世代である自分は如何に「同世代どころか下の世代にさえ勝てない『無能』である」のだろうか? とか、そういう意味ではちょっとだけ凹みますね、という気分の今日この頃よ……いやまぁ、俺が無能なのは飽く迄も『個人の問題』であって世代云々はあんまり関係無い話だとは思うんだけどさ(´-皿-`;)←
つーかそもそもの話、ゆとりが上の世代に嘲られる側の世代から下の世代を嘲る側の世代に変わっていたのって『いつの頃の事』だったんですかね? 俺はその辺の移り変わりを全然知らなかった訳なんで教えてくださいよ、ねぇ、いつの事だったんです? 一体いつの事だったんですかぁー?(´゜Д゜`)(※尚、実際に教えていただく必要はありませんので、其処はどうぞ御安心ください)