監禁少年の愛憎と狂気
【監禁少年の愛憎と狂気】
どこぞの豪邸のような内装の廊下は何故か、大きく高いビルの中に存在していた。
明るくない壁の色と薄暗い明りは、この廊下の先があまり良い場所には繋がっていない事を訪問者に伝えようとしているように感じることができる。
その廊下はとあるエレベーターで特別な操作をした者だけがだけ辿り着くことができる場所で、そのエレベーターを降りてしばし直線に進むと大きな扉が見えてくる。
その扉は幾つもの電子ロックと一般的な鍵が大量に取り付けてあり、見るからに人の立ち入りを拒んでいた。
その廊下で今、IPC社長の伊集院 秀石と世界の英雄である少年の光 熱斗が正面から対峙している。
大きな扉に背を向けて笑顔で立つ熱斗に、秀石は言った。
「……そろそろ、息子の監禁を解いてもらおうか。」
熱斗は答えた。
「ダメ。」
熱斗のその口元の吊りあがり方は秀石を明らかに嘲笑っていて、数々の悪を打ち倒した少年とは思えない禍々しさを放ち、笑顔を作るため僅かに細めた目も、今ならDr.ワイリーやDr.リーガルですら怯ませることが可能なのではないかと思われる程の狂気に満ちている。
息子の話では、とても純粋で、純白で、明るくて、軽やかな少年だと聴いていたのだが、これのどこがそれに当てはまると言うのだろう? と、秀石は自分の息子の人を見る目の精度を疑い、不快感に眉をひそめた。
背後の扉を秀石から守るように彼の前方へ立つ熱斗は、秀石以外の誰から見ても純白などという言葉が似合う雰囲気は欠片も持ち合わせているとは到底言えず、それどころか、今この瞬間に秀石へ向けている視線は殺意すら含んでいる。
その証拠に、熱斗の半ズボンの右側のポケットには人が殺せる程度の大きさの刃を持った折り畳みナイフが入れられていて、熱斗はそれが何時でも取り出せるように右手をポケットの中へ入れていた。
その、ポケットの中に手を入れておく、という行為が秀石の息子であり、IPCの副社長であり、熱斗の恋人である少年、伊集院 炎山の癖と非常に近いのは偶然か、それとも必然か。
おそらく、当然という言葉が一番合うのだろう。
「私からの“お願い”に応じる気はない、と?」
こちらを嘲笑った熱斗の返答は秀石にとって非常に不愉快だったが、秀石は極力冷静に確認を取った。
秀石が熱斗の態度を非常に不愉快に感じることができるのは、秀石が熱斗より遥かに上の立場の人物であり、そうである自負があるからなのだが、熱斗はそんなもの知った事かとばかりに秀石を嘲笑した雰囲気を崩さない。
いや、もしかしたら熱斗自身は昔と同じように綺麗に笑っているつもりなのかもしれないが、此処に至るまでの長い苦悩は熱斗から純粋で柔らかい笑顔を奪っていた。
「うん。いくら秀石さんでもさぁ、そのお願いは聞けないなぁ。」
冷静な中に怒りを隠した秀石へ、熱斗は挑発でもするかのように楽しげな声を返した。
いや、本音と建前の感情が違うのは秀石だけではなく熱斗も同じで、秀石を完全に見下していて楽しそうな顔と態度の内側、その心の奥に、秀石への憎悪と殺意を煮えたぎらせている。
秀石にとってそれは更なる不快を呼ぶだけで、本当ならば熱斗のような小学生の一人ぐらい、自分の手で退かすことや、金で他人を雇い退かすこと、更にはIPC社の権力で科学省に圧力をかけて熱斗の父親である光 祐一朗を引き摺りだし退かさせることも容易いというのに、という苛立ちがふつふつと少しずつ湧き上がってきた。
しかしそれでも秀石は冷静な態度を崩さずに話を続ける。
「そうか、なら強制的な命令にするしかないだろう。監禁罪として君を訴える。」
「できると思うの?」
完全なる余裕、と言う訳では無かっただろう。
しかし秀石の訴えるという発言すら熱斗は軽く嘲笑って見せた。
嘲笑と言ってももはや目は笑ってはおらず、底知れぬ憎悪と狂気的な殺意を秀石に向けていて、口元が吊りあがっていることを確認してようやく嘲“笑”と言えるようなものだ。
眉間に不快感のシワを薄く刻みつつも冷静な態度を繕い続けている秀石へ、熱斗は反論を続ける。
「先に俺を監禁したのは誰だか忘れちゃった? 秀石さんさ、痴呆症には早いと思うんだけど? あ、今は認知症だっけ?」
それは暗に、自分が炎山を監禁する前に、炎山が自分を監禁してきたのだ、と告げていた。
熱斗が切りだした秀石へ不利な事実と明らかな挑発に、秀石の眉間のシワが深くなる。
「たかが十一、十二の子供の証言とIPC社長、並びに副社長の証言、どちらに信憑性を感じやすいかは想像にたやすいと思うが?」
それでもまだ秀石は表面的には冷静であった。
ただ、自分より下の立場だと認識してきた少年が思った以上に大きな態度で自分へ刃向かい続けることへの苛立ちと、もしかしたらこの少年なら法廷で自分や炎山に勝つこともできてしまうのではないかという僅かな不安、いや、恐怖により、その声は最初より低く重いものになっていた。
と言っても秀石が自覚できているのは苛立ちだけで、恐怖は無意識、または“気のせい”と同じぐらい僅かに感じるだけだ。
ともかく、秀石の言い分に一理あることは否定できないだろう。
証言は子供であれば子供であるほど信憑性を疑われやすくなり、大人であり社会的地位が確立されている程信憑性があると思われやすい、その図式がこの世にある事を否定はできない。
それでも、熱斗も秀石を嘲笑うような態度を崩すことはなかった。
「えー? でもさぁ、それなら俺だってニホンを代表する科学者の息子だぜ?」
熱斗自身には大した地位は確立されて無いとは言え、バックの強さで言うならこちらも負けてはいない。
伊集院 炎山が伊集院 秀石の権力を振りかざすなら、光 熱斗は光 祐一朗の権力を振りかざし返せばいいだけでもある。
自分の手段をそのまま返してやると宣言された事に秀石の眉間のシワがまた少し深くなり、熱斗が楽しげにクスクスと笑りながら追い打ちをかけに出る。
「まぁ、プリズングルーピーは炎山の方が多いかもしれないけどさ。でもそれだって、炎山に惚れこむ女性ファンがどれだけ馬鹿かを証明するだけだよな。」
それは炎山の女性ファンの多さを逆手に取った反論であった。
いや、反論と言うよりは、相手のプライドをズタズタに切り裂きたいだけと言った方が正しいかもしれないが。
先ほどの社会的地位の話と同じで、熱斗は炎山ほど一般人にファンをもってはいない。
だからこれがもし報道が動く程の大事になった時に一般人から援護の意見が多く出るのは炎山の方だろうと思っている、が、それが炎山の優位にそのまま繋がるとは思っていない。
もっと冷静で一般的な、たとえば“炎山も熱斗も同じように悪い”と考える一般人から、その熱狂的ファンが白い目で見られる可能性が十分にある事を熱斗は知っている。
だから熱斗としては、自分は一般人からあまりにも強い同情や行き過ぎた援護は買いたくないとすら考えていたりする。
何故なら、例え自分への援護であってもあまりにも盲目的それは、冷静な一般人への自分の印象を余計に悪くするだけであるのだから。
この発言はもはや炎山と秀石だけでなく、IPCユーザーの一部すら馬鹿にした発言であっただろう。
しかしその点に関しては意外にも秀石に大した反論は無いらしく、
「そんなもの、マスコミを操作すればいくらでも隠せる。」
相変わらず冷静にそう返しただけだった。
いや、むしろ“そんなもの”と言っている辺り、秀石自身もプリズングルーピーとなり果てかねない人間の存在を若干疎ましく思っているようだ。
しかし熱斗はそこへ同調することは無く、今度はマスコミを操作することへ、揚げ足取りにも似た反論を投げかける。
「操作できればいいよな。でも、こういうネタってマスコミが一番食いつくお話だろ? IPC側が黙秘しても、科学省側がそうとは限らないんじゃないかなぁー。」
非常に嫌味ったらしい伸ばし方の語尾が、熱斗が抱える秀石への反抗心を物語っていた。
熱斗は秀石が引き下がらない限り自分から引き下がる気など欠片も持っておらず、泥沼に近いそれは小さな戦争にすら似ている。
熱斗としては、秀石からの宣戦布告に同じ形の宣戦布告を返しているだけなのだ。
ただ、この返しには一つ難点がある。
「それでは君の罪も隠すことは出来ないと思うが。」
いくら炎山が先に熱斗を監禁していた事実を持っているとしても、IPCがそれを黙認していた事実があるとしても、事実を全て公表するとするなら科学省は自身の側の罪――熱斗が炎山に対して抱える監禁罪すら全て公表する必要があるだろう。
そうでなければ科学省もIPCもやっていることが根本的には同じになってしまう。
これが、今まで押されていた秀石の初の揚げ足取りで、僅かながらに秀石の顔に余裕が生まれ、眉間のシワが薄くなる。
しかし、
「いいよ、別に。」
熱斗はうろたえることも言葉を詰まらせることも無く、その想定を肯定した。
さすがの秀石もこの一言には驚きを隠せず、僅かに目を見開いて熱斗を観察する。
二人だけの世界への扉を護るように堂々と立つ熱斗の表情は黒い自信に満ちていて、狂気にも似た、いや、もはや完全に狂気に堕ちた余裕の笑みを浮かべている。
「俺はね、無罪になりたい訳じゃないからさ。ただ炎山と一緒に居て、俺が炎山をどれだけ愛してるか解って欲しいだけ。だってさ、炎山は俺を愛してて、だから閉じ込めたんだろ? だから、俺も炎山に同じ事をしただけ。俺は炎山を愛してるから。」
目には目を、歯には歯を返すように愛には愛を返した、それを何か美しいものに酔いしれるように恍惚としたような微笑みで語る熱斗に秀石は悪寒がした。
目の前の少年は、連続殺人犯ですら抱く“自分は無罪だ”という主張に何の意味も感じていない、いや、自分が抱える社会的罪にすら何も感じていない、だからこそ自分の行動を社会に有罪と見なされるか無罪と見なされるかにこだわることが無くなっている、それは秀石には一種の精神異常にすら見えた。
おそらく、他の人間から見ても、大抵の人間は会社の立場や有罪無罪を気にできるだけ秀石はまだ十分にまともだと考えるだろう。
ただ、数々の悪を打ち倒した正義感の強い熱斗の精神をそこまで追い詰めたのは、秀石と血のつながった炎山であるのだけど。
「だからね、秀石さん、俺から炎山への愛が罪だってなる時は、炎山から俺への愛も一緒に罪になる、俺はそれで十分なんだ。牢屋でも、絞首台でも、あの世でも、その中の地獄でも、炎山と一緒ならどんな罪だって罰だって構わない。それが、俺にも炎山にも共通する責任だろ?」
つまり、熱斗にとって重要なのは自分の罪の有無そのものではなく、自分と炎山が同じであることだった。
自分が無罪で炎山が有罪であることすら勿論、自分が有罪で炎山が無罪であるなど以ての外、自分が無罪なら炎山も無罪、自分が有罪なら炎山も有罪、それが熱斗の望みなのだ。
そして今熱斗が言っているのは、秀石がその権力で自分を有罪にするというのなら、自分も何を使ってでも炎山を有罪にする、ということだった。
逆に言えば、秀石がこのまま今の事態を見過ごすなら、自分も炎山に監禁された事実を社会的な罪にはしない、とも言っているのだが。
ともかく悪寒のするような歪な愛情、それに伴う執着に動揺を隠せない秀石に、熱斗は言葉を付け足す。
「……あぁ、秀石さんはこなくていいよ、そんなことされたら俺、殺人罪まで増えそうだしさ。」
炎山への重すぎて気が狂うような想いを語る姿に動揺して忘れかけていたが、秀石はこの廊下で話し始めた頃からずっと、熱斗から完全なる殺意を向けられている。
いつの間にか炎山への愛を語っていた時の恍惚とした表情は消え失せ、その目は理想の世界ではなく現実の世界とそこに居る秀石に向けられて、殺意による狂気を最大に放出させていた。
炎山への想いと違い、秀石へ向ける感情には愛も同情も無く、ただ、圧倒的な怒りだけがそこにあり、憎悪と殺意として秀石に向けられる視線から伝わっていた。
もはや口だけ笑わせることすらせずに、熱斗は怨嗟を剥き出しにした語りを始める。
「あぁ、ねぇ、俺がこんなことをする前に、俺と炎山の立場が逆になるずっと前に、炎山を注意するのは秀石さんだったはずだと思うんだけど、この罪は誰が裁いてくれるんだろうなぁ。俺は何にも悪いことなんてしてないのに、刑務所の方がマシなほど閉塞された場所に閉じ込められて、パパやママ、友達にも会えなくて、でも炎山は平然とIPCとネットセイバーの仕事を続けてるなんて、おかしいよな。だって、炎山は自分が働いてる間に俺がメイルちゃんとかデカオとかと遊んでるのが嫌で、寂しくて、それで俺を閉じ込めたんだから、ずっと俺の傍にいなきゃおかしいだろ? 炎山が働いてて会えない時間があるなんて、俺も同じことだったのに……炎山は仕事に行って、他の人と会議をしたり、広い場所で自由に動いて、俺は独りでただその帰りを待つ。もしそれが主婦みたいな形ならまだ良かったけど、何の権利もないそれはまるで犬だったんだ。恋人っていうより、奴隷になり下がることを強要されたんだ。誰かに助けを求めないようにって、ロックマンだってPETごと取り上げられて、何も無い部屋で、独り、何もできずに。……なぁ秀石さん、秀石さんの子供がさ、何したか分かってんの?」
それは半分ほど炎山に向けた怨みでもあったが、炎山を止めることができたかもしれないのに止めず、それなのに立場が逆になった途端熱斗を責め始めた秀石に向けた怨嗟であることも事実だった。
ただ、炎山に向けた分はそれでも残る愛情と合わさって歪な愛となることで殺意には至らずに済んでいるが、そもそも愛情とは何の関係もない秀石に向けた感情に、優しさなど無い。
何故炎山を止めてくれなかった、何故それなのにこちらが同じ事をすると社会的な罪にしようとする、やっていることは同じだ、そう、これは、
「これはさ、俺から炎山への愛で、報いなんだ。俺がこうして炎山を監禁して、やっとプラスマイナスゼロになることなんだ。だから喜んでよ、俺が炎山を監禁したことをさ。だって、そうしなかったら秀石さんが俺を訴えることなんてできないし、俺は純粋な被害者として炎山を訴えることだってできたんだ。」
だから邪魔をするな、という言葉が音の外に含まれている気がした。
熱斗の表情が再び嘲笑へと変わり始める。
いや、此処まで来てしまうとそれは明確に誰かを嘲る嘲笑ではなく、自分の歪んだ思想に狂った狂笑かもしれない。
何を驚いた訳でもないのに見開いたその目を見て、秀石が右手を強く握りしめたのは緊張か、怒りか、それとも恐怖か。
握りしめた右手が僅かに震えるのをこらえながら、秀石がようやく口を開く。
「もし、君が純粋な被害者だったとしても、IPCと共存関係にあるとも言える科学省に居る君の父が、そう、できるかな?」
「したと思うよ、だって俺のパパは今の秀石さんみたいに腐った政治家みたいな利益主義じゃないからさ。まぁ、優しいところもあるから、IPCが潰れる程のことはしないと思うけど。それにもしパパが秀石さんと同じだったら、その時は、心中とか、良いよなぁ。そんな腐った世界、俺にも炎山にも要らないから。それに、死にいたる愛ってなんだか素敵だろ? お互い以外は何も要らないって感じでさ。」
秀石の僅かに震えた声に、熱斗は今にも笑いださんばかりに楽しげな声を返した。
その声は簡単に表現するなら“明るい声”だっただろう、しかし、今の熱斗の声を単に“明るい”と表現することはいささか無理がある。
正義のヒーローには似合わない、明らかに他人を見下した優越感に満ち、なおかつその優越感すら超えるその先の幻想だけを信じて、それを実現することに邪魔になる人物には容赦をしない、そして邪魔になる現実なら要らない、という思想が明らかに感じ取れる、軽やかでいて無慈悲、それでもなお無邪気で夢にあふれた少年の声……それが、今の熱斗の“明るく楽しげな声”だ。
自分の半分も生きていないだろう熱斗の抱える狂気に怯んで秀石はしばらく声が出なかったが、しばしの沈黙を挟んでからようやく言葉を紡ぐが、
「……死と愛が同等に繋がるなど、今の君はまるでシリアルキラー見習いだな。なるほど、炎山が雇った世話係に怪我を負わせる訳だ。」
結局、秀石にはもはや熱斗への反論などロクに見つからなかった。
だから、仕方なしにひねり出した言葉はもはや炎山の罪を肯定しつつ、その中の事実を掘りだしたものでしか無かった。
炎山と熱斗の立場が逆転する少し前、熱斗がわざと割った食器の破片を使い、炎山が自分が世話を出来ない時の為に雇っていた人間にそれなりの怪我を負わせていたことと、今までの会話を総合的に評価した結論。
多分、炎山に監禁される前の熱斗ならその台詞に非常な反感を覚えていた、いや、そもそもそんなことを言われる筋合い自体が無い、連続殺人犯見習いという言葉にすら熱斗は楽しそうに笑って、
「そうなるようにしたのは炎山で、それを扶助したのは秀石さんだけどね。」
原因は炎山と秀石だと主張しつつも、さらりと受け止めてしまう。
陶器やガラスの食器の破片という自分の手すら傷つけるかもしれない物すら凶器にするほど、いや、そもそも凶器を持とうとすること、そしてそれで人間を傷つけること、それができてしまうほどあの時点で熱斗は酷く追い詰められていた。
だから、そこから更に進んだ地点に到達してしまった今の熱斗にとって、そんな言葉は大した罵倒にならない。
シリアルキラー見習い? だったらなんなのだろう。
別にあの時の相手は死んでいないし、そうなる程に自分を追い詰めたのは炎山と秀石だ、だから、これは彼等が望んだと言っても過言ではない状況、だから自分は悪いどころか素晴らしく炎山に従順ではないか!
秀石からの罵倒すら誇りだとでも言いたげな自信に満ちた熱斗へ、秀石が僅かな絶望と希望を同時に含んだ声で問う。
「……君のパートナーは、どう思っているのかね?」
「だってさ、ロックマン。なぁ、どう思う?」
少しわざとらしくロックマンに話を振りながら、熱斗は内心で秀石を嘲笑った。
ロックマンの賛成も無く、こんな事が実現するものか、と。
もしもロックマンが自分の意見に対して反対派ならばとっくに祐一朗に連絡が行っていて、炎山の時とは違い親が止めに入る、そう、秀石は果たさなかった親の義務を、自分の父親ならきちんと果たすだろう。
それが果されていないことが何を指しているか、秀石は理解していないのだ。
それを表情だけで笑う熱斗の肩の上に、ロックマンが無言で現れた。
視線を床に向けて現れたロックマンに、秀石は嫌な予感を持つ。
しばしの沈黙の後、ロックマンがゆっくりと顔を上げ始め、そして、
「……僕は、貴方を許しません、秀石さん。」
ロックマンの表情はただ怒りに満ちていた。
熱斗のような狂気には達していない、だが、オペレーター――熱斗の自由を奪われたこと、そして熱斗が歳にも育った環境にも似合わない狂気を抱えてしまった原因が炎山と秀石であることだけで、ロックマンが秀石に怒りを向ける理由には十分過ぎている。
そう、ロックマンは熱斗の行動に非常に協力的だった。
そして、熱斗以上に秀石を憎んでいる。
どう言葉を返すべきか悩む秀石に構わず、ロックマンは先ほどの熱斗の様に深く暗く、そして全てを焼き尽くすような怨嗟を吐きだした。
「熱斗くんは本当に純粋に炎山のことを愛していたのに……だから、学校に居る時だってよく炎山のことを気に掛けてて、メイルちゃんとかやいとちゃんにもよく惚気禁止って言われるぐらいで、それなのに……浮気なんて全く無かった、何時だって熱斗くんの一番は炎山だった、それなのにあの仕打ちだ。」
当然と言えば当然だが、やはりロックマンの言葉にも炎山への怨みが込められていた。
暗い水の中から静かに気配をひそめて殺害の瞬間を狙うような重暗い視線に、秀石は“壊れたのは光 熱斗だけではない”事を悟り、熱斗は親愛なる共犯者へ感謝にも似た肯定の視線を浅く向け、微笑する。
熱斗と違い炎山を愛していないロックマンの重々しい語りはこの時点でも既に確実な殺意が十分に香っているのだが、ロックマンの怒りはそこまでで止まることはない。
「でも、それだけならまだ、僕は炎山が憎いだけだった。展開次第じゃそれだってもっと薄く済んだかもしれない、でも! 秀石さんは熱斗くんを助けなかった! 炎山を止めなかった!」
重い怨み、確実な殺意、そして理不尽な外の世界――ここでは秀石への怒りが、ロックマンの感情を突き上げ、その声を荒く昂らせた。
それらの思いはあまりにも急に昂った声のせいで多少衝動的にも見える気もした、が、決して短期的な物ではなく、長く、重く、延々と続く深さのあるものの集大成であり、その奥には行き場を失くした悲しみが沈んでいる事は先ほどの重々しい語りが既に証明している。
熱斗と無理矢理引き離されたこと、長い孤独の中で熱斗の心が壊れていったこと、そして自分はそんな熱斗を助けることを許されなかったことへの悲しみは、徐々にその原因達への怒りとなり、憎しみとなり、怨みとなり、殺意へと姿を変えていた。
それは、ロックマンがもしもクロスフュージョン以外で現実世界に現れる術を持っていたなら、熱斗が右ポケットからナイフを取り出すよりも早く、右手に装備したバスターの銃弾で秀石を撃ち殺していただろう、と感じる程の迫力で、熱斗の狂気を目の当たりにした時とは別の緊張が秀石の背筋を駆けた。
慟哭にも似た怨嗟と殺意の叫びはまだ続く。
「どうして!? 息子が間違った道に入ったら咎めるのが親でしょう!? それなのにどうしてそうしなかったんだ!! それで炎山が仕返しを受けたら熱斗くんを訴える? もう喧嘩両成敗ですらないじゃないか!! 法が許しても、社会が許しても、世界の誰が許しても、僕は貴方を許さない!! 熱斗くんは悪くない、炎山にされた事をそのまま返しただけだ!! 貴方に罰することは出来ない!! もし出来る人がいたとして、それは熱斗くんのパパだけだ!! 先に加害者になった貴方にだけは絶対に権利はない!!」
一応、ロックマンは完全に正気を失っている訳ではないようで、炎山の父親である秀石に熱斗を罰する資格はないが、熱斗の父親である祐一朗にはまだその資格があることは解っていた。
しかしそれでもあえてそれを選ばないのは、やはり悪を持って悪を制す事を認められる程度にはロックマンの精神も壊れてしまった証拠か。
それを最初から確信していたような熱斗の勝ち誇った――いや、絶対にお前にだけは屈しはしないとう宣言にも似た表情が秀石の不快感、そして僅かな恐怖を刺激する。
彼らはもう、手段を選ばない。
「……それが法さえも敵に回すことをことを君は知らないのかね。」
「その言葉、そっくりそのままお返ししますよ。」
その証拠に、しばし悩んだ末の秀石の返答にも、ロックマンは動揺しなかった。
まともな反論が少なくなってきた秀石を見て、熱斗がクスクスと小さく嗤う。
この瞬間、もしどれだけの権力や財力を行使して彼らを有罪にしたとしても、周囲からの評価をガタ落ちさせたとしても、万が一死刑までこぎつけたとしても、彼らの精神を折って本当の意味で屈服させることや懺悔させることは出来はしないだろう、と秀石は悟った。
その絶望感が無意識のうちに表情に漏れていたのか、それを察したように熱斗が口を開く。
「なぁ秀石さん、この会話ってさぁ、意味、あると思う? それとさ、俺が言いたいこと、理解出来てるかなぁ?」
何のつもりだ、と言いたげに目を見開きつつ眉間にシワを寄せる秀石の姿がなんだか滑稽に見えて、熱斗はそれを馬鹿にしたような笑顔を見せた。
相変わらず変に明るい声が秀石の神経を逆撫でしているが、それすらも熱斗には想定の範囲内だったかもしれない。
大人が子供に何かを諭そうとするように、または上の立場の人間が下の立場の人間を懐柔する様な、嫌な猫撫で声で熱斗は話を続ける。
「この話は、秀石さんが俺を法廷とかで有罪にしたがってる事を前提に話が進んでて、だからここから先へ進めない。つまりさ……秀石さんがそれをやめれば、俺だって炎山がしたことは黙ってる、って言ってるんだけど、どう?」
秀石の表情が、意思が、揺れた。
僅かだが眉が動いた、不快感ではなく、驚きや戸惑い、そして僅かな躊躇いの方向で。
かかった、と思った熱斗は秀石の返答を待たず、たたみかけるように続ける。
「秀石さんは炎山の監禁を解いて、炎山が俺を監禁したことは黙ってて欲しいんだよな? じゃあさ、お互いに妥協するのはどう? たとえば、俺が炎山をここから出さない期間は炎山が俺をここから出さなかった期間と同じにする、とか。」
元々俺はそのつもりも結構あったし、と熱斗は内心で付け加えた。
あの拘束が、監禁が、外界との遮断が、炎山から自分への愛情の果てであることを熱斗は良く知っている、炎山は自分の中にあった寂しさと不安をそういう形で自分に伝えてきたのだと知っている。
だからこそ自分もそうした、だって、自分が炎山の寂しさを知ることはあるのに炎山は自分の寂しさを、心臓が止まりそうな苦しみを知ってくれないなんて不公平ではないか。
炎山が仕事を理由に部屋を離れる時に襲い来る孤独の恐怖、独りにしないでという哀願も虚しく部屋を離れられた後の長い時間で頭の中を巡る単調で貴重な幸せの記憶、例え独りでも何かに没頭出来たなら楽だったかもしれないのにそんな娯楽は一つもない部屋の中で更に記憶と孤独は巡り、長い時間の後にドアが開いた時、もしかして炎山かもと期待してそこを見ればただの世話係が来ただけだった時の落胆、そこから更に何時間も炎山の帰りを待つ間に巡る記憶と悔しさ、あまりにも遅すぎて帰って来ないのかと感じ始めると心臓が止まりそうなほどに不安が身体を締め付けて、全てが嫌になりかけた時に唐突に戻るつかの間の残酷で甘い幸せ、あぁ、大切な貴方がいる、帰ってきてくれた、嬉しい、でも、その時間は短くて、酷い時は帰ってきてくれなくて、冷たい部屋で独り眠りに落ちて、親友――ロックマンの声のしない部屋でふと目覚める孤独な朝、愛してるなら、どうして独りになんてするんだ。
監禁自体は許したっていい、同じ部屋で延々と愛を注いでくれるなら、俺だけを見てくれるのなら。
寂しさを伝える術がそれしかなかったことも許してあげる、俺はそんな不器用な炎山も好きだから。
でも、許せないのは、炎山の寂しさが伝わりきった後も孤独を与えられ続けたこと、そして、炎山は俺のその孤独が炎山の寂しさの何十倍にも値することを知らないで、外の世界を自由に感じていること。
酷く不公平だ、だから、炎山も味わえばいい、身体ごと締め付けるこの孤独を、心臓が動悸を通り越して止まりそうな程の不安を、世界から切り取られる感覚を、奴隷のような拘束と不自由の屈辱を、あと少しで出口に手が届きそうな時に限って愛情に絡め取られて絆されて崩されるジレンマを、愛と並行して育つ憎悪を、そして、俺からの愛情を、全て。
だから、
「別にさ、俺は仕返しは何倍でとか、そんなことは考えてないんだ。ただ、炎山が俺を置いた環境と、そこで俺が感じたことを同じように感じてくれたならそれでいいって思ってる。だから、俺が監禁された二ヶ月間、それだけでいいよ。その後は解放するし、ブルースも返す。ロックマンを返してもらったようにさ。」
期限を指定されたことで、秀石の意思は更に揺れてくる。
元々秀石は熱斗が“周囲の実力行使があるまで”監禁を解かない事を危惧し、法に訴える手段を取ろうかと思っていた。
しかし、炎山の方も既に熱斗に対しそういった事実があるために若干躊躇する破目になってしまい、法廷ではなくこんな廊下で立ち話をするほか無くなっていたのだ。
だが、それが相手の方から期間を指定し、譲渡してきたことで、“なるべく穏便に済ませたい”と思っていた部分が“その提案に乗るべきではないか?”と感じ始めてきたのだ。
二ヶ月、と言うことは既に監禁されている期間を入れれば残り一ヶ月と約半分。
副社長の不在が会社にとって痛い事には変わりないが、この期限通りに事が運べば穏便にこの件を済ませることができるし、もし熱斗がその期限を放棄するなら今度こそ法に訴えればいいだけ――。
……そんなふうに秀石の意思が揺れる事をある程度想定した上での提案だったことを知るのはおそらく、提案者である熱斗と、そのナビで共犯者のロックマンだけだろう。
そんな想定にも気付かないなど、秀石もアレはあれで焦っているらしい、と熱斗は内心でほくそ笑む。
「だからまぁ、今からだと一ヶ月と半分ってとこかな。そうしたら炎山に自由を返してあげる。会社だって、学校だって行っていいし、ネットセイバーに復帰しても構わない。俺以外の誰と話しても良いよ。俺のことを愛してくれてる炎山なら、きっとその間に俺の想いに気付いてくれるから。あ、でも炎山にそれを先に知らせるのはナシだぜ? 俺は終わりが解らない中に居たんだから、炎山もそう感じてくれないと意味無いし。」
そうしてくれるなら敵意は見せないし、それ以上の害は与えない。
その意味を込めて熱斗はナイフの入った右ポケットから何も持たずに手を抜き、愛敬よく笑って見せた。
愛敬よく、と言っても、今更普通にほほえましいと思える純粋な可愛らしさが熱斗から秀石に向けられている訳はないのだが、それでも熱斗なりに妥協の意思は表明したつもりである。
まぁ、そもそも笑わない秀石にそんなものを向ける必要はないかもしれないが、それでも無表情よりは炎山に壊される前の自分の様に見えていいんじゃないだろうか、と思うと殺意の対象でもある秀石に向けて笑う事に苦痛は無かった。
そしてそんな笑顔と譲渡を向けられた秀石はしばし眉間にシワを寄せ、両掌を身体の脇で強く握りしめて悩んだ末に、答える。
「……良いだろう、その条件を受け入れよう。」
そう、それでいい。
「ただし、君の方から何らかの違約があった場合は、今度こそ法廷に君を罪人として訴える。それでいいな?」
「うん、いいよ。自分で言った事はちゃんと守るからさ。」
その時の熱斗の笑みが、元々その程度に抑えるつもりだったし、その後は神のみぞ知るってところだしな、と内心で付け加えたことを指していたことを秀石が知っているかどうかは分からない。
ただ、秀石が熱斗の提示した条件を飲んだ――熱斗の思惑通りに動いたことだけは事実だ。
事は済んだと思ったのか、ロックマンが熱斗の肩の上からPETの中に戻っていく。
秀石も一定の条件を取り決めたことで緊張が解けたのか、握りしめた両手が少しずつ開いていた。
そして、監禁部屋へと続く扉を守るように立つ熱斗に背を向ける。
「では、期限の日を楽しみにしているよ。」
「うん、ちゃんと守ってガッカリさせてあげる。」
最後の最後で、影に隠した敵意をお互いに見せた会話だが、秀石は何の反論もせずに廊下をエレベーターに向かって歩き出した。
やがて秀石はエレベーターに乗り込み、そのエレベーターは他の階へと遠ざかっていく。
その光景を見届けてから、熱斗は左のポケットからいくつかのカギを集めた鍵の束を取り出し、扉へと向き直る。
「ロックマン、電子ロックの解除を頼む。その間に俺が普通のカギを開けるから。」
「分かったよ、熱斗くん。」
ロックマンからの了解を得てから熱斗は左肩に巻いたベルトに装着したPETを取り外し、扉に付けられた小型のモニターへ、
「よしっ、プラグイン!ロックマンエグゼ、トランスミッション!」
すぐにいくつかの電子ロックが解除される音がして、何度かカチャカチャと現実世界で電子操作の鍵が外れる音がした。
それを聴きながら、熱斗は普通のカギをゆっくりと、しかし慣れた手つきで開けていく。
鍵は普通の家庭のドアでは扱わない程多いが、熱斗はそれを一度も間違えず正しい鍵穴に差し、開けていく。
そして全てを解錠し終えると、片方の扉を両手で押して開き、熱斗は部屋の中へ踏み込んだ。
「あ……、熱斗……。」
「ただいま、炎山。ちょっと面倒な用事があって、遅くなっちゃった。」
その用事がこの扉の前で行われていた事を、幽閉された炎山は知らない。
最初、熱斗が炎山に監禁された時から、この部屋は外の音が全く聞こえないようになっている。
だから、扉が開くまでは誰が来ているのか分からない、扉の前の足音の癖だとかは関係なくて、熱斗もそれで何度も落胆と歓喜を繰り返した経験がある、今度は炎山がそれを繰り返す番だ。
部屋の奥、赤い絨毯の敷かれた土足では入れないスペースに膝を抱えて座る炎山の両手には手錠がかけてあり、両足にも足枷がはめられていた。
一応、それなりの動きは出来るように両手、また両足を繋ぐ鎖は長めにしてあるが、脱走の気力を奪う程度には短く、もしこれで何かしようと言うのなら、相手が至近距離に来た時に攻撃を加えるしかない。
そんな手錠も足枷も、熱斗は体験していた。
全て、炎山が熱斗を閉じ込める為に用意した場所で、物なのだから。
熱斗は扉を閉じ、ロックマンに電子ロックだけを施錠させてから部屋の奥へ、炎山の元へと進む。
「良い子にしてたみたいだな、偉い偉い。」
自分のいる場所に歩み寄る熱斗を見つめる炎山は、その目に涙を溜めている。
それが恐怖なのか、それとも歓喜なのか、または自分が熱斗をどんな状況に置いていたか知った上での懺悔と自己嫌悪なのか、それは熱斗だけでなく炎山にも分からないだろう、もしかしたら全てかもしれないのだから。
ただ、熱斗が目の前に座って優しく頭を撫でた時、炎山は嫌な顔をせず、ほのかに嬉しそうな微笑を浮かべていた。
あぁ、愛しい。
「なぁ、炎山。」
「なん、だ?」
「……愛してるよ、お前のこと。この世の何より、な。」
そう言って微笑み、柔らかく抱擁すると、炎山も手を伸ばす代わりにその身を熱斗に預けるように自ら進んでその腕の中に収まり、微笑む。
その微笑みは僅かに自嘲的だったが、熱斗にはそれすら愛おしくて仕方がなく、腕の力を強める。
それはまるで炎山をこの部屋に縛る鎖のようで、その光景は狂おしくも美しく、一途過ぎる愛情の果てであった。
End.
どこぞの豪邸のような内装の廊下は何故か、大きく高いビルの中に存在していた。
明るくない壁の色と薄暗い明りは、この廊下の先があまり良い場所には繋がっていない事を訪問者に伝えようとしているように感じることができる。
その廊下はとあるエレベーターで特別な操作をした者だけがだけ辿り着くことができる場所で、そのエレベーターを降りてしばし直線に進むと大きな扉が見えてくる。
その扉は幾つもの電子ロックと一般的な鍵が大量に取り付けてあり、見るからに人の立ち入りを拒んでいた。
その廊下で今、IPC社長の伊集院 秀石と世界の英雄である少年の光 熱斗が正面から対峙している。
大きな扉に背を向けて笑顔で立つ熱斗に、秀石は言った。
「……そろそろ、息子の監禁を解いてもらおうか。」
熱斗は答えた。
「ダメ。」
熱斗のその口元の吊りあがり方は秀石を明らかに嘲笑っていて、数々の悪を打ち倒した少年とは思えない禍々しさを放ち、笑顔を作るため僅かに細めた目も、今ならDr.ワイリーやDr.リーガルですら怯ませることが可能なのではないかと思われる程の狂気に満ちている。
息子の話では、とても純粋で、純白で、明るくて、軽やかな少年だと聴いていたのだが、これのどこがそれに当てはまると言うのだろう? と、秀石は自分の息子の人を見る目の精度を疑い、不快感に眉をひそめた。
背後の扉を秀石から守るように彼の前方へ立つ熱斗は、秀石以外の誰から見ても純白などという言葉が似合う雰囲気は欠片も持ち合わせているとは到底言えず、それどころか、今この瞬間に秀石へ向けている視線は殺意すら含んでいる。
その証拠に、熱斗の半ズボンの右側のポケットには人が殺せる程度の大きさの刃を持った折り畳みナイフが入れられていて、熱斗はそれが何時でも取り出せるように右手をポケットの中へ入れていた。
その、ポケットの中に手を入れておく、という行為が秀石の息子であり、IPCの副社長であり、熱斗の恋人である少年、伊集院 炎山の癖と非常に近いのは偶然か、それとも必然か。
おそらく、当然という言葉が一番合うのだろう。
「私からの“お願い”に応じる気はない、と?」
こちらを嘲笑った熱斗の返答は秀石にとって非常に不愉快だったが、秀石は極力冷静に確認を取った。
秀石が熱斗の態度を非常に不愉快に感じることができるのは、秀石が熱斗より遥かに上の立場の人物であり、そうである自負があるからなのだが、熱斗はそんなもの知った事かとばかりに秀石を嘲笑した雰囲気を崩さない。
いや、もしかしたら熱斗自身は昔と同じように綺麗に笑っているつもりなのかもしれないが、此処に至るまでの長い苦悩は熱斗から純粋で柔らかい笑顔を奪っていた。
「うん。いくら秀石さんでもさぁ、そのお願いは聞けないなぁ。」
冷静な中に怒りを隠した秀石へ、熱斗は挑発でもするかのように楽しげな声を返した。
いや、本音と建前の感情が違うのは秀石だけではなく熱斗も同じで、秀石を完全に見下していて楽しそうな顔と態度の内側、その心の奥に、秀石への憎悪と殺意を煮えたぎらせている。
秀石にとってそれは更なる不快を呼ぶだけで、本当ならば熱斗のような小学生の一人ぐらい、自分の手で退かすことや、金で他人を雇い退かすこと、更にはIPC社の権力で科学省に圧力をかけて熱斗の父親である光 祐一朗を引き摺りだし退かさせることも容易いというのに、という苛立ちがふつふつと少しずつ湧き上がってきた。
しかしそれでも秀石は冷静な態度を崩さずに話を続ける。
「そうか、なら強制的な命令にするしかないだろう。監禁罪として君を訴える。」
「できると思うの?」
完全なる余裕、と言う訳では無かっただろう。
しかし秀石の訴えるという発言すら熱斗は軽く嘲笑って見せた。
嘲笑と言ってももはや目は笑ってはおらず、底知れぬ憎悪と狂気的な殺意を秀石に向けていて、口元が吊りあがっていることを確認してようやく嘲“笑”と言えるようなものだ。
眉間に不快感のシワを薄く刻みつつも冷静な態度を繕い続けている秀石へ、熱斗は反論を続ける。
「先に俺を監禁したのは誰だか忘れちゃった? 秀石さんさ、痴呆症には早いと思うんだけど? あ、今は認知症だっけ?」
それは暗に、自分が炎山を監禁する前に、炎山が自分を監禁してきたのだ、と告げていた。
熱斗が切りだした秀石へ不利な事実と明らかな挑発に、秀石の眉間のシワが深くなる。
「たかが十一、十二の子供の証言とIPC社長、並びに副社長の証言、どちらに信憑性を感じやすいかは想像にたやすいと思うが?」
それでもまだ秀石は表面的には冷静であった。
ただ、自分より下の立場だと認識してきた少年が思った以上に大きな態度で自分へ刃向かい続けることへの苛立ちと、もしかしたらこの少年なら法廷で自分や炎山に勝つこともできてしまうのではないかという僅かな不安、いや、恐怖により、その声は最初より低く重いものになっていた。
と言っても秀石が自覚できているのは苛立ちだけで、恐怖は無意識、または“気のせい”と同じぐらい僅かに感じるだけだ。
ともかく、秀石の言い分に一理あることは否定できないだろう。
証言は子供であれば子供であるほど信憑性を疑われやすくなり、大人であり社会的地位が確立されている程信憑性があると思われやすい、その図式がこの世にある事を否定はできない。
それでも、熱斗も秀石を嘲笑うような態度を崩すことはなかった。
「えー? でもさぁ、それなら俺だってニホンを代表する科学者の息子だぜ?」
熱斗自身には大した地位は確立されて無いとは言え、バックの強さで言うならこちらも負けてはいない。
伊集院 炎山が伊集院 秀石の権力を振りかざすなら、光 熱斗は光 祐一朗の権力を振りかざし返せばいいだけでもある。
自分の手段をそのまま返してやると宣言された事に秀石の眉間のシワがまた少し深くなり、熱斗が楽しげにクスクスと笑りながら追い打ちをかけに出る。
「まぁ、プリズングルーピーは炎山の方が多いかもしれないけどさ。でもそれだって、炎山に惚れこむ女性ファンがどれだけ馬鹿かを証明するだけだよな。」
それは炎山の女性ファンの多さを逆手に取った反論であった。
いや、反論と言うよりは、相手のプライドをズタズタに切り裂きたいだけと言った方が正しいかもしれないが。
先ほどの社会的地位の話と同じで、熱斗は炎山ほど一般人にファンをもってはいない。
だからこれがもし報道が動く程の大事になった時に一般人から援護の意見が多く出るのは炎山の方だろうと思っている、が、それが炎山の優位にそのまま繋がるとは思っていない。
もっと冷静で一般的な、たとえば“炎山も熱斗も同じように悪い”と考える一般人から、その熱狂的ファンが白い目で見られる可能性が十分にある事を熱斗は知っている。
だから熱斗としては、自分は一般人からあまりにも強い同情や行き過ぎた援護は買いたくないとすら考えていたりする。
何故なら、例え自分への援護であってもあまりにも盲目的それは、冷静な一般人への自分の印象を余計に悪くするだけであるのだから。
この発言はもはや炎山と秀石だけでなく、IPCユーザーの一部すら馬鹿にした発言であっただろう。
しかしその点に関しては意外にも秀石に大した反論は無いらしく、
「そんなもの、マスコミを操作すればいくらでも隠せる。」
相変わらず冷静にそう返しただけだった。
いや、むしろ“そんなもの”と言っている辺り、秀石自身もプリズングルーピーとなり果てかねない人間の存在を若干疎ましく思っているようだ。
しかし熱斗はそこへ同調することは無く、今度はマスコミを操作することへ、揚げ足取りにも似た反論を投げかける。
「操作できればいいよな。でも、こういうネタってマスコミが一番食いつくお話だろ? IPC側が黙秘しても、科学省側がそうとは限らないんじゃないかなぁー。」
非常に嫌味ったらしい伸ばし方の語尾が、熱斗が抱える秀石への反抗心を物語っていた。
熱斗は秀石が引き下がらない限り自分から引き下がる気など欠片も持っておらず、泥沼に近いそれは小さな戦争にすら似ている。
熱斗としては、秀石からの宣戦布告に同じ形の宣戦布告を返しているだけなのだ。
ただ、この返しには一つ難点がある。
「それでは君の罪も隠すことは出来ないと思うが。」
いくら炎山が先に熱斗を監禁していた事実を持っているとしても、IPCがそれを黙認していた事実があるとしても、事実を全て公表するとするなら科学省は自身の側の罪――熱斗が炎山に対して抱える監禁罪すら全て公表する必要があるだろう。
そうでなければ科学省もIPCもやっていることが根本的には同じになってしまう。
これが、今まで押されていた秀石の初の揚げ足取りで、僅かながらに秀石の顔に余裕が生まれ、眉間のシワが薄くなる。
しかし、
「いいよ、別に。」
熱斗はうろたえることも言葉を詰まらせることも無く、その想定を肯定した。
さすがの秀石もこの一言には驚きを隠せず、僅かに目を見開いて熱斗を観察する。
二人だけの世界への扉を護るように堂々と立つ熱斗の表情は黒い自信に満ちていて、狂気にも似た、いや、もはや完全に狂気に堕ちた余裕の笑みを浮かべている。
「俺はね、無罪になりたい訳じゃないからさ。ただ炎山と一緒に居て、俺が炎山をどれだけ愛してるか解って欲しいだけ。だってさ、炎山は俺を愛してて、だから閉じ込めたんだろ? だから、俺も炎山に同じ事をしただけ。俺は炎山を愛してるから。」
目には目を、歯には歯を返すように愛には愛を返した、それを何か美しいものに酔いしれるように恍惚としたような微笑みで語る熱斗に秀石は悪寒がした。
目の前の少年は、連続殺人犯ですら抱く“自分は無罪だ”という主張に何の意味も感じていない、いや、自分が抱える社会的罪にすら何も感じていない、だからこそ自分の行動を社会に有罪と見なされるか無罪と見なされるかにこだわることが無くなっている、それは秀石には一種の精神異常にすら見えた。
おそらく、他の人間から見ても、大抵の人間は会社の立場や有罪無罪を気にできるだけ秀石はまだ十分にまともだと考えるだろう。
ただ、数々の悪を打ち倒した正義感の強い熱斗の精神をそこまで追い詰めたのは、秀石と血のつながった炎山であるのだけど。
「だからね、秀石さん、俺から炎山への愛が罪だってなる時は、炎山から俺への愛も一緒に罪になる、俺はそれで十分なんだ。牢屋でも、絞首台でも、あの世でも、その中の地獄でも、炎山と一緒ならどんな罪だって罰だって構わない。それが、俺にも炎山にも共通する責任だろ?」
つまり、熱斗にとって重要なのは自分の罪の有無そのものではなく、自分と炎山が同じであることだった。
自分が無罪で炎山が有罪であることすら勿論、自分が有罪で炎山が無罪であるなど以ての外、自分が無罪なら炎山も無罪、自分が有罪なら炎山も有罪、それが熱斗の望みなのだ。
そして今熱斗が言っているのは、秀石がその権力で自分を有罪にするというのなら、自分も何を使ってでも炎山を有罪にする、ということだった。
逆に言えば、秀石がこのまま今の事態を見過ごすなら、自分も炎山に監禁された事実を社会的な罪にはしない、とも言っているのだが。
ともかく悪寒のするような歪な愛情、それに伴う執着に動揺を隠せない秀石に、熱斗は言葉を付け足す。
「……あぁ、秀石さんはこなくていいよ、そんなことされたら俺、殺人罪まで増えそうだしさ。」
炎山への重すぎて気が狂うような想いを語る姿に動揺して忘れかけていたが、秀石はこの廊下で話し始めた頃からずっと、熱斗から完全なる殺意を向けられている。
いつの間にか炎山への愛を語っていた時の恍惚とした表情は消え失せ、その目は理想の世界ではなく現実の世界とそこに居る秀石に向けられて、殺意による狂気を最大に放出させていた。
炎山への想いと違い、秀石へ向ける感情には愛も同情も無く、ただ、圧倒的な怒りだけがそこにあり、憎悪と殺意として秀石に向けられる視線から伝わっていた。
もはや口だけ笑わせることすらせずに、熱斗は怨嗟を剥き出しにした語りを始める。
「あぁ、ねぇ、俺がこんなことをする前に、俺と炎山の立場が逆になるずっと前に、炎山を注意するのは秀石さんだったはずだと思うんだけど、この罪は誰が裁いてくれるんだろうなぁ。俺は何にも悪いことなんてしてないのに、刑務所の方がマシなほど閉塞された場所に閉じ込められて、パパやママ、友達にも会えなくて、でも炎山は平然とIPCとネットセイバーの仕事を続けてるなんて、おかしいよな。だって、炎山は自分が働いてる間に俺がメイルちゃんとかデカオとかと遊んでるのが嫌で、寂しくて、それで俺を閉じ込めたんだから、ずっと俺の傍にいなきゃおかしいだろ? 炎山が働いてて会えない時間があるなんて、俺も同じことだったのに……炎山は仕事に行って、他の人と会議をしたり、広い場所で自由に動いて、俺は独りでただその帰りを待つ。もしそれが主婦みたいな形ならまだ良かったけど、何の権利もないそれはまるで犬だったんだ。恋人っていうより、奴隷になり下がることを強要されたんだ。誰かに助けを求めないようにって、ロックマンだってPETごと取り上げられて、何も無い部屋で、独り、何もできずに。……なぁ秀石さん、秀石さんの子供がさ、何したか分かってんの?」
それは半分ほど炎山に向けた怨みでもあったが、炎山を止めることができたかもしれないのに止めず、それなのに立場が逆になった途端熱斗を責め始めた秀石に向けた怨嗟であることも事実だった。
ただ、炎山に向けた分はそれでも残る愛情と合わさって歪な愛となることで殺意には至らずに済んでいるが、そもそも愛情とは何の関係もない秀石に向けた感情に、優しさなど無い。
何故炎山を止めてくれなかった、何故それなのにこちらが同じ事をすると社会的な罪にしようとする、やっていることは同じだ、そう、これは、
「これはさ、俺から炎山への愛で、報いなんだ。俺がこうして炎山を監禁して、やっとプラスマイナスゼロになることなんだ。だから喜んでよ、俺が炎山を監禁したことをさ。だって、そうしなかったら秀石さんが俺を訴えることなんてできないし、俺は純粋な被害者として炎山を訴えることだってできたんだ。」
だから邪魔をするな、という言葉が音の外に含まれている気がした。
熱斗の表情が再び嘲笑へと変わり始める。
いや、此処まで来てしまうとそれは明確に誰かを嘲る嘲笑ではなく、自分の歪んだ思想に狂った狂笑かもしれない。
何を驚いた訳でもないのに見開いたその目を見て、秀石が右手を強く握りしめたのは緊張か、怒りか、それとも恐怖か。
握りしめた右手が僅かに震えるのをこらえながら、秀石がようやく口を開く。
「もし、君が純粋な被害者だったとしても、IPCと共存関係にあるとも言える科学省に居る君の父が、そう、できるかな?」
「したと思うよ、だって俺のパパは今の秀石さんみたいに腐った政治家みたいな利益主義じゃないからさ。まぁ、優しいところもあるから、IPCが潰れる程のことはしないと思うけど。それにもしパパが秀石さんと同じだったら、その時は、心中とか、良いよなぁ。そんな腐った世界、俺にも炎山にも要らないから。それに、死にいたる愛ってなんだか素敵だろ? お互い以外は何も要らないって感じでさ。」
秀石の僅かに震えた声に、熱斗は今にも笑いださんばかりに楽しげな声を返した。
その声は簡単に表現するなら“明るい声”だっただろう、しかし、今の熱斗の声を単に“明るい”と表現することはいささか無理がある。
正義のヒーローには似合わない、明らかに他人を見下した優越感に満ち、なおかつその優越感すら超えるその先の幻想だけを信じて、それを実現することに邪魔になる人物には容赦をしない、そして邪魔になる現実なら要らない、という思想が明らかに感じ取れる、軽やかでいて無慈悲、それでもなお無邪気で夢にあふれた少年の声……それが、今の熱斗の“明るく楽しげな声”だ。
自分の半分も生きていないだろう熱斗の抱える狂気に怯んで秀石はしばらく声が出なかったが、しばしの沈黙を挟んでからようやく言葉を紡ぐが、
「……死と愛が同等に繋がるなど、今の君はまるでシリアルキラー見習いだな。なるほど、炎山が雇った世話係に怪我を負わせる訳だ。」
結局、秀石にはもはや熱斗への反論などロクに見つからなかった。
だから、仕方なしにひねり出した言葉はもはや炎山の罪を肯定しつつ、その中の事実を掘りだしたものでしか無かった。
炎山と熱斗の立場が逆転する少し前、熱斗がわざと割った食器の破片を使い、炎山が自分が世話を出来ない時の為に雇っていた人間にそれなりの怪我を負わせていたことと、今までの会話を総合的に評価した結論。
多分、炎山に監禁される前の熱斗ならその台詞に非常な反感を覚えていた、いや、そもそもそんなことを言われる筋合い自体が無い、連続殺人犯見習いという言葉にすら熱斗は楽しそうに笑って、
「そうなるようにしたのは炎山で、それを扶助したのは秀石さんだけどね。」
原因は炎山と秀石だと主張しつつも、さらりと受け止めてしまう。
陶器やガラスの食器の破片という自分の手すら傷つけるかもしれない物すら凶器にするほど、いや、そもそも凶器を持とうとすること、そしてそれで人間を傷つけること、それができてしまうほどあの時点で熱斗は酷く追い詰められていた。
だから、そこから更に進んだ地点に到達してしまった今の熱斗にとって、そんな言葉は大した罵倒にならない。
シリアルキラー見習い? だったらなんなのだろう。
別にあの時の相手は死んでいないし、そうなる程に自分を追い詰めたのは炎山と秀石だ、だから、これは彼等が望んだと言っても過言ではない状況、だから自分は悪いどころか素晴らしく炎山に従順ではないか!
秀石からの罵倒すら誇りだとでも言いたげな自信に満ちた熱斗へ、秀石が僅かな絶望と希望を同時に含んだ声で問う。
「……君のパートナーは、どう思っているのかね?」
「だってさ、ロックマン。なぁ、どう思う?」
少しわざとらしくロックマンに話を振りながら、熱斗は内心で秀石を嘲笑った。
ロックマンの賛成も無く、こんな事が実現するものか、と。
もしもロックマンが自分の意見に対して反対派ならばとっくに祐一朗に連絡が行っていて、炎山の時とは違い親が止めに入る、そう、秀石は果たさなかった親の義務を、自分の父親ならきちんと果たすだろう。
それが果されていないことが何を指しているか、秀石は理解していないのだ。
それを表情だけで笑う熱斗の肩の上に、ロックマンが無言で現れた。
視線を床に向けて現れたロックマンに、秀石は嫌な予感を持つ。
しばしの沈黙の後、ロックマンがゆっくりと顔を上げ始め、そして、
「……僕は、貴方を許しません、秀石さん。」
ロックマンの表情はただ怒りに満ちていた。
熱斗のような狂気には達していない、だが、オペレーター――熱斗の自由を奪われたこと、そして熱斗が歳にも育った環境にも似合わない狂気を抱えてしまった原因が炎山と秀石であることだけで、ロックマンが秀石に怒りを向ける理由には十分過ぎている。
そう、ロックマンは熱斗の行動に非常に協力的だった。
そして、熱斗以上に秀石を憎んでいる。
どう言葉を返すべきか悩む秀石に構わず、ロックマンは先ほどの熱斗の様に深く暗く、そして全てを焼き尽くすような怨嗟を吐きだした。
「熱斗くんは本当に純粋に炎山のことを愛していたのに……だから、学校に居る時だってよく炎山のことを気に掛けてて、メイルちゃんとかやいとちゃんにもよく惚気禁止って言われるぐらいで、それなのに……浮気なんて全く無かった、何時だって熱斗くんの一番は炎山だった、それなのにあの仕打ちだ。」
当然と言えば当然だが、やはりロックマンの言葉にも炎山への怨みが込められていた。
暗い水の中から静かに気配をひそめて殺害の瞬間を狙うような重暗い視線に、秀石は“壊れたのは光 熱斗だけではない”事を悟り、熱斗は親愛なる共犯者へ感謝にも似た肯定の視線を浅く向け、微笑する。
熱斗と違い炎山を愛していないロックマンの重々しい語りはこの時点でも既に確実な殺意が十分に香っているのだが、ロックマンの怒りはそこまでで止まることはない。
「でも、それだけならまだ、僕は炎山が憎いだけだった。展開次第じゃそれだってもっと薄く済んだかもしれない、でも! 秀石さんは熱斗くんを助けなかった! 炎山を止めなかった!」
重い怨み、確実な殺意、そして理不尽な外の世界――ここでは秀石への怒りが、ロックマンの感情を突き上げ、その声を荒く昂らせた。
それらの思いはあまりにも急に昂った声のせいで多少衝動的にも見える気もした、が、決して短期的な物ではなく、長く、重く、延々と続く深さのあるものの集大成であり、その奥には行き場を失くした悲しみが沈んでいる事は先ほどの重々しい語りが既に証明している。
熱斗と無理矢理引き離されたこと、長い孤独の中で熱斗の心が壊れていったこと、そして自分はそんな熱斗を助けることを許されなかったことへの悲しみは、徐々にその原因達への怒りとなり、憎しみとなり、怨みとなり、殺意へと姿を変えていた。
それは、ロックマンがもしもクロスフュージョン以外で現実世界に現れる術を持っていたなら、熱斗が右ポケットからナイフを取り出すよりも早く、右手に装備したバスターの銃弾で秀石を撃ち殺していただろう、と感じる程の迫力で、熱斗の狂気を目の当たりにした時とは別の緊張が秀石の背筋を駆けた。
慟哭にも似た怨嗟と殺意の叫びはまだ続く。
「どうして!? 息子が間違った道に入ったら咎めるのが親でしょう!? それなのにどうしてそうしなかったんだ!! それで炎山が仕返しを受けたら熱斗くんを訴える? もう喧嘩両成敗ですらないじゃないか!! 法が許しても、社会が許しても、世界の誰が許しても、僕は貴方を許さない!! 熱斗くんは悪くない、炎山にされた事をそのまま返しただけだ!! 貴方に罰することは出来ない!! もし出来る人がいたとして、それは熱斗くんのパパだけだ!! 先に加害者になった貴方にだけは絶対に権利はない!!」
一応、ロックマンは完全に正気を失っている訳ではないようで、炎山の父親である秀石に熱斗を罰する資格はないが、熱斗の父親である祐一朗にはまだその資格があることは解っていた。
しかしそれでもあえてそれを選ばないのは、やはり悪を持って悪を制す事を認められる程度にはロックマンの精神も壊れてしまった証拠か。
それを最初から確信していたような熱斗の勝ち誇った――いや、絶対にお前にだけは屈しはしないとう宣言にも似た表情が秀石の不快感、そして僅かな恐怖を刺激する。
彼らはもう、手段を選ばない。
「……それが法さえも敵に回すことをことを君は知らないのかね。」
「その言葉、そっくりそのままお返ししますよ。」
その証拠に、しばし悩んだ末の秀石の返答にも、ロックマンは動揺しなかった。
まともな反論が少なくなってきた秀石を見て、熱斗がクスクスと小さく嗤う。
この瞬間、もしどれだけの権力や財力を行使して彼らを有罪にしたとしても、周囲からの評価をガタ落ちさせたとしても、万が一死刑までこぎつけたとしても、彼らの精神を折って本当の意味で屈服させることや懺悔させることは出来はしないだろう、と秀石は悟った。
その絶望感が無意識のうちに表情に漏れていたのか、それを察したように熱斗が口を開く。
「なぁ秀石さん、この会話ってさぁ、意味、あると思う? それとさ、俺が言いたいこと、理解出来てるかなぁ?」
何のつもりだ、と言いたげに目を見開きつつ眉間にシワを寄せる秀石の姿がなんだか滑稽に見えて、熱斗はそれを馬鹿にしたような笑顔を見せた。
相変わらず変に明るい声が秀石の神経を逆撫でしているが、それすらも熱斗には想定の範囲内だったかもしれない。
大人が子供に何かを諭そうとするように、または上の立場の人間が下の立場の人間を懐柔する様な、嫌な猫撫で声で熱斗は話を続ける。
「この話は、秀石さんが俺を法廷とかで有罪にしたがってる事を前提に話が進んでて、だからここから先へ進めない。つまりさ……秀石さんがそれをやめれば、俺だって炎山がしたことは黙ってる、って言ってるんだけど、どう?」
秀石の表情が、意思が、揺れた。
僅かだが眉が動いた、不快感ではなく、驚きや戸惑い、そして僅かな躊躇いの方向で。
かかった、と思った熱斗は秀石の返答を待たず、たたみかけるように続ける。
「秀石さんは炎山の監禁を解いて、炎山が俺を監禁したことは黙ってて欲しいんだよな? じゃあさ、お互いに妥協するのはどう? たとえば、俺が炎山をここから出さない期間は炎山が俺をここから出さなかった期間と同じにする、とか。」
元々俺はそのつもりも結構あったし、と熱斗は内心で付け加えた。
あの拘束が、監禁が、外界との遮断が、炎山から自分への愛情の果てであることを熱斗は良く知っている、炎山は自分の中にあった寂しさと不安をそういう形で自分に伝えてきたのだと知っている。
だからこそ自分もそうした、だって、自分が炎山の寂しさを知ることはあるのに炎山は自分の寂しさを、心臓が止まりそうな苦しみを知ってくれないなんて不公平ではないか。
炎山が仕事を理由に部屋を離れる時に襲い来る孤独の恐怖、独りにしないでという哀願も虚しく部屋を離れられた後の長い時間で頭の中を巡る単調で貴重な幸せの記憶、例え独りでも何かに没頭出来たなら楽だったかもしれないのにそんな娯楽は一つもない部屋の中で更に記憶と孤独は巡り、長い時間の後にドアが開いた時、もしかして炎山かもと期待してそこを見ればただの世話係が来ただけだった時の落胆、そこから更に何時間も炎山の帰りを待つ間に巡る記憶と悔しさ、あまりにも遅すぎて帰って来ないのかと感じ始めると心臓が止まりそうなほどに不安が身体を締め付けて、全てが嫌になりかけた時に唐突に戻るつかの間の残酷で甘い幸せ、あぁ、大切な貴方がいる、帰ってきてくれた、嬉しい、でも、その時間は短くて、酷い時は帰ってきてくれなくて、冷たい部屋で独り眠りに落ちて、親友――ロックマンの声のしない部屋でふと目覚める孤独な朝、愛してるなら、どうして独りになんてするんだ。
監禁自体は許したっていい、同じ部屋で延々と愛を注いでくれるなら、俺だけを見てくれるのなら。
寂しさを伝える術がそれしかなかったことも許してあげる、俺はそんな不器用な炎山も好きだから。
でも、許せないのは、炎山の寂しさが伝わりきった後も孤独を与えられ続けたこと、そして、炎山は俺のその孤独が炎山の寂しさの何十倍にも値することを知らないで、外の世界を自由に感じていること。
酷く不公平だ、だから、炎山も味わえばいい、身体ごと締め付けるこの孤独を、心臓が動悸を通り越して止まりそうな程の不安を、世界から切り取られる感覚を、奴隷のような拘束と不自由の屈辱を、あと少しで出口に手が届きそうな時に限って愛情に絡め取られて絆されて崩されるジレンマを、愛と並行して育つ憎悪を、そして、俺からの愛情を、全て。
だから、
「別にさ、俺は仕返しは何倍でとか、そんなことは考えてないんだ。ただ、炎山が俺を置いた環境と、そこで俺が感じたことを同じように感じてくれたならそれでいいって思ってる。だから、俺が監禁された二ヶ月間、それだけでいいよ。その後は解放するし、ブルースも返す。ロックマンを返してもらったようにさ。」
期限を指定されたことで、秀石の意思は更に揺れてくる。
元々秀石は熱斗が“周囲の実力行使があるまで”監禁を解かない事を危惧し、法に訴える手段を取ろうかと思っていた。
しかし、炎山の方も既に熱斗に対しそういった事実があるために若干躊躇する破目になってしまい、法廷ではなくこんな廊下で立ち話をするほか無くなっていたのだ。
だが、それが相手の方から期間を指定し、譲渡してきたことで、“なるべく穏便に済ませたい”と思っていた部分が“その提案に乗るべきではないか?”と感じ始めてきたのだ。
二ヶ月、と言うことは既に監禁されている期間を入れれば残り一ヶ月と約半分。
副社長の不在が会社にとって痛い事には変わりないが、この期限通りに事が運べば穏便にこの件を済ませることができるし、もし熱斗がその期限を放棄するなら今度こそ法に訴えればいいだけ――。
……そんなふうに秀石の意思が揺れる事をある程度想定した上での提案だったことを知るのはおそらく、提案者である熱斗と、そのナビで共犯者のロックマンだけだろう。
そんな想定にも気付かないなど、秀石もアレはあれで焦っているらしい、と熱斗は内心でほくそ笑む。
「だからまぁ、今からだと一ヶ月と半分ってとこかな。そうしたら炎山に自由を返してあげる。会社だって、学校だって行っていいし、ネットセイバーに復帰しても構わない。俺以外の誰と話しても良いよ。俺のことを愛してくれてる炎山なら、きっとその間に俺の想いに気付いてくれるから。あ、でも炎山にそれを先に知らせるのはナシだぜ? 俺は終わりが解らない中に居たんだから、炎山もそう感じてくれないと意味無いし。」
そうしてくれるなら敵意は見せないし、それ以上の害は与えない。
その意味を込めて熱斗はナイフの入った右ポケットから何も持たずに手を抜き、愛敬よく笑って見せた。
愛敬よく、と言っても、今更普通にほほえましいと思える純粋な可愛らしさが熱斗から秀石に向けられている訳はないのだが、それでも熱斗なりに妥協の意思は表明したつもりである。
まぁ、そもそも笑わない秀石にそんなものを向ける必要はないかもしれないが、それでも無表情よりは炎山に壊される前の自分の様に見えていいんじゃないだろうか、と思うと殺意の対象でもある秀石に向けて笑う事に苦痛は無かった。
そしてそんな笑顔と譲渡を向けられた秀石はしばし眉間にシワを寄せ、両掌を身体の脇で強く握りしめて悩んだ末に、答える。
「……良いだろう、その条件を受け入れよう。」
そう、それでいい。
「ただし、君の方から何らかの違約があった場合は、今度こそ法廷に君を罪人として訴える。それでいいな?」
「うん、いいよ。自分で言った事はちゃんと守るからさ。」
その時の熱斗の笑みが、元々その程度に抑えるつもりだったし、その後は神のみぞ知るってところだしな、と内心で付け加えたことを指していたことを秀石が知っているかどうかは分からない。
ただ、秀石が熱斗の提示した条件を飲んだ――熱斗の思惑通りに動いたことだけは事実だ。
事は済んだと思ったのか、ロックマンが熱斗の肩の上からPETの中に戻っていく。
秀石も一定の条件を取り決めたことで緊張が解けたのか、握りしめた両手が少しずつ開いていた。
そして、監禁部屋へと続く扉を守るように立つ熱斗に背を向ける。
「では、期限の日を楽しみにしているよ。」
「うん、ちゃんと守ってガッカリさせてあげる。」
最後の最後で、影に隠した敵意をお互いに見せた会話だが、秀石は何の反論もせずに廊下をエレベーターに向かって歩き出した。
やがて秀石はエレベーターに乗り込み、そのエレベーターは他の階へと遠ざかっていく。
その光景を見届けてから、熱斗は左のポケットからいくつかのカギを集めた鍵の束を取り出し、扉へと向き直る。
「ロックマン、電子ロックの解除を頼む。その間に俺が普通のカギを開けるから。」
「分かったよ、熱斗くん。」
ロックマンからの了解を得てから熱斗は左肩に巻いたベルトに装着したPETを取り外し、扉に付けられた小型のモニターへ、
「よしっ、プラグイン!ロックマンエグゼ、トランスミッション!」
すぐにいくつかの電子ロックが解除される音がして、何度かカチャカチャと現実世界で電子操作の鍵が外れる音がした。
それを聴きながら、熱斗は普通のカギをゆっくりと、しかし慣れた手つきで開けていく。
鍵は普通の家庭のドアでは扱わない程多いが、熱斗はそれを一度も間違えず正しい鍵穴に差し、開けていく。
そして全てを解錠し終えると、片方の扉を両手で押して開き、熱斗は部屋の中へ踏み込んだ。
「あ……、熱斗……。」
「ただいま、炎山。ちょっと面倒な用事があって、遅くなっちゃった。」
その用事がこの扉の前で行われていた事を、幽閉された炎山は知らない。
最初、熱斗が炎山に監禁された時から、この部屋は外の音が全く聞こえないようになっている。
だから、扉が開くまでは誰が来ているのか分からない、扉の前の足音の癖だとかは関係なくて、熱斗もそれで何度も落胆と歓喜を繰り返した経験がある、今度は炎山がそれを繰り返す番だ。
部屋の奥、赤い絨毯の敷かれた土足では入れないスペースに膝を抱えて座る炎山の両手には手錠がかけてあり、両足にも足枷がはめられていた。
一応、それなりの動きは出来るように両手、また両足を繋ぐ鎖は長めにしてあるが、脱走の気力を奪う程度には短く、もしこれで何かしようと言うのなら、相手が至近距離に来た時に攻撃を加えるしかない。
そんな手錠も足枷も、熱斗は体験していた。
全て、炎山が熱斗を閉じ込める為に用意した場所で、物なのだから。
熱斗は扉を閉じ、ロックマンに電子ロックだけを施錠させてから部屋の奥へ、炎山の元へと進む。
「良い子にしてたみたいだな、偉い偉い。」
自分のいる場所に歩み寄る熱斗を見つめる炎山は、その目に涙を溜めている。
それが恐怖なのか、それとも歓喜なのか、または自分が熱斗をどんな状況に置いていたか知った上での懺悔と自己嫌悪なのか、それは熱斗だけでなく炎山にも分からないだろう、もしかしたら全てかもしれないのだから。
ただ、熱斗が目の前に座って優しく頭を撫でた時、炎山は嫌な顔をせず、ほのかに嬉しそうな微笑を浮かべていた。
あぁ、愛しい。
「なぁ、炎山。」
「なん、だ?」
「……愛してるよ、お前のこと。この世の何より、な。」
そう言って微笑み、柔らかく抱擁すると、炎山も手を伸ばす代わりにその身を熱斗に預けるように自ら進んでその腕の中に収まり、微笑む。
その微笑みは僅かに自嘲的だったが、熱斗にはそれすら愛おしくて仕方がなく、腕の力を強める。
それはまるで炎山をこの部屋に縛る鎖のようで、その光景は狂おしくも美しく、一途過ぎる愛情の果てであった。
End.
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