脆い僕の涙と覚悟
【脆い僕の涙と覚悟】
それは、ある日の夕方の事だった。
西の空に落ちかけた日差しの赤と朱色が眩しいその時、ロックマンはPETの中で、枕に似た形の四角いクッションを抱き締めながら音楽を聴きつつ、Webブラウザによるインターネット閲覧に興じていた。
現実世界で言うタブレットに似た機能を持つ画面に指先を滑らせてWebページを切り替え、お目当ての情報を探し出す。
例えばそれはもはや常連と言っても過言ではない程参加している某所のチャットページだったり、インターネット内で一番有名かもしれない某大型掲示板だったりと、個人的なものから公共的なものまで多岐にわたっていて、どれもロックマンを楽しませてくれそうなものばかりである。
実際、ロックマンはその数々のWebページの閲覧を楽しんでいた。
しかし、その割に耳に入れている音楽は何処かうす暗く、途方に暮れる別れの曲や、過去の自分の行いを後悔する曲など、キラキラとした未来が待っている青年――光 熱斗のナビにしては、重苦しいものばかりだ。
そして、それは午後五時頃だっただろうか。
「なぁロックマン、ちょっとこのメールをロールに届けておいてくれないか?」
ロックマンは激しい音楽の音と音の間に微かに熱斗の声を聴き取り、タブレット機能のある画面を弄る手を止めた。
激しい音圧のせいでその言葉の全てを聴き取る事は出来なかったが、辛うじて、メール、ロール、届けて、の三単語を聴き取ったロックマンの背筋に、ゾクリと悪寒にも似た不快感が走る。
おそらく熱斗はロールにメールを届けてくれと言っていたのだろう、それを信じたくないロックマンは、音楽プレーヤーの画面を操作して音楽を一時停止し、そのプレーヤーの画面から自分の耳当てへと繋いだコードを切断、解除して、背後に現れた熱斗の顔の映っている画面に振り向く。
熱斗の顔は若干斜めから映っていて、どうやらパソコンで作業をしながら話しかけてきたのだということが読み取れた。
悪意は無い、悪意は無いと分かっているけれど、人間で言う心臓、ナビでいうエネルギー供給の為のコアが激しく脈打って胸が苦しくなるのを感じながら、ロックマンは少しぎこちない様子で熱斗に訊き返した。
「えっと、ごめん、もう一度、言って、くれる、かな……?」
単語を一つ一つわざとらしい程に区切って発言したロックマンを見て、熱斗は若干怪訝そうな、何かおかしなものを見たような不思議そうな表情を見せる。
そこにはさほど大した意味など無い事はロックマンも分かっている、分かっているはずだったが、その時のロックマンには何故かロックマンの態度が気に入らないと言っているように見えて、ロックマンは無意識の内にナビマークを押さえるように胸に手を当てていた。
どうか、どうかさっきの僕の聴き取った言葉が嘘か、僕の聴き間違いでありますように、と強く願いながら、ロックマンは熱斗の返事を待つ。
胸は一層強く脈打って、嗚呼自分が人間だったなら、そろそろ不整脈や心室細動でも起こして倒れてしまうのではないだろうか、などと考え始めた頃、しばしの間黙っていた熱斗がもう一度口を開いた。
「だから、このメールをロールに届けておいてほしいんだって。」
熱斗がそう言うと現実世界でタンッと軽くキーボードを叩く音がして、次の瞬間ロックマンの目の前に一通の封筒――メールデータが現れた。
メールは宙に浮いたまま回転していたが、ロックマンが躊躇いつつも手を伸ばすと回転をやめ、ロックマンの手の中に落ちてくる。
落ちてきたメールは少し重みがあって、これでは確かに回線よりもネットナビを使いたくもなるだろう、と思ったが、ロックマンにはどうしてもそれをしたくない理由があった。
だからロックマンは、手の中に落ちてきたメールと、パソコンで作業をしながら自分を見ている熱斗を交互に見てから、意を決して口を開く。
「あのさ、これ、回線で送っちゃ駄目なのかな……?」
それはハッキリ言って、ネットナビとしての義務や存在意義を放棄した言葉である事ぐらいロックマンも分かっていた。
だが、それら全てを放棄してでもロールにこのメールを届けに行きたくない――否、届に行く事が出来ないロックマンはそう言うしかなかった。
お願いだから回線を選んで、お願いだから僕を使わないで、僕とロールちゃんを引きあわせないで、そして訳は訊かないで、というロックマンの願いとは裏腹に、ロックマンの申し出を不信に思った熱斗はパソコンでの作業を中断して正面からPETの画面に向きあい、そして尋ねる。
「なんでだよ、ロックマンが渡した方が確実だし早いじゃん。なんか回線の方がいい理由でもあるのか?」
熱斗からしてみればただの質問だったそれは、ロックマンにとってはどうにも尋問と非難のように感じられて、ロックマンは視線を床に落とした。
さて、熱斗の正論に対してどう言い訳したものだろう? どう言えば、熱斗は回線で送る事に納得してくれるのだろう? 視線を床に落としたまま、ロックマンは悩む。
そうして無言になって俯いていると、熱斗の方が何か違和感とでもいうのか、いつものロックマンには無い何かを感じ取ったらしく、再びロックマンに問いかけてくる。
「……ロックマン、もしかして、回線の方がいい理由があるんじゃなくて、自分が行けない理由でもあるのか?」
ギクリと体が固まって、息が止まる。
ネットナビに酸素を吸って二酸化炭素を吐く機能などついてはいないから、呼吸は所詮ナビの行動を人間らしくみせる為のオマケの要素でしか無い、止まっても問題ない、その筈だったが、ロックマンはまるで人間が水中で何十秒も息を止めている時のような強烈な息苦しさを感じ、一瞬止まってしまった見せかけの呼吸を必死になって再開した。
痛いのは肺に相当するプログラムか、いや違う、これはきっと心臓に相当するプログラムの方だ、だって、息を吸っても吐いてもこんなに胸が苦しい、と、混乱と冷静の狭間でロックマンは自己分析をする。
片手でメールを持ちながら、もう片方の手で胸を押さえて必死に、過剰な程に呼吸を繰り返すロックマンを見て、益々不信に、いや今度は少し心配になってきた熱斗は、その無邪気な心配こそがロックマンを追い詰めているという自覚を持たないままでロックマンに尋ねる。
「なぁ、なんかあったなら話してくれよ。それ、回線で送る事にしてもいいからさ。」
心配そうな熱斗の声が、何故か呆れに満ちた溜息のような言葉に聞こえて、ロックマンはひゅっと息が詰まるのを感じた。
心臓に相当するプログラムが痛む、脳に相当するプログラムが揺れて視界さえも揺れる、情けない、本当に情けない。
嗚呼きっと、熱斗の声が呆れに聞こえるのは、今すぐ呆れられる事は無くとも、どこか未来で、熱斗が呆れと哀れみに満ちた表情で自分を見てくると分かってくるからだ、とロックマンは考えた。
そしてそれはきっと、自分がロールのもとへ行けない理由を答えた時だ、と思うロックマンは、どうしても熱斗にそれを打ち明ける気にはなれないと黙りこむ。
黙り込んだまま、熱斗が理由の追及を諦めてくれる事を待つ。
しかし、熱斗は諦めず、
「なぁ、黙ってたら何も分からないんだって。言う程の理由じゃないなら行って来てくれよ、ロールの所。」
と、半ば脅しのような言葉を吐いてきて、理由を言わずにロールの所へ行くか、理由を言ってロールの所へ行かないか、その二択しか許されない事をロックマンに突き付けてきた。
そんな、酷いよ、という言葉すら口にできないまま、ロックマンは熱斗の映った画面をそっと見上げる。
熱斗の表情は、心配しているようにも見えるが、何処か呆れているようにも見えて、少し不機嫌になってきたようにも感じられて、このままでは熱斗との関係すらギクシャクしてしまうと感じたロックマンは、遂に全てを吐く事を決意した。
軋むように痛む胸を押さえ、地震のように揺れる頭の中身の安定を試みながら、ロックマンは一度だけ視線を床に落とし、ふぅ、と小さく溜息を吐いてから再び熱斗を見上げて、
「……あのね、僕、ロールちゃんと、仲違いしちゃったんだ。」
と、全ての結論を簡潔に告げた。
あまりにも冷静に告げられた衝撃的な結論に、熱斗が僅かに目を見開いて驚く。
「え……マジ?」
「うん、本当の事だよ。」
動揺が隠せない様子の熱斗から、手の中にあるメールに視線を落としながら、ロックマンは頷いた。
視線の先にある白い横型の封筒、熱斗からロールへ向けられたメール、それはきっと基本的にはメイルへの連絡なのだろうけれども、それでもこのメールが、熱斗の書いたメールがロールに届き、その目に、心に、触れる事を想うと、今自分の手の中にあるこのメールが憎らしい。
もう自分――ロックマンの言葉はロールには届かないのに、自分の主人――熱斗の言葉はロールに届くのかと思うと、熱斗が妬ましい。
けれど、そうなった原因は全て自分にある事を自覚すると、ロックマンは途端に自己嫌悪の波に襲われて、水の底に沈められたような息苦しさを感じるのだ。
手の中の白い封筒をじっと見つめるロックマン、そんなロックマンに熱斗は少し躊躇いながらも、
「えっと……どうして、そんな事になったんだ?」
と、その仲違いの理由を訊いた。
熱斗には一番訊かれたくなかったそれを訊かれたロックマンは、僅かに眉間にしわを寄せて険しい表情を見せた後、その表情をふっと微笑に変える。
その変化が何を意味するのか、熱斗は読みとれない。
どうしてロックマンは笑っているのだろう、先ほど一瞬見えた重苦しい表情の方がこの話には相応しい気がするのに、どうしてだろう? と思い何処か不安そうな表情を見せる熱斗へ、ロックマンは答える。
「そのね、原因は……僕なんだ。結論から言えば、僕が、馬鹿だっただけ……それだけだよ。」
そう答えたロックマンは小さく笑い、その内側では心臓に相当するプログラムや脳に相当するプログラムが悲鳴を上げている事実を隠しながら、それまで胸を押さえていた手でヘルメットの上から頭を掻いた。
そんなロックマンの様子を何処か不安に思いながらも、もしかしたら本当に大した事ではないレベルの仲違いなのかもしれないと若干の安心も覚え始めていた熱斗は、しばし無言でロックマンを見詰め、悩んだ後にロックマンへ、
「そっか……じゃあちゃんと謝って仲直りしないとな。」
と、言ってみた。
その途端、ロックマンの照れ隠しのような少しだけ違和感のある笑い声が止まった。
そして、ロックマンの表情からは笑顔が消え、少し驚いたりショックを受けたりしたような表情になる。
更に、呆然と目を見開いて、ただただ立ち尽くすロックマンの様子を見て、熱斗は、自分は何か地雷を踏んだらしいと直感した。
「えっと、ロックマン?」
その沈黙を誤魔化すように熱斗がロックマンの名前を呼ぶ。
熱斗に名前を呼ばれたロックマンは、ぱくぱくと小さく口を動かして何か言おうとするが、ロックマン自身何を言っていいのか分からないのか、いや、結論は出ているがその結論をどう熱斗に伝えればいいのか分からないのか、口を閉じて視線を伏せてしまう。
頭を掻いた手は、再び胸を押さえていて、心臓に相当するプログラムがかなり限界に近い事を熱斗にもロックマン自身にも伝えている。
どうして僕がこんな想いをしなければいけないんだ! と、誰か他人に責任を押し付けようとする思いと、これは僕にとって相応の罰だ、と、自責する想いが交差して、その両方が心臓に相当するプログラムを縛り上げ、破裂させようとしている、そんな気がして、ロックマンは少しでも自分の寿命が伸びますようにと、少しでも延命されますようにと、必死になって息を吸い、吐き、吸い、吐いた。
そしてほんの僅かに息が苦しく無くなったその瞬間を狙って、吐きだす。
「……ごめん、それはもうできないんだ。」
やっと吐きだした言葉は、何故か謝罪が付属していて、ロックマンはその謝罪を口にしながら、自分は一体誰に謝っているのだろう? と考えた。
それは熱斗に? もしくはロールに? それとも自分自身に? もしかして、それら全てに?
いや、それどころか、今までかかわってきたナビや人間、またこれから関わるナビや人間全てかもしれない、そんな考えが浮かんで、ロックマンは既にどん底まで落ちているはずの気分が更に落ちていくのを感じた。
それでもロックマンは、まだ質問攻めを続けるであろう熱斗の表情を窺う為、ゆっくりと視線を上げ、熱斗の映っている画面に視線を向ける。
案の定、熱斗は驚いた上に困惑したような顔をしていた。
「できないって……どういう事だよ? まさかお前、ロールと絶交したとか言うんじゃ……」
「うん……大雑把に言うと、そういう事、かな。」
困惑気味に問い詰めてきた熱斗へ、少し困ったような笑みを浮かべながらロックマンは冷静に答えた。
本当は心臓に相当するプログラムは軋み、脳に相当するプログラムは揺れて、本来自然発生しないはずの眩暈までしてきそうになっていたが、ロックマンはそれをギリギリの所で押さえこむ事に成功していた。
その冷静さが熱斗から見ればかえって不気味で、不安感を煽り、熱斗にその原因を追及させる道を選ばせる。
「なんでそんな事……ホントに、何があったんだよ?」
「ん……だから、僕が馬鹿で幼稚だっただけで……」
「そういう事を訊いてるんじゃなくて! 具体的に何があってロールと絶交したのか訊いてるんだよ!」
ロックマンは熱斗の追及をふらりとかわそうと試みたが、熱斗はそれを許さず声を荒らげた。
それはまるでロックマンがロールと絶交した事を責めているようで、ロックマンはビクリと肩を震わせる。
同時に、鼻の奥がツンと痛くなった、と思ったら、急に熱斗が表情を困惑に戻して焦り始めた。
「あ、ごめっ、そんな責めるつもりじゃなくて……だから、泣くなよ……。」
泣くな、と言われて泣かずにいられるものなら苦労しない、とでも主張するかのように、ロックマンの目から大粒の涙が零れ落ち、それに焦る熱斗を見て、ロックマンは自分が泣き始めていた事を知った。
そうか、鼻が痛くなったのは涙が出る前兆だったのか、と、何処か他人事のように冷静に分析している自分がおかしくて、ロックマンはメールを持っていない、胸を押さえていた方の手の腕で涙を拭う。
しかし、数秒もするとすぐに次の水滴が目から零れおちて頬を濡らし、床に落ちて小さな染みを作る。
どれだけ泣きたくないと思っても涙は止まらず、すぐに腕では拭いきれなくなり、呼吸もヒクついて息苦しくなっていく、それが悔しくて悔しくて、ロックマンは無理矢理笑顔を作ろうとしながら、
「だ、大丈夫、大丈夫、だよ……。」
と主張したが、熱斗の目には全く大丈夫に見えなかった事は言うまでも無い。
うっかりロックマンを泣かせてしまった熱斗は、此方も一歩間違えば泣きそうな程焦った表情になって周囲を見回すが、今のロックマンの役に立ちそうな物は何も見当たらなかった。
自分がネットナビであるか、もしくはロックマンが人間であれば、自分のハンカチなり袖なり、とにかく涙の拭える物を貸す事ができるのに、と、人間とナビの住む世界の壁を、熱斗はもどかしく思う。
そうして熱斗が悔しげな表情でロックマンを見詰めていると、それまで必死になって涙を拭っていたロックマンの口が動いた。
「僕、が……ロールちゃん、に……酷い事、言っちゃった、から……!」
そう言いながら膝から床に崩れたロックマンは、いよいよ本格的に泣きだして、熱斗はロックマンにかける言葉を失ってしまう。
熱斗は仕方なく、ロックマンの手元にあるメールを回収し、その本文に数行の文章――ロールが先に読んだらメイルに、メイルが先に読んだらロールに伝えてくれという趣旨の文をを追加して、保存し直した後に回線でメールを送った。
そして簡単なプログラム作成のツールを開くと、そこに何かを手早く打ち込んで保存、コンパイルを実行する。
すると泣き崩れるロックマンの目の前に、一枚の白く柔らかそうな布が落ちてきた。
ロックマンがそれに気付いてゆっくりと顔をあげると、熱斗は少し困ったように笑って、
「それ、使っていいから。落ち付いたら、全部聴かせてくれよな。」
と言った。
ロックマンはしばし熱斗を見詰めた後、小さく頷いて布に手を伸ばし、その布で涙を拭い始めた。
無論、ロックマンの涙はまだしばらく止まりそうになかったが、熱斗が涙を拭う布をプログラムしてくれた事で少しだけ落ち付いたのか、ロックマンは涙を流しつつも、僅かに微笑する。
「ありがとう、熱斗くん……。」
それから何十分経っただろう? 空は既に青色に染まり直し、徐々に黒色を濃くしてきた頃だった。
一時間には満たないが、その半分近くは消費したと思われる時、ようやく泣き止み始めたロックマンが、ぽつりと口を開いたのだ。
「きっかけはね、僕の、その……ワガママ、だったんだ。」
一時的にパソコン作業に戻っていた熱斗の両手が止まる。
そして熱斗はキャスター付きの椅子を少しずらして、PETの画面を正面から見る位置に座り直した。
ようやく話してくれる気になったロックマンの話を、一言も聴き逃すまいとして、熱斗は全神経をPETの中で膝を抱えて座ってまだ僅かに涙を流しているロックマンへ向ける。
ロックマンもそれに気付いたのか、それまで自分の膝とその上に置いた涙に濡れた布から視線を上げ、熱斗の映る画面を見上げて、続けた。
「ほら、もう熱斗くんも大学生で、メイルちゃんも専門学校生になったじゃない? 当然二人は忙しいし、そうなったらナビである僕とロールちゃんも忙しいのは当たり前だよね。」
「ああ、そうだな。」
そう、今年二十歳になった熱斗とメイルはそれぞれ大学二年生と専門学校二年生という社会的立場に身を置いており、日々授業や課題に追われる日々を過ごしている。
今日のこの今も、熱斗はたった数秒前までロックマンが泣き止むのを待ちながら課題をこなしていた訳で、学校と課題以外は趣味に打ち込む時間も無く、昔からは想像もつかないほど忙しい日々を送っている。
だから熱斗は、ロックマンの言葉に同意した。
しかし、ロックマンはそんな熱斗を見て寂しそうな表情を浮かべて視線を自らの膝に落とす。
そして、
「でもね……僕の感覚は、あの頃のままだったんだ。みんな一緒に遊んでいられた、あの頃までのまま……。」
そう言うと、ロックマンの目から再び大粒の涙が零れ落ちた。
その涙が示す意味が何なのか、熱斗にはまだ分からない。
ロックマンはすぐに膝の上に乗せている布でその涙を拭い、話を続けた。
「そうだね、具体的には高校の始めぐらいまでかな……あの頃はね、まだ熱斗くんやメイルちゃんもそこそこ時間があったから、それと同じように僕やロールちゃんにもそれなりの時間があった。だからかな、ロールちゃんの方から僕に構ってくれって言ってくる時もあったんだよ。」
脳裏に思い浮かぶ、ロールからロックマンへ交流を求めるメールの形跡が、ロックマンの胸を再び締め上げ、軋ませる。
そうだ、あの頃はあんなに近かったのに、いつからこんなにも間が空いて、そして、絶交に至ってしまったのだろう、とロックマンは考えた。
少なくとも今回の事に関しては自分のせいだけれど、だけれど、全体的には自分だけのせいでは、ロックマンだけのせいではない、と、信じたい思いがあって、それが逆にロックマンの自己嫌悪に拍車をかける。
ロールやその周囲の環境のせいにして現実の結果から逃げ出そうとする弱虫、というとても正しい評価を己に張り付けて、ロックマンは自己嫌悪に沈む。
暗い海の底に沈められるような圧力を全身で感じながら、ロックマンは更に話を続けた。
「でもね、熱斗くん達が大学生になってしばらくした頃かな……ロールちゃん、忙しくなったのかな、あんまり連絡くれなくなっちゃってさ。みっともないけど、僕、寂しかったんだ。だからいつも、僕の方から連絡を入れるようになっていった……でも、そこまでならまだよかったんだよね、そこまでなら。」
そこまでならよかった、というロックマンの言葉に、熱斗はいよいよ自分の耳が話の確信を聴き取ろうとしている事を感じとり、緊張で喉の奥に溜まった唾をごくりと飲み込んだ。
ロックマンはそんな熱斗をチラリと視線だけで上目遣いに見上げると、すぐに視線を膝に戻して、遂に自分の脆さを露呈させる。
「……僕ね、不安だったんだ。ロールちゃんが連絡をくれないのは、僕の事が本当は嫌いで、鬱陶しく思ってるからじゃないだろうかって、いつも、不安だったんだ。」
「なんでそんな事……」
ロックマンが抱えていた、意外過ぎる不安に思わず声が漏れた熱斗を、ロックマンはやはり視線だけで見る。
その目は何故か、先ほどより少し鋭く、しかしどんよりとしていて、まるで熱斗には分からないだろうと言いたげに見えた。
そして、記憶の底から“あるトラブル”を引き出したロックマンは、熱斗へその不安に至った訳を告げた。
「……熱斗くんには教えて無かったね、僕が一度、ブルースと絶交した事……。」
「ブルースと絶交!? そんなの聴いてないぜ!?」
熱斗は再び声を荒らげて、その直後、しまった、と言いたげな顔をしたが、今回はロックマンはさほど驚かず、やはり視線だけで熱斗をチラリと見やるだけだった。
それは、熱斗の顔を正面から見ていられない、熱斗に自分の顔を正面から見せられない、そんな心境が滲みでる態度で、熱斗は何か恐ろしい話を聴いている様な気分になる。
オペレーターである自分の顔を見る事ができないような、そんな話をロックマンは一人で抱えていたのか、と、熱斗は不安にも似た緊張を感じた。
ロックマンはしばし沈黙したが、やがてまたゆっくりと、熱斗には信じられないような話を始める。
「あれは、熱斗くんがまだ中学一年生だった頃の夏頃の話だったかな。僕、その頃ブルースと話すのが楽しくて楽しくて、いつもブルースにメールをしてたんだ。そうしたら、さ……丁度新年になって一ヶ月が過ぎた頃だったかなぁ……ブルースに、鬱陶しいからもう関わるな、って言われちゃったんだ……。つまり僕は……ブルースに、一度嫌われてるんだ。一応、数年後に仲直りはしたけど……それ以来、ブルースから僕への連絡は一、二度あったけど、僕からブルースへの連絡は返信以外ではしてないし、此処数年はブルースからの連絡も無いよ。まぁ、熱斗くんには炎山からの連絡が回線で来る事があったから知らなかっただろうけど……。」
突然告げられた、ロール以外との絶交の話に、熱斗はしばらく頭がついていかなかった。
それでも何とか内容を頭の中で反芻して、ロックマンは一度ブルースと絶交し、後に関係を回復したが、事実上はほぼ絶交のままであった、という所までは内容を飲みこむ事ができた。
困惑が隠せない様子の熱斗を上目遣いで見ながら、ロックマンは震え気味の溜息を吐く。
まるで雪と氷しか無い世界に放り出されて凍えているかのような溜息に、熱斗はロックマンが当時の事をどれだけ深いトラウマとして抱えているかを知る。
だが、それがトラウマだとしても、どうしてロールとの絶交に繋がるのか、熱斗にはいまいちピンとこない。
だから熱斗はしばらく黙って考え込んだ後、ロックマンに尋ねる。
「……ブルースとの絶交が辛かったのはよく分かった。けどさ、なんでそれがロールとの関係の不信につながるんだよ? ロックマンを嫌ったのは飽く迄もブルースで、ロールじゃないんだろ?」
するとロックマンは視線を床に落としながらもう一度溜息を吐いた。
それはまるで、わかってないなぁ、とでも言いたげな、少し呆れと疲れが混ざった溜息で、熱斗はどうしてロックマンはそんな溜息を吐くのかと疑問に思い、怪訝そうな顔をする。
そんな熱斗から視線を逸らしたまま、ロックマンは、これも言わなければいけないのか、と、更に“もう一つのトラブル”を記憶の底から引き出して、熱斗の前に突き付けた。
「……そう言うと思ってた……だから、もう一つ教えてあげる。僕は、サーチマンからも嫌われて見限られてるって事をね。こっちは、今も完全絶交のままだよ。」
「え……嘘、だろ……?」
熱斗がショックを受けた様子で確かめると、ロックマンはゆっくりと首を横に振った。
つまり、嘘ではないと言っているのである。
自分の知らない所で様々なナビとの関係が途切れていたという事実を抱えるロックマンを見て、熱斗は、今此処にいるのは本当にロックマンなのだろうか? 以前いたダークロックマンかなにかではないのだろうか? と、なかば現実逃避のような事を考え始めた。
そうして、本当にショッキングで目を疑いたくなると言いたげな熱斗を見て、ロックマンは小さく笑う。
それは普通の笑みではなく、明らかに自嘲の笑みであって、熱斗は初めて見るロックマンの表情に、今まで見たどんな敵と対峙した時よりも恐ろしい悪寒のようなものを感じた。
「サーチマンとは、どうして……」
「んー……こっちは、価値観の違い、かな。どうやって生きるとか、そういうのが、なんか、違ったというか……ある意味、納得してる。僕もまだ今以上に幼くて、結構暴言吐いちゃったし、仕方ないって思ってる。だけど……」
ロックマンはそこで言葉を区切り、ふぅ、と小さな溜息を吐いた。
そして頭上の画面に映る熱斗を見上げると、先ほどのように自嘲的に苦く笑いながら、
「僕、気付いちゃったんだ。僕の事を本当に受け止められるナビなんて、多分、この世にいないんだろうな、って。どれだけ最初は仲良くなっても、最後は嫌われて終わるのが、僕の運命なのかもしれない、って……。だから、ブルースとサーチマン以外……例えばそう、ロールちゃんとか、他にはガッツマンとかグライドとかアイスマンとか、みんなもホントは僕の事が嫌いなのを隠して付き合ってくれてるんじゃないかって、いつもいつも、毎日毎時間毎分毎秒、不安になっちゃったんだ。」
正直、熱斗はロックマンの告白を、“たかがそれ一回、ないしは二回だけの事で……”と思い、僅かな呆れを感じていた。
これまで、主に小学生時代まで、熱斗とロックマンというコンビが戦い抜いてくる事ができたのは、彼等との信頼関係のおかげではないのかと思った。
ロックマンがそんな事をくよくよと悩んでいるなど、想像もつかなかったし、想像したくもなかったと思った。
けれど、ロックマンの自嘲的な目は形こそ薄っすら微笑んでいるのにどこか本気の悲しみを湛えているように感じられて、熱斗はそれらを言う事が出来ない。
一方ロックマンは、熱斗の呆然とした表情からなんとなくその呆れを感じとっており、このまま話を進めればロールだけでなく熱斗にも嫌われてしまう、見限られてしまうのではないかと思い始めていた。
様々なナビと遠い距離が空いてしまったロックマンにとって、熱斗は最後の砦であり、ロックマンが唯一安心して縋れる相手だった、相手だったけれども、この表情は、自分に絶交を言い渡してきたブルースやサーチマンとほぼ同じ表情だ、という事に気がついてしまったが最後、ロックマンは熱斗すら信じられなくなって、そんな自分が益々嫌いになっていく。
手足の指先から頭の天辺まで不安が支配して止まらない、けれど、どうせ嫌われるならせめて全てを話してしまおうと思ったロックマンは、なかば自棄になって話を続けた。
「それで、いつもそんな事を想ってる所に連絡の減少でしょ? 僕、ホント、人間で言う情緒不安定みたいになっちゃって、駄目だなぁって思いつつも、訳の分からない言葉でロールちゃんに棘を向けてたんだ。例えば、今回なら……“どうせロールちゃんは僕の事鬱陶しいと思ってるんだって分かりましたよ!”……ってね。馬鹿だよね、僕。ホントはロールちゃんに構って欲しくて仕方が無いのに、自分からロールちゃんを突き放すような事を言っちゃうなんて、ホント……馬鹿だ……。」
そういってロックマンは両腕で抱えた脚の、膝の部分に額を乗せて、小さい嗚咽を漏らし始めた。
心臓に相当するプログラムは軋み、脳に相当するプログラムは視界を揺らす、肺に相当するプログラムは上手な呼吸をさせてくれない、苦しい。
苦しい、悲しい、悔しい、その三つだけがロックマンの全てを支配して、涙は無限に溢れて止まらない。
いつの間にか膝の上の布は新たに涙を拭える場所がなくなっていて、それに気付いた熱斗はやれやれと少し呆れながらも新しい布をプログラムしてやった。
そして問いかける。
「……とりあえず、ロックマンがやらかしたっていうのはよく分かった。それで、その後はどうしたんだよ? ロールは何て?」
「その日は、それっきり、返信、なくって……翌日、言い過ぎたなって、思って、謝った、けど……返信、なくって……一週間後に、もう一度、メールを入れたら……っ……」
そこまで言って言葉を濁したロックマンは、何を想ったのか両手の指を思い切り歯で噛んだ。
突然のその行為が理解できなくて呆然とする熱斗の前で、ロックマンは指を噛んでは解放し、噛んでは解放することを繰り返す。
熱斗には理解できなかったその行為は、ロックマンにとってはこの苦しくて悲しくて悔しくて、もう思い出したくもない出来事の痛みを和らげるための行為だった事を、熱斗は後で落ち着きを取り戻したロックマンから聞かされる事となる。
ともかく、指を噛む痛みで頭の中の思考回路の痛みを誤魔化しながら、ロックマンは必死になって事の結末を熱斗へ伝えた。
「僕はっ、嫌われても、しかたないって、思ったからっ……僕と、友達でいるも、友達を辞めるも、ロールちゃんに、選んで、欲しいって……嫌いに、なってたら、捨てても、いいって言った……のに、ロールちゃんは、“好きにすれば? そこまで面倒見切れないわ”って……しかも、“もう貴方に構ってる時間は無いと思う”って……お別れさえも、言っでぐれなぐで……! 価値観、どがも、言われた、けどっ……僕には……わがんないよ……僕は、だた、ロールぢゃんが、好ぎな、だげなのにぃ!」
最後の方は泣き声と混ざっていて、濁点混じりになっていたが、ロックマンは何とか話を進めた。
心臓に相当するプログラムも脳に相当するプログラムも肺に相当するプログラムももう限界だと告げている、壊れてしまいそうだと告げている、けれど、それはしょせん“そういう気がする”だけでしかなく、ナビの体はそんなにも脆くは無い。
感覚では限界を感じているのに実際は壊れもしない体が憎らしくて、ロックマンはそれまで膝を抱えて座っていたその体勢を崩したと思ったら、まるで土下座でもするように膝を地に付けて座り、床に額をヘルメットごと叩きつけながら絶叫し始めた。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あっ!!」
「ろ、ロックマン! 落ちつけ! 落ちつけって!!」
熱斗は慌ててロックマンに落ちつくように言うが、ロックマンは床に額を叩きつける事を止めない。
その衝撃に耐えかねてか、ヘルメットの一部が小さなかけらになってパラパラと落ち始めたのを見て、熱斗は焦って大きめのクッションをプログラムし、ロックマンの目の前へ配置した。
それまで床にぶつかって聞こえていたガンッガンッガンッという音がクッションに吸収されて、ボスンッ、と柔らかい音に変わる。
ロックマンはそれで我に返ったのか、それとも何かが途切れたのか、絶叫を辞め、即席のクッションに顔をうずめて動かなくなった。
一応ホッとする熱斗をよそに、ロックマンはクッションに顔をうずめたまま小さく、呻くように、しかしか細く泣く。
熱斗が耳をすませると、僅かながらもロックマンが何かを言っているのが聞こえてきた。
「どうせ捨てるなら、捨てるって、バイバイって、サヨナラって、言って欲しかったよぉ……こんな形で突き放されたくなかったよぉ……僕が悪いって、言った、のに、認めた、のに……なんで今でも僕が君を悪いと思っているように言うのさぁ……ロールちゃんの、馬鹿……僕の、馬鹿……。」
ロックマンの中では、様々な色の感情がグチャグチャになって、結果的に何にも消せないほど濃い色の黒を作りだしていた。
その中には、悲しみ、苦しみ、悔しさはもちろんだが、自分の行動への嫌悪や、何故かロールへの殺意まで混ざっていて、ロックマンは自分でもどうしようもない、人間であれば向精神薬に頼って押さえつけるであろう滅茶苦茶な、自らの感情に嬲られている。
自分が悪いと思う自分と、ロールが悪いと思う自分、自分を殺したいと思う自分と、ロールを殺したいと思う自分、正反対な自分達が集まって争って、愛が憎になり憎が愛になる。
実はもうその出来事から二週間が経っている今であるが、ロックマンは未だにロールへの想いを絶ち切れずにいた。
だから、災害や殺人事件のニュースを見ては、ロールが同じ目に遭えばいいと思い、次の瞬間にはそんな事を考えている自分こそが死ぬべきではないのかと自己嫌悪し、でも別に思うだけなら自由ではないかと自己弁護をしてその場は誤魔化して、通り過ぎる事にする。
もしも、もしもこの手で、この手に装着した刃でロールの人生を終わりにできたらどれだけ幸せだろう、なんて事を考えては、やはりまた、自分が悪いのに何故ロールを殺すのかという自己嫌悪に沈む。
そんな事を、もう何度繰り返しただろう、いつまで繰り返すのだろう、もう嫌だ、もう嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!
だからロックマンは、熱斗にすら嫌われる覚悟で、事の全てを、熱斗に向けて吐きだす事にした。
「もう、嫌だよ……こんな、殺したくて死にたくて、愛していて憎んでいて、こんな想い、したくないよ……でも、ロールちゃんの事が焼き付いた頭で、何処に行けるって言うの……。ねぇ熱斗くん、教えてよ……僕は、何処へ向かおうとしてるの……。」
急にクッションから顔を上げたロックマンに問いかけられて、熱斗は困った顔で頭を掻いた。
自分だったら、自分のミスで相手を傷付けて捨てられたなら諦めるしかないと思う、そしてそれで諦められると思う、のに、ロックマンは何故かそれができないらしい。
そんな感覚の違いから、いつもなら誰よりもロックマンの傍にいる筈の熱斗は、今回ばかりはロックマンに寄り添う事が出来なかった。
今この瞬間も涙を流してロールとの思い出に縋るロックマンに、自分は一体何ができるのだろう?
悩んだ末、熱斗はキャスター付きの椅子を動かしてパソコンの前に座り、何やら電脳世界で使える物体のプログラムを始めた。
カタカタカタカタとキーボードを叩く音と、ヒクヒクとロックマンが咽び泣く声が部屋の中に響く。
やがて、熱斗はあるプログラムを完成させて、ロックマンのいるPETの中へとそれを送りこんだ。
クッションに顔を乗せる形で倒れているロックマンの上に、フワリと何かが落ちてくる、それはかけ布団だった。
なんでそんなものが? と驚くロックマンに、熱斗は言う。
「ごめんな、ロックマン。俺も、ロックマンが何処に行こうとしてるのか、どうしたらロックマンが救われるのかは分からないんだ……だから、今は何処にも行かなくていいから、さ……せめて、忘れろよ、全部。忘れた事にして、今日は休めよ、な? メールはもう回線で送っといたからさ。」
ロックマンはそんな熱斗をしばし驚いた様子で熱斗を見ていたが、その後、涙に濡れたまま小さく笑って、
「……うん。そうだね、そうだよね……それしか、ない、よね……。」
と言った。
その笑みはやはりどこか自嘲めいていて、完全な納得をしたという笑みには見えなかったが、結局の所ロックマンもそれしか自分にできる事は無い事自体は分かっているのだろうと思った熱斗は、少しだけ表情を緩めて、極力優しく、
「あぁ、おやすみ、ロックマン。」
と言った。
ロックマンは倒れたまま小さく頷き、ゆっくりと目を閉じて、現実の全てから自分を遮断する。
ネットナビは夢を見ない、だから、こうして眠りに落ちてしまえばもう何も見える事は無い、人間のように夢の中でまで責めさいなまれる事は無い。
それだけが、今のロックマンにとって唯一の助けで、唯一の救いかもしれない、と思いながら、熱斗はパソコンに向き直った。
それから数時間後、熱斗が一階のリビングで夕飯をすませてから二階の自室に戻ると、PETの画面には目を覚ましたロックマンが映っていた。
熱斗はそれを見て一瞬足を止め、少し心配そうな顔を見せたが、ロックマンはそんな熱斗とは逆にいつも通りの笑顔を見せている。
もしかしたらある程度は吹っ切る事ができたのだろうか? それともこれも無理矢理な笑みなのだろうか? と不安に思いながら、熱斗はPETに近付き、ロックマンに声をかける。
「おはよ、ロックマン。」
「うん、おはよう、熱斗くん。って言っても、もう夜だけどね。あはは。」
綺麗過ぎる笑顔で笑うロックマンはまだ無理をしているように見えて、熱斗は不安と心配を隠しきれない表情でロックマンを見る。
するとそれを察してか、それとも自分から話題にするつもりだったのか、ロックマンが、
「さっきは驚かせてごめんね、もう大丈夫だから。」
と言ってきた。
熱斗が、えっ、と小さく声を漏らすと、ロックマンは少し悪戯っぽく笑って、
「しばらく寝たら、なんかスッキリしたみたい!」
と元気よく言ったが、それでも僅かに残る目の周りの赤みが、つい数時間前までロックマンが泣いていた事を証明していて、熱斗はその元気な声を心の底からの元気だと思う事ができない。
本当に大丈夫なのだろうか? この元気は本物なのだろうか? まさか、自殺する人間が見せる妙な解放感と同じではないだろうか? という、様々な不安が熱斗の脳裏を過り、熱斗は先ほどロックマンの気持ちに寄り添う事が出来なかった事を悔しく思う。
そうしてしばらく不安そうな表情でロックマンを見ていると、ロックマンも熱斗の心配に気付いたのか、一度視線を伏せてから上目遣いで熱斗を見上げ、そして、
「大丈夫、すぐには無理かもしれないけど、徐々に忘れるから。忘れられなくても、頭の隅に仕舞いこんでおくから……だからそんな顔しないで? ね? それにほら、僕が別れちゃったのはロールちゃんだけだから、メイルちゃんと会う分には問題ないから、熱斗くんの邪魔にはならないと思うし! もし、というか多分普通にそうなんだろうけど、ロールちゃんが一緒に来たら、その時は、僕はインターネットシティにでも行って遊んでくるから。あ、一応メイルちゃんには今日の話は秘密だよ? ロールちゃんから聞いてる可能性は捨てきれないけど、そうじゃなかったら、なんていうか、メイルちゃんとまでギクシャクしちゃうのは嫌だからね。」
と、一々身振り手振りまでつけて一気にまくし立てた。
その必死さが熱斗にはどうにも悲しく見えて、無理するなよ、と言おうかとも思ったが、それは折角泣きやんだロックマンの前に進む覚悟を壊してしまう様な気がしたので、言わないでおく事にする。
多分、自分に、光 熱斗にできる事はそれぐらいなのだろう、そんな正直悲しく無力な立場を自覚して、熱斗は小さく微笑んで見せた。
「わかった、今日の事は俺達だけの秘密だな。」
「そう、僕達だけの秘密だよ。」
熱斗が微笑むと、ロックマンも微笑んでそう返してきた。
そしてロックマンは、熱斗の映った画面にくるりと背を向け、ストンッと床に座り、小さな画面を二つ開く。
それは、片方が文章作成用の機能を持った画面で、もう一つはキーボードの役割を持った画面だった。
それから、今日の夕方から開きっぱなしになっている音楽プレーヤーの画面からのびているコードを耳当てに接続し、音楽を聞きながら何か文章を打ち始める。
PETの画面は小さくて、熱斗にはロックマンが何を打ち込んでいるのかは分からない。
「ロックマン、何書いてるんだ?」
「ん? そうだね……これは、僕の覚悟の証になるかな。」
一体ロックマンは何の覚悟をしたというのだろう? と、疑問に思った熱斗が小さく首をかしげると、ロックマンは熱斗に背を向けたまま小さく笑い、
「安心してよ、これは覚悟であると同時に、僕が大丈夫で、いつか何処かに辿り着けるはずっていう、そういうものだから。」
と言った。
End.
それは、ある日の夕方の事だった。
西の空に落ちかけた日差しの赤と朱色が眩しいその時、ロックマンはPETの中で、枕に似た形の四角いクッションを抱き締めながら音楽を聴きつつ、Webブラウザによるインターネット閲覧に興じていた。
現実世界で言うタブレットに似た機能を持つ画面に指先を滑らせてWebページを切り替え、お目当ての情報を探し出す。
例えばそれはもはや常連と言っても過言ではない程参加している某所のチャットページだったり、インターネット内で一番有名かもしれない某大型掲示板だったりと、個人的なものから公共的なものまで多岐にわたっていて、どれもロックマンを楽しませてくれそうなものばかりである。
実際、ロックマンはその数々のWebページの閲覧を楽しんでいた。
しかし、その割に耳に入れている音楽は何処かうす暗く、途方に暮れる別れの曲や、過去の自分の行いを後悔する曲など、キラキラとした未来が待っている青年――光 熱斗のナビにしては、重苦しいものばかりだ。
そして、それは午後五時頃だっただろうか。
「なぁロックマン、ちょっとこのメールをロールに届けておいてくれないか?」
ロックマンは激しい音楽の音と音の間に微かに熱斗の声を聴き取り、タブレット機能のある画面を弄る手を止めた。
激しい音圧のせいでその言葉の全てを聴き取る事は出来なかったが、辛うじて、メール、ロール、届けて、の三単語を聴き取ったロックマンの背筋に、ゾクリと悪寒にも似た不快感が走る。
おそらく熱斗はロールにメールを届けてくれと言っていたのだろう、それを信じたくないロックマンは、音楽プレーヤーの画面を操作して音楽を一時停止し、そのプレーヤーの画面から自分の耳当てへと繋いだコードを切断、解除して、背後に現れた熱斗の顔の映っている画面に振り向く。
熱斗の顔は若干斜めから映っていて、どうやらパソコンで作業をしながら話しかけてきたのだということが読み取れた。
悪意は無い、悪意は無いと分かっているけれど、人間で言う心臓、ナビでいうエネルギー供給の為のコアが激しく脈打って胸が苦しくなるのを感じながら、ロックマンは少しぎこちない様子で熱斗に訊き返した。
「えっと、ごめん、もう一度、言って、くれる、かな……?」
単語を一つ一つわざとらしい程に区切って発言したロックマンを見て、熱斗は若干怪訝そうな、何かおかしなものを見たような不思議そうな表情を見せる。
そこにはさほど大した意味など無い事はロックマンも分かっている、分かっているはずだったが、その時のロックマンには何故かロックマンの態度が気に入らないと言っているように見えて、ロックマンは無意識の内にナビマークを押さえるように胸に手を当てていた。
どうか、どうかさっきの僕の聴き取った言葉が嘘か、僕の聴き間違いでありますように、と強く願いながら、ロックマンは熱斗の返事を待つ。
胸は一層強く脈打って、嗚呼自分が人間だったなら、そろそろ不整脈や心室細動でも起こして倒れてしまうのではないだろうか、などと考え始めた頃、しばしの間黙っていた熱斗がもう一度口を開いた。
「だから、このメールをロールに届けておいてほしいんだって。」
熱斗がそう言うと現実世界でタンッと軽くキーボードを叩く音がして、次の瞬間ロックマンの目の前に一通の封筒――メールデータが現れた。
メールは宙に浮いたまま回転していたが、ロックマンが躊躇いつつも手を伸ばすと回転をやめ、ロックマンの手の中に落ちてくる。
落ちてきたメールは少し重みがあって、これでは確かに回線よりもネットナビを使いたくもなるだろう、と思ったが、ロックマンにはどうしてもそれをしたくない理由があった。
だからロックマンは、手の中に落ちてきたメールと、パソコンで作業をしながら自分を見ている熱斗を交互に見てから、意を決して口を開く。
「あのさ、これ、回線で送っちゃ駄目なのかな……?」
それはハッキリ言って、ネットナビとしての義務や存在意義を放棄した言葉である事ぐらいロックマンも分かっていた。
だが、それら全てを放棄してでもロールにこのメールを届けに行きたくない――否、届に行く事が出来ないロックマンはそう言うしかなかった。
お願いだから回線を選んで、お願いだから僕を使わないで、僕とロールちゃんを引きあわせないで、そして訳は訊かないで、というロックマンの願いとは裏腹に、ロックマンの申し出を不信に思った熱斗はパソコンでの作業を中断して正面からPETの画面に向きあい、そして尋ねる。
「なんでだよ、ロックマンが渡した方が確実だし早いじゃん。なんか回線の方がいい理由でもあるのか?」
熱斗からしてみればただの質問だったそれは、ロックマンにとってはどうにも尋問と非難のように感じられて、ロックマンは視線を床に落とした。
さて、熱斗の正論に対してどう言い訳したものだろう? どう言えば、熱斗は回線で送る事に納得してくれるのだろう? 視線を床に落としたまま、ロックマンは悩む。
そうして無言になって俯いていると、熱斗の方が何か違和感とでもいうのか、いつものロックマンには無い何かを感じ取ったらしく、再びロックマンに問いかけてくる。
「……ロックマン、もしかして、回線の方がいい理由があるんじゃなくて、自分が行けない理由でもあるのか?」
ギクリと体が固まって、息が止まる。
ネットナビに酸素を吸って二酸化炭素を吐く機能などついてはいないから、呼吸は所詮ナビの行動を人間らしくみせる為のオマケの要素でしか無い、止まっても問題ない、その筈だったが、ロックマンはまるで人間が水中で何十秒も息を止めている時のような強烈な息苦しさを感じ、一瞬止まってしまった見せかけの呼吸を必死になって再開した。
痛いのは肺に相当するプログラムか、いや違う、これはきっと心臓に相当するプログラムの方だ、だって、息を吸っても吐いてもこんなに胸が苦しい、と、混乱と冷静の狭間でロックマンは自己分析をする。
片手でメールを持ちながら、もう片方の手で胸を押さえて必死に、過剰な程に呼吸を繰り返すロックマンを見て、益々不信に、いや今度は少し心配になってきた熱斗は、その無邪気な心配こそがロックマンを追い詰めているという自覚を持たないままでロックマンに尋ねる。
「なぁ、なんかあったなら話してくれよ。それ、回線で送る事にしてもいいからさ。」
心配そうな熱斗の声が、何故か呆れに満ちた溜息のような言葉に聞こえて、ロックマンはひゅっと息が詰まるのを感じた。
心臓に相当するプログラムが痛む、脳に相当するプログラムが揺れて視界さえも揺れる、情けない、本当に情けない。
嗚呼きっと、熱斗の声が呆れに聞こえるのは、今すぐ呆れられる事は無くとも、どこか未来で、熱斗が呆れと哀れみに満ちた表情で自分を見てくると分かってくるからだ、とロックマンは考えた。
そしてそれはきっと、自分がロールのもとへ行けない理由を答えた時だ、と思うロックマンは、どうしても熱斗にそれを打ち明ける気にはなれないと黙りこむ。
黙り込んだまま、熱斗が理由の追及を諦めてくれる事を待つ。
しかし、熱斗は諦めず、
「なぁ、黙ってたら何も分からないんだって。言う程の理由じゃないなら行って来てくれよ、ロールの所。」
と、半ば脅しのような言葉を吐いてきて、理由を言わずにロールの所へ行くか、理由を言ってロールの所へ行かないか、その二択しか許されない事をロックマンに突き付けてきた。
そんな、酷いよ、という言葉すら口にできないまま、ロックマンは熱斗の映った画面をそっと見上げる。
熱斗の表情は、心配しているようにも見えるが、何処か呆れているようにも見えて、少し不機嫌になってきたようにも感じられて、このままでは熱斗との関係すらギクシャクしてしまうと感じたロックマンは、遂に全てを吐く事を決意した。
軋むように痛む胸を押さえ、地震のように揺れる頭の中身の安定を試みながら、ロックマンは一度だけ視線を床に落とし、ふぅ、と小さく溜息を吐いてから再び熱斗を見上げて、
「……あのね、僕、ロールちゃんと、仲違いしちゃったんだ。」
と、全ての結論を簡潔に告げた。
あまりにも冷静に告げられた衝撃的な結論に、熱斗が僅かに目を見開いて驚く。
「え……マジ?」
「うん、本当の事だよ。」
動揺が隠せない様子の熱斗から、手の中にあるメールに視線を落としながら、ロックマンは頷いた。
視線の先にある白い横型の封筒、熱斗からロールへ向けられたメール、それはきっと基本的にはメイルへの連絡なのだろうけれども、それでもこのメールが、熱斗の書いたメールがロールに届き、その目に、心に、触れる事を想うと、今自分の手の中にあるこのメールが憎らしい。
もう自分――ロックマンの言葉はロールには届かないのに、自分の主人――熱斗の言葉はロールに届くのかと思うと、熱斗が妬ましい。
けれど、そうなった原因は全て自分にある事を自覚すると、ロックマンは途端に自己嫌悪の波に襲われて、水の底に沈められたような息苦しさを感じるのだ。
手の中の白い封筒をじっと見つめるロックマン、そんなロックマンに熱斗は少し躊躇いながらも、
「えっと……どうして、そんな事になったんだ?」
と、その仲違いの理由を訊いた。
熱斗には一番訊かれたくなかったそれを訊かれたロックマンは、僅かに眉間にしわを寄せて険しい表情を見せた後、その表情をふっと微笑に変える。
その変化が何を意味するのか、熱斗は読みとれない。
どうしてロックマンは笑っているのだろう、先ほど一瞬見えた重苦しい表情の方がこの話には相応しい気がするのに、どうしてだろう? と思い何処か不安そうな表情を見せる熱斗へ、ロックマンは答える。
「そのね、原因は……僕なんだ。結論から言えば、僕が、馬鹿だっただけ……それだけだよ。」
そう答えたロックマンは小さく笑い、その内側では心臓に相当するプログラムや脳に相当するプログラムが悲鳴を上げている事実を隠しながら、それまで胸を押さえていた手でヘルメットの上から頭を掻いた。
そんなロックマンの様子を何処か不安に思いながらも、もしかしたら本当に大した事ではないレベルの仲違いなのかもしれないと若干の安心も覚え始めていた熱斗は、しばし無言でロックマンを見詰め、悩んだ後にロックマンへ、
「そっか……じゃあちゃんと謝って仲直りしないとな。」
と、言ってみた。
その途端、ロックマンの照れ隠しのような少しだけ違和感のある笑い声が止まった。
そして、ロックマンの表情からは笑顔が消え、少し驚いたりショックを受けたりしたような表情になる。
更に、呆然と目を見開いて、ただただ立ち尽くすロックマンの様子を見て、熱斗は、自分は何か地雷を踏んだらしいと直感した。
「えっと、ロックマン?」
その沈黙を誤魔化すように熱斗がロックマンの名前を呼ぶ。
熱斗に名前を呼ばれたロックマンは、ぱくぱくと小さく口を動かして何か言おうとするが、ロックマン自身何を言っていいのか分からないのか、いや、結論は出ているがその結論をどう熱斗に伝えればいいのか分からないのか、口を閉じて視線を伏せてしまう。
頭を掻いた手は、再び胸を押さえていて、心臓に相当するプログラムがかなり限界に近い事を熱斗にもロックマン自身にも伝えている。
どうして僕がこんな想いをしなければいけないんだ! と、誰か他人に責任を押し付けようとする思いと、これは僕にとって相応の罰だ、と、自責する想いが交差して、その両方が心臓に相当するプログラムを縛り上げ、破裂させようとしている、そんな気がして、ロックマンは少しでも自分の寿命が伸びますようにと、少しでも延命されますようにと、必死になって息を吸い、吐き、吸い、吐いた。
そしてほんの僅かに息が苦しく無くなったその瞬間を狙って、吐きだす。
「……ごめん、それはもうできないんだ。」
やっと吐きだした言葉は、何故か謝罪が付属していて、ロックマンはその謝罪を口にしながら、自分は一体誰に謝っているのだろう? と考えた。
それは熱斗に? もしくはロールに? それとも自分自身に? もしかして、それら全てに?
いや、それどころか、今までかかわってきたナビや人間、またこれから関わるナビや人間全てかもしれない、そんな考えが浮かんで、ロックマンは既にどん底まで落ちているはずの気分が更に落ちていくのを感じた。
それでもロックマンは、まだ質問攻めを続けるであろう熱斗の表情を窺う為、ゆっくりと視線を上げ、熱斗の映っている画面に視線を向ける。
案の定、熱斗は驚いた上に困惑したような顔をしていた。
「できないって……どういう事だよ? まさかお前、ロールと絶交したとか言うんじゃ……」
「うん……大雑把に言うと、そういう事、かな。」
困惑気味に問い詰めてきた熱斗へ、少し困ったような笑みを浮かべながらロックマンは冷静に答えた。
本当は心臓に相当するプログラムは軋み、脳に相当するプログラムは揺れて、本来自然発生しないはずの眩暈までしてきそうになっていたが、ロックマンはそれをギリギリの所で押さえこむ事に成功していた。
その冷静さが熱斗から見ればかえって不気味で、不安感を煽り、熱斗にその原因を追及させる道を選ばせる。
「なんでそんな事……ホントに、何があったんだよ?」
「ん……だから、僕が馬鹿で幼稚だっただけで……」
「そういう事を訊いてるんじゃなくて! 具体的に何があってロールと絶交したのか訊いてるんだよ!」
ロックマンは熱斗の追及をふらりとかわそうと試みたが、熱斗はそれを許さず声を荒らげた。
それはまるでロックマンがロールと絶交した事を責めているようで、ロックマンはビクリと肩を震わせる。
同時に、鼻の奥がツンと痛くなった、と思ったら、急に熱斗が表情を困惑に戻して焦り始めた。
「あ、ごめっ、そんな責めるつもりじゃなくて……だから、泣くなよ……。」
泣くな、と言われて泣かずにいられるものなら苦労しない、とでも主張するかのように、ロックマンの目から大粒の涙が零れ落ち、それに焦る熱斗を見て、ロックマンは自分が泣き始めていた事を知った。
そうか、鼻が痛くなったのは涙が出る前兆だったのか、と、何処か他人事のように冷静に分析している自分がおかしくて、ロックマンはメールを持っていない、胸を押さえていた方の手の腕で涙を拭う。
しかし、数秒もするとすぐに次の水滴が目から零れおちて頬を濡らし、床に落ちて小さな染みを作る。
どれだけ泣きたくないと思っても涙は止まらず、すぐに腕では拭いきれなくなり、呼吸もヒクついて息苦しくなっていく、それが悔しくて悔しくて、ロックマンは無理矢理笑顔を作ろうとしながら、
「だ、大丈夫、大丈夫、だよ……。」
と主張したが、熱斗の目には全く大丈夫に見えなかった事は言うまでも無い。
うっかりロックマンを泣かせてしまった熱斗は、此方も一歩間違えば泣きそうな程焦った表情になって周囲を見回すが、今のロックマンの役に立ちそうな物は何も見当たらなかった。
自分がネットナビであるか、もしくはロックマンが人間であれば、自分のハンカチなり袖なり、とにかく涙の拭える物を貸す事ができるのに、と、人間とナビの住む世界の壁を、熱斗はもどかしく思う。
そうして熱斗が悔しげな表情でロックマンを見詰めていると、それまで必死になって涙を拭っていたロックマンの口が動いた。
「僕、が……ロールちゃん、に……酷い事、言っちゃった、から……!」
そう言いながら膝から床に崩れたロックマンは、いよいよ本格的に泣きだして、熱斗はロックマンにかける言葉を失ってしまう。
熱斗は仕方なく、ロックマンの手元にあるメールを回収し、その本文に数行の文章――ロールが先に読んだらメイルに、メイルが先に読んだらロールに伝えてくれという趣旨の文をを追加して、保存し直した後に回線でメールを送った。
そして簡単なプログラム作成のツールを開くと、そこに何かを手早く打ち込んで保存、コンパイルを実行する。
すると泣き崩れるロックマンの目の前に、一枚の白く柔らかそうな布が落ちてきた。
ロックマンがそれに気付いてゆっくりと顔をあげると、熱斗は少し困ったように笑って、
「それ、使っていいから。落ち付いたら、全部聴かせてくれよな。」
と言った。
ロックマンはしばし熱斗を見詰めた後、小さく頷いて布に手を伸ばし、その布で涙を拭い始めた。
無論、ロックマンの涙はまだしばらく止まりそうになかったが、熱斗が涙を拭う布をプログラムしてくれた事で少しだけ落ち付いたのか、ロックマンは涙を流しつつも、僅かに微笑する。
「ありがとう、熱斗くん……。」
それから何十分経っただろう? 空は既に青色に染まり直し、徐々に黒色を濃くしてきた頃だった。
一時間には満たないが、その半分近くは消費したと思われる時、ようやく泣き止み始めたロックマンが、ぽつりと口を開いたのだ。
「きっかけはね、僕の、その……ワガママ、だったんだ。」
一時的にパソコン作業に戻っていた熱斗の両手が止まる。
そして熱斗はキャスター付きの椅子を少しずらして、PETの画面を正面から見る位置に座り直した。
ようやく話してくれる気になったロックマンの話を、一言も聴き逃すまいとして、熱斗は全神経をPETの中で膝を抱えて座ってまだ僅かに涙を流しているロックマンへ向ける。
ロックマンもそれに気付いたのか、それまで自分の膝とその上に置いた涙に濡れた布から視線を上げ、熱斗の映る画面を見上げて、続けた。
「ほら、もう熱斗くんも大学生で、メイルちゃんも専門学校生になったじゃない? 当然二人は忙しいし、そうなったらナビである僕とロールちゃんも忙しいのは当たり前だよね。」
「ああ、そうだな。」
そう、今年二十歳になった熱斗とメイルはそれぞれ大学二年生と専門学校二年生という社会的立場に身を置いており、日々授業や課題に追われる日々を過ごしている。
今日のこの今も、熱斗はたった数秒前までロックマンが泣き止むのを待ちながら課題をこなしていた訳で、学校と課題以外は趣味に打ち込む時間も無く、昔からは想像もつかないほど忙しい日々を送っている。
だから熱斗は、ロックマンの言葉に同意した。
しかし、ロックマンはそんな熱斗を見て寂しそうな表情を浮かべて視線を自らの膝に落とす。
そして、
「でもね……僕の感覚は、あの頃のままだったんだ。みんな一緒に遊んでいられた、あの頃までのまま……。」
そう言うと、ロックマンの目から再び大粒の涙が零れ落ちた。
その涙が示す意味が何なのか、熱斗にはまだ分からない。
ロックマンはすぐに膝の上に乗せている布でその涙を拭い、話を続けた。
「そうだね、具体的には高校の始めぐらいまでかな……あの頃はね、まだ熱斗くんやメイルちゃんもそこそこ時間があったから、それと同じように僕やロールちゃんにもそれなりの時間があった。だからかな、ロールちゃんの方から僕に構ってくれって言ってくる時もあったんだよ。」
脳裏に思い浮かぶ、ロールからロックマンへ交流を求めるメールの形跡が、ロックマンの胸を再び締め上げ、軋ませる。
そうだ、あの頃はあんなに近かったのに、いつからこんなにも間が空いて、そして、絶交に至ってしまったのだろう、とロックマンは考えた。
少なくとも今回の事に関しては自分のせいだけれど、だけれど、全体的には自分だけのせいでは、ロックマンだけのせいではない、と、信じたい思いがあって、それが逆にロックマンの自己嫌悪に拍車をかける。
ロールやその周囲の環境のせいにして現実の結果から逃げ出そうとする弱虫、というとても正しい評価を己に張り付けて、ロックマンは自己嫌悪に沈む。
暗い海の底に沈められるような圧力を全身で感じながら、ロックマンは更に話を続けた。
「でもね、熱斗くん達が大学生になってしばらくした頃かな……ロールちゃん、忙しくなったのかな、あんまり連絡くれなくなっちゃってさ。みっともないけど、僕、寂しかったんだ。だからいつも、僕の方から連絡を入れるようになっていった……でも、そこまでならまだよかったんだよね、そこまでなら。」
そこまでならよかった、というロックマンの言葉に、熱斗はいよいよ自分の耳が話の確信を聴き取ろうとしている事を感じとり、緊張で喉の奥に溜まった唾をごくりと飲み込んだ。
ロックマンはそんな熱斗をチラリと視線だけで上目遣いに見上げると、すぐに視線を膝に戻して、遂に自分の脆さを露呈させる。
「……僕ね、不安だったんだ。ロールちゃんが連絡をくれないのは、僕の事が本当は嫌いで、鬱陶しく思ってるからじゃないだろうかって、いつも、不安だったんだ。」
「なんでそんな事……」
ロックマンが抱えていた、意外過ぎる不安に思わず声が漏れた熱斗を、ロックマンはやはり視線だけで見る。
その目は何故か、先ほどより少し鋭く、しかしどんよりとしていて、まるで熱斗には分からないだろうと言いたげに見えた。
そして、記憶の底から“あるトラブル”を引き出したロックマンは、熱斗へその不安に至った訳を告げた。
「……熱斗くんには教えて無かったね、僕が一度、ブルースと絶交した事……。」
「ブルースと絶交!? そんなの聴いてないぜ!?」
熱斗は再び声を荒らげて、その直後、しまった、と言いたげな顔をしたが、今回はロックマンはさほど驚かず、やはり視線だけで熱斗をチラリと見やるだけだった。
それは、熱斗の顔を正面から見ていられない、熱斗に自分の顔を正面から見せられない、そんな心境が滲みでる態度で、熱斗は何か恐ろしい話を聴いている様な気分になる。
オペレーターである自分の顔を見る事ができないような、そんな話をロックマンは一人で抱えていたのか、と、熱斗は不安にも似た緊張を感じた。
ロックマンはしばし沈黙したが、やがてまたゆっくりと、熱斗には信じられないような話を始める。
「あれは、熱斗くんがまだ中学一年生だった頃の夏頃の話だったかな。僕、その頃ブルースと話すのが楽しくて楽しくて、いつもブルースにメールをしてたんだ。そうしたら、さ……丁度新年になって一ヶ月が過ぎた頃だったかなぁ……ブルースに、鬱陶しいからもう関わるな、って言われちゃったんだ……。つまり僕は……ブルースに、一度嫌われてるんだ。一応、数年後に仲直りはしたけど……それ以来、ブルースから僕への連絡は一、二度あったけど、僕からブルースへの連絡は返信以外ではしてないし、此処数年はブルースからの連絡も無いよ。まぁ、熱斗くんには炎山からの連絡が回線で来る事があったから知らなかっただろうけど……。」
突然告げられた、ロール以外との絶交の話に、熱斗はしばらく頭がついていかなかった。
それでも何とか内容を頭の中で反芻して、ロックマンは一度ブルースと絶交し、後に関係を回復したが、事実上はほぼ絶交のままであった、という所までは内容を飲みこむ事ができた。
困惑が隠せない様子の熱斗を上目遣いで見ながら、ロックマンは震え気味の溜息を吐く。
まるで雪と氷しか無い世界に放り出されて凍えているかのような溜息に、熱斗はロックマンが当時の事をどれだけ深いトラウマとして抱えているかを知る。
だが、それがトラウマだとしても、どうしてロールとの絶交に繋がるのか、熱斗にはいまいちピンとこない。
だから熱斗はしばらく黙って考え込んだ後、ロックマンに尋ねる。
「……ブルースとの絶交が辛かったのはよく分かった。けどさ、なんでそれがロールとの関係の不信につながるんだよ? ロックマンを嫌ったのは飽く迄もブルースで、ロールじゃないんだろ?」
するとロックマンは視線を床に落としながらもう一度溜息を吐いた。
それはまるで、わかってないなぁ、とでも言いたげな、少し呆れと疲れが混ざった溜息で、熱斗はどうしてロックマンはそんな溜息を吐くのかと疑問に思い、怪訝そうな顔をする。
そんな熱斗から視線を逸らしたまま、ロックマンは、これも言わなければいけないのか、と、更に“もう一つのトラブル”を記憶の底から引き出して、熱斗の前に突き付けた。
「……そう言うと思ってた……だから、もう一つ教えてあげる。僕は、サーチマンからも嫌われて見限られてるって事をね。こっちは、今も完全絶交のままだよ。」
「え……嘘、だろ……?」
熱斗がショックを受けた様子で確かめると、ロックマンはゆっくりと首を横に振った。
つまり、嘘ではないと言っているのである。
自分の知らない所で様々なナビとの関係が途切れていたという事実を抱えるロックマンを見て、熱斗は、今此処にいるのは本当にロックマンなのだろうか? 以前いたダークロックマンかなにかではないのだろうか? と、なかば現実逃避のような事を考え始めた。
そうして、本当にショッキングで目を疑いたくなると言いたげな熱斗を見て、ロックマンは小さく笑う。
それは普通の笑みではなく、明らかに自嘲の笑みであって、熱斗は初めて見るロックマンの表情に、今まで見たどんな敵と対峙した時よりも恐ろしい悪寒のようなものを感じた。
「サーチマンとは、どうして……」
「んー……こっちは、価値観の違い、かな。どうやって生きるとか、そういうのが、なんか、違ったというか……ある意味、納得してる。僕もまだ今以上に幼くて、結構暴言吐いちゃったし、仕方ないって思ってる。だけど……」
ロックマンはそこで言葉を区切り、ふぅ、と小さな溜息を吐いた。
そして頭上の画面に映る熱斗を見上げると、先ほどのように自嘲的に苦く笑いながら、
「僕、気付いちゃったんだ。僕の事を本当に受け止められるナビなんて、多分、この世にいないんだろうな、って。どれだけ最初は仲良くなっても、最後は嫌われて終わるのが、僕の運命なのかもしれない、って……。だから、ブルースとサーチマン以外……例えばそう、ロールちゃんとか、他にはガッツマンとかグライドとかアイスマンとか、みんなもホントは僕の事が嫌いなのを隠して付き合ってくれてるんじゃないかって、いつもいつも、毎日毎時間毎分毎秒、不安になっちゃったんだ。」
正直、熱斗はロックマンの告白を、“たかがそれ一回、ないしは二回だけの事で……”と思い、僅かな呆れを感じていた。
これまで、主に小学生時代まで、熱斗とロックマンというコンビが戦い抜いてくる事ができたのは、彼等との信頼関係のおかげではないのかと思った。
ロックマンがそんな事をくよくよと悩んでいるなど、想像もつかなかったし、想像したくもなかったと思った。
けれど、ロックマンの自嘲的な目は形こそ薄っすら微笑んでいるのにどこか本気の悲しみを湛えているように感じられて、熱斗はそれらを言う事が出来ない。
一方ロックマンは、熱斗の呆然とした表情からなんとなくその呆れを感じとっており、このまま話を進めればロールだけでなく熱斗にも嫌われてしまう、見限られてしまうのではないかと思い始めていた。
様々なナビと遠い距離が空いてしまったロックマンにとって、熱斗は最後の砦であり、ロックマンが唯一安心して縋れる相手だった、相手だったけれども、この表情は、自分に絶交を言い渡してきたブルースやサーチマンとほぼ同じ表情だ、という事に気がついてしまったが最後、ロックマンは熱斗すら信じられなくなって、そんな自分が益々嫌いになっていく。
手足の指先から頭の天辺まで不安が支配して止まらない、けれど、どうせ嫌われるならせめて全てを話してしまおうと思ったロックマンは、なかば自棄になって話を続けた。
「それで、いつもそんな事を想ってる所に連絡の減少でしょ? 僕、ホント、人間で言う情緒不安定みたいになっちゃって、駄目だなぁって思いつつも、訳の分からない言葉でロールちゃんに棘を向けてたんだ。例えば、今回なら……“どうせロールちゃんは僕の事鬱陶しいと思ってるんだって分かりましたよ!”……ってね。馬鹿だよね、僕。ホントはロールちゃんに構って欲しくて仕方が無いのに、自分からロールちゃんを突き放すような事を言っちゃうなんて、ホント……馬鹿だ……。」
そういってロックマンは両腕で抱えた脚の、膝の部分に額を乗せて、小さい嗚咽を漏らし始めた。
心臓に相当するプログラムは軋み、脳に相当するプログラムは視界を揺らす、肺に相当するプログラムは上手な呼吸をさせてくれない、苦しい。
苦しい、悲しい、悔しい、その三つだけがロックマンの全てを支配して、涙は無限に溢れて止まらない。
いつの間にか膝の上の布は新たに涙を拭える場所がなくなっていて、それに気付いた熱斗はやれやれと少し呆れながらも新しい布をプログラムしてやった。
そして問いかける。
「……とりあえず、ロックマンがやらかしたっていうのはよく分かった。それで、その後はどうしたんだよ? ロールは何て?」
「その日は、それっきり、返信、なくって……翌日、言い過ぎたなって、思って、謝った、けど……返信、なくって……一週間後に、もう一度、メールを入れたら……っ……」
そこまで言って言葉を濁したロックマンは、何を想ったのか両手の指を思い切り歯で噛んだ。
突然のその行為が理解できなくて呆然とする熱斗の前で、ロックマンは指を噛んでは解放し、噛んでは解放することを繰り返す。
熱斗には理解できなかったその行為は、ロックマンにとってはこの苦しくて悲しくて悔しくて、もう思い出したくもない出来事の痛みを和らげるための行為だった事を、熱斗は後で落ち着きを取り戻したロックマンから聞かされる事となる。
ともかく、指を噛む痛みで頭の中の思考回路の痛みを誤魔化しながら、ロックマンは必死になって事の結末を熱斗へ伝えた。
「僕はっ、嫌われても、しかたないって、思ったからっ……僕と、友達でいるも、友達を辞めるも、ロールちゃんに、選んで、欲しいって……嫌いに、なってたら、捨てても、いいって言った……のに、ロールちゃんは、“好きにすれば? そこまで面倒見切れないわ”って……しかも、“もう貴方に構ってる時間は無いと思う”って……お別れさえも、言っでぐれなぐで……! 価値観、どがも、言われた、けどっ……僕には……わがんないよ……僕は、だた、ロールぢゃんが、好ぎな、だげなのにぃ!」
最後の方は泣き声と混ざっていて、濁点混じりになっていたが、ロックマンは何とか話を進めた。
心臓に相当するプログラムも脳に相当するプログラムも肺に相当するプログラムももう限界だと告げている、壊れてしまいそうだと告げている、けれど、それはしょせん“そういう気がする”だけでしかなく、ナビの体はそんなにも脆くは無い。
感覚では限界を感じているのに実際は壊れもしない体が憎らしくて、ロックマンはそれまで膝を抱えて座っていたその体勢を崩したと思ったら、まるで土下座でもするように膝を地に付けて座り、床に額をヘルメットごと叩きつけながら絶叫し始めた。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あっ!!」
「ろ、ロックマン! 落ちつけ! 落ちつけって!!」
熱斗は慌ててロックマンに落ちつくように言うが、ロックマンは床に額を叩きつける事を止めない。
その衝撃に耐えかねてか、ヘルメットの一部が小さなかけらになってパラパラと落ち始めたのを見て、熱斗は焦って大きめのクッションをプログラムし、ロックマンの目の前へ配置した。
それまで床にぶつかって聞こえていたガンッガンッガンッという音がクッションに吸収されて、ボスンッ、と柔らかい音に変わる。
ロックマンはそれで我に返ったのか、それとも何かが途切れたのか、絶叫を辞め、即席のクッションに顔をうずめて動かなくなった。
一応ホッとする熱斗をよそに、ロックマンはクッションに顔をうずめたまま小さく、呻くように、しかしか細く泣く。
熱斗が耳をすませると、僅かながらもロックマンが何かを言っているのが聞こえてきた。
「どうせ捨てるなら、捨てるって、バイバイって、サヨナラって、言って欲しかったよぉ……こんな形で突き放されたくなかったよぉ……僕が悪いって、言った、のに、認めた、のに……なんで今でも僕が君を悪いと思っているように言うのさぁ……ロールちゃんの、馬鹿……僕の、馬鹿……。」
ロックマンの中では、様々な色の感情がグチャグチャになって、結果的に何にも消せないほど濃い色の黒を作りだしていた。
その中には、悲しみ、苦しみ、悔しさはもちろんだが、自分の行動への嫌悪や、何故かロールへの殺意まで混ざっていて、ロックマンは自分でもどうしようもない、人間であれば向精神薬に頼って押さえつけるであろう滅茶苦茶な、自らの感情に嬲られている。
自分が悪いと思う自分と、ロールが悪いと思う自分、自分を殺したいと思う自分と、ロールを殺したいと思う自分、正反対な自分達が集まって争って、愛が憎になり憎が愛になる。
実はもうその出来事から二週間が経っている今であるが、ロックマンは未だにロールへの想いを絶ち切れずにいた。
だから、災害や殺人事件のニュースを見ては、ロールが同じ目に遭えばいいと思い、次の瞬間にはそんな事を考えている自分こそが死ぬべきではないのかと自己嫌悪し、でも別に思うだけなら自由ではないかと自己弁護をしてその場は誤魔化して、通り過ぎる事にする。
もしも、もしもこの手で、この手に装着した刃でロールの人生を終わりにできたらどれだけ幸せだろう、なんて事を考えては、やはりまた、自分が悪いのに何故ロールを殺すのかという自己嫌悪に沈む。
そんな事を、もう何度繰り返しただろう、いつまで繰り返すのだろう、もう嫌だ、もう嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!
だからロックマンは、熱斗にすら嫌われる覚悟で、事の全てを、熱斗に向けて吐きだす事にした。
「もう、嫌だよ……こんな、殺したくて死にたくて、愛していて憎んでいて、こんな想い、したくないよ……でも、ロールちゃんの事が焼き付いた頭で、何処に行けるって言うの……。ねぇ熱斗くん、教えてよ……僕は、何処へ向かおうとしてるの……。」
急にクッションから顔を上げたロックマンに問いかけられて、熱斗は困った顔で頭を掻いた。
自分だったら、自分のミスで相手を傷付けて捨てられたなら諦めるしかないと思う、そしてそれで諦められると思う、のに、ロックマンは何故かそれができないらしい。
そんな感覚の違いから、いつもなら誰よりもロックマンの傍にいる筈の熱斗は、今回ばかりはロックマンに寄り添う事が出来なかった。
今この瞬間も涙を流してロールとの思い出に縋るロックマンに、自分は一体何ができるのだろう?
悩んだ末、熱斗はキャスター付きの椅子を動かしてパソコンの前に座り、何やら電脳世界で使える物体のプログラムを始めた。
カタカタカタカタとキーボードを叩く音と、ヒクヒクとロックマンが咽び泣く声が部屋の中に響く。
やがて、熱斗はあるプログラムを完成させて、ロックマンのいるPETの中へとそれを送りこんだ。
クッションに顔を乗せる形で倒れているロックマンの上に、フワリと何かが落ちてくる、それはかけ布団だった。
なんでそんなものが? と驚くロックマンに、熱斗は言う。
「ごめんな、ロックマン。俺も、ロックマンが何処に行こうとしてるのか、どうしたらロックマンが救われるのかは分からないんだ……だから、今は何処にも行かなくていいから、さ……せめて、忘れろよ、全部。忘れた事にして、今日は休めよ、な? メールはもう回線で送っといたからさ。」
ロックマンはそんな熱斗をしばし驚いた様子で熱斗を見ていたが、その後、涙に濡れたまま小さく笑って、
「……うん。そうだね、そうだよね……それしか、ない、よね……。」
と言った。
その笑みはやはりどこか自嘲めいていて、完全な納得をしたという笑みには見えなかったが、結局の所ロックマンもそれしか自分にできる事は無い事自体は分かっているのだろうと思った熱斗は、少しだけ表情を緩めて、極力優しく、
「あぁ、おやすみ、ロックマン。」
と言った。
ロックマンは倒れたまま小さく頷き、ゆっくりと目を閉じて、現実の全てから自分を遮断する。
ネットナビは夢を見ない、だから、こうして眠りに落ちてしまえばもう何も見える事は無い、人間のように夢の中でまで責めさいなまれる事は無い。
それだけが、今のロックマンにとって唯一の助けで、唯一の救いかもしれない、と思いながら、熱斗はパソコンに向き直った。
それから数時間後、熱斗が一階のリビングで夕飯をすませてから二階の自室に戻ると、PETの画面には目を覚ましたロックマンが映っていた。
熱斗はそれを見て一瞬足を止め、少し心配そうな顔を見せたが、ロックマンはそんな熱斗とは逆にいつも通りの笑顔を見せている。
もしかしたらある程度は吹っ切る事ができたのだろうか? それともこれも無理矢理な笑みなのだろうか? と不安に思いながら、熱斗はPETに近付き、ロックマンに声をかける。
「おはよ、ロックマン。」
「うん、おはよう、熱斗くん。って言っても、もう夜だけどね。あはは。」
綺麗過ぎる笑顔で笑うロックマンはまだ無理をしているように見えて、熱斗は不安と心配を隠しきれない表情でロックマンを見る。
するとそれを察してか、それとも自分から話題にするつもりだったのか、ロックマンが、
「さっきは驚かせてごめんね、もう大丈夫だから。」
と言ってきた。
熱斗が、えっ、と小さく声を漏らすと、ロックマンは少し悪戯っぽく笑って、
「しばらく寝たら、なんかスッキリしたみたい!」
と元気よく言ったが、それでも僅かに残る目の周りの赤みが、つい数時間前までロックマンが泣いていた事を証明していて、熱斗はその元気な声を心の底からの元気だと思う事ができない。
本当に大丈夫なのだろうか? この元気は本物なのだろうか? まさか、自殺する人間が見せる妙な解放感と同じではないだろうか? という、様々な不安が熱斗の脳裏を過り、熱斗は先ほどロックマンの気持ちに寄り添う事が出来なかった事を悔しく思う。
そうしてしばらく不安そうな表情でロックマンを見ていると、ロックマンも熱斗の心配に気付いたのか、一度視線を伏せてから上目遣いで熱斗を見上げ、そして、
「大丈夫、すぐには無理かもしれないけど、徐々に忘れるから。忘れられなくても、頭の隅に仕舞いこんでおくから……だからそんな顔しないで? ね? それにほら、僕が別れちゃったのはロールちゃんだけだから、メイルちゃんと会う分には問題ないから、熱斗くんの邪魔にはならないと思うし! もし、というか多分普通にそうなんだろうけど、ロールちゃんが一緒に来たら、その時は、僕はインターネットシティにでも行って遊んでくるから。あ、一応メイルちゃんには今日の話は秘密だよ? ロールちゃんから聞いてる可能性は捨てきれないけど、そうじゃなかったら、なんていうか、メイルちゃんとまでギクシャクしちゃうのは嫌だからね。」
と、一々身振り手振りまでつけて一気にまくし立てた。
その必死さが熱斗にはどうにも悲しく見えて、無理するなよ、と言おうかとも思ったが、それは折角泣きやんだロックマンの前に進む覚悟を壊してしまう様な気がしたので、言わないでおく事にする。
多分、自分に、光 熱斗にできる事はそれぐらいなのだろう、そんな正直悲しく無力な立場を自覚して、熱斗は小さく微笑んで見せた。
「わかった、今日の事は俺達だけの秘密だな。」
「そう、僕達だけの秘密だよ。」
熱斗が微笑むと、ロックマンも微笑んでそう返してきた。
そしてロックマンは、熱斗の映った画面にくるりと背を向け、ストンッと床に座り、小さな画面を二つ開く。
それは、片方が文章作成用の機能を持った画面で、もう一つはキーボードの役割を持った画面だった。
それから、今日の夕方から開きっぱなしになっている音楽プレーヤーの画面からのびているコードを耳当てに接続し、音楽を聞きながら何か文章を打ち始める。
PETの画面は小さくて、熱斗にはロックマンが何を打ち込んでいるのかは分からない。
「ロックマン、何書いてるんだ?」
「ん? そうだね……これは、僕の覚悟の証になるかな。」
一体ロックマンは何の覚悟をしたというのだろう? と、疑問に思った熱斗が小さく首をかしげると、ロックマンは熱斗に背を向けたまま小さく笑い、
「安心してよ、これは覚悟であると同時に、僕が大丈夫で、いつか何処かに辿り着けるはずっていう、そういうものだから。」
と言った。
End.
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