短編“未満”小説『渇望と絶望の狭間で ―1.光 熱斗にはなれないよ―』

【渇望と絶望の狭間で ―1.光 熱斗にはなれないよ―】


それは、まだ見ぬ未来の欠片のお話。


ヘルアンバサダの事件からもう十年近くが経ったある平和な平日の午後、その女性は科学省を訪れていた。
黒く長い髪を僅かに揺らしながら、小学生の時から変わらぬ配色の服を着て、背丈だけが高くなった姿で歩くその女性の名は、清上院 未彩だ。
彼女は小学生の頃からオフィシャルネットバトラーとしてネット警察組織に属しており、アメジスト事件やDirty Blood事件、更にはトランプ・マジシャンズ事件など、様々な事件を解決に導いてきた面々の中の一人だ。

ヘルアンバサダが壊滅してからというもの、ニホンだけでなく世界中で事件――主にネット犯罪が減少し、僅かに残る事件は普通の警察と普通のネット警察が少し活動すれば十分なものばかりとなっており、重大なネット犯罪の対処を前提として集められたネットセイバーやオフィシャルネットバトラー達は少々暇を持て余している。
同時に科学省の中の様子もいくらか変わっていて、以前なら少しでも多くの情報共有をするという名目でオフィシャルや警察官、またネットセイバーの出入りが多かったこの場所も、今は白衣の研究員が大勢いる以外、あまり人の出入りがない。
白衣を着ていない部外者の未彩の存在は、そんな昨今の科学省の中で少し異質であった。

さて、そんな科学省に20歳になった未彩は何をしに来たのかという話だが、実のところ、この行動に大した意味はない。
ただ自分が移動できる範囲内にあるから気まぐれで寄っただけ……と、未彩自身は考えている、考えている事にしている。
キラキラした思い出がまだ僅かに垣間見える通路を歩き、未彩は事件が起きた時にいつも集まって会議をしていた会議室に向かった。
途中、過去のキラキラとした思い出が脳裏を過る。
第二次アメジスト事件期、サファイアスターというナビに星の印を授けられてアメジストという悪の組織と戦ったあの頃の事が。

――真波とマサナは今どうしているのだろう。――

あの頃いつものように一緒にいて、同じ青い星の戦士として力を合わせた相手、桜木 真波という親友と、旗見 マサナという友人の事をふと思い出し、未彩の表情は元々明るくなかったというのに更になんとも言えない暗さを帯び始めた。
あの頃は良かった、という言葉を、未彩はこの歳にして使いたいと思う。
あの頃は、小学生だった頃は、その関係がずっと続く事を信じていた、信じていられた。
しかし現実はそう優しく無い事を未彩は知ってしまった、知らされてしまった。

あの事件の終息後、中学生になった未彩はまずマサナとの別れを経験した。元々成績の良かったマサナと、それには及ばずとも多少成績の良かった未彩は、それぞれ別の私立中学に通うようになったのだ。
未彩がマサナの姿をまともに見たのはほぼ小学校卒業がそれが最後である。
更に、それ以来マサナからメールがくる事もなくなったのだから、未彩はどうにも暗い嫌な予感、すなわちマサナは未彩を嫌っているか、どうでもいい人間だと思っている可能性を考えてしばしの間僅かに胸を痛めたものである。
真波ともその時期に一度別れたが、こちらは一年生の夏休みに一緒に外出するなど多少の交流が続いた。
その上、一度は私立中学に行った未彩が成績悪化から不登校になって結局真波や熱斗のいる公立中学に二年生の時点で転入した為、真波とはまた学校で会う事ができるようになった、なってしまった。
だが、未彩は心の何処かで真波達と再会できる事をこの時はまだ喜んでいた。
だから、未彩は担任となる教師の前に座って面談を受け、この学校に親しい人間はいるかと訊かれた時、桜木 真波という親友がいると教師に告げた。

だが、それは間違いだった。

正直、今でも真波の本音はわからない。
所詮、特に親しくない人間から聞かされた話だと思う、いや、思いたかったのだろう。
けれどそれでも、未彩は聞いてしまったのだ、教師が真波に未彩の言葉を伝えた日、真波が、未彩を鬱陶しく思っているという事を同級生にこぼしていたという事を。
所詮は他人伝いの情報だ、と思う気持ちもあったが、それでも親友だと思っていた相手に実は影で嫌われていると知った未彩は大きなショックを受けた。
そしてちょうどその頃だっただろうか、真波が未彩を名前ではなく苗字で呼ぶようになったのは。
この呼び方の変化は未彩に真波は本当に自分を、未彩を嫌っているのではないかという疑念を抱かせ、未彩は徐々に真波との距離を広めにとるようになっていった。
そして、やがて中学校卒業をさかいに、未彩と真波は連絡を取らなくなった。

あれから、もう七、八年程度経ったのか、と考えた頃、未彩は会議室の前に到着した。
一昔前よりも新しくなった新デザインのカードリーダーに使い古したオフィシャルライセンスをリードさせると、自動ドアがシューッと音を立てながら滑らかに開き、会議室の中の様子が見えた。
そこは今、滅多に使われない部屋となっているせいか、それとも夕日が窓から差し込んでいるせいか、明確な理由はわからないが、どこか寂しげな様子に見えた。
もしかしたら寂しいのは部屋では無く、未彩の心かもしれないが。
ともかく未彩はその扉をくぐって会議室の中に入り、放置されているパイプ椅子にそっと腰掛けた。
誰のも無く、誰の気配も無い会議室を見渡して、未彩は溜息を吐く。

ある時はここに真波とマサナがいて、またある時は秋斗や優斗がいた。
さらにある時は冷亜や実由斗、リエイがいた。
他にも風美や雪菜がいて、Searchという殺人鬼やAriaという令嬢がいたこともある。
そして更に熱斗やメイル、炎山、ライカ、祐一朗、名人、真辺などがいて、それから自分の、未彩の姿があった。
けれど、もう今はそれらの声は聞こえない、姿も無い、気配も無い。
いるのは自分だけ、清上院 未彩だけ、あの頃のままで。

真波とマサナ以外にも、未彩には幾つか切れてしまった関係がある。
まず、明らかに年上の風美と雪菜は一番始めに連絡を取らなくなった。
ここはそもそも友人というよりは戦闘に関しての協力者だったからまあいいだろうと未彩も思える。
更に、SearchやAriaもほとんど繋がりが切れているが、ここも友人というよりは、というものがあるのでいいとしよう。
だが、問題は次からだった。

マサナがいなくなった後、まず、冷亜が未彩を切り捨てた。
小学六年生時代は良きライバルとしての関係で繋がれていた二人だったが、中学一年生になって未彩が不登校になり、秋斗以上の死にたがりになったところで、冷亜は未彩を見限った。
最初の頃こそはライバルだからと付き合っていたが、そのうち何かが冷亜の中で変わったのだろうと未彩は思っている、そう想うしか無い。
次に、公立ではない高校への進学で、実由斗や優斗、更にはメイル達が自然に離れた。
これに関しては仕方がないと未彩も思っている。
学校という、いつか離れる場所での繋がりなどそんなものだと、もうマサナの件で知っている。
だからこれについては若干寂しく思いつつも納得した、つもりである。
今でもたまに思い出す、納得できない事例はそこには無い、そこには。

それがあったのは、秋斗との関係が切れた時だった。
真波とマサナが消えた後も、冷亜が未彩を捨てた後も、実由斗や優斗が去った後も、そこに残って未彩を励まし、未彩に励まされていたのがこの、死にたがりの代表格、少院 秋斗であった。
未彩と秋斗は互いの負の面で強く共鳴し、互いが互いを死なないように、死なせないように励まし合い気遣い合う仲となっていた。
時には夜な夜なPETでの通話を繰り返し、一時はお互いがいないとお互い生きていけないのではないかと思うほどだった。
だが――未彩が徐々にその当時の自分の死にたがりの似非メンヘラ性に嫌気がさして、同時にやはり成績が振るわなかったことから高校四年生へと留年しようとし始めた時に、それは切れ始めた。
未彩の言い分は、自分は一気に無理をできる人間ではないから、少し時間をかけて持続的にやることを選んだ結果が留年なのだというものだったが、どうも秋斗はそんな未彩の態度が気にくわなかったらしい。
秋斗のHPを見ていた時、明らかに自分に向けたと思われる批判文を見つけて、未彩は秋斗の前から去ることを決めた。
在りし日には愛しているとまで言い合った仲だったが、その関係はたった一言、サヨナラの四文字で完結した。
手を伸ばす事を辞めたのは未彩か、それとも秋斗か、それはきっと二人のどちらにも分からない。
けれど、伸ばした手が相手に届かず、それどころか相手を傷付けることしかできなかったのは確かだ、と未彩は考えている。
今でもたまに思い出しては、自分より更に酷い場所にいる秋斗の、その生存を未彩は願う。
その願いが、例え秋斗が生きていたとしても、もう、届く事は無いと知っても。

そんな高校時代も過ぎ去り、今の未彩は二十歳の大学一年生となっている。
本来なら大学二年生でもいい所を、一年生となってしまったのは高校時代の留年の為だ。
今、未彩と辛うじてでも連絡が繋がるのは、リエイだけとなっている。
何故か分からないが、リエイだけは今の所、こんなに荒んで低脳になった未彩の事も相手をしてくれている。
それは年上の余裕なのか、それとも本当に未彩を好いているのか、正直未彩には分からない。
できれば、本当に好かれているといい、という願いこそあれど、今までの数々の別れの経験――しかも全て原因は自分という体たらくが、未彩に自分は好かれる事ができるという自信を無くさせていた。
しかし、そんなふうに自信が無い割には、誰かに好かれたいと、受け入れられたいと、そう想ってしまう矛盾が何処かにあって、未彩はリエイとの関係だけは切れないようにと必死になっている。
嫌われない程度に、でも忘れられない程度に、メールを交わしては安心しながら心配するのだ。

今日も数日前に返信を出したリエイからのメールへの更なる返信が待ち遠しくて、未彩はポケットからPETを出して新着メールをチェックした。
だが、何の幸運かスパムメールの一件も来ないそのメール一覧に、リエイの名前は無い。
まだメールに気が付いていないのか、それとも忙しくて放置してあるだけなのか、それは分からないが、未彩は少しだけ気分が落ちるのを感じた。
だが、どうせあと数週間もしてリエイからのメールが来れば一気にその気分が持ち上がっていく事を、未彩は知っている。
そうして一喜一憂して、何が楽しいのだろうと、時たま自分で疑問に思ってはそんなことで一喜一憂する自分が嫌いになっていく、誰かに縋りたくて仕方が無い自分が無様に思えてくる、それすらも、未彩は知っている、知っている、のに、今尚そうすることしかできない。
そんな自分が大嫌いだ、と未彩は思う。

そうして今日も無意味に科学省に立ち寄って、無意味に時間を潰して、嗚呼何がしたいんだろう自分は、いやそれは分かっている、こうしていれば、きっと、ほら、もうドアが開くよ。

未彩がパイプ椅子に腰かけたままPETの画面を見ていると、ピピッと先ほど未彩も使ったカードリーダーが誰かのカードが通された事を認証する音を立て、次に自動ドアがシューっと音を立てて開いた。
ふとPETの画面から顔を上げてドアの方に振り向くと、まだ小学生の頃の面影の残る、しかし衣服はこの科学省に馴染んだ白衣の、柔らかそうな短い茶髪をした男性が会議室の中に入ってくる。
未彩の表情が、少しだけ緩んだ。
部屋に入ってきた白衣の男性は、あの頃とさほど変わらない笑顔を浮かべて右手を上げながら未彩に声をかけてくる。

「よう、未彩。」
「ああ、熱斗か。」

白衣の男性は、未彩と同じく二十歳になった光 熱斗であった。
熱斗は大学二年生をしながらもこの科学省で研究に励んであり、放課後は科学省に遅めの出勤をしているのである。
そのハードなスケジュールは熱斗の父親である祐一朗の全盛期も軽く超えるものだろう。
ただ、ネット犯罪が世界的に減少した事によってネットセイバーとしての活躍の場は減った事だけが救いか、ともかく熱斗は以前ほどネットバトルという“娯楽”に興じなくなっていた。
朝から夕方まで大学で勉強し、夕方から夜中まで科学省で研究をする、そんな毎日に、熱斗は誇りを持っている。
同じ大学生でも、何一つ上手くいかなくて、春学期に単位を半分落としてしまって、今学期からはもう一つも落とせないと脅されているが、それでもまた取れる単位は少なそうな未彩とは大違いだ。

「受付に寄ったら未彩が来たって言ってたからさ、此処だと思って。」

左腕には大量の資料やCD-ROM、USBメモリー等の入った鞄を抱えた熱斗がそう言いながら未彩に近付き、その隣にあった空席のパイプ椅子に腰かける。
この瞬間が、未彩は少しだけ好きだった。
こうして熱斗が隣に座って声をかけてくれる度、自分はまだ熱斗には嫌われていないのだろうと少しだけ安心できるからだ。
未彩はPETをポケットに仕舞いながら、

「まぁ、俺が立ち寄る所なんてたかが知れてるからな。」

と答える。
熱斗は笑いながら、

「そうだな。」

と言った。
そしてそれまで左脇に抱えていた鞄を膝の上に置き、中身をごそごそと漁りだす。
何を探しているのだろう? と未彩が思った時、熱斗は二つの缶入りの飲料を取り出した。
片方はブラックコーヒーで、もう片方はミルクココアだ。
熱斗はブラックコーヒーの缶の方を机の上に置くと、ミルクココアの缶のプルタブを開けた。
だが熱斗はそれを自分で飲む訳でなく、隣にいる未彩へと差し出してくる。

「未彩これ好きだろ?」

突如飲み物を勧められた未彩は一瞬驚いた顔をしたが、ああ、と言ってミルクココアの缶を受け取った。
すると熱斗は、先ほど机の上に置いたブラックコーヒーの缶を手に取り、先ほどと同じようにプルタブを開け、今度はそれを自分で何口か飲んだ。
未彩もその隣でミルクコーヒーに口をつける。

「っはー、やっぱり学校帰りのアイスコーヒーは最高だな! もう十月なのに外暑いからなー。」

少し親父っぽい息を零しつつ熱斗が楽しげにそう言った。
その表情はかつての小学生だった熱斗と形こそほとんど同じはずなのに、何故か違う意味を持っている気がして、未彩の表情が曇る。
あの子供味覚だった熱斗でさえ今はブラックコーヒーが飲めるというのに、今の自分は未だにミルクココアしか飲めなくて、しかもそれが熱斗にバレていて。
今となっては、お子様味覚は自分の方だと感じた時、未彩の表情は曇った。
真波もマサナも、冷亜も、優斗も実由斗も、秋斗も、そしてリエイさえ、熱斗でさえ、自分――清上院 未彩を置いて大人になっていく、先に進んでゆく、それがどうにも悔しくて、悲しいのだ。
舌には甘い思いをさせながら頭には苦い想いを抱えて、未彩は小さく溜息を吐く。
そんな未彩の溜息を不思議に思ったのか、熱斗が疑問符の付くような声で未彩に呼びかけてくる。

「未彩?」
「……なんだ。」

熱斗の知らない所で気持ちが沈んでいた未彩は、疑問符のつかない暗い声で答えた。
熱斗が不思議なものを見るような目で未彩を見るが、昔ほど他人のアレコレに突っ込んで行こうと思わなくなった熱斗は視線を窓の外に移して再びコーヒーに口をつける。
そんな熱斗の変化が悲しいような、でも救われたような、複雑で言い表せない、落胆と安堵の混ざった思いを抱えつつ、未彩もココアに再び口をつける。
と、その時、急にどこからか通話の着信を知らせるピピピピッという音が鳴りだして、未彩は小さく肩を上下させた。

「あ、ゴメン俺のだ。」

未彩を驚かせた事を謝ったのか、それとも今未彩を放置して電話に出ないといけない事を謝ったのか、そのどちらかは分からないが、どうやらPETに着信があったのは熱斗の方らしい。
熱斗は白衣のポケットからPETを取り出すと、立体画面の通話画面を開いた。
画面には、メイルとデカオとやいとと透という、おなじみのメンバーが映っている。
様子を見ると、どうやら四人はやいとの家の食堂に集まってちょっとしたパーティーのようなものを開いているらしかった。
四人とも当たり前ながら昔より成長していて、メイルとやいとは立派な女性になっているし、デカオも小学生時代より随分と細く、しかし骨格はしっかりとした感じになっている。
透は徐々に父親に似てきたのか、それとも元々の素質なのか、優しいお父さんでもやっていそうな雰囲気だ。
それらはどれも自分には無いもので、未彩はそっと画面から目を逸らす。

「熱斗! これから今日の深夜にかけてあたしの家でパーティなの! 熱斗も来るわよね!?」
「お! 行く行く! でも研究もあるから十時ぐらいになっちゃうけど、大丈夫?」
「平気よ! でも早めにいらっしゃいね? 待たせたら承知しないわよ! ね、メイルちゃん!」

ふと、そういえば、自分がこの面々の集まりに混ぜてもらっていたのは何時が最後だろう、と考えて、それは小学校卒業の時だ、という答えを見つけた未彩はもうこの中に自分の居場所は無いのだろうと感じてそっと唇を噛んだ。
自分だって、友達がいなかった訳ではない、真波がいて、マサナがいて、秋斗がいて、優斗がいて、冷亜がいた、いた筈なんだ、なのに、全部、全部過去の話になっている、それを改めて感じて、その苦みを誤魔化すように未彩はココアを飲みほした。
隣ではまだ熱斗とやいと達の通話が続いている。

「そうよ熱斗!遅れたら私も承知しないんだからね!」
「はいはい、最善を尽くさせていただきます、っと。じゃあ俺そろそろ研究室に行かないといけないから、また後で!」

その言葉を最後に、熱斗はやいとのPETとの通信を切った。
通信が切れる寸前、やいととメイルだけでなくデカオや透も画面に視線を向けて手を振っているのが見えた。
熱斗は今でもメイル達との関係を大切に繋いでいる、けれど自分はもともと持っていた繋がりも、この町に来てから新たにできた繋がりも、そのほとんどが千切れてしまったのだと未彩は痛感した。
何故なら、やいと達は熱斗が映る画面に未彩の顔も半分程度は映っていただろうに、それが未彩だと分からなかったのか、それとも未彩だと分かったからなのか、どちらにせよ未彩に声をかけようとはしなかったからだ。
多分、科学省の職員か何かと勘違いされたのだろう、と一度は思ったが、白衣を着ていないのにそんな勘違いがあるものか、という考えがそれを否定して、じゃあどうして自分は声を掛けられなかったのだろうと未彩に思わせる。
最終的に、未彩は、結局自分はきっと画面に映っていなかったのだ、そうに違いない、と思う事にして、その場をやり過ごす事にした、そうするしか無かった。
そんな結論を未彩が脳内で出していると、通信を切ってPETをポケットに仕舞い、コーヒーを飲み切った熱斗がカタンと小さな音を立てて席を立った。
未彩が少しだけ驚いて熱斗を見ると、丁度未彩の方に振り向いた熱斗と目が合った。

「じゃあ、俺、そろそろ研究室に行かなきゃ。じゃあ、またな、未彩。」
「……あぁ、またな。」

いつもの事だと言いたげにさっぱりとそう言って、未彩に背を向けて自動ドアへと歩き出した熱斗に、未彩は少し遅れて別れのあいさつを返した。
熱斗は未彩に背を向けたままひらひらと右手を振って、それに反応してくれる。
その時未彩は、二つの思いを感じた。
一つは、熱斗に一度でいいから、最後でいいから、振り向いてもらいたいという願望。
もう一つは、熱斗に絶対に振り向いて欲しくないという最初の願望への否定。
振り向いて、熱斗の視界にはまだ未彩が映る事ができる事を証明してほしい一方で、今の自分の酷く落ち込んでいるであろう表情を見て欲しくないという思いが未彩を締めつけて、もう一度声をかけてみる事を躊躇わせた。
もし、今此処で未彩が、また絶対会おうな、などと言えば熱斗は少し不思議がりながらも頷いてくれるだろう。
しかし、辛うじて繋がっているこの友人関係はもう、そんな事を許す程の強度を持っていない事ぐらい、未彩も知っている。
熱斗には熱斗の世界があることだって、未彩は分かっている、だから、未彩は声をかけずに熱斗を見送った。
自動ドアが閉まる音、それを聴き取ったのか、主人に従順とは言いにくいナビだが一番信頼のおけるナビでもあるロンナが、未彩の肩の上に現れた。

「熱斗くんが行っちゃって残念?」

フフフッと小さく笑ないながらそういうロンナを、未彩は睨もうとした、が、その視線は睨みと言うよりも縋りつくような視線に似ていて、自分でもそれがなんとなく感じられた未彩は視線をそっとロンナから外し、窓の外に向けた。
だが、ロンナは逃れる事を許してくれない。
それどころか、ロンナは未彩を更に追い詰める。

「仕方ないよ、未彩は未彩、熱斗くんは熱斗くんだもん。未彩が熱斗くんみたいになれなかったのは、仕方ない事なんだよ。」

熱斗が去ってしまって少し寂しい事だけでなく、未彩がやいと達に気付いてもらえなかった事まで知っていたロンナは、まるでそれが未彩のさだめであるように言った。
そんなロンナに、未彩は今度こそ文句を零す。

「……お前、慰め、って言葉を知ってるか?」
「え、じゃあ、未彩だって熱斗くんみたいになれるよって嘘の方が良かった?」

私わかんない、とでも言いたげなキョトンとした顔を見せるロンナに、未彩はまた溜息を吐いた。
本当は分からない事など無いのだろうが、ロンナはそれでもあえてこんな顔をする事がある。
分からないと言いたいのは自分の方だ、という言葉を飲みこんで、未彩はココアの缶を持ったままパイプ椅子から立ちあがった。
カタン、と小さな音がするも、ロンナがニコニコしている以外には、反応する者はだれもいない。

「……。」

立ちあがった未彩はしばらくの間窓の外の夕焼けを眺めていたが、やがて窓に背を向けて自動ドアに向かって歩き出した。
途中ロンナが口を開く。

「好かれてるよね、熱斗くんって。」

それは暗に、未彩が好かれるタイプではないと言っているようで、未彩は小さく唇を噛んだ。
確かに、自分は好かれるタイプではないと思う、けれど、まだ自分にはリエイがいるし、熱斗も少しなら相手になってくれる、だから大丈夫、まだ、大丈夫だと未彩は自分に言い聞かせる。
しかしロンナはまだ独り言をやめない、やめてくれない。

「きっと幼稚園の頃からみんなの中心に居た筈だよ、未彩と違って。」

ふと蘇るのは幼稚園児だったころの数少ない記憶。
未彩はハッキリ言って好かれる方ではないどころか、一部からは嫌われている園児であった。
小学生になってすぐの頃も、何かと悪口ばかり言われては口だけとはいえ大喧嘩を繰り返していて、落ち付いて小学生ができるようになったのは今のこのデンサンシティの秋原町に来てからだった事も思い出す。

「きっとね、あの一年間が特別だったんだよ。未彩。」

やはりそれは暗に、未彩の普通は嫌われる事だと述べているようで、未彩はもうロンナに何か言い返そうとは思わなかった。
代わりに、熱斗と会った事で少しだけ纏わりついた人間への渇望を払うように、未彩は無言で歩き、自動ドアを通り抜け、下の階のエントランスに向けて階段を下り始めた。


Continued on next story.
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