短編“未満”小説『気持ちが悪いと嗤っておくれ』

【気持ちが悪いと嗤っておくれ】


それはある日の午後、科学省の中の数多くの研究室の間に転々と存在する会議室の中の一つの中で事だった。
前方のモニターを着席した全員が見られるように綺麗に整列された多くの長い机とパイプ椅子、そのうちの一つの机の前の二つのパイプ椅子に、二人は腰をおろしていた。
片方は男性で、ショートの黒髪と水色の瞳が特徴的なスーツ姿の青年、藤咲 満だ。
彼は今、左手に持ったPETをしきりに弄り、インターネットサーフィンを楽しみながら、ある女性を待っている。
もう片方のパイプ椅子に座るのは長すぎる黒髪と吊り目が特徴な少女の清上院 未彩だ。
彼女も満と同じようにPETを弄っているが、開かれている画面はインターネットシティやWEBサイトを見る為のブラウザではない。
未彩の握るPET、その小さな画面に頻繁に表示されるのは、送受信確認中、の六文字だ。
そしてそれが確認終了の四文字に変わっても何の着信音もさせないと知った時、未彩は唇を噛み、もう一度送受信確認を試みるのだ。
それでもPETは何の着信音も鳴らさず、未彩はチッと小さく舌打ちをした、その音に満が気が付いて顔を向ける。

「未彩ちゃん、どうしたの?」

明らかに不機嫌そうだけど、と続きそうな雰囲気で尋ねる満に、未彩はハッとしたような、何か不味い物を見られたような顔を向けた。
それを見せられた満が不思議なものを見るような視線を向け返すと、未彩はその表情を僅かに緩めて無表情に変え、PETの画面に視線を落しながら答える。

「……メールが、来ないんです、真波から。」
「メールが?」

それははたして不機嫌になるような内容なのか、それが理解しきれなかった満は短く訊き返した。
未彩は小さく頷き、溜息をついてから満に訳を説明し始める。

「満さん、貴方がこの部屋に来た時から俺はPETを弄っていたでしょう? あれは、真波とのメールの最中だったからなんです。」

そう言いながら少しだけ顔を上げて、未彩は満に視線を向けた。
満は少し考え込んで、ふとと何かを思い出したような顔すると、

「あぁ、そうだったんだ、あれ。」

と一人で納得する。
未彩は満に先を促されるよりも前に話を先へと進める。

「はい。ですけど、さっきからその返信が途絶えていて……真波の事だから、他の何かに夢中になっているか何かで放置だと思うんですけど、もし届いてなくて返信が無いのだと思うと……落ち着かなくて。」

そう言って未彩は再びPETに視線を落とすが、その画面には何の着信も無い事を知らせる表示だけが浮かび上がっており、ロンナも声をかけてこようとしない、勿論着信音等というものは聞こえない。
その画面を見て額に眉間にしわを寄せる未彩に、満は何か不思議で理解しきれない物を見るような目を向けて問いかける。

「届いてないって事は無いと思うけど……もし届いてなかったとして、どうしてそれがそんなに気になるの?」

もし届いていなかったとして、それが一体何の問題になるというのか、満には理解できなかったらしい。
もしかしたら満はメールなど元々そういうものだと割り切っているのかもしれない。
しかし未彩はそう割り切る事ができていないらしく、どうして貴方にはこの気持ちが理解できないのか、と言わんばかりに不機嫌に細めた眼を満に向けた。
その威圧感に驚いた満が、椅子の上に座ったまま少しだけ後退する。
そして未彩が口を開く。

「だって、本当はメールを、会話を出来る時間が両方にあるのに、それなのに俺からのミスでそれが削れるなんて、嫌じゃないですか。」

そう言った未彩の顔は、笑顔とも怒りの表情とも言い切れない不自然な混濁を抱えていて、満はどう言葉を返すべきか見当がつかなかった。
いやそれ以前に、満には未彩の言うような概念が存在しないのだ。
今自分は、この少女の暗部を垣間見たのではないかと戸惑う満に、未彩は問いかける。

「気持ち悪いですか?」

その問いかけに、満は気持ち悪さというよりも、背筋が凍るような悪寒を感じた。
不自然に吊りあがった口の両端、しかし笑みを映さない暗い瞳、今自分が見ているのは明らかにこの少女の暗部であると、満は直感する。
そんな直感が僅かに表情に出て瞳が困惑に揺れる満を見ながら、未彩は小さく笑って――自嘲して続けた。

「気持ち悪いですよね、こんな、たかがメール一通にこんなに執着するなんて。……たかが一人の人間の存在感に、こんなに執着するなんて。でも大丈夫です、全て分かってますから、自分が、一番。」

分かっていて、それでも尚執着する、その心のメカニズムが理解できず、満の精神は困惑を極めた。
執着して執着して、いっそ盲目になってしまうならまだ分かる。
しかし、執着して執着して、一方で盲目になりつつもう一方で視界がクリアな自分がそれを嗤っているという構図は、満にはどうにも理解しがたいものがあった。
未彩は一体どんな気分で真波に縋っているのだろう、其処に幸せはあるのだろうか、其処に得る物はあるのだろうか、満には分からない。

「嗤ってくださって、結構ですよ。いえむしろ、清々しい程に嗤ってください。俺の代わりに、綺麗な笑顔で、馬鹿げた作りのドラマでも見ているかのように。」

そう言って未彩は手本でも見せるかのように小さく、クックック……と陰湿な笑い声を零した。
しかし満は嗤う事など出来ず、ただ呆然と未彩を見ているだけで、それだけで、時間は過ぎていく。
やがて、背後で自動扉の開く音がした。
開いた扉の先には、満がインターネットをしながら待っていた人物がたたずんでいる。

「Search、ちゃん。」

振り返った満が名前を呼ぶと、黒い髪に赤い瞳が特徴のその女性、Search=Darknessは部屋の中に入ってきた。
未彩はSearchにはバレないように、とでも言うかのようにPETをポケットの中に入れる。
そしてSearchと入れ換わるかのように席を立って、その横を通り過ぎて部屋を出ていった。
代わりに今度はSearchがパイプ椅子に座り、満に視線を向けて問いかける。

「清上院の奴、どうしたんだ?」
「……。」

満はしばらく黙りこんだ後、

「……さぁ、ね。」

とだけ言って、自分のPETのメールボックスを確認した。


End.
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