短編“未満”小説『孤独の共鳴 ―少女の躊躇い―』

【孤独の共鳴 ―少女の躊躇い―】


ある日の午後十時四十九分、自宅の寝室兼仕事部屋の中で机の前の椅子に座りパソコンを弄っていた未彩は、静寂を切り裂くように突然鳴ったその音に困惑していた。
いや、正確には、自分のPETがメールの着信に反応して鳴っている事自体はすぐ認識できたのだが、その後が問題だったのだ。
椅子から立ち上がってベッドに歩み寄り、その上に放っておいたPETを取り上げて、その画面の中に表示された送信者名を見たその時、未彩は驚いて固まる。

『送信者:藤咲 満』

その時の未彩の表情は、まさか本当に来るとは思わなかった、とでも言いたげで、いつの間にか現実世界の方を覗いていたロンナが未彩の肩の上でクスクスと笑っていた。
未彩はそれに僅かな不快感を覚えつつも、もしかしたら助けてくれるかもしれない神に神頼みでもして縋るような視線をロンナに向け、問いかける。

「これ、返信した方が良いんだよな……?」
「さぁ? どうかな?」

ロンナの返事はどこか未彩をからかうような、それでいて試しているような、明るくも意味深長なものであった。
深い意味を含んだ満面の笑みに、未彩は大きく疲れた溜息を吐く。
どうやらこの神――ロンナという腹黒ネットナビに神頼みは通じないらしい。
溜息をついた未彩はロンナに頼る事を半ば諦めて、先ほど座っていた椅子に座りなおしながら満からのメールを展開した。
PETの画面の上に大型の立体画面が現れ、其処にメールの本文が表示される。

『こんばんは、起きてたかな?
昼間アドレスを交換した満です。
とりあえず、せっかくだから送信テストをしておくね。

それにしても昼間は大変だったね、ロンナちゃんはそういう所に容赦がないなぁって僕も思うよ。
でもロンナちゃんのことだから、何か考えがあってかなぁ……なんて思うんだけど、未彩ちゃんはどう思う?』

意外にもフレンドリー、というよりも踏み込んだ内容のその文面に、未彩は一瞬軽い戸惑いを感じた。
日中、満がSearchと共に科学省を出た後に熱斗が言っていた、“満の態度は一歩引いた感じがする”という意見にほぼ同意であった未彩にとって、満が此方の内面にやや踏み込んだ内容のメールを送ってくる事は想定外だったのだ。
むしろ、きっとメールなど来ない、ロンナ以外の人間やナビの視界に清上院 未彩がしっかりと映る訳など無い、だから藤咲 満の視界にも自分は映る事はない、つまりメールなど来ないだろうと思っていた未彩は、しばしの間返信内容を思い付けないどころか、返信するかどうかすら悩む。
椅子に座ってPETの上の立体画面を凝視したまま固まる未彩を見て、ロンナが楽しそうにクスクスと笑う。
その笑いを一応気にしつつ無視もしつつ、未彩は満がメールを送ってきたその真意を探ろうと思案した。

ハッキリ言って、一番可能性が高いのは社交辞令というヤツだろう。
何故なら、そもそも自分も満もアドレスの交換などする気は無く、真波とマサナが騒ぐから仕方なく交換したというだけなのだ。
だからそこに、満のメールの中にあるものは、未彩に構ってほしいだの、仲良くしたいだの、そういうものではなく、真波とマサナの追及を避けるためには一応はメールをしたという事実が必要だ、もしくは、アドレスを交換した以上一度ぐらいは相手を気遣っておくべきだ、という、所謂大人の事情だろうと未彩は思う。
ただ、それにしては少し文章が長い事が気にかかるとも未彩は思う。
本当に、芯から社交辞令だけならば、真波とマサナに納得させる為だけならば、送信テスト、の一言だけでもいいだろう。
未彩がこれをやるのは少し満に失礼だが、満という大人が未彩という子供にやるのであればそこまで失礼でもないはずだ。
それを考えて未彩は、暇つぶしという二番目の可能性も考えるようになった。
人は、想像以上に暇な状況に陥ると、普段なら自分から進んでやらないような事でもやるものである。
例えば、熱斗のような勉強嫌いの子供が自分から勉強を始めるのは、それの代表例と言えるだろう。
だからきっと、満も今の時間は暇で、暇だから気が向いて、自分にメールを送ってきたのだ、と、満が相当苦心してその文面を考えていた事を知らない未彩は思う。

ともかく、それが社交辞令でも暇潰しでも、一度声をかけられたなら相応の対応は必要だろう、と妙な所で律儀な未彩は、数分前に満がやっていたようにパソコンと向き合い、メール制作用のソフトを起動した。
どうやら未彩も、パソコンでメールを打って、PETのアドレスを経由して送信するらしい。
肩の上にロンナを座らせたまま、未彩はパソコンと向き合った。
愛用のノートパソコンの横には、先ほどのメールを表示したままのPETを置いて。
そして未彩は、慣れた手つきでキーボードを叩く。

『こんばんは、起きていました。
清上院 未彩です。
テスト送信ありがとうございます。』

其処まで打ち込んでから、未彩は一度手を止めた。
とりあえず、メールは相手の文章に合わせて同じ程度の分量の文章を打てばいい、と思っている未彩は、満のメールの後半を読み直す。
書かれているのはロンナの事が主で、文章は最終的に未彩に問いかける形になっている。
それを読み直して未彩は、満は日中のロンナの発言の意味を知っている可能性がある事に気付き、どうにも苦い想い――恥ずかしさがこみ上げてきて、それを誤魔化すように小さく溜息を吐いた。
全ての元凶であるロンナはまだ肩の上でニコニコと笑いながらパソコン画面と未彩の手の動きを観察している。
それをチラリと見てもう一度溜息を吐きながら、未彩は再びキーを打つ。

『ロンナは昔から本当に容赦が無いんです、熱斗達が一部の言葉の意味を知らなくて良かったと思います。』

一瞬、未彩はロンナの様子を窺った。
だが未彩が少し心配した様な事態――不機嫌なロンナという状況はそこには無く、ロンナは冷静に、しかし楽しそうにパソコン画面を見つめている。
未彩は更にキーを打ち続けた。

『でも、そうですね、ロンナは俺が隠したい事をよく暴露してしまいますが、俺が本当に隠したい事は俺にしか暴露しません。
なんだかんだで、俺の事をよく分かってくれている、最高のパートナー、だと俺は思っています。』

これではなんだか満へのメールと言うよりもロンナへの遠回しな嫌味と僅かな感謝だな、と思いつつも、未彩はエンターキーを叩き、文章を完結させた。
そして誤字脱字が無い事を確認すると、マウスの上に手を置き、メール作成用のウインドウの隅っこにある送信ボタンをクリックする。
するとパソコン画面には小さなウインドウが現れ、そのウインドウの中に“Wait...”の文字が表示され、Waitはやがて送信完了の四文字に変わってから消えた。
これで自分のPETを通して満のPETにメールが送信されたはず、と思った未彩が自分のPETを手にとってその送信履歴を確認していると、それまで大人しかったロンナが突如フフフッと笑いだす。
不審に思った未彩が肩の上のロンナに視線を向けると、ロンナは小さく笑いながら、

「未彩、楽しそうだね。」

と言った。
それはまるで未彩を嘲るようなニュアンスを帯びていて、未彩はまたロンナの悪い癖が始まった事を悟る。
そして同時に、満から今のメールに対して返信が来る事を期待している自分がいる事に気付いた。
未彩はハッとしたように顔を上げると椅子を立ち、立体画面を閉じたPETをベッドの上へと投げ捨てる。
自分は何故、送信履歴などというもののチェックをしているのか、それが馬鹿らしく思えてきたから故の行動だ。

メールというものは意外とデリケートなもので、たまに送信に時間がかかったり、上手く送信されなかったりする事がある。
特にPCで書いたメールをPET用のアドレスを経由して送る場合などは、送受信に多少の時間がかかっても文句は言えないし、そもそも届かないという事があっても不思議ではない。
コンピューターが進化して進化して、プログラムがネットナビという形で人格を持つようになったこの今でさえ、この問題は解決されておらず、本当に相手にメールが届いたかどうかを確認する術は相手に直接それを問うしかないのだ。
それでも、PETを経由しての送信の場合は、PETの送受信の履歴をチェックすることである程度はその送受信の成功度合いが分かる。
少なくとも、PETの方に送信の履歴が残っていれば、PCからPETへの送信は成功し、PETからの送信も試されている事が分かる。

それが未彩にとって何を意味するか、答えは簡単だ。
未彩は今、自分のメールが満のPETへとしっかり届く事、そして満がそれを読んでくれる事を願っていた。
それをロンナに指摘されて、未彩はそんな自分に酷い嫌悪感を覚え、それを隠すようにPETをベッドに投げ捨てたのだ。

気持ち悪い。
お互いにアドレスの交換など望んでいないと知っているはずなのに、お互いにこれは社交辞令なのだと知っているはずなのに、それなのに“それ以外の何か”を期待した自分が気持ち悪い。
未彩は今すぐにでも枕か何かに顔をうずめて、中二病の過去をを悔やむ元中二病患者のようにしたばたともがき苦しみたくなる衝動を抑え、再び椅子に座って机に肘を着き、溜息を吐いた。
とりあえず、忘れよう。
満からのメールの事は一旦意識から追い出そう、その方がきっと自分の為だ、と未彩は思ったが……

「未彩、メールだよ。満さんから、ね。」

次の瞬間、ベッドに投げ捨てられたPETが再びメールの着信音を鳴らし、更に追撃するかのようにロンナの声がメールの着信を知らせた。
しかもロンナは丁寧に、それが誰からのメールなのかすら教えてくる。
未彩は一瞬心臓が止まりそうになるような驚きを感じ、ゆっくりと背後のベッドに振り返った。
気が付くとロンナは未彩の肩の上ではなく、ベッドに投げ捨てられたPETの横に立っている。
その表情はニコニコとした笑顔を湛えているが、内面は何を考えているか分からないのがこのナビの恐ろしい所である事を未彩は知っている。
とはいえ、今ロンナが何を考えているのかまでは未彩には分からない。
未彩は一度だけ自分を落ち着けるかのように小さく溜息をつくと椅子から立ち上がり、ベッドの上に投げ捨ておいたPETを取り上げて、今さっき受信した満からのメールを立体画面で展開した。

『よかった、まだ起きてたんだね。
返信が来たって事は、テストは成功かな?

うん、僕もあれはちょっとひやっとしちゃったな。幸い熱斗くん達は何も知らなかったみたいだけど……。
そうだね、本当に全部暴露するなら、あそこで熱斗くん達にコミュ障って言葉の意味を教えちゃってもいいんだもんね。
ロンナちゃんはそのあたりはちゃんと考えてるのかもしれないね。』

そして未彩はいつの間にか未彩の肩の上に移動していたロンナと共に、満からのメールを読む。
満からのメールは未彩自身のメールに匹敵するほど律儀で、未彩は満の当たり前のようで意外でもある一面を見た気がして、少しだけ感嘆の息を吐く。
そして読み進めるうちに、未彩は満がロンナの言葉の意味を理解していた事を知り、今度こそ誤魔化しが効かない恥ずかしさが湧きあがってくるのを感じた。
熱斗や真波達が知らない真実を、満は運悪く知ってしまった、それを思うと、恥ずかしいやら申し訳ないやらどうにも複雑な感情がこみ上げてどうにかなりそうで、未彩は少し息が詰まるのを感じた。
それでも未彩はほぼ本能のように“何か返信しなくては”と感じ、一度は立った椅子にもう一度座りなおしてパソコンと向き合う。

『はい、俺は少し夜更かし癖があるほうで。満さんは大丈夫ですか?
お互いにメールが届いたなら、テストは成功ですね。』

たかが送信テストという内容でこんなにも長いやりとりを出来るなんて凄い、真波やマサナだったらすぐに省いてしまうだろうに、と思い、満の几帳面さに感心し、自分の細かさに嫌気が差すのをを感じながら、未彩はその文章を打つ。
二人ともしている事は同じなのに、何故満には関心で自分には嫌気なのか、未彩自身はその意味を分かっていなかったが、そうして難しい顔をして返信を打つ未彩を見るロンナは薄っすらとその意味を感じとっていた。
以前何度も指摘したある事実を、ロンナは思い出す。

未彩は周囲からよく、クールだとか、群れるのは嫌いそうだとか、独り慣れもしくは独り好きに見えるだとか、そんな事ばかりを思われている。
確かに、事実にかすっている事も多少はあり、実際未彩は一般的な女子の集団などはあまり好きではなく、それに入るぐらなら一人でいる方が気楽だと思っている面はある。
だが、だからといって完全な独りに耐えられる精神を持っているのかというとそんな事はなく、事実はもっと脆く、儚く、悲しく、そして醜いものである事を、ロンナは知っているのだ。
一見しただけでは人間関係にこだわりが無さそうで力強く見える少女の実体は、実は誰よりも人間関係に依存していて、ふとした事で壊れかねない脆いものである事を、ロンナだけが知っている。
それは、桜木 真波よりも、旗見 マサナよりも、はたまた人間関係で生きていると言っても過言ではない光 熱斗よりも深く、重く、陰湿であり、狂気的とも言える事を、ロンナだけが知っているのだ。

未彩のそんな陰の部分を知り、それを最初に指摘したのはいつの事だったか、ロンナが思い出している間にも未彩はキーボードの上で指を踊らせる。

『ひやっとした、という事はやはり、満さんはコミュ障の意味を御存じなんですね……。』

最終確認にも似た一行は、どうにも落胆と羞恥を隠すのが難しく、指は勝手に三点リーダを二回押していた。
本当に、熱斗達が意味を知らないだけ奇跡だと思いながら、未彩は文章を続ける。

『そう、ですね。もしかしたらあの時のロンナは熱斗達に暴露したのではなく、俺自身に暴露したのかもしれません。』

ただ、暴露するならばそれは俺しかいない時にして欲しい、というロンナへの不満はとりあえず飲み込んで隠しておく事にした。
ロンナにそれを直接言っても、満にそれをこのメールで愚痴ったとしても、多分、それは大した意味を持たずに終わるであろうからだ。
それに、

『何時もどうして人が気にする事ばかり口にするのかは俺には解りませんし、教えてもらったとしても俺には納得できないのでしょうが、それでもやっぱりロンナは俺のパートナーです。』

未彩はそう打ち込んで一旦メールを締めくくった。
満からの返信に対して丁度良い長さの返信、満の言葉に対する返答はは今の部分で終わりだからだ。
未彩は一旦キーボードから手を離し、テーブルに肘をついてメールを読み返し始める。
肩の上では相変わらずロンナがニコニコしながら同じくメールを読んでいるが、それは無視だ。
そうして自分の書いたメールを読み返していると、未彩はふと、ある事を思い付いた。
そして瞬時に手を動かして、未彩はそのメールに新たな言葉を付け加える。

『ところで……熱斗達には解らなかったコミュ障の意味が分かってしまった満さんに質問があります。
満さんは、こんな“コミュ障”の俺を見てどう思いましたか?』

未彩が打った新たな話題に、ロンナは意味深長な笑みを一層深めた。
それはまるで未彩の行動を未彩らしいと思いつつも非難するかのようで、それをチラリとみた未彩は唇を浅く噛みしめる。
分かっている、この質問は一種の賭けである事を、未彩自身もよく分かっている、それでも未彩はそれを打たずにはいられなかったのだ。
コミュ障という言葉を知っている、もしかしたら同族かもしれない、同族でなくとも理解はあるかもしれない者への期待が、未彩の手を行動させていた。
そうして未彩がまたマウスに手を置き送信ボタンをクリックすると、同じくまたロンナが口を開く。

「随分積極的だね、未彩。」

それは未彩の行動を微笑ましく思っているようで、実は酷く嘲笑っているように見えて、未彩はロンナから視線を逸らした。
そんなふうにオペレーターから無視をされてもロンナは一向に機嫌を悪くするそぶりを見せない。
もしかしたら、ロンナにとってはその無視でさえ反応の一種として映っているのかもしれない、そんな事をぼんやり考えつつ、未彩はふと自分の心臓の鼓動が強く早くなっている事に気がついた。
それは明らかに、未彩が何かに緊張している事を表している。
苦しい。
未彩は少しでもそれを和らげようとして深呼吸をするも、それは身体的原因ではないせいか、一向に収まる気配を見せなかった。
それを感じとって、未彩はすぐさまマウスを動かし、メールソフトの機能の中でも、送受信のボタンをクリックする。
ロンナの、フフフフッという小さな笑い声が聞こえた。
一見、子供の微笑ましい行動を見守る母親の笑い声に聞こえるそれは、よくよく聞けば明らかに嘲笑の意味を含んでいる事が分かる。
それに気付いた途端に、ロンナの嘲笑と、“頭の中の冷静な自分”の嘲笑が重なって、未彩は今すぐにでも此処から逃げ出して何も無い場所に独りで籠りたいような衝動を感じた。
自分は今、間違った事をしている、そんな確信が未彩の脳裏を支配する。
そんな世界の隅っこで、ロンナの声が聞こえた。

「確かに満さんと未彩は似てるよ。でも、やっぱり未彩の方が……ね。」

俺の方が何だというのだ、という言葉を、未彩は発する事が出来なかった。
そして、先ほどのメールの最後に新たな二行を付け足した事を酷く後悔し始め、未彩は肘を机に着いて頭を抱える。
最初に満のメールを社交辞令兼暇つぶしだと断定したのは誰だ、自分だ。
それなのに何処か本気になって真正面から重い話題をぶつけているのは誰だ、自分だ。
その事実が未彩の身体の中心を締め上げて叩きのめし、未彩の口からは悲鳴の代わりに溜息に似た吐息が漏れた。
一瞬でも藤咲 満という人間に寄りかかりそうになった自分に反吐が出る、冷静な自分がそんな浅はかな自分を嘲笑している、ロンナよりも遥かに深い悪意を持って。
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。
その意識の先に誰がいるというのか分からないまま、未彩は頭の中で何度も謝罪の言葉を唱えた。
丁度、その時だった。

「未彩、満さんからメールだよ。」

ロンナの楽しげな声が、未彩を後悔の渦の中から一時的に引き上げた。
未彩はハッとして顔を上げ、机の上に放置していたPETをゆっくりと手に取り、その存在を確かめるかのようにゆっくりとメールを展開する。
PETの小さな画面の上に大きな立体画面が現れ、その上にメールの文章が表示された。

『僕はまだ大丈夫、君こそ大丈夫なの? 今が一番睡眠が必要な時期じゃない?
うん、こうしてメールができてる訳だし、テストは成功だね。

あぁ、うん、ごめんね、知ってるよ。
そうだね、少なくともあの時僕はイレギュラーと言える存在だった訳だし、ロンナちゃんは僕や熱斗くん達よりも君に何かを伝えたかったのかもしれないね。
やっぱり僕の思った通り、君とロンナちゃんは確かな関係で結ばれているみたいだね。』

未彩が危惧した事――もう返信はこない、もしくは先ほどまでより乱雑な返信がくるという事はなく、満のメールは先ほどと同じように落ち着きがあり、律儀な文章のままだった。
それを見て未彩は少しだけ安心し、それと同時に僅かな希望を無意識に抱く。
ドクン、ドクンと心臓が脈打つのを感じながら、未彩は画面を下へスクロールして、先ほどの自分の二行の失態に満がどう答えるのかを確かめた。

『どう、って言うのは答えるのはなかなか難しいな。
正直僕もコミュ障なんだけど、だからと言ってどう困ったとか、そういうことが無いと言うか、無いようにしてきたから。
だから、さ、君がもし今ロンナちゃんの言う君のコミュ障で悩んでいるなら、僕でよければ相談に乗るよ。
また、メールをくれても構わないし、今度会った時に直接話すのも悪くないね。
君みたいにコミュ障ながらも友達がいるとか、そういう訳じゃない僕だから、力になれるかどうかは分からないけど……それでもよければ、ね。』

其処に書かれていた返信は、未彩が驚いて軽く目を見開くような内容だった。
これにはロンナも興味深そうに、へぇー……、と呟きながら画面を凝視し、未彩は驚きと共に安堵が押し寄せ、心臓の鼓動が少しずつ収まっていくのを感じる。
一種の失態だと思ったあの二行の質問、それに満は真面目に答えてくれた上、自分も同族であると明かし、あまつさえ相談があれば乗るとまで書いてくれた。
未彩の中で、何かが新たに脈打ち始める、それは一種の高揚感に似ていて、未彩はすぐさまキーボードの上に指を走らせようと、その手をキーボードに近付けた。
しかし、未彩はそこで大量の冷や水をロンナから浴びせられる事となる。

「社交辞令じゃないといいね。」

ゾクリ、と背筋が冷えた。
そして固まりかけた顔で未彩はロンナを見て、ロンナはそんな未彩に一見しただけでは幸せそうにしか見えない綺麗な笑顔を返す。
その綺麗な微笑みの裏に、未彩はロンナからの警告と、冷静な自分からの罵倒の二つを感じとった。
最初に満からメールが来た時、自分はそれをどう思っていたのか、それを思い出して、未彩は困惑する。

――社交辞令じゃないといいね。――

ロンナの声が、頭の中で響く。
そうだ、自分は何を忘れているのだ、このメールに何を期待しているのだ、と、冷静な自分が浅はかな自分に畳みかけるように告げる。
このメールは、親密な友とのメールなどではない。
このメールは、そもそも関係が薄い人間同士が周囲への説明のために事実だけを作ろうとして送っている社交辞令だ。
何故自分は、それを忘れてしまいそうになるのだろう、親密な誰かとのメールのように感じてしまうのだろう、と、この頃丁度満も不思議な高揚感に押され未彩を本当に同族だと思い始めていた事を知らない未彩は思う。
頭の中がぐちゃぐちゃにかき回されるような不快感、生活習慣病でもないのに心臓がその鼓動を不安定に増す恐怖、身体の中を巡る血液の流れが分かってしまいそうな気持ち悪さ、それら全てが未彩を襲う。
もう嫌だ、もう見たくない、もうなにもしたくないと身体の奥から誰かが叫んでいる、それを感じながら、でも返信しなくっちゃ、だって言葉を返したいんだと叫ぶ誰かの事も感じた。
滅茶苦茶なまでに混濁した意思の狭間を泳ぎながら、未彩はゆっくりとキーを叩く。

『俺もまぁ大丈夫なんですが、そうですね、今日はもう寝ようかと思います。
上手く通信できたようで、良かったですね。

やっぱり御存知でしたか……まぁ、知らない熱斗達の方が珍しいかもしれませんしね。
イレギュラーですか……それは多分、俺も同じですよ。満さんとは少しは違うかもしれませんが、俺も多分、もうイレギュラーです。
はい、一見ガタガタのコンビに見えるかもしれませんが、それでもやっぱりロンナと俺はそれなりに上手くやっていると思います。』

結局、自分は何が言いたいのかというと、何がしたいのかというと、多分、真っ直ぐ話してしまいたいんだ、と未彩は直感していた。
表面上は、これは満の話に合わせているだけだ、と言い訳しながらも、未彩は今まで誰にも言えなかった事をそのメールに書きこんでいく。
真波とマサナが遠い、それを自分もイレギュラーだと表現することで満に伝える、それはもはや社交辞令などではなくて、ただの本音であって――。

フフフフ、とロンナが笑う声が聞こえた。
それを聞きながら、未彩は更に返信を綴る。

『そうですよね、変な質問をしてごめんなさい。
満さんもコミュ障だったんですか。なんだか、熱斗と同じように感じていた違和感の意味が少しだけ、ほんの少しだけですが分かった気がします。
……ありがとうございます、なんででしょう、貴方の言う相談に乗るは、真波やマサナが言うそれに比べて心強く感じます。
だから……もしも本当に、このコミュ障に当てはまる範囲で俺が困る事があったら、少しで良いので、話を聞いてもらってもいいですか?
全て寄りかかるような事はしません、でも、貴方になら少しだけ、話してもいい気がするんです。』

最初の謝罪は、ある意味では自分の一部に向けた物でもあったかもしれない。
おかしな質問をしてしまった浅はかな自分から、その質問を受け取った満と、更にはその質問を良しとしない冷静な自分への謝罪だ。
そして、未彩は満の言葉は真波やマサナのそれよりも心強いと綴った。
本当に心強いのかどうかは分からない、もしかしたら満の社交辞令を此方が真に受けているだけかもしれない、そうも思ったが、それでも未彩はそう書かずにはいられなかった。
それは、未彩が無意識のうちに社交辞令という前提を捨てていた証拠である。
そして未彩は、その言葉に寄りそいながらもそれを不安に思うように、全て寄りかかる事はしないが、何かあったら相談してもいいかと問いかける。

「未彩らしいね。」

未彩の肩の上で、ロンナが笑う。
未彩はそれを耳だけで捕らえつつ、右手をそっとキーボードからマウスへ移し、送信ボタンをクリックした。
画面には一時的に“Wait...”の文字が表示されて、すぐに“送信完了”という表示に切り替わる。
それを見届けてから、未彩は大きな溜息を吐いた。
それを見ながら、ロンナが言う。

「未彩、社交辞令はやめたんだね。」

未彩はその言葉に何かギクリとするものを感じたが、だからと言ってロンナに反論する事は出来ず、ただ苦い顔でPETの画面を凝視するしかなかった。
返信を待つ間に、未彩は自分が満とのメールに何を求めだしているのかを考える。
そしてそこに、社交辞令ではない期待、満とこれからそれなりに仲良く話していけるのではないかと期待している自分を見つけて、未彩は愕然とするのであった。
真波とマサナやその他友人と交流する間に築いた堤防が、音を立てて崩れていくのを感じる。
そしてその堤防を修復しようと必死になっている自分も感じる。

「どうして……俺は……」

どうして自分は、同じ過ちを繰り返そうとしているのか、それを考えて、未彩は力無くそう呟いていた。
真波やマサナと交流する中で気付いた自分の特徴、“重い”という部分、それがまた顔を出そうとしている事実に、未彩はどうにも言い表せない悔しさとを感じたのだ。
今自分は、満のその手に縋ろうとしている、それに気がついて、未彩は自分がどうしようも無く浅はかで、ロンナに何度指摘されても治らない欠陥を抱えている事実に気がついてしまう。
それはとてつもない恐怖と後悔を伴い、未彩の意思をグチャグチャにかき回した。

そしてその渦の中から未彩を引き上げるかのように、PETはメールの着信音を鳴らす。
今度は未彩がそれに気が付くのが早かったため、ロンナは何も言わなかった。
未彩も黙ったままPETを手に持ち、今日最後であろうメールを展開する。
時刻は、午後十一時を過ぎていた。

『そっか、そうだね、おやすみ。
これからはこうしてメールができそうだね。

うん、熱斗くん達はそういう悩みとは無縁みたいだからね、ある意味珍しいかも。
そっか……未彩ちゃんも自分と少し違う周囲の空気に悩んでいるんだね。解るよ、僕も昔は悩んだものだから。
うん、ロンナちゃんと君は本当に良いパートナーだと思うよ。』

此処までは先ほどと変わりなく普通だ、それに未彩は少しだけ安心しながら、同時に大きな不安と小さな期待を抱えつつ、続きを読む。

『ううん、僕からしたら君は変なんかじゃないよ、むしろ熱斗くん達の方が変なくらい、だから安心して。
そう、僕もコミュ障。だからね、一見仲良く見える様には勤めてるけど、本当は熱斗くん達とどう関わったら良いか、あんまり分からないんだ。
どういたしまして。きっと同じ悩みを抱える人間同士だからそう聞こえるんだね。僕も君の言葉は何処までも真っ直ぐ、僕の中に響く感じがするよ。
うん、いいよ、僕でよければ相談に乗るから、熱斗くん達がいない時に会ったり、またお互い時間があってメールができたりしたらその時に話を聞くよ。
だから、君がいいと思う所まで、僕に相談してみてよ。役に立てるかどうかはちょっと自信が無いけどね。

それじゃあ、おやすみなさい。』

満の返信は単なる社交辞令にしては酷く温かくて、未彩は自然と涙がこみ上げるのを止める事が出来なかった。
自分の言葉が真っ直ぐに届いているという満の言葉が真実ならばいい、どうか社交辞令ではなくあって欲しい、それを未彩は強く思う。
本当に、またこうして会話ができたなら、それはどれだけ嬉しい事かと、そう思う自分が悔しくて、未彩は一層深く泣いた。
もう何を考えているのか分からない、ただ真実を綴るしかない、未彩はロンナがどんな顔をしているのか確かめることも無く、手の甲で涙をぬぐうとキーボードに指を走らせる。

『えぇ、おやすみなさい、今日はこれで寝ますね。
はい、これからよろしくお願いします。

そうですね、熱斗や真波はあまりそういう事で悩んでいるのを見たことも聞いたこともありません。どうしたら俺もあんな風にしていられるのか知りたいぐらいです。
満さんもだったんですか。半分意外ですが、半分は何だか納得がいった気がします。満さんは悩んだなりの答えを見つけたんですね。
はい、これからもロンナとは仲良くやっていきたいです。

ありがとうございます、そう言ってもらえると、少し気が楽になります。
俺も同じです、極力仲良くありたいんですが、あと少しの所でどうにも上手い距離感がつかめなくて、最近はどんどん離れて行っている様な気がして、そのせいで考える事が妙に斜めになって……。
そうかもしれませんね、俺も、満さんの言葉は何だか真っ直ぐ聞く事ができます。
ではまた、双方時間がある時にでもお話しましょう。
聞いてもらえるだけで、俺はとても助かりますから。

では、おやすみなさい。』

そうして社交辞令をほぼ捨ててしまったその一通を書き上げると、未彩はすぐに送信ボタンをクリックし、そのメールを満のPETへと飛ばした。
流れる涙は、まだ当分止まってくれそうにはない。
何度拭っても拭っても滲む視界に、嗚呼自分は本当に愚かで浅はかで、どうしようもなく脆いのだと改めて気付く未彩は、脆く浅はかな自分への嫌悪感に泣き濡れる。
そして、これだからメールは大好きで大嫌いなのにと、満とのアドレス交換を強引に進めてきた真波とマサナを僅かに怨んだ。
そんな未彩に、ロンナが一見無邪気な声で、どう考えても深い意味のある言葉をかける。

「満さんの事、好きになっちゃった?」

未彩は服の袖でグイッと涙を拭うと、首を横に振り、そんな事はないと表現して見せた。
ロンナはその肩の上で幼い悪戯っ子のように明るく笑い、何やら唇を音をさせずに動かしている。
そしてその唇は、ある四文字を何度も繰り返していた。

ウ、ソ、ツ、キ。

……と。
未彩が一体今のやりとりの中でどんな嘘を吐いたというのか、それを正確に知るのはロンナのみである。
ただ断言できる事があるとすれば、ロンナの言った“好き”は恋愛的な意味ではなく友情的な意味であり、しかし恋愛よりも遥かに深い意味を持っているという事だけであろう。
実際、未彩には藤咲 満ではない別の異性を想いながら生きているのだから、ロンナの質問が恋愛的な意味での物ならば、満を好きになってはいないとした未彩の態度は嘘にはならないはずなのだ。

未彩が涙を止めようと必死になっている間、その肩の上で楽しそうに唇だけで“嘘吐き”と唱え続けていたロンナだったが、未彩が少し泣き止み始めた頃、PETの中に戻ってからボソリと呟いた。

「共鳴、してるくせにね。」

清上院 未彩という人間が、藤咲 満という人間に、互いの影の部分で惹かれ始めている事を、ロンナは見破っていた。


End.
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