短編“未満”小説『亡くなったのは、』
【亡くなったのは、】
それはある十二月初頭のお話。
その日、藤咲 満はDirty Blood本部から自宅への帰宅途中で、最寄駅の改札口を抜け、雪の降る外へと足を進めていた。
時刻は午後五時頃。
この時期の五時の空はもうそれなりに暗く、昼間でも涼しい風は夜の冷たい風へと性質を変えている。
そんな中を春や秋と変わらないスーツ姿で歩く満の姿は他のサラリーマンやOL達から見て少し異質なようで、時々若いOLと思われる女性や学校帰りの高校生などがまるで別の世界に生きている物を見るかのような好奇とも嘲笑とも言える視線を向けてくる。
気の弱い人間なら此処で気持ちが萎縮してしまうこともあるだろうが、満からすればそういう人間こそ嘲笑の対象だ。
満は萎縮するどころか、内心でその女たちを哂い返した。
特に、こちらを馬鹿にするような目で見ながらも自身は色気の為に足を丸出しにして“寒い寒い”と繰り返す、そんな自業自得としか言いようのない奴等には一欠片も同情の余地が無い、色気より馬鹿が目立つとしか感じられない、それ以上に何かを思う価値は無い。
確かに自分はこの季節にしては少し薄着かもしれないが、それで十分足りているから文句は言わないし、万が一寒くなっても自分がそれを選んだのだと自覚しよう、だから自分は、寒さを防ぐためにしっかり着込んで調節している人間とそんなに大きな差は無い――寒さの基準が違うだけで、行動としては自分は正しい側にいるし、もし彼らにさえ笑われたとしてもそれは彼らの基準がおかしいだけで、自分は間違っているとは思わない、正しいのは自分、それが満の考えだ。
そんなちょっとした自己満足に浸りながら大通りの歩道を自宅へ向けて歩き続ける満の目の前を突如、数人の子供達が駆け足で横切って行った。
突然の出来事で少し反応が遅れたが、満は彼らにぶつかる前になんとか足を止める。
「もう、危ないなぁ。」
止まってから呟いたそれが目の前を駆けていった子供達に聞こえているとはそれを呟いた満自身にも到底思えず、普通だったら周囲から“独り言の多い寂しい奴”と思われてもおかしくないところだが、人間一人にナビ一体が基本のこの時代、昔だったら危ない人間扱いの独り言も、今はナビへの言葉だと認識されて簡単に流れていく。
事実、満の呟きにはイツアーサが返事をした。
「子供は風の子、と聞いた事があるが、正にそんな感じだな。」
満の目の前を横切った子供は三人で、勢い良く駆けるその姿は遠くまで飛んで行けそうな印象を与えるものだったのに、何故か今は近くの街路樹の根元に集まってしゃがみこんでいる。
この子供達は見かけからして光 熱斗より少し子供っぽいから、おそらく十歳にも満たない、多分、八歳から九歳ぐらいだろう。
そこまで考えてから、どうして自分は子供の年齢の判断基準にあんな……Searchの傍に居る人間には相応しくない、苛立たしい程に無知な輝きを発する子供を選んだのかと気付き、満は地味に湧き上がる苦い感情――おそらく悔しさに、表情を少し歪めた。
あぁそうだ、今この街路樹の根元にしゃがむ子供達のような無知な笑顔を、あの少年はやってのける、自分は、
「……あれ?」
「ん? どうした、満。」
思考の途中で漏れ出た疑問が口から洩れて、気付いたイツアーサがどうしたのかと訊き返してくる。
満はしばし黙っていたが、
「ううん、なんでもない。」
そう言ってまた歩きだす。
そしてその奥で、ある事を思い返していた。
――そういえば、あのくらいの歳の時、僕は……――
思えば、ずっと思い返さないように、起こさないようにしていたのかもしれない。
もしくは、その為に殺してしまったのかもしれない。
それは今から数年前、満がまだ汚れた血の二番目の殺人鬼(Dirty Bloodのセカンドキラー)ではなく、単なるDirty Bloodの新入りでしかなかった頃のお話。
“Search=Darknessのようになりたい”という理由でDirty Bloodに入った満に、花道 愛華が“それならこういうこともできなくちゃね”と、表から拉致した若手科学者の尋問に満を立ち合わせた時だった。
窓が無く、飾り気もない、灰色の壁で囲っただけのその部屋はサスペンスドラマによくある取調室に似ているが、そこで行われる尋問は取り調べというよりも、拷問に近いもので、そもそもそこは警察署の一角などではない、そう、Dirty Bloodの本部の一角。
部屋のほぼ中央に寝かされた、というより、投げ捨てられたような男性の顔や腕には既に強い殴打の跡がいくつかあり、男性の正面には花道 愛華が、部屋の四隅にはこれまでの殴打を引き受けていたであろう団員が一人ずつ突っ立っている。
光闇 白夜と共にその部屋へ踏み込んだ満はその時、此処は表の世界とは全くの別物なのだと強く意識した。
自分の背後の扉が開く音に気付き、愛華が満と白夜へ振り向むく。
小さく息を飲む白夜には構わず、呆然として息を飲むことすらできなかった満へ、愛華は言った。
「この男は一応科学省職員の下っ端なの、それだけなら別にこんなところで“質問”の必要もないんだけど……どうやら、光闇グループとのつながりがある職員らしくてね、色々と“質問”してみたのだけど、答えてくれなくて。」
質問というか尋問、いや、拷問では? という言葉を満は飲み込んだ。
こんな場所でその言葉に意味は無い、ということもあるが、その疑問とほぼ同じ瞬間に、何か、強烈な使命感、いや、表現のしようが無い、けど、とても重要な考えが浮かんだからだ。
満の横では白夜が男性職員に対し申し訳なさそうに目を伏せている。
拉致監禁と共に幾度となく殴打を繰り返されて立ちあがる気力も失せた男性職員の視線は白夜と満を交互に見ている。
そしてそれらに構う気は無い愛華は言葉を続ける。
「だからね、満、貴方にSearchの役を、やってもらおうと思って呼んだの。」
白夜が科学省の男性職員から視線を逸らし、男性職員の視線が満に向けられた。
“Searchの役”……それはつまり、満に殴打よりも暴力的で猟奇的な拷問を引き受けろ、という意味だ。
望んでいたような、望んでいなかったような、唐突な展開だと言いたくなる展開に、満はなるべく小さな動きで周囲の顔を見回した。
男性職員は若いこともあってSearchのことは知らないようだが、それでもこれが良い展開ではないことはよく分かるらしく、満に向ける視線は“どうかそれを引き受けないでくれ”という懇願になっている。
愛華はとても楽しそうな顔をしている。
サディストとかキチガイとか、そんな言葉が脳裏に浮かんだ。
白夜はどうやら愛華の顔も満の顔も男性職員の顔も見ることができないようで、斜め下に視線を向けたまま苦い顔をしていた。
最初に会った時も思ったが、この男性がSearch――Dirty Bloodの最初の殺人鬼の父親というのは未だに違和感が拭えない。
どうする? という言葉が満の頭の中で響いた。
確かに自分はSearchのようになりたいと思ってここへ入った、それは事実だ。
中学生だった頃、満の事も虐めていた連中の差し出した猫をいとも簡単に冷静な態度で切り裂いたあの姿と、それを見てパニックを起こす同級生たちの顔、そして様々な殺人の体験談は、今も満の心を捕らえて離さずにいる。
それに、自分は未だにあの頃の同級生や、その周囲、ひいては社会という残酷な魔人を許せずにいて、だからそれを壊すと謳う此処は、Dirty Bloodは自分にぴったりだと思った。
今までだって、予行演習として渡された動物たちを、Searchの行動を真似るように簡単に切り裂いて、殺してきた。
そう、だけど……。
「どうしたのかしら、満。貴方が目指すのは、Searchと同じ場所なんでしょう?」
本当に人間を相手にしてみると、まだ、どうしてか気が引けてしまう……その思いを愛華にぶつけることはできず、満は自分に落ち着けと言い聞かすように唾を飲んだ。
隣に居る白夜がそれに気付き、男性職員よりも一層悲痛な眼差しを向けてきていることに、満はまだ気付かない。
――殺しちゃダメだよ!――
そんな声が聞こえた気がした、けれど、
――殺せよ、それが“僕”の望みじゃないか。――
そういう声も、聞こえた気がする。
殺してはいけないといった声は何故か小さな子供らしく、殺せと言った声の方がなんとなく大人びていて今に近い気がしたのは、どうしてだろう。
そもそも本当にそう聞こえた訳ではないのに、今此処に居る藤咲 満が同時にそれらを、対極に位置する事を思っただけなのに。
白夜の悲痛な眼差しと、男性職員の懇願の眼差しと、愛華の期待の眼差しと、四隅にたたずむ団員の傍観の眼差し。
それらに囲まれた満の中で、片方の思いが大きくなっていく。
――どうして今更躊躇うんだろうね? もう幾つも殺してきたのに。それらはこの日のためだったはずだよ? それに、これはSearchちゃんがやってたことだって、愛華リーダーも言ってるじゃないか! そもそも僕がここに、Dirty Bloodに入った理由はさ……――
「……分かりました、僕が、“殺”ります。」
満の答えに、愛華が一層楽しそうに笑う、それは多少醜くすらある、そう、それは正にキチガイだった気がする、と満は覚えている。
スポットライトのような局所的な灯りの中で男性職員が倒れたまま項垂れて、満の隣の白夜は再び視線を地に向けた。
白夜のその落胆が男性職員へのせめてもの追悼であり、同時に満への哀れみであることをこの時点で知るのは白夜本人だけである。
ともかく、満はその役を、Searchの代わりを引き受けると返事をしたのだ。
それはとても恐ろしいことのようで、とても望んでいたことのようで、鼓動が高鳴る、動悸がする、と、満は少し胸の苦しさを感じた。
それを知ってか知らずか、愛華はしばし嬉しそうにクスクスと笑った後、満の手を引き、取調室のような拷問室に満を引き入れる。
白夜はドアの付近に居た団員と何か言葉を交わしているが、すぐに何かを決意した様な顔で部屋の中へ一人で踏み込んだ。
愛華に手を引かれる満が男性職員の目の前に立つ。
「そういえば満、凶器は持っているの?」
「え、あ、はい、折り畳みナイフなら……。」
愛華に訊かれてポケットから取り出したそれは主に小動物相手に使っていたもので、人間、それも成人男性相手にはどこか頼りない小ささをしている。
いや、拷問だけなら折り畳みナイフでもいいのだが、ここでの拷問は、Searchの役は、多分――。
……やるとは言ったけど、これは少しマズイ失態では? と満が少し不安になった時、それを見越していたらしい愛華が隅に居た団員に声をかけてそちらへ走っていった。
そして団員と話している愛華が戻ってくるまで、満は男性職員を観察することにする。
満が目を向けた男性職員の目はまだ懇願を抱えているが、もはや半分は諦めているようにも見えて、なんだか人生の理不尽さを見せつけられた気がする。
諦めたいのに、諦められない瞳。
そう思った時、一瞬、その男性の目に何かが重なって見えたような気がした。
たとえば、殺さないでと言った、声の主に合いそうな――
「待たせたわね、満。」
「え、はい、ええと……」
重なったのは何だったのか、その判断に思考を占拠されていた最中の呼び掛けに、満は少し驚いて肩を上下させた。
Searchのようになりたいと言いながらもいかにも凡人臭い失態だと満は密かに恥じるが、愛華はさほど気にせず満の右手を自分の左手でつかみ、
「コレ、使ってちょうだい?」
自分の右手で、満の右手に何かそれなりの重量のあるモノを置いて、握らせた。
使う、という言葉に背筋が冷え、満は恐る恐る自分の右手を見る。
案の定、右手に握っていたのは、大きめのナイフの柄だった。
男性職員の顔と白夜の顔が絶望に染まっている事を、満はまだ知らない。
ただ、満は自分の予想が合っていた事を知り、大きく溜息を吐いて、そして、
「……えぇ、使わせてもらいますね。」
それから、何時間が経っただろう?
色々と必死だった気がして、よく分からないが、ただ、最後はよく覚えている。
殴打の跡が残る全身は切り傷に塗れ、手も足も爪を剥がされて、爪の無い指が数本床に転がり、片方の耳が削がれ、鼻を縦に裂かれ、片方の目が潰れて涙のような血が流れ、神経が切れる程深く肩を刺され、頭皮すら剥がされた、もはや死体のように見える人間。
もはや話すこともままならない虫の息のそれの、心臓や肺など、生命の維持に必要な臓器を刺し壊し、殺す感覚。
生温かい血液も、柔らかい肉も、固い骨も、満は全て知ってしまった。
そして、狂喜にも似た愛華の笑顔と、絶望を隠しきれていない白夜の涙。
殺しちゃダメ、という声は、もう聞こえなかった。
もう、満の意識から、その声の存在は削げ落ちていた。
「……戻ろうか、満くん。」
いつの間にか白夜が両手にバスタオルを持って満の目の前に立っていた。
涙はなんとかしたらしいが、必死に笑おうとするその表情が余計に苦々しいままなのは変わりない。
とりあえず、垂れない程度にその血肉を拭けということなのだろうと思った満は、ハイ、とだけ小さく返事をしてバスタオルを受け取り、顔や服、手足を拭く。
その背後では愛華が男性職員の死体を観察し、嬉しそうに笑っている。
白夜以外の表情が気になって、満は一度だけ部屋の中を見回した。
幸せそうな愛華、表情など無い死体、無表情の団員が二名に、驚いているらしい団員が二名。
そんな環境の中で自分は今どんな顔をしているのかが気になって、満はそれを白夜に訊こうかとも思ったが、なんとなく“どんな結果でも怖い気がして”やめておいた。
もう車の音の少ない住宅街の中、満は思い出していた。
その出来事の少し後、愛華からコードネームを持つことを進められ、“No.02(ナンバーゼロツー)”にしたいと言い、それが通った事と、Dirty Bloodで殺人鬼として動く時はSearchの目の色のような紅い色をしたカラーコンタクトを付けることを決めたのもその頃だった事と、何より、あの出来事のなかで、自分に語りかけてきた声のような思考のような、何かの事を。
アレは多分、同級生にストレス発散の玩具にされたりSearchに会ったりして誰かを殺すことへ傾いた自分と、殺意を必要としなかったとても幼い頃の自分の想いだったんだ、と。
そう、今でこそDirty Bloodの殺人鬼と化した自分だって、なかったわけではないのだ、光 熱斗やその仲間のような、無知で、純粋で、ただただ綺麗な正義を信じていた時期が。
まぁ、彼らほど最初から輝いていたかと訊かれると少し微妙かもしれないし、一部は当時から“目を付けてきていた”だろうとは思うが、それでも、殺したいなんて思わない時期が無かった訳ではない、それは認めよう。
だが満は思う、だからと言って、それを捨てた自分を悪いとは思わない、と。
――だって、そんな正義……簡単に、無意味だって分かっちゃったんだから……壊したのは、僕じゃない。僕を壊したヤツ等と、それを止めなかった無能な大人達だ。――
本当にこの世に正義があるなら、そしてその正義が子供が信じるような綺麗なものなら、Searchに会うずっと前に、他の大人が止めてくれればよかっただろう。
Searchに会うまではまだそういう思いも持っていたから、憎悪だけでなく、悲しみも大きくて、誰かに助けてほしい気がしていて、でも、それは叶わなかった上に、ヤツ等は形を変えて自分を削ってきたから、過去の傷を知らん顔で、善良なフリをして笑って近付いてきたから。
綺麗な正義はこの世には無い、無償の善意もあるはずが無い、信じたって救われない、信じる程に馬鹿を見るだけ、削られて、削られて、削られて、削り取られて、それで終わりなんて、自分には許せない。
自分を玩具にしてきた同級生も、それを止めなかった教師も、それらを聴いてくれなかった親も、そういう世界を知らずに綺麗で滑稽な正義を信じる光 熱斗やロックマン達も、誰一人、許せない、許さない、絶対に。
この世界に正義なんて無い。
――だから……――
「……僕が、正しい。」
「ん?」
思わず口に出た思いに、再びイツアーサが反応した。
最初はPETの中から聞いてきただけのイツアーサだったが、二回目だったせいか今度は肩の上に出てきている。
しかし満はそんなイツアーサには視線を向けず、真っ黒になった夜空を見上げながら言った。
「明日はこの時間に“お仕事”だよ。今日の内に休んでおかないとね。」
そう言い切った時、満は自宅の玄関前に到着した。
――殺しちゃダメだよ!――
あの幼い声は、満にはもう、聞こえない。
End.
それはある十二月初頭のお話。
その日、藤咲 満はDirty Blood本部から自宅への帰宅途中で、最寄駅の改札口を抜け、雪の降る外へと足を進めていた。
時刻は午後五時頃。
この時期の五時の空はもうそれなりに暗く、昼間でも涼しい風は夜の冷たい風へと性質を変えている。
そんな中を春や秋と変わらないスーツ姿で歩く満の姿は他のサラリーマンやOL達から見て少し異質なようで、時々若いOLと思われる女性や学校帰りの高校生などがまるで別の世界に生きている物を見るかのような好奇とも嘲笑とも言える視線を向けてくる。
気の弱い人間なら此処で気持ちが萎縮してしまうこともあるだろうが、満からすればそういう人間こそ嘲笑の対象だ。
満は萎縮するどころか、内心でその女たちを哂い返した。
特に、こちらを馬鹿にするような目で見ながらも自身は色気の為に足を丸出しにして“寒い寒い”と繰り返す、そんな自業自得としか言いようのない奴等には一欠片も同情の余地が無い、色気より馬鹿が目立つとしか感じられない、それ以上に何かを思う価値は無い。
確かに自分はこの季節にしては少し薄着かもしれないが、それで十分足りているから文句は言わないし、万が一寒くなっても自分がそれを選んだのだと自覚しよう、だから自分は、寒さを防ぐためにしっかり着込んで調節している人間とそんなに大きな差は無い――寒さの基準が違うだけで、行動としては自分は正しい側にいるし、もし彼らにさえ笑われたとしてもそれは彼らの基準がおかしいだけで、自分は間違っているとは思わない、正しいのは自分、それが満の考えだ。
そんなちょっとした自己満足に浸りながら大通りの歩道を自宅へ向けて歩き続ける満の目の前を突如、数人の子供達が駆け足で横切って行った。
突然の出来事で少し反応が遅れたが、満は彼らにぶつかる前になんとか足を止める。
「もう、危ないなぁ。」
止まってから呟いたそれが目の前を駆けていった子供達に聞こえているとはそれを呟いた満自身にも到底思えず、普通だったら周囲から“独り言の多い寂しい奴”と思われてもおかしくないところだが、人間一人にナビ一体が基本のこの時代、昔だったら危ない人間扱いの独り言も、今はナビへの言葉だと認識されて簡単に流れていく。
事実、満の呟きにはイツアーサが返事をした。
「子供は風の子、と聞いた事があるが、正にそんな感じだな。」
満の目の前を横切った子供は三人で、勢い良く駆けるその姿は遠くまで飛んで行けそうな印象を与えるものだったのに、何故か今は近くの街路樹の根元に集まってしゃがみこんでいる。
この子供達は見かけからして光 熱斗より少し子供っぽいから、おそらく十歳にも満たない、多分、八歳から九歳ぐらいだろう。
そこまで考えてから、どうして自分は子供の年齢の判断基準にあんな……Searchの傍に居る人間には相応しくない、苛立たしい程に無知な輝きを発する子供を選んだのかと気付き、満は地味に湧き上がる苦い感情――おそらく悔しさに、表情を少し歪めた。
あぁそうだ、今この街路樹の根元にしゃがむ子供達のような無知な笑顔を、あの少年はやってのける、自分は、
「……あれ?」
「ん? どうした、満。」
思考の途中で漏れ出た疑問が口から洩れて、気付いたイツアーサがどうしたのかと訊き返してくる。
満はしばし黙っていたが、
「ううん、なんでもない。」
そう言ってまた歩きだす。
そしてその奥で、ある事を思い返していた。
――そういえば、あのくらいの歳の時、僕は……――
思えば、ずっと思い返さないように、起こさないようにしていたのかもしれない。
もしくは、その為に殺してしまったのかもしれない。
それは今から数年前、満がまだ汚れた血の二番目の殺人鬼(Dirty Bloodのセカンドキラー)ではなく、単なるDirty Bloodの新入りでしかなかった頃のお話。
“Search=Darknessのようになりたい”という理由でDirty Bloodに入った満に、花道 愛華が“それならこういうこともできなくちゃね”と、表から拉致した若手科学者の尋問に満を立ち合わせた時だった。
窓が無く、飾り気もない、灰色の壁で囲っただけのその部屋はサスペンスドラマによくある取調室に似ているが、そこで行われる尋問は取り調べというよりも、拷問に近いもので、そもそもそこは警察署の一角などではない、そう、Dirty Bloodの本部の一角。
部屋のほぼ中央に寝かされた、というより、投げ捨てられたような男性の顔や腕には既に強い殴打の跡がいくつかあり、男性の正面には花道 愛華が、部屋の四隅にはこれまでの殴打を引き受けていたであろう団員が一人ずつ突っ立っている。
光闇 白夜と共にその部屋へ踏み込んだ満はその時、此処は表の世界とは全くの別物なのだと強く意識した。
自分の背後の扉が開く音に気付き、愛華が満と白夜へ振り向むく。
小さく息を飲む白夜には構わず、呆然として息を飲むことすらできなかった満へ、愛華は言った。
「この男は一応科学省職員の下っ端なの、それだけなら別にこんなところで“質問”の必要もないんだけど……どうやら、光闇グループとのつながりがある職員らしくてね、色々と“質問”してみたのだけど、答えてくれなくて。」
質問というか尋問、いや、拷問では? という言葉を満は飲み込んだ。
こんな場所でその言葉に意味は無い、ということもあるが、その疑問とほぼ同じ瞬間に、何か、強烈な使命感、いや、表現のしようが無い、けど、とても重要な考えが浮かんだからだ。
満の横では白夜が男性職員に対し申し訳なさそうに目を伏せている。
拉致監禁と共に幾度となく殴打を繰り返されて立ちあがる気力も失せた男性職員の視線は白夜と満を交互に見ている。
そしてそれらに構う気は無い愛華は言葉を続ける。
「だからね、満、貴方にSearchの役を、やってもらおうと思って呼んだの。」
白夜が科学省の男性職員から視線を逸らし、男性職員の視線が満に向けられた。
“Searchの役”……それはつまり、満に殴打よりも暴力的で猟奇的な拷問を引き受けろ、という意味だ。
望んでいたような、望んでいなかったような、唐突な展開だと言いたくなる展開に、満はなるべく小さな動きで周囲の顔を見回した。
男性職員は若いこともあってSearchのことは知らないようだが、それでもこれが良い展開ではないことはよく分かるらしく、満に向ける視線は“どうかそれを引き受けないでくれ”という懇願になっている。
愛華はとても楽しそうな顔をしている。
サディストとかキチガイとか、そんな言葉が脳裏に浮かんだ。
白夜はどうやら愛華の顔も満の顔も男性職員の顔も見ることができないようで、斜め下に視線を向けたまま苦い顔をしていた。
最初に会った時も思ったが、この男性がSearch――Dirty Bloodの最初の殺人鬼の父親というのは未だに違和感が拭えない。
どうする? という言葉が満の頭の中で響いた。
確かに自分はSearchのようになりたいと思ってここへ入った、それは事実だ。
中学生だった頃、満の事も虐めていた連中の差し出した猫をいとも簡単に冷静な態度で切り裂いたあの姿と、それを見てパニックを起こす同級生たちの顔、そして様々な殺人の体験談は、今も満の心を捕らえて離さずにいる。
それに、自分は未だにあの頃の同級生や、その周囲、ひいては社会という残酷な魔人を許せずにいて、だからそれを壊すと謳う此処は、Dirty Bloodは自分にぴったりだと思った。
今までだって、予行演習として渡された動物たちを、Searchの行動を真似るように簡単に切り裂いて、殺してきた。
そう、だけど……。
「どうしたのかしら、満。貴方が目指すのは、Searchと同じ場所なんでしょう?」
本当に人間を相手にしてみると、まだ、どうしてか気が引けてしまう……その思いを愛華にぶつけることはできず、満は自分に落ち着けと言い聞かすように唾を飲んだ。
隣に居る白夜がそれに気付き、男性職員よりも一層悲痛な眼差しを向けてきていることに、満はまだ気付かない。
――殺しちゃダメだよ!――
そんな声が聞こえた気がした、けれど、
――殺せよ、それが“僕”の望みじゃないか。――
そういう声も、聞こえた気がする。
殺してはいけないといった声は何故か小さな子供らしく、殺せと言った声の方がなんとなく大人びていて今に近い気がしたのは、どうしてだろう。
そもそも本当にそう聞こえた訳ではないのに、今此処に居る藤咲 満が同時にそれらを、対極に位置する事を思っただけなのに。
白夜の悲痛な眼差しと、男性職員の懇願の眼差しと、愛華の期待の眼差しと、四隅にたたずむ団員の傍観の眼差し。
それらに囲まれた満の中で、片方の思いが大きくなっていく。
――どうして今更躊躇うんだろうね? もう幾つも殺してきたのに。それらはこの日のためだったはずだよ? それに、これはSearchちゃんがやってたことだって、愛華リーダーも言ってるじゃないか! そもそも僕がここに、Dirty Bloodに入った理由はさ……――
「……分かりました、僕が、“殺”ります。」
満の答えに、愛華が一層楽しそうに笑う、それは多少醜くすらある、そう、それは正にキチガイだった気がする、と満は覚えている。
スポットライトのような局所的な灯りの中で男性職員が倒れたまま項垂れて、満の隣の白夜は再び視線を地に向けた。
白夜のその落胆が男性職員へのせめてもの追悼であり、同時に満への哀れみであることをこの時点で知るのは白夜本人だけである。
ともかく、満はその役を、Searchの代わりを引き受けると返事をしたのだ。
それはとても恐ろしいことのようで、とても望んでいたことのようで、鼓動が高鳴る、動悸がする、と、満は少し胸の苦しさを感じた。
それを知ってか知らずか、愛華はしばし嬉しそうにクスクスと笑った後、満の手を引き、取調室のような拷問室に満を引き入れる。
白夜はドアの付近に居た団員と何か言葉を交わしているが、すぐに何かを決意した様な顔で部屋の中へ一人で踏み込んだ。
愛華に手を引かれる満が男性職員の目の前に立つ。
「そういえば満、凶器は持っているの?」
「え、あ、はい、折り畳みナイフなら……。」
愛華に訊かれてポケットから取り出したそれは主に小動物相手に使っていたもので、人間、それも成人男性相手にはどこか頼りない小ささをしている。
いや、拷問だけなら折り畳みナイフでもいいのだが、ここでの拷問は、Searchの役は、多分――。
……やるとは言ったけど、これは少しマズイ失態では? と満が少し不安になった時、それを見越していたらしい愛華が隅に居た団員に声をかけてそちらへ走っていった。
そして団員と話している愛華が戻ってくるまで、満は男性職員を観察することにする。
満が目を向けた男性職員の目はまだ懇願を抱えているが、もはや半分は諦めているようにも見えて、なんだか人生の理不尽さを見せつけられた気がする。
諦めたいのに、諦められない瞳。
そう思った時、一瞬、その男性の目に何かが重なって見えたような気がした。
たとえば、殺さないでと言った、声の主に合いそうな――
「待たせたわね、満。」
「え、はい、ええと……」
重なったのは何だったのか、その判断に思考を占拠されていた最中の呼び掛けに、満は少し驚いて肩を上下させた。
Searchのようになりたいと言いながらもいかにも凡人臭い失態だと満は密かに恥じるが、愛華はさほど気にせず満の右手を自分の左手でつかみ、
「コレ、使ってちょうだい?」
自分の右手で、満の右手に何かそれなりの重量のあるモノを置いて、握らせた。
使う、という言葉に背筋が冷え、満は恐る恐る自分の右手を見る。
案の定、右手に握っていたのは、大きめのナイフの柄だった。
男性職員の顔と白夜の顔が絶望に染まっている事を、満はまだ知らない。
ただ、満は自分の予想が合っていた事を知り、大きく溜息を吐いて、そして、
「……えぇ、使わせてもらいますね。」
それから、何時間が経っただろう?
色々と必死だった気がして、よく分からないが、ただ、最後はよく覚えている。
殴打の跡が残る全身は切り傷に塗れ、手も足も爪を剥がされて、爪の無い指が数本床に転がり、片方の耳が削がれ、鼻を縦に裂かれ、片方の目が潰れて涙のような血が流れ、神経が切れる程深く肩を刺され、頭皮すら剥がされた、もはや死体のように見える人間。
もはや話すこともままならない虫の息のそれの、心臓や肺など、生命の維持に必要な臓器を刺し壊し、殺す感覚。
生温かい血液も、柔らかい肉も、固い骨も、満は全て知ってしまった。
そして、狂喜にも似た愛華の笑顔と、絶望を隠しきれていない白夜の涙。
殺しちゃダメ、という声は、もう聞こえなかった。
もう、満の意識から、その声の存在は削げ落ちていた。
「……戻ろうか、満くん。」
いつの間にか白夜が両手にバスタオルを持って満の目の前に立っていた。
涙はなんとかしたらしいが、必死に笑おうとするその表情が余計に苦々しいままなのは変わりない。
とりあえず、垂れない程度にその血肉を拭けということなのだろうと思った満は、ハイ、とだけ小さく返事をしてバスタオルを受け取り、顔や服、手足を拭く。
その背後では愛華が男性職員の死体を観察し、嬉しそうに笑っている。
白夜以外の表情が気になって、満は一度だけ部屋の中を見回した。
幸せそうな愛華、表情など無い死体、無表情の団員が二名に、驚いているらしい団員が二名。
そんな環境の中で自分は今どんな顔をしているのかが気になって、満はそれを白夜に訊こうかとも思ったが、なんとなく“どんな結果でも怖い気がして”やめておいた。
もう車の音の少ない住宅街の中、満は思い出していた。
その出来事の少し後、愛華からコードネームを持つことを進められ、“No.02(ナンバーゼロツー)”にしたいと言い、それが通った事と、Dirty Bloodで殺人鬼として動く時はSearchの目の色のような紅い色をしたカラーコンタクトを付けることを決めたのもその頃だった事と、何より、あの出来事のなかで、自分に語りかけてきた声のような思考のような、何かの事を。
アレは多分、同級生にストレス発散の玩具にされたりSearchに会ったりして誰かを殺すことへ傾いた自分と、殺意を必要としなかったとても幼い頃の自分の想いだったんだ、と。
そう、今でこそDirty Bloodの殺人鬼と化した自分だって、なかったわけではないのだ、光 熱斗やその仲間のような、無知で、純粋で、ただただ綺麗な正義を信じていた時期が。
まぁ、彼らほど最初から輝いていたかと訊かれると少し微妙かもしれないし、一部は当時から“目を付けてきていた”だろうとは思うが、それでも、殺したいなんて思わない時期が無かった訳ではない、それは認めよう。
だが満は思う、だからと言って、それを捨てた自分を悪いとは思わない、と。
――だって、そんな正義……簡単に、無意味だって分かっちゃったんだから……壊したのは、僕じゃない。僕を壊したヤツ等と、それを止めなかった無能な大人達だ。――
本当にこの世に正義があるなら、そしてその正義が子供が信じるような綺麗なものなら、Searchに会うずっと前に、他の大人が止めてくれればよかっただろう。
Searchに会うまではまだそういう思いも持っていたから、憎悪だけでなく、悲しみも大きくて、誰かに助けてほしい気がしていて、でも、それは叶わなかった上に、ヤツ等は形を変えて自分を削ってきたから、過去の傷を知らん顔で、善良なフリをして笑って近付いてきたから。
綺麗な正義はこの世には無い、無償の善意もあるはずが無い、信じたって救われない、信じる程に馬鹿を見るだけ、削られて、削られて、削られて、削り取られて、それで終わりなんて、自分には許せない。
自分を玩具にしてきた同級生も、それを止めなかった教師も、それらを聴いてくれなかった親も、そういう世界を知らずに綺麗で滑稽な正義を信じる光 熱斗やロックマン達も、誰一人、許せない、許さない、絶対に。
この世界に正義なんて無い。
――だから……――
「……僕が、正しい。」
「ん?」
思わず口に出た思いに、再びイツアーサが反応した。
最初はPETの中から聞いてきただけのイツアーサだったが、二回目だったせいか今度は肩の上に出てきている。
しかし満はそんなイツアーサには視線を向けず、真っ黒になった夜空を見上げながら言った。
「明日はこの時間に“お仕事”だよ。今日の内に休んでおかないとね。」
そう言い切った時、満は自宅の玄関前に到着した。
――殺しちゃダメだよ!――
あの幼い声は、満にはもう、聞こえない。
End.
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