僕等の答え

「けど……」

そこまで口にした途端、熱斗の表情が曇り始めた。
一度は緩んだ指の力がまた強まり、苦痛に耐えるように、苦痛を苦痛で誤魔化すように、爪を立てる。
熱斗の表情は、今にも涙が込み上げて零れて頬を伝ってもおかしくないほどの悲しみと苦しみに溢れ、ロックマンは仮面のような無機質な瞳でそれを見つめている。
一秒、二秒、……と言葉の無い時間が続く。
その沈黙は、熱斗が自分を締め付ける苦痛に耐えながらも話の続きを必死にまとめている証拠か。

やがて、熱斗は少し大袈裟に呼吸をするようになっていた。
“けど……”の後に続けたい想いはもはや、身体にも直接影響を表す程強くなっているのだ。
その苦しそうな姿を見ても、ロックマンは熱斗を励ますでも宥めるでもなく、ただ、見つめ続けている。
それが、熱斗の望みだと分かっているとでも言うように。

胸が痛む、何かで締め付けられているように。
体育の授業の後でさえ、こんなに心臓が苦しくなることは無い。
そもそも、人を好意的に想う事は苦痛になる事ではないはずだと熱斗は知っているのだが、それでもその想いは長期にわたって熱斗を苦しめてきた。
一体何時から自分はこんな、普通とは言えない曲がった考えを持つようになったというのだろう?
どうして好意の中に憎悪にも似たドロドロとした感情が潜んでいて、そして自分はその事実に気付けるのだろう?
視線が定まらない程消耗して、それでも未だに残る“正常さ”が自分を苦しめるという理不尽にも近い心境の中、熱斗は再びゆっくりと口を開く。

「……そのうち、怖く、なって、きたんだ……。」

そう言った熱斗の声は、まともな防寒着もないまま真冬の寒さの中に放り込まれたかのように震えていて、視線はもはやロックマンを見ているともPETを見ているとも、それらの下にあるベッドや床を見ているとも言えない。
それは遠くに存在する別の何か、そう、歪に折れた自分の感情と、その先で求める相手を見ている。
確かに自分は凍えている、でも、“焼き殺される”のも怖い……だから、これまで中途半端に立ちつくしてきた熱斗は今、決意を固めようとしていた。
ロックマンという親友に見守られながら、熱斗は、今まで自分を凍えさせながら締め上げて、その内側を食い荒らすように破壊してきた想いの全てを吐きだす。

「メイルちゃんと俺の距離が近くなればなるほど、離れる時が、凄く、怖くなった。明日もこうして傍で笑ってくれるのかな、とか、急に近付き過ぎて嫌がられてないかな、とか……そうしたら、俺がいない間にもっといい人を見つけちゃうんじゃないかって、そう思うと、怖くて、苦しくて……!」

最初は弱く震えていた声に、徐々に力が籠もっていく。
この想いを言葉にすることはそれだけ力のいることで、それだけで何かが湧きあがるもので、そして、熱斗は今までそれを外に出してしまう事が怖かった。
正直な話今でも、メイルに対してそれを告げられるか? と訊かれれば、熱斗はすぐに頷くことは出来ない。
今、こうして苦労を伴いながらもなんとかここまで吐き出すことができたのは、相手がメイルではなくロックマンだからかもしれないと薄々感じている。
何故なら、

「そんなこと考えたらメイルちゃんにも悪いって事ぐらい俺は知ってる、でも……どうしようも、なかったんだよ!」

それをメイルに対して出してしまえば、正面から焼き殺されてしまうことぐらいは、本能的に分かっていたから。
実際の気温による寒さではなく、自分の内側から湧き上がる衝動に震える体で続けた言葉と声は、感情の昂りを抑えることができていなかった。
いや、今までそれらをメイルに対して隠し続けてきたことを考えれば、その気になればまだ抑えることもできたのかもしれない。
だからこれは。抑えることが出来なかったのではなく、あえて抑えなかったと言えるだろう。
それこそが、熱斗の決意なのだ。

衝動の解放の後にはこれといって新しい言葉は続かず、しばしの沈黙が訪れた。
それでもまだ体は震え、想いは昂ったままで、熱斗はそれを、過呼吸にも似た深呼吸で無理矢理落ちつけようとする。
大きく吸う、大きく吐く、大きく吸う、吐く、吸う、吐く、吸う、吐く、吸う、吐く、吸う、吐く吸う吐く吸う吐く吸う吐く吸う吐く吸う吐く、その繰り返しだ。
やがてその呼吸も落ち着けた頃、熱斗は先ほどよりはずっと落ち着いた、しかし最初のような弱々しさとは何かが違う声で、ロックマンへ、

「……なぁ、俺は今日、全部に決着を付けるよ。だから……」

虚ろな目を向けて、両端を僅かに吊りあげた口で、

「教えてくれよ、ロックマンの想いも。俺が全部を決める時、ロックマンは、どうしたい?」

問いかけた。
その表情に薄っすらと浮かぶ笑みと、先ほどまでは本当に何処を見ているのか分からなかったのに今はちゃんとロックマンに向けられている視線が熱斗の決意を物語り、同時にロックマンへの問いかけを続けている。
お互い逸れることのない視線の先に、ロックマンは熱斗の、熱斗はロックマンの何を見ているというのか。
しばしの間、どちらも何も言わないままで時間だけが過ぎていき、その間に空から、部屋から、薄闇が消えていく。
二人の存在を他人から隠すように存在していた闇が弱まり、入れ替わるように朝日が差し込み始める。

そうして夜が残滓すら消えていくように、ロックマンの想いを隠す仮面も少しずつ剥がれていくのだ。
ふと、ロックマンは一瞬だけ悲しげに目を伏せ。
そして、すぐに強い決意と共にその視線を熱斗に向け直し、誓う。

「……そうだね、僕は――。」
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