深海チョコレート日和
それは二月十三日の午後四時頃の事。
秋原町の中に存在するとあるスーパーの菓子売り場、その近くで、桜井 メイルは籠を片手に立ちつくし、ロールと共に長時間に及んで悩んでいた。
手に持った籠の中には今日と明日の夕飯の材料がしっかりと入れてあり、普段ならそろそろレジに向かう頃なのだが、何故かメイルはまだレジへ向かおうとはせず、目の前の棚を睨むようにじっと凝視している。
メイルの視線の先にそびえる棚には大量で様々な種類のチョコレートと、お菓子作り用に設計されたであろうアルミ製、または紙製の小さなカップ、それからゴム製のヘラや銀色のボウル、泡立て器と言った調理器具、そのほかデコペンなどの装飾用のお菓子がずらりと置かれていて、その頂上には世間の女性の多くを誘うように、『St. Valentine's dayコーナー』と書かれたポップが飾ってある。
そう、今日は二月十三日、明日は二月十四日、つまり明日はバレンタインデーで、メイルも世間の女性たちに漏れることなく明後日のバレンタインデーに備えてチョコレートと必要な器具やお菓子の調達にやってきていたのだ。
渡す相手は今更言うまでもないが、光 熱斗である。
勿論、義理チョコ程度なら他の誰か――男子ならばデカオや透、女子ならばやいと等にも渡しても良いと思っているが、とにもかくにもまずは熱斗の分を考えながら、メイルは棚を凝視する。
今年も色々な種類のチョコレートや型、飾りがあるが、今年は何を選ぼうか、メイルはまず今年はどんなチョコを贈る事にするかを考え始めた。
やはり簡単かつ確実なのは普通のチョコレートを細かく刻んで溶かし、アルミの型に入れてゆっくりと冷やすというものだが、それだけでは義理はともかく本命に対しては少し頼りない気がする。
何か他に良い案は無いかと思いながらメイルは棚を見まわし、其処に普通のチョコレート以外にホワイトチョコとイチゴチョコがある事に気が付く。
「あ、ねぇロール。」
メイルは自分の肩の上にいて共に棚を見まわしていたロールに話しかけた。
ロールは棚を隅々まで見ていたその目の動きを止め、メイルの顔へと振り向く。
「なぁに? メイルちゃん。」
「このチョコレート、三種類使ったら三層のチョコレートとかできないかしら?」
メイルが手に取っていたのは、普通のミルクチョコレートと、ホワイトチョコレートと、イチゴチョコレートの板チョコであった。
どうやらメイルはこの三種を使い、普通、ホワイト、イチゴの三層のチョコレートを作るつもりらしい。
一種類だけを溶かして固めるチョコレートよりは少し難易度が上がるが、難易度が上がる分本命向きにはなるかもしれない。
ロールは脳内でそのチョコレートの完成予想図を描き、一人でうんうんと頷いてからメイルに笑顔を向ける。
「それはいいアイディアだと思うわ!その方向で色々買いましょ!」
「そう? じゃあそうしようかしら。」
メイルは手に持った三枚の板チョコを籠に入れ、追加で同じ物をもう一枚ずつ、合計六枚の板チョコレートを籠に入れた。
さて、中身を決めたら次は外の形を決めなくてはならない。
メイルは先ほどまでのように棚を凝視し、数あるアルミのカップや紙のカップを一つずつ視界に入れて、自分の望むチョコレートが作れるかどうかを考える。
このカップは少し小さい、このカップはケーキ向き、このカップは深さが足りない……数あるカップをかわるがわる視界に入れ、時には手にとってじっくりと観察し、メイルはようやく自分の望むチョコレートに合う形のカップを見つけた。
それは直径三センチほど、深さも三センチほどの少しコロコロとした、それでいてハート型になっているカップで、メイルはこれなら三層のチョコレートを入れても溢れないだろうと考え満足する。
メイルはそのカップが八つ入った袋を三つほど籠に入れると、満足してその場を離れようとした、が、その時メイルの視界の端にある物が飛び込んできて、メイルは動きを止めた。
ロールがそれを不思議に思ってメイルに問いかける。
「メイルちゃん、どうしたの?」
目的のチョコレートとカップはもう買ったでしょう? と言わんばかりのロールを肩に乗せたまま、メイルはそっとしゃがんで、バレンタインコーナーの中でも下の方の段に置かれている、カカオ多目の板チョコレートへ手を伸ばした。
そしてそのままそれを三枚手に取り、先ほどのチョコレート達と同じように籠に入れる。
それを見たロールは不思議なものを見たと言わんばかりの声で、
「熱斗くんって苦い物好きだったかしら?」
と、メイルに訊いた。
ロールの記憶の中には、熱斗が苦い物――例えば今メイルが手に取ったカカオ多目のチョコレートが好きだという情報が無いのだ。
するとメイルは曲げた足をのばして立ちあがりながら、そういう訳じゃないわ、とでも言うように首を横に振る。
では何故メイルはカカオ多目のチョコレートを買うのか、それが分からないロールは更に問いかける。
「じゃあメイルちゃんの分?」
「それも違うわ。」
小さく首を横に振りながら否定したメイルを見て、ロールはとても不思議な光景を見たと言いたげな表情でメイルを見詰めた。
熱斗の分ではない、メイルの分でもない、となると残りは自動的に義理チョコの分という事になっては来るのだが、それなら無難にミルクチョコレートを選べばいい気がして、ロールは殊更不思議だと言いたげな顔でもう一度メイルに問いかける。
「じゃあどうして?」
メイルは少し沈黙した後、小さな溜息を一つ吐いてからロールの方へ向いて答えた。
「これはね、おじさん――熱斗のお父さんの分。」
「光博士の?」
メイルが答えると、ロールは少し意外そうな顔で相手の存在を復唱した。
熱斗でもない、自分でもない、となるとその他の誰かで義理チョコであろうという事はロールにも分かっていたのだが、それでもその相手がやいとやデカオなどの同世代の友人達ではなく、自分の親世代に当たる光 祐一朗である事は少し予想外だったのだ。
一体どうして祐一朗なのだろう? そう思ったロールがメイルの表情を窺うと、メイルは僅かに微笑みながら籠に入れたカカオ多目のチョコレートの一枚を見詰めていた。
その脳裏に浮かぶのは、つい数ヶ月前の海底調査の時の事。
立て続けに起こったゾアノロイドによる襲撃で、深海艇が海上へ浮上できなくなるというアクシデントが起こった時、メイルは酷いパニックに陥っていた。
そんなメイルに、祐一朗は少しでも落ち着いてもらおうとしたのか、ガムやチョコレートをくれた。
その時にもらったチョコレートの味を、メイルは今でも覚えている。
普段食べているミルクチョコレートよりもほんのりと苦い、少し大人な味のチョコレートは、短時間といえどメイルに落ち着く時間をくれて、体力の消耗を僅かに防いでくれた。
だからメイルは、何時かその時のお礼ができたらいい、同じようなものを今度は自分から祐一朗に渡せたらいいと薄っすら思い続けていた。
そして今、自分の視界の中にミルクチョコレートよりもやや苦い、カカオ多めのチョコレートの存在を確認したメイルは、その機会は明日なのではないかと確信したのだ。
「ロールも覚えてるでしょ、深海艇での事。私、あの時本当にパニックになっちゃって、それでもおじさんはちゃんと状況とか説明してくれて、私が落ち着くようにお菓子もくれて、だから、私その時のお詫びとお礼がしたいの。」
メイルはそう言って、籠から出したチョコレートを籠の中に戻し、今度こそ満足した様子でバレンタインコーナーから離れていく。
ロールは納得した様な納得していないような不思議な表情でメイルの肩の上に立っていた。
そしてそこからは特に寄り道もせず真っ直ぐレジへ進み、夕飯の材料と明日の準備のチョコレートがごっちゃになった買い物籠をレジのテーブルの上に置く。
そのレジに立つ店員が沢山のチョコレートを見て微かに微笑んだ気がするのは気のせいか、それとも事実か、それは分からないが、会計を済ませたメイルは近くの台に籠を置き、買った物を全てレジ袋に入れると、籠を近くの籠置き場に片付け、二つのレジ袋を持ってスーパーを後にした。
秋原町の中に存在するとあるスーパーの菓子売り場、その近くで、桜井 メイルは籠を片手に立ちつくし、ロールと共に長時間に及んで悩んでいた。
手に持った籠の中には今日と明日の夕飯の材料がしっかりと入れてあり、普段ならそろそろレジに向かう頃なのだが、何故かメイルはまだレジへ向かおうとはせず、目の前の棚を睨むようにじっと凝視している。
メイルの視線の先にそびえる棚には大量で様々な種類のチョコレートと、お菓子作り用に設計されたであろうアルミ製、または紙製の小さなカップ、それからゴム製のヘラや銀色のボウル、泡立て器と言った調理器具、そのほかデコペンなどの装飾用のお菓子がずらりと置かれていて、その頂上には世間の女性の多くを誘うように、『St. Valentine's dayコーナー』と書かれたポップが飾ってある。
そう、今日は二月十三日、明日は二月十四日、つまり明日はバレンタインデーで、メイルも世間の女性たちに漏れることなく明後日のバレンタインデーに備えてチョコレートと必要な器具やお菓子の調達にやってきていたのだ。
渡す相手は今更言うまでもないが、光 熱斗である。
勿論、義理チョコ程度なら他の誰か――男子ならばデカオや透、女子ならばやいと等にも渡しても良いと思っているが、とにもかくにもまずは熱斗の分を考えながら、メイルは棚を凝視する。
今年も色々な種類のチョコレートや型、飾りがあるが、今年は何を選ぼうか、メイルはまず今年はどんなチョコを贈る事にするかを考え始めた。
やはり簡単かつ確実なのは普通のチョコレートを細かく刻んで溶かし、アルミの型に入れてゆっくりと冷やすというものだが、それだけでは義理はともかく本命に対しては少し頼りない気がする。
何か他に良い案は無いかと思いながらメイルは棚を見まわし、其処に普通のチョコレート以外にホワイトチョコとイチゴチョコがある事に気が付く。
「あ、ねぇロール。」
メイルは自分の肩の上にいて共に棚を見まわしていたロールに話しかけた。
ロールは棚を隅々まで見ていたその目の動きを止め、メイルの顔へと振り向く。
「なぁに? メイルちゃん。」
「このチョコレート、三種類使ったら三層のチョコレートとかできないかしら?」
メイルが手に取っていたのは、普通のミルクチョコレートと、ホワイトチョコレートと、イチゴチョコレートの板チョコであった。
どうやらメイルはこの三種を使い、普通、ホワイト、イチゴの三層のチョコレートを作るつもりらしい。
一種類だけを溶かして固めるチョコレートよりは少し難易度が上がるが、難易度が上がる分本命向きにはなるかもしれない。
ロールは脳内でそのチョコレートの完成予想図を描き、一人でうんうんと頷いてからメイルに笑顔を向ける。
「それはいいアイディアだと思うわ!その方向で色々買いましょ!」
「そう? じゃあそうしようかしら。」
メイルは手に持った三枚の板チョコを籠に入れ、追加で同じ物をもう一枚ずつ、合計六枚の板チョコレートを籠に入れた。
さて、中身を決めたら次は外の形を決めなくてはならない。
メイルは先ほどまでのように棚を凝視し、数あるアルミのカップや紙のカップを一つずつ視界に入れて、自分の望むチョコレートが作れるかどうかを考える。
このカップは少し小さい、このカップはケーキ向き、このカップは深さが足りない……数あるカップをかわるがわる視界に入れ、時には手にとってじっくりと観察し、メイルはようやく自分の望むチョコレートに合う形のカップを見つけた。
それは直径三センチほど、深さも三センチほどの少しコロコロとした、それでいてハート型になっているカップで、メイルはこれなら三層のチョコレートを入れても溢れないだろうと考え満足する。
メイルはそのカップが八つ入った袋を三つほど籠に入れると、満足してその場を離れようとした、が、その時メイルの視界の端にある物が飛び込んできて、メイルは動きを止めた。
ロールがそれを不思議に思ってメイルに問いかける。
「メイルちゃん、どうしたの?」
目的のチョコレートとカップはもう買ったでしょう? と言わんばかりのロールを肩に乗せたまま、メイルはそっとしゃがんで、バレンタインコーナーの中でも下の方の段に置かれている、カカオ多目の板チョコレートへ手を伸ばした。
そしてそのままそれを三枚手に取り、先ほどのチョコレート達と同じように籠に入れる。
それを見たロールは不思議なものを見たと言わんばかりの声で、
「熱斗くんって苦い物好きだったかしら?」
と、メイルに訊いた。
ロールの記憶の中には、熱斗が苦い物――例えば今メイルが手に取ったカカオ多目のチョコレートが好きだという情報が無いのだ。
するとメイルは曲げた足をのばして立ちあがりながら、そういう訳じゃないわ、とでも言うように首を横に振る。
では何故メイルはカカオ多目のチョコレートを買うのか、それが分からないロールは更に問いかける。
「じゃあメイルちゃんの分?」
「それも違うわ。」
小さく首を横に振りながら否定したメイルを見て、ロールはとても不思議な光景を見たと言いたげな表情でメイルを見詰めた。
熱斗の分ではない、メイルの分でもない、となると残りは自動的に義理チョコの分という事になっては来るのだが、それなら無難にミルクチョコレートを選べばいい気がして、ロールは殊更不思議だと言いたげな顔でもう一度メイルに問いかける。
「じゃあどうして?」
メイルは少し沈黙した後、小さな溜息を一つ吐いてからロールの方へ向いて答えた。
「これはね、おじさん――熱斗のお父さんの分。」
「光博士の?」
メイルが答えると、ロールは少し意外そうな顔で相手の存在を復唱した。
熱斗でもない、自分でもない、となるとその他の誰かで義理チョコであろうという事はロールにも分かっていたのだが、それでもその相手がやいとやデカオなどの同世代の友人達ではなく、自分の親世代に当たる光 祐一朗である事は少し予想外だったのだ。
一体どうして祐一朗なのだろう? そう思ったロールがメイルの表情を窺うと、メイルは僅かに微笑みながら籠に入れたカカオ多目のチョコレートの一枚を見詰めていた。
その脳裏に浮かぶのは、つい数ヶ月前の海底調査の時の事。
立て続けに起こったゾアノロイドによる襲撃で、深海艇が海上へ浮上できなくなるというアクシデントが起こった時、メイルは酷いパニックに陥っていた。
そんなメイルに、祐一朗は少しでも落ち着いてもらおうとしたのか、ガムやチョコレートをくれた。
その時にもらったチョコレートの味を、メイルは今でも覚えている。
普段食べているミルクチョコレートよりもほんのりと苦い、少し大人な味のチョコレートは、短時間といえどメイルに落ち着く時間をくれて、体力の消耗を僅かに防いでくれた。
だからメイルは、何時かその時のお礼ができたらいい、同じようなものを今度は自分から祐一朗に渡せたらいいと薄っすら思い続けていた。
そして今、自分の視界の中にミルクチョコレートよりもやや苦い、カカオ多めのチョコレートの存在を確認したメイルは、その機会は明日なのではないかと確信したのだ。
「ロールも覚えてるでしょ、深海艇での事。私、あの時本当にパニックになっちゃって、それでもおじさんはちゃんと状況とか説明してくれて、私が落ち着くようにお菓子もくれて、だから、私その時のお詫びとお礼がしたいの。」
メイルはそう言って、籠から出したチョコレートを籠の中に戻し、今度こそ満足した様子でバレンタインコーナーから離れていく。
ロールは納得した様な納得していないような不思議な表情でメイルの肩の上に立っていた。
そしてそこからは特に寄り道もせず真っ直ぐレジへ進み、夕飯の材料と明日の準備のチョコレートがごっちゃになった買い物籠をレジのテーブルの上に置く。
そのレジに立つ店員が沢山のチョコレートを見て微かに微笑んだ気がするのは気のせいか、それとも事実か、それは分からないが、会計を済ませたメイルは近くの台に籠を置き、買った物を全てレジ袋に入れると、籠を近くの籠置き場に片付け、二つのレジ袋を持ってスーパーを後にした。
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