Re_やり過ぎ注意!

その日もその部屋はいつも通りの静寂と、カタカタというパソコンのキーボードを叩く音だけを響かせていた。
そのキーを叩く音の速さは、この部屋の主がどれだけ多忙な人物であるかを物語っている。
カタカタ、カタカタと忙しなく音は続く、そんな時であった。

「あっ、駄目……!」

キーボードを叩く音に混ざって突如、まだ幼さの残る少女の、しかし色っぽさを含んだ声が部屋の中の静寂を破った。
それに反応するかのように一瞬だけキーボードの音が遅くなる。
しかし次の瞬間には、その場違いな声をかき消すためとでも言わんばかりに、キーボードを叩く音は速く大きくなっていった。
多忙だけでなく苛立ちを含んだ音が静寂と並行して走り続ける、のに、

「いいじゃん、俺とお前の仲だろ?」

今度は、同じくまだ幼さの残る少年の、しかしどうにも背伸びをし過ぎて粘着質な欲望を含んだ声がした。
またそれに反応するかのように、もしくはしっかり反応しているのか、キーボードを叩く音が一瞬止まる。
それでもこのキーボードを叩くこの部屋の主はそれをなるべく無視していたいのか、また忙しなくキーボードを叩き始め、カタカタという音をこの部屋に響かせ始めた。
しかし、

「駄目、此処じゃ駄目よ……」
「場所なんて関係無いだろ? ほら、抵抗しないで……。」

少女の抵抗しつつも受け入れてしまいそうな弱く色っぽい声と、少年のある種の欲望に満ちていて、少女以外には不快感しかもたらさないであろう声は鳴りやまない。
それを見兼ねてか、あるいは単に怒りが頂点に達したのか、どちらにせよ部屋の主は、今動かずしていつ動くのだ、という使命感に突き動かされてキーボードを叩く指を止め、ゆっくりと立ち上がった。
そしてゆっくりと、少女と少年が浅く絡み合うその場所、ソファーへと顔を向ける。
見れば少女は既にソファーの上へと倒れ込んでおり、その上に少年が馬乗りになって少女の抵抗を解きほぐし崩してしまおうとしているではないか。
部屋の主は唇を噛み、右手を強く、誰かを殴る為の拳になるように握りしめた。
その間にも少年は少女の抵抗を解こうとして、少女の体にまだ浅くではあるが触れ続けている。

「ね? ちゃんと良くしてあげるから、なぁ?」
「駄目、よ……やめて……」

いよいよ少女の抵抗が弱くなってきて、少年はニヤリとやや陰湿な笑みを見せる。
そして少女の奥深くへの入り口へと触れようとした、その時、

「貴様等ァ……いい加減にしろぉぉぉおおお!!」

少年が少女に夢中になっている間にソファーの前へと到着していた部屋の主――伊集院 炎山の叫びが部屋にこだまし、それとほぼ同時にゴスッ! と鈍く大きな音がした。
そして炎山の手によってソファーの上に居た少年と少女が引き剥がされ、少女は炎山から見てソファーの右端に、少年は左端へとそれぞれ押し退けられた。
押し退けられた少女と少年はしばしの間、何が起こったのか分からない、とでも言いたげな顔で目をぱちくりさせており、特に少女はただただ呆然とするしかなかったようだが、少年はやがて先ほどの鈍い音の意味を理解し、それに関して炎山に思い切り歯向い始める。

「いってぇ……! 何すんだよ!? 炎山!!」

少年――光 熱斗の発言に、既に鬼のような形相を見せていた炎山はその怒りを更に深めて表情に刻み、熱斗の胸ぐらを掴み引き上げた。
どうやら先ほどの鈍い音は炎山が熱斗を殴りつけた音だったようで、熱斗は胸ぐらを掴まれて尚、片手で殴られた頭部を押さえている。
その反抗的な態度と表情に炎山の怒りは更に深さと高さを増すのだが、熱斗はそれに気付いていないのか、もしくはどうでもいいのか、ともかくしおらしくするつもりはないらしい。
心配そうに両者を見詰める少女――桜井 メイルの前で、炎山は熱斗の耳元で叫ぶ。

「どうもこうもあるか! 貴様等、人の職場で何をやっている!!」

そう、もう気付いている者もいるかと思うが、此処はIPC本社ビルにある副社長室の中である。
その部屋の中にあるソファーの上で、光 熱斗とその恋人である桜井 メイルは、他者からは何とも形容しがたい、あるいは形容したくない、浅くも深い交わりを交わしていたのだ。
本当の意味での本番には至っていないにしろ、これでは仕事中の炎山が怒るのも無理は無いだろう。
そもそも、何故二人は逢引の場所にこのIPC副社長室を選んだと言うのか、炎山には全くもって理解ができない。
本当にもういい加減にしろ、という怒りを全身から発散させながら叫んだ炎山の声を、何とも耳触りだと言いたそうに表情をややしかめた熱斗は、さぁ早く答えてみろと言わんばかりの炎山から視線を外し、メイルに向かって笑いかけて、

「まぁ、アレだよ、恋人同士のスキンシップだよな!」

などとのたまうものだから、炎山の怒りは収まるどころかこれ以上なく燃え上がるのであった。
それに加えてメイルもまた、笑顔ではないものの、完全な拒絶とは言い難い恥ずかしげな表情を見せて頬を赤らめながら、

「……熱斗の変態。」

などと言うものだから、炎山は今此処に自分の味方がいない事を痛感し、熱斗の馬鹿がメイルにまで感染していると言っても過言ではない事態に苛立ったまま大きな溜息を吐くのであった。
胸ぐらをつかまれ無理な体勢を取らされていると言うのに楽しげな熱斗の表情が、炎山の苛立ちを更に加速させる。
それでも炎山は一度熱斗を殴った事で少しだけは気が晴れたのか、ほんの僅かに冷静さを取り戻した声で熱斗へ問いただす。

「あのなぁ、スキンシップだかセクハラだが知らんが、そんな事はこんなところではなくお前達の家でやれば済む事だろう? どうしてわざわざ俺の所に……」

本当にどうして自分の所なのだ、それに何の意味があるのだ、と、炎山は心底苛立って、同時に心底呆れていた。
どうせ熱斗が何か訳のわからない理由を言い出したのだろうという予想こそあるものの、それがあるからといってこの暴挙は許せる訳もなく、ロクでもない理由だったらもう一度殴ってやろうと心に決めながら、炎山は熱斗を睨みつけて答えを待つ。
すると意外な答えが熱斗から返ってきた。

「だってさー、メイルちゃんが今日は炎山の所に行きたいって言うから……」

その意外過ぎる返答に炎山は驚き、視線を熱斗からメイルへとずらした。
明らかに驚愕に見開いた目で炎山に見据えられて、メイルはビクリと肩を震わせる。
そしてしばし困った顔で炎山を見つめ返した後、とても恥ずかしそうに顔を俯かせた。

「……桜井?」
「……ごめんなさい。」

どうやら熱斗が言っている事は嘘では無いようで、炎山は、何故メイルがそんな事を? という疑問に頭を埋め尽くされた。
熱斗に向ける怒りとは別の、驚愕であると同時に不安、ある種の悪い予感とでもいうのような、そこに一体どんな理由があるのかという戸惑いを抱えつつ、炎山は俯いたままのメイルに問いかける。
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