あの子の足元にも影はある
そうして二時間目と三時間目の休み時間を教室の中で肩を寄り添わせて過ごした熱斗とメイルは、当然のように給食後の昼休みも教室の中、二人だけで過ごした。
それは二時間目と三時間目の間の休み時間のような言葉無き交流ではなく、普通に膝と膝を向かい合わせて座り、放課後の事に付いてあれこれと話し合うというものだった。
熱斗が、今自分の家にあってメイルにも遊べそうなゲームの事や、母親のはる香が最近凝っているお菓子の事などを話すと、メイルは、ゲームで一緒に遊ぶのも良いし、はる香の予定が空いているのなら一緒にお菓子を作るのも楽しそうだと答えた。
それなら今日は少し長く家にいて、どちらもやるのはどうだろう? よければ夕飯も一緒にどうだろう、と言う熱斗に、メイルは、迷惑にならないのなら、と答える。
その答えに、迷惑どころか大歓迎、と言ってすぐさまはる香にメールでメイルが自宅を訪問することを伝えた熱斗を見て、メイルはクスクスと笑っていた。
そうして穏やかに、緩やかに、しかし確実に時間は流れ、楽しい休み時間は終わり、午後の授業が始まり、やがてそれも時間の流れに押されて過去のこととなっていく。
今の時刻はもう午後三時を過ぎている、そして、ホームルームも終わっている。
熱斗は筆記用具やノート、更にインラインスケートの車輪を仕舞った鞄を背負って椅子から立ち上がると、隣の席に座っているメイルに視線を向けた。
メイルも丁度筆記用具を仕舞い終えて鞄を背負う所で、椅子から立ち上がると熱斗に視線を向けてくる。
言葉にしなくても視線が絡み合う、その事実を嬉しく思いながら、熱斗はメイルに問いかけた。
「帰りの仕度、できた?」
「えぇ、できたわ。」
鞄を背負った事でシワが付いた服を軽くのばしながら返事をしたメイルに、熱斗は微笑んで、
「じゃあ行こうか。」
と言いながら左手を差し出した。
メイルは一瞬その理由が分からずきょとんとした表情を見せたが、すぐにそれが手を繋ぐ事を求めているのだと気付き、同じように微笑みながら右手を差し出し、熱斗の手に重ねようとした、その時、
「メイルちゃん!」
熱斗ではない誰か、少女の声が、メイルの名を呼んだ。
熱斗とメイルは少し驚きながら声のした方に振り向く。
するとそこには、熱斗とメイルの共通の――いや、もはや共通と言えるかどうかは分からないかもしれないが、ともかく、同級生であるやいとが立っていた。
それを確認した熱斗の表情が僅かに曇るその横で、メイルがいつも通りの声でやいとに問いかける。
「あらやいとちゃん、何かしら?」
しかしメイルの問いかけにやいとの答えは無かった。
そしてやいとは何を言うでもなくメイルの顔をただじっと見つめている。
その表情は特に怒っているだとか、苛々しているだとか、そういった事は無い筈だというのに、視線は何かを睨むような鋭さを湛えていて、メイルは、私は何かやいとに怒られるような事をしていただろうか? と疑問に思い、首をかしげた。
一方、直接呼び止められたわけではないがメイルが呼び止められた為に同じくその場に立ち往生となってしまった熱斗は、何処か不信とでもいうのだろうか、僅かに不機嫌そうな顔でやいとに視線を向ける。
早くメイルと一緒に家に帰ってメイルと一緒に遊びたい、それなのに、何の用があると言うのだろう? すぐに口にしなくても良いような話題なら別の機会にしてほしい。
小さな苛々が積もり始めて、大きな山になって、熱斗は今すぐにメイルの手を引いてこの場から立ち去ってやろうかとすら思った。
だが、事を荒立てるのは良くないという考えと、メイルはやいと達よりも熱斗を優先してくれるだろうという僅かな余裕が、それを寸前で思いとどまらせている。
しかし、例えメイルが最終的には自分を選んでくれるとしても、遊べる時間――共にいる時間が減ってしまうのは気分の良いものではない。
「やいとちゃん、俺達今から帰るから、用事があるなら早くしてほしいんだけど。」
胸の内にある、やはりやいとは自分とメイルを引き離そうとしているのだろう、そんなのはお断りだ、というやいとへの嫌悪感を出来るだけ隠し、表面上は平然とした様子で熱斗はやいとにそう告げた。
やいとの視線がメイルを外れ、熱斗に移されて、怒りも苛立ちも無い無表情の、しかし何故か緊張感だけは伴うやいとの視線と、同じく無表情ながら何処か不機嫌そうに見える熱斗の視線がぶつかる。
やいとは先ほどメイルにしていたのと同じように、無表情で真剣な視線を熱斗に向け続ける。
本当に何なのだろう、何が言いたくてやいとはこんな事をしているのだろう、一体やいとは自分とメイルの姿に何を見ているというのだろう、そして何をしようとしているのだろう、疑問は徐々にその姿を不信に変え、不信は不安と拒絶感に変わる。
熱斗はだんだん、やいとのその視線が熱斗へ対する敵意の現れのような気がしてきた。
笑顔で声をかけてきたならともかく、無表情で声をかけてきて、メイルの事も自分の事も睨んだやいと、そうだ、やいとはきっとメイルが自分を、熱斗を選んだ事に不満を持っていて、だからメイルに自分を選ばせた自分に、熱斗に対して敵意を持っているのだ、そうだ、そうに違いない。
「……メイルちゃん、やいとちゃん用事ないみたいだし、行こっか。」
何処となく普段より抑揚の少ない、沈み込むような静かな声で言いながら、熱斗はメイルの手を掴んだ。
メイルが少し驚いて視線をやいとから熱斗へ向け直す。
そして熱斗はメイルの手を引いて、やいとの視線の先から逃れるように、教室を出ようとして自分の席から離れようとする。
するとそれが合図になったのか、やいとがようやく口を開く。
「待って!」
その声に反応してメイルが戸惑いながらも足を止めた。
熱斗も仕方なく足を止め、嫌々ながらもやいとに振り返る。
本当に何がしたいのか分からない、用事があるならさっさと言ってくれ、自分は早くメイルと一緒に帰りたいのだから、と思い、いよいよその不機嫌さが表に出始めた熱斗の視線の先で、やいとはメイルに視線を向け直し、
「……メイルちゃん、これからデカオ達と一緒にバイオハンターの最終テストプレイをするんだけど、一緒に来ない?」
と、問いかけてきた。
熱斗の、メイルの手を握る手に僅かに力が入る。
熱斗は、やはりそうだった、やはり自分とメイルが共にいる事が気に入らなくて、それを壊そうと、自分を除け者にしようと思っているのだ、と確信したのだ。
やいとへの不信感と敵意が頭の天辺から手足の指先まで、まるで電流が走る様に流れ着き、熱斗に緊張を促す。
嫌な意味で脈打つ鼓動、動悸は、苛立ちの主成分を身体全体に送り出しているよう。
やいとは本気で自分とメイルを引き離すつもりだという確信を持った熱斗は、メイルはちゃんと自分の傍にいる事を選んでくれるのだろうか? と僅かな不安を持ってメイルに振り向いた。
すると、メイルはその気配を感じたのか、一度やいとから視線を外して熱斗に振り向く。
そして熱斗に向けて優しく微笑んでみせる。
それがそう言う意味なのか理解できなかった熱斗は思わずきょとんとした表情をみせる、その横で、メイルがやいとへ問いかけの答えを返す。
「ごめんね、やいとちゃん。今日は熱斗が先約なの、だから、また今度ね!」
メイルはそう言うとすぐに熱斗へ向き直り、熱斗の手に掴まれた自分の手に軽く、熱斗の手を握り返す程度の力を入れて、
「じゃ、行きましょ?」
と言って改めて熱斗へ微笑んで見せてくる。
一瞬、熱斗は何が起こったのかを理解しきれず、目をぱちくりとまばたかせながら呆然としていたが、数秒後には、メイルはやいと達ではなく熱斗といる事を選んでくれたのだという事実に気がついて、その表情に喜びの花を咲かせた。
笑顔になった熱斗を見てメイルも嬉しそうな顔をする、その一方、二人の視線から外れた所で、やいとは少し困惑した様な、悩んでいる様な、あまり良い展開ではないと言いたげな顔をする。
ともかく、メイルがやいと達よりも熱斗を選んだ事で、それまでの苛立ちと不快感が何処か遠くに消え、楽しい気分が戻ってきて、メイルはやいと達より自分を選んでくれるという自信もついた熱斗は、しばしメイルと笑い合った後、その視線をやいとに向けて、告げた。
「まっ、そーゆー訳だから! じゃあな!」
そう言ってメイルの手を引いて座席を離れ、教室の前方の扉に向かう。
メイルも今度は迷わず熱斗についてきてくれているし、やいとが再び二人に待ったをかける事も無く、熱斗とメイルはいつものようにすんなりと教室から出て行く。
勝った、と思った。
それが、教室から廊下へ一歩踏み出した時に熱斗が抱いた率直な感想だった。
今日の朝にも思った通り、やいととデカオ、更に透は自分とメイルが共にいる事を良く思っておらず、むしろ阻止しようと思っているのは事実だった。
けれど、そんな妨害工作などには惑わされず、メイルは自分を、光 熱斗を選んでくれた。
これを勝利と呼ばず、何を勝利と呼ぶというのか、と、熱斗はメイルに選ばれた事の喜びをかみしめる。
手を繋ぐだけじゃ物足りない、この喜びを、嬉しさを、感謝を、幸福を、メイルに伝えたい……そう想った熱斗は、手を繋いだまま教室を出てしばらく歩き、昇降口に向かう階段を降り切ったその瞬間、一瞬手を離してメイルに不思議そうな顔をさせたと思ったら、また次の瞬間にはメイルの片腕に自分の両腕で、まるで蔦が絡まる様にしっかりと、もう逃がすまいと言わんばかりに抱きついた。
朝と同様、突然の出来事にメイルが驚いて足を止める。
「ね、熱斗っ?」
「ん? なぁに、メイルちゃん。」
驚きつつ焦って赤面するメイルとは反対に、熱斗は落ち着きを持ちながらも喜びが隠し切れていない様子の笑顔で返事をした。
そして、自分が触れたり抱きついたりする度に顔を赤くして恥ずかしがるメイルをとてもとても可愛らしいと想う。
今そうやってメイルの頬が赤くなるのは、この自分の存在を近くに感じているからなのだろうという事と、焦りながらも拒絶はしないでいてくれる事、その二つがとても嬉しくて、熱斗は一層楽しそうな笑顔を見せる。
それを見てメイルは、何故また突然抱きつかれたのかは分からないし、嬉しい半面恥ずかしい部分も正直大きいと思いつつも、熱斗が“あの時”のような悲しげな雰囲気を纏っておらず、純粋に楽しそうなのを見て安心したのか、しばしの戸惑いの後に小さく笑い始めた。
「フフッ、何でもないわ。さぁ、帰りましょう。」
「あぁ! 帰ろう帰ろう!」
そして熱斗とメイルは、熱斗がメイルの片腕を抱き締めるという少し目立つ格好のまま、同級生や下級生と思わしき生徒達が点在する昇降口へと足を進める。
一部の生徒が二人を指差して何か内緒話のような事をしていたが、それを視界の端に収める熱斗はその理由を、きっと周囲はこんなふうに近くにいる事ができる人がいる自分が羨ましいのだろう、と思ってあまり気にしなかった。
一方、熱斗とメイルが教室を出て行った為に一人教室に取り残される形になったやいとは、何とも言えない困惑や、底知れぬ不安を抱えたままデカオと合流し、隣のクラス、つまりは透のいる教室に移動していた。
既に人が少なくなった教室の中で、まだ椅子に座ったままでPETを弄っているの近くに、デカオとやいとが近付いて行く。
足音でそれに気付いた透は、それまで見ていたPETの画面からふと顔を上げて、やいと達に向けて小さく手を振ってくれた。
やがてやいととデカオが透の席の前に立ち、それから透の席よりも前にある席の椅子を引き出して座る。
勿論、透の方に顔を向けて、だ。
「……で、どうだったの?」
僅かな沈黙の後、透が話を切り出した。
デカオとやいとは困ったような顔でお互いの顔を見て、それからやいとが答えを告げる。
「駄目だったわ……メイルちゃん、熱斗の方に行くって、先約だからって……。」
そう言ったやいとの表情は少ししょんぼりした様な、とても残念そうな顔をしていて、透はこんな時何を言えばいいのか分からず、
「そっか……。」
と言うことしかできず、デカオもまた同じように言葉が見つからないのか、困ったような顔を透とやいとに交互に向けるだけだった。
結局の所、やいととデカオと透の三人が、熱斗とメイルを引き離そうとしているという熱斗の推測は、物理的には的中していたのだ。
確かにやいとは、メイルを熱斗から引き離そうとしていた、それは事実だ。
しかしその理由、そして目的は、熱斗が考えていたような、熱斗だけを除け者にして自分達だけで楽しい時間を過ごそうというものではない。
むしろやいと達は今でも熱斗を大切な友人達の中の一人として見ていて、此処の所熱斗の様子がおかしい事も、表面上は気にしていないように見せつつもしっかり気にしている。
証拠に、しばしの沈黙の後にやいとがこんな事を言いだした。
「最近の熱斗って、妙によそよそしいと思ってたら、今度はメイルちゃんにべったりでしょ? あんなのどう見ても普通じゃないわ。何がどうしてそうなったのか分からないけど、なんだか嫌な予感がするのよ。」
そう言って溜息を吐くやいとを見て、デカオと透があまり浮かない表情で顔を見合わせる。
正直な所、お互いの間に壁のようなものを感じていたのは熱斗だけではなくやいと達も同じで、むしろやいと達からしてみれば、壁を作っていたのは自分達ではなく、熱斗の方だった。
ぎこちない笑顔、続かない会話、軽い冗談へ向けられた本気の苛立ち、突然の帰宅……少し前までは無かったはずの熱斗の行動の数々が、やいと達に“熱斗は自分達を避けている、もしくは避けたいのでは?”という疑念を抱かせていた。
だからこそ、やいととデカオ、そして透は、過度に近付き核心へ触れるのではなく、熱斗が自分で落ち着いて戻ってくるまである程度の距離を置こうと思ったのだ。
しかし、
「やっぱりあたし、メイルちゃんをちゃんと止めておくべきだったかしら……。」
メイルだけはそんな壁を目前にしても尚、いや、そんな壁を目前にしたからこそ、熱斗へ自分の手を伸ばす事を選んだ、選んでしまった。
その結果、二人の間に何があったのか、詳しい事はやいと達には知る由も無いのだが、ともかく熱斗は、やいと達とは距離を置いたまま、メイルとだけその距離を縮めるようになった。
朝から夕方まで、熱斗はメイルの傍にいて、メイルは熱斗の傍にいる、そんな生活が一週間ほど続いたのはつい最近の事だ。
だが、その頃はまだよかったとやいとは思っている。
問題はその後、一日だけメイルが熱斗の傍を離れ自分たちと遊んだ、その翌日……つまり今日である。
「熱斗のあんな表情、あたし初めて見たわ……。」
ボソリと呟くように言ったやいとの表情は暗く、何かおぞましいものを見てしまった時の後悔や恐怖にも似た色が浮かんでいた。
“熱斗のあんな表情”、それはあの時、下校しようとする熱斗とメイルをやいとが呼び止めた時の事である。
あの時、熱斗は出来るだけ平静を保ったつもりがあったらしいが、やいとはハッキリと見ていたのだ、やいとを見る熱斗の目に冷たい拒絶の色と、やいとを鬱陶しく思っている様な不機嫌さが滲んでいた事を、ハッキリと。
その上、メイルに早く帰ろうと告げる声もどこか冷たかったものだから、やいとは相当な緊張を強いられたという。
「まさか熱斗がやいとちゃんをそんな顔で見るなんてなぁ……。」
此処に来る前にやいとから話を聞かされていたデカオがこれまたボソリと、普段の無駄な元気の無い、悩ましげな声で呟く。
これまで同じ男子として共に無茶苦茶をやらかしてきた相手である熱斗の異変には、デカオも相当困惑しているのだ。
やいとの脳裏に先ほどの熱斗の表情が焼き付いて剥がれないように、デカオの脳裏には一週間以上前の、自分とメイルとやいとと透と、そして熱斗の計五人で集まった時の、自分ややいと達と合流した時の熱斗の反応が焼き付いている。
信頼している友人だからこそ放った軽いジョーク、それに対して真面目に不快だと言いたげな顔を見せた熱斗、あれは、本当に熱斗だったのだろうか? 何故同じようなジョークを返して来なかったのだろうか、デカオには分からない。
やいとと同じように溜息を吐くデカオ、そして以前浮かない表情のやいとを見ながら、今度は透が口を開く。
「僕はまだ二人と違って直接その場にいた事が無いから何とも言えないところもあるけど……やっぱり、最近の熱斗くんは何か今までとは違うものがあるみたいだね。」
熱斗と同じクラスの一員であるやいとやデカオと違い、隣のクラスの一員である透は、熱斗の異常行動というと精々、デカオのジョークに本気の不快感を返した所と、その後やいとの家の車から降りた後に急に何か攻撃的な口調で話しだした事程度しか知らない。
そのせいなのか、やいとやデカオ程目立って落ち込むような様子はなかった、が、それでも熱斗の事を気にかけているのは透も同じで、最後に共に遊んだ日の熱斗の様子ややいと達の話から、今の熱斗は何か普段と違うものを抱えていると判断したようだ。
熱斗は今、何を想い、何を感じ、どうしてメイルには近付き、自分達からは離れていくのだろう?
熱斗を独りにしてしまっていたという自覚が無いやいと達には、いくら考えても分からない。
考えても、分かるはずが無い。
だが、だからと言って、やいと達が間違いでメイルだけが正解を選んだとも言えないのが、この問題の難しい所である。
しばらくの沈黙の後に、透が口を開く。
「とりあえず今は、熱斗くんの事はメイルちゃんに任せておくしかないみたいだね。僕達が近付いても、悪戯に刺激するだけかもしれない。……でも、だからと言って目を離していい訳じゃない、と僕は思うよ。」
距離を置きはする、けれど見放しはしない。
何かあればすぐに駆けつけて、熱斗の、もしくはメイルの力になろうと思う、それが透の意見なのだ。
透の言葉に、やいととデカオは頷き、同意を示す。
少しだけその場の空気が穏やかなものになって、やいとと透とデカオは深刻そうな表情から小さな笑顔へとその表情を変えた。
「やいと様、迎えの車が到着いたしました。」
そうして少しだけ笑い合っていると、やいとのPETからグライドの声がしてきて、送迎車の到着をやいとに告げた。
到着を告げ終えると同時にやいとの肩の上に現れたグライドに、やいとは、
「そう、分かったわ。」
と返し、椅子から立ち上がった。
次に、それまで自分のPETを片手で弄びつつ話に参加していた透が、さてと、と言いながら立ちあがり、PETをポケットに仕舞ってから、椅子の背もたれにかけてあったカバンを持ちあげて背負う。
最後にデカオそれまで座っていた椅子から立ち上がり、デカオとやいとは座っていた椅子を元の位置に戻す。
「それじゃ、三人になっちゃったけど、行きましょ。」
なるべく明るく過ごしていたい、そんな意思が滲んでいるかのような、先ほどの話には似合わない少々明るすぎる調子でそう言うと、やいとは透の席の近くを離れ、教室の外、廊下に向かって歩き出した。
デカオと透もその後を追って教室から出る。
三人が目指すのは昇降口の外の校庭の、正門寄りの場所に止まっているであろう綾小路家の車だ。
廊下を進み、階段を下りる、その途中、やいとがぽつりと言葉を零す。
「……また五人で遊べる日が来るといいわね。」
それはまるで、五人で遊べる日がそう近い内には訪れないだろうと思っているようで、デカオと透は少し顔を見合わせてから、
「そうだね。」
「そうだな。」
と返した。
それは二時間目と三時間目の間の休み時間のような言葉無き交流ではなく、普通に膝と膝を向かい合わせて座り、放課後の事に付いてあれこれと話し合うというものだった。
熱斗が、今自分の家にあってメイルにも遊べそうなゲームの事や、母親のはる香が最近凝っているお菓子の事などを話すと、メイルは、ゲームで一緒に遊ぶのも良いし、はる香の予定が空いているのなら一緒にお菓子を作るのも楽しそうだと答えた。
それなら今日は少し長く家にいて、どちらもやるのはどうだろう? よければ夕飯も一緒にどうだろう、と言う熱斗に、メイルは、迷惑にならないのなら、と答える。
その答えに、迷惑どころか大歓迎、と言ってすぐさまはる香にメールでメイルが自宅を訪問することを伝えた熱斗を見て、メイルはクスクスと笑っていた。
そうして穏やかに、緩やかに、しかし確実に時間は流れ、楽しい休み時間は終わり、午後の授業が始まり、やがてそれも時間の流れに押されて過去のこととなっていく。
今の時刻はもう午後三時を過ぎている、そして、ホームルームも終わっている。
熱斗は筆記用具やノート、更にインラインスケートの車輪を仕舞った鞄を背負って椅子から立ち上がると、隣の席に座っているメイルに視線を向けた。
メイルも丁度筆記用具を仕舞い終えて鞄を背負う所で、椅子から立ち上がると熱斗に視線を向けてくる。
言葉にしなくても視線が絡み合う、その事実を嬉しく思いながら、熱斗はメイルに問いかけた。
「帰りの仕度、できた?」
「えぇ、できたわ。」
鞄を背負った事でシワが付いた服を軽くのばしながら返事をしたメイルに、熱斗は微笑んで、
「じゃあ行こうか。」
と言いながら左手を差し出した。
メイルは一瞬その理由が分からずきょとんとした表情を見せたが、すぐにそれが手を繋ぐ事を求めているのだと気付き、同じように微笑みながら右手を差し出し、熱斗の手に重ねようとした、その時、
「メイルちゃん!」
熱斗ではない誰か、少女の声が、メイルの名を呼んだ。
熱斗とメイルは少し驚きながら声のした方に振り向く。
するとそこには、熱斗とメイルの共通の――いや、もはや共通と言えるかどうかは分からないかもしれないが、ともかく、同級生であるやいとが立っていた。
それを確認した熱斗の表情が僅かに曇るその横で、メイルがいつも通りの声でやいとに問いかける。
「あらやいとちゃん、何かしら?」
しかしメイルの問いかけにやいとの答えは無かった。
そしてやいとは何を言うでもなくメイルの顔をただじっと見つめている。
その表情は特に怒っているだとか、苛々しているだとか、そういった事は無い筈だというのに、視線は何かを睨むような鋭さを湛えていて、メイルは、私は何かやいとに怒られるような事をしていただろうか? と疑問に思い、首をかしげた。
一方、直接呼び止められたわけではないがメイルが呼び止められた為に同じくその場に立ち往生となってしまった熱斗は、何処か不信とでもいうのだろうか、僅かに不機嫌そうな顔でやいとに視線を向ける。
早くメイルと一緒に家に帰ってメイルと一緒に遊びたい、それなのに、何の用があると言うのだろう? すぐに口にしなくても良いような話題なら別の機会にしてほしい。
小さな苛々が積もり始めて、大きな山になって、熱斗は今すぐにメイルの手を引いてこの場から立ち去ってやろうかとすら思った。
だが、事を荒立てるのは良くないという考えと、メイルはやいと達よりも熱斗を優先してくれるだろうという僅かな余裕が、それを寸前で思いとどまらせている。
しかし、例えメイルが最終的には自分を選んでくれるとしても、遊べる時間――共にいる時間が減ってしまうのは気分の良いものではない。
「やいとちゃん、俺達今から帰るから、用事があるなら早くしてほしいんだけど。」
胸の内にある、やはりやいとは自分とメイルを引き離そうとしているのだろう、そんなのはお断りだ、というやいとへの嫌悪感を出来るだけ隠し、表面上は平然とした様子で熱斗はやいとにそう告げた。
やいとの視線がメイルを外れ、熱斗に移されて、怒りも苛立ちも無い無表情の、しかし何故か緊張感だけは伴うやいとの視線と、同じく無表情ながら何処か不機嫌そうに見える熱斗の視線がぶつかる。
やいとは先ほどメイルにしていたのと同じように、無表情で真剣な視線を熱斗に向け続ける。
本当に何なのだろう、何が言いたくてやいとはこんな事をしているのだろう、一体やいとは自分とメイルの姿に何を見ているというのだろう、そして何をしようとしているのだろう、疑問は徐々にその姿を不信に変え、不信は不安と拒絶感に変わる。
熱斗はだんだん、やいとのその視線が熱斗へ対する敵意の現れのような気がしてきた。
笑顔で声をかけてきたならともかく、無表情で声をかけてきて、メイルの事も自分の事も睨んだやいと、そうだ、やいとはきっとメイルが自分を、熱斗を選んだ事に不満を持っていて、だからメイルに自分を選ばせた自分に、熱斗に対して敵意を持っているのだ、そうだ、そうに違いない。
「……メイルちゃん、やいとちゃん用事ないみたいだし、行こっか。」
何処となく普段より抑揚の少ない、沈み込むような静かな声で言いながら、熱斗はメイルの手を掴んだ。
メイルが少し驚いて視線をやいとから熱斗へ向け直す。
そして熱斗はメイルの手を引いて、やいとの視線の先から逃れるように、教室を出ようとして自分の席から離れようとする。
するとそれが合図になったのか、やいとがようやく口を開く。
「待って!」
その声に反応してメイルが戸惑いながらも足を止めた。
熱斗も仕方なく足を止め、嫌々ながらもやいとに振り返る。
本当に何がしたいのか分からない、用事があるならさっさと言ってくれ、自分は早くメイルと一緒に帰りたいのだから、と思い、いよいよその不機嫌さが表に出始めた熱斗の視線の先で、やいとはメイルに視線を向け直し、
「……メイルちゃん、これからデカオ達と一緒にバイオハンターの最終テストプレイをするんだけど、一緒に来ない?」
と、問いかけてきた。
熱斗の、メイルの手を握る手に僅かに力が入る。
熱斗は、やはりそうだった、やはり自分とメイルが共にいる事が気に入らなくて、それを壊そうと、自分を除け者にしようと思っているのだ、と確信したのだ。
やいとへの不信感と敵意が頭の天辺から手足の指先まで、まるで電流が走る様に流れ着き、熱斗に緊張を促す。
嫌な意味で脈打つ鼓動、動悸は、苛立ちの主成分を身体全体に送り出しているよう。
やいとは本気で自分とメイルを引き離すつもりだという確信を持った熱斗は、メイルはちゃんと自分の傍にいる事を選んでくれるのだろうか? と僅かな不安を持ってメイルに振り向いた。
すると、メイルはその気配を感じたのか、一度やいとから視線を外して熱斗に振り向く。
そして熱斗に向けて優しく微笑んでみせる。
それがそう言う意味なのか理解できなかった熱斗は思わずきょとんとした表情をみせる、その横で、メイルがやいとへ問いかけの答えを返す。
「ごめんね、やいとちゃん。今日は熱斗が先約なの、だから、また今度ね!」
メイルはそう言うとすぐに熱斗へ向き直り、熱斗の手に掴まれた自分の手に軽く、熱斗の手を握り返す程度の力を入れて、
「じゃ、行きましょ?」
と言って改めて熱斗へ微笑んで見せてくる。
一瞬、熱斗は何が起こったのかを理解しきれず、目をぱちくりとまばたかせながら呆然としていたが、数秒後には、メイルはやいと達ではなく熱斗といる事を選んでくれたのだという事実に気がついて、その表情に喜びの花を咲かせた。
笑顔になった熱斗を見てメイルも嬉しそうな顔をする、その一方、二人の視線から外れた所で、やいとは少し困惑した様な、悩んでいる様な、あまり良い展開ではないと言いたげな顔をする。
ともかく、メイルがやいと達よりも熱斗を選んだ事で、それまでの苛立ちと不快感が何処か遠くに消え、楽しい気分が戻ってきて、メイルはやいと達より自分を選んでくれるという自信もついた熱斗は、しばしメイルと笑い合った後、その視線をやいとに向けて、告げた。
「まっ、そーゆー訳だから! じゃあな!」
そう言ってメイルの手を引いて座席を離れ、教室の前方の扉に向かう。
メイルも今度は迷わず熱斗についてきてくれているし、やいとが再び二人に待ったをかける事も無く、熱斗とメイルはいつものようにすんなりと教室から出て行く。
勝った、と思った。
それが、教室から廊下へ一歩踏み出した時に熱斗が抱いた率直な感想だった。
今日の朝にも思った通り、やいととデカオ、更に透は自分とメイルが共にいる事を良く思っておらず、むしろ阻止しようと思っているのは事実だった。
けれど、そんな妨害工作などには惑わされず、メイルは自分を、光 熱斗を選んでくれた。
これを勝利と呼ばず、何を勝利と呼ぶというのか、と、熱斗はメイルに選ばれた事の喜びをかみしめる。
手を繋ぐだけじゃ物足りない、この喜びを、嬉しさを、感謝を、幸福を、メイルに伝えたい……そう想った熱斗は、手を繋いだまま教室を出てしばらく歩き、昇降口に向かう階段を降り切ったその瞬間、一瞬手を離してメイルに不思議そうな顔をさせたと思ったら、また次の瞬間にはメイルの片腕に自分の両腕で、まるで蔦が絡まる様にしっかりと、もう逃がすまいと言わんばかりに抱きついた。
朝と同様、突然の出来事にメイルが驚いて足を止める。
「ね、熱斗っ?」
「ん? なぁに、メイルちゃん。」
驚きつつ焦って赤面するメイルとは反対に、熱斗は落ち着きを持ちながらも喜びが隠し切れていない様子の笑顔で返事をした。
そして、自分が触れたり抱きついたりする度に顔を赤くして恥ずかしがるメイルをとてもとても可愛らしいと想う。
今そうやってメイルの頬が赤くなるのは、この自分の存在を近くに感じているからなのだろうという事と、焦りながらも拒絶はしないでいてくれる事、その二つがとても嬉しくて、熱斗は一層楽しそうな笑顔を見せる。
それを見てメイルは、何故また突然抱きつかれたのかは分からないし、嬉しい半面恥ずかしい部分も正直大きいと思いつつも、熱斗が“あの時”のような悲しげな雰囲気を纏っておらず、純粋に楽しそうなのを見て安心したのか、しばしの戸惑いの後に小さく笑い始めた。
「フフッ、何でもないわ。さぁ、帰りましょう。」
「あぁ! 帰ろう帰ろう!」
そして熱斗とメイルは、熱斗がメイルの片腕を抱き締めるという少し目立つ格好のまま、同級生や下級生と思わしき生徒達が点在する昇降口へと足を進める。
一部の生徒が二人を指差して何か内緒話のような事をしていたが、それを視界の端に収める熱斗はその理由を、きっと周囲はこんなふうに近くにいる事ができる人がいる自分が羨ましいのだろう、と思ってあまり気にしなかった。
一方、熱斗とメイルが教室を出て行った為に一人教室に取り残される形になったやいとは、何とも言えない困惑や、底知れぬ不安を抱えたままデカオと合流し、隣のクラス、つまりは透のいる教室に移動していた。
既に人が少なくなった教室の中で、まだ椅子に座ったままでPETを弄っているの近くに、デカオとやいとが近付いて行く。
足音でそれに気付いた透は、それまで見ていたPETの画面からふと顔を上げて、やいと達に向けて小さく手を振ってくれた。
やがてやいととデカオが透の席の前に立ち、それから透の席よりも前にある席の椅子を引き出して座る。
勿論、透の方に顔を向けて、だ。
「……で、どうだったの?」
僅かな沈黙の後、透が話を切り出した。
デカオとやいとは困ったような顔でお互いの顔を見て、それからやいとが答えを告げる。
「駄目だったわ……メイルちゃん、熱斗の方に行くって、先約だからって……。」
そう言ったやいとの表情は少ししょんぼりした様な、とても残念そうな顔をしていて、透はこんな時何を言えばいいのか分からず、
「そっか……。」
と言うことしかできず、デカオもまた同じように言葉が見つからないのか、困ったような顔を透とやいとに交互に向けるだけだった。
結局の所、やいととデカオと透の三人が、熱斗とメイルを引き離そうとしているという熱斗の推測は、物理的には的中していたのだ。
確かにやいとは、メイルを熱斗から引き離そうとしていた、それは事実だ。
しかしその理由、そして目的は、熱斗が考えていたような、熱斗だけを除け者にして自分達だけで楽しい時間を過ごそうというものではない。
むしろやいと達は今でも熱斗を大切な友人達の中の一人として見ていて、此処の所熱斗の様子がおかしい事も、表面上は気にしていないように見せつつもしっかり気にしている。
証拠に、しばしの沈黙の後にやいとがこんな事を言いだした。
「最近の熱斗って、妙によそよそしいと思ってたら、今度はメイルちゃんにべったりでしょ? あんなのどう見ても普通じゃないわ。何がどうしてそうなったのか分からないけど、なんだか嫌な予感がするのよ。」
そう言って溜息を吐くやいとを見て、デカオと透があまり浮かない表情で顔を見合わせる。
正直な所、お互いの間に壁のようなものを感じていたのは熱斗だけではなくやいと達も同じで、むしろやいと達からしてみれば、壁を作っていたのは自分達ではなく、熱斗の方だった。
ぎこちない笑顔、続かない会話、軽い冗談へ向けられた本気の苛立ち、突然の帰宅……少し前までは無かったはずの熱斗の行動の数々が、やいと達に“熱斗は自分達を避けている、もしくは避けたいのでは?”という疑念を抱かせていた。
だからこそ、やいととデカオ、そして透は、過度に近付き核心へ触れるのではなく、熱斗が自分で落ち着いて戻ってくるまである程度の距離を置こうと思ったのだ。
しかし、
「やっぱりあたし、メイルちゃんをちゃんと止めておくべきだったかしら……。」
メイルだけはそんな壁を目前にしても尚、いや、そんな壁を目前にしたからこそ、熱斗へ自分の手を伸ばす事を選んだ、選んでしまった。
その結果、二人の間に何があったのか、詳しい事はやいと達には知る由も無いのだが、ともかく熱斗は、やいと達とは距離を置いたまま、メイルとだけその距離を縮めるようになった。
朝から夕方まで、熱斗はメイルの傍にいて、メイルは熱斗の傍にいる、そんな生活が一週間ほど続いたのはつい最近の事だ。
だが、その頃はまだよかったとやいとは思っている。
問題はその後、一日だけメイルが熱斗の傍を離れ自分たちと遊んだ、その翌日……つまり今日である。
「熱斗のあんな表情、あたし初めて見たわ……。」
ボソリと呟くように言ったやいとの表情は暗く、何かおぞましいものを見てしまった時の後悔や恐怖にも似た色が浮かんでいた。
“熱斗のあんな表情”、それはあの時、下校しようとする熱斗とメイルをやいとが呼び止めた時の事である。
あの時、熱斗は出来るだけ平静を保ったつもりがあったらしいが、やいとはハッキリと見ていたのだ、やいとを見る熱斗の目に冷たい拒絶の色と、やいとを鬱陶しく思っている様な不機嫌さが滲んでいた事を、ハッキリと。
その上、メイルに早く帰ろうと告げる声もどこか冷たかったものだから、やいとは相当な緊張を強いられたという。
「まさか熱斗がやいとちゃんをそんな顔で見るなんてなぁ……。」
此処に来る前にやいとから話を聞かされていたデカオがこれまたボソリと、普段の無駄な元気の無い、悩ましげな声で呟く。
これまで同じ男子として共に無茶苦茶をやらかしてきた相手である熱斗の異変には、デカオも相当困惑しているのだ。
やいとの脳裏に先ほどの熱斗の表情が焼き付いて剥がれないように、デカオの脳裏には一週間以上前の、自分とメイルとやいとと透と、そして熱斗の計五人で集まった時の、自分ややいと達と合流した時の熱斗の反応が焼き付いている。
信頼している友人だからこそ放った軽いジョーク、それに対して真面目に不快だと言いたげな顔を見せた熱斗、あれは、本当に熱斗だったのだろうか? 何故同じようなジョークを返して来なかったのだろうか、デカオには分からない。
やいとと同じように溜息を吐くデカオ、そして以前浮かない表情のやいとを見ながら、今度は透が口を開く。
「僕はまだ二人と違って直接その場にいた事が無いから何とも言えないところもあるけど……やっぱり、最近の熱斗くんは何か今までとは違うものがあるみたいだね。」
熱斗と同じクラスの一員であるやいとやデカオと違い、隣のクラスの一員である透は、熱斗の異常行動というと精々、デカオのジョークに本気の不快感を返した所と、その後やいとの家の車から降りた後に急に何か攻撃的な口調で話しだした事程度しか知らない。
そのせいなのか、やいとやデカオ程目立って落ち込むような様子はなかった、が、それでも熱斗の事を気にかけているのは透も同じで、最後に共に遊んだ日の熱斗の様子ややいと達の話から、今の熱斗は何か普段と違うものを抱えていると判断したようだ。
熱斗は今、何を想い、何を感じ、どうしてメイルには近付き、自分達からは離れていくのだろう?
熱斗を独りにしてしまっていたという自覚が無いやいと達には、いくら考えても分からない。
考えても、分かるはずが無い。
だが、だからと言って、やいと達が間違いでメイルだけが正解を選んだとも言えないのが、この問題の難しい所である。
しばらくの沈黙の後に、透が口を開く。
「とりあえず今は、熱斗くんの事はメイルちゃんに任せておくしかないみたいだね。僕達が近付いても、悪戯に刺激するだけかもしれない。……でも、だからと言って目を離していい訳じゃない、と僕は思うよ。」
距離を置きはする、けれど見放しはしない。
何かあればすぐに駆けつけて、熱斗の、もしくはメイルの力になろうと思う、それが透の意見なのだ。
透の言葉に、やいととデカオは頷き、同意を示す。
少しだけその場の空気が穏やかなものになって、やいとと透とデカオは深刻そうな表情から小さな笑顔へとその表情を変えた。
「やいと様、迎えの車が到着いたしました。」
そうして少しだけ笑い合っていると、やいとのPETからグライドの声がしてきて、送迎車の到着をやいとに告げた。
到着を告げ終えると同時にやいとの肩の上に現れたグライドに、やいとは、
「そう、分かったわ。」
と返し、椅子から立ち上がった。
次に、それまで自分のPETを片手で弄びつつ話に参加していた透が、さてと、と言いながら立ちあがり、PETをポケットに仕舞ってから、椅子の背もたれにかけてあったカバンを持ちあげて背負う。
最後にデカオそれまで座っていた椅子から立ち上がり、デカオとやいとは座っていた椅子を元の位置に戻す。
「それじゃ、三人になっちゃったけど、行きましょ。」
なるべく明るく過ごしていたい、そんな意思が滲んでいるかのような、先ほどの話には似合わない少々明るすぎる調子でそう言うと、やいとは透の席の近くを離れ、教室の外、廊下に向かって歩き出した。
デカオと透もその後を追って教室から出る。
三人が目指すのは昇降口の外の校庭の、正門寄りの場所に止まっているであろう綾小路家の車だ。
廊下を進み、階段を下りる、その途中、やいとがぽつりと言葉を零す。
「……また五人で遊べる日が来るといいわね。」
それはまるで、五人で遊べる日がそう近い内には訪れないだろうと思っているようで、デカオと透は少し顔を見合わせてから、
「そうだね。」
「そうだな。」
と返した。
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