あの子の足元にも影はある
「いやぁ、やっぱりそれってさぁ、俺から見たら半分正解だけど半分不正解なんだよなって思うと、なんか面白くってさぁ。」
殊更楽しそうに陰湿な笑みを浮かべるダークソウルを見て、熱斗は眉間に不快感という名のシワを寄せた。
そして、どうしてコイツはこんなふうに笑っていられるんだ、どうしてコイツはこんなにも楽しそうなんだ、と、自分の闇にすら嫉妬し始めた熱斗をみて、ダークソウルは更に陰湿で楽しげな笑みを見せる。
全ては、ダークソウルの思惑通りに進んでいるのかもしれない。
「確かにな、俺がお前に逢いに行ってるとか、俺がお前にこんなものを見せてるとか、それは間違っちゃいないんだよ。」
それを聞いた熱斗は、やっぱりお前のせいなんじゃないか! と思うことで戦意を取り戻そうとするが、それにしてはダークソウルが余裕の表情を見せ過ぎている事に気付き、まだ何か隠している事があるのかと警戒する。
脚は力を込め直し、両手をすぐにでも殴りかかれるように握りしめて拳にする熱斗へ、ダークソウルは、さぁ此処からが本番だと言いたげに話を続けた。
「けどな……熱斗に俺を拒むだけの力、つまり光があるか、俺に力を与えてしまう感情、つまり悲しみや妬み、憎しみが無ければ、俺は熱斗にこんなものを見せる事はできないし、逢いに行く事も出来ないんだよ。なんたって光は俺の一番の天敵だし、餌が無ければ飢え死ぬのはダークソウルも同じだからな。」
「それって、つまり……」
今の自分には光り輝くものが無く、更には闇に力を与える感情ばかり抱えているということか、という言葉は口にするには恐ろし過ぎて、熱斗の口から出す事はできなかった。
熱斗はただ、その事実を受け入れたくないと叫ぶ代わりに、先ほど拳にした手を解いて、その手で頭を抱える。
ダークソウルはそんな様子の熱斗の考えさえもしっかりと見抜いているのか、先ほどのようにクスクスと笑いながら熱斗に近付き、その距離を一メートル未満まで縮めた。
そして、今度は何を言われるのだろうと怯えながら警戒している熱斗の背中に手を回し、突然抱擁する。
自分に抱き締められているという感覚と、自分の闇に抱き締められているという感覚、その二つが気持ち悪くて熱斗はそこから抜け出そうと暴れたが、ダークソウルの力は思った以上に強く抜け出す事が出来ない。
一体、何がどうなっているのだ、と熱斗が混乱し始めた時、ダークソウルの身体が急に紫色の煙のようなもの、靄を纏った。
突然の出来事に呆然とする熱斗を抱き締めながら、ダークソウルは呟く。
「あぁ、感じる……寂しいんだよな、悲しいんだよな、妬ましいんだよな、辛いんだよな、悔しいんだよな、苦しいんだよな……熱斗の想い、強く感じるよ……。」
そう言われた瞬間、熱斗の脳裏には今日一日の出来事が流れるように再生され始めた。
一回、たった一回朝起きられなかった、それだけで崩れていった幸せな日常、熱斗とデカオ達の間を行き来して、徐々にデカオ達に馴染んでいくメイルの姿。
メイルの笑顔が遠く、やいととデカオと透がメイルを熱斗の手の届かない遠くへ連れ去ってしまうイメージが脳裏をかすめて、熱斗は頭痛のようなめまいのような、グラグラと揺れるような感覚を感じた。
気分が悪い、気持ちが落ち着かない、意識が安定しない、動悸が激しい、息が苦しい、メイルが遠い――そんな熱斗を抱き締めて、ダークソウルは耳元で囁く。
「なぁ、本当はメイルちゃんにデカオ達の所になんか行って欲しくなかったんだろ?」
熱斗の指先が反応するようにピクリと動いた。
ダークソウルは唆すように囁き続ける。
「なぁ、教えてくれよ熱斗。お前が今何をどう思ってるのか、全部、洗いざらい、吐きだして見せてくれよ……。」
ダークソウルはそう言って腕の力を弱め、熱斗を自分の腕の中から解放し、数歩後方に下がり、自分は熱斗の事が心配なのだと言いたげな顔で熱斗を見詰める。
その頃にはダークソウルが纏っていた紫色の靄のようなものはその実体を失っていて、熱斗の前に立っているダークソウルは普段通り……というのも少しおかしな話だが、おかしな所は特にない普通の姿になっていた。
そうしてダークソウルの抱擁から解放された熱斗の、その両目はいつの間にか涙に濡れており、その涙が頬を伝い床に堕ちて闇に溶けた時、熱斗は何に突き動かされたのか、堰を切ったように泣きながら話し始めた。
「本当は行ってほしくなかったんだ……けど、メイルちゃんの友達は、大切な人は俺だけじゃなくて……だから“うん! 行っといでよ!”って言ったんだ……」
今まで認める事が恐ろしかった、本当はメイルにデカオ達の下へ行ってほしくなかったという思いを、熱斗は此処で初めて認めた、認めてしまった。
ダークソウルはそれを見て陰湿にニヤリと、まるで獲物が罠にかかった事を知った狩猟者のように笑い、そうだよな、と相槌を打つ。
ダークソウルが、本当は行って欲しくなかったという事に相槌を打ったのか、それともメイルの大切な人は熱斗だけではないという事に相槌を打ったのか分からなかった熱斗は少し緊張しながらダークソウルを見詰め返す。
その目はまるで、自分のダークソウルにさえも自分の想いを否定されるのかという不安に揺れているように見えた。
するとダークソウルは、大丈夫、安心しろよ、とでも言いたげに微笑んで相槌のその先を続ける。
「だって、メイルちゃんから俺の傍に、“私はずっと熱斗の傍にいるから”って言ってくれたんだから、行かせたくなんか無いよな。熱斗が強制したんじゃなくて、メイルちゃんが自分から熱斗の傍に居る事を望んだんだ……それなのに!」
ダークソウルの言った、それなのに、の語尾は明らかに怒りの感情を露出させた激しいものとなっていた。
熱斗はそれに僅かに怯みながらも、ダークソウルを見詰め、その姿に自分の姿を重ねる。
最初こそ恐怖と軽蔑の対象だったダークソウルが、今は自分の思っている事を全て代弁してくれているように熱斗は感じ始めていたのだ。
そうすると、ダークソウルが熱斗の全てを見透かして見せたように、今度は熱斗がダークソウルの思っている事を薄々感じとれるようになってくる。
それは、熱斗の意思とダークソウルの意思が重なり始めた事を意味していた。
「……なぁ、分かるよな? 今俺が、そしてお前が何を想ってるのか。」
まさに今、自分と熱斗の答えは一致している。
そう言いたげなダークソウルの問いかけに、熱斗は恐る恐ると言った様子で小さく頷き、俯いたまま呟くように答える。
「……怖いぐらい、分かる……。その言葉の通り傍に居て欲しい、デカオ達に盗られたくない、俺はこんなにメイルちゃんを必要としてるのに……そう想ってる。」
熱斗は手を両脇でぎゅっと握り、何かに耐えるように震えながらそう答えた。
ダークソウルに言った通り、熱斗はメイルを欲していて、やいとやデカオ達に盗られたくないと思っている、そして今実際に盗られかけていると思っている。
本当ならそれら全てをメイルにぶつけ、俺の傍にいてくれと叫びたい、とすら想う程、熱斗はメイルを欲している。
だが熱斗には、それをそのままメイルにぶつけるには至らない理由、懸念があった。
一度言葉を区切り、不安に揺れる瞳でダークソウルを見詰めて、熱斗は再度口を開く。
「でも、だからって……できないよ、だって、それこそ嫌われそうで……」
確かにメイルには、自分の心の陰を見せてもいいと思った。
しかしそれは今対峙しているこのダークソウルのような色濃いものではなく、人体で例えるなら指先だけ微かに相手に見せるような、そんなレベルでの話である。
何故なら、もしそれ以上をしてしまったら、さすがのメイルでも退いていって逃げて行ってしまうのではないかという懸念が熱斗にはあったのだ。
そもそも、心の陰なんて見ていて楽しいものではない、熱斗はそれを知っている。
メイルを悲しませたり、怖がらせたりするぐらいなら、いっそ、自分の中だけで片をつけたい、そんな思いがまだ熱斗の中には残っている。
だがダークソウルはそんな妥協を許さない。
熱斗を責めるように、ダークソウルは口を開いた。
「でも放っておいたらメイルちゃんはデカオ達の方に傾いて、熱斗の事を忘れちゃうと思うよ。今頃何を考えてるんだろうな? デカオと遊べて楽しかったとか? やいとちゃんとのガールズトークで盛り上がったとか? 透君は相変わらず気が弱いんだからとか? 俺は嫌だよ、そんなのは……あの言葉はウソなの? って……なぁ、そう思うだろ?」
熱斗の心がグラリと揺れる。
寝る前に宿題をやっていた間に頭の中に浮かんだ四人の様子が、改めて脳裏に映像として浮かんでくるのを感じ、熱斗は嫌だ嫌だとその映像を振り払うように首を左右に振った。
しかし映像となった想像は熱斗の脳裏から離れる事無く、今日よりも前の、熱斗もいた時の、しかし熱斗は上手く入りこめなかった時の四人の様子を元に想像に色をプラスする。
メイルとやいとが女の子らしい会話に華を咲かせる様子が見えて、熱斗の中にやいとへの嫉妬が生まれた。
メイルとデカオがデカオのゲーム自慢を中心に楽しげに話し、メイルがデカオを褒める様子が見えて、熱斗の中にデカオへの憎悪が浮かぶ。
メイルと透がゲームの攻略法や日常の事、温泉部の活動の事をのんびりと話す様子が見えて、熱斗は想像の中で透を殺しそうになった。
そして何より、メイルに詰め寄って叩きつけるように、嘘吐き、どうして俺と一緒にいてくれないの、と叫びたく思う。
もう、何が何だか分からなくなりかけて、熱斗は叫ぶ。
「……どうしたらいいんだよ……どうすればいいんだよ!?」
するとダークソウルはこれまでで一番陰湿な、しかし一番優しい頬笑みを見せて言い切った。
「伝えようよ“寂しい”って。あの時気付いてくれて嬉しかったんだって事と一緒に。なんでデカオ達に優しくするの? 俺だけとずうっと一緒にいて、って。」
そう言ってダークソウルはまた熱斗に近付き、自身の右手で熱斗の左頬を撫でる。
熱斗の左頬に触れたダークソウルの手は異様な程に冷たく、熱斗は一瞬驚いてビクリと片を上下させる、が、数秒もするとその冷たさが何処か気持ちが良い気がして、熱斗は抵抗する事を忘れてしまった。
そんな熱斗を見て、ダークソウルは楽しそうに、嬉しそうに微笑み、自身の左手で熱斗の右肩に触れて、逃がさないとでも言うかのように掴む。
冷たい二つの手に触れられながら、熱斗は、ダークソウルの言った事の意味を考える。
自分だけとずっと一緒に、それは寂しさに窒息しかける熱斗にとってとても魅惑的な言葉ではあった、が、熱斗はそれが何を意味するのかなんとなく知っていた。
だから熱斗は、此処に至ってもまだ残っている“正しさを欲する自分”を前面に押し出し、ダークソウルの言葉に反発する。
「俺だけとって……それって、束縛ってヤツだろ? そんなの駄目だ! 確かに寂しいけど、でも、それがメイルちゃんを束縛していい理由になる訳無い!!」
ダークソウルの両手を振り払い除けながら、熱斗は出せる限りの大きな声で、これこそが自分の本心だと言うように、それを自分自身に信じ込ませるように言った。
どんなに寂しくても、どんなに苦しくても、どんなに悔しくても、メイルの自由を奪う事があってはならない、そんな事をすれば逆に嫌われてしまう、熱斗はそう不安に感じている。
そしてその不安こそが、闇に堕ちかけた熱斗に残る唯一の正義で、理性で、砦なのだ。
しかしそんな不安など関係無いと言わんばかりに、ダークソウルは熱斗の反発をいとも簡単に否定して、熱斗が隠していたい歪んだ本心を熱斗の目の前に曝け出させる。
「束縛? メイルちゃんが先に言ったのに? 嘘を吐いてるのはメイルちゃんなのに? なんで俺が我慢しないといけないの? ずっと一緒にいるって言ったのに……どうして? あの言葉が嘘じゃないなら、メイルちゃんは“あの日”からそれぐらいの事は想定してるだろ?」
嘘を吐いているのはメイルの方、そう聞いた時、熱斗は、このダークソウルに生半可な建前や言い訳は通用しないのだと悟った。
何故なら、一緒にいるという言葉を一時の慰めにしたくない、そう言って朝も一緒にいてくれるようになったはずなのに、自分が少し目を離したらそれを忘れたように簡単にやいと達の方へ戻っていって帰ってこないメイルを、嘘吐きだと想う心が熱斗にもあり、熱斗はそれをダークソウルに告げていないが、ダークソウルはそれをまるで熱斗から聴いたかのように簡単に当てて見せたのだから。
床に着く少し前、短い用件だけのメールが届いた時のショック――悔しさと苛立ちが、熱斗の脳裏に蘇り、明日こそは一緒にいたい、一緒にいられる、そう思ったのにそうならなかった悔しさが、メイルに裏切られたと熱斗に想わせる。
だんだん心が落ち着かなくなって、胸をつかんだり頭を抱えたりと動揺が多くなってきた熱斗を見て、ダークソウルは笑う。
「後は俺が、熱斗が、その誓いを守ってほしいと思ってるかどうかだ。俺は勿論、その誓いの通り傍に居て欲しいって思ってるよ。熱斗だってそうだろ?」
ダークソウルが問いかけると、熱斗はしばし沈黙して縋るような視線でダークソウルを見詰めた後にゆっくりと頷いた。
「……あぁ。メイルちゃんがずっと一緒に居るって言ってくれたとき、凄く嬉しかった……もう独りになんてならないんだって、思った。だから、今はとっても苦しくて……会話に割って入ってでもメイルちゃんにこっちを見て欲しい。」
熱斗の脳裏に、科学省会議室でメイルと話した時の光景が思い浮かぶ。
ハッキリ言って、メイルやデカオ達に失礼な話をした自分、そんな自分に謝罪をして抱擁と約束までしてくれたメイル、その温かさが記憶によみがえる度、熱斗は今この瞬間の冷たい空気を知るのだ。
朝の事は自分の失態だとしても、それ以降はどうだろう、やいとやデカオ、透にメイルが連れて行かれる感覚、そしてそれにメイルが付いていく事実が、熱斗を凍えさせる。
嫌だ、嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ。
行かないで、此処にいて、自分の傍にいて欲しいという叫びが、喉の奥まで出かかっている。
けれど熱斗は、そこに至っても最後の理性を捨てる事はせず、ダークソウルに反発する。
「でも、やっぱりそんなのはただのワガママだ……メイルちゃんにはメイルちゃんの都合が、」
「それはメイルちゃんが嘘をついてるのを認めるって事になるだろ。今更そんなのおかしい。」
しかしそれは間髪いれずにダークソウルに論破されてしまい、熱斗は返す言葉を失ってしまった。
「……そう、かも。けど……」
もはや何を言い返せばいいのか分からない、できるとしたら同じ事を何度も繰り返す事だけ、そんなようすの熱斗を見て、ダークソウルはフゥ……と少し呆れたような長い溜息を吐いた。
そしてその後、今度は笑顔ではなく何処か寂しそうな顔になって、熱斗の両肩を掴む。
今まで陰湿に笑ってばかりだったダークソウルの見せた少し意外な表情に、熱斗はやや驚いてキョトンとした様子でダークソウルを見詰め返す。
するとダークソウルはこれまでになかった真っ直ぐな視線で熱斗を見詰め、まるで熱斗を哀れむように静かに、
「どうしてそんなに我慢するんだよ、本当は凄く寂しいのにさ。そんなことしてたら、誰も気付いてくれなくなる……メイルちゃんに忘れられるだろ、熱斗は独りでも大丈夫だって勘違いされてさ。そんなの、“俺”は耐えらんないよ。」
と告げ、再び熱斗を抱き締めた。
その腕の中は最初に触れられた手の冷たさを彷彿とさせるような寒さは無く、熱斗はダークソウルの腕の中を意外にも温かいように感じた。
そして、嗚呼自分はこんな闇の塊の腕の中でさえ温かく思う程に凍えているのかと思い、それが悲しくて一筋の涙を流す。
ダークソウルはそんな熱斗の涙を指で拭ってから熱斗を腕の中から解放し、最初のように少し距離を開けて熱斗と対峙する。
そしてどこか、あるのか無いのか分からない天井を見上げながら、
「……多分、そろそろロックマンに起こされる頃だよな。今日も学校だろ? 言いなよ、寂しかったよ、って。それだけでもメイルちゃんなら気付いてくれるだろうからさ。」
と言うと、そのまま後ろ向きに歩いて背後に渦巻く黒い闇の中に溶けるように消えていってしまった。
熱斗は何か言わなければいけない気がしたが、それが何かは分からず声を出す事が出来ず、その場で脚の力を失って倒れ込んだ。
嗚呼同じだ、この前ダークソウルと対峙して、それが終わって目が覚める時と同じだ、そう感じた熱斗は、現実で目を開く為に一度この空間の中で目を閉じる事を決めた。
目に映る黒の質が変わる、目を閉じている時の質になる、そして何処かから、ダークソウルではない自分を呼ぶ声が聞こえてきて、そして――。
「ね……く……っと……熱斗くん! 朝だよ! 起きて!」
いつも通りの朝の一幕。
熱斗はロックマンの声が遠くから聞こえてきた事に気がつき、再びその目を開いた。
するとその目に映ったものはあの渦巻く黒い闇ではなく、太陽の光に満ちた現実世界で、熱斗は先ほどまでの事は全て夢だったのだと改めて自覚する。
そしてその光に満ちた世界の中で、熱斗は先週ダークソウルに逢った後と同じように強い気だるさを感じ、身体が重いという不調に不満を感じながらもゆっくりと上半身を起こした。
熱斗が上半身を起こした事で二度寝の心配はないと思ったのか、ロックマンが明るい声で挨拶をしてくる。
「おはよう、熱斗くん!」
声のする方を見ると、ロックマンは熱斗が昨日宿題をやっていた机の上に小さなホログラムとして現れており、その横にあるパソコンは電源がついていた。
そしてよく見ると、パソコンの画面の中には昨日熱斗が解かなかった宿題の答えが映されている。
どうやら本当に自分に代わって宿題をやってくれたらしいロックマンを、熱斗は少し驚いてキョトンとした様子で意外だと言いたげに見詰める。
パソコンの横に立っているロックマンの表情がどこか自慢げ、誇らしげに見えるのは気のせい、ではなさそうだ。
「宿題、やっておいたよ! 早く写そう!」
「あ、あぁ、そうだな。」
さぁ褒めて褒めて、と言わんばかりに自信満々のロックマンに促されて、熱斗は机の前の椅子に座り、昨日閉じてそのまま机に置きっぱなしにしていたノートを開く。
ノートを開くとまず、途中まではしっかりやってある宿題の回答と、メールが来てすぐに描いた落書きと言いにくい黒いモヤモヤした何か、それから鉛筆を思い切り突き立てた時の黒い点が目に入る。
熱斗は、そういえば昨日は無茶をやらかしたなぁと思い、近くの引き出しから消しゴムを取り出すと、黒いモヤモヤと黒い点を消し始めた。
そしてその二つを消し終えてからパソコンの画面に視線を映し、ロックマンが解いてくれた宿題を見る。
おそらく熱斗が自分でやるより高いであろう、いや完璧であろう正解率を予想して、熱斗は僅かに苦笑しながら予備の鉛筆を引き出しから取り出し、宿題の答えをノートに写した。
本来こういった問題集は終わりの方になればなるほど難しい問題になって正解率が下がるものだから、今日の自分のノートを見たらまり子は驚くか、もしくはロックマンにやらせた事を見破ってくるだろうと思う。
前者なら今日はラッキーだと思えば良いし、後者ならそれはそれで普通に怒られてこよう。
そんな普通の思考が回るようになった事に、熱斗は気付いているだろうか?
そして、苦笑しながらも大人しく宿題の答えを映した熱斗を見て、ロックマンが僅かに安堵した事を、熱斗は気付いているのだろうか?
おそらく二つとも気付いていない様子の熱斗は宿題を完成させると、そのノートを忘れないようにすぐに鞄に仕舞って席を立った。
「じゃあ俺、ご飯とか洗顔とか色々してくるから。」
ロックマンに一声かけてから、熱斗は部屋のドアに向かって歩き出す。
背後に、ロックマンが明るく、
「行ってらっしゃい!」
という声が聞こえて、熱斗はドアを開ける直前に左手を上げてロックマンに合図を返しておいた。
そして熱斗は右手でドアノブを握り、ドアを開ける。
熱斗はそのドア通り抜けるとゆっくりと丁寧に閉じ、それから階段を下った。
階段を下って廊下に降り立つと、今度はリビングからはる香が料理を含む家事をしている音が聞こえてきた。
食器でも洗っているのだろうか、ザーザーと水が流れる音が聞こえる。
熱斗はそれらを聞いて、正直今は食欲が無いのだけれど、と思いながらもリビングに足を踏み入れ、はる香に声をかけた。
「おはよう、ママ。」
熱斗の声に、キッチンに立って食器や調理器具を洗っているはる香が振り向く。
「あら、おはよう熱斗。朝ご飯そこにあるから食べちゃって。」
振り向いたはる香はリビング内の高いテーブルを指差してそう言うと、すぐに家事に戻っていった。
何事も無く家事に戻るはる香を見て、熱斗は密かに、どうやら自分は今日も普段通りの顔をしているらしい、と思う。
それはありはしないことだと分かっているのだが、あのダークソウルに逢った後はどうしても自分が普段通りの顔を出来ているのかが気になり、あのダークソウルのような陰のある顔や歪な笑みを浮かべていないかどうかが心配になるのだ。
そしてもしもそれが起こっているとしたら、一番に気が付くのははる香かロックマンであろう。
だから、ロックマンにもはる香にも何も言われなかった事で、熱斗は少しだけ安心するのだ。
だがそれでも、自分の中にまだ黒く暗い闇の塊が潜んでいるという事実は、熱斗の行動に僅かな陰を落とす。
熱斗はテーブルの前にある椅子に座ると朝食を摂り始めたが、その箸の進むスピードは普段よりどこか遅く、本当は食欲など無いが食べなければ身体が持たないから無理矢理詰め込んでいるといった様子だ。
パンの焼き加減も目玉焼きの焼き加減もどうでもいい、とりあえず食べる事ができればそれでいい、そんなことより、と、何処か上の空な表情を貼り付けながら、熱斗は夜の間の夢の中でダークソウルに言われた事を思い返し始める。
自分によく似た声で発せられた言葉の数々、それは果たして自分のものではないのか、それとも自分の自分でも気付かない隠れた本音なのか、熱斗には分からない。
ただ、
――言いなよ、寂しかったよ、って。――
ダークソウルの言葉を思い出そうとして、一番最初に浮かんだのは一番最後に言われたその一言だった。
何処かどんよりと覚醒しきらないぼやけた意識の中で、熱斗はトーストを齧りながらそれが意味することを考えようとする。
まず、ダークソウルとは基本的に宿主の陰だ、と言う事を前提にして、宿主の陰は宿主の感情の一部である事を更なる前提として考えてみる。
そうするとあの自分そっくりのダークソウルは自分の陰で、それは自分の感情の一部という事になるのだろう、と熱斗は考えた。
僅かな吐き気――ダークソウルに力を与え続けている自分の感情への嫌悪感を感じながら、熱斗は口の中の物を飲み込む。
ふと気を抜いてしまえば全て吐いてしまうのではないかという気分の悪さを少しでも抑えようと、近くにあるコップを手にとってその中の水を飲み干す。
そしてコップから口を離した時、熱斗は疲れ切った溜息を吐きながら近くの壁にかけてある時計を見た。
時間はまだいくらか残っている、遅刻しないように仕度を終わらせて学校に行くには十分な時間がある、嗚呼それなのに、それなのに今日はメイルに逢えない、それを思い出して熱斗は更に憂鬱な気分になる。
嗚呼もしも、あの時――昨日の朝、自分が寝坊をしていなければ、メイルは今日も自分を見てくれたのかな、と考えると悔しくて、昨日の朝の自分を怨めしく思う気持ちが湧きあがり、それが熱斗に自分自身をを激しく責め立てさせる。
もはや食べている物の味など分からないし知った事ではない、今はただ、悔しくて悲しくてどうしようもない。
いつの間にか熱斗の手は食物を口に運ぶ事を止めて宙に静止し、口の中は食物に水分を奪われたのかそれとも心の渇きを真似ているのか緊張した時のように乾いている。
現実から遠のき始めた意識の中で、ダークソウルの声が反響して聞こえる。
――そんなことしてたら、誰も気付いてくれなくなる……メイルちゃんに忘れられるだろ、熱斗は独りでも大丈夫だって勘違いされてさ。――
そうだ、自分は、一人で、独りで大丈夫なんて事は無い。
熱斗はメイルすら自分を見てくれなくなる状況を考えて、ゾッとするような悪寒を感じた。
今の自分にはメイルしかいないのに、そのメイルにさえ忘れられてしまったら、自分は本当に独りになってしまう。
嫌だ、そんなことは嫌だ、独りになりたくない、メイルに離れられたくない、もう一度この手を繋いであの温かさを感じさせて欲しい。
メイルさえ一緒にいてくれれば、もうそれだけで満足だから、だから――。
――言いなよ、寂しかったよ、って。――
ダークソウルの声がまた頭の中に響いた気がして、熱斗は僅かに目を細め、ぽつりと、
「……言えば、いいのかな……。」
と、呟いた。
その声はあまりに小さすぎて、キッチンで食器を洗い続けるはる香に届く事は無く消えていく。
その後熱斗は徐々にその思考を現実に引き戻し始めたのか、それまで止めていたパンを持つ手の動きを再開させ、数分後には食事を終えてリビングを後にした。
リビングを後にした熱斗が次に向かったのは洗面所で、熱斗は洗面所に入ると洗面台の前に立ち、そこに取り付けられた大きな鏡を見る。
鏡の中の自分は特別嫌な顔もしていないが、特別元気な顔もしておらず、何処かぼんやりと、ほんの僅かにやつれたような顔をしているように見えた。
それは簡単に例えるなら疲れきって夢も希望も無くした中年男性のような雰囲気で、熱斗は自分は何時からこんな表情をするようになったのだろうかと考える。
あの新型ダークロイドとの戦闘での敗北の直後はまだこんな顔をしてはいなかったと思うのだが……それならいつから、何が原因でこんな雰囲気を纏うようになってしまったのだろう、と不思議、また不安に思うも、熱斗にその答えを見つけ出す事はできなかった。
鏡に映る自分に、熱斗は問いかける。
「俺、どうしたらいいのかな……。」
無論、鏡の中の自分が答えてくれる事は無い。
そして熱斗は、遂に鏡に話しかけ始めた自分に情けなさを感じ、小さく苦笑した。
こんな事をして何になるというのだろう? そして自分はどんな返答を期待していたというのだろう? そもそも何故自分ははる香やロックマンに相談できず、代わりに鏡に映る自分の姿になど問いかけているのだろう?
嗚呼この鏡に映る自分があのダークソウルだったなら、もしかして有益な答えを返してくれたのかな、と思いながら、熱斗は蛇口を捻った。
冷たい水が勢い良く流れ出す、その中に熱斗は手を伸ばす。
その水のひんやりとした感覚は、あの夢の中のダークソウルの冷たい両手を思い出させて、熱斗は一瞬だけ眉間にしわを寄せた。
そうして歯磨きと洗顔を済ませた熱斗は一度自室に戻って着替えと時間割も済ませ、鞄を背負いインラインスケートの車輪を左脇に抱えながら玄関のドアを開けた。
その先の視界に飛び込んでくるのは眩しい朝の日差しで、熱斗は僅かに目を細める。
それから、前日に連絡があったのだから当然だが、自分の家の前の道路の何処にもメイルの姿が無い事を確認して、小さく溜息を吐くのであった。
昨日のメールで連絡があった時から知っていた事、覚悟はしていた事だが、やはり“寂しい”。
できる事なら今すぐにでも、ねぇどうして来てくれないの? とメイルに問いかけたい、いや詰め寄りたい。
しかしそんな事はしなくてもその答えは昨日の内にメイルが明確に連絡してきているのだから、その問いかけに意味など無い、価値など無い、そう考えるに至った熱斗はしばらくの間寂しげな表情で自宅の前の道路を見下ろした後、蛇行した階段をゆっくりと下り始めた。
もう、今の日差しが眩しい事をロックマンに伝える気力もない。
学校に今すぐ行きたいようで、全く行きたくないような、メイルに早く逢いたい一方で、メイルが自分以外の誰かと親しげに楽しげに話しているのを見るのが怖いという矛盾が熱斗の心を締め上げる。
だから熱斗は、今日は少しゆっくり学校に向かおうと思って、背負っていた鞄を一度下ろし、その中にインラインスケートの車輪を仕舞い込んでから再び鞄を背負い、ゆっくりと歩き出した。
また、頭の中であの声が反響する。
――言いなよ、寂しかったよ、って。――
もし、もしもだ、もしも自分が本当に、あのダークソウルの言う通り、この寂しいという想いをメイルに伝えたら、メイルは自分に振り向いてくれるのだろうか?
自分に振り向いて、自分に視線を向けて、自分の手を取って共にいてくれる、そんな未来を絵空事から現実に変える事ができるのだろうか?
時間が経って、考えて、今メイルが側にいないという現実を知れば知る程、熱斗の心は揺らいでいく。
闇の塊の言う事などそうそう簡単に信じるべきものではないし、実行するものではないと思う、けれど――確かに、認めたくは無いが、認めざるをえない程、自分は今、“寂しい”。
今自分の視界の中に、自分の側に、メイルはおらず、この手は何も掴む事ができない、その現実が酷く嫌なもので、酷く辛いものなのはもう、どれだけ目を背けようとしても背けきれない事実なのだ。
ゆっくりと学校に向けて歩きながら熱斗は考える、夢の中でダークソウルに反論したように、メイルの自由を完全に奪う様な事はしたくないと思う、それには嫌われる恐怖が付きまとう、けれど、今メイルは何をしているのか、メールに書かれていたようにやいとやデカオ達と共に登校しているのか、そしてその中で何を話し何を楽しんでいるのかと考えると、気が狂いそうになるのは事実だ、と。
歩くスピードは普段より格段に遅いものなのに、心臓は妙な程早い鼓動を刻み続け、呼吸は浅く早いものになる。
苦しい、と熱斗は感じた。
メイルの事を考えれば考える程体は不調を訴える、これ以上考えるなと警鐘を鳴らす、けれど熱斗の思考はそれでも尚、メイルの事を想い続ける。
メイルに逢いたい、メイルと話したい、メイルと手を繋いで歩きたい、メイルの傍にいたい、メイルに傍にいて欲しい、メイル――とにかくメイルの事を沢山考えながら、熱斗は漠然と、呆然と、意思など無い人形のように黙々と淡々と通学路を歩いた。
そして何分間が過ぎた頃だろうか、熱斗は遅刻ではないが特別早くもないという至って普通の時間帯に学校へ到着した。
警備員が見守る正門を通り過ぎ、校庭の真ん中を歩いて昇降口へ向かう。
その途中、熱斗はようやく周囲の様子を気にするようになり、頻繁に辺りを見回してメイル、またデカオ達の姿を探したが、熱斗の僅かな期待とは反対に、それらの姿が見つかる事は無かった。
きっとまた、自分より早く登校して何処かに集まっておしゃべりでもしているのだろう、そう思うと気分が酷く落ち込んで、これ以上脚を進めたくないどころか、今すぐ走って自宅に戻りたくなってくる。
熱斗は進む事を拒もうとする思考と両足を必死に抑えつけて、少し無理矢理な、やっとの思いで昇降口の中に入った。
案の定というべきか、やはりというべきか、其処にもメイル達の姿は無い。
ああこれはいよいよ昨日と同じだ、昨日も見たあの嫌な光景を、自分はまた見せられるのか、と気分が重くなった熱斗は小さな溜息を吐く。
その溜息を聞きつけたのか、ロックマンが肩の上に現実世界の様子を見にやって来た。
「どうしたの? 早く教室に行こうよ。」
不思議なものを見るような、それでいて透き通ってキラキラとした黄緑色の瞳と視線が合って、急に今自分がどんな顔をしているというのか不安になった熱斗は、ロックマンに向けた視線を即座に前方へ向け直す。
そして、やや長い空白を挟んでから、
「……あぁ、そうだな。」
と返すと、階段に向けて歩きだした。
六年生の階へと続く階段を一段一段ゆっくりと登る。
それは足腰の弱った老人のごとくのろのろと遅く、息が切れるような登り方は全くしていなかったが、熱斗は何故か心臓が苦しくなるのを感じていた。
一段、また一段と上る度、六年生の教室のある階へと近付いて、その度に心臓は理由の分からない悲鳴を上げる。
嗚呼、どうしてこんなにも苦しいのだろう、そう思いながら階段を上りきった時、熱斗はその苦しみの意味に気付いた。
六年A組の教室、その中から聞こえるざわつき、その中でメイルはどうしているのだろうと表層意識で考えた時、熱斗はそれまでで一番心臓のあたりが締め上げられるような苦しみを感じたのだ。
そう、熱斗は階段を上る度、メイルがいるであろう場所に近付いている事を半分無意識に意識し始め、そこから生まれる緊張――メイルは今どうしているのだろう、自分と話してくれるだろうか、それともデカオ達としか話さないのだろうか、という数々の不安に苛まれていたのだ。
そして、表層意識の全てで考え始めてしまったならもう止められない、溢れ出る不安は熱斗を更に締め付け、身体の不調としてその苦しみを熱斗に伝える。
熱斗はそれを少しだけでもいいから解消して、それから教室に入ろうと思い、教室の扉の近くに立つと、小さくだが深呼吸を行った。
ほんの僅かにだが、それまでの締め付けが緩まる。
精神の緊張は解けないが、身体の緊張は僅かに解ける。
熱斗はそれが再び強まらない内に、と思いつつ、扉を開いて教室に入った。
教室に入った熱斗はまず、一番に自分の席とその隣の席を見た。
自分の席が空席なのは当たり前だからいいとして、問題はその隣の席である。
教室に入る前、熱斗はどうか自分の隣が空席出ない事を祈っていた、だが、残念ながら自分の机と同時に見えたメイルの机は空席で、熱斗は落胆の溜息を零す。
やはりメイルはデカオかやいと、またはそれら両方と一緒、もしくは透も含めた三人と一緒に何処か別の場所でおしゃべりでもしているのか、そう考えながら熱斗は教室を見回した。
すると、昨日とほぼ同じ場所、教室の後方窓際の隅にメイルの姿が見えた。
デカオとやいとも一緒にいる。
デカオとやいとは丁度教室の隅を見るような向きで立っており、熱斗に背を向けている為か、熱斗に気付いた様子は無い。
それは熱斗も普通の事だと思う、まぁ仕方がない事だと思える、しかし、教室の隅に背中を預けてデカオとやいとが立っている場所を見ているメイルも熱斗に気付いていないようである事に、熱斗は言いようのない不快感を覚えた。
デカオとやいとから熱斗が見えないのはどう考えても当たり前なのは分かっても良い、二人は教室の隅を、そこに立つメイルだけを見ているのだから仕方がない、だが、そんな二人を教室の隅から見るメイルの視界には、熱斗が映っていたとしてもおかしくは無い。
それなのにおしゃべりに夢中になってデカオとやいとしか見えていない様子のメイルを見る、熱斗のその視線は、大きな落胆と僅かな怒りを宿している。
熱斗はしばし教室の入り口――丁度メイルのいる場所から対角線が結べる位置でそれを観察した後、静かに歩きだし、自分の席に着いた。
そしてそこから教室の後方隅へと振り向いてみるものの、まだメイルは気付かない。
どうして、という想いが熱斗の中に浮かび上がる。
そして、
――やっぱり、メイルちゃんにも忘れられちゃうの? 俺……そんなの……。――
と、一際悲観的な感情が脳裏を過った、その時、
「言えばいいんだよ、寂しいって。」
頭の中に声が響いて、熱斗の視界は急に真っ暗になった。
急激な視界の変化に、熱斗は思わず驚きの声を漏らす。
「え、なんだよ、これ!!」
一瞬にして目の前が真っ暗になった事で熱斗は、まさか自分は一瞬にして失明したとでもいうのか、と焦り、それまで下げていた手を上に上げ、その手の方向を見詰めた。
するとなんと、背景が真っ暗なのは変わらないというのに、その手を視界の中に見つける事ができた。
あれ、これってまさか……と思った時、熱斗は自分が椅子に座っておらず、何処か固い床の上に立っている事に気が付く。
黒い世界、固い床、唯一見える自分の身体、それらのワードから熱斗は、今この状況が昨日や数週間前に見た夢と同じ状況である事に気が付く。
熱斗は、自分はまたダークソウルに逢いに来てしまったというのか、と焦ると同時に悔しく思い、唇を噛んだ、が、次の瞬間ある疑問点に気が付く。
「あれっ、でも俺、今起きてて……」
それまで熱斗がダークソウルのいる世界を見るのは眠っている時だけで、起きて行動している時にダークソウルの声が聞こえる事や、この世界に意識が飛ばされる事は無かった。
所詮は夢の中でしかあり得なかった出来事が、今、夢を見る筈の無い状況で起こっている事に、熱斗はただならぬ不安と恐怖、焦りを感じる。
一体、何が起こって自分の意識は此処に飛ばされたというのか、焦る熱斗に、背後から声が掛けられる。
「よう、熱斗。今自分が此処にいるのが不思議か?」
それは熱斗自身の声によく似た声、つまりダークソウルの声で、熱斗は驚いて背後へ振り返る。
振り返った先のダークソウルは相変わらず何かを面白がるような、それでいて無邪気とは言えない笑みを浮かべていて、熱斗は不安と焦りで支配される心の隅に僅かな苛立ちを感じた。
するとダークソウルは熱斗の表情からそれを感じとったのか、それともいつものように熱斗の心の中を読み取ったのか、それは分からないがニヤニヤと笑いながら、
「まぁまぁ、そんなに怒るなって。」
などと言ってくる。
ダークソウルのそんな態度が一々自分の気に障っている事を、ダークソウルは分かっているのだろうか? と熱斗はやや疑問に思ったが、どうせコイツの事だから、そんな事もお見通しなんだろうなとある種の諦めにも似た答えを即座に出した。
それに今は、そんな事よりも大切な事がある。
それは、
「……どうして今、お前に逢ってる?」
という事だ。
先ほどまではメイルの事を気にして上がっていた心拍数が、今度はダークソウルとの対面の理由を不安に思う事で上がる。
右手に僅かに入る不自然な力は、その不安を打ち消そうと熱斗が無意識に必死になっている故か。
とにかく、このダークソウルの関連で自分にとって良い事など一つもないだろうと思っている熱斗は、ダークソウルへの警戒心を新たにし、その紅い両目を茶色の両目で見詰め返す。
するとダークソウルは小さく笑ってから、
「俺は熱斗のダークソウル、つまり熱斗の心の一部なんだから、熱斗の感情次第で強くなるのはあたりまえだろ?」
と言った。
それを聴いた熱斗は、またダークソウルが自分の心の陰を餌に成長していた事に対しての不快感と、しかしながらその餌を増やしていたのは他ならぬ自分自身であるという悔しさが同時に込み上げ、両手に更に力が入るのを感じた。
正直、殴りかかりたい。
今すぐにでも殴りかかって、絞め殺すか嬲り殺すか、方法は何でもいいがあのダークソウルを殺して消して、全てを無かった事にしたいと思う。
けれど、あれは人間じゃない、人間の意識の形の一つという形無き形であり、生き物ではないのだという事実から、多分そんな方法ではあのダークソウルは消せないであろう事は、熱斗にもある程度予想できた。
それどころか、もしかしたらダークソウルは、熱斗が放つダークソウルへの怒り、憎しみ、嫌悪すら餌にするかもしれない、そう思った熱斗は自分に落ち着くよう言い聞かせ、徐々に両腕から力を抜く。
「そうそう、どうせ熱斗の思い付いたような方法じゃ、俺は殺せないしな。」
ダークソウルの明らかに熱斗の内面を読み取った上に勝ち誇った台詞が熱斗の神経を逆撫でして、熱斗はダークソウルをキッと睨みつけたが、ダークソウルはそんな事は知った事ではないとでもいうかのように話を続けた。
「それより、今大切なのはメイルちゃんの事だろ?」
ダークソウルがメイルの事を話題に上げたその瞬間、それまでダークソウルに殴りかかれるように少し後ろに引かれていた熱斗の腕がピクリと動き、目も一瞬だけ驚いた様に見開かれた。
そうだ、此処に来る前に考えていた事はなんだ、と熱斗は自問し、それはメイルの事だ、という自答を出す。
そしてそこに至ってようやく、自分の持つメイルへの様々な感情、とりわけ悲しみや寂しさ、そしてその存在の渇望がダークソウルの餌となっている事に気が付いた。
大切な人を思えば思う程ダークソウルが強くなるなんて、そんなのあんまりだ、と熱斗は酷い衝撃を受ける。
そうして焦りや不安だけでなく、悲しみや後悔も混ざりはじめた表情を見せて固まる熱斗へ、ダークソウルは言う。
「で、熱斗は寂しいって言うの? 言わないの? どうしたいの?」
ニヤニヤと楽しそうな笑顔で訊いてきたダークソウルを、熱斗は口を閉ざしたまま悔しそうに、しかし縋るように見詰めた。
熱斗の中で、二つの考えがぶつかり合う。
ダークソウルが言うようにメイルにこの寂しさを打ち明けるべきだと後押しする自分が一人と、この寂しさはダークソウルの餌であり唾棄すべき感情であるのだから告げてはいけないと必死になる自分が一人、合計二人の自分が熱斗の中で言い争い続けている、そんなイメージだ。
ただ、ほんの僅かに前者の自分の方が力を持っている気がするのは何故だろう、と熱斗は思う。
言いたい、メイルに寂しいと言いたい、傍にいてくれと言いたい、もう言葉は喉の奥まで溢れかかっている、それを感じて、熱斗は何とも苦い思いがこみ上げるのを感じた。
言いたい、けれどまだ言えない、どうしたらいいのか分からない、助けて欲しい、けれど助けてくれる人などいない、デカオややいと、ロックマンには打ち明けられない、はる香や祐一朗にだってそうだ、だからもし、言えるとするなら――。
「……言ったら、メイルちゃんは傍にいてくれるの……?」
先ほどまでの悔しそうで好戦的な視線は何処へやら、気が付けば熱斗は最後の希望に縋るような視線でダークソウルを見詰め、ぽつりとそう口にしていた。
デカオややいと、ロックマンやはる香や祐一朗には言えないし、メイル本人になど言える訳もない言葉は、自然と自分の中の自分――熱斗の中の陰――ダークソウルのもとへと行きついたらしい。
お願い、否定しないで、とでも言いたげな不安に揺れた表情でダークソウルを見詰める熱斗、その熱斗に見詰められるダークソウルの表情から徐々に笑顔が消える。
え、何? 俺は何か変な事を言ったの? と更に不安になる熱斗のその不安を煽る様に、ダークソウルは何処か悲しげな表情を見せ、いつもの自信に満ち溢れた声ではなく、何かを心配するような、何処か落胆と諦めの滲んだ声で、
「どうだろうな……。」
と言葉を濁した。
無意識の内に、このダークソウルなら自然に背中を押してくれるかもしれない、と思い始めていた熱斗に衝撃が走る。
どうしてダークソウルは自分の本体を不安にさせるような事を言うんだろう、寂しいのなら寂しいと言えと言ったのは間違いなくこのダークソウルなのに今更何を言っているのだろう、熱斗には分からない。
殊更楽しそうに陰湿な笑みを浮かべるダークソウルを見て、熱斗は眉間に不快感という名のシワを寄せた。
そして、どうしてコイツはこんなふうに笑っていられるんだ、どうしてコイツはこんなにも楽しそうなんだ、と、自分の闇にすら嫉妬し始めた熱斗をみて、ダークソウルは更に陰湿で楽しげな笑みを見せる。
全ては、ダークソウルの思惑通りに進んでいるのかもしれない。
「確かにな、俺がお前に逢いに行ってるとか、俺がお前にこんなものを見せてるとか、それは間違っちゃいないんだよ。」
それを聞いた熱斗は、やっぱりお前のせいなんじゃないか! と思うことで戦意を取り戻そうとするが、それにしてはダークソウルが余裕の表情を見せ過ぎている事に気付き、まだ何か隠している事があるのかと警戒する。
脚は力を込め直し、両手をすぐにでも殴りかかれるように握りしめて拳にする熱斗へ、ダークソウルは、さぁ此処からが本番だと言いたげに話を続けた。
「けどな……熱斗に俺を拒むだけの力、つまり光があるか、俺に力を与えてしまう感情、つまり悲しみや妬み、憎しみが無ければ、俺は熱斗にこんなものを見せる事はできないし、逢いに行く事も出来ないんだよ。なんたって光は俺の一番の天敵だし、餌が無ければ飢え死ぬのはダークソウルも同じだからな。」
「それって、つまり……」
今の自分には光り輝くものが無く、更には闇に力を与える感情ばかり抱えているということか、という言葉は口にするには恐ろし過ぎて、熱斗の口から出す事はできなかった。
熱斗はただ、その事実を受け入れたくないと叫ぶ代わりに、先ほど拳にした手を解いて、その手で頭を抱える。
ダークソウルはそんな様子の熱斗の考えさえもしっかりと見抜いているのか、先ほどのようにクスクスと笑いながら熱斗に近付き、その距離を一メートル未満まで縮めた。
そして、今度は何を言われるのだろうと怯えながら警戒している熱斗の背中に手を回し、突然抱擁する。
自分に抱き締められているという感覚と、自分の闇に抱き締められているという感覚、その二つが気持ち悪くて熱斗はそこから抜け出そうと暴れたが、ダークソウルの力は思った以上に強く抜け出す事が出来ない。
一体、何がどうなっているのだ、と熱斗が混乱し始めた時、ダークソウルの身体が急に紫色の煙のようなもの、靄を纏った。
突然の出来事に呆然とする熱斗を抱き締めながら、ダークソウルは呟く。
「あぁ、感じる……寂しいんだよな、悲しいんだよな、妬ましいんだよな、辛いんだよな、悔しいんだよな、苦しいんだよな……熱斗の想い、強く感じるよ……。」
そう言われた瞬間、熱斗の脳裏には今日一日の出来事が流れるように再生され始めた。
一回、たった一回朝起きられなかった、それだけで崩れていった幸せな日常、熱斗とデカオ達の間を行き来して、徐々にデカオ達に馴染んでいくメイルの姿。
メイルの笑顔が遠く、やいととデカオと透がメイルを熱斗の手の届かない遠くへ連れ去ってしまうイメージが脳裏をかすめて、熱斗は頭痛のようなめまいのような、グラグラと揺れるような感覚を感じた。
気分が悪い、気持ちが落ち着かない、意識が安定しない、動悸が激しい、息が苦しい、メイルが遠い――そんな熱斗を抱き締めて、ダークソウルは耳元で囁く。
「なぁ、本当はメイルちゃんにデカオ達の所になんか行って欲しくなかったんだろ?」
熱斗の指先が反応するようにピクリと動いた。
ダークソウルは唆すように囁き続ける。
「なぁ、教えてくれよ熱斗。お前が今何をどう思ってるのか、全部、洗いざらい、吐きだして見せてくれよ……。」
ダークソウルはそう言って腕の力を弱め、熱斗を自分の腕の中から解放し、数歩後方に下がり、自分は熱斗の事が心配なのだと言いたげな顔で熱斗を見詰める。
その頃にはダークソウルが纏っていた紫色の靄のようなものはその実体を失っていて、熱斗の前に立っているダークソウルは普段通り……というのも少しおかしな話だが、おかしな所は特にない普通の姿になっていた。
そうしてダークソウルの抱擁から解放された熱斗の、その両目はいつの間にか涙に濡れており、その涙が頬を伝い床に堕ちて闇に溶けた時、熱斗は何に突き動かされたのか、堰を切ったように泣きながら話し始めた。
「本当は行ってほしくなかったんだ……けど、メイルちゃんの友達は、大切な人は俺だけじゃなくて……だから“うん! 行っといでよ!”って言ったんだ……」
今まで認める事が恐ろしかった、本当はメイルにデカオ達の下へ行ってほしくなかったという思いを、熱斗は此処で初めて認めた、認めてしまった。
ダークソウルはそれを見て陰湿にニヤリと、まるで獲物が罠にかかった事を知った狩猟者のように笑い、そうだよな、と相槌を打つ。
ダークソウルが、本当は行って欲しくなかったという事に相槌を打ったのか、それともメイルの大切な人は熱斗だけではないという事に相槌を打ったのか分からなかった熱斗は少し緊張しながらダークソウルを見詰め返す。
その目はまるで、自分のダークソウルにさえも自分の想いを否定されるのかという不安に揺れているように見えた。
するとダークソウルは、大丈夫、安心しろよ、とでも言いたげに微笑んで相槌のその先を続ける。
「だって、メイルちゃんから俺の傍に、“私はずっと熱斗の傍にいるから”って言ってくれたんだから、行かせたくなんか無いよな。熱斗が強制したんじゃなくて、メイルちゃんが自分から熱斗の傍に居る事を望んだんだ……それなのに!」
ダークソウルの言った、それなのに、の語尾は明らかに怒りの感情を露出させた激しいものとなっていた。
熱斗はそれに僅かに怯みながらも、ダークソウルを見詰め、その姿に自分の姿を重ねる。
最初こそ恐怖と軽蔑の対象だったダークソウルが、今は自分の思っている事を全て代弁してくれているように熱斗は感じ始めていたのだ。
そうすると、ダークソウルが熱斗の全てを見透かして見せたように、今度は熱斗がダークソウルの思っている事を薄々感じとれるようになってくる。
それは、熱斗の意思とダークソウルの意思が重なり始めた事を意味していた。
「……なぁ、分かるよな? 今俺が、そしてお前が何を想ってるのか。」
まさに今、自分と熱斗の答えは一致している。
そう言いたげなダークソウルの問いかけに、熱斗は恐る恐ると言った様子で小さく頷き、俯いたまま呟くように答える。
「……怖いぐらい、分かる……。その言葉の通り傍に居て欲しい、デカオ達に盗られたくない、俺はこんなにメイルちゃんを必要としてるのに……そう想ってる。」
熱斗は手を両脇でぎゅっと握り、何かに耐えるように震えながらそう答えた。
ダークソウルに言った通り、熱斗はメイルを欲していて、やいとやデカオ達に盗られたくないと思っている、そして今実際に盗られかけていると思っている。
本当ならそれら全てをメイルにぶつけ、俺の傍にいてくれと叫びたい、とすら想う程、熱斗はメイルを欲している。
だが熱斗には、それをそのままメイルにぶつけるには至らない理由、懸念があった。
一度言葉を区切り、不安に揺れる瞳でダークソウルを見詰めて、熱斗は再度口を開く。
「でも、だからって……できないよ、だって、それこそ嫌われそうで……」
確かにメイルには、自分の心の陰を見せてもいいと思った。
しかしそれは今対峙しているこのダークソウルのような色濃いものではなく、人体で例えるなら指先だけ微かに相手に見せるような、そんなレベルでの話である。
何故なら、もしそれ以上をしてしまったら、さすがのメイルでも退いていって逃げて行ってしまうのではないかという懸念が熱斗にはあったのだ。
そもそも、心の陰なんて見ていて楽しいものではない、熱斗はそれを知っている。
メイルを悲しませたり、怖がらせたりするぐらいなら、いっそ、自分の中だけで片をつけたい、そんな思いがまだ熱斗の中には残っている。
だがダークソウルはそんな妥協を許さない。
熱斗を責めるように、ダークソウルは口を開いた。
「でも放っておいたらメイルちゃんはデカオ達の方に傾いて、熱斗の事を忘れちゃうと思うよ。今頃何を考えてるんだろうな? デカオと遊べて楽しかったとか? やいとちゃんとのガールズトークで盛り上がったとか? 透君は相変わらず気が弱いんだからとか? 俺は嫌だよ、そんなのは……あの言葉はウソなの? って……なぁ、そう思うだろ?」
熱斗の心がグラリと揺れる。
寝る前に宿題をやっていた間に頭の中に浮かんだ四人の様子が、改めて脳裏に映像として浮かんでくるのを感じ、熱斗は嫌だ嫌だとその映像を振り払うように首を左右に振った。
しかし映像となった想像は熱斗の脳裏から離れる事無く、今日よりも前の、熱斗もいた時の、しかし熱斗は上手く入りこめなかった時の四人の様子を元に想像に色をプラスする。
メイルとやいとが女の子らしい会話に華を咲かせる様子が見えて、熱斗の中にやいとへの嫉妬が生まれた。
メイルとデカオがデカオのゲーム自慢を中心に楽しげに話し、メイルがデカオを褒める様子が見えて、熱斗の中にデカオへの憎悪が浮かぶ。
メイルと透がゲームの攻略法や日常の事、温泉部の活動の事をのんびりと話す様子が見えて、熱斗は想像の中で透を殺しそうになった。
そして何より、メイルに詰め寄って叩きつけるように、嘘吐き、どうして俺と一緒にいてくれないの、と叫びたく思う。
もう、何が何だか分からなくなりかけて、熱斗は叫ぶ。
「……どうしたらいいんだよ……どうすればいいんだよ!?」
するとダークソウルはこれまでで一番陰湿な、しかし一番優しい頬笑みを見せて言い切った。
「伝えようよ“寂しい”って。あの時気付いてくれて嬉しかったんだって事と一緒に。なんでデカオ達に優しくするの? 俺だけとずうっと一緒にいて、って。」
そう言ってダークソウルはまた熱斗に近付き、自身の右手で熱斗の左頬を撫でる。
熱斗の左頬に触れたダークソウルの手は異様な程に冷たく、熱斗は一瞬驚いてビクリと片を上下させる、が、数秒もするとその冷たさが何処か気持ちが良い気がして、熱斗は抵抗する事を忘れてしまった。
そんな熱斗を見て、ダークソウルは楽しそうに、嬉しそうに微笑み、自身の左手で熱斗の右肩に触れて、逃がさないとでも言うかのように掴む。
冷たい二つの手に触れられながら、熱斗は、ダークソウルの言った事の意味を考える。
自分だけとずっと一緒に、それは寂しさに窒息しかける熱斗にとってとても魅惑的な言葉ではあった、が、熱斗はそれが何を意味するのかなんとなく知っていた。
だから熱斗は、此処に至ってもまだ残っている“正しさを欲する自分”を前面に押し出し、ダークソウルの言葉に反発する。
「俺だけとって……それって、束縛ってヤツだろ? そんなの駄目だ! 確かに寂しいけど、でも、それがメイルちゃんを束縛していい理由になる訳無い!!」
ダークソウルの両手を振り払い除けながら、熱斗は出せる限りの大きな声で、これこそが自分の本心だと言うように、それを自分自身に信じ込ませるように言った。
どんなに寂しくても、どんなに苦しくても、どんなに悔しくても、メイルの自由を奪う事があってはならない、そんな事をすれば逆に嫌われてしまう、熱斗はそう不安に感じている。
そしてその不安こそが、闇に堕ちかけた熱斗に残る唯一の正義で、理性で、砦なのだ。
しかしそんな不安など関係無いと言わんばかりに、ダークソウルは熱斗の反発をいとも簡単に否定して、熱斗が隠していたい歪んだ本心を熱斗の目の前に曝け出させる。
「束縛? メイルちゃんが先に言ったのに? 嘘を吐いてるのはメイルちゃんなのに? なんで俺が我慢しないといけないの? ずっと一緒にいるって言ったのに……どうして? あの言葉が嘘じゃないなら、メイルちゃんは“あの日”からそれぐらいの事は想定してるだろ?」
嘘を吐いているのはメイルの方、そう聞いた時、熱斗は、このダークソウルに生半可な建前や言い訳は通用しないのだと悟った。
何故なら、一緒にいるという言葉を一時の慰めにしたくない、そう言って朝も一緒にいてくれるようになったはずなのに、自分が少し目を離したらそれを忘れたように簡単にやいと達の方へ戻っていって帰ってこないメイルを、嘘吐きだと想う心が熱斗にもあり、熱斗はそれをダークソウルに告げていないが、ダークソウルはそれをまるで熱斗から聴いたかのように簡単に当てて見せたのだから。
床に着く少し前、短い用件だけのメールが届いた時のショック――悔しさと苛立ちが、熱斗の脳裏に蘇り、明日こそは一緒にいたい、一緒にいられる、そう思ったのにそうならなかった悔しさが、メイルに裏切られたと熱斗に想わせる。
だんだん心が落ち着かなくなって、胸をつかんだり頭を抱えたりと動揺が多くなってきた熱斗を見て、ダークソウルは笑う。
「後は俺が、熱斗が、その誓いを守ってほしいと思ってるかどうかだ。俺は勿論、その誓いの通り傍に居て欲しいって思ってるよ。熱斗だってそうだろ?」
ダークソウルが問いかけると、熱斗はしばし沈黙して縋るような視線でダークソウルを見詰めた後にゆっくりと頷いた。
「……あぁ。メイルちゃんがずっと一緒に居るって言ってくれたとき、凄く嬉しかった……もう独りになんてならないんだって、思った。だから、今はとっても苦しくて……会話に割って入ってでもメイルちゃんにこっちを見て欲しい。」
熱斗の脳裏に、科学省会議室でメイルと話した時の光景が思い浮かぶ。
ハッキリ言って、メイルやデカオ達に失礼な話をした自分、そんな自分に謝罪をして抱擁と約束までしてくれたメイル、その温かさが記憶によみがえる度、熱斗は今この瞬間の冷たい空気を知るのだ。
朝の事は自分の失態だとしても、それ以降はどうだろう、やいとやデカオ、透にメイルが連れて行かれる感覚、そしてそれにメイルが付いていく事実が、熱斗を凍えさせる。
嫌だ、嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ。
行かないで、此処にいて、自分の傍にいて欲しいという叫びが、喉の奥まで出かかっている。
けれど熱斗は、そこに至っても最後の理性を捨てる事はせず、ダークソウルに反発する。
「でも、やっぱりそんなのはただのワガママだ……メイルちゃんにはメイルちゃんの都合が、」
「それはメイルちゃんが嘘をついてるのを認めるって事になるだろ。今更そんなのおかしい。」
しかしそれは間髪いれずにダークソウルに論破されてしまい、熱斗は返す言葉を失ってしまった。
「……そう、かも。けど……」
もはや何を言い返せばいいのか分からない、できるとしたら同じ事を何度も繰り返す事だけ、そんなようすの熱斗を見て、ダークソウルはフゥ……と少し呆れたような長い溜息を吐いた。
そしてその後、今度は笑顔ではなく何処か寂しそうな顔になって、熱斗の両肩を掴む。
今まで陰湿に笑ってばかりだったダークソウルの見せた少し意外な表情に、熱斗はやや驚いてキョトンとした様子でダークソウルを見詰め返す。
するとダークソウルはこれまでになかった真っ直ぐな視線で熱斗を見詰め、まるで熱斗を哀れむように静かに、
「どうしてそんなに我慢するんだよ、本当は凄く寂しいのにさ。そんなことしてたら、誰も気付いてくれなくなる……メイルちゃんに忘れられるだろ、熱斗は独りでも大丈夫だって勘違いされてさ。そんなの、“俺”は耐えらんないよ。」
と告げ、再び熱斗を抱き締めた。
その腕の中は最初に触れられた手の冷たさを彷彿とさせるような寒さは無く、熱斗はダークソウルの腕の中を意外にも温かいように感じた。
そして、嗚呼自分はこんな闇の塊の腕の中でさえ温かく思う程に凍えているのかと思い、それが悲しくて一筋の涙を流す。
ダークソウルはそんな熱斗の涙を指で拭ってから熱斗を腕の中から解放し、最初のように少し距離を開けて熱斗と対峙する。
そしてどこか、あるのか無いのか分からない天井を見上げながら、
「……多分、そろそろロックマンに起こされる頃だよな。今日も学校だろ? 言いなよ、寂しかったよ、って。それだけでもメイルちゃんなら気付いてくれるだろうからさ。」
と言うと、そのまま後ろ向きに歩いて背後に渦巻く黒い闇の中に溶けるように消えていってしまった。
熱斗は何か言わなければいけない気がしたが、それが何かは分からず声を出す事が出来ず、その場で脚の力を失って倒れ込んだ。
嗚呼同じだ、この前ダークソウルと対峙して、それが終わって目が覚める時と同じだ、そう感じた熱斗は、現実で目を開く為に一度この空間の中で目を閉じる事を決めた。
目に映る黒の質が変わる、目を閉じている時の質になる、そして何処かから、ダークソウルではない自分を呼ぶ声が聞こえてきて、そして――。
「ね……く……っと……熱斗くん! 朝だよ! 起きて!」
いつも通りの朝の一幕。
熱斗はロックマンの声が遠くから聞こえてきた事に気がつき、再びその目を開いた。
するとその目に映ったものはあの渦巻く黒い闇ではなく、太陽の光に満ちた現実世界で、熱斗は先ほどまでの事は全て夢だったのだと改めて自覚する。
そしてその光に満ちた世界の中で、熱斗は先週ダークソウルに逢った後と同じように強い気だるさを感じ、身体が重いという不調に不満を感じながらもゆっくりと上半身を起こした。
熱斗が上半身を起こした事で二度寝の心配はないと思ったのか、ロックマンが明るい声で挨拶をしてくる。
「おはよう、熱斗くん!」
声のする方を見ると、ロックマンは熱斗が昨日宿題をやっていた机の上に小さなホログラムとして現れており、その横にあるパソコンは電源がついていた。
そしてよく見ると、パソコンの画面の中には昨日熱斗が解かなかった宿題の答えが映されている。
どうやら本当に自分に代わって宿題をやってくれたらしいロックマンを、熱斗は少し驚いてキョトンとした様子で意外だと言いたげに見詰める。
パソコンの横に立っているロックマンの表情がどこか自慢げ、誇らしげに見えるのは気のせい、ではなさそうだ。
「宿題、やっておいたよ! 早く写そう!」
「あ、あぁ、そうだな。」
さぁ褒めて褒めて、と言わんばかりに自信満々のロックマンに促されて、熱斗は机の前の椅子に座り、昨日閉じてそのまま机に置きっぱなしにしていたノートを開く。
ノートを開くとまず、途中まではしっかりやってある宿題の回答と、メールが来てすぐに描いた落書きと言いにくい黒いモヤモヤした何か、それから鉛筆を思い切り突き立てた時の黒い点が目に入る。
熱斗は、そういえば昨日は無茶をやらかしたなぁと思い、近くの引き出しから消しゴムを取り出すと、黒いモヤモヤと黒い点を消し始めた。
そしてその二つを消し終えてからパソコンの画面に視線を映し、ロックマンが解いてくれた宿題を見る。
おそらく熱斗が自分でやるより高いであろう、いや完璧であろう正解率を予想して、熱斗は僅かに苦笑しながら予備の鉛筆を引き出しから取り出し、宿題の答えをノートに写した。
本来こういった問題集は終わりの方になればなるほど難しい問題になって正解率が下がるものだから、今日の自分のノートを見たらまり子は驚くか、もしくはロックマンにやらせた事を見破ってくるだろうと思う。
前者なら今日はラッキーだと思えば良いし、後者ならそれはそれで普通に怒られてこよう。
そんな普通の思考が回るようになった事に、熱斗は気付いているだろうか?
そして、苦笑しながらも大人しく宿題の答えを映した熱斗を見て、ロックマンが僅かに安堵した事を、熱斗は気付いているのだろうか?
おそらく二つとも気付いていない様子の熱斗は宿題を完成させると、そのノートを忘れないようにすぐに鞄に仕舞って席を立った。
「じゃあ俺、ご飯とか洗顔とか色々してくるから。」
ロックマンに一声かけてから、熱斗は部屋のドアに向かって歩き出す。
背後に、ロックマンが明るく、
「行ってらっしゃい!」
という声が聞こえて、熱斗はドアを開ける直前に左手を上げてロックマンに合図を返しておいた。
そして熱斗は右手でドアノブを握り、ドアを開ける。
熱斗はそのドア通り抜けるとゆっくりと丁寧に閉じ、それから階段を下った。
階段を下って廊下に降り立つと、今度はリビングからはる香が料理を含む家事をしている音が聞こえてきた。
食器でも洗っているのだろうか、ザーザーと水が流れる音が聞こえる。
熱斗はそれらを聞いて、正直今は食欲が無いのだけれど、と思いながらもリビングに足を踏み入れ、はる香に声をかけた。
「おはよう、ママ。」
熱斗の声に、キッチンに立って食器や調理器具を洗っているはる香が振り向く。
「あら、おはよう熱斗。朝ご飯そこにあるから食べちゃって。」
振り向いたはる香はリビング内の高いテーブルを指差してそう言うと、すぐに家事に戻っていった。
何事も無く家事に戻るはる香を見て、熱斗は密かに、どうやら自分は今日も普段通りの顔をしているらしい、と思う。
それはありはしないことだと分かっているのだが、あのダークソウルに逢った後はどうしても自分が普段通りの顔を出来ているのかが気になり、あのダークソウルのような陰のある顔や歪な笑みを浮かべていないかどうかが心配になるのだ。
そしてもしもそれが起こっているとしたら、一番に気が付くのははる香かロックマンであろう。
だから、ロックマンにもはる香にも何も言われなかった事で、熱斗は少しだけ安心するのだ。
だがそれでも、自分の中にまだ黒く暗い闇の塊が潜んでいるという事実は、熱斗の行動に僅かな陰を落とす。
熱斗はテーブルの前にある椅子に座ると朝食を摂り始めたが、その箸の進むスピードは普段よりどこか遅く、本当は食欲など無いが食べなければ身体が持たないから無理矢理詰め込んでいるといった様子だ。
パンの焼き加減も目玉焼きの焼き加減もどうでもいい、とりあえず食べる事ができればそれでいい、そんなことより、と、何処か上の空な表情を貼り付けながら、熱斗は夜の間の夢の中でダークソウルに言われた事を思い返し始める。
自分によく似た声で発せられた言葉の数々、それは果たして自分のものではないのか、それとも自分の自分でも気付かない隠れた本音なのか、熱斗には分からない。
ただ、
――言いなよ、寂しかったよ、って。――
ダークソウルの言葉を思い出そうとして、一番最初に浮かんだのは一番最後に言われたその一言だった。
何処かどんよりと覚醒しきらないぼやけた意識の中で、熱斗はトーストを齧りながらそれが意味することを考えようとする。
まず、ダークソウルとは基本的に宿主の陰だ、と言う事を前提にして、宿主の陰は宿主の感情の一部である事を更なる前提として考えてみる。
そうするとあの自分そっくりのダークソウルは自分の陰で、それは自分の感情の一部という事になるのだろう、と熱斗は考えた。
僅かな吐き気――ダークソウルに力を与え続けている自分の感情への嫌悪感を感じながら、熱斗は口の中の物を飲み込む。
ふと気を抜いてしまえば全て吐いてしまうのではないかという気分の悪さを少しでも抑えようと、近くにあるコップを手にとってその中の水を飲み干す。
そしてコップから口を離した時、熱斗は疲れ切った溜息を吐きながら近くの壁にかけてある時計を見た。
時間はまだいくらか残っている、遅刻しないように仕度を終わらせて学校に行くには十分な時間がある、嗚呼それなのに、それなのに今日はメイルに逢えない、それを思い出して熱斗は更に憂鬱な気分になる。
嗚呼もしも、あの時――昨日の朝、自分が寝坊をしていなければ、メイルは今日も自分を見てくれたのかな、と考えると悔しくて、昨日の朝の自分を怨めしく思う気持ちが湧きあがり、それが熱斗に自分自身をを激しく責め立てさせる。
もはや食べている物の味など分からないし知った事ではない、今はただ、悔しくて悲しくてどうしようもない。
いつの間にか熱斗の手は食物を口に運ぶ事を止めて宙に静止し、口の中は食物に水分を奪われたのかそれとも心の渇きを真似ているのか緊張した時のように乾いている。
現実から遠のき始めた意識の中で、ダークソウルの声が反響して聞こえる。
――そんなことしてたら、誰も気付いてくれなくなる……メイルちゃんに忘れられるだろ、熱斗は独りでも大丈夫だって勘違いされてさ。――
そうだ、自分は、一人で、独りで大丈夫なんて事は無い。
熱斗はメイルすら自分を見てくれなくなる状況を考えて、ゾッとするような悪寒を感じた。
今の自分にはメイルしかいないのに、そのメイルにさえ忘れられてしまったら、自分は本当に独りになってしまう。
嫌だ、そんなことは嫌だ、独りになりたくない、メイルに離れられたくない、もう一度この手を繋いであの温かさを感じさせて欲しい。
メイルさえ一緒にいてくれれば、もうそれだけで満足だから、だから――。
――言いなよ、寂しかったよ、って。――
ダークソウルの声がまた頭の中に響いた気がして、熱斗は僅かに目を細め、ぽつりと、
「……言えば、いいのかな……。」
と、呟いた。
その声はあまりに小さすぎて、キッチンで食器を洗い続けるはる香に届く事は無く消えていく。
その後熱斗は徐々にその思考を現実に引き戻し始めたのか、それまで止めていたパンを持つ手の動きを再開させ、数分後には食事を終えてリビングを後にした。
リビングを後にした熱斗が次に向かったのは洗面所で、熱斗は洗面所に入ると洗面台の前に立ち、そこに取り付けられた大きな鏡を見る。
鏡の中の自分は特別嫌な顔もしていないが、特別元気な顔もしておらず、何処かぼんやりと、ほんの僅かにやつれたような顔をしているように見えた。
それは簡単に例えるなら疲れきって夢も希望も無くした中年男性のような雰囲気で、熱斗は自分は何時からこんな表情をするようになったのだろうかと考える。
あの新型ダークロイドとの戦闘での敗北の直後はまだこんな顔をしてはいなかったと思うのだが……それならいつから、何が原因でこんな雰囲気を纏うようになってしまったのだろう、と不思議、また不安に思うも、熱斗にその答えを見つけ出す事はできなかった。
鏡に映る自分に、熱斗は問いかける。
「俺、どうしたらいいのかな……。」
無論、鏡の中の自分が答えてくれる事は無い。
そして熱斗は、遂に鏡に話しかけ始めた自分に情けなさを感じ、小さく苦笑した。
こんな事をして何になるというのだろう? そして自分はどんな返答を期待していたというのだろう? そもそも何故自分ははる香やロックマンに相談できず、代わりに鏡に映る自分の姿になど問いかけているのだろう?
嗚呼この鏡に映る自分があのダークソウルだったなら、もしかして有益な答えを返してくれたのかな、と思いながら、熱斗は蛇口を捻った。
冷たい水が勢い良く流れ出す、その中に熱斗は手を伸ばす。
その水のひんやりとした感覚は、あの夢の中のダークソウルの冷たい両手を思い出させて、熱斗は一瞬だけ眉間にしわを寄せた。
そうして歯磨きと洗顔を済ませた熱斗は一度自室に戻って着替えと時間割も済ませ、鞄を背負いインラインスケートの車輪を左脇に抱えながら玄関のドアを開けた。
その先の視界に飛び込んでくるのは眩しい朝の日差しで、熱斗は僅かに目を細める。
それから、前日に連絡があったのだから当然だが、自分の家の前の道路の何処にもメイルの姿が無い事を確認して、小さく溜息を吐くのであった。
昨日のメールで連絡があった時から知っていた事、覚悟はしていた事だが、やはり“寂しい”。
できる事なら今すぐにでも、ねぇどうして来てくれないの? とメイルに問いかけたい、いや詰め寄りたい。
しかしそんな事はしなくてもその答えは昨日の内にメイルが明確に連絡してきているのだから、その問いかけに意味など無い、価値など無い、そう考えるに至った熱斗はしばらくの間寂しげな表情で自宅の前の道路を見下ろした後、蛇行した階段をゆっくりと下り始めた。
もう、今の日差しが眩しい事をロックマンに伝える気力もない。
学校に今すぐ行きたいようで、全く行きたくないような、メイルに早く逢いたい一方で、メイルが自分以外の誰かと親しげに楽しげに話しているのを見るのが怖いという矛盾が熱斗の心を締め上げる。
だから熱斗は、今日は少しゆっくり学校に向かおうと思って、背負っていた鞄を一度下ろし、その中にインラインスケートの車輪を仕舞い込んでから再び鞄を背負い、ゆっくりと歩き出した。
また、頭の中であの声が反響する。
――言いなよ、寂しかったよ、って。――
もし、もしもだ、もしも自分が本当に、あのダークソウルの言う通り、この寂しいという想いをメイルに伝えたら、メイルは自分に振り向いてくれるのだろうか?
自分に振り向いて、自分に視線を向けて、自分の手を取って共にいてくれる、そんな未来を絵空事から現実に変える事ができるのだろうか?
時間が経って、考えて、今メイルが側にいないという現実を知れば知る程、熱斗の心は揺らいでいく。
闇の塊の言う事などそうそう簡単に信じるべきものではないし、実行するものではないと思う、けれど――確かに、認めたくは無いが、認めざるをえない程、自分は今、“寂しい”。
今自分の視界の中に、自分の側に、メイルはおらず、この手は何も掴む事ができない、その現実が酷く嫌なもので、酷く辛いものなのはもう、どれだけ目を背けようとしても背けきれない事実なのだ。
ゆっくりと学校に向けて歩きながら熱斗は考える、夢の中でダークソウルに反論したように、メイルの自由を完全に奪う様な事はしたくないと思う、それには嫌われる恐怖が付きまとう、けれど、今メイルは何をしているのか、メールに書かれていたようにやいとやデカオ達と共に登校しているのか、そしてその中で何を話し何を楽しんでいるのかと考えると、気が狂いそうになるのは事実だ、と。
歩くスピードは普段より格段に遅いものなのに、心臓は妙な程早い鼓動を刻み続け、呼吸は浅く早いものになる。
苦しい、と熱斗は感じた。
メイルの事を考えれば考える程体は不調を訴える、これ以上考えるなと警鐘を鳴らす、けれど熱斗の思考はそれでも尚、メイルの事を想い続ける。
メイルに逢いたい、メイルと話したい、メイルと手を繋いで歩きたい、メイルの傍にいたい、メイルに傍にいて欲しい、メイル――とにかくメイルの事を沢山考えながら、熱斗は漠然と、呆然と、意思など無い人形のように黙々と淡々と通学路を歩いた。
そして何分間が過ぎた頃だろうか、熱斗は遅刻ではないが特別早くもないという至って普通の時間帯に学校へ到着した。
警備員が見守る正門を通り過ぎ、校庭の真ん中を歩いて昇降口へ向かう。
その途中、熱斗はようやく周囲の様子を気にするようになり、頻繁に辺りを見回してメイル、またデカオ達の姿を探したが、熱斗の僅かな期待とは反対に、それらの姿が見つかる事は無かった。
きっとまた、自分より早く登校して何処かに集まっておしゃべりでもしているのだろう、そう思うと気分が酷く落ち込んで、これ以上脚を進めたくないどころか、今すぐ走って自宅に戻りたくなってくる。
熱斗は進む事を拒もうとする思考と両足を必死に抑えつけて、少し無理矢理な、やっとの思いで昇降口の中に入った。
案の定というべきか、やはりというべきか、其処にもメイル達の姿は無い。
ああこれはいよいよ昨日と同じだ、昨日も見たあの嫌な光景を、自分はまた見せられるのか、と気分が重くなった熱斗は小さな溜息を吐く。
その溜息を聞きつけたのか、ロックマンが肩の上に現実世界の様子を見にやって来た。
「どうしたの? 早く教室に行こうよ。」
不思議なものを見るような、それでいて透き通ってキラキラとした黄緑色の瞳と視線が合って、急に今自分がどんな顔をしているというのか不安になった熱斗は、ロックマンに向けた視線を即座に前方へ向け直す。
そして、やや長い空白を挟んでから、
「……あぁ、そうだな。」
と返すと、階段に向けて歩きだした。
六年生の階へと続く階段を一段一段ゆっくりと登る。
それは足腰の弱った老人のごとくのろのろと遅く、息が切れるような登り方は全くしていなかったが、熱斗は何故か心臓が苦しくなるのを感じていた。
一段、また一段と上る度、六年生の教室のある階へと近付いて、その度に心臓は理由の分からない悲鳴を上げる。
嗚呼、どうしてこんなにも苦しいのだろう、そう思いながら階段を上りきった時、熱斗はその苦しみの意味に気付いた。
六年A組の教室、その中から聞こえるざわつき、その中でメイルはどうしているのだろうと表層意識で考えた時、熱斗はそれまでで一番心臓のあたりが締め上げられるような苦しみを感じたのだ。
そう、熱斗は階段を上る度、メイルがいるであろう場所に近付いている事を半分無意識に意識し始め、そこから生まれる緊張――メイルは今どうしているのだろう、自分と話してくれるだろうか、それともデカオ達としか話さないのだろうか、という数々の不安に苛まれていたのだ。
そして、表層意識の全てで考え始めてしまったならもう止められない、溢れ出る不安は熱斗を更に締め付け、身体の不調としてその苦しみを熱斗に伝える。
熱斗はそれを少しだけでもいいから解消して、それから教室に入ろうと思い、教室の扉の近くに立つと、小さくだが深呼吸を行った。
ほんの僅かにだが、それまでの締め付けが緩まる。
精神の緊張は解けないが、身体の緊張は僅かに解ける。
熱斗はそれが再び強まらない内に、と思いつつ、扉を開いて教室に入った。
教室に入った熱斗はまず、一番に自分の席とその隣の席を見た。
自分の席が空席なのは当たり前だからいいとして、問題はその隣の席である。
教室に入る前、熱斗はどうか自分の隣が空席出ない事を祈っていた、だが、残念ながら自分の机と同時に見えたメイルの机は空席で、熱斗は落胆の溜息を零す。
やはりメイルはデカオかやいと、またはそれら両方と一緒、もしくは透も含めた三人と一緒に何処か別の場所でおしゃべりでもしているのか、そう考えながら熱斗は教室を見回した。
すると、昨日とほぼ同じ場所、教室の後方窓際の隅にメイルの姿が見えた。
デカオとやいとも一緒にいる。
デカオとやいとは丁度教室の隅を見るような向きで立っており、熱斗に背を向けている為か、熱斗に気付いた様子は無い。
それは熱斗も普通の事だと思う、まぁ仕方がない事だと思える、しかし、教室の隅に背中を預けてデカオとやいとが立っている場所を見ているメイルも熱斗に気付いていないようである事に、熱斗は言いようのない不快感を覚えた。
デカオとやいとから熱斗が見えないのはどう考えても当たり前なのは分かっても良い、二人は教室の隅を、そこに立つメイルだけを見ているのだから仕方がない、だが、そんな二人を教室の隅から見るメイルの視界には、熱斗が映っていたとしてもおかしくは無い。
それなのにおしゃべりに夢中になってデカオとやいとしか見えていない様子のメイルを見る、熱斗のその視線は、大きな落胆と僅かな怒りを宿している。
熱斗はしばし教室の入り口――丁度メイルのいる場所から対角線が結べる位置でそれを観察した後、静かに歩きだし、自分の席に着いた。
そしてそこから教室の後方隅へと振り向いてみるものの、まだメイルは気付かない。
どうして、という想いが熱斗の中に浮かび上がる。
そして、
――やっぱり、メイルちゃんにも忘れられちゃうの? 俺……そんなの……。――
と、一際悲観的な感情が脳裏を過った、その時、
「言えばいいんだよ、寂しいって。」
頭の中に声が響いて、熱斗の視界は急に真っ暗になった。
急激な視界の変化に、熱斗は思わず驚きの声を漏らす。
「え、なんだよ、これ!!」
一瞬にして目の前が真っ暗になった事で熱斗は、まさか自分は一瞬にして失明したとでもいうのか、と焦り、それまで下げていた手を上に上げ、その手の方向を見詰めた。
するとなんと、背景が真っ暗なのは変わらないというのに、その手を視界の中に見つける事ができた。
あれ、これってまさか……と思った時、熱斗は自分が椅子に座っておらず、何処か固い床の上に立っている事に気が付く。
黒い世界、固い床、唯一見える自分の身体、それらのワードから熱斗は、今この状況が昨日や数週間前に見た夢と同じ状況である事に気が付く。
熱斗は、自分はまたダークソウルに逢いに来てしまったというのか、と焦ると同時に悔しく思い、唇を噛んだ、が、次の瞬間ある疑問点に気が付く。
「あれっ、でも俺、今起きてて……」
それまで熱斗がダークソウルのいる世界を見るのは眠っている時だけで、起きて行動している時にダークソウルの声が聞こえる事や、この世界に意識が飛ばされる事は無かった。
所詮は夢の中でしかあり得なかった出来事が、今、夢を見る筈の無い状況で起こっている事に、熱斗はただならぬ不安と恐怖、焦りを感じる。
一体、何が起こって自分の意識は此処に飛ばされたというのか、焦る熱斗に、背後から声が掛けられる。
「よう、熱斗。今自分が此処にいるのが不思議か?」
それは熱斗自身の声によく似た声、つまりダークソウルの声で、熱斗は驚いて背後へ振り返る。
振り返った先のダークソウルは相変わらず何かを面白がるような、それでいて無邪気とは言えない笑みを浮かべていて、熱斗は不安と焦りで支配される心の隅に僅かな苛立ちを感じた。
するとダークソウルは熱斗の表情からそれを感じとったのか、それともいつものように熱斗の心の中を読み取ったのか、それは分からないがニヤニヤと笑いながら、
「まぁまぁ、そんなに怒るなって。」
などと言ってくる。
ダークソウルのそんな態度が一々自分の気に障っている事を、ダークソウルは分かっているのだろうか? と熱斗はやや疑問に思ったが、どうせコイツの事だから、そんな事もお見通しなんだろうなとある種の諦めにも似た答えを即座に出した。
それに今は、そんな事よりも大切な事がある。
それは、
「……どうして今、お前に逢ってる?」
という事だ。
先ほどまではメイルの事を気にして上がっていた心拍数が、今度はダークソウルとの対面の理由を不安に思う事で上がる。
右手に僅かに入る不自然な力は、その不安を打ち消そうと熱斗が無意識に必死になっている故か。
とにかく、このダークソウルの関連で自分にとって良い事など一つもないだろうと思っている熱斗は、ダークソウルへの警戒心を新たにし、その紅い両目を茶色の両目で見詰め返す。
するとダークソウルは小さく笑ってから、
「俺は熱斗のダークソウル、つまり熱斗の心の一部なんだから、熱斗の感情次第で強くなるのはあたりまえだろ?」
と言った。
それを聴いた熱斗は、またダークソウルが自分の心の陰を餌に成長していた事に対しての不快感と、しかしながらその餌を増やしていたのは他ならぬ自分自身であるという悔しさが同時に込み上げ、両手に更に力が入るのを感じた。
正直、殴りかかりたい。
今すぐにでも殴りかかって、絞め殺すか嬲り殺すか、方法は何でもいいがあのダークソウルを殺して消して、全てを無かった事にしたいと思う。
けれど、あれは人間じゃない、人間の意識の形の一つという形無き形であり、生き物ではないのだという事実から、多分そんな方法ではあのダークソウルは消せないであろう事は、熱斗にもある程度予想できた。
それどころか、もしかしたらダークソウルは、熱斗が放つダークソウルへの怒り、憎しみ、嫌悪すら餌にするかもしれない、そう思った熱斗は自分に落ち着くよう言い聞かせ、徐々に両腕から力を抜く。
「そうそう、どうせ熱斗の思い付いたような方法じゃ、俺は殺せないしな。」
ダークソウルの明らかに熱斗の内面を読み取った上に勝ち誇った台詞が熱斗の神経を逆撫でして、熱斗はダークソウルをキッと睨みつけたが、ダークソウルはそんな事は知った事ではないとでもいうかのように話を続けた。
「それより、今大切なのはメイルちゃんの事だろ?」
ダークソウルがメイルの事を話題に上げたその瞬間、それまでダークソウルに殴りかかれるように少し後ろに引かれていた熱斗の腕がピクリと動き、目も一瞬だけ驚いた様に見開かれた。
そうだ、此処に来る前に考えていた事はなんだ、と熱斗は自問し、それはメイルの事だ、という自答を出す。
そしてそこに至ってようやく、自分の持つメイルへの様々な感情、とりわけ悲しみや寂しさ、そしてその存在の渇望がダークソウルの餌となっている事に気が付いた。
大切な人を思えば思う程ダークソウルが強くなるなんて、そんなのあんまりだ、と熱斗は酷い衝撃を受ける。
そうして焦りや不安だけでなく、悲しみや後悔も混ざりはじめた表情を見せて固まる熱斗へ、ダークソウルは言う。
「で、熱斗は寂しいって言うの? 言わないの? どうしたいの?」
ニヤニヤと楽しそうな笑顔で訊いてきたダークソウルを、熱斗は口を閉ざしたまま悔しそうに、しかし縋るように見詰めた。
熱斗の中で、二つの考えがぶつかり合う。
ダークソウルが言うようにメイルにこの寂しさを打ち明けるべきだと後押しする自分が一人と、この寂しさはダークソウルの餌であり唾棄すべき感情であるのだから告げてはいけないと必死になる自分が一人、合計二人の自分が熱斗の中で言い争い続けている、そんなイメージだ。
ただ、ほんの僅かに前者の自分の方が力を持っている気がするのは何故だろう、と熱斗は思う。
言いたい、メイルに寂しいと言いたい、傍にいてくれと言いたい、もう言葉は喉の奥まで溢れかかっている、それを感じて、熱斗は何とも苦い思いがこみ上げるのを感じた。
言いたい、けれどまだ言えない、どうしたらいいのか分からない、助けて欲しい、けれど助けてくれる人などいない、デカオややいと、ロックマンには打ち明けられない、はる香や祐一朗にだってそうだ、だからもし、言えるとするなら――。
「……言ったら、メイルちゃんは傍にいてくれるの……?」
先ほどまでの悔しそうで好戦的な視線は何処へやら、気が付けば熱斗は最後の希望に縋るような視線でダークソウルを見詰め、ぽつりとそう口にしていた。
デカオややいと、ロックマンやはる香や祐一朗には言えないし、メイル本人になど言える訳もない言葉は、自然と自分の中の自分――熱斗の中の陰――ダークソウルのもとへと行きついたらしい。
お願い、否定しないで、とでも言いたげな不安に揺れた表情でダークソウルを見詰める熱斗、その熱斗に見詰められるダークソウルの表情から徐々に笑顔が消える。
え、何? 俺は何か変な事を言ったの? と更に不安になる熱斗のその不安を煽る様に、ダークソウルは何処か悲しげな表情を見せ、いつもの自信に満ち溢れた声ではなく、何かを心配するような、何処か落胆と諦めの滲んだ声で、
「どうだろうな……。」
と言葉を濁した。
無意識の内に、このダークソウルなら自然に背中を押してくれるかもしれない、と思い始めていた熱斗に衝撃が走る。
どうしてダークソウルは自分の本体を不安にさせるような事を言うんだろう、寂しいのなら寂しいと言えと言ったのは間違いなくこのダークソウルなのに今更何を言っているのだろう、熱斗には分からない。