僕等の答え

今までの生活に静かな別れを告げて家を飛び出し、登校時にもよく使っているインラインスケートでたいして遠くも無い道を駆け抜ける。
自分の家の周囲とあまり変わらない風景の道を少しの間走ると、すぐにメイルの家が見えてきた。
このくらいの距離は、普通に自分の足で走ったとしても何でもない――身体に異常など出ないはずなのに、今日はなんだか異常に息が切れている、その事実に気付いて熱斗は軽く苦笑、いや、自嘲する。
やはり分かっている、間違っている事ぐらい分かっている、この緊張感はこの行動の成功を祈るものではない、むしろ失敗を祈っているのだと分かっている、けれど――もう引き返さない、絶対に成功させて、この身体も心も落ち着かせてみせるのだ、と考えながら、熱斗はメイルの家の玄関の前に立った。
自分の家と同じか少し豪華な程度の綺麗な桃色の家。
靴からインラインスケートの車輪を外し、呼吸を整えてから、熱斗は家の中に来客を知らせるインターホンを静かに押す。

「はーい。……あ、熱斗! いらっしゃい!」

ピンポーン、というありふれた擬音で表せる音の後、スピーカーからメイルの声がしてきた。
外側にこそモニターは無いが内側にはモニターのあるそのインターホンは、熱斗が何か言葉を発するよりも先に、その来客が熱斗である事をメイルに伝えていたのだ。
メイルの相変わらず無邪気で元気な声に、また少しだけ胸が痛む。
だが熱斗はそれを抑えつけて、表面的には普通の微笑を作って見せた。
PETの中ではロックマンが、相変わらずの無表情を湛えている。

「今開けるから、少し待っててね!」

熱斗の微笑に同調でもしているつもりなのか、メイルはとても楽しそうな笑顔でそう言ってからインターホンのモニターを切り、パタパタと小さく駆けて玄関へ向かう。
その小さな騒音すら愛しくて、ドアの外の熱斗は苦しみとは別の感覚が背筋を駆け抜けるのを感じた。
胸の痛みが取れていく、そしてその胸から湧き上がるように感じるこのどうしようもなく強い、身体を突き上げるようなこの想いは、想いは――。

そんな事を考えていると、ガチャリとこれまたありふれた音を立てて、玄関のドアが開かれて、中から普段通りの格好をしたメイルが普段通りの様子で出てきた。

「熱斗、おまたせ!」

その何気ない声一つで、熱斗はどうしようもない喜び――愛しさにその意識を奪われて、他の全て――友達を、戦友を、家族をも忘れ去ってしまうのだ。
特に今日はそれが激しく、熱斗は玄関から出てきたメイルへほぼ反射的に抱き付いて、もう決して離すまいとでも言うかのように強く抱きしめていた。
この体温が、服越しの感触が、彼女だけの匂いが、全てが愛しくて、その全てを手にしたくて、嗚呼、今自分は、幸せを感じていると思う。
そんな突然の出来事に、メイルは驚きと困惑の声を漏らす。

「えっ、ちょっと、熱斗? ど、どうしたのいきなり……。」

自分でもほぼ無意識にとっていた行動にメイルの声で気付いて、熱斗はさすがにハッとしてその腕を離した。
そう、今はまだその段階ではない、また後で、今度こそ、永遠に離れないような深さで抱きしめて伝える時が来る、だから今は待てと、自分に言い聞かせ、逸る想いを落ち着かせるように一呼吸を置いてから、メイルの正面に立ち直す。
メイルの顔を見ると、何がどうしてそうなったのか分からないと言いたげな、キョトンとした表情をしている。
あぁ、これは少し失敗したかも、と思った熱斗は、即座に謝る事にする。

「あ、ご、ごめん、なんかその、メイルちゃんに逢えたのが嬉しくて……驚かせてごめん。その、悪気はないんで……許してくれます?」

そして、少しおどけた様子を見せながら弁解してみた。
その言い訳であり本心である言葉を聴いてメイルはどう感じたのか、少し不安になりながらその表情を窺うと、メイルは少し納得がいかなそうな顔をしているものの、明らかな拒絶は無かったのか、すぐに笑顔になってくれて、

「もう、仕方ないわねー……いいわ、許してあげる。」

と、溜息混じりに笑いかけてくれた。
メイルからしたら特に大した事はなかったであろうその許しが、熱斗には天にも昇るようなと言うべきか、これ以上が何処にあるのかと訊きたくなるような安堵と喜びになる。
もはや作り笑いの必要など無く、熱斗はさも自然に笑って礼を言う。

「ありがとな、メイルちゃん。」

するとメイルもそんな熱斗の態度に安堵したのか、一層深く優しい笑顔を見せてくれた。
その笑顔も熱斗の想いを一層強く、深く、激しくしている事を、メイルはまだ知らない。

しかしそれでも、メイルはこの一連の流れに、やはり多少の違和感をもってはいた。
朝早くからの連絡、掃除という面倒事を手伝う条件を付けてまでの早い訪問、どうしようもなく不安げなあの重い表情、そして対面した直後の抱擁――全てが全て、今までの熱斗には無かったと言っても過言ではない行動だったからだ。
もっとも、熱斗から言わせれば、不安な表情についてはメイルの居ない場所に限れば前々から何度もしてきたものだ、というものなのだが。

そんな違和感を持ちながらも、それでもまだその違和感の理由に気付かないメイルは、じゃあ立ち話もなんだから、と言いながら熱斗を家の中に招き入れた。
メイルが部屋の中に戻って行くのを追いかけて、熱斗も玄関の――外と内(なか)を繋ぐ一線を越える。
メイルに連絡を入れる事、自分の部屋と家を出る事に続く条件をクリアした熱斗の脳裏に、あと少しで――という言葉が浮かぶ。
胸の圧迫感は徐々にその理由を変え、メイルの傍にいられる喜びは、これからしようとしている事は間違っている、早く引き返さなければいけないのだと思う自分を萎縮させ、消失させていく。
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