あの子の足元にも影はある
メイルのその言葉で、やいと達はおそらく外の様子――自分達四人の事以外の事など知った事ではなかった、と悟った時、熱斗の中で何かが壊れ、破れ、溢れだした。
自分は外に流れる風景と同じだ、そう感じ始めていた熱斗は、やいとやメイルの外の風景や状態に興味を示さない言葉に、まるで自分が否定されているような不快感を感じたのだ。
もはや言っていいのか悪いのかなどと考える暇などなく、攻撃的な言葉が口を突いて出てしまう。
「そうだよ、道は空いてたよ。」
僅かに下を向き、ふと立ち止まって、熱斗はそう言っていた。
先ほどまで黙っていた熱斗がいきなり口を開いた事に驚いて、四人が一斉に振り向く。
それを確認した熱斗は僅かに口の端を釣り上げた。
嗚呼今、四人は自分の話を聴いている、自分の存在が四人の中に焼き付いている、どんな形であれ、それが嬉しい。
例え、それが、傷跡になるかもしれないとしても。
「ついでに言うと、信号もあんまり引っかかって無かったしな。俺、全部見てたから。」
顔は笑っているのに声が笑っていないという熱斗のただならぬ様子に、四人の友人たちは立ち止まってから困ったように顔を見合わせ、それからもう一度熱斗に視線を向け直した。
それを見て熱斗は、心の中でざまぁみろと強く思い、これ以上ない程高らかに笑いだしたい気分になった。
そう、自分は全部見ていたのだ、外の景色も、道が空いていた事も、信号に引っかからなかった事も、そして何より、四人がそれらに一度も目を向けず、一心不乱にゲームの話に熱中していた事も、全て。
だから、
「なんで四人とも知らないんだよ? ちょっと外を見れば分かる事だったぜ? それとも――」
そんなことも解らないぐらい自分たちの世界に入り込んでたのかよ? 俺の事も見えなくなるぐらい、と、言おうとした、その瞬間、
「熱斗くん!」
熱斗のただならぬ気配を察してなのか、ロックマンが突然PETの中から大きな声で熱斗を呼んだ。
それに驚いて、四人の表情が、そして熱斗の表情が、えっ? と言いたげな物に変わる。
そして熱斗は、それまでの思考が一時的に途切れ、その思考の黒さ、重さ、卑劣さ、薄汚さに改めて気付き、自分の言動への恐怖を感じた。
――今、俺、何を言おうと……!――
自分は一体どんな想いで何を口走ろうとしていたというのだろう、こんな事では四人に嫌われてしまう、そんな危機を感じた熱斗は焦ってそれまでの言動を取り繕うと必死に新たな言葉を探す、が、
「そ、それとも、それとも……え、えっと……」
それとも、の後につなげられそうな言葉は、何一つ思い付きはしなかった。
熱斗はただ、先ほどの威圧感に満ちた態度とは反対に呆然と立ち尽くしつつ、伝えたい事が決まらず何を伝えたいのかも分からないというのに必死に手を動かして何かを伝えようとし、それに失敗し、えっと、あっと、と繰り返しては言葉に詰まり、遂には下を向いたまま黙り込んでしまう。
どうしてこんなことになってしまったのだろう、という言葉が熱斗の脳裏に浮かび上がる。
そしてその自問には、お前のせいだよ、という自答が何処からか返ってきて、それを真実なのだろうと思った熱斗は小さな声でぽつりと、四人へ向けて謝る。
「……ごめん。」
突然の謝罪に、四人はまた顔を見合わせた。
謝罪をした当人である熱斗は先ほどの事を失態と思っており、これは謝罪するに値する行為だと思っているのだが、それを聞かされていた四人はその理由こそ分からなかったものの、理由が分からないからこそそれが謝罪に値するものだとは思っていなかったのだ。
四人は、熱斗がどうして謝罪などしているのかが分からず顔を見合わせ、それからゆっくりと熱斗に視線を向けた。
その視線に込められていたのは少なくとも攻撃性ではなく、大きな疑問と僅かな不安だったのだが、熱斗はそれを何故か自分を責める視線だと感じて恐怖し、その身を強張らせた。
四人はきっと自分を許してはくれない、今四人は自分に対して憤りを感じている、そんな勘違いを起こした熱斗はうつむいたまま立ち尽くすだけで何もできなくなる。
怖い、怖い、怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い……四人が今何を想って自分を見ているのか、それを考えるだけで恐怖が頭の天辺から足の指の先まで余すことなく支配する。
そんな見えない恐怖に怯えてかたまる熱斗へ、先ほど車に乗る前のようにしびれを切らしたやいとが声をかける。
「もう、なにがどうなってるのかわからないけど、とにかく秘密基地まで行きましょ! こんな所で立ち話もなんでしょ!」
そう言ってやいとはくるりと軽く秘密基地へ振りかえり、熱斗に背を向け歩き出した。
メイルとデカオと透はそれを見てからもう一度困ったように顔を見合わせたが、だからと言って熱斗にかける言葉も見つからないからなのか、透、デカオ、メイルの順でゆっくりと歩き出した。
恐怖にその身を強張らせた熱斗だけが、その場に取り残される。
気を抜けば膝がガクンと折れてその場に座り込んでしまいそうな虚脱感が熱斗を襲う。
何か全てが終わったような、絶望にも似た諦めが走り抜ける。
嗚呼きっと、四人は自分に呆れている、そんな恐怖――いやもはや諦めが浮かび上がって、その足を動かして四人の背中を追う事を躊躇わせるのだ。
しかしその一方で、そんな諦めを抱きつつも諦めきれない四人への渇望が、例えば、今自分が足を進める事を完全にやめて此処でただ棒立ちになる事だけを続けたとしたら、四人の中の誰かがそれに気付いて立ち止まり、自分の所まで戻ってきて、熱斗も一緒に行こう? と誘ってくれるのではないか、という歪な期待をふつふつと小さく湧き上がらせる。
本当は諦めたくなんか無い、いくら謝ったって構わない、地に手足を、顔を着けて謝ることだって辞さないから、どうか自分に振り向いて、どうかこの手を掴んでほしい。
そんな諦めの悪さと、もう過ぎた事は何をどうしても取り繕う事は出来ないから、四人の中に生まれたであろう自分への不信感や不快感は拭えないから諦めてしまえ、という、一種の潔さすら兼ね備えた諦めが一つの意識の中に混在する。
心が、二つに引き裂けそうだ。
苦しい。
「……熱斗くん、みんな行っちゃうよ……?」
そうしていつの間にか意識が、思考が、現実から剥離し始めていた熱斗を現実に引き戻したのは、ロックマンの何処か不安げで少し弱い疑問文の声だった。
ロックマンは先ほど熱斗と四人の会話を無理矢理遮った事を気にしているのか、肩の上には出てきていない。
そう言えば前にもロックマンがこんなふうにPETの中から不安げな声をかけてきた事があったような、と思いつつ、熱斗はようやくその意識を現実に向けた。
四人と自分の距離が物理的に随分開いてしまっている、という現実に。
そうだ、早く追いかけないと、ただでさえ開いた距離が余計に開いてしまう、物理的な距離でさえ埋められない程広い物になってしまう、そんな不安に突き動かされ、熱斗はゆっくりではあったがその足を進める事を選び、四人の後を追い始める。
待って、置いて行かないで、という声は、なんとかギリギリで飲み込んでおいた。
結局四人とはずいぶん距離が開いてしまったが、それでも熱斗は足を止める事をせず歩き、なんとか秘密基地までたどり着いた。
梯子をのぼり、その先で開いたままの扉をくぐると、見なれているはずの光景が目に飛び込んでくる。
一見木造なのに実は中にハイテク機器を隠した壁は、今は木造の姿の方を見せていて、壁には普通の家庭にあるハイビジョンテレビよりも更に大きな巨大モニターがあり、その近くでやいととデカオが何やらゲーム機らしきものやそのコードを弄っており、メイルと透は近くのソファーに腰掛けている。
たった二日、自分が此処に来なかった期間はたった二日だけだというのに、熱斗はその光景全てに異様な程の懐かしさを感じた。
どうしてこんなにも懐かしいのだろう、と不思議に思いながら、熱斗はゆっくりと室内へ足を進め、大型ソファーの端に腰かける。
隣を見ると、人一人分空けた先で、メイルと透が隣り合って座り、ゲームの話題に興じていた。
前を見ると、やいととデカオはまだ巨大モニターの前でゲーム機を弄っている。
どうやら、コントローラーの配線に時間がかかっているようだ。
ふと、自分は何をしに此処へ来たのだったか、という疑問が熱斗の脳裏をよぎる。
やいともデカオも、メイルも透も、それぞれそれなりにする事があるのに、自分だけは何もする事が無い、その事実に熱斗は気付いてしまったのだ。
だから、もしも自分が炎山だったら、こんな時はIPCの仕事の資料にでも目を通すのかな、などと思いながら、熱斗は普段なら自分からは決してやろうとしない宿題に手を付ける気になった。
本当に、それぐらいしかする事が無いのだ。
肩に着けたPETを外し、今出されている宿題の中からPETだけでもできる分を探し出し、展開する。
PETの画面はタッチスクリーンと化し、その上には黄緑色の立体画面が宿題の説明及び本文を表示する。
まさか自分がロックマンに何か言われた訳でもないのに宿題をする日が来るなんて、と、熱斗は少し驚くような、そして悲しいような、胸の中を冷たい風が吹き抜けていくような乾いた感覚に見舞われた。
嗚呼、今此処に居る者は誰も、光 熱斗の事など気に留めていない、それが酷く寂しい。
そうして特別集中する訳でもなく、ただやる事が無いからと仕方なしに宿題を進めていると、やいととデカオの歓喜の声が聞こえてきた。
「よしっ! これで準備OKよ!」
「やったぜ! 早くやろうぜ!!」
どうやらゲームの準備が完了したらしい。
ハイテクにあふれたやいとの家では珍しく準備に時間がかかったのは、今回テストする物が一般的な家庭用ゲーム機でハイテクとは少し離れた所にあるせいのようだ。
大型モニターの前には、熱斗の家にもあるような小ぢんまりとした据え置きのゲーム機があり、コントローラーは今回は一本だけ繋がれている。
ふと、今回プレイするのはデカオだけだというのにどうやって複数の人間で楽しもうというのだろう? という疑問が熱斗の脳裏をよぎったが、それは四人の様子を見てすぐに消えることとなる。
やいとがモニターの前ですこし格好をつけながらゲーム機の電源を入れると大画面にGABGOM社のロゴが表示され、つづいて『Bio Hunter』というゲームのタイトルロゴが現れ、その下に『通常プレイ』『連携プレイ』『対戦プレイ』と書かれたコマンドが表示された。
デカオはソファーに座ってコントローラーを握ると素早く『通常プレイ』を選択し、続いて現れた『ニューゲーム』と『コンテニュー』の『ニューゲーム』を選択する。
ゲームのプロローグが画面に流れ始めた。
教室に居た時からこのゲームをプレイする気満々だったデカオは興奮した様子で身を乗り出す。
「おお! 対戦プレイの時より数倍迫力あるぜ!」
「でしょー?」
興奮したデカオにやいとが自慢げに胸を張って見せる。
熱斗は、別にこのゲームにはやいとは関わっていなさそうなのだが、自分の親の会社というだけでだけで誇らしいのだろうか、等とぼんやり思いながらそのプロローグ画面を特に大した感想も抱かないまま眺めていた。
そしてふと、メイルと透の様子が気になって隣を見る。
やはり人一人分開いて座ったままのメイルと透はデカオに比べれば大人しいものの、それでもしっかりとゲームのプロローグ画面を楽しんでいる。
それも、教室ではこのゲームを怖いと評していたメイルまでもがである。
少し理不尽な想いだとは分かるが、それでも熱斗はそんなメイルに、裏切り者、と思う事を止める事は出来なかった。
メイルぐらいは自分と同じぐらい、このゲームに興味が薄いと思って――期待していた熱斗は、誰にも分からない程度に小さく、落胆の溜息を吐くのだった。
そうこうしているうちに、ゲーム画面は進んでいく。
そしてゲームはプロローグのムービーを終え、いよいよ実際のプレイモードへと移行した。
「あ、デカオくん、そこにハンドガンの弾があるよ! 拾って!」
いつもは温泉以外ではそこまで熱くならない透までもが、まるで自分がプレイしているかのように熱くなっている。
そう言えば教室でメイルとデカオとやいとの三人が、透は凄かった、と話しているのを聞いたなぁ、等と、熱斗はぼんやりと思い出す。
と、いきなりメイルが叫ぶ。
「デカオくん! 向こうからゾンビが!」
「おうっ、任せろ!!」
デカオはメイルの言葉に答えるかのようにプレイヤーキャラを操作し、物影から出てきた敵のゾンビをハンドガンという装備で打ち抜いた。
メイルと透、やいとが、おぉ凄い、と感嘆する。
その時だった、熱斗の脳裏に、ある光景がよみがえったのは。
ダークロイドとの戦闘に破れて負傷した後の入院、そこから退院してすぐの午後、少しでも早く皆に会いたくてかけた電話のその先で見かけた四人の姿と、今の四人の姿が重なる。
デカオはコントローラーばかりを気にし、やいとと透はゲームの中での協力方法を語り合い、メイルはそんな三人の為に時計ばかりを気にしていて、自分――熱斗の事など気にしていなかった。
それが今、改めて肉眼で見れるように再現されている、そんな気がして、熱斗の心臓は軋むような息苦しさを生み出し始める。
自分はまた、この四人の中に混ざれないのだろうか?
そんな不安が熱斗の全身に軽い痺れとなって駆け抜ける。
「あっ、デカオくん向こうにショットガンが!」
「デカオ!横から来るわよ!」
「わぁ、相変わらず怖いぐらいの良いグラフィックね!」
「うおおお! 面白くなってきたぜぇぇぇええ!!」
透とやいとがデカオに指示する声、メイルの感嘆の声、デカオの興奮した声、それら全てが右から左、左から右、だけど中央に集まってその内部で反響する、そんな滅茶苦茶な感覚が熱斗を襲う。
そして熱斗はふと気が付くのであった。
自分が見ているのは、ゲームなんかではない、と。
「……。」
それからしばらくの間、熱斗は一言も話さずにただただゲームを、いや、ゲームとゲームをする四人の姿を眺めていたが、やがて何かが途切れたのか、無言のままゆっくりと立ち上がった。
これにはさすがの四人も全く気付かない訳にはいかなかったのか、メイルが熱斗へ振り向いて尋ねる。
「熱斗? どうしたの?」
「……。」
熱斗はしばし沈黙したままだったが、やがてゆっくりと口を開いた。
「……ゴメン、俺、なんか体調悪くて……帰るよ。」
多分、ただの嘘ではなかったと思う、と熱斗は後に自分へ言い訳をする事になる。
事実、心臓は相変わらず軋みつつも高なっていて、身体の中を血液が回っている事が自覚できるような不思議な感覚が収まらず、それらの感覚が負担になっているのか、熱斗は僅かに吐き気を感じていた。
だから、体調が悪いというのはあながち間違いではない、が、熱斗自身も分かっているのだ、その体調不良が、本当に身体の調子が悪いからの体調不良ではなく、精神のバランスが崩れかけている故の体調不良である事を。
それでも、それをそのまま口に出す訳にはいかず、更にはそれを自分で信じたくなかった熱斗は、無難に普通の体調不良を理由にした。
メイルは不思議そうな、しかし不安そうな表情でそれを見ている。
その真っ直ぐな視線が、更に熱斗の体調不良とやらを悪化させている事に、メイルは気付かない。
熱斗はそれだけいうと挨拶もせずにそのままソファーを離れ、外につながる扉に手をかけた。
途中、透がメイルに、熱斗くんどうしたの? などと訊く声がしたが、熱斗はそれを無視して扉を開ける。
デカオとやいとは、最後まで熱斗を気にしてはくれなかった。
そして熱斗は開いた扉から外に出て、そのすぐ下に繋がる梯子をゆっくりと降りる。
一瞬、このままこの高さから手を離して落下したなら、誰か一人ぐらいは自分を本当に心配してくれるだろうかと思い、このまま手を離して梯子から落ちてしまおうかと思ったが、それではまるで自殺志願者臭いじゃないかと思い直し、その考えを捨てた。
梯子を下りて地面に足を着ける。
そして熱斗は、ゆっくりと、本当に体を気遣うかのように静かに、本当にゆっくりと、そこから離れる事を惜しむかのように徐々に歩きだした。
PETの中のロックマンは、何も言わず、何もせず、ただ静かにしていてくれた。
それからどれくらいの時間が経っただろう、熱斗はのろのろと歩いて自宅へたどり着き、脱力した様子で手を洗い、空回りしてもおかしくない程に働いていた心臓と頭を休めるかのようにリビングで休み、身体にまとわりつく倦怠感を洗い流すかのようにシャワーを浴び、淡々と夕食を済ませ、歯磨きを済ませ、宿題を済ませ、気付けば時刻は午後十時二十分となっていた。
宿題を済ませた熱斗は、沈んだ気持ちでそのファイルを保存し、プリント類で出されたアナログな宿題は学校に持っていく鞄の中に仕舞う。
ふと、どうして、という思いが熱斗の脳裏を過る。
どうして、朝はあんなにも希望にあふれていたのに、時間が経てば経つ程それは小さく弱くなって、最後には無くなってしまうのだろう。
朝起きてすぐの元気な自分を思い出して、今の疲れきって何のやる気も失った自分と比較しては、熱斗は更に憂鬱な気分へと沈む。
はぁ……と大きな溜息を吐きながら、熱斗はパソコン机用の椅子から立ち上がり、クローゼットへと手をかけた。
今日はもう、寝てしまおう、明日に備えよう、そう思ってパジャマを取り出す。
そしてパジャマをベッドの上へ放り投げようとした、その時、
「ねぇ、熱斗くん。」
急に、ロックマンから声をかけられた。
声のした方へ振り返ると、パソコンの前に置かれた充電器に置かれたPETの横に、ロックマンが小さなホログラムで姿を見せている。
そのロックマンの目を見た熱斗は、視線の先の相手の――熱斗の中身を探るような視線に気付き、ゾクリと嫌な予感を持った。
ロックマンは少しモジモジと躊躇いながら熱斗を見て、言葉を続ける。
「そのね、こんな事言うのはあんまりって思ったんだけどね、どうしても心配で……」
ロックマンの目には心配と不安、戸惑いと躊躇いの色が濃く現れていた。
それでもロックマンは、それを言うべきタイミングは今しかないと思っているのか、言葉を続ける。
「だから……ねぇ、熱斗くん、本当に……」
熱斗は手に持ったパジャマをベッドに放り投げながら、緊張してその先を待った。
僅かな沈黙、数秒の間に一呼吸を置いて、ロックマンは自分が抱えていた熱斗の行動への疑問を投げかける。
「……本当に、本当に体調不良だったの?」
ロックマンの言葉を聞いて、熱斗は何かが壊れる感覚と、嗚呼、やっぱり、という諦めや落胆にも似た感覚を感じた。
これは退院した当日の夜と同じやりとりだと熱斗は直感する。
あの日と同じように、心配と不安に揺れながらも熱斗の内面を覗きこもうとするロックマンの黄緑色の瞳は今の熱斗には酷く恐ろしくて、熱斗はロックマンに背を向けてからそっけなく言った。
「……本当だよ。」
それはほとんど、この内容は大嘘です、と公言していると言ってもおかしくない弱い声だったが、ロックマンは何を思ったのか、それは本当かと聞き返したり、そんな事はないだろうという反論をしたりすることなく沈黙した。
それに安心しながらも、それがほんの少しだけ寂しくて、そんな矛盾を抱える自分に嫌気がさして、熱斗は軽く唇を噛む。
そして橙色のベストを乱暴に脱ぎ捨て、水色でナビマークの入ったバンダナも外し、白色をメインとした長袖のTシャツも乱暴に脱ぎ捨てると、ベッドの上に放り投げたパジャマの上着を手にし、ゆっくりとそれの袖に腕を通した。
もう、やめよう。
考えるのは、やめよう。
そう思いながら熱斗はゆっくりとパジャマのボタンを留め、それが終わると黒地に黄色い立て線が二本入った短パンも脱ぎ捨て、パジャマのズボンを穿き直す。
本来なら、脱いだ服はひとまとめにしないと駄目だよ! などと言うであろうロックマンは、今日はどこか悲しそうに黙ったままだ。
「……オヤスミ、ロックマン。」
パジャマを着た熱斗はそう言って天上に取り付けられている蛍光灯の明かりを消すと、ベッドの中にもぐりこんだ。
ロックマンはそれをしばらくの間じっと見つめていたが、やがてもう自分にできる事は何も無いと悟ったのか、PETの中に戻り、
「おやすみ、熱斗くん……。」
と少し寂しげな声で告げると、PETの画面の明かりを消した。
自分の影を写し出す光が壁から消えたことで、熱斗はそれを察知する。
急に、体が冷えた気がした。
――ああ、凍えて死んじゃいそうだ……。――
その寒さが実際の気温の変化ではなく、自分の心の中の温度変化なのだろうということをなんとなく察しながらも、熱斗は少しでも体を温めようと思い、身体を丸めて布団を深く被った。
そうして体温は上がる、上がっている、そのはずなのに何故かまだ身体の中心が冷たいような感覚が熱斗を苦しめる。
嗚呼、自分は一体何を求めているのだろう? 何を得たらこの体温は上がるのだろう? 何を得たら、幸せな気持ちで眠れるのだろう?
いっそのことこのままこの闇の中で永遠に眠っていたい、もう外のどんな事にも関与したくない、そんな思いがふと熱斗の脳裏をよぎる。
そして次の瞬間には、その思考のマイナス加減に気付いて嫌気がさす。
考えれば考える程深まる泥沼に、熱斗はもう今日は考える事を放棄してしまう事を選んだ。
何も知らない、何も聞かない、何も言わないし考えない、という事を必死に考えながら、熱斗はゆっくりと目を閉じる。
その姿はまるで、愛情不足の子供が自身を護る事に必死になっている姿のようにも見えた。
そして熱斗は、眠りに堕ちていく。
「――……ね……、……と、熱…………、……斗、熱……、熱斗……」
突如、耳の奥から頭に直接響くような声がして、熱斗はゆっくりと目を開いた。
誰かが自分を呼んでいる、そう思った熱斗は誰が自分を呼んでいるのか確認しようとして寝転んだままで首だけ動かし、周囲を見渡す。
そして、驚愕した。
「え……なん、だよ……これ……。」
何処か固い床に寝転んだままの熱斗の視界に入ってきたのは、自室ではなく、ただただ黒いだけで何も見えない、いや、黒い色が渦巻いている事がぼんやりと分かる世界だった。
熱斗は驚き、急いで上半身を起こす。
そして改めて周囲を見渡し、そこにあるものが永遠の黒、何処までも続く闇だけだと気が付いた時、熱斗は、ふとある事を思い出した。
――コレ、まさか、あの時の……夢か?――
そう、それはまだ退院してすぐの日の夜の事、熱斗はこれに酷似した夢を見ていたのだ。
耳の奥からイヤホンでも使ったように聞こえてくる自分を呼ぶ声、何処を見渡しても黒ばかりで他の物が何も見えない空間、ただただ一面黒く、永遠の闇が続くような圧迫感。
間違いない、これはあの日の夢と同じだ、そう思った熱斗はこの夢が一体何なのか、またはこれが夢を模した何かだとするなら一体なんだというのか、それを確認しようとしてゆっくりと立ち上がる、と、その時熱斗は、自分が自分の足で立っているという状況に気付いた。
あの日見た夢では自分の体の感覚はぼんやりとしか存在せず、自分の足で立っているというよりは、生温い水の中に中途半端に沈んでいるような感覚だったというのに、これはどういう事だろう?
そこまで考えて、もしかしたら、と思った熱斗は咄嗟に腕を自分の視界の先へと伸ばす。
確かに、腕はそこに有った。
しかもご丁寧に、パジャマではなく普段着の白いTシャツの袖を纏っている。
ふと下に視線を向けると脚もあった。
これまたご丁寧に、普段穿いている黒と黄色の短パンを穿いた上、黒い靴下と橙色の靴まで履いて。
「……あ、あ……あー……。」
次に熱斗は、今の自分に発言する力はあるのか確認する為、僅かに声を出してみた。
すると、前回はほとんど出なかったはずの声が、今度はいとも簡単に、熱斗の思った通りに出てくる。
それは明らかに、あの日の夢よりも現実味を帯びていて、熱斗はもしかしたらこれは夢ではないのかもしれないと思い、自分は一体何処に居るというのか、それが分からない事へ恐怖を感じた。
「何処だよ……此処……誰なんだよ、誰がこんな事ッ!!」
もしかしたら現実で何処かに監禁されているのかもしれない、その事への恐怖が熱斗をそう叫ばせた。
叩く壁も無いのに腕を振り上げて、何にも当てられないまま振り下ろす。
自分がどこに居るか分からない、それは今まで感じた事のない程強い恐怖となり熱斗を襲う、だから熱斗はどうにかして此処から出たいと思い、その場から走って逃れようとした、その時、
「逃げるなよ、熱斗。」
突如背後からどこか聞き覚えのある声が聞こえてきて、驚いた熱斗は勢い良く振り返った。
そして、もはや何度目か分からなくなってきた驚愕に再び出逢ってしまう。
「え、おい、お前、なんで……」
――なんで、俺が、目の前に。――
熱斗が振り返ったその先、四メートル程度離れた場所にいたのは、茶色い髪に水色のバンダナをつけ、白い長袖のTシャツの上に橙色のベスト着て、黒地に黄色のラインが二本入った短パンを穿いて、黒い靴下と橙色の靴を履いた少年だったのだ。
それはまさに熱斗にそっくりで、熱斗は此処が何処かという事よりも、何故自分にそっくりな存在がいるのかという事に驚愕し、混乱する。
熱斗が困惑と驚愕、恐怖で後ずさると、その困惑の元凶である熱斗そっくりの少年は闇の中を優雅に歩き、熱斗との距離を一・五メートルほどまで縮めてきた。
熱斗は混乱しながらも改めて少年の姿を頭から靴の先まで見直し、そこである事に気が付く。
「あ、目が……。」
その少年は確かに熱斗そっくりの姿でそこに立っていた、が、一つだけ熱斗とは異なるパーツを持っていたのだ。
それが、目の色だ。
熱斗そっくりの少年は、よく耳にする悪魔のイメージのように真っ赤な眼を持っているのだ。
そして、その目の下には以前ダークロックマンを見た時に見たような黒い影が。
それを見て、この少年には何か良くないものがある、少なくとも自分の味方ではないと感じた熱斗は、語気を荒げて叩きつけるように叫ぶ。
「お……お前は、誰だ!」
何かあったらすぐにでも殴りかかれるように腕をやや後ろに引いて、なるべく倒れにくくなるように足を肩幅程度に開く。
明らかに臨戦態勢でお決まりのセリフを吐く熱斗の姿を見て、少年は小さくクククと笑う。
質問に答えようとせず笑う少年の姿に、苛立った熱斗は再び叫んだ。
「おい! 聞いてるのかよ!? お前は誰で、此処は何処なのか答えろ!! 昨日も今日も、俺にこんなものを見せてるのはお前なのか!?」
少しでも、ほんの少しでも自分を強く見せようと必死な熱斗を見て、熱斗に瓜二つの少年は不敵であり不気味な、影のある笑みを見せる。
その笑みが、今まで対峙して退治してきた数多の悪人達の笑みの記憶と被り、熱斗は、コイツは何かが危ない、と、自分の中で警鐘が鳴るのを感じた。
だから熱斗は、歯を食いしばり、腕を後方へ引き、肩幅程度に足を開いて少年を威嚇する、少しでも不審な動きをすれば容赦はしない、と。
しかしそんな子猫の威嚇など大した事はないと言わんばかりに、少年は不敵であり涼しげな、既に自分が勝者であると確定しているかのような自信に満ちた笑みを見せ、言った。
「少し落ち着けよ、怖い事なんてなんにも無いからさ。で、質問に答えようか。俺はもう一人の光 熱斗。ハジメマシテ、本体サン。それで、俺が熱斗にこれを見せてるっていうのは、半分ぐらい正解で、同じくらい不正解。」
少年の不敵な笑みとその台詞に、熱斗はこれまでで一番の大きな驚愕を感じた。
この少年がもう一人の自分とはどういう事なのだろう? それに、この少年が自分に“これ”を見せている事は半分正解だが半分不正解とはどういう事だろう、普通に考えて、“これ”が少年のせいだというのは百パーセントの正解ではないのか。
驚愕と混乱に叩きこまれる熱斗へ、涼しげに微笑む少年――もう一人の熱斗は続ける。
「何が何だか分からないって顔だな。いいぜ、教えてやるよ、全部の答えを。」
「全部の、答え……?」
熱斗が聞き返すと、もう一人の熱斗は涼しげな笑みから不敵な笑みへとその笑みの雰囲気を変えながら頷いて見せた。
そして熱斗へ、その赤い紅い目で真っ直ぐに視線を向けると、ゆっくりと語りだす。
「まず、俺がもう一人の光 熱斗っていうのは、本当にそのままの意味。俺はお前で、お前は俺、そして俺を生み出したのはお前なんだよ、熱斗。」
「どういう意味だよそれ……何言ってんだか全然わかんねぇよ……。」
熱斗が警戒心を強めながらそう反論すると、もう一人の熱斗はしばらく、うーん、と考えた末に、あっ、と何かを思い出したようなそぶりを見せ、そしてまた不敵に笑いだした。
それがやはり熱斗にはこれまで対峙した数多の悪人達と同じ系統のモノに見えて、自分は何が何でもこの少年がもう一人の自分だという事を否定しなければいけない、という気がしてくる。
コイツは自分と同じ姿をしているが本質は全く違う、邪悪な優越に満ちた性格をしている、絶対に自分と同一などではない! ……そう強く考える熱斗へ、もう一人の熱斗はそれを面白がるかのような笑みを浮かべ、再び口を開いた。
「なぁ熱斗、お前さ、ロックマンとダークロックマンの事……覚えてるよな?」
「えっ? あぁ、一応……ダークロックマンは、ロックマンにシェードマンから感染したダークオーラが元、だっけ……」
熱斗がそこまで言うと、もう一人の熱斗は満足げに小さく笑った。
その話が今の自分にどう関係してくるのかが分からない熱斗はその笑みの意味が分からず、ただ警戒心を強めることしかできない。
警戒心を強めると言っても、既に先ほどから臨戦態勢はとっているし、そもそももう一人の熱斗に対し心を許した覚えなど無いのだから、やっている事は先ほどとあまり変わらないのだが。
強いて言うならば、熱斗は、もう一人の自分の話は信じすぎてはいけないが疑い過ぎてもいけない、相手のペースに呑まれてはいけないと強く思い始めていた。
とにかく、できる限り自分を優位に見せようと必死にもう一人の熱斗を威嚇する熱斗へ、もう一人の熱斗はその事例を訊いた意味を告げ始める。
「うん、ちゃんと覚えてるみたいだな。それなら話は早いぜ。……その現象が、お前と俺の間にも起こってるって言ったら……お前、どうする?」
熱斗の目が、驚愕に見開かれた。
もう一人の熱斗は逆に目を細めて口の端を吊り上げる。
背後に渦巻く闇が、その影を、暗さを、一層深めている気がした。
「そう、俺も元はお前に感染したダークオーラなんだよ。そしてそのダークオーラがお前をベースに形を持った、それがこの俺さ。」
驚愕に固まり何も言えない熱斗の代わりとでも言う気なのか、もう一人の熱斗は熱斗の返答を待たずに話を続けた。
衝撃的な話を訊かされた熱斗は、いつでも殴りかかれるように退いた腕が震えて、脚から力が抜けそうになる。
まさか、自分がダークオーラに感染していたなんて思いもしていなかった熱斗は、その事実を上手く受け入れられないのだ。
反論も何も浮かばずに黙りこんで呆然とする熱斗へ、もう一人の熱斗は更に続ける。
「嘘だろ? って、顔だよな。でも“俺”は知ってるはずだぜ? 人間にもダークオーラの感染は起こり得る事を。ほら、岬さんとかさ。」
心臓が軋む、汗が止まらない、呼吸が乱れる――次々に告げられる事実達の重みに、熱斗は押しつぶされそうになっていた。
どうにか、どうにか反論しなければいけない、このままこの相手の言葉に呑まれたらいけない、そう思うのに言葉が出てこない。
しかも、もう一人の熱斗は本来であれば“熱斗は知ってるはず”と言うべきところを、“俺は知ってるはず”だと言った。
これは、熱斗ともう一人の熱斗が同一の存在であり、どちらも同じ“自分”、すなわち“俺”で表せる存在である事を表現する言い方である。
熱斗と自分はお前と俺ではない、俺と俺なのだと、彼は表明し始めたのだ。
怖い、相手の話を認めてしまいそうになる、けれど、反論しなければ。
「……で、でも!」
熱斗は上手く回らなくなった頭で、それでも必死に考えて反論の糸口をなんとか掴んだようだった。
そして、まるで自分の子供の持論を聞きたがる母親、もしくは父親のように楽しげな表情で、ん? という、何かあるなら早く言ってごらん? と言いたげな表情を見せるもう一人の熱斗へ、自分の思い付いた反論をぶつける。
「それならお前は飽く迄もただの“ダークオーラ”で、もう一人の俺じゃない! 俺の姿を真似てるだけだ!」
陽のあたる所でできる物――影は、確かに本体に似ている。
しかし影は飽く迄も影であり、本体にはなりえない。
しかもその影が合成的に作られたものだとしたら、それは本体から遠く離れたものである、それが熱斗の反論だった。
そう、あれは自分ではない、あれと自分は同じ一人称を共有する存在などではない、あれは作り物、あれは自分に似せて作られた人形だ。
そう思う事で熱斗の心は少しだけ安定を取り戻し、激しく波打っていた心臓が少しずつ落ち着き、腕の震えは止まり、呼吸も落ち着いてきた。
そして、どうだ、これでもう何も言えないだろう、と思ってもう一人の熱斗を見る、が、そこで熱斗は、えっ……? と困惑することになる。
彼は、笑っていたのだ。
「ック、ククク……そうだな、俺は元々はただのダークオーラだよ。でもな、本当に熱斗の心に陰りが無いなら、俺は熱斗の姿にはなれなかったんだぜ?」
熱斗の背筋に、ゾクリと悪寒が走った。
「なぁ、ダークソウルっていうのは元々個人が持つ陰にダークオーラが加わって発現するものなんだぜ? だから……分かるよな? 俺はもうただのダークオーラじゃない、光 熱斗の陰が本体に干渉する力を得た、光 熱斗のダークソウルなんだ。……ただのダークオーラなら、こんな風に会話なんてできないしな。」
闘う為に込めた力が腕から抜ける、脚は情けなく震え、一度は落ち着いたはずの呼吸がまた乱れてくる。
心の中の陰り――自分で信じたくない想いにある程度の自覚があった熱斗は、その指摘と、自分は熱斗のダークソウルであるという発言にすっかり怯えて、もう一人の熱斗のペースに呑まれ始めていく。
脳裏を過る自分の数々の想い、退院前の炎山への八つ当たりに始まり、就寝前のロックマンとのやりとりまで、全ての薄暗い想いが体中を駆け抜ける。
いつの間にか臨戦態勢を解き、頭を抱えて焦る熱斗へ、もう一人の熱斗――熱斗のダークソウルは薄暗く不気味に笑いかける。
「そうそう、炎山も冷たかったよな、“俺”が寂しがってた事に気付いてくれたっていいのにさぁ。」
熱斗のダークソウルのその発言に驚いて、熱斗はバッと顔を上げた。
確かに今、熱斗は炎山に八つ当たりをしてしまった時の事を考えてはいたが、それを口に出してはいなかった。
それなのに何故か、熱斗のダークソウルは熱斗の考えをいとも簡単に当てて見せたのだ。
なんで、どうして、と叫びたそうな熱斗の前で、熱斗のダークソウルは熱斗が心の奥に仕舞ってきた数々の感情を暴露する。
「確かにさぁ、熱斗の思う通り炎山は別に悪くはないんだよな、悪くは。でもさぁ……それでも“俺”と炎山は前日に、新型ダークロイドとかの事を考えないで友達といられるのは久しぶり、って、話、してるんだよな。んでさ、“俺”はその久しぶりに期待してたんだよ。せっかく学校もネットセイバーの事も考えないで友達と一緒に居られる、そう思ってたのに……先に退院しちゃう上に、“俺”が寂しがって怒った事、少しも気付いてくれないんだぜ? やんなっちゃうよなぁ。」
「やめろ……」
僅かに能天気に、普段の熱斗のような口調と雰囲気で、もう一人の熱斗――熱斗のダークソウルは、熱斗の心の影を暴く。
それはおそらく、熱斗が一番外に出したくて仕方がない想いであり、同時に外に出したくない想いであり、傍聴人は他に居ないとはいえど隠しておきたいその内容をこれでもかという程に暴かれた熱斗はワナワナと震える。
熱斗のダークソウルはそれを見て、面白がるように続けた。
「入院初日はいつもの炎山じゃ無いくらい心配してくれたんだから、少しぐらい退院の時期を延ばして一緒にいてくれたっていいじゃんって、思うだろ? ホントの“俺”はさ、全部気付いてほしかったんだよ。寂しい、置いて行かないで、居なくならないでって叫びたかったんだ。」
「やめろ……やめろよ……」
一度は封じた筈の想いが洪水のように勢い良く溢れだしてくる。
炎山に対する理不尽な不満、そしてその不満に対する自己嫌悪が、熱斗の心臓を軋ませた。
それに押しつぶされそうになりながらも、熱斗はやっとの思いで、やめろ、と呟くが、熱斗のダークソウルは益々調子に乗ったのか、不満の暴露をやめてはくれない。
そして話は熱斗の退院後へと移る。
「そうそう、退院した後だってさ、今度はメイルちゃん達だよ! そもそもさ、あの入院の前の戦闘ってメイルちゃんとかデカオとかと遊んでた時にそれを抜け出して戦った訳じゃん? だから“俺”は一刻も早くそれを謝って、改めて一緒に遊びたかったのにさ……メールの返事はないし、電話をしてみればあら吃驚、“俺”以外みんなそろって遊んでやがるっていうね!」
「やめろ……!」
普段の熱斗なら使わないであろう、~してやがる、という表現を使う事でその想いの屈折加減を表されて、真っ直ぐな自分だけを信じていたい熱斗は先ほどよりもやや強い声でやめろと、これ以上暴くなという意味を込めて言った。
しかし熱斗のダークソウルはそれを聞いていないのか、いや、聞いた上で無視しているのか、まだまだ暴露をやめようとはしない、薄気味悪い笑みも消えない。
そして遂に、話は今日の出来事へとさしかかった。
「しかもバグチェックより軽い扱いなんて、不満を持つなって方が無理だよな! で、その上今日だよ今日! 俺の事はバグチェックより軽かったわりに、自分たちの事は沢山話す、それも隣のクラスの透くんの事まで! ……しかも、次に遊ぶ時の予定に“俺”の存在なんかありゃしない……なぁ、どう思う? 熱斗はそれで満足できるの? “俺”はそれで満足できるの? なぁ、満足なんかしてない事、俺はよく分かってるんだぜ?」
「やめろ、やめろ! これ以上何も言うな!!」
これ以上何かを言われたら大切な何かが壊れてしまいそうな気がして、熱斗は耐えきれずに絶叫するようにそう言った。
気付けばその茶色の目には涙が浮かび、呼吸はまるで泣き明かした後の小さな子供のように引き攣っている。
それを見て、熱斗のダークソウルは暗く微笑んだ。
「熱斗……なぁ、もし満足してるなら、どうして今お前はそんな顔で泣いてると思う? 俺には分かるんだよ、“俺”が、“熱斗”が本当は満足してない事……本当はもっと自分を見てほしかったんだよな、自分を四人の輪の中に入れてほしかったんだよな、それで――」
何か恐ろしい事を言われる、そう直感した熱斗はまるで逃げるように数歩後ろへ後ずさった。
しかしそれは熱斗のダークソウルが数歩前進することですぐ埋められてしまう距離でしか無く、実際に熱斗のダークソウルは熱斗が後ずさった事に気付くとすぐにその分の距離を、いやそれ以上に距離を詰めた。
そして、もう聞きたくないとばかりに耳をふさぐ熱斗へ、ゆっくりと、じんわりと、染み込ませるように告げる。
「……そうならないのなら、いっそ壊してしまいたかったんだよな。」
耳をふさいでも僅かな隙間から入りこんでくるその言葉に、熱斗は脚の力を失い、その場に崩れ落ちた。
そして思い出す、自分があの時、教室で三人が話していたあの時、偶然か必然かその光景を壊してしまい、一度は罪悪感を感じたが、その次には全く違う事、そう、ざまぁみろと言って笑いだしたくなるような優越感を感じていた事を。
いつの間にか、最初の臨戦態勢と警戒心は何処へやら、熱斗は固い床に膝を着いて座り込み、ただ呆然と、涙を流しながら、情けない泣き顔で自分のダークソウルを見つめていた。
反論できない、反論したいのに反論が浮かばない、事実を突き付けられ過ぎている、それが熱斗の戦意をこれ以上ない程に削いでいく。
そんな熱斗へ、熱斗のダークソウルはゆっくりと優雅に歩いて距離を縮め、遂には熱斗の目の前に立ち、その場でしゃがみこんでその視線の高さを熱斗に合わせる。
そして、
「怯えないで、熱斗。」
と言いながら、右手で熱斗の左頬に触れた。
体温が無いのかと思うような冷たい感触が熱斗の頬に伝わる。
そして熱斗のダークソウルはしばらく熱斗の頬を撫でた後に、急に熱斗を抱き締めた。
何がどうなっているのか理解できずなんの言葉も出ない熱斗へ、熱斗のダークソウルは囁き始める。
「俺はね、熱斗にちょっとした勇気をあげたいだけなんだから、さ。」
それはまるで悪魔の囁きのようで、この言葉に耳を貸してはいけないと直感した熱斗は自分も転ぶ事を覚悟で自分のダークソウルを突き飛ばした。
自分から少し離れた場所でダークソウルが倒れる。
案の定自分もバランスを崩して床に尻餅をつくが、熱斗はそれには構わず身体を起こしながら叫ぶ。
「要らない……闇の力が持つ勇気なんて、そんな、そんな間違ったもの、俺は要らない!!」
おそらく、それが熱斗にできる最後のまともな抵抗だっただろう。
正直なところ、熱斗は既に自分のダークソウルのペースに呑まれていて、合理的な反論など出来なくなっている。
だがそれでも、今尚熱斗の中に残る“正義の味方”の自覚が、熱斗を完全なる闇色の支配からかろうじて引き離していた。
これは闇だ、闇は悪だ、悪は敵だ、自分の敵は悪だ、悪は闇だ、だから頼ってはいけない、滅さなくてはいけない、闘わなくてはいけない。
それだだけが、今此処で、親友のロックマンも居ないこの場所で、熱斗が縋れる希望であった。
熱斗に突き飛ばされ熱斗の足元に倒れたダークソウルはしばらくの間何も言わず、微動だにもしなかったが、やがて倒れたまま小さく笑い――嘲笑し出した。
何がそんなにおかしいと言うのかと思う熱斗は緊張した面持ちで自分のダークソウルの顔を見る、と、ダークソウルの紅い目が熱斗の視線をガッチリと強く深く捕らえる。
まるで爬虫類か何かのようにギョロリと熱斗を見たその紅い目に、熱斗は一瞬驚きと寒気を感じてビクつき、床に座り込んだままで後ろへと這いずり下がった。
その間に、熱斗のダークソウルがその場で上体を起こし、ゆらりと立ちあがる。
そして熱斗のダークソウルは改めて熱斗に視線を向け、そして再び不気味な笑みを熱斗の視界におさめさせた。
今度は何を言う気だ、何をする気だと身構える熱斗に、熱斗のダークソウルは今度は近付こうとはせず、むしろ数歩後ろへと下がった。
だが、その紅い目から延びる視線はしっかりと熱斗の視線に絡められており、熱斗は強い緊張感と共に自分のダークソウルの言葉を待った。
やがて、熱斗のダークソウルが口を開く。
「そっか……残念だな。」
残念と言いながらも、熱斗のダークソウルの表情は、勝利を確信した悪人のように歪な笑みを貼りつけている。
コイツは本当に残念がっている訳ではない、何か策があるのかもしれないと思った熱斗は息を飲んだ。
すると案の定、熱斗のダークソウルは、でも――、と言葉を続ける。
「熱斗はきっと俺を、俺の協力を必要とするよ。どうして分かるかなんてもう分かるよな? だって熱斗は俺で、俺は熱斗なんだから。」
まるで自分は勝者だと勝ち誇るかのように自信に満ちた言葉と声に、熱斗は、そんなことあるものか、と強く両手を握りしめた。
だが同時に、もし彼に協力してもらったら何が変わると言うのだろう、という、期待じみた疑問も抱え始める。
勿論協力を仰ぐ気など無い、先にも思ったように闇の力の協力など要らない、けれど、協力、という漢字二文字のその言葉は、熱斗にとってどこか心惹かれる魅力的な響きを持っていた。
そんな熱斗の複雑な想いを知っているのか知らないのか、それは分からないが薄っすらと笑ったままの熱斗のダークソウルは小さく息を吐いてから右手を上げ、子供達のサヨナラの合図のように左右に振りながら闇に向かって歩き出した。
「じゃあまたな、熱斗。」
闇以外に何も無いこの黒が渦巻くだけの空間で、熱斗のダークソウルの姿はその闇に溶けてしまうかのように存在感を失い、その場から消えてしまった。
取り残された熱斗は呆然とそれを眺めていたが、やがてゆっくりとたちあがる、ハズだったが、
「あれっ?」
脚に力が入らず、熱斗はその場でもう一度転んでしまった。
気が付くと両腕も重く、視界も悪くなって、黒が黒で更に塗りつぶされるという不気味な感覚が熱斗を襲う。
嗚呼自分はこれからどうなってしまうのだろう、そんな恐怖が思考を支配し始めた時、頭の中心にではなく左右の耳に、熱斗のダークソウルとは別の声が響いた。
自分は外に流れる風景と同じだ、そう感じ始めていた熱斗は、やいとやメイルの外の風景や状態に興味を示さない言葉に、まるで自分が否定されているような不快感を感じたのだ。
もはや言っていいのか悪いのかなどと考える暇などなく、攻撃的な言葉が口を突いて出てしまう。
「そうだよ、道は空いてたよ。」
僅かに下を向き、ふと立ち止まって、熱斗はそう言っていた。
先ほどまで黙っていた熱斗がいきなり口を開いた事に驚いて、四人が一斉に振り向く。
それを確認した熱斗は僅かに口の端を釣り上げた。
嗚呼今、四人は自分の話を聴いている、自分の存在が四人の中に焼き付いている、どんな形であれ、それが嬉しい。
例え、それが、傷跡になるかもしれないとしても。
「ついでに言うと、信号もあんまり引っかかって無かったしな。俺、全部見てたから。」
顔は笑っているのに声が笑っていないという熱斗のただならぬ様子に、四人の友人たちは立ち止まってから困ったように顔を見合わせ、それからもう一度熱斗に視線を向け直した。
それを見て熱斗は、心の中でざまぁみろと強く思い、これ以上ない程高らかに笑いだしたい気分になった。
そう、自分は全部見ていたのだ、外の景色も、道が空いていた事も、信号に引っかからなかった事も、そして何より、四人がそれらに一度も目を向けず、一心不乱にゲームの話に熱中していた事も、全て。
だから、
「なんで四人とも知らないんだよ? ちょっと外を見れば分かる事だったぜ? それとも――」
そんなことも解らないぐらい自分たちの世界に入り込んでたのかよ? 俺の事も見えなくなるぐらい、と、言おうとした、その瞬間、
「熱斗くん!」
熱斗のただならぬ気配を察してなのか、ロックマンが突然PETの中から大きな声で熱斗を呼んだ。
それに驚いて、四人の表情が、そして熱斗の表情が、えっ? と言いたげな物に変わる。
そして熱斗は、それまでの思考が一時的に途切れ、その思考の黒さ、重さ、卑劣さ、薄汚さに改めて気付き、自分の言動への恐怖を感じた。
――今、俺、何を言おうと……!――
自分は一体どんな想いで何を口走ろうとしていたというのだろう、こんな事では四人に嫌われてしまう、そんな危機を感じた熱斗は焦ってそれまでの言動を取り繕うと必死に新たな言葉を探す、が、
「そ、それとも、それとも……え、えっと……」
それとも、の後につなげられそうな言葉は、何一つ思い付きはしなかった。
熱斗はただ、先ほどの威圧感に満ちた態度とは反対に呆然と立ち尽くしつつ、伝えたい事が決まらず何を伝えたいのかも分からないというのに必死に手を動かして何かを伝えようとし、それに失敗し、えっと、あっと、と繰り返しては言葉に詰まり、遂には下を向いたまま黙り込んでしまう。
どうしてこんなことになってしまったのだろう、という言葉が熱斗の脳裏に浮かび上がる。
そしてその自問には、お前のせいだよ、という自答が何処からか返ってきて、それを真実なのだろうと思った熱斗は小さな声でぽつりと、四人へ向けて謝る。
「……ごめん。」
突然の謝罪に、四人はまた顔を見合わせた。
謝罪をした当人である熱斗は先ほどの事を失態と思っており、これは謝罪するに値する行為だと思っているのだが、それを聞かされていた四人はその理由こそ分からなかったものの、理由が分からないからこそそれが謝罪に値するものだとは思っていなかったのだ。
四人は、熱斗がどうして謝罪などしているのかが分からず顔を見合わせ、それからゆっくりと熱斗に視線を向けた。
その視線に込められていたのは少なくとも攻撃性ではなく、大きな疑問と僅かな不安だったのだが、熱斗はそれを何故か自分を責める視線だと感じて恐怖し、その身を強張らせた。
四人はきっと自分を許してはくれない、今四人は自分に対して憤りを感じている、そんな勘違いを起こした熱斗はうつむいたまま立ち尽くすだけで何もできなくなる。
怖い、怖い、怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い……四人が今何を想って自分を見ているのか、それを考えるだけで恐怖が頭の天辺から足の指の先まで余すことなく支配する。
そんな見えない恐怖に怯えてかたまる熱斗へ、先ほど車に乗る前のようにしびれを切らしたやいとが声をかける。
「もう、なにがどうなってるのかわからないけど、とにかく秘密基地まで行きましょ! こんな所で立ち話もなんでしょ!」
そう言ってやいとはくるりと軽く秘密基地へ振りかえり、熱斗に背を向け歩き出した。
メイルとデカオと透はそれを見てからもう一度困ったように顔を見合わせたが、だからと言って熱斗にかける言葉も見つからないからなのか、透、デカオ、メイルの順でゆっくりと歩き出した。
恐怖にその身を強張らせた熱斗だけが、その場に取り残される。
気を抜けば膝がガクンと折れてその場に座り込んでしまいそうな虚脱感が熱斗を襲う。
何か全てが終わったような、絶望にも似た諦めが走り抜ける。
嗚呼きっと、四人は自分に呆れている、そんな恐怖――いやもはや諦めが浮かび上がって、その足を動かして四人の背中を追う事を躊躇わせるのだ。
しかしその一方で、そんな諦めを抱きつつも諦めきれない四人への渇望が、例えば、今自分が足を進める事を完全にやめて此処でただ棒立ちになる事だけを続けたとしたら、四人の中の誰かがそれに気付いて立ち止まり、自分の所まで戻ってきて、熱斗も一緒に行こう? と誘ってくれるのではないか、という歪な期待をふつふつと小さく湧き上がらせる。
本当は諦めたくなんか無い、いくら謝ったって構わない、地に手足を、顔を着けて謝ることだって辞さないから、どうか自分に振り向いて、どうかこの手を掴んでほしい。
そんな諦めの悪さと、もう過ぎた事は何をどうしても取り繕う事は出来ないから、四人の中に生まれたであろう自分への不信感や不快感は拭えないから諦めてしまえ、という、一種の潔さすら兼ね備えた諦めが一つの意識の中に混在する。
心が、二つに引き裂けそうだ。
苦しい。
「……熱斗くん、みんな行っちゃうよ……?」
そうしていつの間にか意識が、思考が、現実から剥離し始めていた熱斗を現実に引き戻したのは、ロックマンの何処か不安げで少し弱い疑問文の声だった。
ロックマンは先ほど熱斗と四人の会話を無理矢理遮った事を気にしているのか、肩の上には出てきていない。
そう言えば前にもロックマンがこんなふうにPETの中から不安げな声をかけてきた事があったような、と思いつつ、熱斗はようやくその意識を現実に向けた。
四人と自分の距離が物理的に随分開いてしまっている、という現実に。
そうだ、早く追いかけないと、ただでさえ開いた距離が余計に開いてしまう、物理的な距離でさえ埋められない程広い物になってしまう、そんな不安に突き動かされ、熱斗はゆっくりではあったがその足を進める事を選び、四人の後を追い始める。
待って、置いて行かないで、という声は、なんとかギリギリで飲み込んでおいた。
結局四人とはずいぶん距離が開いてしまったが、それでも熱斗は足を止める事をせず歩き、なんとか秘密基地までたどり着いた。
梯子をのぼり、その先で開いたままの扉をくぐると、見なれているはずの光景が目に飛び込んでくる。
一見木造なのに実は中にハイテク機器を隠した壁は、今は木造の姿の方を見せていて、壁には普通の家庭にあるハイビジョンテレビよりも更に大きな巨大モニターがあり、その近くでやいととデカオが何やらゲーム機らしきものやそのコードを弄っており、メイルと透は近くのソファーに腰掛けている。
たった二日、自分が此処に来なかった期間はたった二日だけだというのに、熱斗はその光景全てに異様な程の懐かしさを感じた。
どうしてこんなにも懐かしいのだろう、と不思議に思いながら、熱斗はゆっくりと室内へ足を進め、大型ソファーの端に腰かける。
隣を見ると、人一人分空けた先で、メイルと透が隣り合って座り、ゲームの話題に興じていた。
前を見ると、やいととデカオはまだ巨大モニターの前でゲーム機を弄っている。
どうやら、コントローラーの配線に時間がかかっているようだ。
ふと、自分は何をしに此処へ来たのだったか、という疑問が熱斗の脳裏をよぎる。
やいともデカオも、メイルも透も、それぞれそれなりにする事があるのに、自分だけは何もする事が無い、その事実に熱斗は気付いてしまったのだ。
だから、もしも自分が炎山だったら、こんな時はIPCの仕事の資料にでも目を通すのかな、などと思いながら、熱斗は普段なら自分からは決してやろうとしない宿題に手を付ける気になった。
本当に、それぐらいしかする事が無いのだ。
肩に着けたPETを外し、今出されている宿題の中からPETだけでもできる分を探し出し、展開する。
PETの画面はタッチスクリーンと化し、その上には黄緑色の立体画面が宿題の説明及び本文を表示する。
まさか自分がロックマンに何か言われた訳でもないのに宿題をする日が来るなんて、と、熱斗は少し驚くような、そして悲しいような、胸の中を冷たい風が吹き抜けていくような乾いた感覚に見舞われた。
嗚呼、今此処に居る者は誰も、光 熱斗の事など気に留めていない、それが酷く寂しい。
そうして特別集中する訳でもなく、ただやる事が無いからと仕方なしに宿題を進めていると、やいととデカオの歓喜の声が聞こえてきた。
「よしっ! これで準備OKよ!」
「やったぜ! 早くやろうぜ!!」
どうやらゲームの準備が完了したらしい。
ハイテクにあふれたやいとの家では珍しく準備に時間がかかったのは、今回テストする物が一般的な家庭用ゲーム機でハイテクとは少し離れた所にあるせいのようだ。
大型モニターの前には、熱斗の家にもあるような小ぢんまりとした据え置きのゲーム機があり、コントローラーは今回は一本だけ繋がれている。
ふと、今回プレイするのはデカオだけだというのにどうやって複数の人間で楽しもうというのだろう? という疑問が熱斗の脳裏をよぎったが、それは四人の様子を見てすぐに消えることとなる。
やいとがモニターの前ですこし格好をつけながらゲーム機の電源を入れると大画面にGABGOM社のロゴが表示され、つづいて『Bio Hunter』というゲームのタイトルロゴが現れ、その下に『通常プレイ』『連携プレイ』『対戦プレイ』と書かれたコマンドが表示された。
デカオはソファーに座ってコントローラーを握ると素早く『通常プレイ』を選択し、続いて現れた『ニューゲーム』と『コンテニュー』の『ニューゲーム』を選択する。
ゲームのプロローグが画面に流れ始めた。
教室に居た時からこのゲームをプレイする気満々だったデカオは興奮した様子で身を乗り出す。
「おお! 対戦プレイの時より数倍迫力あるぜ!」
「でしょー?」
興奮したデカオにやいとが自慢げに胸を張って見せる。
熱斗は、別にこのゲームにはやいとは関わっていなさそうなのだが、自分の親の会社というだけでだけで誇らしいのだろうか、等とぼんやり思いながらそのプロローグ画面を特に大した感想も抱かないまま眺めていた。
そしてふと、メイルと透の様子が気になって隣を見る。
やはり人一人分開いて座ったままのメイルと透はデカオに比べれば大人しいものの、それでもしっかりとゲームのプロローグ画面を楽しんでいる。
それも、教室ではこのゲームを怖いと評していたメイルまでもがである。
少し理不尽な想いだとは分かるが、それでも熱斗はそんなメイルに、裏切り者、と思う事を止める事は出来なかった。
メイルぐらいは自分と同じぐらい、このゲームに興味が薄いと思って――期待していた熱斗は、誰にも分からない程度に小さく、落胆の溜息を吐くのだった。
そうこうしているうちに、ゲーム画面は進んでいく。
そしてゲームはプロローグのムービーを終え、いよいよ実際のプレイモードへと移行した。
「あ、デカオくん、そこにハンドガンの弾があるよ! 拾って!」
いつもは温泉以外ではそこまで熱くならない透までもが、まるで自分がプレイしているかのように熱くなっている。
そう言えば教室でメイルとデカオとやいとの三人が、透は凄かった、と話しているのを聞いたなぁ、等と、熱斗はぼんやりと思い出す。
と、いきなりメイルが叫ぶ。
「デカオくん! 向こうからゾンビが!」
「おうっ、任せろ!!」
デカオはメイルの言葉に答えるかのようにプレイヤーキャラを操作し、物影から出てきた敵のゾンビをハンドガンという装備で打ち抜いた。
メイルと透、やいとが、おぉ凄い、と感嘆する。
その時だった、熱斗の脳裏に、ある光景がよみがえったのは。
ダークロイドとの戦闘に破れて負傷した後の入院、そこから退院してすぐの午後、少しでも早く皆に会いたくてかけた電話のその先で見かけた四人の姿と、今の四人の姿が重なる。
デカオはコントローラーばかりを気にし、やいとと透はゲームの中での協力方法を語り合い、メイルはそんな三人の為に時計ばかりを気にしていて、自分――熱斗の事など気にしていなかった。
それが今、改めて肉眼で見れるように再現されている、そんな気がして、熱斗の心臓は軋むような息苦しさを生み出し始める。
自分はまた、この四人の中に混ざれないのだろうか?
そんな不安が熱斗の全身に軽い痺れとなって駆け抜ける。
「あっ、デカオくん向こうにショットガンが!」
「デカオ!横から来るわよ!」
「わぁ、相変わらず怖いぐらいの良いグラフィックね!」
「うおおお! 面白くなってきたぜぇぇぇええ!!」
透とやいとがデカオに指示する声、メイルの感嘆の声、デカオの興奮した声、それら全てが右から左、左から右、だけど中央に集まってその内部で反響する、そんな滅茶苦茶な感覚が熱斗を襲う。
そして熱斗はふと気が付くのであった。
自分が見ているのは、ゲームなんかではない、と。
「……。」
それからしばらくの間、熱斗は一言も話さずにただただゲームを、いや、ゲームとゲームをする四人の姿を眺めていたが、やがて何かが途切れたのか、無言のままゆっくりと立ち上がった。
これにはさすがの四人も全く気付かない訳にはいかなかったのか、メイルが熱斗へ振り向いて尋ねる。
「熱斗? どうしたの?」
「……。」
熱斗はしばし沈黙したままだったが、やがてゆっくりと口を開いた。
「……ゴメン、俺、なんか体調悪くて……帰るよ。」
多分、ただの嘘ではなかったと思う、と熱斗は後に自分へ言い訳をする事になる。
事実、心臓は相変わらず軋みつつも高なっていて、身体の中を血液が回っている事が自覚できるような不思議な感覚が収まらず、それらの感覚が負担になっているのか、熱斗は僅かに吐き気を感じていた。
だから、体調が悪いというのはあながち間違いではない、が、熱斗自身も分かっているのだ、その体調不良が、本当に身体の調子が悪いからの体調不良ではなく、精神のバランスが崩れかけている故の体調不良である事を。
それでも、それをそのまま口に出す訳にはいかず、更にはそれを自分で信じたくなかった熱斗は、無難に普通の体調不良を理由にした。
メイルは不思議そうな、しかし不安そうな表情でそれを見ている。
その真っ直ぐな視線が、更に熱斗の体調不良とやらを悪化させている事に、メイルは気付かない。
熱斗はそれだけいうと挨拶もせずにそのままソファーを離れ、外につながる扉に手をかけた。
途中、透がメイルに、熱斗くんどうしたの? などと訊く声がしたが、熱斗はそれを無視して扉を開ける。
デカオとやいとは、最後まで熱斗を気にしてはくれなかった。
そして熱斗は開いた扉から外に出て、そのすぐ下に繋がる梯子をゆっくりと降りる。
一瞬、このままこの高さから手を離して落下したなら、誰か一人ぐらいは自分を本当に心配してくれるだろうかと思い、このまま手を離して梯子から落ちてしまおうかと思ったが、それではまるで自殺志願者臭いじゃないかと思い直し、その考えを捨てた。
梯子を下りて地面に足を着ける。
そして熱斗は、ゆっくりと、本当に体を気遣うかのように静かに、本当にゆっくりと、そこから離れる事を惜しむかのように徐々に歩きだした。
PETの中のロックマンは、何も言わず、何もせず、ただ静かにしていてくれた。
それからどれくらいの時間が経っただろう、熱斗はのろのろと歩いて自宅へたどり着き、脱力した様子で手を洗い、空回りしてもおかしくない程に働いていた心臓と頭を休めるかのようにリビングで休み、身体にまとわりつく倦怠感を洗い流すかのようにシャワーを浴び、淡々と夕食を済ませ、歯磨きを済ませ、宿題を済ませ、気付けば時刻は午後十時二十分となっていた。
宿題を済ませた熱斗は、沈んだ気持ちでそのファイルを保存し、プリント類で出されたアナログな宿題は学校に持っていく鞄の中に仕舞う。
ふと、どうして、という思いが熱斗の脳裏を過る。
どうして、朝はあんなにも希望にあふれていたのに、時間が経てば経つ程それは小さく弱くなって、最後には無くなってしまうのだろう。
朝起きてすぐの元気な自分を思い出して、今の疲れきって何のやる気も失った自分と比較しては、熱斗は更に憂鬱な気分へと沈む。
はぁ……と大きな溜息を吐きながら、熱斗はパソコン机用の椅子から立ち上がり、クローゼットへと手をかけた。
今日はもう、寝てしまおう、明日に備えよう、そう思ってパジャマを取り出す。
そしてパジャマをベッドの上へ放り投げようとした、その時、
「ねぇ、熱斗くん。」
急に、ロックマンから声をかけられた。
声のした方へ振り返ると、パソコンの前に置かれた充電器に置かれたPETの横に、ロックマンが小さなホログラムで姿を見せている。
そのロックマンの目を見た熱斗は、視線の先の相手の――熱斗の中身を探るような視線に気付き、ゾクリと嫌な予感を持った。
ロックマンは少しモジモジと躊躇いながら熱斗を見て、言葉を続ける。
「そのね、こんな事言うのはあんまりって思ったんだけどね、どうしても心配で……」
ロックマンの目には心配と不安、戸惑いと躊躇いの色が濃く現れていた。
それでもロックマンは、それを言うべきタイミングは今しかないと思っているのか、言葉を続ける。
「だから……ねぇ、熱斗くん、本当に……」
熱斗は手に持ったパジャマをベッドに放り投げながら、緊張してその先を待った。
僅かな沈黙、数秒の間に一呼吸を置いて、ロックマンは自分が抱えていた熱斗の行動への疑問を投げかける。
「……本当に、本当に体調不良だったの?」
ロックマンの言葉を聞いて、熱斗は何かが壊れる感覚と、嗚呼、やっぱり、という諦めや落胆にも似た感覚を感じた。
これは退院した当日の夜と同じやりとりだと熱斗は直感する。
あの日と同じように、心配と不安に揺れながらも熱斗の内面を覗きこもうとするロックマンの黄緑色の瞳は今の熱斗には酷く恐ろしくて、熱斗はロックマンに背を向けてからそっけなく言った。
「……本当だよ。」
それはほとんど、この内容は大嘘です、と公言していると言ってもおかしくない弱い声だったが、ロックマンは何を思ったのか、それは本当かと聞き返したり、そんな事はないだろうという反論をしたりすることなく沈黙した。
それに安心しながらも、それがほんの少しだけ寂しくて、そんな矛盾を抱える自分に嫌気がさして、熱斗は軽く唇を噛む。
そして橙色のベストを乱暴に脱ぎ捨て、水色でナビマークの入ったバンダナも外し、白色をメインとした長袖のTシャツも乱暴に脱ぎ捨てると、ベッドの上に放り投げたパジャマの上着を手にし、ゆっくりとそれの袖に腕を通した。
もう、やめよう。
考えるのは、やめよう。
そう思いながら熱斗はゆっくりとパジャマのボタンを留め、それが終わると黒地に黄色い立て線が二本入った短パンも脱ぎ捨て、パジャマのズボンを穿き直す。
本来なら、脱いだ服はひとまとめにしないと駄目だよ! などと言うであろうロックマンは、今日はどこか悲しそうに黙ったままだ。
「……オヤスミ、ロックマン。」
パジャマを着た熱斗はそう言って天上に取り付けられている蛍光灯の明かりを消すと、ベッドの中にもぐりこんだ。
ロックマンはそれをしばらくの間じっと見つめていたが、やがてもう自分にできる事は何も無いと悟ったのか、PETの中に戻り、
「おやすみ、熱斗くん……。」
と少し寂しげな声で告げると、PETの画面の明かりを消した。
自分の影を写し出す光が壁から消えたことで、熱斗はそれを察知する。
急に、体が冷えた気がした。
――ああ、凍えて死んじゃいそうだ……。――
その寒さが実際の気温の変化ではなく、自分の心の中の温度変化なのだろうということをなんとなく察しながらも、熱斗は少しでも体を温めようと思い、身体を丸めて布団を深く被った。
そうして体温は上がる、上がっている、そのはずなのに何故かまだ身体の中心が冷たいような感覚が熱斗を苦しめる。
嗚呼、自分は一体何を求めているのだろう? 何を得たらこの体温は上がるのだろう? 何を得たら、幸せな気持ちで眠れるのだろう?
いっそのことこのままこの闇の中で永遠に眠っていたい、もう外のどんな事にも関与したくない、そんな思いがふと熱斗の脳裏をよぎる。
そして次の瞬間には、その思考のマイナス加減に気付いて嫌気がさす。
考えれば考える程深まる泥沼に、熱斗はもう今日は考える事を放棄してしまう事を選んだ。
何も知らない、何も聞かない、何も言わないし考えない、という事を必死に考えながら、熱斗はゆっくりと目を閉じる。
その姿はまるで、愛情不足の子供が自身を護る事に必死になっている姿のようにも見えた。
そして熱斗は、眠りに堕ちていく。
「――……ね……、……と、熱…………、……斗、熱……、熱斗……」
突如、耳の奥から頭に直接響くような声がして、熱斗はゆっくりと目を開いた。
誰かが自分を呼んでいる、そう思った熱斗は誰が自分を呼んでいるのか確認しようとして寝転んだままで首だけ動かし、周囲を見渡す。
そして、驚愕した。
「え……なん、だよ……これ……。」
何処か固い床に寝転んだままの熱斗の視界に入ってきたのは、自室ではなく、ただただ黒いだけで何も見えない、いや、黒い色が渦巻いている事がぼんやりと分かる世界だった。
熱斗は驚き、急いで上半身を起こす。
そして改めて周囲を見渡し、そこにあるものが永遠の黒、何処までも続く闇だけだと気が付いた時、熱斗は、ふとある事を思い出した。
――コレ、まさか、あの時の……夢か?――
そう、それはまだ退院してすぐの日の夜の事、熱斗はこれに酷似した夢を見ていたのだ。
耳の奥からイヤホンでも使ったように聞こえてくる自分を呼ぶ声、何処を見渡しても黒ばかりで他の物が何も見えない空間、ただただ一面黒く、永遠の闇が続くような圧迫感。
間違いない、これはあの日の夢と同じだ、そう思った熱斗はこの夢が一体何なのか、またはこれが夢を模した何かだとするなら一体なんだというのか、それを確認しようとしてゆっくりと立ち上がる、と、その時熱斗は、自分が自分の足で立っているという状況に気付いた。
あの日見た夢では自分の体の感覚はぼんやりとしか存在せず、自分の足で立っているというよりは、生温い水の中に中途半端に沈んでいるような感覚だったというのに、これはどういう事だろう?
そこまで考えて、もしかしたら、と思った熱斗は咄嗟に腕を自分の視界の先へと伸ばす。
確かに、腕はそこに有った。
しかもご丁寧に、パジャマではなく普段着の白いTシャツの袖を纏っている。
ふと下に視線を向けると脚もあった。
これまたご丁寧に、普段穿いている黒と黄色の短パンを穿いた上、黒い靴下と橙色の靴まで履いて。
「……あ、あ……あー……。」
次に熱斗は、今の自分に発言する力はあるのか確認する為、僅かに声を出してみた。
すると、前回はほとんど出なかったはずの声が、今度はいとも簡単に、熱斗の思った通りに出てくる。
それは明らかに、あの日の夢よりも現実味を帯びていて、熱斗はもしかしたらこれは夢ではないのかもしれないと思い、自分は一体何処に居るというのか、それが分からない事へ恐怖を感じた。
「何処だよ……此処……誰なんだよ、誰がこんな事ッ!!」
もしかしたら現実で何処かに監禁されているのかもしれない、その事への恐怖が熱斗をそう叫ばせた。
叩く壁も無いのに腕を振り上げて、何にも当てられないまま振り下ろす。
自分がどこに居るか分からない、それは今まで感じた事のない程強い恐怖となり熱斗を襲う、だから熱斗はどうにかして此処から出たいと思い、その場から走って逃れようとした、その時、
「逃げるなよ、熱斗。」
突如背後からどこか聞き覚えのある声が聞こえてきて、驚いた熱斗は勢い良く振り返った。
そして、もはや何度目か分からなくなってきた驚愕に再び出逢ってしまう。
「え、おい、お前、なんで……」
――なんで、俺が、目の前に。――
熱斗が振り返ったその先、四メートル程度離れた場所にいたのは、茶色い髪に水色のバンダナをつけ、白い長袖のTシャツの上に橙色のベスト着て、黒地に黄色のラインが二本入った短パンを穿いて、黒い靴下と橙色の靴を履いた少年だったのだ。
それはまさに熱斗にそっくりで、熱斗は此処が何処かという事よりも、何故自分にそっくりな存在がいるのかという事に驚愕し、混乱する。
熱斗が困惑と驚愕、恐怖で後ずさると、その困惑の元凶である熱斗そっくりの少年は闇の中を優雅に歩き、熱斗との距離を一・五メートルほどまで縮めてきた。
熱斗は混乱しながらも改めて少年の姿を頭から靴の先まで見直し、そこである事に気が付く。
「あ、目が……。」
その少年は確かに熱斗そっくりの姿でそこに立っていた、が、一つだけ熱斗とは異なるパーツを持っていたのだ。
それが、目の色だ。
熱斗そっくりの少年は、よく耳にする悪魔のイメージのように真っ赤な眼を持っているのだ。
そして、その目の下には以前ダークロックマンを見た時に見たような黒い影が。
それを見て、この少年には何か良くないものがある、少なくとも自分の味方ではないと感じた熱斗は、語気を荒げて叩きつけるように叫ぶ。
「お……お前は、誰だ!」
何かあったらすぐにでも殴りかかれるように腕をやや後ろに引いて、なるべく倒れにくくなるように足を肩幅程度に開く。
明らかに臨戦態勢でお決まりのセリフを吐く熱斗の姿を見て、少年は小さくクククと笑う。
質問に答えようとせず笑う少年の姿に、苛立った熱斗は再び叫んだ。
「おい! 聞いてるのかよ!? お前は誰で、此処は何処なのか答えろ!! 昨日も今日も、俺にこんなものを見せてるのはお前なのか!?」
少しでも、ほんの少しでも自分を強く見せようと必死な熱斗を見て、熱斗に瓜二つの少年は不敵であり不気味な、影のある笑みを見せる。
その笑みが、今まで対峙して退治してきた数多の悪人達の笑みの記憶と被り、熱斗は、コイツは何かが危ない、と、自分の中で警鐘が鳴るのを感じた。
だから熱斗は、歯を食いしばり、腕を後方へ引き、肩幅程度に足を開いて少年を威嚇する、少しでも不審な動きをすれば容赦はしない、と。
しかしそんな子猫の威嚇など大した事はないと言わんばかりに、少年は不敵であり涼しげな、既に自分が勝者であると確定しているかのような自信に満ちた笑みを見せ、言った。
「少し落ち着けよ、怖い事なんてなんにも無いからさ。で、質問に答えようか。俺はもう一人の光 熱斗。ハジメマシテ、本体サン。それで、俺が熱斗にこれを見せてるっていうのは、半分ぐらい正解で、同じくらい不正解。」
少年の不敵な笑みとその台詞に、熱斗はこれまでで一番の大きな驚愕を感じた。
この少年がもう一人の自分とはどういう事なのだろう? それに、この少年が自分に“これ”を見せている事は半分正解だが半分不正解とはどういう事だろう、普通に考えて、“これ”が少年のせいだというのは百パーセントの正解ではないのか。
驚愕と混乱に叩きこまれる熱斗へ、涼しげに微笑む少年――もう一人の熱斗は続ける。
「何が何だか分からないって顔だな。いいぜ、教えてやるよ、全部の答えを。」
「全部の、答え……?」
熱斗が聞き返すと、もう一人の熱斗は涼しげな笑みから不敵な笑みへとその笑みの雰囲気を変えながら頷いて見せた。
そして熱斗へ、その赤い紅い目で真っ直ぐに視線を向けると、ゆっくりと語りだす。
「まず、俺がもう一人の光 熱斗っていうのは、本当にそのままの意味。俺はお前で、お前は俺、そして俺を生み出したのはお前なんだよ、熱斗。」
「どういう意味だよそれ……何言ってんだか全然わかんねぇよ……。」
熱斗が警戒心を強めながらそう反論すると、もう一人の熱斗はしばらく、うーん、と考えた末に、あっ、と何かを思い出したようなそぶりを見せ、そしてまた不敵に笑いだした。
それがやはり熱斗にはこれまで対峙した数多の悪人達と同じ系統のモノに見えて、自分は何が何でもこの少年がもう一人の自分だという事を否定しなければいけない、という気がしてくる。
コイツは自分と同じ姿をしているが本質は全く違う、邪悪な優越に満ちた性格をしている、絶対に自分と同一などではない! ……そう強く考える熱斗へ、もう一人の熱斗はそれを面白がるかのような笑みを浮かべ、再び口を開いた。
「なぁ熱斗、お前さ、ロックマンとダークロックマンの事……覚えてるよな?」
「えっ? あぁ、一応……ダークロックマンは、ロックマンにシェードマンから感染したダークオーラが元、だっけ……」
熱斗がそこまで言うと、もう一人の熱斗は満足げに小さく笑った。
その話が今の自分にどう関係してくるのかが分からない熱斗はその笑みの意味が分からず、ただ警戒心を強めることしかできない。
警戒心を強めると言っても、既に先ほどから臨戦態勢はとっているし、そもそももう一人の熱斗に対し心を許した覚えなど無いのだから、やっている事は先ほどとあまり変わらないのだが。
強いて言うならば、熱斗は、もう一人の自分の話は信じすぎてはいけないが疑い過ぎてもいけない、相手のペースに呑まれてはいけないと強く思い始めていた。
とにかく、できる限り自分を優位に見せようと必死にもう一人の熱斗を威嚇する熱斗へ、もう一人の熱斗はその事例を訊いた意味を告げ始める。
「うん、ちゃんと覚えてるみたいだな。それなら話は早いぜ。……その現象が、お前と俺の間にも起こってるって言ったら……お前、どうする?」
熱斗の目が、驚愕に見開かれた。
もう一人の熱斗は逆に目を細めて口の端を吊り上げる。
背後に渦巻く闇が、その影を、暗さを、一層深めている気がした。
「そう、俺も元はお前に感染したダークオーラなんだよ。そしてそのダークオーラがお前をベースに形を持った、それがこの俺さ。」
驚愕に固まり何も言えない熱斗の代わりとでも言う気なのか、もう一人の熱斗は熱斗の返答を待たずに話を続けた。
衝撃的な話を訊かされた熱斗は、いつでも殴りかかれるように退いた腕が震えて、脚から力が抜けそうになる。
まさか、自分がダークオーラに感染していたなんて思いもしていなかった熱斗は、その事実を上手く受け入れられないのだ。
反論も何も浮かばずに黙りこんで呆然とする熱斗へ、もう一人の熱斗は更に続ける。
「嘘だろ? って、顔だよな。でも“俺”は知ってるはずだぜ? 人間にもダークオーラの感染は起こり得る事を。ほら、岬さんとかさ。」
心臓が軋む、汗が止まらない、呼吸が乱れる――次々に告げられる事実達の重みに、熱斗は押しつぶされそうになっていた。
どうにか、どうにか反論しなければいけない、このままこの相手の言葉に呑まれたらいけない、そう思うのに言葉が出てこない。
しかも、もう一人の熱斗は本来であれば“熱斗は知ってるはず”と言うべきところを、“俺は知ってるはず”だと言った。
これは、熱斗ともう一人の熱斗が同一の存在であり、どちらも同じ“自分”、すなわち“俺”で表せる存在である事を表現する言い方である。
熱斗と自分はお前と俺ではない、俺と俺なのだと、彼は表明し始めたのだ。
怖い、相手の話を認めてしまいそうになる、けれど、反論しなければ。
「……で、でも!」
熱斗は上手く回らなくなった頭で、それでも必死に考えて反論の糸口をなんとか掴んだようだった。
そして、まるで自分の子供の持論を聞きたがる母親、もしくは父親のように楽しげな表情で、ん? という、何かあるなら早く言ってごらん? と言いたげな表情を見せるもう一人の熱斗へ、自分の思い付いた反論をぶつける。
「それならお前は飽く迄もただの“ダークオーラ”で、もう一人の俺じゃない! 俺の姿を真似てるだけだ!」
陽のあたる所でできる物――影は、確かに本体に似ている。
しかし影は飽く迄も影であり、本体にはなりえない。
しかもその影が合成的に作られたものだとしたら、それは本体から遠く離れたものである、それが熱斗の反論だった。
そう、あれは自分ではない、あれと自分は同じ一人称を共有する存在などではない、あれは作り物、あれは自分に似せて作られた人形だ。
そう思う事で熱斗の心は少しだけ安定を取り戻し、激しく波打っていた心臓が少しずつ落ち着き、腕の震えは止まり、呼吸も落ち着いてきた。
そして、どうだ、これでもう何も言えないだろう、と思ってもう一人の熱斗を見る、が、そこで熱斗は、えっ……? と困惑することになる。
彼は、笑っていたのだ。
「ック、ククク……そうだな、俺は元々はただのダークオーラだよ。でもな、本当に熱斗の心に陰りが無いなら、俺は熱斗の姿にはなれなかったんだぜ?」
熱斗の背筋に、ゾクリと悪寒が走った。
「なぁ、ダークソウルっていうのは元々個人が持つ陰にダークオーラが加わって発現するものなんだぜ? だから……分かるよな? 俺はもうただのダークオーラじゃない、光 熱斗の陰が本体に干渉する力を得た、光 熱斗のダークソウルなんだ。……ただのダークオーラなら、こんな風に会話なんてできないしな。」
闘う為に込めた力が腕から抜ける、脚は情けなく震え、一度は落ち着いたはずの呼吸がまた乱れてくる。
心の中の陰り――自分で信じたくない想いにある程度の自覚があった熱斗は、その指摘と、自分は熱斗のダークソウルであるという発言にすっかり怯えて、もう一人の熱斗のペースに呑まれ始めていく。
脳裏を過る自分の数々の想い、退院前の炎山への八つ当たりに始まり、就寝前のロックマンとのやりとりまで、全ての薄暗い想いが体中を駆け抜ける。
いつの間にか臨戦態勢を解き、頭を抱えて焦る熱斗へ、もう一人の熱斗――熱斗のダークソウルは薄暗く不気味に笑いかける。
「そうそう、炎山も冷たかったよな、“俺”が寂しがってた事に気付いてくれたっていいのにさぁ。」
熱斗のダークソウルのその発言に驚いて、熱斗はバッと顔を上げた。
確かに今、熱斗は炎山に八つ当たりをしてしまった時の事を考えてはいたが、それを口に出してはいなかった。
それなのに何故か、熱斗のダークソウルは熱斗の考えをいとも簡単に当てて見せたのだ。
なんで、どうして、と叫びたそうな熱斗の前で、熱斗のダークソウルは熱斗が心の奥に仕舞ってきた数々の感情を暴露する。
「確かにさぁ、熱斗の思う通り炎山は別に悪くはないんだよな、悪くは。でもさぁ……それでも“俺”と炎山は前日に、新型ダークロイドとかの事を考えないで友達といられるのは久しぶり、って、話、してるんだよな。んでさ、“俺”はその久しぶりに期待してたんだよ。せっかく学校もネットセイバーの事も考えないで友達と一緒に居られる、そう思ってたのに……先に退院しちゃう上に、“俺”が寂しがって怒った事、少しも気付いてくれないんだぜ? やんなっちゃうよなぁ。」
「やめろ……」
僅かに能天気に、普段の熱斗のような口調と雰囲気で、もう一人の熱斗――熱斗のダークソウルは、熱斗の心の影を暴く。
それはおそらく、熱斗が一番外に出したくて仕方がない想いであり、同時に外に出したくない想いであり、傍聴人は他に居ないとはいえど隠しておきたいその内容をこれでもかという程に暴かれた熱斗はワナワナと震える。
熱斗のダークソウルはそれを見て、面白がるように続けた。
「入院初日はいつもの炎山じゃ無いくらい心配してくれたんだから、少しぐらい退院の時期を延ばして一緒にいてくれたっていいじゃんって、思うだろ? ホントの“俺”はさ、全部気付いてほしかったんだよ。寂しい、置いて行かないで、居なくならないでって叫びたかったんだ。」
「やめろ……やめろよ……」
一度は封じた筈の想いが洪水のように勢い良く溢れだしてくる。
炎山に対する理不尽な不満、そしてその不満に対する自己嫌悪が、熱斗の心臓を軋ませた。
それに押しつぶされそうになりながらも、熱斗はやっとの思いで、やめろ、と呟くが、熱斗のダークソウルは益々調子に乗ったのか、不満の暴露をやめてはくれない。
そして話は熱斗の退院後へと移る。
「そうそう、退院した後だってさ、今度はメイルちゃん達だよ! そもそもさ、あの入院の前の戦闘ってメイルちゃんとかデカオとかと遊んでた時にそれを抜け出して戦った訳じゃん? だから“俺”は一刻も早くそれを謝って、改めて一緒に遊びたかったのにさ……メールの返事はないし、電話をしてみればあら吃驚、“俺”以外みんなそろって遊んでやがるっていうね!」
「やめろ……!」
普段の熱斗なら使わないであろう、~してやがる、という表現を使う事でその想いの屈折加減を表されて、真っ直ぐな自分だけを信じていたい熱斗は先ほどよりもやや強い声でやめろと、これ以上暴くなという意味を込めて言った。
しかし熱斗のダークソウルはそれを聞いていないのか、いや、聞いた上で無視しているのか、まだまだ暴露をやめようとはしない、薄気味悪い笑みも消えない。
そして遂に、話は今日の出来事へとさしかかった。
「しかもバグチェックより軽い扱いなんて、不満を持つなって方が無理だよな! で、その上今日だよ今日! 俺の事はバグチェックより軽かったわりに、自分たちの事は沢山話す、それも隣のクラスの透くんの事まで! ……しかも、次に遊ぶ時の予定に“俺”の存在なんかありゃしない……なぁ、どう思う? 熱斗はそれで満足できるの? “俺”はそれで満足できるの? なぁ、満足なんかしてない事、俺はよく分かってるんだぜ?」
「やめろ、やめろ! これ以上何も言うな!!」
これ以上何かを言われたら大切な何かが壊れてしまいそうな気がして、熱斗は耐えきれずに絶叫するようにそう言った。
気付けばその茶色の目には涙が浮かび、呼吸はまるで泣き明かした後の小さな子供のように引き攣っている。
それを見て、熱斗のダークソウルは暗く微笑んだ。
「熱斗……なぁ、もし満足してるなら、どうして今お前はそんな顔で泣いてると思う? 俺には分かるんだよ、“俺”が、“熱斗”が本当は満足してない事……本当はもっと自分を見てほしかったんだよな、自分を四人の輪の中に入れてほしかったんだよな、それで――」
何か恐ろしい事を言われる、そう直感した熱斗はまるで逃げるように数歩後ろへ後ずさった。
しかしそれは熱斗のダークソウルが数歩前進することですぐ埋められてしまう距離でしか無く、実際に熱斗のダークソウルは熱斗が後ずさった事に気付くとすぐにその分の距離を、いやそれ以上に距離を詰めた。
そして、もう聞きたくないとばかりに耳をふさぐ熱斗へ、ゆっくりと、じんわりと、染み込ませるように告げる。
「……そうならないのなら、いっそ壊してしまいたかったんだよな。」
耳をふさいでも僅かな隙間から入りこんでくるその言葉に、熱斗は脚の力を失い、その場に崩れ落ちた。
そして思い出す、自分があの時、教室で三人が話していたあの時、偶然か必然かその光景を壊してしまい、一度は罪悪感を感じたが、その次には全く違う事、そう、ざまぁみろと言って笑いだしたくなるような優越感を感じていた事を。
いつの間にか、最初の臨戦態勢と警戒心は何処へやら、熱斗は固い床に膝を着いて座り込み、ただ呆然と、涙を流しながら、情けない泣き顔で自分のダークソウルを見つめていた。
反論できない、反論したいのに反論が浮かばない、事実を突き付けられ過ぎている、それが熱斗の戦意をこれ以上ない程に削いでいく。
そんな熱斗へ、熱斗のダークソウルはゆっくりと優雅に歩いて距離を縮め、遂には熱斗の目の前に立ち、その場でしゃがみこんでその視線の高さを熱斗に合わせる。
そして、
「怯えないで、熱斗。」
と言いながら、右手で熱斗の左頬に触れた。
体温が無いのかと思うような冷たい感触が熱斗の頬に伝わる。
そして熱斗のダークソウルはしばらく熱斗の頬を撫でた後に、急に熱斗を抱き締めた。
何がどうなっているのか理解できずなんの言葉も出ない熱斗へ、熱斗のダークソウルは囁き始める。
「俺はね、熱斗にちょっとした勇気をあげたいだけなんだから、さ。」
それはまるで悪魔の囁きのようで、この言葉に耳を貸してはいけないと直感した熱斗は自分も転ぶ事を覚悟で自分のダークソウルを突き飛ばした。
自分から少し離れた場所でダークソウルが倒れる。
案の定自分もバランスを崩して床に尻餅をつくが、熱斗はそれには構わず身体を起こしながら叫ぶ。
「要らない……闇の力が持つ勇気なんて、そんな、そんな間違ったもの、俺は要らない!!」
おそらく、それが熱斗にできる最後のまともな抵抗だっただろう。
正直なところ、熱斗は既に自分のダークソウルのペースに呑まれていて、合理的な反論など出来なくなっている。
だがそれでも、今尚熱斗の中に残る“正義の味方”の自覚が、熱斗を完全なる闇色の支配からかろうじて引き離していた。
これは闇だ、闇は悪だ、悪は敵だ、自分の敵は悪だ、悪は闇だ、だから頼ってはいけない、滅さなくてはいけない、闘わなくてはいけない。
それだだけが、今此処で、親友のロックマンも居ないこの場所で、熱斗が縋れる希望であった。
熱斗に突き飛ばされ熱斗の足元に倒れたダークソウルはしばらくの間何も言わず、微動だにもしなかったが、やがて倒れたまま小さく笑い――嘲笑し出した。
何がそんなにおかしいと言うのかと思う熱斗は緊張した面持ちで自分のダークソウルの顔を見る、と、ダークソウルの紅い目が熱斗の視線をガッチリと強く深く捕らえる。
まるで爬虫類か何かのようにギョロリと熱斗を見たその紅い目に、熱斗は一瞬驚きと寒気を感じてビクつき、床に座り込んだままで後ろへと這いずり下がった。
その間に、熱斗のダークソウルがその場で上体を起こし、ゆらりと立ちあがる。
そして熱斗のダークソウルは改めて熱斗に視線を向け、そして再び不気味な笑みを熱斗の視界におさめさせた。
今度は何を言う気だ、何をする気だと身構える熱斗に、熱斗のダークソウルは今度は近付こうとはせず、むしろ数歩後ろへと下がった。
だが、その紅い目から延びる視線はしっかりと熱斗の視線に絡められており、熱斗は強い緊張感と共に自分のダークソウルの言葉を待った。
やがて、熱斗のダークソウルが口を開く。
「そっか……残念だな。」
残念と言いながらも、熱斗のダークソウルの表情は、勝利を確信した悪人のように歪な笑みを貼りつけている。
コイツは本当に残念がっている訳ではない、何か策があるのかもしれないと思った熱斗は息を飲んだ。
すると案の定、熱斗のダークソウルは、でも――、と言葉を続ける。
「熱斗はきっと俺を、俺の協力を必要とするよ。どうして分かるかなんてもう分かるよな? だって熱斗は俺で、俺は熱斗なんだから。」
まるで自分は勝者だと勝ち誇るかのように自信に満ちた言葉と声に、熱斗は、そんなことあるものか、と強く両手を握りしめた。
だが同時に、もし彼に協力してもらったら何が変わると言うのだろう、という、期待じみた疑問も抱え始める。
勿論協力を仰ぐ気など無い、先にも思ったように闇の力の協力など要らない、けれど、協力、という漢字二文字のその言葉は、熱斗にとってどこか心惹かれる魅力的な響きを持っていた。
そんな熱斗の複雑な想いを知っているのか知らないのか、それは分からないが薄っすらと笑ったままの熱斗のダークソウルは小さく息を吐いてから右手を上げ、子供達のサヨナラの合図のように左右に振りながら闇に向かって歩き出した。
「じゃあまたな、熱斗。」
闇以外に何も無いこの黒が渦巻くだけの空間で、熱斗のダークソウルの姿はその闇に溶けてしまうかのように存在感を失い、その場から消えてしまった。
取り残された熱斗は呆然とそれを眺めていたが、やがてゆっくりとたちあがる、ハズだったが、
「あれっ?」
脚に力が入らず、熱斗はその場でもう一度転んでしまった。
気が付くと両腕も重く、視界も悪くなって、黒が黒で更に塗りつぶされるという不気味な感覚が熱斗を襲う。
嗚呼自分はこれからどうなってしまうのだろう、そんな恐怖が思考を支配し始めた時、頭の中心にではなく左右の耳に、熱斗のダークソウルとは別の声が響いた。