あの子の足元にも影はある

そしてどうしようもない恐怖の中、気が付けば一時間目と二時間目の授業が終わっていた。
熱斗は席に着いたままノートを鞄にしまいながら、授業の内容が全然頭に残っていないことに対して疲労の色が濃い溜息を吐く。
普段から集中力が高い方ではないことぐらい熱斗にも自覚があるのだが、今日はそれを越していたと思う。
しかもそれは、一時間目はまだロックマンとメイルの視線がどこへ向けられているのか気になり、二時間目はあの三人と隣のクラスの一人が自分のいない場所でどんなふうに交友を深め、自分の含まれない友人関係を築いて来たのかばかりが気になってその他のことに全く集中できなくなってしまうというどうしようもなく自分らしくない理由で、どうしようもない無力感とそんなおかしな自分への嫌悪感で熱斗はもう一度溜息を吐いた。

「熱斗くん、大丈夫?」

するとその溜息を聞きつけたロックマンがPETの中から訊いてきた。
熱斗は肩からPETを取り外し、画面を見る。
ロックマンの言葉は熱斗にとって神経を逆撫でする言葉だったようで、それは余計な心配ですよ! と熱斗は内心で毒づいたが、しかし同時に、自分は本当にそれを余計な心配と思っているのか? と、自分の思いへの疑念も湧き上がってきて、少しずつ胸を締め付けていく。
本当にロックマンの言葉は余計な心配なのだろうか? ここで振り払っていいものなのだろうか?
疑念は留まる事を知らず、ついに、本当は心配されることを望んでいたのかもしれない、という答えのようなものにすら辿り着く。
だがそれでも、昨日の夜のようなロックマンの不安げなのに酷く澄んだ目を見るとどうしようもなく気が立ってしまい、もしも自分がそれを望んでいたとしても、ロックマンには絶対知られたくないという捻くれた意地のようなものもジワジワと染み出してきて、熱斗はPETを肩に戻しながら吐き捨てるように不機嫌な声で答える。

「大丈夫も何も、俺は大丈夫じゃないことなんて一つもないぜ。」

嘘。
本当は大丈夫な事こそが一つもなくて、それぐらいのことは熱斗もしっかり自覚しているのだが、それでもやはりそこには踏み込まれたくない、例え相手がロックマンだとしても。
熱斗の不機嫌な反応にロックマンはPETの中で小さく悲しげな溜息を吐くが、熱斗がそれに気付くことは無く、また気付きたくもなかっただろう。
気付けばまた、あの形容できない不快感が一気に溢れだして何かを怒鳴っていたかもしれない。
けれど、

――黙られると、なんか……寂しい、かな。――

踏み込まれたくない一方で、全て荒らすように踏み込んで欲しかった気もして、結局はそんな自分に馬鹿馬鹿しさを感じた熱斗はもう何も見たくない気がして、机に両腕を置いてそこへ顔を伏せた。
ロックマンは今どんな顔をしているのか、先生はもう教室を出たのか、隣の席のメイルはそういえば何処へ行ったのか、デカオとやいとは何をしているのか、他のクラスメイトは外へ行ったのか教室にいるのか、透はこちらに来ているかどうか、これで全て見えない、見えないのだが聴覚は相変わらず鋭く周囲の音を集めてきて酷く神経を刺激し続ける。
後ろの方で誰かと誰かの談笑が聞こえる、おそらくあの三人や透ではないだろう。
前の方では女の子たちのおしゃべりが聞こえる、自分には何とも理解しがたいガールズトークはたまに下品な気がするのは気のせいか。
他に比べて少し離れた所、多分廊下、そこから聞こえるいくつかの足音と、待てー!という元気な声は廊下で鬼ごっこでもしているのだろうか?
下級生達が元気に生活している証拠でさえ今の熱斗にとっては神経を逆撫でする以外の何物でもなく、その煩さにひたすら苛立ちが積もる。

――煩い、全部煩い、煩いんだよ……少し静かにしろよ!!――

あまりの苛立ちに我を忘れかけたのか、熱斗はバッと顔をあげて椅子から勢い良く立ちあがっていた。
蹴るように押しのけられた椅子がガタンと大きな音を立てて、突然の出来事にロックマンが驚く。

「ね、熱斗くん?」

衝動的に立ちあがっていた熱斗は、ロックマンの声でふと我に返り、自分が立たされた状況を確認するように周囲を見回した。
教室に居る同級生の人数はあまり多くは無く、教室の後方にガールズトークの女子の塊がいて、前方で男子が三人で他愛無い談笑を交わしているだけだ。
そしてそれらの視線は今、全て熱斗に向けられている。
少しだけ冷静になった熱斗は、どうしようもなく恥ずかしさに襲われた。

「……な、なんだよ……。」

熱斗は決まりが悪そうにそう言いながら前方の男子達を、こっちを見るな、という意味を込めてほんの少しだけ睨みつけた。
ロックマンはPETの中で、それは彼らのセリフだと言いたげに頭を抱えている。
男子達はしばしポカンとしていたが、熱斗の目に薄っすらと自分達への嫌悪のような何かが含まれていることだけは気付き、視線をゆっくりと熱斗から外して先ほどより小さな声で会話に戻って行った。
聞こえてくる会話も熱斗のことには触れようとしておらず、話題は昨日のアニメがどうだとか、新しいカードゲームがどうなんだとか、至って普通の物だが、それでも声が小さいのは居心地が悪い証拠か。
それでも男子達が元々の会話に戻ってくれたことに熱斗は着席しながら安堵して小さく息を吐く、が、やはりそこは性別の差なのか、ガールズトークの女子達はそうもいかない。
男子達が一種の本能で避けた話題に、これまた一種の本能で食いついていく。

「何アレ、おかしくない?」
「珍しいよね、光くんがあんなの、」
「てゆーか男子災難ー、どうみても八つ当たりっしょ?」
「でもどうしてかな? 何か悩んでるとか……」

本人達は一応声を小さくしているつもりなのかもしれないが、前方の男子が静かになった教室で女子の高い声は耳障りな程通りやすく、熱斗は耳を塞ぐ。
幸いなことに熱斗は人望のある方で、そのおかげか熱斗を援護する女子の声もちらほらと聞こえる。
しかし熱斗からすれば自分の失態、醜態が話のネタにされていることに変わりは無く、非常に苛立たしく、不愉快だ。
それが自分のせいであることぐらいは分かっているが、それでも不快な物は不快だ。
そもそも何故自分があんな醜態をさらす羽目になったと思っている、お前たちがずっと煩いからだろう、それなのにお前らはまだそうやって、それが良いと思って、あああぁ……。
考えれば考えるほど苛立ちが募り、熱斗は机に両肘を着き、頭を抱えて下を向いた。
今すぐにでもあの女子の塊を引き裂いて、黙ってろ、と叫びたい衝動との格闘が始まる。

「にしたってないわー、八つ当たり男とか超サイアクー。」
「もー、マユはまた高校生みたいな言い方するんだから。」

しかし、それを女子の塊が察することなど無い。
彼女達には熱斗の神経を逆撫でしないことよりも自分たちの会話の話題が重要であり、集団で存在する彼女達にとって個人でしか無い熱斗の反論など、あったところで恐れるほどの物ではない、最後は多数が勝つ、口先だけは頭の回る女なら尚更だ。
最初は遠慮がちだった声も、徐々に大きくなっていることを、彼女達は自覚しているだろうか?
熱斗より更に前、つまり教室の前方にいる男子達はいよいよ気まずくなってきたのか口数が減ってきた。
煩い、煩い、煩い、煩い、煩い、煩い、煩い、煩い、煩い、煩い、煩い、煩い、煩い、煩い、煩い、煩い、煩い、煩い、煩い、煩い、煩い、煩い、煩い……熱斗の頭の中で、その言葉だけが何度も浮かび上がる。
PETの中のロックマンも男子達と同じように危機を感じ、神に何かを祈るように引き攣った顔で両手の指を組んでいる。

「でも実際あっちに悪気は無いし、あんなことされたら誰だって見ちゃうに決まってんじゃん。」
「だよねだよね! あたし達間違ってないよねー!」

女達の共同体意識の確認に、んなこと知るか! と叫びたい衝動を抑えるのにまた一苦労で、熱斗は一層強く両耳を押さえるが、水を得た魚のように元気を取り戻し過ぎてキャイキャイと甲高くなる女子たちの声は防ぎきれずに飛び込んでは頭の中をかき回す。
お前らが間違ってるとか間違ってないとかそういう話ではないだろう、そもそも誰がお前らに向けて文句を言ったんだ、自分は前にいる男子達に言っただけだ、だからそんなことを騒げる資格があるとしたらそれは彼等だけだ、と強く思うのだが、思っただけで相手に分かってもらえるなら口も声も必要無い。
男子達は互いを護るように最初よりも小さく固まり、ロックマンは本気で焦った顔をしてPETの中をウロウロと円形に徘徊している。
それすら後方の女子には関係なく、同時に、熱斗がそれを知ることもない。
そして、今すぐ机を力の限り殴りつけて後方を威嚇したい衝動を熱斗が堪えていることも、男子達、ロックマン、女子達は知らない。
男子達は何かありそうで怖いとは思うもののその何かが何なのかは分かっていないし、ロックマンも先ほどの行為の再来を危惧するだけで、女子達はそもそもそんなことを視野に入れたりはしない。
耐えろ、耐えるんだ、耐えないと、耐えないといけないんだと内心で何度も繰り返し、ただ耳を塞いで俯いて目を閉じて熱斗はこの拷問のような休み時間が終わる事をひたすら願う。

「あれは光くんがおかしいよね。」
「何も無いのに急に立つとか何考えてんのって感じー、なんか気持ち悪ぅーい!」

無邪気で邪気のある拷問はまだ終わらない。
勝手に想像を広げてもはや軽い悪口を言い、それを面白そうに笑う女子達に対して熱斗は、何も無い訳じゃない、お前ら含めて全部煩いんだよ! と叫びたい激怒にも似た衝動をそろそろ抑え切れなくなりそうだった。
そう、今すぐにでも席を立ってあの塊を裂くべきだ、悪いのは自分ではない、一々粘着質で、そんなくだらない悪口でしか盛り上がれない上に、それを本人の前で楽しそうにやっている悪魔のようなアイツ等が悪いんだ、俺は絶対悪くない、正しい、これは正当だ、正当防衛なんだという考えが脳内を巡り、あの塊の中で一際煩い女子生徒を殴り倒す映像がまるで出来の悪いドラマのように見えた気がする。
そうしたらきっとこの怒りは消える、もうそのぐらいやっていいだろう? と思って、一瞬耳から手を離し、その手を誰かを殴る為に強く握ったが、ネットセイバー――すなわち正義の味方としてのプライドがその後の行動に移る邪魔をして、熱斗は席を立つことができなかった。
ひとしきり悪口を言い終えたのか、女子の塊から聞こえるのは会話ではなくて下品で甲高い笑い声だけになっている、しかしそれでもそれが自分を笑っているのだと思うとどうしようもなく悔しくて、そして、怖い。
あの女子たちの会話は確かに汚い、しかし正直なところそれだけではないことぐらい熱斗も分かっている、アレ自体は自分がおかしかっただけだと、そんなことわかってる、だから、触れるな、黙れ、そっとしておいてくれ、俺が悪い、わかっています、だからあああああああああああああああああああああ、あ、あ、あ、あああ、あ……あ……。

どちらにせよ行き場の無い感情はその口を出口にしたいのか、もしもできるなら此処にいる全員の鼓膜が破れそうなくらいの絶叫を今すぐ響かせてしまいたくて仕方が無く、熱斗はその準備をするかのように息を深く吸う。
けれど、それをやったら今度こそ自分は周囲から完全に白い目で見られてしまうという恐怖、そして”そんなことは頭のおかしい奴がすることで、自分がするべきことじゃない”という一種のプライドがギリギリのところでその一線を越えることを防いでいて、吸い込んだ空気は声にならないままただ静かに、また震えるようにゆっくりと吐きだされた。
そうしてなんとか一線を越えずに済んだことに熱斗は一瞬安堵するが、その行為すらもあの女子の塊に笑われるのではないかという不安と恐怖がすぐに胸を刺し、死なない程度に心臓が痛みだす。
はたしてその恐怖は事実なのか、それとも熱斗の考え過ぎに過ぎないのか、それを確かめる為に後ろを向くことすら今の熱斗には気が触れそうなほど恐ろしくて、ただ頭を抱えて机を凝視したまま、もう休み時間が始まって随分経ったはずだ、あと少し我慢すればチャイムが鳴ってあの声はバラバラに席に戻り、他の生徒たちが授業を受けるために外から帰ってくる、そして先生が教室に入って号令がかかり、それでお終い、そこからはもう授業の時間になるんだ、と声には出さずに自分の中だけで必死に繰り返すことしかできない。
熱斗が今縋れるものは、それだけだった。

ロックマンも相変わらずPETの中で不安そうにウロウロしているが、しかしそれでも熱斗とは違い、その不安の中から女子の塊のことはすでに抜け落ちていた。
女子達が熱斗の醜態をネタにした会話から離れ始めた今、ロックマンは女子たちにはさほどの影響力も無いだろうと考え、その不安は“熱斗の様子がいつもと違う”ということだけに絞りこまれている。
そう、きっとロックマンなら、あの女子たちの会話はさほど気になるものではなかったのだろう。
勝手な推測をされることはロックマンでも不快だっただろうが、それだけでしかないまま終わっていただろう。
怖くなんて、無かっただろう。



六年A組の教室では、男子達がぼそぼそと肩を寄せ合って話し合い、女子の塊がキャイキャイと甲高い声ではしゃぎ、熱斗はそれらに耳を塞いで怯え、そんな熱斗に対してどう声を掛ければいいのかとロックマンがPETの中で必死に思案するという一種の不協和音がしばらく続いていたが、やっと三時間目を知らせるチャイムの音が潔く鳴りだした。
教室の前方でぼそぼそと話し合っていた男子達の中の一人が勢い良く立ちあがって叫ぶ。

「三時間目だ!」

どうやらこの男子は熱斗とは少し別の方向――個人的な恐怖は無いが、居心地の悪さは異常だ、という立場から三時間目のチャイムが待ち遠しかったらしく、その叫びは待ち焦がれた救いがようやく訪れたことを神に感謝するかのようでもあった。
その男子の居心地の悪さの片方であった熱斗も耳を塞ぐ両手からようやく力を抜き、机の上に無造作に乗せると、小さくも酷く疲弊した溜息を吐いた。
女子の塊は依然煩いが、それでも話の内容は熱斗のことでもその前の話題でもなくて、次の授業が好きか嫌いか、どこが面倒でどこが楽しいか、という割と普通のものになっている。
男子達が席に戻り、女子達も割と真面目な者から徐々に席に戻る。
熱斗もやっと緊張がほぼ完全に解けて、三時間目の授業で使うノートを鞄から引っ張り出し始めた、その時、

「熱斗が外で遊ばないなんて、珍しかったわね。」

机の横に掛けた鞄からノートを出すために前屈みの姿勢になっていると、頭上から声がした。

「えっ?」

その声がメイルのものであることを熱斗はすぐ判断することはできたが、いきなりそう言われた理由と経緯が分からなかったため、第一声は少し間抜けな反応になってしまった。
ノートを鞄の外に引き上げてから頭上を見るとそこには案の定と言うべきか、確かにメイルがいる。
メイルの席は熱斗の隣なのだから、今ここにメイルがいることが別におかしなことではないことぐらい熱斗にもよく分かっている、しかし今になってそんな声を掛けられた理由が熱斗には全く分からない。
自分はメイルとデカオとやいとと透から数歩退いた場所に取り残されていると感じ始めていた熱斗は、メイルが今こうして声を掛けてくる理由など無いと無意識の内に認識していたのだろう。
実際にはメイル達に熱斗を退かせた、もしくは熱斗から退いた自覚は無く、特にメイルはその筆頭であり、だからこそ熱斗が校庭に居なかったことを気にしていたのだが、それを熱斗が知る術はメイルから直接聞く以外に何も無い。
ともかく今、熱斗の前にはメイルがいる。
どうしてそんなことを言われたのかは分からないが、自然に声を掛けてもらえたこと自体はとても嬉しいし、目の前のメイルの表情に怒りや哀しみといったマイナスの感情は見えない、だから熱斗は朝のような酷い緊張に襲われることは無く、いつものように返事を、と思ったが、外に居なかった理由が理由だけにすぐには答えが出てこない。

「えーっと……」

メイルちゃんとデカオとやいとちゃんと隣のクラスの透くんが俺のいない場所でどんなふうに仲良くして、俺の含まれない友達関係を築いて来たのか気になり過ぎて疲れたせいです、……なんて言えるか! と熱斗は内心一人で発言し、ツッコミのような否定も入れた。
言葉に詰まる熱斗を、メイルは不思議なものを見るような目で見てきている。
何か、何か言わなければいけないが、上手い言い訳がなかなか思い浮かばない。

「その、なんかちょっとお腹痛くて……」

熱斗が軽く頭を掻きながらやっとの思いで引き出した言い訳は無難、というよりも言い訳の王道に近かった。
真実ではないという後ろめたさのせいでその声が弱くなったことと、熱斗は胃腸の弱いタイプではないという経験上から、メイルはそれを“嘘っぽい”と言うように目を細める。
実際問題それは嘘なのだが、だからと言って本当のことを言ったところでどうなると言うのだろう、どうしてもらえると言うのだろう、むしろ今が壊れない確証すらないじゃないか、というのが熱斗からメイルへの言い分で、自分自身への言い訳だ。
だから、

「本当なの? 何か隠してないでしょうね?」
「本当だって! まぁ休んでたら随分良くなったけどさ、授業中我慢できなかったら無言で行くから代わりにまり子先生への報告よろしく!」

未だ疑いの色を濃厚に見せるメイルへ、熱斗は多少空回りといえど元気な様子を見せ、その言い訳を貫いた。
本当に痛いのは腸でも胃でもない、心臓と心だったが、それは黙っておいた。
それでも今度は軽く笑えた、いつも通りに話せたという事実に熱斗は少しだけ安堵した。
ロックマンもPETの中で熱斗とメイルの会話を聞き、不安ではなく安心からの溜息を吐いている。
メイルはまだ少し熱斗の発言を疑っているようだったが、コレ以上問い詰めてもらちが明かないと思ったのか、それとも熱斗がそう言うならそういうことにしておこうと思ったのか、それは解らないがとにかく、先生への報告は自分でしてよね、と言いながら席に着いた。
熱斗の隣でメイルが椅子をひく音と、次の授業の為にノートと筆記用具を鞄から出す音がする。
先ほどの発言を深く疑われなかったことは良いのだが、この状況はそれはそれで、少し、つまらない。

自分でも何なのかよく分からない緊張――期待と共に、熱斗は隣にいるメイルにチラリと視線を向けた。
その視線の先にいるメイルは、授業の予習のつもりなのか、机に備え付けられたパソコンの画面に次の授業の教科書のデータを開いてそれを読んでいて、熱斗に見られていることにはまだ気付いていないようだ。
……まぁ、そりゃあそうだよな、とちょっとした落胆と共に熱斗は視線を教室前方のブラックボードに向ける。
担任であるまり子の姿はまだない。
そしてふと、メイルとはこうして話す事ができたが、そういえばデカオとやいとはどうしているのだろう? と思って、熱斗は教室全体を軽く見まわした。
もしかしてまだ校庭? とも思ったが、何度か見まわしているうちにデカオとやいとはそれぞれ席に着いている事に気が付く。

――……気に入らない。――

それが正直な感想だった。
いや、分かっている、彼らが普通の行動をとっているだけだということぐらい、熱斗にも分かっている、が、それは飽く迄も理解であって、納得ではない。
デカオ達がわざわざ熱斗にこんな時間に自分から進んで話しかける理由など無く、更に社会的行動として評価するなら授業前は他の机に寄り道せず自分の席に着くことが正しい事ぐらい、熱斗にもよく分かっている、理解は出来ている、それでも、

――やっぱり、寂しかったのは俺だけなんだ。――

そんな光景を目にする度、昨日の午後、つまり退院して帰宅した後、メイルのPETに通信を入れたあの時と非常によく似ていて、もはや同じとも言える思いが急激に蘇ってきて、実際の痛みの無い頭痛になってしまう。
熱斗はロクに痛みもしないはずの額を、頭の痛みに耐えるように軽く押さえた。
別に期待はしてい無つもりだったのに、何故こんなにも苦しいのだろう。
痛みにも思えるほど重く苦しい自分の感情を誤魔化したくて、熱斗は自分の頭の中だけで言い訳を呟き始めた。
入院と言っても長期の物ではなかったし、命にかかわる外傷や内蔵の損傷がある訳でもなくて、数日動けなかったという程ですらない、だから皆がそれについて触れてこないのは当たり前だと自分は分かっている、分かっている。
皆にも自分自身にも理不尽で歪んだ感情が手足の指先まで走っていく気がしてきて、それと同時に心臓が不自然に痛みだす。
痛みと言っても、テレビでたまに見かける生活習慣病とかいう病気にかかった人の様に急に倒れそうになるものではなく、少しだけ息が吸い難く吐き難いような、しかしやはり死ぬほどではないのに苦しいような、体調不良ではなく心因性であることが悔しい程に分かりやすい痛みで、熱斗はその悔しさに下唇をかみしめた。



そしてその日の放課後である。
多くの同級生が早々と帰宅し、一部の同級生が友達との雑談に耽るその時、熱斗はある行動を起こすことに決めていた。

あのぎこちない朝と気分の悪い休み時間を越えた頃から、熱斗は自分がそんなにも固くなり、冷たくなり、それでいて不安定で衝動的な熱さを持つという矛盾した症状について少しずつ考査を進めていたのだ。
どうして自分は今こんなにもおかしくなっているのか、おかしくなっているとしたら何を想っておかしくなっているのか、だとすればそれに対してどう働きかければ良いのか、普段は勉強を含め深い考察が苦手な熱斗はそれが嘘に思える程深く考え込んでいた。
そして、熱斗はある一つの結論にたどり着いたのだ。

鞄の中にノートや筆記用具を仕舞いながらも、熱斗は隣にいる人間の気配を窺う。
威圧感は無くとも存在感が無い訳ではない、至って普通で、感じ慣れたその存在感は幼馴染の少女、桜井 メイルのものだ。
メイルもノートや筆記用具を鞄に仕舞っている、その気配を感じる熱斗の心臓の鼓動は、速く強く、緊張に満ちたものになっていく。
熱斗は、血流の上がったその脳の中に、自分が先ほどまで散々考えてきた事とその解消法を改めて思い浮かべて、決意を固めようとする。

まず、どうして自分はそんなにもぎこちない動きばかりしているのかと考えた時に浮かんだのは、メイル、デカオ、やいと、透という四人の存在だった。
自分がぎこちない動きしかできなくなるのは今のところこの四人の前だけであって、他は、まぁ多少の失敗はあれど、四人の前程ではないと熱斗自身は感じている。
ではなぜ自分はこの四人の前だと行動が固くなって、おかしくなってしまうのか、それを考えた時にまず脳裏に浮かんだのは、入院のきっかけにもなった新型ダークロイドとの戦闘の、その直前の事であった。
あの日は自分もあの四人の中に混ざって合計五人で遊んでいたのだが、その途中で急に自分のPETが鳴り、画面に映った父親――祐一朗が新型ダークロイドの出現と自分の出撃命令を告げ、それを受けた自分は四人に謝りながらその場を抜けた。
その瞬間にはまだ感じなかった事だが、後――入院中になってから考えると、そこにはどうにも自分が途中で居なくなる事に慣れて、自分――光 熱斗は途中で居なくなって当然と思っていそうなあの四人の姿に、どうしようもなくモヤモヤと、そう、言ってしまえば不快感とでも言うべき苛立ちを感じている自分が居た、という所に熱斗はたどり着いた。
ならば自分は、それの何処にどういう不快感を感じ、どうやってその不快感を解消したいというのだろう? それも散々考えた結果が、今この瞬間、熱斗がしようとしている事である。

隣でメイルが動く気配が減ってきた、そろそろメイルは席を立ってしまう、早くしないと早くしないと……そう考えれば考える程に軋む心臓が行動の邪魔をする。
嗚呼、このまま脳内の考えを行動に移したら、心臓がこの軋みに耐えられず破れて死んでしまいそうだなどと考えつつも、熱斗はゆっくりとメイルの居る方向に身体を向けた。
メイルは相変わらず帰り支度をしているが、それでもそれは幼馴染の感なのか、それとも普通の人間でも気付ける物なのか、そのあたりは熱斗には分からないが、熱斗が自分に意識を向けてきた事に気付き、ふと帰り支度を進める手を止めて、訊ねてきた。

「熱斗? どうしたの?」

メイルからの問いかけに、とりあえず第一関門は突破したのだという事実を感じ、熱斗は少しだけ胸を撫で下ろした。
メイルの問いかけの声は何処か緊張した様子という事もなく、ごく普通に、やや好意的に、落ち着いた声音だったという事も熱斗を安心させることに一役買っている。
落ち着いた問いかけに、少しだけ心臓の軋みが和らいだ、その勢いで、熱斗は訊く。

「ねぇメイルちゃん、この後空いてる? よかったら遊ばない?」

これこそが、熱斗が思い至った、自分の固さ、ぎこちなさ、異常さの解消法であった。

あの時病院で感じた不快感はおそらく、あの四人の中に五人目である自分が居ないような感覚への不満だったのだろう、そう考えた熱斗は、それならば四人の中にもう一度自分を、五人目の存在を焼き付ければいいという結論に至っていた。
そう、正直なところやや認めたくないが、自分は四人と離れて“寂しかった”のだろうと、熱斗はようやく認め始めているのだ。
そしてまず手始めに、四人の中で最も自分の近くにいて、馴染みの深い相手、メイルに再びの接近を試みた、という訳だ。

熱斗の問いかけに、メイルは少し困ったような顔を見せて何かを考え込むような動作を見せた。
既に用事がある人間特有のその表情に、熱斗は少し嫌な予感――もしかしたら今日は駄目なのだろうか? という予想を立てて緊張する、と、メイルは少し困ったような雰囲気を残しつつも微笑して、逆に熱斗に問いかけてくる。

「えっとね、今日はこの後、デカオくん達と一緒にやいとちゃんの家の秘密基地で遊ぶんだけど……熱斗も来る?」

その問いかけは、熱斗の予想のはるか先を行く最悪な答えと言えたかもしれない。
いや、普通に考えるならそれは別に普通の問いかけで、むしろ優しさや広い許容、友愛に満ちた問いかけだったのかもしれない、が、今の熱斗には、それは酷く冷たく、しかし凍る事などできない中途半端さを持って、正に今熱斗がメイル達と自分の間に感じている薄ら寒さを再確認させられるような問いかけであったのだ。
熱斗の脳裏に、一体何時の間にみんなだけでの約束をしていたのだろう、という思いが浮かぶ。
もしも自分が今メイルを遊びに誘わなければ、自分は彼等から遊びに誘われる事はなかったのではないか、そう考えて背筋が、脳が、胸が、精神が、薄っすらと冷える。
彼等と自分の間に、薄っすらと冷たく、しかし生温い、不快な風が吹いている様な気がした。
そして、本来用事はなかったが近くに居たのでついでに拾ったオマケとでも言いたげに思える扱いに、いっそ断って帰ってしまいたいという苛立ちが襲うが、熱斗はそれを抑え込んで無理矢理に笑顔を作った。

「あ、そうなんだ? じゃあ俺も行っていい? 久々に……でもないけど、俺もみんなと遊びたいなって。」

なるべく明るく、しかし興奮はしない冷静な声で熱斗は参加の答えを返した。
その矛盾と言うべきか、明るいのに冷静という所に滲んだ“本心だけれど本心ではない”という苦みに、熱斗が皆での遊びへの参加でもいいと言ったことで安心したメイルは気付かず、熱斗の笑顔に合わせるかのように自分も笑って、よかった、などと言う。
その笑顔が熱斗の胸を酷く深く刺し、抉っているなどとは知らぬままで。

ともかく、オマケといえど四人の中に入る事を許された熱斗は、言葉にして発してはいけない不快感を自分の中だけで打ち消すことに必死になった。
オマケだなんて思ってはいけない、四人の中に自分が完全に居ないなどとは思ってはいけない、そしてその不満をぶちまけたいなど、絶対に思ってはいけないし、実行してはいけない。
もしも実行してしまったら、あの入院中の出来ごとのように、炎山と自分の間に流れた気まずい空気と同じ空気が、自分と四人の間に流れてしまうのだから、実行してはいけない。
普段とさほど変わらぬ笑顔の下で、熱斗は、仲間想いの自分で仲間を信じられずにいる自分を殺す事すらイメージする。

信じなければ、自分がまだ四人の中に残っている事を、信じなければ。

そんな事を熱斗が考えている間に、メイルは帰り支度を終えていた。
筆記用具やノートを仕舞った鞄を背負いながら、熱斗の葛藤など少しも知らないままのメイルは言う。

「あ、じゃあそろそろ下に降りましょ。やいとちゃんの車が待ってるはずだから。」
「あぁうん、そうだな、行こっか!」

熱斗は、できる限り元気な声を自分の中から無理矢理引き出して、それに答えて見せた。



いつも通りの軽い足取りで教室を出るメイルを、何処か重い足取りで熱斗は追って歩く。
教室を出て、廊下を通り、階段を下りて、昇降口をくぐると、校庭の中でも校門に近い場所にピンク色の大きな車が見えてきた。
どうやら、実際にやいとの家の車が迎えに来ているらしい。
それを見て熱斗は思う、車が既に迎えに来ているという事は、その連絡ができる程度に早く、四人は約束を交わしていたという事なのだろうか? と。
そう思うと何処か胸の奥で何かがつっかえる様に苦しくなって、頭の中では糸が絡まり合うように不快感と不満と不信が絡まり合って大きな塊になり、熱斗の気持ちに重りを乗せる。
本当なら五人で遊ぶ事はもっとも迎えたかった展開で、もっとも喜ばしい展開のハズなのに、何故こんなにも気持ちが重く沈むのか、その訳を熱斗はまだ知る事ができない。
普段通りワクワクとした雰囲気のメイルの後ろを、何処となく暗い表情で追って歩く。
そうしてピンク色の車の前に着くと、そこには既にやいととデカオと透の三人がそろっていた。
そして、メイルの後ろに熱斗の姿を見たデカオが、お? と何か不思議な物でも発見したかのような顔で熱斗を見る。

「なんだなんだ? 熱斗も一緒かよ?」

それは普段から、俺のメイルちゃんに近付くな! などと冗談半分で言っているデカオからすれば、ちょっとした友人同士の軽口というものだったかもしれない。
だが熱斗はそれに妙な程の自分への拒絶の意思を見出し、その言葉への不快感を露わにしてしまった。

「なんだよ、俺がいちゃいけないのかよ。」

その明らかに不満げで、真面目に不快だと言いたげな態度に、熱斗の返答が、お前こそまた居たのかよ? などと自分と同じ軽口で返ってくるだろうと思って先に軽口を叩いていたデカオは困惑した。
やいとと透も頭上に疑問符を浮かべたような、少しだけ困って悩んでいるような表情で顔を見合わせる。
そしてメイルがそんな熱斗の態度を心配して顔を覗き込んだ時、熱斗はようやくデカオの言葉がただのジョークである事に気付くのだった。
同じような軽口で返すべき言葉を真に受けて文句を返してしまった事を後悔した熱斗の表情が引きつる。

「あ、ごめ、なんか俺、勘違いして、えっと……」

とっさに自分自身の言葉へのフォローと言う名の言い訳を探したが、それは何処にも見つからず、熱斗は途切れ途切れにいくつかの単語を発するのが精一杯になっていた。
仲間へ不満を持ったという後悔と、このままではデカオの気分を害してしまうのではないかという焦り、そして何よりそれによって仲間たちから白い目で見られるようになるのではないかという不安が熱斗の思考を支配する。
早く、早く何か言わなければ、そう思えば思う程逆に言葉が出なくなってしまい、熱斗は更に焦った。

やいとと透、デカオとメイルはそんな熱斗を不思議な物を見るような目で見ていたが、やがてこのままでは埒が明かないと思ったやいとが声を上げた。

「はいはい、何を勘違いしてたのかは知らないけど、説明は後! とりあえずみんな車に乗って頂戴、まずは秘密基地まで行きましょ。」

鶴の一声にも似たそれで、熱斗は混乱から引き上げられ、メイルとデカオと透はやいとへ頷いて見せた。
そして、透、デカオ、やいとという順番でやいとの車に乗り込んでいく。

「熱斗も行きましょ?」

最後にメイルが熱斗にそう声をかけてから車に乗り込んだので、熱斗も焦ってそれを追い、車に乗った。
バタンと音を立てて扉が閉まり、車が走り出す。
相変わらず走り出しからも静かで快適なその環境に、熱斗は僅かな懐かしさを感じた。
少し前にも乗った事があるはずなのにどうしてだろう、とぼんやり考えていると、やいとが何やら話しだした。
どうやらデカオから今日は何をするのか訊かれ、説明を返しているらしい。

「今日もみんなにはバイオハンターのテストプレイをしてもらいたいの。この間は対戦プレイモードだったから、今日はストーリーモードをね。プレイヤーは……」

やいとの言葉をさえぎるように、黄緑色の半袖の服から伸びる手が勢い良く上がった。

「はいはいはいはい!! 俺!! 俺がやるぜ!!」

先ほど自分が失敗をして気まずい空気になった割には、デカオは相変わらず元気だな、などと思いながら、熱斗はその会話に耳を傾ける。
そして、この間の対戦プレイに自分が関わっていない事、またそれはあの退院当日の電話の日の事だろうと思いだして、何と無く気分が薄暗く沈むのだった。
この間という時間の中に、五人目――自分――光 熱斗は居ない。

「もう、そう言うと思ってたわよ。メイルちゃん、透くん、熱斗はそれで良いかしら?」

熱斗が一人で落ち込んでいる間にも、やいととデカオは話を進め、やいとは溜息混じりで、しかし楽しそうにメイル達へ了解を求めてきた。
メイルと透はそれに対して軽く頷く。

「えぇ、良いわよ。」
「僕もそれでいいよ。」

そうしてメイルと透はすぐに返事をしたが、熱斗はすぐに返事をする事が出来なかった。
何故なら、熱斗はその時考え込んでいたのである、今この瞬間に、本来なら自分は必要ないのであろうということを。

そう、本音を言えば、熱斗には全ての言葉が引っ掛かっていたのだ。
“今日も”、“この間”、“今日は”という言葉達、これら全ては今日以前、今回で言うなら昨日の間にやいとの家に行き、そのゲームをプレイしている事を前提にしている。
だから、その昨日の中に居ない自分はハッキリ言って部外者であり、デカオの“熱斗も一緒かよ?”というのは“部外者が増えている”という意味だったのではないか、そんな気がして、いや、気がするなんてレベルではない、そうとしか思えなくなってくる。
そしてもしそれが当たっていたなら、自分は、自分は……。

熱斗の心に、黒く重い影が沈むように落ちていく。

「熱斗? ねぇ熱斗ったら!」
「えっ?」

いつの間にか意識が何処か遠くへ飛びかけていた熱斗を、メイルの複数回にわたる呼びかけが呼び戻した。
熱斗がハッとして周囲を見ると、隣に座るメイルだけでなく、その奥に座るやいと、右斜め前に座るデカオ、その更に奥に座る透の全員が何か不思議な物を見るような目で熱斗を見つめている。
つい先ほどまで皆の意識の中に焼き付きたいと思っていたというのに、実際にその意識の中心に置かれるとどうしても固まってしまうのはどうしてか、その瞬間の熱斗には理解することはできなかった。
それでも、今自分が何か軽い失態をしてしまったのだろうという事だけは理解できた熱斗は、少し困ったような顔を見せながらメイルに訊き返す。

「あっと、ゴメン、ちょっと聞いてなかった……えっと、何?」

やいとが小さく溜息を吐き、デカオが不審がる様な顔をして、メイルと透が不審がりながらも心配するように表情を曇らせた、その状況が酷く怖くて、熱斗は皆には見えない位置に置いた左手をぎゅっと強く握りしめた。
訳のわからない恐怖に震える気持ちを抑えて表面だけの笑顔を作り向けると、やいとが少し呆れたように溜息を吐きながらももう一度簡単に説明をしてくれる。

「もう……今日はバイオハンターのストーリーモードをプレイしてもらうんだけど、主なプレイヤーはデカオで良いかしら、って聞いたのよ。」
「あ、あぁ、そういうことか、別にかまわないぜ。」

俺はそのバイオハンターとやらがどんなゲームか全然分からないしな、という言葉は、場の空気を壊すだけの気がしたので出さずに飲み込んでおく事にした。
どうしようもなく重い何かを抱えたまま、熱斗は皆への同意を込めた笑顔を向け続ける。
嗚呼今にも頬が引き攣ってしまいそうだなどという息苦しさを抱えたままで、それに気付いてほしいという思いを僅かに抱えたままで。
しかし残念ながら皆がその思いに気付く訳など無く、熱斗からの同意を得たことで安心した皆はゲームの話に戻っていく。

「そう、じゃあプレイヤーはデカオで決まりね。ところで昨日は説明して無かったんだけど、バイオハンターでの武器は――」

そこから先は、熱斗にはまるで異国の言葉で話されている様な、そんな会話が続く。
ショットガンがどうだの、ハンドガンがどうだの、ライフの回復はどうだの、ゲームのシステムについての会話と言う事は分かるのだが、それがゲームのどんなシステムについての会話なのかは熱斗には分からず、次第に話からフェードアウトしていった熱斗はぼんやりと外の景色を眺めた。
大きな道路の中をやいとの家に向かって真っすぐ走る車は、幸いな事に信号に引っかかる回数も少なく、道は特別渋滞しているという事もない。
あまり多く止まる事のない車、その窓の外を景色が淡々と流れていく様を、仲間達が続ける異国の会話を耳に入れながら眺めていく、その間、熱斗は自分がまるで透明になってその存在感を失うような感覚を覚えはじめていた。
ふと、隣に座るメイルに目を向けてみたが、普段ならすぐに“なぁに? 熱斗。”と聞いてくれるであろう彼女はやいとやデカオ、透と共にゲームの話題に夢中になっている。

――あぁ、今俺、みんなの中にいないんだ……。――

やいと、メイル、デカオ、透の四人は楽しげに異国の会話を続け、光 熱斗という彼等の国から見た外国人の存在など眼中にない、今自分は、四人の中に存在していない、それを熱斗は痛感する。
消えていく、自分の存在が、存在感が、存在意義が消えていく。
それは酷く怖くて、酷く悲しくて、酷過ぎる寂しさが熱斗の心臓を締めあげたが、その痛みに気付く者は誰一人として居なかった。
そうして黒い影は、その密度を増していく。



やがて車はやいとの家の敷地に着き、その中の駐車スペースへ向けてスピードを落とした走行を始めた。
一番にそれに気付くのはやはり熱斗で、やっとやいとの家に着いたと思いつつ、熱斗は少し疲れた溜息を吐く。
結局、四人の会話に口を挟む事はあれから一度も出来なかった。
チラリと四人の方を見ると、四人はまだゲームの話に夢中になっていて、やいとの家に着いた事には気付いていないようだ。
熱斗はそれを見てモヤモヤとした不快感をつのらせる。
きっと、今の自分は外の景色と同じような物なのだろう、そう思うとどうしようもなく悔しくて、今すぐにも四人の会話の中にゲームや昨日の話題とは全く関係無い言葉を持ちこみ、その会話を崩してしまいたくなる。
だが熱斗は、幸か不幸か、それが良くない行動である事を知っていて、友達と話す事の楽しさも知っていて、だからこそ“四人の楽しみの邪魔をしてはいけない”という思いが優先され、結局は何もせずに外を眺める事に意識を向けた。

やがて車はそのスピードを本格的に落し、駐車場に停車した。
それに気付いた熱斗が一番に思った事は、あぁやっとこの疎外感から解放される、という事で、決して明るく楽しげなどではなく既に退屈そうに疲弊した表情は、すぐ近くで未だにゲームの話に興じる四人とは酷く対照的だった。
そうこうしているうちに運転手が車を降り、ドアを開けにやってくる。
ガチャリ、という鍵とドアの開く音がした時、ようやく四人の声が止まった。
ドアが開いて、運転手の姿が見える。

「やいとお嬢様、到着しました。」
「あら、早かったのね。」

運転手とやいとの会話を訊いた瞬間、熱斗は苛立ちのような昂りを感じた。
早くなんて無い、自分には十分すぎる程に遅かった、という言葉が脳裏に浮かび上がる。
やいとは話に夢中だったから早かったと言えるのだ、景色を見るしかする事のなかった自分にはこれは酷く遅かったのだ、そんな反論が肺から喉へ、喉から口へ、そして外へ出たがっている。
熱斗は一瞬、このままこの言葉を外に出してしまおうか、と思う。
しかし一方で、これは自分の責任ではないか、という思いがそれの邪魔をする。
自分が積極的にならなかったから四人は自分に気付かなかったのだろう、それにそもそも、今回の四人にとって自分は想定外のメンバーであり、それを思えばこれは普通の光景なのだろう。
熱斗は四人が悪いと思う攻撃的な想いと、自分が悪いと思う自虐的な想いの間で板挟みになっていく。
二つの想いが混ざり合って脳の中はグチャグチャになり、怒りは心臓の鼓動を速めるのに自己嫌悪はその心臓をコードか何かで絞めつけて抑えようとするように押しつぶす。
自分が怖いくらいに四人の存在を渇望している事実と、その事実を外に出せない自分と、色々な想いが絡まり合った頭の中は発狂寸前にも近い。

そんな熱斗を一時的に現実引き戻したのは、熱斗の座っている側とは反対方向にあるドアが開いた音だった。
ガチャリ、という重い音が、一時的に熱斗の思考を途切れさせる。
ハッとして音のした方向を見ると、運転手とは別の老齢気味の男性がドアを開いてやいと達の降りる場所を確保していた。

「やいとお嬢様と皆様、こちらからもどうぞ。」
「あら、ありがとう。」

やいとは老齢の男性に軽く礼を言うと老齢の男性が開いたドアの方から車外へ出て、コンクリートの地面へと足を着けた。
続いて透、デカオが降り、そして最後にメイルがそのドアに近付いていく。
次々と車外に降りる友人たちを見て、熱斗は何かハッとした様な表情をした後、自分のすぐ隣のドアから自身も急いで車外に降りた。
その、熱斗だけが別のドアから降りるという行為は、まるで今の熱斗と四人の間の見えない壁を象徴しているようでもあった。

車を降りてすぐ、一人だけ車を挟んで反対側に出てしまった熱斗は、車を挟んで向かい側に集まっている四人にすぐ視線を向ける。
四人の様子を見ると、四人とも車内でほぼじっとしたままゲームの話に集中していたせいで身体が固まっていたのか、デカオと透は伸びをして体をほぐしていた。
メイルとやいとも小さくではあるが伸びをしたり肩を回したり、体をほぐしている。
熱斗はそんな四人の元へ、車の後ろを軽く走って通り抜け、静かに合流した。
そして、さて今度こそは自分もこの四人の会話に混ざるぞ、と内心で意気込む、が、

「じゃあ、此処からは歩きで行きましょ。」

熱斗が何か言って自分の存在を四人に知らせるよりも前にやいとがそう言って歩き出し、デカオと透、メイルもそれを追って歩き出してしまった。
向けられる背中、離れる足音、車外に出ても仲間に入りきれない自分、それら全ての事実が熱斗の中でぐるぐると渦を巻き、その渦の中心に熱斗を閉じ込める。
嗚呼、どうして、どうして声をかけるタイミングを逃したのだろう? ただ少し、やっぱり車は身体が固まるよな、とでも言ってみれば良かっただけなのに、嗚呼自分の意気地なし。
そんな自虐的な想いがこみ上げてきて熱斗を包みかけたが、それはその責任を負いたくないゆえか、それとも一種の嫉み故なのか、すぐに自虐的とは真反対な、自分ではなく四人が悪いとする考えが同じ場所から湧き上がってくる。
違う、自分が言わなかったのではない、彼等が言うタイミングを自分にくれなかったのだ、そうに違いない、彼等にとって今回の自分はオマケ、オマケの言葉なんて、オマケの存在なんて、彼等にとっては――そこまで考えて、熱斗はそれを振り払うように左右に頭を振った。
どうにも今日の自分はおかしい、どこか考えが下向き過ぎる、そう感じてまた自己嫌悪に沈みかけながらも、熱斗は必死に走り、既に随分と距離の開いてしまった四人の背中を追う。
そうして既にコンクリートの地面を外れ土の上を歩く四人の後ろにたどり着くと、四人はゲームの話ではなく、車が家に着くのが早い、等と話していた。

「それにしても今日は早かったわね。運がいいわ。」

先ほどと同じようにまたしても車の到着が早かったというやいとに、熱斗は心の中だけで、そりゃあ渋滞してなかったし、赤信号にもあんまり引っかかんなかったもんな、という同意とも反論ともとれる反応をした。
やいとは外の様子を知ってそれを言っているのか、それとも知らずに言っているのか、それは熱斗には分からかったが、もしも知らずに言っているなら、と考えるだけで熱斗の中に苛立ちが溜まっていく。
もしも、本当に渋滞していなかった事を知らずに言っているのなら、その事実を知っているのが自分だけだなのだとしたら、そしてその事実を知っている自分に誰も気付いていないとしたら、そろそろ自分はおかしくなりそうだ、と熱斗が思った時、メイルがやいとへ返事をする。

「そうね、道路が空いてたのかしら? 夕方は込んでると思ってたんだけど、ラッキーね。」
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