Re_そばにいて……

「おにーちゃんなんでヒトリなのぉー?」

炎山の表情が驚愕に引き攣り、そして次の瞬間には怒りに歪んだ。
今一番言われたくない一言を、今一番関わり合いたくないような存在から言われたという事実が、炎山の平静を突き崩していく。
後から思えば、その子供に悪意など無かったという事は炎山にも分かっただろうが、今この瞬間の炎山には、その子供がまるで悪魔のような悪意を持って自分の境遇を嘲笑っているように感じられたのだ。
膝の上に置いていた両手を握りしめ、肩を小さく震わす炎山を見て、炎山が一人でいる事に更なる興味を持った子供はもう一度口を開き、

「ねーねーなんで」
「……煩い!! お前には関係ないだろう!?」

なんでヒトリなの? と子供が繰り返すよりも前に、炎山が怒鳴った。
その剣幕は生半可なものではなかったため、たちまち子供は委縮して、くりくりとした大きな両目に沢山の涙を溜め始め、ヒクヒクと引き攣った呼吸を始めた。
それを見た炎山が我に返った時には、子供は既に大きな声で泣きだしていて、バスの時刻表の傍にいるカップルがまるで蔑むような目で炎山を見ながらひそひそと小さな声で言葉を交わすのも見えた。
同時に、タッタッタッと二人の人間の足音が聞こえてきて、それが尚更炎山を焦らせる。
そして現れたのは、バスの時刻表の近くにいるカップルよりも少し年上と思わしき男女だ。

「ちょっと!! 貴方何をしたの!?」

母親と思わしき茶髪で長い髪の女性は、泣きじゃくる我が子を見てから、ベンチに座ったままの炎山に詰め寄る。
その隣で、父親と思わしき黒髪短髪の男性は、子供を抱き上げてあやし始めた。
母親と思わしき女性は、緩く巻いた髪を揺らしながら尚も炎山を責め立てる。

「いきなり大声が聞こえたから何かと思えば……!! うちの子に謝って!!」

気が付けば、子供をあやしていたはずの男性も炎山を蔑むような目で見ていて、炎山は自分がこれ以上なく不利な状況にある事を悟る。
だが、その一方で炎山は、ほら見ろ、という、謝罪とは程遠い感想も抱いていた。
子供の心の安全を脅かした炎山を排除しようとする母親と、炎山の言動で傷ついた心を癒そうとしてくれる父親という二つの人種に抱きかかえられて、ぬくぬくと過ごす子供が、非常に憎らしい。
一度転ばされた程度でなんだ、他人に転ばされた程度でなんだというのだ、自分など、自分など……という思いが、溢れて止まらなくなる。
これ以上不利な状況になる前に早く謝ってしまおう、という考えが徐々に萎れて、怒りたいのはこちらだ、悪いのはその子供なのだ、という思いが膨れ上がってきた炎山は、ふらりと立ち上がる。

「な、何よ!! 早く謝りなさいよ!!」

炎山が子供あるいは自分達を攻撃すると思ったのか、あえて強気に出た女性を、炎山は一瞥する。
女性はその剣幕に慄いて小さく息を呑んだ。
それは、自分達は被害者で謝ってもらう権利がある、という思いを吹き飛ばすほど、炎山の視線が鋭く、憎悪に満ちていたからだ。
これ以上詰め寄ると逆に危険だと判断したのか、女性と男性は一歩後退し、近くにいたカップルは炎山とも親子とも視線を合わせないように車道に視線を向ける。
立ち上がった炎山は、子供を守るように抱きかかえる男性に視線を向けると、わざとらしい笑顔を浮かべて言った。

「お子さん、気を付けた方が良いですよ。皆が皆、幸せな訳じゃありませんから……ね。」

そんな炎山が怖かったのか、子供は男性の胸に顔をうずめて震えだし、子供を抱きかかえたままの男性も何も言う事が出来ず、炎山から視線を逸らすだけで精一杯の様だった。
炎山はそれを見ながらしばしの間わざとらしい笑みを崩さなかったが、やがてふと無表情になり、無言でベンチと幸せそうな家族の間から抜け出てバス停を離れる。
背後で、先ほどの子供が大声で泣き出す声が聞こえたが、炎山は振り返らない。
子供の両親も、炎山を引き留めようとはしなかった。
バス停を離れながら、炎山は、自分の言動がクリスマスムードに浮かれた奴等の浮ついた幸せを壊した事に、優越感を感じ、笑いながら駆け出したいような衝動に襲われる。
ざまあみろ、ざまあみろ、ざまあみろ、と頭の中だけで繰り返しながら、小さくほくそ笑んで歩く炎山を、いつの間にか肩の上にいた小さなホログラムのブルースだけが不安げな表情で見守っていた。


そして、ブルースの不安は数分後には的中する事となる。
先ほどは優越感に包まれてほくそ笑みながら歩いていた炎山であったが、それからしばらく経った今は、何かを悔やむような表情で俯きつつ、相変わらず人通りの多い歩道をとぼとぼと歩いているのだ。
時より、小さな溜息を吐く音もするものだから、ブルースは胸が潰れるような、重い不安と後悔に苛まれる。
そう、ブルースの不安は、炎山が周囲を傷付けるような行動に出た事や、それによって周囲が傷付く事と言うよりは、その行動によって炎山自身が後々深く傷ついてしまう事にあった。
勿論、炎山の攻撃性の犠牲になったあの親子の事も多少は心配だが、ブルースはそれ以上に、周囲を傷付けた攻撃的な自分を炎山が客観視できるようになった時に襲い来るであろう後悔の大きな渦が、炎山を呑み込み殺してしまうのではないかという事を心配している。
5/9ページ