Re_そばにいて……

ブルースがそのような考えに沈んでいるうちにも、炎山は自動ドアの前に到着する。
透明なガラスでできた自動ドアの先の景色は全体的に白く、そういえば今日の天候は晴天でも降雨でもなく降雪だったな、と炎山はようやく思い出した。
炎山が一歩前に踏み出すと、自動ドアのセンサーはそれを感知してスライド式の扉を開く。
ヒュウッ、と吹き込んでくる北風に小さく身震いしてから、炎山は雪景色の街へと足を踏み出した。
ビルのすぐ前は人通りや車の往来があるせいか、そこまでの積雪は無く、雪を踏んだ感触は無い。
空からは白くふんわりとした都会特有のボタン雪がふわふわと漂うように降っていて、外には傘を差しながら歩く人の姿がいくらか見えたが、外が雪だという事を忘れていた炎山の手元に傘は無く、背後で自動ドアが閉まるのを感じながら、炎山は溜息を吐く。

「傘を持って来るよう命じましょうか?」

そんな炎山をまた心配したのか、ブルースが声をかけてきた。
炎山は、まだそこにいたのか、という刺々しい言葉を飲み込んでから、努めて冷静に振る舞いつつ答える。

「いや、必要無い。」

そうして炎山はIPCの所有する敷地を後にして、公共の道路の歩道に出た。
歩道と車道の境目になっている生垣には、いくつもの色とりどりのLED電球が付いたコードが何メートル、いや何十メートルにも渡って巻き付けられていて、ビジネス街であるはずのこの地域の雰囲気を一変させている。
ふと気になって街灯を見れば、やはりそちらも支柱の部分にLED電球付きのコードが巻かれていて、普段は若干寂れた印象すらあるはずの街灯だというのに、今日は妙に明るく、楽しげな、子供の玩具のような印象を振りまいている。
ああ、そういえば今日はクリスマスイヴだったか、と、そこに至って思い出した炎山の表情に僅かな陰りが差した。
キリスト教国家でもない二ホンで、これに何の意味があるというのだろう?
二ホンの象徴である現在の天皇の誕生日ならまだしも、キリストというもはやこの世にいない存在を、キリスト教信徒でない二ホン人が祝う理由は何だというのだ。
馬鹿馬鹿しい、非常に非合理的である。
そんな事を考えながらも、受付嬢達に外出を知らせてしまった事もあって社内に戻る事は気が引けた炎山は、この場所以上にクリスマスの雰囲気で満ちているであろうビジネス街の外、例えば商店街等には行かない事にして、特に目的も無ければ意味の欠片も無い、炎山にとって非常に無価値な散歩を始めた。

しかし、所々に積もる雪を避けながら歩道を歩き始めて約十分が経つ頃には、炎山の精神はビジネス街にさえ蔓延るクリスマスムードによって潰れそうになっていた。
というのも、此処はビジネス街であって、商店街や繁華街ではない、筈なのに、すれ違う人間はそのほとんどが恋人同士や家族、最低でも友人同士で集まって歩いていているからだ。
勿論、たまには炎山のように一人で歩いている人間もいない訳ではないが、それでもそれらは高確率でPETの通話機能やメール機能を使い誰かと連絡を取りながら歩いていて、PETの画面を見ながら幸せそうな笑顔を浮かべているのだから、炎山は非常に面白くない思いでいっぱいになっていく。
右を見れば家族連れの笑顔、左を見ればカップルの笑顔、後ろを向けば友人グループの笑顔、前を向けば歩きながらPETを操作する帰宅途中の会社員達の微かな笑い声。
何処を見ても、三百六十度笑顔で、その笑顔の集団の中に、笑顔になれない自分がいる。

「……チッ。」

気付けば、炎山は自然と苦い顔で舌打ちをしていた。
しかし、そんな事をしたところで周囲が笑顔でなくなる訳でも、自分が笑顔になれる訳でもない事は、炎山にもよく分かっている。
その証拠に、不機嫌そうな顔で舌打ちをする炎山に振り向く人間は、誰一人いなかった。
普段は炎山をアイドルのように扱い、キャーキャーと黄色い悲鳴を上げているであろう女子中高生の団体さえも、今日は炎山に見向きもしない。


それから更に歩き続ける事五分、その頃にはもう、炎山の心は折れたも同然で、もはや苛立つ事さえ億劫になってしまったかのような疲れた表情で、ビジネス街の端にあるバス停のベンチに、炎山はぐったりと座り込んでいた。
それでも、周囲は相変わらず、否、ビジネス街の外に近くなった分余計にクリスマスムードが色濃くなっており、道端のクリスマス飾りはビジネス街の中心よりも遥かに増え、一人で帰宅する途中と思わしき会社員等は減って、家族連れやカップルばかりが目に付くものであるから、炎山は更に濃い疲労を感じた。
そう、炎山が今座っているベンチの近く、バス停の時刻表のすぐ近くにも、これからバスで何処かに出かけると思わしき一組のカップルがいて、楽しみ、大好き、ありがとう、などの単語を発し続けていて、炎山はそれが非常に面白くなく感じられた。
何かの手違いでもあって、あのカップルの片方が車道に落ち、そのままバスにでも轢かれてしまえばいい。
そんな事を思っていると、今度は何処かから家族連れの少し騒がしい声が聞こえてきて、それが徐々に近づいてくる。

「きゃははははー!」
「もう、そんなに走ったら転ぶわよー。」
「はは、今日は元気が良いな。」

それはまだ視界に入って来たわけではないので、どんな家族連れかは分からない。
だが、なんとなく小さな子供とその両親という図を想像した炎山は、なんとなく、その子供が転んでしまえばいいと思った。
転ぶ事は痛いかもしれない、だが、その子供にはその痛みを和らげようと必死になってくれる大人がいるのだから、転んでもいいだろう、と考えながら視線を地面に落とすと、目の前に小さな小さな子供――おそらく男児――の顔が見えて、炎山は少し驚いて目を丸くする。
不思議なものを見るような目で炎山を見る子供に、炎山は少しの間をおいて落ち着きを取り戻してから訊く。

「……何か用か。」

面倒臭い事この上ない、と思いながら、疑問符が付かないような淡々とした声で言った炎山を見て、子供は少し首を傾げた後、残酷な一言を放った。
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