Re_それは些細な幸せと大きな悲しみと共に
今日のライカには名人の手伝いがある、それは紛れも無く本当の事である。
ライカは数日前に名人からの連絡を受け、クロスフュージョンの更なる発展のためのデータ収集の手伝いを頼まれているのだ。
なんでも名人いわく、クロスフュージョンはニホン開発の技術である事から、その性能はニホン人の感覚で作られており、ニホン人の身体にあったシステムが組まれているらしい。
だが科学省はクロスフュージョンを将来的には災害時の救援隊などの装備として普及させたいと考えており、その為にニホン人以外の感覚にもあったシステムの開発を進めているのだという。
しかし、やはり今の段階では被験者の人種にはかなりの偏りがあり、ニホン人以外のデータが不足しているというのが科学省の大きな悩みだそうだ。
そこで名人を含む科学省は、今いるクロスフュージョンメンバーの中だけでもニホン人ではないメンバーから多くのデータを取りたいと思っており、まず最初にネットセイバーで連絡のとりやすいライカに今協力を要請する事にしたのだという。
そしてその連絡が来た頃、ライカは丁度クロスフュージョン使用者としての定期健診の日程が近く、それならニホンで健診を受けてそれと並行して名人と科学省の手伝いをすればいい、という話になり、事件も無いのに来日して科学省を訪れていた、という事なのだ。
しかし、ライカがロッカールームを出て最初に向かったのは、名人のいる研究室とは少し離れたところにある、少人数用の会議室が数多く並ぶ廊下だった。
この廊下に並ぶ会議室は、会議が無い時は職員の休憩所として使う事が許されている部屋がほとんどで、職員の誰でも気軽に使えるようにとの配慮から、扉も鍵も手動式になっており、他の部屋によくある扉横のカードリーダーやパスワードを入れる為のキーボードなどは存在しない。
昔の中小企業のビルにありそうな、アナログでセキュリティ意識も低めなそれらの会議室は、基本的に会議室として使用する職員はほぼおらず、前述したとおり休憩所として使われている事の方が多い。
ただ、それでもやはり会議室という側面も失わないように、情報漏洩対策として防音性は高く、扉さえ閉めてしまえば廊下や隣室には内部の音が漏れないようになっていて、職員が使う事は少なくとも、将来的に科学省へ就職する事を目指している大学院生などが集まって会議をする事はそこそこある。
「サーチマン、今日は何処だ?」
ライカは廊下を歩きながら、ズボンのポケットの中にあるPETの中のサーチマンに話しかけた。
サーチマンはライカの左肩の上に小さなホログラムで現れて答える。
「……今日は一番奥の202号会議室だそうです。」
サーチマンの声は、いつも通り静かと言えば静かなのだが、何か後ろめたさを感じている時のような、躊躇いの色が感じられた。
もし今サーチマンと共にいる人物がライカでは無く熱斗やロックマンだったなら、迷う事無くその事を指摘して、サーチマンがためらっている事はなんなのかを聞きだそうとしただろう。
しかし今サーチマンの傍にいるのは飽く迄もライカであり、ライカはサーチマンの声の何かを躊躇うような雰囲気に気付きながらも、特にそれを指摘はしないまま廊下を一番奥に向けて歩き続ける。
そうして廊下の一番奥の行き止まりにたどり着くと、ライカは迷わず202号会議室の扉の取っ手に手を伸ばし、ゆっくりと扉を開けた。
会議室の中には職員も大学院生もおらず、部屋の奥の大型モニターに電源は入っていない。
ライカは肩の上のサーチマンに視線を向け、話しかける。
「話が終わったら、ネットワークを通じて名人の研究室まで来い。分かったな?」
「……はい。」
サーチマンの返事はやはり普段より力が無く、少し辛そうにさえ聞こえる。
ライカは少し困ったような表情を浮かべて、何か言おうと言葉を探すが、結局何も言葉を見つけられずに視線をモニターに向けた。
そして会議室の中に足を踏み入れると電源の入っていないモニターに歩み寄り、その横のコントロールパネルに手を触れてモニターに電源を入れ、ズボンのポケットの中のPETを取り出して、モニターのプラグイン端子に向ける。
「プラグイン、サーチマン、トランスミッション。」
いつもよりやや控えめな声で言いながら、ライカはサーチマンをモニターの電脳へ送り込んだ。
電源の点いたモニターの画面に、電脳世界の中の様子が映し出される。
モニターの電脳世界の中にはサーチマン以外のナビはいない。
ライカはモニターを確認すると、PETをズボンのポケットに仕舞い直しながら言う。
「それじゃあ、俺は行くからな。」
サーチマンは一瞬の沈黙を挟んでから、
「はい、申し訳ありません……。」
と、やはり沈みがちの声で応えた。
ライカは、何故か謝ってきたサーチマンの映るモニターを見ながら、サーチマンを安心させるように少しだけ微笑する。
それはまるで、何か悲しい思いをしている子供、あるいは同い年の人間を慰めるような優しさを帯びている。
「気にするな。それより……」
そこでライカは一度言葉を切り、微笑をやめた。
此処から先の事は、笑いながら言うような事ではないという事なのだろうか。
ライカは小さく深呼吸をして自分を落ち着け、他にもっと的確な言葉があるのかどうかを考えてから、その言葉を口にした。
「……無理、するなよ。」
ライカがそう言うと、サーチマンは珍しくライカから視線を逸らし、その視線を床に向けながら殊更寂しそうで悲しそうな顔を見せた。
それは暗に、ライカが言っている事こそが無理な事だと言っているようで、ライカの表情も少し困ったような、あるいはサーチマンを心配しているような表情に変わる。
やはり、何か別の言葉をかけてやるべきだったのかもしれない、とライカは密かに後悔しているのだ。
居心地の悪い沈黙がライカとサーチマンの間に舞い降りる。
その沈黙は、視線を上げてライカに微笑を向けたサーチマンの声によって破られた。
「……はい、有難うございます。」
ライカの言葉の選択が的確だったかどうかはともかくとしても、サーチマンはライカが自分を心配し、優しい言葉をかけてくれた事が嬉しかったらしい。
ライカに感謝を述べてそっと微笑むサーチマンはまだ何処か寂しげで、ライカは自分のナビが苦しんでいるというのに何もできない事への無力感を感じたが、そこでその無力感を顔に出す事はせず、サーチマンと同じ様にそっと微笑してからモニターに背を向け、出入り口の扉に向けて歩きだした。
やがてライカは廊下に出て、会議室の扉を後ろ手で閉じる。
スライド式の扉は、昔の小学校の教室の扉のようにガラガラと音を立てながら閉じた。
扉を閉じたライカは、先ほど熱斗と炎山に宣言したとおり名人の手伝いをする為、名人の研究室へ向かおうと、廊下を先ほどとは逆方向に歩きだす。
すると、廊下の奥の方に、他の職員達に比べて背丈の小さな人影が見えた。
その廊下は両端に大きな窓ガラスがあって、今はちょうどその人影の後ろから日が照っている為、人影の顔はよく見えなかったが、ライカはその人影の身長やシルエットから、それが熱斗の友人の桜井 メイルである事に気が付いた。
メイルは、ライカが向かおうとしている方向とは反対方向、つまり今ライカがいる方向に向けて歩いてくる。
「あら、こんにちは、ライカ。」
お互いの距離が二メートル程度になった時、メイルが軽く右手を上げながらライカに挨拶をしてきた。
その挨拶には一切悪意など含まれていないのだが、ライカは正直、何がこんにちはだというのだか、と思ってしまう。
しかしライカはそれを表情に出す事は無く、至って冷静に返事をした。
「桜井か。熱斗なら、まだロッカールームか、もしくは光博士の研究室だと思うぞ。」
「そうなの? 教えてくれてありがとう、後で行ってみるわね。それじゃあ。」
メイルはニコッと明るく微笑んでそう言うと、ライカの横をすり抜けて廊下を奥へと進んでいく。
後に残されたライカはその背中を見ながら、少し呆れたように大きな溜息を吐く。
そしてライカが前に向き直り、再び歩き始めた頃、ライカの背後、廊下の奥の方で、会議室の扉が開く、あのガラガラというスライド式扉の特徴的な音がした。
ライカは数日前に名人からの連絡を受け、クロスフュージョンの更なる発展のためのデータ収集の手伝いを頼まれているのだ。
なんでも名人いわく、クロスフュージョンはニホン開発の技術である事から、その性能はニホン人の感覚で作られており、ニホン人の身体にあったシステムが組まれているらしい。
だが科学省はクロスフュージョンを将来的には災害時の救援隊などの装備として普及させたいと考えており、その為にニホン人以外の感覚にもあったシステムの開発を進めているのだという。
しかし、やはり今の段階では被験者の人種にはかなりの偏りがあり、ニホン人以外のデータが不足しているというのが科学省の大きな悩みだそうだ。
そこで名人を含む科学省は、今いるクロスフュージョンメンバーの中だけでもニホン人ではないメンバーから多くのデータを取りたいと思っており、まず最初にネットセイバーで連絡のとりやすいライカに今協力を要請する事にしたのだという。
そしてその連絡が来た頃、ライカは丁度クロスフュージョン使用者としての定期健診の日程が近く、それならニホンで健診を受けてそれと並行して名人と科学省の手伝いをすればいい、という話になり、事件も無いのに来日して科学省を訪れていた、という事なのだ。
しかし、ライカがロッカールームを出て最初に向かったのは、名人のいる研究室とは少し離れたところにある、少人数用の会議室が数多く並ぶ廊下だった。
この廊下に並ぶ会議室は、会議が無い時は職員の休憩所として使う事が許されている部屋がほとんどで、職員の誰でも気軽に使えるようにとの配慮から、扉も鍵も手動式になっており、他の部屋によくある扉横のカードリーダーやパスワードを入れる為のキーボードなどは存在しない。
昔の中小企業のビルにありそうな、アナログでセキュリティ意識も低めなそれらの会議室は、基本的に会議室として使用する職員はほぼおらず、前述したとおり休憩所として使われている事の方が多い。
ただ、それでもやはり会議室という側面も失わないように、情報漏洩対策として防音性は高く、扉さえ閉めてしまえば廊下や隣室には内部の音が漏れないようになっていて、職員が使う事は少なくとも、将来的に科学省へ就職する事を目指している大学院生などが集まって会議をする事はそこそこある。
「サーチマン、今日は何処だ?」
ライカは廊下を歩きながら、ズボンのポケットの中にあるPETの中のサーチマンに話しかけた。
サーチマンはライカの左肩の上に小さなホログラムで現れて答える。
「……今日は一番奥の202号会議室だそうです。」
サーチマンの声は、いつも通り静かと言えば静かなのだが、何か後ろめたさを感じている時のような、躊躇いの色が感じられた。
もし今サーチマンと共にいる人物がライカでは無く熱斗やロックマンだったなら、迷う事無くその事を指摘して、サーチマンがためらっている事はなんなのかを聞きだそうとしただろう。
しかし今サーチマンの傍にいるのは飽く迄もライカであり、ライカはサーチマンの声の何かを躊躇うような雰囲気に気付きながらも、特にそれを指摘はしないまま廊下を一番奥に向けて歩き続ける。
そうして廊下の一番奥の行き止まりにたどり着くと、ライカは迷わず202号会議室の扉の取っ手に手を伸ばし、ゆっくりと扉を開けた。
会議室の中には職員も大学院生もおらず、部屋の奥の大型モニターに電源は入っていない。
ライカは肩の上のサーチマンに視線を向け、話しかける。
「話が終わったら、ネットワークを通じて名人の研究室まで来い。分かったな?」
「……はい。」
サーチマンの返事はやはり普段より力が無く、少し辛そうにさえ聞こえる。
ライカは少し困ったような表情を浮かべて、何か言おうと言葉を探すが、結局何も言葉を見つけられずに視線をモニターに向けた。
そして会議室の中に足を踏み入れると電源の入っていないモニターに歩み寄り、その横のコントロールパネルに手を触れてモニターに電源を入れ、ズボンのポケットの中のPETを取り出して、モニターのプラグイン端子に向ける。
「プラグイン、サーチマン、トランスミッション。」
いつもよりやや控えめな声で言いながら、ライカはサーチマンをモニターの電脳へ送り込んだ。
電源の点いたモニターの画面に、電脳世界の中の様子が映し出される。
モニターの電脳世界の中にはサーチマン以外のナビはいない。
ライカはモニターを確認すると、PETをズボンのポケットに仕舞い直しながら言う。
「それじゃあ、俺は行くからな。」
サーチマンは一瞬の沈黙を挟んでから、
「はい、申し訳ありません……。」
と、やはり沈みがちの声で応えた。
ライカは、何故か謝ってきたサーチマンの映るモニターを見ながら、サーチマンを安心させるように少しだけ微笑する。
それはまるで、何か悲しい思いをしている子供、あるいは同い年の人間を慰めるような優しさを帯びている。
「気にするな。それより……」
そこでライカは一度言葉を切り、微笑をやめた。
此処から先の事は、笑いながら言うような事ではないという事なのだろうか。
ライカは小さく深呼吸をして自分を落ち着け、他にもっと的確な言葉があるのかどうかを考えてから、その言葉を口にした。
「……無理、するなよ。」
ライカがそう言うと、サーチマンは珍しくライカから視線を逸らし、その視線を床に向けながら殊更寂しそうで悲しそうな顔を見せた。
それは暗に、ライカが言っている事こそが無理な事だと言っているようで、ライカの表情も少し困ったような、あるいはサーチマンを心配しているような表情に変わる。
やはり、何か別の言葉をかけてやるべきだったのかもしれない、とライカは密かに後悔しているのだ。
居心地の悪い沈黙がライカとサーチマンの間に舞い降りる。
その沈黙は、視線を上げてライカに微笑を向けたサーチマンの声によって破られた。
「……はい、有難うございます。」
ライカの言葉の選択が的確だったかどうかはともかくとしても、サーチマンはライカが自分を心配し、優しい言葉をかけてくれた事が嬉しかったらしい。
ライカに感謝を述べてそっと微笑むサーチマンはまだ何処か寂しげで、ライカは自分のナビが苦しんでいるというのに何もできない事への無力感を感じたが、そこでその無力感を顔に出す事はせず、サーチマンと同じ様にそっと微笑してからモニターに背を向け、出入り口の扉に向けて歩きだした。
やがてライカは廊下に出て、会議室の扉を後ろ手で閉じる。
スライド式の扉は、昔の小学校の教室の扉のようにガラガラと音を立てながら閉じた。
扉を閉じたライカは、先ほど熱斗と炎山に宣言したとおり名人の手伝いをする為、名人の研究室へ向かおうと、廊下を先ほどとは逆方向に歩きだす。
すると、廊下の奥の方に、他の職員達に比べて背丈の小さな人影が見えた。
その廊下は両端に大きな窓ガラスがあって、今はちょうどその人影の後ろから日が照っている為、人影の顔はよく見えなかったが、ライカはその人影の身長やシルエットから、それが熱斗の友人の桜井 メイルである事に気が付いた。
メイルは、ライカが向かおうとしている方向とは反対方向、つまり今ライカがいる方向に向けて歩いてくる。
「あら、こんにちは、ライカ。」
お互いの距離が二メートル程度になった時、メイルが軽く右手を上げながらライカに挨拶をしてきた。
その挨拶には一切悪意など含まれていないのだが、ライカは正直、何がこんにちはだというのだか、と思ってしまう。
しかしライカはそれを表情に出す事は無く、至って冷静に返事をした。
「桜井か。熱斗なら、まだロッカールームか、もしくは光博士の研究室だと思うぞ。」
「そうなの? 教えてくれてありがとう、後で行ってみるわね。それじゃあ。」
メイルはニコッと明るく微笑んでそう言うと、ライカの横をすり抜けて廊下を奥へと進んでいく。
後に残されたライカはその背中を見ながら、少し呆れたように大きな溜息を吐く。
そしてライカが前に向き直り、再び歩き始めた頃、ライカの背後、廊下の奥の方で、会議室の扉が開く、あのガラガラというスライド式扉の特徴的な音がした。