Re_それは些細な幸せと大きな悲しみと共に

それは浜辺に心地よく柔らかな波が届いてからすぐに、溺れてしまいそうな大きな波が押し寄せるようだった。


キャッシュデータの暴走から二ヶ月程度の時が経ったある日の午後の事。
その日、ネットセイバーでありクロスフュージョンを使用する熱斗、炎山、ライカと、そのナビであるロックマン、ブルース、サーチマンは、月に一度受けている定期健診を受ける為、科学省に集まっていた。
三人と三体が使うクロスフュージョンシステムはまだ開発されたばかりと言っても過言では無い技術であり、人間にもネットナビにも大きな負担をかけている可能性があるので、科学省やネット警察はクロスフュージョン使用者の定期的な健康診断を義務付けているのだ。

「やっぱ健診ってめんどくさいよなー。」

科学省職員も使うロッカールームで、検査用の服を脱ぎながら、熱斗が炎山とライカに話しかけた。
しかし炎山とライカは熱斗のお喋りに付き合うつもりは無いのか、特に何も反応しないまま同じく検査用の服を脱いでいる。
二人のどちらからも返事をもらえなかった熱斗はロッカーのドアの内部の鏡で二人の様子を窺って、二人が自分に見向きもしていない事を確認すると少しだけ不満そうな顔をしたが、すぐに表情を戻して話を続ける。

「もう随分クロスフュージョンしてるけどさ、何も問題なんて無かったし、そろそろこんなにしょっちゅう調べなくてもいいと思うんだよなー。」

随分と呑気な声でそう言った熱斗は、普段の白いシャツの袖に腕を通しながらもう一度鏡で二人の様子を窺った。
しかし、二人はやはり熱斗の方には見向きもせずに、炎山は黒いシャツの袖に腕を通し、ライカは軍服の前ボタンを留める作業に移っている。
明らかに二人から無視をされた熱斗は心底つまらなくなって、さっきよりも強く不満の表情を浮かべて鏡から視線を逸らし、ロッカーの奥に入れていた黒い短パンに手を伸ばした。
そして熱斗が短パンをロッカーから取り出し、片足を通したところで、炎山がようやく口を開く。

「普段から使用しているのだから心配は無い、というのは非常に甘い考えだ。お前は日用品のせいで怪我をした事は無いのか?」

炎山の少し呆れたような声音の意味を、熱斗はよく理解できなかった。
それ以外にも熱斗には、クロスフュージョンの話をしたのに何故日用品の話を返されたのかが分からず、訳が分からないと言いたげな顔をして、もう片方の足を短パンの穴に通しつつ、鏡に映った炎山の後ろ姿を見ながら答える。

「……そりゃ、あるけど。」
「なら、俺の言いたい事も分かるだろう?」
「いや、全然わかんない。日用品とクロスフュージョンは別もんだろ?」

炎山が何か訳の分からない事を言っている、と言いたげに、少し小馬鹿にしたような口調で熱斗が言うと、炎山は大きな溜息を吐いた。
ライカは相変わらず無言で、黄色いネクタイを締めている。
熱斗の炎山を小馬鹿にしたような態度に対し、小馬鹿にされるべきはお前だとでも言いたげに溜息を吐いた炎山に、熱斗は自分が先に炎山を小馬鹿にしていた事も気にせず、背後へ振り向いて直接苛立たしげな視線を向けた。
すると、赤い袖無しの上着と緑色の迷彩柄のズボンを着用し終えた炎山も背後に振り向き、鏡越しでは無く直接熱斗に視線を合わせる。
若干苛立たしげな熱斗とは反対に、炎山の表情は普段通りの無表情だ。

「俺が言いたいのは、単純な日用品でも怪我のリスクが潜んでいるというのに、複雑な技術が使われたクロスフュージョンに怪我や病気のリスクが無いなどとどうして言えるんだ、という事だ。それに、お前は忘れているかもしれないが、お前とロックマンが初めてクロスフュージョンした時、お前はしばらく動けない程に体力を削られたそうじゃないか。それだけでもクロスフュージョンが人体に与える影響がどれだけ大きいかが分かるだろう?」

熱斗はやはり日用品とクロスフュージョンを同じ舞台で考える事にはあまり納得がいかなかったが、それでも炎山に言われて自分の最初のクロスフュージョンの時の事を思い出す。
確かにあの時は、ダークロイドを撃退してクロスフュージョンを解いた直後に自分は意識を失ってしまい、目が覚めたのは確か翌日だったか、と言う事を考えると、炎山が言う事は全く分からない事ではない気がした。
ただ、後にも先にもクロスフュージョンでそこまで疲弊したのはその時ぐらいで、後は戦闘中に大ダメージでも負わない限りはそんな事は無いのだから、最初はともかく今はそんなに細々と検査をしなくても、というのが熱斗の感覚だった。
そんな、まだよく分かっていませんと言いたげな考え方が顔に出ている熱斗を見て、炎山はもう一度溜息を吐く。
それは、コイツにこの様な話は難しかったか……、と言いたげだ。
だが熱斗は今度はそれに過剰反応する事は無く、ロッカーの中に向き直ってオレンジ色の袖なしのジャケットを手に取りながら言う。

「まぁなんでもいいけど、もう少し健診の回数、減らしてほしいよなー。最近はクロスフュージョンしなきゃいけない事件も全然無いしさ。」
「確かに、事件が減った事は認めるが……」

確かに熱斗の言う通り、此処二ヶ月程は全くと言っていいほどクロスフュージョンの出番は無く、何かあったとしてもロックマンやブルース、サーチマンが電脳世界で捜査をする程度の事しかない。
それは炎山も分かっているようで、そこそこすんなりと認めた。
だが炎山は飽く迄も定期健診の重要性を推したいらしく、荷物をすべて取りだしたロッカーの扉を閉めながら言葉を続ける。

「どうせ大人になれば定期的な健康診断は普通の事になるんだ、今から受けておいたとしても損は無いだろう。」
「えーっ? でも大人の普通の健康診断って、こんなんじゃないだろ? 毎回毎回透明なケースの中でスキャンを受ける訳?」

熱斗の反論に対し、炎山は少し沈黙してから、

「……そうではないのは、認める。」

と言った。
その直後、炎山の横でパタリとロッカーの扉が閉まる音がした。
どうやらライカも着替えを終えて、荷物も取り出し終えたらしい。
ライカは熱斗と炎山の会話に参加する事は無く、そのままロッカールームの出入り口の扉に向かって歩きだす。
その後ろ姿に熱斗が声をかける。

「ライカ、もう帰り?」
「いや、俺は少し名人の手伝いを――」

手伝いをするから残る、とライカが言おうとした瞬間、ピピピッ、と電子的な音がロッカールームに響いた。
熱斗と炎山とライカは自分のPETのメールの着信音かと思い、熱斗は肩のベルトから、炎山とライカはズボンのポケットからPETを取り出す。
三人のPET画面には黄緑色の背景とそれぞれのネットナビが映っている。

「ロックマン、今の俺?」
「ううん、違うよ。」
「ブルース、着信か?」
「いえ、違います。」

始めに熱斗がロックマンに尋ねたが、ロックマンは違うと言い、続けてブルースに尋ねた炎山も、ブルースから否定の返事を受けた。
そうなると、他の職員がいない今、考えられる答えは一つになる為、熱斗と炎山の視線がライカに向けられる。
ロックマンとブルースもそれぞれ自分のオペレーターの肩の上に現れ、ライカに視線を向けた。
ライカは自分のPETの画面の中央にいるサーチマンに視線を向けて尋ねる。

「サーチマン、今のは俺か?」
「はい、そうですが、スパムメールでしたので削除しておきました。」
「……そうか。」

サーチマンの返答に、ライカは数秒の間を置いてから短く反応し、PETをズボンのポケットに仕舞い直した。
その数秒の間がなんとなく頭の中で引っかかった熱斗は、頭上に疑問符を浮かべたような顔でライカを見る。
一方炎山は先ほどと変わらずほぼ無表情を貫いていたが、時より横目で熱斗の様子を窺っていた。
その目はまるで、熱斗が頭上に疑問符を浮かべたような顔をしている事に呆れているように見えない事も無い。
明らかに対照的な様子の二人の視線を背中に感じながら、ライカは元の話の続きに戻る。

「とにかく、俺は名人の手伝いがあるから先に行く。じゃあな、熱斗、炎山。」

ライカは振り返る事無くそのままロッカールームのコントロールパネルを操作し、扉を開いた。
それが合図となって、熱斗は頭上に疑問符を浮かべたような顔からちょっとした笑顔になり、見えないと分かりつつもライカに軽く手を振る。

「あぁ、またな!」

ライカは振り返らずとも熱斗がどう動くか分かっていたようで、軽く右手を上げてから扉の向こう側へ踏み出し、そのまま廊下に出る。
ライカが完全にロッカールームの外に出ると、他の物が入る事を恐れるかのようにロッカールームと廊下をつなぐ扉は素早く自動的に閉まった。
扉が閉まって自分たちの会話がライカに聞こえなくなったのを確認すると、ライカに向けていた笑顔をやめた熱斗が、やはり頭上に疑問符を浮かべたような顔をして炎山に問いかける。

「なぁ炎山、あれホントにスパムメールだったと思う?」

問いかけられた炎山は一瞬だけ、視線の先の相手を責めるような、少し苛立ちが隠せていない目で熱斗を見たが、熱斗がそれに気づくよりも前に無表情に戻って、

「サーチマンがそう言うなら、そうだと思うぞ。」

とだけ言った。
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