僕等の答え

熱斗から進んで自分に会いに来てもらえる事自体は嬉しいが、それが珍しいこと故にあまり良い予感がしないメイルは、さては直接会って逃げ道を封じてから宿題やら何やらを押し付ける気か、という結論に至る。
よし、それならば少し芝居を打ってやろうか、などと考えていると、

「……あの、メイルちゃん?」

熱斗が何かを心配する様な声でメイルを呼んだ。
どうやらメイルがあれこれ考えているうちに結構な時間が経過していたらしく、PET画面に映る熱斗の表情は明らかにメイルの機嫌を窺うようなものになっている。
それを見てメイルは“やっぱり熱斗は逃げ道を失くしてから無理なお願いをしてくる気だ”と確信した。
はてさて、それは宿題か、それとも父親で科学者の光 祐一朗の実験及び研究への手伝いか――。

その予想のどちらかが本当だったなら、どれだけ良かったことだろうか。
熱斗が持つPETの中、この通信の画面には映らない場所でロックマンが仮面のような無表情を貼り付けたまま二人の会話に耳を傾けていることを、メイルはまだ知る由も無い。
そして、今自分が会話をしている熱斗の表情も、本当に機嫌を窺っているからのものではなく、双方にとって一大事となる程重く、間違っていることが明らかではあるのだけれど、今更我慢も出来ない選択をしているのだという自覚が滲み出た表情であるのだということも。

メイルが黙っている間、自室の中央に立ちつくして青いPETを握る熱斗は、頭の中身が揺れるような感覚を覚えつつ、様々な想いの中をグルグルと彷徨っていた。
今ならまだ引き返せる、普通に遊びに行って普通に帰ればいいんだ、まだ間に合う、そんな思いがまだ思考の隅で必死に自分に呼び掛けてくるのが分かる。
そうだ、今自分がやろうとしていることは間違っていて、そうやって隅から聞こえる選択こそが正しい、それを熱斗は知っている、そんなことは解っているのだ。

だから、苦しかったこともよく知っている。

「そうね……今は掃除中だから、午後からだったら構わないわよ?」

熱斗がらしくない感情に蝕まれる中、それを知らないメイルは散々的外れなことを考えた末、熱斗の訪問を許可することに決めた。
それはメイルが何も知らないからかもしれないし、何も勘付いていないからかもしれないなどという事ぐらい、熱斗にはよく分かっている。
実際、メイルは熱斗がこの後しようとしていることについて一切勘付いてはおらず、今までも熱斗が密かに、けれど社会的な悪の組織との戦いよりも激しく、醜い葛藤をどれだけ続けてきても気付いてくれなかったのがいい例だろう。
しかしそれでも、メイルが自分の訪問を許可した事実は熱斗の緊張をふっと融かしていき、僅かな安心と、確実な拒絶はされていないという希望、そして喜びを与えた。

「じゃあさ、俺、その掃除手伝うよ。」

ほぼ無意識のうちに怯えや戸惑いが薄れて、熱斗の表情は笑顔になっていた。
自分が今内面に秘める決意が正しい事ではないことは解っている、正しい選択を求める自分が居なくなったわけではない事も知っている、そもそも自分の本質は常に正しい事を欲してきたと言っても過言ではない事だって覚えている。
だから、本当は今もこれからも正しくありたいと思っている部分もある、でも、それでも、間違った自分が望む結末へ一歩踏み出すことができた事実が、酷く嬉しくて仕方が無い。
このまま進んでしまおう、きっと、その方が幸せになれるから。
もう、怖がらなくて済むから。

そんな、いつになく喜びに陶酔したような熱斗の笑顔を見たメイルは、一瞬、言葉に詰まった。

「……え?」

熱斗が自分から会いたいと言ってくる事自体がまず滅多にないことだと思っていたのに、その返事は一体どういう事なのだろう、何を言っているのだろう。
さっきから予想外の展開が連続し過ぎていて問いたい事は山ほどあるのに、その問いを口に出せる形に考えるには思考の速度が足りなくて、戸惑いの中でようやく出てきた言葉はとても間抜けなひらがな一文字だけになってしまっていた。
ずっと話を聴いていたロールも、メイルのPETの中で随分と困惑している。
掃除を手伝う、とはどういうことだろう? 熱斗は掃除が得意なタイプだっただろうか? むしろ嫌いな方だとばかり思っていたのだが、違ったのだろうか?
いや、重要なのはそこではない。
メイルは、掃除が終わってからおいで、という意味で、午後からだったら構わない、と言ったのだから、掃除を手伝うということ、掃除が終わらない内に来るということはつまり、

「だから、俺も一緒に掃除をするから、今から行きたいな、って思ったんだけど……どう?」

メイルが自分で答えを出す前に発せられた熱斗からの返事は、メイルの戸惑いを見透かしたかのように的確だった。
普段、熱斗の事を鈍感だと思ってばかりいたメイルにとって、その返事も酷く予想外の展開で、困惑したメイルは上手く返事ができず、言い訳を探すように視線を宙で泳がせながら、言葉を濁す。

「えっ、と……」

メイルから見て、乙女心に非常に鈍感な熱斗が自ら近くに来てくれることはとても喜べることではある、それは否定しない。
だが、だからこそ“今までと違う事が多過ぎる”という違和感が拭えなくて、メイルは素直に喜ぶ事ができず、どういう返事をしたらいいのか分からなくなってしまったのだ。
どうおかしいとか、どう怖いとか、そんな具体的な理由は無いし、そもそも嬉しいことは確かだ。
けれど、何故か素直に喜べない、そしてその理由が解らない。
不安定な足場にでも立って、死ぬか生きるかの選択を迫られているかのような感覚、その緊張感のせいで、メイルの表情はいつの間にか深く悩んだように曇っていく。

そして、それはすぐに熱斗へと伝わった。
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