鳥籠の錯覚と混濁する想い

ドクン、ドクン、と心臓が強く脈打つ。
炎山は必死に言葉を探したが、これといって相応しい言葉は見つからない。
いつか帰れるよ、などという言葉はメイルが熱斗達のもとへ帰れない原因である自分が使うべきではなく、また使いたくなかった。
だが、だからと言って、此処で俺とずっと一緒にいよう、などという言葉も、使う勇気はなかった。
炎山はこんな大それた事――メイルを誘拐して自分の傍に閉じ込めるという事をしながらも、それでメイルの想いが変わる事は無い事を、メイルは自身が何処にいても永遠にあの青い光を――熱斗を追い続けるであろう事を、知らない訳ではない。
だから、この生活にも、いつかは終わりが来るであろう事を、炎山は自覚している。
それがどんな形になるかはまだ分からないが、この生活はいつか必ず終わる、終わりにしなければいけないのだ。
だから炎山は、ずっと一緒にいようなどという言葉を使う気にはなれないのだ。
だが、その一方で、今はまだこの生活を、メイルが傍にいる日々を続けていたいという気持ちも強く、この日々の終わりを自分から呼び込むような言葉を使う気にもなれなかった。

炎山は散々迷った末に、何を言うでもなく黙ったままで、メイルの右手に自分の左手を重ねた。
メイルはもう抵抗を諦めているのか、その手を振り払ったりする様子は無い、
それは炎山にとってどこか嬉しいもので、けれど何故か悲しいもので、二つの正反対な思いが炎山の中で複雑に絡まり合う。
メイルに手を振り払われない事を喜ぶ自分と、抵抗の気力すら奪ってしまった事を後悔する自分、そんな二人の自分が言い争うような感覚がある。
どちらが正常な判断だったのか、炎山にはもう分からない。

「桜井、その……」

やがて、沈黙に耐えきれなくなったのか、炎山が口を開いた。
メイルはゆっくりと炎山に振り向く。

「何……?」

その両目は何処までも虚ろで、その空虚さが炎山の胸を刺す。
春先に咲き誇る花々の様に可憐で明るく元気な笑顔を、自分は奪ってしまった、壊してしまった、その事実が氷柱のように鋭く冷たい何かになって、炎山の罪悪感を刺激するのだ。
だが、それでもメイルに傍にいてほしい炎山は、右手で自分の洋服の胸元の生地を掴み、その痛みに耐えながら、微笑んで、

「また何か欲しい物があったら遠慮無く言ってくれ、大抵の物は手に入るはずだ。」

と言った。
メイルは炎山から視線を外し、膝の上に乗せた紙袋の中のハンドバッグをしばし見つめる。
その表情は一貫して無表情で、炎山にはメイルが何を考えているのか分からない。
メイルを緊張しながら見つめる炎山は、少なくとも、もう何も要らない、という言葉だけは返ってきませんように、と強く願いながら自分の服の胸元を強く握りしめる。

ただ傍にいて共に微笑みつつ過ごす事――恋人になる事をメイルに望まれていない炎山は、熱斗のようにメイルの傍にいるだけではメイルを喜ばせる事は出来ない。
それどころか炎山が今やっている事は、メイルをメイルの幸せの象徴である熱斗から無理矢理引き離して悲しませる事という、真逆の行いでしかない。
だから、いくら甘美な言葉を並べて愛を囁いたとしても、メイルは熱斗の前にいるときのような笑顔を炎山に見せてはくれない。
それを痛感した炎山に、メイルを逃がさないままできる唯一の行い、それが、金銭面での不自由をさせず、メイルが望む物を何でも買い与える事なのだ。
メイルの自由を奪った分、その他の領域でメイルが望んだ物は何でも与える、炎山はそう心に決めている。
しかし時々、もしかしたら、その金銭面の自由という形で差し出している、自分にできる精一杯の愛情さえも否定される日が来るのではないだろうか? という不安が脳裏を過っていく。
炎山はその日が来る事を恐れているのだ。

だが、炎山のそんな恐怖とは裏腹に、メイルはそっと紙袋とその中のハンドバッグから視線を上げると、炎山に視線を向けて、

「……ありがとう、そうするわね。」

とだけ言って、弱々しく微笑んだ。
炎山の右手からゆっくりと力が抜けていく。
メイルが何を思ってそう言うに至ったのか炎山には分からないが、少なくともメイルは炎山が最も恐れる一言だけは発さずに、感謝を述べて微笑みかけてくれた。
それはもしかしたらメイルのせめてもの意地悪の続きなのかもしれないが、それでも炎山には、メイルが自分の想いの欠片を受け取ってくれたように感じられて、安堵と喜悦が胸に広がっていくのを感じる。
自分はまだ、メイルに必要としてもらえている、そんな気がしたのだ。

メイルが視線をガラスの壁の外に戻した後、炎山はメイルの右肩にそっと寄りかかってみた。
僅かに揺れたメイルの髪から仄かに香ってくる匂いは、炎山の髪の匂いと同じものになっている。
何故ならば、炎山がメイルをこのビルの最上階に閉じ込めるようになってからずっと、二人は同じ浴室で同じ石鹸と同じシャンプーを使うようになっているからだ。
だから、二人の髪の匂いが同じになるというのはとても当たり前の事で、本来なら特にそれ以上の意味は持たないはずだったのだが、前々からメイルに好意を抱きつつも、なかなか距離を縮める事ができなかった炎山にとって、それは大きな意味を持っている。
メイルの髪の匂いが、服の匂いが、自分の髪の匂いや、服の匂いと同じになる度、炎山は自分とメイルの距離が縮まったような、もしくはメイルが自分の色に染まっていくような気がして嬉しくなるのだ。
特に最近は、こうして肩に寄りかかる程度ならメイルも拒否をしなくなってきたものだから、その喜悦は濃く、強いものになっていく。
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