鳥籠の錯覚と混濁する想い

それはもう一ヶ月は前になるだろうか?
その日、炎山は珍しく熱斗を通さずにメイルに直接の連絡を取った。
その方法はメールで、君にだけ頼みたい事がある、とまるで何かの事件の捜査の協力依頼でもするかのような文面をしており、メイルは最初、捜査なら自分よりも熱斗などを頼ったらどうだろうかと返したが、炎山の、熱斗は既に別の方面から動いている、という言葉に乗せられて、それなら構わないけれどという返事を出した。
そして、メイルは事情の細かい所を掴み切れないまま、家の前に迎えに来た炎山の会社の車に乗り込んだ、それがいけなかった。

最初、メイルは車が向かう場所は科学省かネット警察、もしくはIPCの二ホン本社だと思っていたのだが、その予想に反して車が向かったのは空港という、別の国への玄関だったのである。
予想しなかった展開に戸惑うメイルを乗せたまま、車はその車体ごと乗り込むことができる大型の飛行機に乗り込んで、メイルを二ホン国外へと連れ出した。
出国の手続きと言えるものを一切しなくても済んだのは、すでに炎山が裏で手を回していたからだろう。
それでもその時、メイルはまだ、きっと今回の事件は国外で起きたのだろう、と信じていた、否、信じようとしていた。
だが同時に、そんなにインターナショナルな事件なら尚更熱斗や、それが駄目ならライカに頼む事が相応しい気がして、そんな事件の捜査を何故自分に頼むのか、そもそもそれは本当に事件の捜査なのかと、メイルの不安は徐々に増していった。

そして、その不安の中で飛行機が着陸した地は、ライカのいるシャーロでも、ジャスミンのいるチョイナでも、プライドのいるクリームランドでもなく、なんとアメロッパだったのだ。
アメロッパに着くとメイルはまた車に乗せられて、見慣れぬアメロッパの街を移動することになった。
空港とその近くの商店街を抜けて、車はビル街ともビジネス街とも言える地域に入り、その高層ビルと高層ビルの間の迷路のような道を走る。
メイルはなるべく空港までの道を覚えようとしたが、それはとても複雑で、一回通っただけでは覚えられるようなものではなかった。
メイルだけでなくロールも不安を募らせ始めたその頃、車はとあるビルの駐車場で停車した。
それが今、メイルと炎山がいるIPCのアメロッパ支社のビルだったのだ。

そう、炎山が今日立ち寄ったブランド品店の店員が金髪であるにも関わらず清楚だったのも、十三番街や十四番街といった二ホンには無い地名が使われていたのも、午後の九時を過ぎているというのに空に明るさが残っていたのも、このビルの居住スペースの表札が二ホン語で書かれていないのも、全ては此処がアメロッパだからなのだ。
そして、炎山の秘書達の表情が晴れなかったのは、炎山がメイルに嘘を吐きこのアメロッパに連れてきて、ビルの最上階の居住スペースに閉じ込めている事を知っているからなのである。

このビルに連れてこられて真実を知らされて、始めのうちはメイルもロールも、自分を本来いるべき場所に返してほしいと強く訴えた。
だが炎山はそれを拒み、メイルをこのビルの居住スペースに閉じ込め、自分も二ホンには帰国せず、アメロッパのこのビルの居住スペースを生活の中心とし始めた。
メイルとロールは初め、脱走も試みたが、IPCの社員の一部は炎山がメイルを閉じ込めている事を知っていると同時にそれに協力するよう命令されていたようで、炎山以外の世話係が居住スペースに来た瞬間を狙って運良く最上階から脱走できたとしても、エントランスホールに着けば社員や受付嬢、警備員に捕らえられ、それ以上外に出ることは叶わなかった。
それに、万が一IPCのビルから脱出する事が叶ったとしても、その後どこに行けば助けてもらえるのか、またそこにたどり着くにはどう動けばいいのか、メイルに知る手段は無かった。
インターネットを通じて助けを呼びたくとも、PETは炎山の手でネットワーク接続およびプラグイン禁止のプロテクトが掛けられており、地図を入手する事さえままならなかったのだ。
勿論、熱斗やデカオ、やいとや透と言った二ホンの友人達に助けを求める事など、できるはずもなかった。
そうこうしているうちにメイルは自力での脱出を諦め、いつか二ホンで自分の行方不明が大事になり、二ホンの警察官やアメロッパの警察官、また何より熱斗がこの場所に気が付いてくれる日を待つ事に決めた、決めざるをえなかった。

そうして既に、一ヶ月が過ぎたが、熱斗は疎か警察官の一人もこの場所とそこにいる自分に気付いてくれる気配はなく、IPC社員から良心の呵責に耐えきれなくなったという密告者が出る事もない。
だから、メイルは毎日此処で、熱斗達とは別の時間を、炎山と共に過ごす事になってしまっている。
ロールはまだ頻繁に炎山とブルースへ抗議を続けているが、メイルにはもはや表だって逆らう気力もなかった。
せめてもの意地悪に、と、普段の自分の生活では考えられないブランド品やアンティークを炎山に要求してみたりして、炎山が自分の金遣いの荒さに呆れるように仕向けたりもしてみたが、炎山の財力はメイルの想像を超えているのか、大抵の物はすんなりと手に入れて、仕事帰りの手土産として持ってくる。
そうして、抵抗は無駄だと悟ったメイルはそれすらもあまりしなくなっていたが、そうすると今度は炎山の方から何か欲しいものは無いかと訊いてくるから、メイルは益々自分の行動の無意味さを痛感する羽目になった。
その上、炎山はメイルが本当に心の底から欲しいもの――自由――だけは与えてくれない。
今のメイルは、豪華な鳥籠の中で飼われる鳥と同じだった。
生活する上での不自由は何もない、大抵の物は望めば手に入る、けれども本当に、心の底から望むものだけが手に入らない、そんな生活を送るうちに、メイルは徐々にはつらつとした明るさを失っていった。
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