僕等の答え

それから数時間後、午前十時頃のことだ。
外は雲一つない快晴で、乾き過ぎず湿り過ぎない風が心地よく、空調を使わずとも過ごしやすいその日、メイルは自宅の掃除に精を出していた。
掃除をする場所は主にリビングと風呂場で、現在はリビングの掃除をしている。

自室と寝室を兼ねる部屋やキッチンは普段からこまめに掃除をしていたのだが、表面的には散らかりにくいリビングや、非常に時間がかかる風呂場はどうも面倒になってしまい、ここ数週間本格的な掃除を怠っていた。
掃除を怠っていた、と言っても、メイルは物やゴミを散らかしやすいタイプではないため、正直なところもう少し放置していても大丈夫だったのかもしれないのだが、それでもファラオマン事件以来共に生活している犬型のプログラム――ラッシュが数日前から僅かな汚れを見つけては掃除をするよう訴えてくるようになっていて、その煩さにメイルが最近折れたのだ。

いつもは設置場所から動かさない低いテーブルをゆっくりと引っ張って退かし、その下のカーペットを粘着性のある紙を巻いたローラー、俗にコロコロと言われるものを滑らせて埃などの小さめのゴミを取っていく。
カーペットを滑らせたローラーを見ると確かに、埃や髪の毛、そして動物の毛が付着している。
それを見て、そういえば数日前にまたあの悪戯子ネコちゃんを預かってたんだっけ、と思いだしたメイルはラッシュが煩い理由に納得がいき、苦笑するように溜息をついた。
メイルが以前、あの子猫がおこなった悪行をラッシュの悪行だと勘違いして熱斗と一緒に言いたい放題に非難して以来、ラッシュはあの子猫を目の敵にしているため、埃の中にその子猫の毛があったことが大変気に障っていたのだろう。
確かに掃除はしたかったし、あの時自分の家で起きた事に関しては自分に落ち度があるだろうとメイルも思うが、それでもやはり手伝ってくれないという点は納得がいかない。

「もう、ラッシュったら。自分で言いだしたんだから、お掃除手伝ってほしいわ。」
「まぁまぁ、丁度お掃除したい頃だったし、いいんじゃないかしら、ね?」

多くのゴミを取り終えて粘着性を失った紙を剥がしながらラッシュへの不満を呟くと、PETの中に居たロールが肩の上へと現れて反応してくれた。
自分とは違ってラッシュを許す発言にメイルは少しだけ反論したくなったが、ここでロールに文句を言ってもラッシュが帰ってきて手伝ってくれる訳ではないし、とすぐに考え直して小さく溜息を吐く。

「まったく、頼もうと思ったら居なくなっちゃうんだから、こういうことだけは勘がいいのよねー。」

メイルが掃除をしようと決めて、ラッシュに手伝いをさせようと思った時――今から一時間ほど前だっただろうか、ラッシュはメイルの家からもPETからもパソコンからも姿を消していた。
ラッシュが勝手に色々な場所に行くのはいつもの事なので、メイルもロールも特に焦る事は無い、が、今日のメイルには居候の労働者に労働から逃げられたにも等しくて少し気に食わない。
そもそも掃除を要求してきたのはラッシュの方なのだから、少しぐらい手伝ってくれてもいいのではないだろうか、などと思いつつ、粘着性を失った紙だけを剥がし終え、その下から新たに出てきた粘着性のある部分でもう一度机の下のゴミを取る。
大体のゴミは先ほど取れたようで紙には大きなゴミは付着せず、カーペットから取れただけの埃のような小さな糸クズばかりが付いていた。
このくらいなら後は軽く掃除機をかけるだけでも良いだろう。
メイルはテーブルの位置を元に戻して立ちあがる。

「さて、位置を戻したら次は――」

そんなことを呟きながら使い終えた紙を剥がしてゴミ箱へ入れたその時、急にPETが鳴りだした。
何度も何度も誰かを呼ぶように鳴り続けるその音は、メールの着信音ではない。

「メイルちゃん、熱斗さんから電話よ。」

肩に居たロールが、それが電話である事と、その相手が誰なのかをメイルに伝えた。

「わかった、今出るわ。」

何か事件でもあったのかしら? などと思いながら、メイルは、別の掃除場所まで持って移動しようと思っていたローラーを床に置いて、ポケットの中に入れていたPETを左手に取る。
ロールがすぐにPETの中に戻り応答の操作をすると、ピッと軽い音を立てて小さなPET画面に熱斗の姿が映った。
背景は熱斗の自室で、急いでいるとか焦っているとかはたまた危機的状況だとか、そういった事件らしい様子ではない。
しかし、その表情はどこかぎこちなく、不自然な固さを持っているような気がする。

「熱斗、どうしたの?」
「あぁ、うん……」

熱斗が何か言うよりも先にメイルが普段通りの声で訊くと、熱斗は随分と歯切れの悪い返事を返してきた。
それは学校で見るような小学生らしい元気も、事件現場で見るようなキリリとした雰囲気も無い、何かを躊躇っている様な声で、しかも、うんの次の言葉がなかなか出てこない。
明らかに不自然なその様子に、幼馴染としての直感が、熱斗は何かを隠しているとメイルに告げる。
それに、このままではなんだか延々と黙ったままでいられそうで、メイルはわざと挑発するように、多少の嫌味ったらしさを少し含ませた態度で訊いた。

「なぁに? また宿題でも写させてほしいのかしら?」
「え、いや、そうじゃなくてさ、その……突然で悪いんだけど、今日、そっちに遊びに行ってもいい?」

熱斗が何か歯切れの悪い話し方をする時は大抵、メイルへ何かのお願いをしに来ている、というのは普段からよくわかっていたことだが、今日の熱斗が口にしたその内容はお願いの中でもかなり意外なもので、メイルは一瞬きょとんとして返事ができなかった。
別に、それが嫌だからという訳ではない、が、熱斗の方からそういう事を言ってくるのはなかなか珍しかったし、そんなに歯切れ悪く言う事でもないはず、となるとやっぱりお願いはそこではなくて、会ってから伝えたいという事なのか。
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