暗黒病棟

深夜、カーテンが閉め切られ、蛍光灯の明かりも消された部屋で、医者はその患者へ尋ねた。

「君にとって、この世で最も気持ちの悪い物は、何かな?」

医者の視線の先では、醜く太った肉と、丸々と肥えた顔した、醜悪な人物が、寝具の上に座ったまま嗚咽を漏らしている。
嗚咽を漏らしながら医者を見る患者の表情はどこか虚ろで、本来見えないはずの何かを見ているようだ。
醜く顔を歪めて涙を流す患者は、何も答えない。
しかし医者は、まるで患者の考えを理解しているかのように話を進める。

「……そう、そうだね、それはとても気持ちが悪くて醜いね。じゃあ、醜い物はどうしたらいいか知ってるかい?」

患者はやはり顔を歪めて涙を流すだけで、何も答えようとはしない。
ここまでくると、患者が医師を見ているというのも、少し怪しいものである。
いや、もしかしたら、医師が患者を見ているかどうかも怪しいのかもしれないが、それはとても些細な事だろう。
相変わらず、医者は患者の返答をあまり待たずに話を進めてしまう。

「……うん、そうそう、醜い物は、まず、殺さなくちゃいけない。それから、焼却して、埋葬する。土葬は駄目だよ?火葬じゃなければ、それは、きっとゾンビになって君に襲い掛かる事だろうから。」

医者らしからぬ言葉を口にした医者の、その表情は、患者を嘲笑するようで、実は哀れんでもいるような、不自然な形になっていた。
どうやら、患者にとってのこの世で最も気持ちの悪い物とは、無機物ではなく、何か、生きているものらしい。

「君はこれまでに何度もそれを土葬して、その後、何度も襲われた。そして今回も。」

患者がこの病院に入院した原因は、どうやらそのこの世で最も気持ちの悪く、また醜い物に襲われたことが原因らしい。
医者は、そんな患者の治療に当たっているのだ。
しかし、

「残念だね、君は火葬をするだけの力を持っていない。どれだけ殴ったとしても、どれだけ刺したとしても、火葬しなければ、それは君を永遠に襲うだろう。」

患者が、また嗚咽を漏らした。
元々細いというのに更に細められた両目から、大量の涙が零れている。
医者は、少しだけ患者を哀れむ表情を浮かべてから、溜息を吐いた。
それは、何かを諦めるときの動作に似ている。

「嗚呼、本当に残念だ。君はこの先も、醜い化け物と化した、殺したはずの君に襲われる。その時、君にできる事は、何もない。」

患者の喉が、ヒュッと小さくなった気がした。
叫びにならない、音の無い叫びが空気をほんの僅かに震わせる。
それは病室の外には届かないため、見回りを怠る守衛が気付く事は一切無い。
守衛に気付かせたくば、もっと大きな音を立てねばならないのだ。
とはいえ、守衛に気付かせたところで、守衛はこの事態を一笑するだけなのだろうが。

「そう、君は叫ぶことも忘れた。君の叫びを聞けるのは、もはや僕だけだ。……こうして記録を残す事に、何の意味があるって言うの?」

患者は、やはり言葉を発さない。
音を発したところで、意味が無い事を分かっているのだ。
そう、こうして文字に残す事も、ただ崩壊へとつながるだけなのだと、分かっていない訳ではない。
けれども、私はこうして文字に残すほか、自分で自分に施す事が出来る埋葬の方法を知らないのである。

「馬鹿だなぁ、君は。こんな事をしても、誰も君は抱えられないのに。」

そんな事、知っている、という言葉は、音にしなくてもこの医者に届く。
藤咲 満は、呆れかえった顔で私を見ている。
何度繰り返せば気が済むのか、と言いたげな顔で私を見ている。
それでも私を助けてくれるあたり、コイツはなかなか優しい面もあるのかもしれない、と思ったら、やはり彼はそれを否定するような目で私を見るのだ。


此処は暗黒病棟、つまり私の部屋だ。
私だけしかいない、私だけの部屋だ。
他の誰もいない、私だけの部屋なのだ。


end.
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