番外編(短編)『性善説と殺人鬼』

「犯人の素性や目的はまだ一切分からないけど、子供達が狙われている事だけは確かなんだよね……不気味だし、恐ろしいし、許し難い事だよ。」

相変わらず沈痛な面持ちの純次が言う通り、警察はこの多発する殺人事件に関し、犯人の検挙に繋がるような情報を現時点でロクに入手できておらず、捜査は非常に難航していると言っても過言ではなかった。
警察が掴んでいる情報や証拠といえば、時たま見つかる死体は損壊の度合いが凄まじい事と、それらは中学生を中心とした若年層の物である、という事ぐらいで、それらの中に犯人の特定に繋がると期待できる情報や証拠は無いというのが現状である。
勿論、それらの情報や証拠から犯人が被害者、或いは被害者の年齢層に強い恨みを持っているであろう事は容易く想像できるのだが、それだけでは犯人を特定する事はおろか、犯人の人物像をボンヤリとでも浮かび上がらせるという事ですらできない為、警察はどの様な人物を警戒すればいいのかの注意喚起をする事すらできず、その間にも被害者の屍は徐々に積み上がっていく、という事態に難儀しているのだ。
そうして警察の捜査が実質暗礁に乗り上げている間にも、未成年の子を持つ親達の一部は徐々に疑心暗鬼になり、警察や自分の子供を通わせている学校への苦情や過剰な注文が相次ぐ様になったり、時には見えない敵に心を狂わされた親同士の争いが増え、その解決の為に警察が呼ばれるという事態さえ出てくるものであるから、今回ばかりは悠長な事を言っていられないかもしれないと感じた警察の上層部が特別に学校の警護も兼ねた潜入捜査を認めた――というのが、今回のSearchを含む複数の警察官達を都内の小中高校へ派遣するという決定に至る流れだった。

「未来ある子供達の命をこれ以上奪わせる訳にはいかないし、犯人にこれ以上罪を重ねさせる訳にもいかない……このままじゃ、不幸な人がどんどん増えていっちゃう……。」

少しだけ視線を伏せながら、不安に満ちた表情と震えそうな声音で言った純次をSearchは真っ直ぐ見据えたままだった。
その顔は、相変わらず何を思っているのか分からない、というよりも、何かを思っている様には見えてこない。
Searchの表情は今も真剣味を失ってはいないのだが、やはり犯人逮捕に対する熱意や、被害者に対する哀悼の意の様なものは一切表に出てこない――否、そもそも存在しないのである。
一方、捜査一課の警察官達は純次の発言に同意すると同時に大きな苛立ちを感じつつ表情をしかめていた。
もっと正確に言うならば、彼等は純次の発言そのものには多かれ少なかれそれなりに同意を感じ、自分の中にある犯人逮捕に向けた決意を再確認していたのだが、それが確認できるような内容を純次がSearchに対して話している事には苛立ちの様な反発を感じずにはいられなかったのだ、と言うべきかもしれない。
何故ならば、暫く前にも述べた通り、純次が今この理想を語っている相手――Searchは元々は犯罪者側の存在で、それもよりにもよって殺人鬼と形容されるような存在――殺人犯なのである。
いくら様々な条件――例えば、『Dirty Blood』事件の後始末として自分の両親を殺す事や、警察の隠した武力として警察組織内に留まる事、そして警察の命令以外での殺人は行わない事――をもって警察組織と特別な契約を結び、警察の監視下に居続けていると言っても、Searchが過去に殺人犯であった事実は消えない、という事は、暫く前に詳しく述べた通りである為、理解してもらえるだろう。
そして、その様な元殺人犯、否、正確に言ってしまえば、警察に飼われている現役殺人鬼に対し、純次という実質一般の警察官が、これまた一般の警察官の為の、一般の警察官としての理想を語るのは、捜査一課の警察官達からすると、殺人犯に別の殺人犯への否定を求めるなど馬鹿馬鹿しいし、自分達の理想を汚されているようで気分が悪い、という話なのだ。
とはいえ、そんな彼等も純次に彼等が思う不快感――つまりは警察官としての理想を汚す意図――など無い、という事は百も承知である。
だから彼等はこのような場面に出くわす度、純次の事を、近年稀に見る性善説かぶれの馬鹿だ、と胸の内で軽く罵るのだ。
さて、そんな彼等の罵りを知ってか知らずか、恐らく何となく知ってはいるが詳しくは知らないし気付いていないという程度でしかないであろう純次は、不安そうな憂いをその瞳に残しながらも一旦伏せた視線を上げ、自らの両手をSearchの両肩に乗せてその肩を軽く掴むと、しっかりとSearchの紅い目を見据えて言う。

「……Searchちゃん、もしもこの一連の事件の犯人がSearchちゃんの行く学校に現れたら……皆の事をしっかり守って、それから、犯人の更なる凶行を食い止めてね。今のSearchちゃんならそれができるって、僕は信じてるから。」

それは一見するだけなら何か感動的なラストに繋がるドラマのワンシーンに見えない事も無い光景だったが、Searchの過去の詳細や、今のSearchも昔のSearchも従う相手が変わっただけで中身は大して変わらない事を直感的に知っている捜査一課の警察官達は、何か寒いギャグでも見てしまったかのような冷めた表情を浮かべつつその光景を一瞥し、純次がその視線に気付いてしまう前に目の前のパソコンや書類に向き直った。
そして皆、口にこそ出さないが、胸の内で、頭の中で、これだから性善説かぶれの大馬鹿野郎は、と呟くのだ。
また、そんな性善説かぶれの大馬鹿野郎――純次に肩を掴まれ、滑稽な程真剣に信頼感をぶつけられた殺人鬼――Searchはというと、相変わらず何を考えているのか読み取り辛いが恐らく純次が言った事は表面上しか分かっていない、例えばそう、何故自分がこの様な事を言われているのか分からない、とでも言いだしそうな熱量の無い表情で純次を見据え返したまま暫く沈黙を続けていたが、やがて返答を考え終わったのか、長い両腕を緩慢に動かして純次の腕を軽く払い退けながら普通の呼吸と小さい溜息の間の様に微妙な深さの息を吐き、それから

「……了解した。」

と、非常に手短に言ったのであった。
その短過ぎる上に素気の無い返事を聞いて、相変わらず聞き耳を立てている捜査一課の警察官達はSearchと純次の両方に対して大いに呆れ、やはりSearchに人間的な感情など存在しないのだろう、と思ったり、サイコパスですらマシに見えるレベルで人間離れしたSearchを普通の人間扱いしたがる純次はやはり性善説かぶれの馬鹿だ、と思い、その一部は流石に色々と耐えきれなくなってきたのか、両手に持っていた書類を机に置いたり、パソコン横のマウスから手を離したりして、自由になった手で気分的に痛くなりそうな頭を軽く抱えた。
しかし、彼等にはそんな反応しかしようの無いSearchの返答も、純次にとっては嬉しい事なのか、それともいつもの事なのか、或いはその両方なのか、詳しい事は純次にしか分からない事ではあるが、とにかく気分を害すものではなかったらしく、純次は深刻さに硬くなっていた表情をふっと緩めて最初の様な穏やかな微笑みを浮かべる。
その光景に、聞き耳だけでなく目でも様子を窺っていた捜査一課の警察官達の一部が、いやこの流れの何処に笑顔になる要素があるんだ、とか、コイツはこれであの殺人鬼と心で通じ合ったつもりなのか、と困惑する中、純次は最初の様な呑気ではあるが明るい声音を取り戻しながら言う。

「うん、分かってくれて嬉しいよ。でも、出来れば僕の手を払い退けるのはやめてほしかったかなぁ、ちょっと寂しくなっちゃうから。」

純次の表情はほんの僅かに困ったような、しかし同時にとても嬉しそうな、結論としてはとても楽しそうな笑顔であった為、捜査一課の警察官達の中には呆れの感情を隠しきれていない溜息を吐くものも何人か現れ始めた。
その嫌悪感にも似た音は元々聴覚の鋭いSearchだけでなく、至って平凡な聴覚の純次にも流石に薄らとではあるが感じ取れたらしく、純次はハッとした様子で左手首に巻いている腕時計の文字盤を見る。
腕時計の知らせる現在時刻は午後一時四十五分。
少し離れた所にある窓とその近くの偶然持ち主がその場に居ない仕事机を見ると、ブラインドの僅かな隙間をすり抜けて部屋に忍び込む日光の形も先程よりも幾らか鋭さを増している事が分かり、純次は自身が思っていたよりもこの捜査一課のオフィスに長居をしている事に気が付いた様で、それまでの何処か呑気でのんびりとした雰囲気のある笑顔から一転、急に気まずそうな、或いは焦りの隠せていない顔になっていく。
今更気付いたか、と言わんばかりに呆れかえった表情を見せる捜査一課の警察官達の一部の視線と、何を焦っているのかよく分からない、とでも言いそうだが、正直それすら考えていないのではないかと感じられる無表情のSearchの視線に貫かれながら、純次はあからさまに慌てた様子――まるで授業の直前になって大事な忘れ物をしてきてしまった事に気付いた子供の様に両腕を落ち着き無くバタバタと動かしながら何かを言おうとして適切な言葉を探す。
しかし、その適切な言葉とやらは中々見付けられないものだったようで、純次は暫し騒がしく沈黙するとでも言うべき状況――最適解を探して両手は慌ただしく動いているのに、口はどうにも上手く動かず音を発さない――に陥ってしまった。
すると、三十六歳の男性がとるにしてはあまりにも子供染みた落ち着きの無いその挙動に対しついに痺れを切らしてしまったのか、日の当たる場所にある机の前でパソコンを操作していた捜査一課の警察官達の内の一人が立ち上がり
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