青春の沈黙≪1≫ 絶望の果てに、絞首台の先で逢おう

「うっせーんだよジジィ!!」
「授業の邪魔だ、早く教室に戻れ。」

男子生徒は扉の下半分の一ヶ所を蹴りながら教師に歯向かったが、教師は飽く迄も冷静だった。
その冷静さが、この時の礼矢と満には心強かった。
この時の、礼矢と満には。
礼矢も満も、これで男子生徒達は文句を零しながらも自分達の教室へ戻るはずだと、そう思っていたからだ。
実際、廊下から聞こえていた罵倒の声は聞こえなくなって、男子生徒達のバタバタとした足音が教室の前方の扉から離れるのも聞こえた。
嗚呼、とりあえずではあるが、解放された、と礼矢と満は思い、満は自分の席に戻ろうして礼矢に視線で合図を送る。

だが、現実は非情なもので、満が礼矢の席を離れようとしたその瞬間、それまで半開きになっていた教室後方の扉がガラガラッと大きな音を立てて開かれた。
礼矢と満は一瞬、前方の扉の鍵が閉まっている事に気が付いた教師が後方の扉から入って来たのかと思って視線を向けたが、事実はそうではなかった。
二人の表情が、再び強張る。

「死ーねッ!! 死ーねッ!! デ、ブ、スッ!!」

開かれた扉の向こう側にいたのは、教師ではなく先ほどの男子生徒達だった。
そして男子生徒達は、暴言を吐きながら教室に入ってくる。
一度は礼矢の席を離れようとしていた満が、再び礼矢の傍に寄り添う。
それは、礼矢を守ると言っているようでもあり、礼矢に守ってくれと言っているようでもあった。
事実、礼矢と満はクラスの余り者同士肩を寄せ合って過ごしていると言っても過言ではないのだから、満が礼矢を守る役を引き受けつつ、礼矢が満を守る役を引き受けているというのは間違った表現ではない。
礼矢は満を自分の斜め後ろに隠すように前に出た。
礼矢には、細身の満よりはまだ肥満体の自分の方が丈夫な体を持っているという自負があった為、何かあった時は満に守ってもらうより、自分が満を守らなければという意識が強くあるのだ。
それに、今回この男子生徒達が騒ぎ出したのは、半分自分のせいだという負い目もあった。
満は関係ない、満は巻き込まれただけだ、という考えで自分を奮い立たせて、礼矢は教室に入って来た男子生徒達に険しい表情を向ける。

「死ーねッ!! 死ーねッ!! デ、ブ、ス!!」
「死ーねッ!! 死ーねッ!! デ、ブ、ス!!」
「死ーねッ!! 死ーねッ!! デ、ブ、ス!!」
「死ーねッ!! 死ーねッ!! デ、ブ、ス!!」

完全に調子に乗って暴言を合唱する男子生徒達へ、礼矢は叫んだ。

「煩い!! 黙れ!!」

すると男子生徒達は何を思ったのか、一瞬合唱を止めて静かになった。
礼矢が正面から歯向かってきたのが意外だったのかもしれない。
それでも、男子生徒達は礼矢と満を見下しきった顔で相変わらずニヤニヤと下品に気味悪く笑っている。
礼矢は怯まずに男子生徒達を睨み返した、が

「お前の方がうるせぇよ。」

そんな声は、男子生徒達の口でも、教師の口でも、満の口でも、勿論礼矢の口でもない口から発せられた。
礼矢と満が少し驚いて声のした方を見ると、騒ぎ立てる男子生徒とはあまり似ていない、特に特徴のない普通の男子生徒が、机に頬杖を突きながら、礼矢に対して不機嫌そうな視線を向けているのが視界に入る。
どうやら今の声はこの男子生徒のものようで、それに気づいた途端、礼矢はゾッとするような嫌な予感を覚えた。
その予感に後押しされて、礼矢は慌て気味に教室全体を見回す。
すると案の定、教室の視線という視線は全て礼矢に向けられていた。
それが何を意味するか、礼矢はもう嫌と言うほど知っている。

「そうだそうだ! うっせーぞデブ矢!」
「おめーが一番うるせーんだよデブス!」
「マジうっせーしぃー、ウゼェんだよブタ!」

最初から騒いでいた男子生徒達ではなく、同級生と呼びたくない同級生ではあるが騒いではいなかった同級生や、それまで無関心や傍観を貫いていたはずの同級生達から一斉に浴びせられた罵声に、礼矢は何も言えなかった。
いや、言いたい事は沢山あった。
例えば、そもそも騒ぎ出したのは自分ではなくあの男子生徒達だ、とか、どうして無関係のお前達が今更になって口を挟んでくるんだ、とか、そもそも奴等が馬鹿な事を騒がなければ自分は声を荒らげなかった、とか、言い返そうと思えばいくらでも言い返す言葉は思いついていた。
だが、全て言えなかった。
騒ぎ立てる少数の男子生徒達の下品で気味の悪い笑顔よりも、大多数――満を除いたクラス全員から向けられる軽蔑の視線の圧力が生み出す恐怖が、礼矢の口を閉ざす。
どう足掻いても勝つ事の出来ない戦いを、圧倒的大多数を相手に挑めるほど、礼矢は強くは無いのだ。

「ギャハハハハハハハハ!! 言われてやんのー!! ギャッハハハハハハハハハ!!」

最初から騒ぎ立てている男子生徒の下品な笑い声が教室に響き渡る。
礼矢はただ口を閉ざし、男性生徒達から視線を逸らしながら歯を食いしばって屈辱に耐えていた。
礼矢の背後では満が悔しそうな顔で俯いて、昂る感情を抑え込むかのように手を強く握りしめている。
その手は、僅かに震えていた。
本当は満も色々と言いたい事があっただろうが、満も圧倒的大多数を相手に戦いを挑めるほど強くはなく、また礼矢が黙ってしまった今、自分が何か発言して更に状況を悪くするべきではないだろうと思っているのかもしれない。
二人が無言で俯いていると、それを自分たちの勝利だと思って気を良くしたのか、男子生徒達はよくある玩具の猿のように手を叩き合わせながら、反吐が出るような悪意に満ちた笑顔で再び合唱を始める。
7/42ページ