青春の沈黙≪1≫ 絶望の果てに、絞首台の先で逢おう

男性教師は神妙な顔で連絡事項ではない話を切り出そうとした為、礼矢は少し虚を突かれたような、微かな驚きを含んだ表情を浮かべてしまった。
しかし幸か不幸か、礼矢の席は最後列、と言うよりも、最後列より更に後ろの余分な出っ張りのような位置の為、その表情は礼矢より前列に座る生徒達には見えない。
ただ、教壇から生徒の席を見て喋る男性教師には見えてしまうかもしれない為、礼矢は少し緊張したまま男性教師の様子を窺ったが、男性教師の視線が唐突な展開に不安を覚えつつも前を見据えている礼矢に向けられている様子は無い。
礼矢はその事に少しだけ安堵し、表情筋の力を抜く。
だが、教室の極一部を除いたほぼ全体を見渡した男性教師が何かの覚悟を決めたような表情を浮かべ、一息置いてから改めて気合を入れたような顔になりながら発した言葉に、礼矢の柔らかくなったはずの表情筋は再び凍り付くこととなってしまう。

「先月、お前達は大切な仲間を失った。」

この発言には、先程まで大した表情を浮かべていなかった他の生徒達も大きくざわついた。
礼矢も、声にこそ出さなかったものの驚愕せずにはいられず、これは現実なのかと問いかけるかのように目を見張っていた。
それは、男性教師が一体何を言っているのか、二重の意味で理解できなかったからである。
礼矢には、男性教師が今このタイミングであの惨劇の話をする事に決めた理由と、その惨劇の中で失った大切な仲間とは誰の事を指しているのかが分からなかったのだ。

このように述べると、まるで礼矢だけが現状を把握していないように聞こえるかもしれない。
だが、前者の疑問――何故今この話をするのか、に関しては、男性教師の気分次第だとしか言いようが無い為、礼矢以外の生徒達も、何故今なのか、を理解する事はほぼ不能だった事だろう。
その意味では、礼矢のその疑問は特別おかしなものではない。
しかし、礼矢が抱いた二つ目の疑問に関しては、話が別である。
何故ならば、礼矢以外の生徒にとっては、失った仲間、と言えばその答えは一つしかないのだが、礼矢にとって、失った仲間、と言えば、その答えは本音と建て前に似た二つに分かれてしまうからだ。

男性教師は騒めく教室の極一部――礼矢の席を除くほぼ全体を見渡してから、話の続きに戻る。

「本当は校長から止められているんだがな……だが、こんな時だからこそ、俺はお前達に命の大切さを説かなきゃならんと思っているんだ。」

男性教師は一体何を言おうとしているのか、それを察したらしい生徒達は自然と静かになり、騒めきは小さくなっていく。
一方で、それを未だに察する事ができない礼矢は、教室よりずっと小さい自分の脳の中に、教室で起きていた騒めきよりもずっと大きな騒めき――思考の混線を感じていた。
それは、先程から述べている通り、他の生徒なら一つしかない答えを礼矢は二つ持っているからであり、礼矢は社会的な建前からくる答えが正解か、それとも個人的な本音からくる答えが正解かを酷く悩んでいた。
いや、悩んでいたというのは、少し違うかもしれない。
本当の事を言えば、礼矢も他の生徒達と同じように、男性教師が言う大切な仲間というキーワードが誰の事を指す言葉であるのか、ハッキリ察しているのだ。
しかし、それは礼矢にとって余りにも苦しい答えの為、礼矢の中では察していても尚認めたくないという無意識の抵抗が暴れ、その結果として礼矢は、男性教師が言う大切な仲間が誰を指しているのか分からない、という嘘を自分に吐く事になってしまったのである。
本当は、男性教師が言う大切な仲間とは満が殺した不良生徒達の事だ、という正解を知っているにもかかわらず、だ。
そうして礼矢が自分に嘘を吐き続けている間にも、男性教師の話は進む。

「いいか? 命はな、皆平等なんだ。そして、その命を奪う権利は誰にも存在しない。他人の命を奪うのは、他人を思い遣れない馬鹿野郎のする事だ!」

男性教師の話が進んだ事で、礼矢が自分に吐いていた嘘は呆気なく崩れ去り、砕けた嘘の欠片が礼矢の感情の膜を刺した。
嘘の残骸の刺さった所からは閉じ込めたはずの感情が溢れ出し、わずかな塩味を感じさせる透明な水分として実態を持ち始めた為、礼矢はその顔を誰にも見せないために微かに俯く。
と言っても、礼矢以外の生徒達は男性教師の熱意に浮かされたつもりなのか、誰もが真剣なような顔をして男性教師に視線を注いでいるので礼矢の顔など見ようとはせず、また男性教師も礼矢が惨劇の元凶たる藤咲 満の唯一の友人である安切 礼矢だと気付いてからは意識的に避けていたため、礼矢の顔など見ようとしないのだが、礼矢はそれを知らないので、浅く伏せた顔を上げようとはしない。
そのような礼矢を更に責め立てるかのように、男性教師の有難迷惑な命の大切さを語る会は続く。

「あいつ等は決して悪い奴なんかじゃあなかった。不器用な所はあったかもしれんが、根っからの悪じゃなかった。」

それを聞いた礼矢の脳裏には、奴等は不器用だった訳では無い、奴等は年中無休で他人を罵倒して相手の人格を傷付ける事を至上の悦びとした、醜くて器用で完璧な悪だ、という反論が即座に浮かんだ。
だが、礼矢にはそれを男性教師に叩き付ける事ができなかった。
何故ならば、もし礼矢がその反論を実際に音を持った言葉として発したならば、男性教師は礼矢を醜悪な説教と共に公開処刑に処し、周囲の生徒達は既に処刑済みの礼矢を更に火で炙るがごとく大量の罵声を浴びせてくるに違い無く、礼矢にはそれが非常に恐ろしかったからである。
だから礼矢は黙って俯く事しかできなかったのだが、それでも礼矢の脳内には数々の反論が浮かんで、渦巻いて、反響し続ける。
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