青春の沈黙≪1≫ 絶望の果てに、絞首台の先で逢おう

「これ、なーんだ?」

礼矢は、目の前に差し出された文庫本の裏表紙をじっくりと覗き込んだ。
その裏表紙は白地に黒文字というよくある質素な配色で、右上には本文と同じ程度だと想像できるサイズの文字でその本の内容の簡単な説明が書かれている。
礼矢はこの文庫本の内容を知るためにそれを読み始め、満はそんな礼矢を期待に満ちた視線で見詰める。
そして十数秒が経過した頃、礼矢は説明文を読み終えて文庫本から顔を上げ、満を見ながら小さな溜息を吐き、それから少し苦く笑った。

「お前、ホントにこういうの好きだよな。」
「えへへ、他の人には内緒だよ?」

満が僅かに恥じらいながら、しかし楽しげに、そして嬉しげに笑う声を聞きつつ、礼矢は文庫本を手に取り裏返して、表紙を見た。
表紙には、過去に起きた殺人事件の容疑者の仮名を使ったタイトルと、その本の著者が容疑者の父母である事が書いてある。
どうやらこの本は、今から十数年前、礼矢と満がまだ小学生にもならず、出会ってもいない時期に、礼矢と満の住む東京都から西に随分離れた場所で起きた当時十四歳の少年による猟奇殺人事件の関連書籍らしい。
礼矢はその文庫本を見て、満が何故こんな物を持っているのだろう、とは考えず、いつかはこんな日が来るだろうと思っていた、と思った。
というのも、礼矢は満が大人から見れば好青年な雰囲気に反してちょっとした殺人事件マニアで、特にこの事件を好んで調べているという事を知っているからだ。
それに、かく言う礼矢も満ほどではないが、それでも満と語り合える程度にはそれらの事件に興味を抱いているという事もある。
その為今回の事も、何故そんなくだらない事に興味を持つのか分からない、といった呆れや、被害者の身になって考えればそんな形の興味など持つべきではない! などという憤りは特に感じないが、ただ一つ言うならば、こういった所が満の残念な所である事は否定できないだろう、とは思っているのが実情だ。
礼矢はタイトルの書かれた表紙を表にして文庫本を机に置き、満へ差し出し返しながら率直な感想を述べる。

「そりゃ俺以外に言ったら駄目だろ、絶対退かれるぞ。……まぁ、俺も興味はあるけどな。」
「やっぱり! 礼矢なら興味を持ってくれると思ってたよ! 昨日少し読んだんだけど、実に興味深い内容だから、僕が読み終わったら礼矢にも貸すね!」

礼矢がその文庫本に興味を示すと、満は心の底から嬉しそうで、キラキラと輝くような笑顔を見せてはしゃいだ。
礼矢も満も交友関係が極端に狭く、同世代の友人が目の前の相手しかいないような身だ。
だから満は、自分の興味の強いものに、礼矢が同じような興味を持ってくれた事が嬉しいのだろう。
それは、礼矢も同じだ。
とは言っても、これは内容が内容だ、礼矢は正直少しだけ複雑な気分も抱えている。

「何と言うか、相変わらずだよなぁ、お前。」

上機嫌な表情で文庫本をブレザーの内ポケットに仕舞う満に、礼矢は小さく苦笑しながらそんな言葉をかけた。
礼矢は自分ではない誰か――ここで言うなら満と、共通の話題を持てる事を嬉しいと思っている、それは事実だ。
だが同時に、正直まだ心の何処かで、この話題は嬉々として興味を持つようなものじゃない、と分かっている自分がいるのもまた事実である。
だから礼矢は、自分が心の何処かで良くないと思っている事に対して嬉々として飛びつき、一向に興味を途切れさせず、それがまるで普通の事のように振る舞う満の事を、自分を肯定してくれているようで嬉しいと思いつつも、なんとなく、自分の事は棚に上げて、ほんの少しだけおかしな奴だと思っている。
勿論、満も外に出さない部分――内心では礼矢と同じようにこの話題を良く思っていないという可能性も無い訳ではないが、礼矢が見る限りでは満にそのような戸惑いの陰りは見て取れないというのもまた事実であり、礼矢はなんとなく、満はそういう人間なのだろうと思っていた。
そんな意味を持った言葉を礼矢からかけられた満は、どうやら少しだけ虚を突かれたようで、何か不思議がるような顔を見せながら礼矢を見つめ返した。
どうやら、満は礼矢の言葉の意味を理解できなかったらしい。
その辺りも、礼矢が満を相変わらずおかしな奴だと思う理由の一つだ。

「相変わらずって、何が?」

満はキョトンとした表情で聞き返す。
礼矢は苦笑しつつ、小さな溜息を一つ吐いてから答えた。

「そういうところがだよ。そういう……なんつったらいいのかは俺にもよくわかんねぇけど……まぁ、強いて言うなら、その本みたいなのではしゃぐところとか、だな。」

礼矢が満のブレザーの内ポケットの位置を外側から指差すと、満はその位置に一瞬視線を向けて、それから礼矢の言いたい事をなんとなく理解したように笑う。
そして一言、

「それは礼矢も同じでしょ?」

と言った。
今度は、礼矢が虚を突かれたような顔をする番となる。
礼矢も、満が言った言葉の意味が、一瞬理解できなかったのだ。
いや、もしかしたら理解したくなかったと言った方が正しいのかもしれない。
確かに満は礼矢にとって、共通の話題を持てる数少ない友人で、思った事を何でも率直に話し合える仲間である。
だがその一方で、礼矢はなんとなく、満をおかしな奴だと思っている。
それは少し言い換えれば、礼矢は自分を満ほどおかしな奴だとは思っていないという事になる。
だというのに、満は今、礼矢が満と同じであるかのような言い方をした、つまり礼矢もおかしい奴の一員であるかのような言い方をしたものだから、自分はそこそこ普通の方だと無意識にも近い薄さでぼんやりと思っている礼矢は、その言葉を理解しきれなかったのだ。
だが、それもほんの一瞬の事。
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