青春の沈黙≪1≫ 絶望の果てに、絞首台の先で逢おう

「礼矢!!」

もう答えは聞けないであろうことを考えながら、塞ぎ込んだ様な顔でぼんやりと床を見ていた礼矢は、聞きなれた声に驚いて顔を上げた。
礼矢の近くに立っている警察官も、礼矢と同じように驚いた表情を浮かべており、その視線は校庭に向けられている。
その警察官と同じように礼矢も校庭を見ると、一度は大人しく投降したはずの満が、黒いスーツの男に僅かな抵抗を見せながら、こちらに顔を向けている様子が見えた。
どうやら、黒いスーツの男は満を早く車に乗せたい為に満の体を車内に押し込もうとしているのだが、満が寸でのところでそれに抵抗しているという状況らしい。
てっきり、もはや満に抵抗の意思は微塵もないのだろう、と思っていた礼矢には、満が一体何をしようとしているのかが推測しきれない。
そうして困惑の滲んだ表情を浮かべ、心配そうに満を見つめる礼矢に、満は笑顔を見せながら声を大にして言った。

「絞首台の先で、また逢えるって、信じてるから!!」

礼矢に声をかけていた警察官が、困惑に満ちた表情を浮かべる。
礼矢も、一瞬ではあるが、時間が止まってしまったかのような感覚に陥っていたのだから、無理もないだろう。
先ほど満が先に行っていると言った場所、それは、死刑囚の死刑を執行するための絞首台の、その先にあるもの――あの世の事だったのである。
礼矢は思わず、昇降口を飛び出て満に駆け寄ろうとした。
何を言いたかっただとか、何をしたかっただとか、そのような明確な理由があったわけではないが、そう行動せずにはいられなかったのである。
だが、礼矢が校庭に降り、走り始めた時には満の体はもう車の中に納まっていて、車の傍に駆け寄った時には、黒いスーツの男が乱暴にドアを閉める音が聞こえただけだった。
車――覆面パトカーのドアのガラスは何か細工がされているのか、車内が見えにくいようになっていて、満がどのような表情でこちらを見ているのかは、どれだけよく見ても分からない。
礼矢は次に黒いスーツの男に視線を向けたが、黒いスーツの男は礼矢を一瞥しただけで、直ぐに車の助手席に乗り込んでしまう。
そして覆面パトカーは、礼矢には一切の興味を持っていないとでも言いたげに、その場から走り去っていく。
残されたのは、呆然と佇む礼矢と、先ほど急に飛び出した礼矢を焦って追いかけてきた警察官と、撤退のための準備を始めているその他大勢の警察官だけであった。


それから先は、忙しく、騒がしく、しかし光陰矢の如しとでも言うべき日々が続いた。

まず、マスコミは満の凶行をセンセーショナルに報道し、一般市民の断罪感情を煽り続け、それを金にしていた。
特に、少しでも金になる情報が欲しいという少し卑しいマスコミは、時に事件の生き残りとでも言うべき殺されなかった生徒達の家に突撃する事もあって、それを他のマスコミが問題行動として報道する事もあった。

また、そのようなマスコミの断罪感情陽動作戦に乗せられた一部の人権団体は水を得た魚のように元気になり、少年法撤廃を叫ぶ。
しかし、少年法があろうが無かろうが、満は十八歳なので成人と同じ処分が下る可能性が高いことを、その団体は知っているのだろうか? という事が、礼矢には少し疑問だった。
尚、同じ人権団体と言えど、主張が違う人権団体、例えば、死刑廃止論者の集まりなどは、死刑賛成派から、このような凶悪犯すら税金で生かすというのか、という文句を普段以上に多くつけられたのか、さすがに少し勢いを無くしたようで、世論は死刑廃止よりも死刑推奨に傾き始め、過去の凶悪犯で未だ死刑が執行されていない人間も全て今すぐ死刑にするべきだ、といった主張が跋扈するようになった。

さらに、ネット上にはマスコミから得た情報は勿論、その他出所のよく分からない情報も氾濫し、日々沢山のネットユーザーが議論を展開する。
その際、あるユーザーは事件の真相――深層をあまり知らない故か、それとも知った故か、どちらかは分からないが、満の凶行を称賛し、その結果として正義の味方を無意識に自称するユーザー達から総攻撃を受け、炎上した。
正義気取りのユーザー達は主に、事件の顛末を知らずに犯罪を正当化するな!! などと憤っていたが、容疑者ではないが当事者ではあった礼矢には、その言葉の方が何か間違っているようにも感じられた。
とはいえ、礼矢がそれをネット上で言う事は勿論無い。
ただ、満の凶行を称賛したこのユーザーが、もしも満や自分と同じ立場の人間だったなら、彼または彼女を殺人鬼に変えるのは、案外この正義気取りのユーザーたちのような気がして、やりきれない気持ちになった事は事実であった。
尚、ネットユーザーの中にはマスコミ情報や警察発表、学校の発表を一切信じず、独自の視点で事件に切り込もうとしている者もいたが、それらは満の凶行を称賛する人間以上の変わり者と思われているのか、賛同者はあまり増えなかったようだ。

その様に、本当と嘘と真偽不明の情報が数多く飛び交う日々の中、礼矢は度々警察署に呼び出され、形上は任意であるが実質は任意ではない事情聴取を受け続けていた。
警察が礼矢を呼ぶ理由は主に、礼矢が事件を一番近くで一番明確に目撃していた最重要の目撃者であったからである。
尚、幸い、かどうかは正直分からないところだが、警察は礼矢を容疑者としては見ていなかったらしい。
警察としては、礼矢は偶然居合わせた人質、あるいは殺しを強要されそうになった可哀想なお友達、という事になっているのだという。
昨今の、怪しい者はすぐ逮捕、の警察にしては珍しい気がするその対応を聞かされた時、礼矢は驚くと同時に、何か後ろめたいような気持ちになったものだった。
礼矢の頭には、惨劇の舞台となった学校の血に染まった姿よりも、かつて満と交わした何気ないはずの会話がこびり付いているのだ。
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