青春の沈黙≪1≫ 絶望の果てに、絞首台の先で逢おう

警察官達が逃げ道を塞ぎ包囲網をジリジリと狭める中で、礼矢は満の顔を見た。
満はまだ、相手を威嚇するような険しい表情をして警察官達を、特にその司令塔と思われる黒いスーツの男を睨んでいる。
それを抵抗の兆しと思ったのか、それともお約束のセリフであるから言っただけなのか、真相は礼矢には判断できないが、ともかく、黒いスーツ姿の男はもう一度声を張り上げる。

「凶器を床に置き、両手を挙げて、直ちに投降しなさい!!」

黒いスーツの男の言葉に対し、満は不快感とでも言うべき感情を表情に滲ませた。
その気配を察してか、一部の警察官達が小さくざわめいた声が聞こえる。
それらが何を言っているのか、正確な事は礼矢にはわからないが、おそらく、警察官達は満の反抗的ともいえる表情に緊張感と戸惑いを覚えたのだろう、という事だけは、なんとなく察することができた。
それは、満の表情について礼矢も緊張感と戸惑いを覚えているという事情があるからできた事かもしれない。
満はこれからどうするつもりなのだろうか?
それが分からない礼矢は、唯々不安げに満の顔を見ている事しかできずにいた。
だが

「繰り返す!! 凶器を床に置き、両手を挙げて、直ちに投降しなさい!!」

黒いスーツの男が先ほどの内容を繰り返した時、満の表情に変化が見えた。
反抗的で威嚇にも似た表情は消失し、少し疲れたような顔をやや俯かせて長い溜息を吐く。
それから無表情で顔を上げると、礼矢に視線を合わせ、まるで礼矢を安心させようとしているかのように微笑む。
微笑まれた礼矢としては、満が何を思ってそのような表情をしているのか、先ほどにも増して分からない為、困惑の滲んだ表情を返すことしかできなかったが、満は何故か満足そうに笑う。
そして、やや小声で言った。

「僕、先に行ってるね。先に行って、礼矢が来るの、待ってるから。」

その声は二人を包囲する警察官達には届かなかったようで、二人の周囲にいる警察官達は色々と怪訝そうな顔をしていたのだが、この時の礼矢にそれを気にする余裕はなかった。
ただ、満の言葉の意味を整理して、理解して、それで精一杯だったのである。
先に行っている? 一体何処へ? 自分が来るのを待っている? 一体何処で?
本当は頭のどこかで分かっている気がしていたが、それを認めてしまうことはとても恐ろしいことのようにも思えて、礼矢の頭は満の言葉の意味を理解することを拒んでいた。
その間に満は床にしゃがむと、両手に持っている包丁をとても静かに床へ置き、再びゆっくりと立ち上がると、緩慢な動作で両手を挙げた。
それにより、警察官達は盾を不要と思ったのか、機動隊が隊列を乱しながら少しずつ後退し、その間から普通の制服を着た警察官達が何人かこちらへ――礼矢と満へ歩み寄ってくる。
やがて、歩み寄ってきた何人かの警察官の一人が、満の手首を掴み、その手をゆっくりと下させた。
そして、アニメやドラマではガチャンという効果音のする事が多い手錠は実際には大した音を立てず、軽くカチャリという音をさせただけで、満の手首にまとわりつく。

「……行くぞ。」

満の手を下させた警察官がそう言って、満の腕を引く。
満は一瞬だけ寂しそうな顔を見せたが、すぐに普段のすまし顔に戻ってそれに従い歩き出す。
何もかもが終わっていく中で、礼矢だけが、何がどうなっているのか分からない、という顔で佇んでいた。
そんな礼矢を現実に引き戻したのは、満には一切触れていなかった、また別の警察官の声であった。

「大丈夫? 怪我はない?」

声をかけてきた警察官は、身長こそ高いが顔や雰囲気にはあまり威圧感のないタイプで、まさに、町のお巡りさん、という雰囲気を醸している。
なので、それが何故この凄惨な事件の現場に召集されたのか、礼矢にはよく分からない。
ついでに言うなら、満の近くにいて唯一殺されることのなかった自分に怪我の有無を聞く理由もよく分からなかった。
もしかして、この警察官は礼矢が満に人質とされていたとでも思っているのだろうか?
本当は、人質ではなく、共犯者候補だったというのに。

「……はい、怪我は、無いです。」

極めて複雑な心境の中、礼矢はやっとの思いでそれだけ答えた。
警察官は、礼矢が落ち込んでいると思ったのか、慰めるように肩をポンポンと軽く叩いてくる。
確かに、礼矢は今落ち込んでいる、それは正しいので、警察官の行動はあながち間違っていないのかもしれない。
しかし、その落ち込みは、落ち込みの原因は、警察官に慰められた程度でどうにかなる問題ではないという意味で、警察官の行動は非常に無意味でもあった。
そのような事よりも、満はどうしているのか、それが気になった礼矢は、昇降口の外、校庭へと視線を向ける。
すると校庭の真ん中に止まっている黒い車が目についた。
それに向けて、先ほどの警察官とは別の、おそらく警察官であろう黒いスーツの男に腕と肩を掴まれた満が歩いている姿も見える。

「あの子は容疑者だし、未成年でもあるから、あの車でなるべく目立たないように署に送るんだ。それから、辛いかもしれないけど、君にも事情を聴かないといけないから、後で君にも一緒に来てもらうよ。」

礼矢が満と車を見つめていることで、礼矢の言いたい事を察したつもりになったのか、先ほど礼矢に声をかけてきた警察官は、礼矢は勿論として誰に聞かれたわけでもないというのに大まかな事を説明し始めた。
だが、礼矢が欲しかったものは、そのような説明文ではなかったため、礼矢はそっと視線を床に落とす。
その様な、社会のシステムに関する説明など、正直要らない、聞きたくない。
自分が欲しい説明はもっと別の、そう、例えば、先ほどの満の言葉がどういう意味なのか、その事ならば――
27/42ページ