青春の沈黙≪1≫ 絶望の果てに、絞首台の先で逢おう

――僕達、何があっても仲間だよね?
――勿論だろ。何があったって、俺達は仲間。むしろ、同志ってやつだろ。

あの時はそれほど気に留めなかった、いつも通りの何気ない会話が、今になって礼矢を責め立て始める。
礼矢はこの時になって初めて、藤咲 満という存在の中にある暗い深淵を本当の意味で覗いた気がした。
満も礼矢も、虐め加害者達への憎悪と、加害者を野放しにする教師達への嫌悪と、それら全員への殺意を抱えている事自体は同じだが、満の抱えるそれは、礼矢の抱えるそれよりも、格段に強く、大きく、根深いのである。
特に、殺意に関してはその違いが顕著に表れたと言えよう。
満の殺意は本当に自身の手で人を殺められる程強烈だが、礼矢の殺意はまだそこまで肥大していないのだ。
だから礼矢は、満が差し出す包丁をすんなりと受け取る事ができずにいる。
だが、その割にそれを跳ね除ける事もできずにいるのは、自分の言葉を嘘にして満を裏切りたくないという思い故か、それとも、満ほど強大ではないにしろ、礼矢の中にも虐め加害者達やそれ等を野放しにする教師への殺意がある故か、あるいはその両方か。
とにかく、礼矢はどちらの答えも出す事ができないまま、緊迫した表情で満の左手とそこに握られた包丁を凝視したまま動けずにいた。
やがて、礼矢のそのような態度に痺れを切らし始めたのか、満が口を開く。

「……どうして迷うの? 迷う事なんて何も無い事、礼矢は知ってる筈だよ?」

礼矢が包丁を受け取らない事を心底不思議に思っている顔でそう言った満の声音は何故だか、正しい者が誤った者に正しい道を示し、これからは正しい道を進むようにと言い聞かせているときのような響きを持っていて、礼矢は戸惑った。
一般論で考えれば、殺人は間違った行為である、というのは言うまでもないのだが、例えそうだとしても、満や自分にとっては、特定の人間を相手にした場合に限り、殺人は正しい行為になりえるのではないか、と思わせるような力を、礼矢は満の声音から感じていたのだ。
いや、もしかしたら、満の声音に力があったと言うよりは、そもそも礼矢が思考の奥底でそのような考えを元々持っており、満の声と言葉はそれを引き出したに過ぎないのかもしれない。
だが、幸か不幸か、礼矢自身はそれに気付けるような聡明さは持ち合わせておらず、満もそれを指摘しようとはせず、礼矢でも満でもない第三者は二人の傍にいなかった為、礼矢が己の中に元々潜んでいる殺人肯定の感情を自覚する事はできなかった。
しかしそれでも、礼矢の中にそう言った感情がある事は確かで、満の声と言葉はその感情を刺激する。
そして、満はそれをある程度見透かしているのか、礼矢の顔を覗き込みながら、少し悪戯っぽい、しかし礼矢を信じているという想いの感じ取れる優しく明るい笑顔を見せながら言った。

「さぁ、これを受け取って? 僕と一緒に、全てを終わらせよう。」

満の言う、全て、の中には、虐め加害者だけでなく虐め被害者である自分達も含まれているのであろう。
それを察した礼矢の胸に、やりきれない気持ち、或いは虚しさとでも言うべき感情が広がっていく。
何故ならば、自分自身を含めた全てを終わらせるという言葉から、満はこの先の未来を生きる気など更々無いという事が感じ取れたからだ。
恐らく満は、この虐殺の果てに明るい未来や穏やかな未来という救いなど無い、という事を分かっている。
例え殺された側に何らかの明確な非があるとしても、飽くまでも殺した側を許さない世間と世論と法律の下では、裁きの場に引き摺り出されるのは自分であると、よく理解している。
だがそれでも、自分が終わる事を確定させてでも、己の中で燻り続けていた殺意を遂げる事を優先した満は、とても濃い絶望と悲哀の気配を纏っていると、礼矢には感じられた。
だが、その絶望は、大抵の大人達や充実した青春を送っている若者達から見れば酷く馬鹿げたものでしかないのだろう。
恐らく、満は彼等から負け犬と呼ばれ、嘲られる事となるはずだという事が、礼矢には容易く想像できる。
しかし、だからと言って満に対し、何て馬鹿な事をしたのか、などと言ってその行動を責めるという選択肢は、礼矢には浮かばない。
何故ならば、今の満を責め、嘲る事は、何時かあり得た、或いはあり得るかもしれない自分を責め、嘲る事と同じであると思えたからである。
そう、例え程度に差があれど、満が殺した者達へ明確な殺意を抱いていた自分は満と同じ部類の人間であり、満の行為を止められる立場になど居ないのだ。
それを理解した礼矢は、返り血だらけの制服に似合わぬ優しい笑顔を見せる満に対し、何かに降参する時のような困り気味の笑みを見せて、ボソリと

「……仕方ねぇな、ホント……」

と呟いてから、ゆっくりと満の左手、そこに握られた包丁の柄にゆっくりと手を伸ばし始める。
それはつまり、礼矢は満と共に全てを終わらせる事を選んだという事なのだが、正直な事を言えば、礼矢には一切の迷いが無いという訳ではなかった。
例えば、今後この学校から警察署を経て法廷へ引きずり出されるであろう自分がどのような扱いを受けるのかを考えると、躊躇する気持ちが湧き上がらないこともない。
そう、この虐殺の果てには、明るい未来や穏やかな未来という救いなど無く、あるのは唯、絶望と全ての終わりだけである事を思ってしまうと、体が強張るような強烈な恐怖が全身を駆け巡るのは事実だ。
だがそれでも、これが自分にできる精一杯の、残酷で非情な現実への抵抗と、自分の同志でいてくれる満への恩返しになるというのならば、自分はこの刃を受け取るべきだと思ったのだ。
礼矢が手を伸ばし始めた様子を見た満が嬉しそうな笑みを浮かべる気配がする。
しかし、礼矢の普通より少し肥えた右手の指先が、包丁の柄に触れようとした時、満の表情が変わる気配がして、それから
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